「なんだこれは……」
炎に染まる光景を眺めながら、ガクガクと恐怖で肩を震わせる男がいた。
男は嘗て、アルバレア公爵家の派閥に所属するクロイツェン州の貴族だった。
しかし先の内戦で貴族連合が敗れ、アルバレア公が戦死したことで他の貴族と同様に多額の賠償金を負わされることとなる。
結果、爵位こそ守られたものの私財の多くを失うこととなり、帝都の女学院に通わせている娘の学費も払えないほど生活に困窮していた。
そんな時だ。バラッド候から声を掛けられ、誘いに乗ったのは――
少しは迷いもしたが、相手は帝国と比べるべくもない小さな自治州に過ぎない。
大きな猟兵団を擁しているとはいえ、今回の戦争に限って言えば万が一にも負けはないと確信していた。
なのに――
「こんなバカなことがあっていいのか、女神よ!」
天より降り注いだ光で数千の兵の命が失われたかと思えば、次の瞬間――
数百の機甲兵と戦車を擁する領邦軍の本隊が炎に呑まれ、一瞬にして消滅≠オてしまったのだ。
常識を遥かに超えた現代兵器ですら及ばない破壊力。
仮に列車砲を用いたとしても、目の前のような惨状は引き起こせないだろう。
「悪魔……」
炎の中を散歩するかのような軽い足並みで近付いてくるリィンを見て、男はそう呟く。
精霊化したリィンの姿は、確かに普通の人間と大きく懸け離れている。
尻尾のように長く伸びた紅蓮の髪。瞳は金色に輝き、全身に纏った炎は翼のようにも見える。
実際その力は人の領域を遥かに超えており、悪魔と呼ばれるだけの能力を備えていた。
「まだ生き残りがいたか。北の猟兵を巻き込まないように力をセーブしすぎたか」
男からすれば、冗談のような言葉がリィンの口から漏れる。
これだけの惨状を引き起こしておきながら、まだ全力ではないなどと悪い夢としか思えない。
勝てるはずがない。
男の心を支配するのは圧倒的なまでの絶望。
泣き喚き、逃げる力すら男には残されていなかった。
「悪いが、お前たちを生かしておくつもりはないんだ。せめて、苦しまずに逝け」
まるで生き物のように蠢く炎が、僅かに生き残った領邦軍の兵士たちを呑み込んでいく。
灰と化していくなかで男はバラッド候の誘いに乗った自分自身の選択を後悔しながら、最期に娘の名を口にするのだった。
◆
「これがリィン・クラウゼル……」
呆然と立ち尽くすことしか出来なかったのは、北の猟兵たちも同じであった。
一度、ノルド高原で部隊を壊滅させられていることから、リィンの危険性は理解しているつもりだった。
騎神の起動者であることからも、一軍に匹敵すると言う噂も過大評価ではないと考えていたのだ。
実際、緋の騎神と一緒だったとはいえ、共和国軍を退けている。
団を率いて戦えば、帝国の師団とも互角以上に戦えるだけの戦闘力があると分析していた。
それでも――
「甘かった……まさか、これほどの化け物≠セったとは……」
まだ、理解が足りていなかったのだと思い知らされる。
生身でこの力だ。騎神と共に戦えば、一軍どころか国家とさえも互角以上に戦えるかもしれないと考える。
いや、それさえも甘い考えかもしれないと、猟兵の勘が告げていた。
しかし彼等にとって幸運だったのは、リィンは敵ではないと言うことだ。
大佐との会話の内容を信じるのであれば、リィンの狙いは帝国軍であって〈北の猟兵〉ではない。
それどころか、ノーザンブリアに味方するのは西風が――猟兵王が受けた恩を返すためでもあるとリィンは言ったのだ。
金のためなら何でもする。そんな猟兵がいることも事実だ。
しかし〈西風の旅団〉と言えば、嘗ては〈赤い星座〉と肩を並べると評された大陸最強の猟兵団。
しかも団長のルトガー・クラウゼルは、味方だけでなく敵からも一目を置かれる男だった。
戦場で命のやり取りをしたことがある相手ですら、ルトガーのことを悪く言う者はいなかったほどだ。
掴み所のない性格をしているが義理堅く、一旦戦場を離れれば敵とでも酒を酌み交わす器の大きさを持っていた。
北の猟兵たちもルトガーの訃報を耳にした時は、静かに黙祷を捧げたほどだった。
だからこそ、彼は『猟兵王』と呼ばれた。
その男の息子が、団と養父の名をだして言ったのだ。
ならば、その言葉に嘘はないのだろうと、北の猟兵たちは考える。
実際、彼等は生きている。
リィンの放った炎は〈北の猟兵〉を避け、領邦軍だけを焼き尽くしていた。
完全に信用することは出来ないが、少なくとも今は味方だと思っていいだろう。
「警戒は必要だが、必要以上に恐れることはないか。それに……」
正直なところリィンがきてくれたことに彼等は感謝していた。
死ぬことが怖いわけではない。戦場で死ぬ覚悟はとっくに出来ている。
だが、このままでは大佐は帝国貴族の見栄と保身のために謂れのない罪を背負わされ、嘗てのギリアス・オズボーンのように大罪人として歴史に名を刻まれることになる。
誰よりも故郷の復興と民の幸せを願い、ノーザンブリアのために尽くした男がだ。
誰がなんと言おうと、ノーザンブリアの人々にとってバレスタイン大佐は英雄だった。
故に大佐と運命を共にする覚悟は決めていても、心の底から納得していた訳ではなかったのだ。
「一旦、街まで退く。ここにいては邪魔になるだけだ」
リィンの戦いを見て、足手纏いになると考えた〈北の猟兵〉の隊長は部隊に指示をだす。
仮にこの場を凌げたとしても、帝国が大人しく手を引くとは思えない。
それでも、もしかしたら――と、僅かに見えてきた希望を胸に彼等は街へと引き返すのだった。
◆
「さすがに状況判断が的確だな」
街へと引き返していく〈北の猟兵〉を見て、その決断力の速さを褒めるリィン。
目的を果たすことも大切だが、常に死と隣り合わせの戦場で最も重要なのは生き残ることだ。
突発的な事態にも冷静に対応し、犠牲を最小限に食い止める。
それが団を率いる猟兵に求められること。有能な指揮官の証でもあった。
それに比べて――
「無能な指揮官を持った兵士は哀れなものだな」
少しでも早く撤退を指示していれば、せめて全滅は免れたかもしれない。
しかし恐怖で身が竦んで動けない者もいれば、我先にと兵士を見捨てて逃げようとする貴族までいる始末だ。
確実に勝てる戦争だから参加したという貴族も少なくないことを考えれば、仕方のないことなのかもしれない。
しかし、戦いに絶対はない。覚悟のない者が戦場へでてきた結果がこれだ。
リィンが呆れるのも無理はなかった。
少なくとも一度はチャンスがあったのだ。
先の内戦を反省してバラッド候の誘いに乗らなければ、こんなことにはならなかった。
なかには逆らうことが出来ず、参加を強制された貴族もいるかもしれない。
とはいえ――
「同情はしないがな」
戦場にでてきた以上、こんなはずじゃなかったなんて言い訳は通用しない。
誰一人として、この場にいる領邦軍の兵士をリィンは逃すつもりはなかった。
せめてもの救いがあるとすれば、苦しまずに逝けることだろう。
リィンの放った〈終焉の炎〉に呑まれれば、普通の人間は一瞬にして灰と化す。
この世界の理から外れた力。それは結果こそ異なるものの〈塩の杭〉に近い現象と言えるだろう。
「さてと……」
草木一本残さず、すべてが灰と化した大地に佇みながら、リィンは次の標的に狙いを定める。
領邦軍の後方に待機したまま様子を窺っている正規軍の本隊だ。
逃げるのなら追わないつもりだったが、動きを見せる様子はない。
仮にも味方の部隊がやられたというのに、不気味なほど静かだった。
「引くに引けなくなっているだけか、それとも……」
何か他に狙いがあるのか? とリィンは考える。
領邦軍を助けようとしなかった理由は、なんとなくではあるが察しはついている。
元々最初から貴族たちの援護をするつもりなど、正規軍にはなかったのだろう。
貴族たちは自分たちの勝利を疑っていなかったようだが、猟兵を甘く見過ぎている。
ましてや、地の利は〈北の猟兵〉にあるのだ。
戦功を欲する余り、突出して自滅することは目に見えていたのだろう。
「アルフィンとの約束はあるが、このままにもしておけないか」
戦えば勝つ自信はあるが、領邦軍のように簡単にはいかないだろう。
とはいえ、このまま見過ごすという選択肢もない。
リィンがこの場を離れれば、再びノーザンブリアへ向けて侵攻を開始すると予想できるからだ。
「一撃入れてから考えるか」
それで撤退するならよし。
仮に反撃してくるなら領邦軍と同じ道を辿るだけだとリィンは考える。
アルフィンとの約束がある以上、逃げる者を追うつもりはないが、歯向かうというのであれば話は別だ。
ここが戦場である以上、殺されても文句は言えないのだから――
「さて、どうでる?」
正規軍に向かって銃口を向け、構えを取るリィン。
ブレードライフルの引き金に指を掛け、集束砲を放とうとした、その時だった。
「地震!? いや、違う。これは――」
激しく大地が揺れ、地面に亀裂が走る。
その亀裂から溢れ出る光。それは視認できるほどの膨大なマナの輝きだった。
霊脈の暴走。同じような現象を過去に二度、リィンは目にしたことがあった。
一度目は〈紅き終焉の魔王〉が現れた時、そして二度目は巨神が復活した時だ。
そして、タイミングを見計らっていたかのように――
「……そういうことか」
正規軍の本隊から十機の魔煌機兵が飛び出してきたかと思うと、リィンを取り囲むように襲い掛かる。
正規軍が動かなかった理由。そして彼等の背後に、誰がいるのかをリィンは察する。
――黒のアルベリヒ。
魔煌機兵を準備していたと言うことは、リィンがこの場に現れることを予見していたのだろう。
そして、この霊脈の乱れ。次に予想できることは――
「異界化」
帝都に煌魔城が現れた時と同じように空が緋色に染まり、世界が侵蝕されていく。
リィンだけでなく正規軍の兵士たちをも巻き込み、北の大地は異界に呑まれるのであった。
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