光を通さない暗闇の中にリィンはいた。
状況から考えて、アルグレスが何かをしたのだというのは察しが付く。
「この空間……トマスの匣≠ノ似てるな」
時の流れから切り離され、現実からも隔絶された空間。
周囲の空気から星杯騎士団の副長トマス・ライサンダーが得意とする異能に近い感覚をリィンは覚える。
だとすれば、ただ周囲を暗くする攻撃と言うよりは、空間ごと隔離されたと考えるのが自然だろう。
普通なら抜け出すのも一苦労と言ったところだろうが、
「残念だが、この手の能力は俺に通用しない」
過去にリィンは自身の異能で、トマスの匣を破ったことがある。
リィンの〈王者の法〉は本来、錬金術の最終到達点とされる根源≠ノ最も近い力だ。
その力は神の領域に達し、女神の生み出した至宝さえも消滅させることが出来る。
それは即ち、魔術や異能の類でさえ、リィンの放つ炎の前では無力化すると言うことだ。
黄金の炎を武器に纏わせ、空間ごと破壊しようとした、その時だった。
リィンの耳に怪しげな声が聞こえてきたのは――
「ようやく姿を現したか」
この時を待ち侘びていたかと言ったように、笑みを漏らすリィン。
理性を失っているアルグレスが言葉を発せられるとは思えない。
そして、この現実世界と隔絶された空間。
呪いの放つ瘴気で満たされた特殊な状況。
そこから、この声の主が何者なのか、察するのは容易であったからだ。
「黒の騎神――イシュメルガだな」
確信を持って、その名を口にするリィン。
イシュメルガ――七体いる騎神の一体にして、地精を影から操る新の黒幕。
魔女の里に代々伝わる古代遺物、月冥鏡。通称、水鏡。
黒の史書と連動し、帝国各地に存在する霊窟と結び付くことで、霊脈に記憶された真なる歴史≠垣間見せるアーティファクト。
その水鏡が過去の記憶から示した、すべての元凶とされる存在だ。
『ソウ、我コソガ、イシュメルガ――オ前タチ人間ガ、神ト呼ブ存在ダ』
「……神ね」
空間に浮かび上がる無数の瞳。
その自ら神を自称する存在に、リィンは少し呆れた口調で苦笑する。
確かにそれなりの力を持ってはいるようだが、神と呼ぶには禍々しすぎる。
「俺も神を自称する存在とは面識があるが、お前はどちらかと言えば悪霊≠フ類だろ」
少なくともセイレン島で邂逅した大地神マイアとは違う。
正直、神を自称するには存在としての格≠ェ足りない。
精々、悪霊の類だろうとリィンは目の前の存在を斬って捨てる。
『神ト面識ガアルダト? マサカ……』
「ああ、お前の想像してる女神≠カゃない。この世界とは別の世界の女神だ」
神と面識があると聞いて、恐らくは空の女神を想像したのだろう。
この世界で神と言えば、七耀教会が崇めるエイドスが最も有名だからだ。
それに七の騎神の力の源となっている巨イナル一は、焔と大地の至宝が相克によって一つとなった存在だ。
女神の力で生まれた存在と言う意味では、イシュメルガにとっての神とはエイドスを指すのだろう。
『貴様ハ一体、何者ナノダ?』
「それは俺自身が知りたいことでもあるが、お前に説明する必要性も感じないな」
リィン自身、まだ完全に前世の記憶を取り戻したと言う訳ではない。
分かっているのは、転生する前に暮らしていた世界は既に滅びていると言うことだけだ。
世界の意志が女神の力によって生まれた歪みを正すために、リィンをこの世界に呼び寄せたとノルンは言っていたが、その話もどこまで信じていいものかリィンは信憑性を疑っていた。
ノルンが嘘を言ったとは思っていない。
実際、リィンの〈王者の法〉には女神の至宝を消し去るだけの力があるのは確かだからだ。
大地神マイアの言葉からも、この力は恐らく神にも通用するのだろう。
しかし、歴史を歪ませる原因となった至宝を消滅させるだけなら、過剰な力とも言える。
それに利用できるものは何でも利用すると言った考えから、リィン自身は至宝を消滅させようという意志はない。
この時点で世界の意志≠ニやらの狙いは外れていると言うことになる。
どうして、自分だったのか?
転生先が、この世界のリィンでなくてはダメだったのか?
そこに知りたい答えがあるのではないかと、リィンは考えていた。
とはいえ、そのことをイシュメルガに説明する理由もなければ義理もない。
何かしらの情報を得られるならいいが、イシュメルガは神≠自称しているだけの存在に過ぎない。
本物の女神と比べれば、遥かに力だけでなく存在としての格が低い。
リィンは一目で、そう見抜いていた。
「それで? こうして俺の前に姿を見せたと言うことは、諦めて大人しく殺される気になったのか?」
アルベリヒの相手などしなくても、元凶を潰してしまえば終わる。
イシュメルガを消滅させれば、この事件はすべて片が付く。
リィンとしては別にそれでよかった。
むしろ面倒事が一つ減ると考えれば、ここで消し去ってしまった方が後々のためという見方もある。
しかし、
『我ヲ消シ去ッタトコロデ無駄ダ。ココニイル我ハ呪イヲ介シテ、オ前ニ語リカケテイルニ過ギナイ――』
イシュメルガの口から返ってきた答えに、やはりそういうことかとリィンは納得する。
臆病なまでに慎重な相手だというのは、これまでの経緯からも分かっている。
リスクを冒してまで姿を現すとは、最初から思っていなかったのだろう。
とはいえ、
(ようやく掴めた尻尾だ)
このチャンスを逃す気はリィンにはなかった。
まだ完全に敵の狙いを把握できている訳ではないが、この状況を作り出すことが目的の一つだったのだと察せられる。
呪いを介してと言うことは、アルグレスを通じてリィンの精神に干渉しているのだろう。
しかし巨イナル一の呪いに侵されているのはリィンも同じだ。
直接リィンに思念を送るのではなく、何故そんな面倒な真似をしたのかについても予想は付いていた。
「そんな真似が出来るのにこれまで俺に直接語りかけてこなかったのは、俺の中に宿る異能が理由か」
『……ソウダ。神ヲ否定スル忌々シイ、ソノ力。ヨモヤ、我ガ声スラモ届カセヌトハ……』
呪いに侵されているとはいえ、巨イナル一は元が女神の至宝だ。
そして、その力を分けて生み出されたのが七の騎神であり、イシュメルガの正体だ。
呪いの影響がリィンに及ばないように、イシュメルガの声が届くはずもない。
本来の歴史のリィン・シュヴァルツァーと違い、この世界のリィンが幼い頃から〈鬼の力〉に悩まされることがなかったのは、それが理由の一つと言って良いだろう。
しかし、そうすると疑問が湧く。
こんな手間を掛けてまで、どうして今頃になって接触してきたのかと言うことだ。
考えられる答えは、一つしかなかった。
『リィン・クラウゼル。我ガ、起動者トナレ』
やはりそれが目的かと、イシュメルガが今になって接触してきた理由をリィンは察する。
イシュメルガの起動者であったギリアス・オズボーンは、先の戦いで死亡している。
となれば、現在のイシュメルガには決まった起動者がいないと言うことだ。
そして、リィン自身は父親と認めてはいないが、ギリアスの血を引いている事実に変わりはない。
ましてやリィンの胸には幼い頃に受けた傷を癒すため、ギリアスの心臓≠ェ移植されていた。
恐らくはそのことから、イシュメルガの準起動者≠ニしての資格を得ているのだと推察できる。
「断る。俺は――灰の起動者だ」
だからと言って、リィンの答えは決まっていた。
長い付き合いと言えるほどではないが、ヴァリマールのことは戦友≠セと思っている。
今更、相棒を乗り換えるつもりなどないし、そもそもイシュメルガをリィンは信用していなかった。
それも当然だ。
「それに俺は臆病者≠ニ組むつもりはない」
表にでてこない臆病者を猟兵は信用しない。
黒幕を気取っているのかもしれないが、臆病なのと慎重なのは違う。
人間を駒のように使い、自分は高みの見物というイシュメルガのやり方をリィンは認めるつもりはなかった。
『……我ノ起動者トナレバ、貴様ハ更ニ強クナレル。神ヲ超エルコトスラ可能カモ知レヌノダゾ』
「それはどうだろうな。その理屈から言うと、お前の方がヴァリマールよりも強いと聞こえるが、俺にはまったくそうは見えない」
むしろ騎神の中で最弱なんじゃないか、と煽るようにリィンは言葉を放つ。
基本性能は確かに高いのかもしれないが、他の騎神と違ってイシュメルガには経験の蓄積がない。
幾ら大きな力を持っていようと、それを使いこなせないのでは宝の持ち腐れだ。
戦場にでてきたことがない者に、自身の相棒が劣っているとはリィンには思えなかった。
『我ガ、騎神ノ中デ最モ優レタ存在デアル我ガ、最弱ノ灰ニ劣ルト言ウノカ!』
「お前等の物差しで測った強さなんて知るかよ。それでも、俺に認めさせたいというのなら――」
お前自身が証明してみせるんだな、と言ってリィンは力を解放する。
光を通さない闇の中に灯る太陽のような輝きに晒され、イシュメルガから悶え苦しむような声が漏れる。
「やはり、この程度か」
神を自称していても、イシュメルガにそれほどの力はない。
それが分かれば、これ以上の会話は無駄とリィンは判断する。
それに――
「お前のお陰で呪い≠ニの付き合い方もコツを掴めそうだ」
今度は〈王者の法〉を解除したかと思うと、リィンの髪が白く染まり、瞳が真紅の色を帯びる。
リィンのもう一つの異能――鬼の力。
その力の源泉となっているのが、この呪い≠セ。
周囲に呪いの力が満ちている今なら分かると、リィンは心の中で呟く。
鬼の力を使いこなせているつもりでいて、まだ完全には理解≠オていなかったことが――
「良いことを教えてくれた礼に、俺からも一つ教えてやる。お前が巨イナル一≠手に入れることはない。アルベリヒの千年に渡る計画も徒労に終わる。至宝を手に入れるのに七の相克≠ネど必要ないからな」
『ナンダト……貴様、ソレハドウイウ――』
説明を求めるイシュメルガの声を無視して、鬼の力を解放するリィン。
漆黒の闇がリィンの内から放たれた光に呑まれて、瘴気と共に掻き消されていくのであった。
◆
「……何が起きたんだ?」
自分の身に何が起きたのかを理解できず、困惑の声を漏らすクロウ。
一瞬、意識を失っていたようにも思えるが、何かをされた形跡はない。
状況が理解できず頭が混乱する中で、クロウの瞳にリィンとアルグレスの姿が映る。
「あいつ何を……まさか! おい――」
ヴィータから託された伝言を思い出し、リィンを止めようとするクロウ。
しかしクロウの声は届かず、リィンはアルグレスの額にブレードライフルを突き刺す。
そして――
「まだ視ているんだろ? これが、さっきの質問の答え≠セ」
アルグレスに向かってそう言葉を放つと、リィンは額に突き刺した剣先から黒炎≠放つ。
呪いの力を取り込み、瘴気を喰らい、勢いを増す炎。
アルグレスの断末魔が響く中、炎は更に勢いを増していくのだった。
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