「あの船は……」

 カレイジャスが不時着した場所から三百アージュほど離れた地点に軍艦と思しき船を見つけ、岩陰に身を隠すリーシャの姿があった。
 カレイジャスやアウロラと同じく、赤い装甲が特徴的な船。
 本来、このような戦場で目立つ派手な色を軍艦に用いることは余り無い。
 だとすれば――

「ベイオウルフだね」

 リーシャの脳裏に〈赤い星座〉の強襲揚陸艇が過った、その時だった。
 後ろを振り返ると、予想通りの人物の姿を確認してリーシャは溜め息を吐く。
 シャーリィは〈緋の騎神〉の起動者であり、リィンとヴァリマールを除けば唯一〈黒〉に対抗できる戦力だ。
 作戦の要であるため、周囲の偵察が終わるまでは船で待機しているはずだった。
 それがこんなところにいれば、リーシャが呆れるのも無理はない。
 その上――

「シャーリィ!? 何を――」

 岩陰から身を乗り出すと、シャーリィはそのまま斜面を駆け下りていく。
 慌てて止めようとするも間に合うはずがなく、リーシャは呆気に取られるのであった。


  ◆


「もう! 何を考えているんですか!?」

 確かにシャーリィは〈赤い星座〉の元メンバーにして、副団長のシグムント・オルランドの娘だ。
 赤い星座は古巣とも言えるが、それでも彼等が敵か味方かも分からない状況で無防備に姿を晒すなど危険極まりない。
 隠れて様子を窺っていたのに、それを台無しにされたらリーシャが怒るのも当然であった。
 とはいえ、

「隠れて様子を窺っていても、何も分からないでしょ?」

 隠れて様子を窺っているだけでは、敵か味方かも分からない。
 ならいっそのこと、直接確かめた方が早いとシャーリィは自分の考えを主張する。
 確かにシャーリィのやり方も間違っているとは言えず、リーシャは複雑な表情を見せる。
 赤い星座の目的など現状なにも分かっていない上、情報収集にかけられる時間も余り多くはないからだ。

「はあ……もう、いいです。ですが……人の気配がありませんね」

 船から人の気配が一切しないことにリーシャは疑問を持つ。
 詳しくは調べてみないと分からないが、飛べないほど大きな損傷を受けているようには見えない。
 何が目的かは分からないが、脱出するにも船は必要なはずだ。
 なのに団員を一人も残さず、ここに船を置いて行く理由が分からなかった。

「全戦力を投入する必要があると判断したんだろうね」

 そんなリーシャの疑問に、シャーリィは船の状態を確認しながら答える。
 全戦力を投入する必要がある相手と言われて、真っ先に思い浮かぶのはイシュメルガだ。
 すべての元凶にして、七体の騎神の中でも最強の力を持つと言われる黒の騎神。
 騎神抜きで相手をするつもりでいるなら、確かに戦力の出し惜しみなど出来ないだろう。
 しかし、

「ああ、ランディ兄たちの目的は〝黒〟じゃないと思うよ」
「……黒じゃない?」
「まだ残ってるでしょ? ある意味で〝黒〟よりも厄介で、猟兵王とも互角に渡り合った最強の猟兵が――」

 シャーリィの言葉で、一人の男の名がリーシャの頭に浮かぶ。
 嘗て〈赤い星座〉を率い、闘神の二つ名で呼ばれた男。
 リィンの養父である先代の猟兵王と引き分け、相打ちで命を落とした最強の猟兵。

「闘神バルデル・オルランド……」

 バルデルの目的は分からないがニーズヘッグと手を組み、北の猟兵の仕業に見せかけて各地で騒ぎを起こしていたことからも、地精と繋がりがあることは明白だ。
 だとすれば、シャーリィの言うように最大の障害となりかねない。
 それに、このタイミングで〈赤い星座〉が姿を見せた理由を考えると最悪の場合は――

「心配しなくても、バルデル伯父さんがランディ兄と手を組むことはないよ。それはランディ兄も同じ」
「……どういうことですか?」

 バルデルは〈赤い星座〉を率いた男だ。
 嘗ての仲間に協力を持ち掛けるため、呼び寄せたと考えるのは自然だ。
 しかし、そんなリーシャの考えをシャーリィは否定する。
 最初からシャーリィには、バルデルの目的が読めていたからだ。
 シャーリィが察しているのだから、息子のランディがバルデルの考えを読めないはずがない。

「地精に協力的なフリをして〈北の猟兵〉の仕業に見せかけて騒ぎを起こしたのも、闘神の名に泥を塗るような行為に加担したのも、自分の存在を特定の相手にアピールするため――」
「……その相手が、ランディさんだと?」

 リーシャの問いに、シャーリィは首を縦に振ることで答える。
 これまでバルデルが姿を見せなかったのは、ランディの――息子の成長を待っていたからだとシャーリィは考えていた。
 闘神の名を継ぐに相応しい実力を身に付け、団を率いていける男に成長する時を――
 これはバルデルが息子に課した最後の試験なのだ。
 それが分かっているからこそランディは出し惜しみせず、持てる力のすべてを投入することを決断したのだろう。

「本当なら、私がバルデル伯父さんとの決着をつけたかったんだけどね」

 騎神での戦いは決着は付かなかったが、バルデルの方が優勢だった。
 単純な戦闘力ではシャーリィの方が上だが、戦闘経験や騎神の扱いではバルデルの方が上回っていたからだ。
 戦闘におけるセンスは、リィン以上と言っても良いだろう。まさに闘神の名に相応しい怪物だった。
 とはいえ、戦闘狂と評されるシャーリィだが、闘神の名をかけた親子の戦いに水を差すほど空気が読めない訳ではなかった。

「それが本当なら、私たちにとっては朗報ですね……」

 あくまでシャーリィの予想とはいえ、一先ず安堵の息を吐くリーシャ。
 バルデルの相手は〈赤い星座〉がしてくれるのであれば、地精との戦いに集中することが出来る。
 赤い星座も相手にするのなら、作戦の練り直しが必要なところだったからだ。
 しかし、

「バルデル伯父さんはランディ兄に譲るけど、パパとも本気で殺りあってみたかったんだよね」
「……ちょっと待ってください」

 折角、敵に回さずに済むと安心したところで――
 物騒なことを口にするシャーリィに、リーシャのツッコミが入るのだった。


  ◆


 赤い星座の船〈ベイオウルフ〉が戦闘空域に現れた時点で覚悟はしていたとはいえ、

「予想はしてたけど、厄介なことになったわね」

 偵察にでていたリーシャからの報告を受け、表情を曇らせるアリサの姿があった。
 赤い星座と言えば、西ゼムリア大陸最強の一角と噂される高位の猟兵団だ。
 現在は活動を縮小している〈西風の旅団〉と違い積極的に依頼を受け、いまもその名を裏社会に響かせている。
 団としての規模や実績で言えば、まだ団設立から一年と経っていない〈暁の旅団〉の遥か上を行く相手だ。
 それもそのはず。赤い星座の起源は今から数百年前、暗黒時代に名を馳せたベルセルクに由来する。
 謂わば、猟兵の前身を築いたのが彼等とも言える古い歴史を持つ団だった。
 それだけに戦闘力だけでなく実戦経験豊富な猟兵が数多く在籍しており、その層の厚さは西ゼムリア大陸随一と言っても良いだろう。
 それに数百年の間に彼等が築いたコミニティは社会に太く根付いており、リィンが譲り受けたノイエ・ブラン以外にも多くの資金源と情報網を抱えていた。
 ようするに、敵に回すと〈黒の工房〉以上に厄介な強敵と言うことだ。

「〈赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)〉は来てると思う?」
「たぶんね。闘神に一番拘ってたのはパパだから」

 アリサの問いに、間違いなく来ているとシャーリィは断言する。
 娘のシャーリィが言うのであれば、恐らくは間違いないだろうと納得するアリサ。
 しかしそうなると、出来るだけ〈赤い星座〉との衝突は避けたいと考えるのは自然だった。
 協力を結べないまでも、互いのやることに干渉しない程度の約束は取り付けたいとアリサは考える。

「本当ならシャーリィに仲介を頼むのが一番早いんだろうけど……」

 シャーリィを一瞥して、一番頼ってはダメな相手だとアリサは悟る。
 シャーリィに交渉など出来るはずもなく、その場で一戦を交えても不思議では無いと思ったからだ。
 話を聞く限りでは、シグムントも似たような性格だとアリサの勘が告げている。
 実際ノイエ・ブランを譲り受けるに至った一件では、リィンと本気の殺し合いをしたという情報もあった。
 リィンと戦って生きていると言うことは、戦闘力だけなら闘神(バルデル)と互角以上の実力者だという噂は真実なのだろう。
 益々、敵に回せない相手だとアリサは再認識する。

「いざとなったら、交渉は私がするしかないか……」

 となれば、自分が一番の適任だとアリサは自身を納得させる。
 実際に実務的な部分で言えば、アリサは〈暁の旅団〉においてリィンに次ぐ発言力を持っていた。
 それもそのはず。団に所属する技術者を始め、経理など書類仕事を主に担当する団員の多くはアリサが教育を施したのだ。
 戦闘に長けているだけでは、組織は運営できない。多くの団員を養い組織を維持していくには、アリサのような人間が必要だった。
 だからこそ、アリサの発言力は団の中でも高く、交渉事を任せるには打って付けの人物と言える。
 アリサにも、その自覚はあるのだろう。
 逆に言えば、シャーリィのように戦闘に長けた実働部隊に所属する団員の多くは、こうした駆け引きでは頼りにならないと言うことでもあった。
 故に――

「ラクシャ、シャーリィの〝お守り〟お願いできる?」

 作戦の実行を前に、アリサはラクシャをこの場に呼んだのだ。
 幻想機動要塞の突入部隊にラクシャがいてくれて本当によかったと、心の底からアリサは感謝していた。
 いざという時は自分や周囲の人間を守れる程度に腕が立ち、頭の回転が速く一般教養を備えた常識人というのは貴重な人材だからだ。
 リーシャも慎重で頭の回転は良い方だが、育った環境のためか常識が欠如しているところがあるため、余りあてにはならない。
 その点で言えば、シャロンとラクシャのどちらかしかいないのだが、シャロンはシャーリィと余り面識がない。
 それにシャロンがシャーリィのような人間を苦手としていることを、アリサは長年の付き合いで知っていた。

「はあ……仕方がありませんね」

 アリサが何を自分に期待しているのかを察して、ラクシャは渋々と言った様子でアリサのお願いに頷く。
 この作戦への参加が決まった時点で、自分の役割を悟っていたからだ。

「とはいえ、私も抑えられるとは限りませんよ?」

 島で共同生活を送る中で、いつの間にかシャーリィの世話役みたいなポジションに収まってはいたが、付き合いの長さで言えばラクシャもシャーリィとの付き合いは数ヶ月と言ったところだ。
 シャーリィが本気で暴走すれば、ラクシャとて抑えきれる自信がなかった。
 しかしアリサとて、そのあたりは理解している。
 ラクシャ一人に責任を押しつけるつもりはないし、最悪の場合は仕方がないとも諦めていた。
 どちらかと言えばラクシャを呼んだのは、その最悪の場合を想定してのことだ。

「タイミングは任せるわ。もしもの時は、姫様とエリゼさんを連れて逃げてくれる?」
「そういうことですか……分かりました。この命に代えても、お二人は無事に船まで送り届けます」
「あなたに命を落とされても困るのだけどね」

 まだラクシャは正式に団へ入ったと言う訳ではない。謂わば、善意の協力者だ。
 命を懸けるのであれば彼女の前に、当事者である自分たちの方だとアリサは考えていた。
 自分は安全なところにいて、リィンや団の皆にだけ手を汚させるような真似をアリサはするつもりがなかった。
 覚悟も既に済ませている。

(リィンに頼ってばかりもいられない)

 目的の前に立ち塞がるのであれば、相手が誰であろうと排除する。
 例えそれが、実の父親だとしても――

(父さん――いえ、黒のアルベリヒとの決着は、この手で付けさせてもらうわ)

 それが、地精との最後の戦いに臨むアリサの覚悟だった。



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