「大佐!」
北の猟兵のトレードカラーともなっている紫のアーマーに身を包んだ一人の男が、返り血で赤く染まった外套を羽織る壮年の男に駆け寄りながら声を掛ける。
軍と違って階級など存在しない猟兵の社会において、大佐と呼ばれる男は一人しかいない。
北の猟兵を起ち上げたノーザンブリアの英雄と讃えられる男にして、サラの養父。
――バレスタイン大佐。そして彼は、金の騎神〈エル=プラドー〉を駆る起動者でもあった。
「帝国軍が侵攻を開始しました」
部下の口から予想通りの報告を聞きながら、大佐はブレードライフルに付着した血をハンカチで拭う。
ここはノーザンブリアの議会場。血塗れで地面に横たわっている男たちは、ノーザンブリアの議員たちだ。
しかし、絶命した議員のなかに議長と思しき男の姿は確認できない。
恐らく自分たちの動きを察知して、使節団と共にレミフェリアへ向かったのだろうと大佐は推察する。
「こちらも片付いた。ここまでは予定通りだな」
「逃亡した議員たちの処分はどうしますか?」
「放って置け。どうせ何も出来ん。それにレミフェリアには今、あの男がいるしな」
「……猟兵王の息子ですか」
逃げて帝国を頼ったところで、もはや彼等に居場所などない。利用価値がなくなれば捨てられるだけだ。
ましてや、レミフェリアにはリィンがいる。議員たちの口車に乗せられたりはしないだろうと大佐は確信していた。
「それに……議員だけを責めることは出来ない。これは俺たちの責任でもあるからな」
塩の杭事件と呼ばれる災害から三十年以上が経過した今も復興が進まず、目立った産業もなく国土の貧しいノーザンブリアは〈北の猟兵〉の稼ぎに頼っていると言われてる。
それは事実だ。北の猟兵の稼ぎがなければ、いまの数倍もの人々が食べるものもなく命を落としていたはず。
三十年と保つはずがなく、とっくにこの自治州は地図から姿を消していただろう。
だが、自分は本当に正しいことをしたのかと、大佐は疑問を持ち続けていた。
飢えに苦しむ民を救うには、あの時はああするほかに取れる選択肢がなかったのも事実だ。
いまが苦しくとも生きてさえいれば、必ず活路は見出せる。
復興さえ叶えば、嘗てのような生活を取り戻せるはずだと思っていた。
しかし、現実は彼等が考えるほど甘くはなかった。
ノーザンブリアの復興を妨げた原因は、複数考えられる。
まずは風評被害。原因すら分かっていない謎の災害によって国土の大半が失われたのだ。
僅かに残った土地で作物を育てようと、そんな土地で採れたものを好んで買おうとする人々がいるだろうか?
人は自分たちが理解できないものを恐れる傾向にある。
そのため普通であれば、ノーザンブリアのものと分かっただけで手をだそうとはしないし、商人からも足下を見られる。
労力に対して得られる対価が少なければ、真っ当な暮らしなど望めるはずもない。いまのノーザンブリアは、そう言った悪循環に陥っていた。
二つ目の原因は、経済的なダメージを受けたのはノーザンブリアだけではないと言うことだ。
ノーザンブリアと交流のあった自治州や国も少なくない影響を受け、特に交易が盛んだったジュライでは大量の失業者を生む結果へと繋がり、他国の支援をするほどの余裕は彼等にもなかったのだ。
彼等にも彼等の生活がある。守るべき民がいる。
幾ら交流があったとはいえ、ノーザンブリアを見捨てたとしても、そのことを責めることは出来ない。
そして最後に、民を救うために起ち上げたはずの〈北の猟兵〉そのものが、ノーザンブリアの足枷となっていた。
確かに国を捨てて逃げ出した大公の責任は重い。国民の怒りは相当なものだっただろう。
しかし民主的なプロセスを取らず軍は公国を廃し、自治州としての独立を宣言してしまった。
その上、民を飢えの苦しみから救うためとはいえ、巨大な猟兵団を彼等は起ち上げてしまったのだ。
戦争を生業とする傭兵国家が誕生したのだ。周辺諸国がノーザンブリアを危険視し、警戒するのは当然と言える。
そんな状況で他国との交易など上手くいくはずがなく、結果的に彼等は自分たちで自分の首を絞めてしまったことになる。
だからこそ、大佐は自分のやったことを誇れないし、正しいことをしたと胸を張れずにいた。
皆は英雄と言ってくれる。しかし、いまのノーザンブリアの状況を作り上げたのは、紛れもなく自分たちだと理解しているからだ。
少しでも周辺諸国のイメージをよくしようと選挙によって選ばれた議員たちに政治を委ね、復興を促す取り組みも行ったが何をやっても上手くは行かず、三十年以上が経過した今では帝国の貴族と通じて私腹を肥やす議員も現れる始末で、当時の信念など見る影もなくなってしまっている。人口は減り続け、復興は滞り、経済も上手く回らない。結果、北の猟兵への依存は高まり、いまの状況を生み出していた。
一人では何も出来ない人々が傷をなめ合い、明日への希望を見出せないまま静かに終わりを待つだけの場所。
大公家縁の者へ怒りを向けることで、自分たちの行動を正当化する。
そんな風にしてしまった原因は自分たちにあると、大佐はそう考えたのだろう。
――猟兵では人を救えない。
自分たちに出来るのは命を奪うことだけで、血に塗れたやり方では人を幸せにすることなど出来ない。
だからこそサラが猟兵となることにも、大佐は最初から肯定的ではなかったのだ。
猟兵は悪だ。正義の味方ではないし、英雄などと呼ばれる存在ではない。
しかし、そのことに気付いたとしても、もう後戻りなど出来るはずもない。
既に多くの命を奪ってきた。たくさんの人々を不幸にしてきた。
それでも、そうすることでしか自分を信じてついてきてくれる人々に報いる方法がない。
だからこそ、大佐は決意したのだ。
「お前たちには、損な役割を押しつけてしまうな」
「何を言ってるんです。俺たちは自分の意志で大佐に最後まで付き合うと決めたんです。例え地獄までだろうと、お供しますよ」
猟兵は悪だ。ならば悪党らしく最後まで、自分に与えられた役割を全うしようと。
そんな自分についてきてくれる部下たちに感謝しながら、大佐は戦場へと向かうのだった。
◆
意気揚々とノーザンブリアへ向けて侵攻する領邦軍の部隊。
街を囲う城壁まで、残り千アージュを切ろうというところまで迫ったところだった。
突如、大地が眩く光ったかと思うと、爆音が響いたのは――
「導力地雷!? 罠が仕掛けられているぞ! 気を付けろ!」
北の猟兵が仕掛けた地雷に引っかかり、戦車が横倒しになる中、足を止める領邦軍。
しかし、彼等とてバカではない。この程度の罠が仕掛けられていることは想定済み。
すぐに空挺部隊へ指示を飛ばし、空からの再度侵攻を試みる。
しかし、
「なんだと……」
空が白く光ったかと思うと、街へと向かわせた飛空挺が次々に撃ち落とされる。
予期せぬ状況に驚き、目を瞠る領邦軍の指揮官。
そして次の瞬間、街を守る城門が開き、そこから紫にカラーが統一された複数のドラッケンと人形兵器が現れる。
機甲兵と人形兵器の登場に驚くも、数の上ではまだまだ領邦軍の方が上だ。
「狼狽えるな! 数では圧倒的にこちらが有利だ!」
すぐに冷静を取り戻し、指揮官は部隊に迎撃の指示をする。
戦争は兵器の質と数が物を言う。基本的に物量で勝っていれば、有利であることに変わりは無い。
ましてや、機甲兵なら領邦軍にも同等以上の性能のものが配備されているのだ。
質で負けていないのであれば、数で有利な自分たちが負けるはずがないと彼等は信じていた。
実際、その考えは間違っていない。地の利は〈北の猟兵〉にあるとはいえ、普通であれば数で勝る領邦軍が圧倒するだろう。
だが――
「また、あの光か!?」
街の方から放たれた無数の光が、飛空挺を撃ち落とした時のように領邦軍の機甲兵の足を止める。
巻き上がる土埃。その先に姿を見せたのは、光輝く一体の騎神だった。
金色の翼を広げ、堂々とした佇まいで宙に浮かぶ金色の騎士。
「まさか、あれは情報にあった……」
金の騎神エル=プラドー。
バレスタイン大佐を起動者とする七の騎神の一体だ。
事前に情報を得ていたとはいえ、厄介な敵が現れたことに歯軋りをする指揮官。
後ろには正規軍が控えているとはいえ、できれば彼等に頼りたくないという思惑があるのだろう。
貴族派と革新派が手を取り合ったなどと噂されているが、実際にはどちらが主導権を握るかで今も対立は続いている。
ましてや、領邦軍の兵士には貴族の子弟が多いように、正規軍は平民の出身者が多い。
平民に助けを求めるなど、貴族のプライドが許さない。そんな真似が彼等に出来るはずもなかった。
そんななか――
「聞け! 帝国の者たちよ! 議会は我等が占拠した!」
北の大地にバレスタイン大佐の声が響き渡る。
「保身のために故郷を売り、お前たちと密約を交わした議会は既に存在しない。嘗ての大公のように故郷を捨てて逃亡した者たちにも、いずれ裁きが下るだろう。その上で警告する。これ以上、我等が領土を侵し、自由を脅かすというのであれば、お前たちにも同様の裁きが下ると」
「たかが猟兵風情が、戯れ言を!?」
大佐の警告に対して、少しも苛立ちを隠そうとせず激昂する指揮官。
だが、それは他の貴族たちも同じだった。
平民以上に貴族は猟兵を下に見る傾向が強い。主に猟兵を雇い入れる一番の上客と言えば、貴族に他ならない。それだけに上に立つのは自分たちだという意識が強いからだ。
実際、この戦争に参加している貴族のなかにも、嘗て〈北の猟兵〉と契約を交わしたものが少なからずいる。
いや、先の内戦で貴族連合が彼等を大々的に雇い入れていた実態を考えれば、まったく面識がないという者の方が少ないだろう。
だからこそ、余計にそんな自分たちが下と見ている者たちに命令されるのが癪に障るのだろう。
「……やはり、引く気はないか」
自身に向けて一斉に放たれる砲撃を前に、大佐は溜め息を溢す。
一応、警告をしたが、それが受け入れられるとは最初から思っていなかったためだ。
例え踊らされているだけであろうと、彼等にも譲れない、引けない理由があることは分かっていた。
しかし、それは大佐たちも同じだ。
「な……無傷だと?」
光輝く障壁で砲弾を阻み、傷一つついてない金の騎神に驚く領邦軍の兵士たち。
幾ら騎神と言えど、これだけの数の集中砲火を浴びて、無傷でいられるとは思っていなかったのだろう。
だが、エル=プラドーは七体いる騎神のなかでも上位の力を持つ騎神だ。
機甲兵は騎神を模して作られた兵器。同等か、それ以上のことが出来ない道理などない。
「問答は無用のようだ。ならば、どちらが正しいか……我等の流儀≠ナ決めるとしよう」
戦場にこれ以上の言葉は不要とばかりに、大佐率いる〈北の猟兵〉は反撃の牙を剥くのだった。
◆
「あれ、まずいんじゃない?」
双眼鏡を覗き込みながら、最初にそう口にしたのはエミリーだった。
一見すると前線は硬直状態に見えるが、明らかに領邦軍の方が被害が大きい。
いまのところなんとか数の差で抑え込めているようだが、それもいつまで続くかはわからない。
戦車の砲弾すら容易く受け止める金の騎神の障壁を突破する手立てが、領邦軍にはないからだ。
それに〈北の猟兵〉は自分たちが仕掛けた罠の位置を正確に把握しているが、領邦軍は罠を警戒しながら戦闘しなければならないという不利な状況に置かれていた。
いまや攻守が完全に逆転している。
「さすがはノーザンブリアの英雄と言ったところね」
「どういうこと?」
「はあ……ちゃんと報告書には目を通したんでしょ? あの騎神に乗ってるのが、サラ教官の父君よ」
「え? サラ教官のお父さんって、亡くなってるんじゃ……」
士官学院時代からの親友にして相棒の言葉に、思わず溜め息が溢れるテレジア。
作戦の前に配られれた資料には、北の猟兵に関する情報が事細かく記されていた。
ちゃんと目を通していれば、バレスタイン大佐が生存していたこと。
そして、騎神の起動者となっていたことを知らないはずがないのだ。
「サラ教官のお父さんが生きてたことは驚きだけど、さすがってどういうこと?」
「罠を仕掛けて待ち構えていたのなら、打って出るよりも籠城して少しでも敵の戦力を消耗させてから攻めた方が有利でしょ? だけど、北の猟兵は守りに徹するのではなく最初から攻めに出た。どうしてだと思う?」
「……注意を引くため?」
「わかってるじゃない。そうすれば、領邦軍の注意は街ではなく彼等に向く。それに私たちは〈北の猟兵〉からノーザンブリアを解放するという大義名分で動いているのよ。彼等が街からでて戦っている以上は、無防備な街を攻撃することは出来ない」
街を守るために、北の猟兵は敢えて打ってでたのだとテレジアは考えていた。
それなら仮に彼等が敗れたとしても、帝国軍は街を攻撃することは出来ない。勿論、罠である可能性がゼロではない以上は警戒する必要はあるが、略奪行為や不必要に住民を傷つけるような真似をすれば帝国の名を汚すことになる。
戦功を欲している以上、皇帝の覚えが悪くなるのは貴族たちも避けたいだろう。
「でも、彼等の方が優勢みたいだよ?」
テレジアの言うことは理解できるが、どう見ても優勢なのは〈北の猟兵〉の方だ。
金の騎神の戦闘力は想像以上と言っていいが、猟兵たちが操縦する紫のドラッケンも侮れない。
一人一人がエース級の実力を有していることは疑いようがなかった。
もしかしたら、このまま彼等が勝ってしまうかもしれない。そう思えるほどに、凄まじい戦い振りだ。
しかも、どこで入手したのか? 結社のものと思しき人形兵器の姿まで確認できる。
「確かに凄いわ。でも、目の前の敵だけじゃない。後ろには帝国正規軍≠ェ控えているのよ?」
それでも〈北の猟兵〉が勝利する可能性はゼロだと、テレジアは自分の考えを告げる。
確かに彼等は強いが、それでも多勢に無勢な状況に変わりは無い。
この調子で戦い続けていれば、体力の限界はいずれくる。
仮に領邦軍を退けたとしても、後ろには帝国軍の主力が控えているのだ。
たった数百の猟兵で、十万を超す兵力を凌ぎきることは難しいだろう。
「でも〈暁の旅団〉の団長は一軍に匹敵すると評価されて、帝国だけでなく共和国にも警戒されてるんでしょ? 実際、共和国の侵攻からクロスベルを守ったことがある訳だし」
俄には信じがたい話だが、エミリーの言うように共和国軍がたった二機の騎神を相手に撤退を余儀なくされたのは事実だった。
しかも灰の騎神に至っては、帝国の艦隊が為す術もなかった巨神を葬った実績がある。
ノルド高原に残された戦いの爪痕は想像を絶するもので、現代兵器を用いても同じような惨状を作ることは難しいと分析されているほどなのだ。
同じことが金の騎神にも出来ないと考えるのは、確かに早計だろう。
それでも――
「……彼は特別≠諱Bだって彼は――」
テレジアはエミリーの考えを否定する。
そして、何かを口にしようとした、その時だった。
頭上に差し掛かる巨大な影。飛行船のものと思しきエンジン音に気が付いたのは――
「上!?」
「まさか、あれは――」
目を瞠り、驚きの声を上げるエミリーとテレジア。
空を見上げる二人が目にしたのは、赤い翼を持つ一隻の船だった。
「カレイジャス!?」
「似ているけど少し違うわ。あれは情報局の資料にあったカレイジャスの二番艦、アウロラと呼ばれている船ね。でも、ここまで接近に気が付かなかった? そんな、どうして――」
接近に気が付かなかったこともそうだが、レミフェリアからノーザンブリアまでは飛行船を使っても半日近くはかかる距離がある。
本来であれば、この場にカレイジャスが現れるはずがないのだ。
ありえないと困惑する二人を畳み掛けるように、頭上の船から一体の騎神が姿を見せる。
「灰の騎神――」
「ヴァリマール」
息を呑みながら声を揃えて、その騎神の名を口にする二人。
それは一軍に匹敵すると噂される最強の猟兵が、戦場に姿を見せた瞬間だった。
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