帝国正規軍で採用されている百式軍刀術は、帝国二大剣術であるアルゼイド流とヴァンダール流の流れを汲む剣技だ。
 二つの剣術から厳選した百の型を取り入れたことで、より実戦的な剣術へと昇華したことで知られている。
 しかしそれは逆に言えば、合理性を追求したがために工夫の余地がなく、応用に乏しいと言う欠点を抱えていた。
 オーレリアが百式軍刀術ではなく敢えてアルゼイドとヴァンダール二つの流派を習得したのには、ただ合理性だけを追求した剣術では可能性を潰し、辿り着ける先に限界があると感じたことに理由があった。
 果てなき強さを追い求め、槍の聖女を超える英雄になると自身の剣に誓った彼女らしい選択と言えるだろう。
 そんなオーレリアとて、まだアルゼイドとヴァンダールの剣を極めたとは言えない。
 確かに彼女は二つの流派を皆伝まで収めているが、あくまでそれは奥義を使えると言うだけの話だ。
 それぞれの流派で学んだ剣技だけで立ち合えば、二人の師に一歩及ばないことを彼女自身も認めていた。

『――洸閃牙!』

 螺旋を描くように闘気を纏った大剣を振るい、同時に技を放つラウラとヴィクター。
 渾身の一撃が両者の間で激突し、大気を震わせるような衝撃を巻き起こす。
 渦を巻くように土埃が舞い上がり、その衝撃で弾かれるように距離を取る二人。
 オーレリアですら到達しえなかったアルゼイドの極み。
 一つの剣術を極めた頂きに立つのが、彼――ヴィクター・S・アルゼイドだった。
 何度も言うがオーレリアとて、同じ技でヴィクターと互角に打ち合うのは難しい。
 しかしラウラの放った〝洸閃牙〟は、ヴィクターの技と寸分なく互角の威力を発揮していた。

「よもや、同じタイミングで互角の威力の技を放つとは……」

 完全に見切っていなければ出来ない芸当だと、ヴィクターはラウラの成長に驚いた様子を見せる。
 明らかに山籠もりをしていた頃と比べて、パワーとスピードだけでなく技のキレが増していたからだ。
 少なくとも達人の域へ至っていることは間違いない。それに――

「幼い頃より、父上の技は何度も目にしてきましたから」

 ヴィクターの技は目に焼き付けるほど何度も目にし、身を持って体験してきたのだ。
 呼吸のタイミングから何気ない癖に至るまで、動きは完全に見切っていると言ってもいい。
 実力の差は以前としてあるが、相手が手の内を知り尽くした父親だからこそ、勝機はあるとラウラは考えていた。

「む――」

 大剣を上段に構え、静かに闘気を練り上げるラウラを見て、ヴィクターは警戒を上げる。
 一見すると隙だらけに見えるが、敢えて防御を捨てたことに気付いたからだ。

「どうやら本気のようだな」

 次の一撃で決着をつけるつもりなのだとラウラの意図を察し、敢えて誘いを受けるヴィクター。
 ラウラの狙いはカウンターで渾身の一撃を叩き込むことにあるのだろう。
 確かに実力で劣るラウラがヴィクターから勝利を得るには、それが最も確率の高い方法だ。
 しかし相手の技を見切っていると言う意味では、ヴィクターにも同じことが言える。
 ラウラに剣を教えたのはヴィクターなのだ。当然、ラウラの動きは見切っている。
 互いに相手の技を見切っている以上、如何にして相手の予想を上回れるかが勝敗を分ける鍵となる。

(……少しでも手を抜けば、敗れるのはこちらか)

 ならば全身全霊で応えるまで――
 と、ヴィクターも防御を捨て、攻撃の構えを取る。
 互いに大剣を上段に構え、タイミングを図りながら限界まで闘気を練り上げる。
 一瞬の躊躇いが勝敗を分けることは互いに理解していた。
 殺す覚悟で技を放たなければ、倒れるのは自分の方だと――

(戦場でまみえれば、嘗ての仲間や家族であろうとも殺すつもりで戦う、か……)

 それがリィンとフィーの……いや、猟兵の在り方だとラウラは学んだ。
 思うところがない訳ではないが、いまなら多少なりとも理解できる。
 命の重さと儚さを最も強く意識するのが戦場だからだ。

 どれほどの強者であっても、一瞬の迷いと油断で命を落とすことがある。
 そして、その迷いは自分だけでなく仲間の命を危険に晒す。
 だからこそ、リィンやフィーは嘗ての仲間であろうとも、敵としてまみえるのなら手を抜いたりはしないのだろう。

 実際、話し合いで済むかと言えば、難しいことはラウラにも分かる。
 無理矢理従わされているのならまだしも、相応の覚悟がなければ戦場に立つことなどないからだ。
 言葉を尽くしたとて――いや、言葉だけで分かり合える段階は既に過ぎている。
 ヴィクターの剣からも、それは伝わってくる。
 ならばこそ、

「はあああああああッ!」
「うおおおおおおおッ!」

 全身全霊で応えることが、自分に取れる唯一の方法だとラウラは覚悟を決める。
 ヴィクターの真意は分からない。しかし、譲れないものがあるのはラウラも同じだ。
 自分が正しいと思うもの。信じるもののために剣を振るう。
 そう教えてくれたのは、他ならぬ父――ヴィクターだからだ。

『――洸凰剣!』

 互いに持てるすべての力を込め、渾身の奥義を放つ。
 己がすべてを込めた剣が極光を放ち、交わった瞬間、戦場を白く染め上げるのだった。


  ◆


 一瞬が永遠にも思える時の中、ヴィクターの脳裏に嘗て愛した女性の姿がよぎる。
 ヴィクターの亡き妻。まだラウラが幼い頃に亡くなったラウラの母親だ。
 レグラムの湖のように青い髪と、透き通るような白い肌。
 凛とした表情の中にも優しさが垣間見える美しい女性だった。

(……よく似ている)

 亡き妻の姿を、娘のラウラに重ね合わせるヴィクター。
 優しく、そして強い女性だった。
 武術に長けていると言う話ではなく、ただ純粋に意志の強い女性だった。
 ラウラの負けず嫌いな性格は、母親譲りのものだろうとヴィクターは考える。

 だからこそ、ラウラの成長を嬉しく思う。
 正直な話、ここまでラウラが自分と互角の戦いが出来るとヴィクターは考えていなかった。
 先の内戦での経験や山籠もりの修行を経て、ラウラの才能が開花しつつあったことは確かだ。
 奥義の伝授を終え、皆伝を与えても問題ないほどに剣士としての成長を遂げていたことも事実。
 それでも、まだ自分やマテウスと同じ領域へ至るには、あと五年は必要だとヴィクターは考えていたのだ。
 しかし、

(……僅かに届かぬか)

 ヴィクターの剣が届く前に、ラウラの剣がヴィクターの身体を捉える。
 まさに神速の領域へと達した光を斬り裂くような一撃。
 ラウラの放った渾身の一撃は、間違いなく〝理〟へと至る一撃であった。


  ◆


「……見事だ」

 右肩から胸にかけて傷を負い、血を流しながら膝を折るヴィクター。
 アルゼイドの宝剣ガランシャールも半ばから砕け、ラウラの放った一撃の威力を物語っていた。
 だが、

「紙一重……いや、これでは胸を張って〝勝った〟とフィーや兄君に誇れぬな」

 満身創痍なのはラウラも同じだった。
 後ろで束ねていた髪は解け、傷こそ負っていないものの指先一つ動かす力は残っていない。
 紙一重とはいえ、ヴィクターを上回ることが出来たのは〈ユグドラシル〉と純ヒイロカネで出来た大剣のお陰だとラウラは考えていた。
 ラウラがやったことは単純だ。ユグドラシルはアーツが使えなくなる分、身体強化に優れている。その力を限界まで引き出せば、肉体の限界を超えたパワーとスピードを得ることも不可能ではない。以前フィーがバルデルとの戦いで見せたことを真似、一撃にすべてを込めた結果が勝敗を分けたと言う訳だった。
 とはいえ、あれは強靱な肉体と驚異的な回復能力を持つ〈進化の護人〉だから出来ることであって、普通の人間が真似をすれば身体を壊すだけでなく下手をすれば命を落とす可能性すらある危険な行為だった。
 事実、筋肉が裂け、全身の骨にもヒビが入る重傷を今のラウラは負っていた。
 命が助かったとしても、二度と剣を握れなくなるかもしれないほどの重傷だ。
 それに――

「くッ……帝国兵に魔煌機兵まで」

 ここは戦場だ。敵はヴィクターだけではない。
 離れた場所から様子を窺っていた兵士たちが武器を片手に集まって来たのだ。
 その後ろには魔煌機兵の姿も確認できる。
 気力を振り絞り、どうにか立ち上がろうとするも全身に走る激痛に表情を歪めるラウラ。

(これまでか……)

 立ち上がるどころか、満足に剣を握ることすら出来ない身体にラウラは死を覚悟する。
 しかし、不思議と恐怖はなかった。
 出せる力をすべて出し尽くし、ずっと目標としてきた父親に勝つことが出来たのだ。
 剣士として、これ以上の喜びはない。
 心残りがあるとすれば、まだフィーに一度も勝てていないことだ。
 こんなことならリィンにも秘めた想いを打ち明けておくべきだったと思う。

(兄上は……私が死ねば、悲しんでくれるだろうか?)

 わからないが、もしそうならと――ラウラは朦朧とする意識の中で願う。
 ゆっくりと地面に倒れ込むラウラの耳に、銃声が鳴り響くのだった。


  ◆


「……間に合わなかった?」

 フィーが目にしたのは、うつ伏せに倒れたまま動かないラウラと、そんなラウラの傍らに立つヴィクターの姿だった。

「光の剣匠……」

 決闘の末、娘を――ラウラをヴィクターが殺したのだとフィーは察する。
 戦争なのだから、そのことを非難するつもりはない。
 フィーとて嘗ての仲間と戦場でまみえれば、家族同然に思っていようと殺す覚悟はある。
 少しでも躊躇えば自分だけでなく今の仲間を――暁の旅団を危険に晒すと分かっているからだ。
 だからと言って、

「ラウラの敵討ちって訳じゃないけど……」

 このままヴィクターを見逃すつもりはフィーにはなかった。
 幾らヴィクターと言えど、ラウラとの戦いで体力を大きく消耗しているはず。
 それにアルゼイド家に伝わる宝剣ガランシャールは砕け、半ばから折れている姿が確認できる。
 恐らくはラウラとの戦いで破損したのだろうとフィーは考える。
 ラウラが命を懸けて作った好機を、みすみす逃すつもりはなかった。
 しかし、

「覚悟――え?」

 ヴィクターに攻撃を仕掛けようとしたところで、フィーの足が止まる。
 攻撃を仕掛ける寸前、ヴィクターの様子がおかしいことに気付いたからだ。
 立ったまま微動だにしない。
 まるでフィーが近くにいることにも気付いていないかのように――

「まさか……」

 ゆっくりと注意しながらヴィクターとの距離を詰めるフィー。
 そして、

「……そっか、そういうことだったんだ」

 周囲に転がる帝国兵の死体を見て、ここで何が起きたのかをフィーは悟る。
 このままにはしておけないと、二人を担いで一旦街へと引き返す判断をフィーが決めた、その時だった。

「……魔煌機兵?」

 赤い魔煌機兵――メルギアが土砂の中から現れたのは――
 よく見ると全身傷だらけで、右腕も破損している様子が確認できる。
 傷の様子からヴィクターにやられたのだとフィーは察するが、

『よくもよくもよくも! コロスコロスコロス! 帝国も、父さんを殺した〈暁の旅団〉も――みんな死んでしまえ!』

 常軌を逸したパイロットの叫び声が戦場に響き渡る。
 明らかに正気を失っている様子にフィーは一瞬戸惑いを見せるが――

(仕方ない、か)

 自分だけなら逃げることは簡単だが、ラウラとヴィクターをこのままにしておけないと考えたフィーは目の前の敵を排除すること決める。
 魔煌機兵は確かに強力な兵器だが、機甲兵なしでも勝てない相手ではない。
 ましてや正常な判断能力を失っている相手に負けるほど、フィーは弱くなかった。
 そう、フィーが一人なら魔煌機兵を一体相手するくらいは余裕だっただろう。
 しかし、

「ライフル!? まずい――」

 巨大なライフルを構えたメルギアの銃口が、ヴィクターとラウラへ向けられる。
 最初からメルギアのパイロットの狙いはフィーではなく、自分をこんな目に遭わせたヴィクターにあったのだろう。

(間に合わない!)

 全力で地面を蹴り、ライフルが放たれるよりも先にメルギアを仕留めようとするも、僅かに間に合わないことを悟るフィー。
 ズドン、と腹の底に響くような音と共に放たれる銃弾。
 巨大なライフルから放たれた大砲のような一撃がヴィクターとラウラに迫る。
 最悪のイメージがフィーの頭を過った、その時だった。

「……え?」

 突如現れた炎がヴィクターとラウラを庇うように壁となって、迫る銃弾を消滅させたのは――
 ゆらゆらと揺らめく黄金の炎。
 その懐かしくも、あたたかな炎を目の当たりにして、

「リィン!」

 フィーは最愛の家族の名を叫ぶのであった。



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