「アハハ、やるじゃない! ザックス、前よりも腕を上げたんじゃない!?」
「お嬢こそ! 以前にも増して化け物染みてきたんじゃありませんか!?」
シャーリィの攻撃を凌ぎながらも、笑みを浮かべる男。
ランディの右腕と称される猟兵。赤い星座の団員の中でも上位に入る実力者だ。
一見すると互角に戦えているように見えるが、実際のところザックスには余裕がある訳ではなかった。
はっきり言って、ザックスの戦闘力はシャーリィに遠く及ばない。それどころか、いまでは全盛期以上の力を付けたランディにすら後れを取るほどだ。
しかし戦闘力で劣っているからと言って、経験で負けている訳ではない。
むしろ猟兵としての戦闘経験では、ザックスに勝る猟兵は多くない。
ザックスよりも戦闘経験豊富なのは〈赤い星座〉の中なら古株のガレスや、副団長のシグムントくらいだろう。
だからこそ、この場を任されたのだ。
とはいえ――
(さすがに、これはないだろ……)
そんなザックスにしても長くは保ちそうにないほどに、シャーリィの戦闘力は突出していた。
守りに徹しれば、そこそこシグムントとも善戦できるほどの実力があるのにだ。
考えたくはないが、いまのシャーリィの戦闘力はシグムントを超えているとザックスは冷静に分析する。
勿論、力の差だけで勝敗が決まるほど実際の戦いは簡単ではないが――
(あれでも〝本気〟じゃなかったってことか……)
シャーリィは確かに強いが、彼女以上の実力者が〈暁の旅団〉には存在する。
ルトガー・クラウゼルの息子にして〝王〟の二つ名を継ぎし者――団長のリィン・クラウゼルだ。
以前リィンが拠点の一つに殴り込んで時、シグムントと互角の戦いを繰り広げていたのをザックスは目にしていた。
互いに全力でないのは見ていて分かったが、二人の間に大きな実力の開きがあるとは考えていなかったのだ。
しかし、明らかにシャーリィの戦闘力はシグムントを凌駕している。
シャーリィの性格から言って、自分よりも弱い相手に迫ったり素直に従ったりはしないだろう。
だとすればリィンの真の力は、シグムントを大きく超えていると考えるのが自然だ。
「まったく化け物ばかりで嫌になるぜ……」
こんな仕事をしている以上は大抵の理不尽には慣れているつもりだが、ザックスも人間だ。
兵器の質や兵士の数と言った戦争を有利に進める上で不可欠な要素――
そんな戦場の常識を覆すジョーカーのような存在。
一人で戦況を左右する化け物が世の中には複数いると思うと、正直嫌になる。
しかし、確かに存在するのだ。
結社最強の執行者や星杯騎士団の団長のように、人の枠を超えた本物の怪物。
リィン・クラウゼルも、その一人なのだとザックスは理解する。
「お嬢、一つだけ質問してもいいですか?」
「うん? 別にいいけど」
「リィン・クラウゼルは、いまのお嬢よりも強いと思って良いんですよね?」
戦闘の最中投げ掛けられたザックスの質問に、シャーリィは目を丸くする。
そう尋ねてくると言うことは、既にザックスのなかで答えは出ているのだろう。
それでも、まだ信じたくないという思いが、どこかにあるのが見て取れる。
無理もない。赤い星座の団員にとって〝最強の猟兵〟とは、シグムントをおいて他にいないからだ。
「強いよ。現役最強――ううん、史上最強の猟兵と言ってもいいくらいに」
史上最強など本来なら鼻で笑うところだが、シャーリィが口にすると重みが違う。
最強クラスの猟兵にまで上り詰めたシャーリィが言うのであれば、それは真実なのだろうとザックスは思う。
「……史上最強か。そりゃ……若もこの先、苦労しそうだ」
「いまのランディ兄じゃ瞬殺だと思うよ?」
「一応、闘神に挑める程度には実力をつけてるんですがね……」
それでも足りないと言いたげな笑みを、シャーリィはザックスに向ける。
実際その通りなのだろうと言うことは、ザックスも理解していた。
ランディには間違いなく素質がある。いつか、シグムントを超える猟兵になるだろう。
しかし、それは今ではない。
確かにランディは一年で『赤き死神』と呼ばれていた全盛期を超える実力を身に付けたが、それだけだ。
人の枠から外れた怪物たちを相手に出来るほど、まだ人間を辞めてはいない。
闘神の名を継ぐことが出来て、ようやくスタートラインと言ったところだろう。
そう言う意味では、まだランディはリィンは勿論のことシャーリィの敵ですらないと言うことだ。
しかし逆に言えば、ランディにはまだまだ強くなれる可能性が残されていると言うことが分かる。
同じオルランドの血が流れている以上、シャーリィに迫る猟兵になれるはずだとザックスはランディの可能性を信じていた。
「で? 時間稼ぎはもういいの?」
「……やっぱり気付いてましたか」
「まあね。勝てないと分かってる相手に挑んで無駄死にするほど、バカじゃないって分かってるしね」
勝てないと分かったらザックスの性格から言って、すぐに撤退を指示するはずだとシャーリィは考えていた。
そもそもの話、ニーズヘッグに対してもザックスは消極的な戦い方をしていた。
勝つための戦いではなく、守りに徹した時間を稼ぐための戦い。
最小限の被害で最大限の結果をだすために、無駄な戦いは避ける。
血の気の多い〈赤い星座〉の団員の中で、ガレスに次いで冷静な判断が出来るのがザックスだった。
だからこそバルデルはランディの片腕にザックスを選び、シグムントもザックスを重用するのだとシャーリィは知っていた。
前々から団を率いる器ではないとシグムント自身が言っているように、彼は猟兵である前に自分は戦士だと自覚しているからだ。
同じことはシャーリィにも言える。だからこそ、分かるのだ。
シグムントがガレスに〝この場〟を任せた理由が――
「それじゃあ、先に行くけどいいよね? まだやるって言うのなら〝本気〟で相手することになるけど」
「冗談はよしてください。こっちは、とっくに限界なんですから……」
「なら、あとのことはアリサと交渉してくれる?」
「アリサ? ああ、リィン・クラウゼルの女の一人ですか」
「やっぱり、そのことは知ってるんだ」
「噂になってますからね。お嬢、本当にそんな男でいいですかい?」
「うん」
寸分の迷いもなく頷くシャーリィに、お熱いことでと呆れた様子でザックスは説得を諦める。
ダメ元で聞いてみただけで、最初からシャーリィがリィンのことを諦めるとは思っていなかったからだ。
それに戦うことしか興味のなかったシャーリィが、人としての幸せを掴もうとしているのだ。
正直に言えば、応援したいという気持ちが少なからずある。
もっとも相手が複数の女と関係を持ったり、あの猟兵王の息子という時点で不安があるのだが――
「これ以上、お嬢とやりあうのは身体が保ちそうにないんで、一先ず休戦ってことで――ッ!」
その時だ。
女性の悲鳴のような声が、ザックスの耳に届いたのは――
「いまの悲鳴は……」
「アリサの声だね」
噂をすればなんとやら。
悲鳴の正体は、シャーリィが交渉役に指名したアリサの声だった。
タイミングの悪さに苦笑を漏らしながらも、何かが起きたのだとザックスは冷静に分析する。
悲鳴の聞こえた方角に駆けだしたシャーリィの後をザックスも追い掛けながら、後退する仲間の姿を見つけて声を掛ける。
「おい、何が起きた!?」
「そ、それが……」
大抵のことには動揺しない〈赤い星座〉の団員たちが冷静さを失い、戸惑っている様子が見て取れた。
何かに恐怖しているかのようにも見える。
まだ混乱しているのか?
話の要領を得ず上手く説明できない団員の様子に、尋常ではない何かが起きたのだとザックスは察する。
「なんだ。あれは……」
その時だった。
ザックスの視界に〝それ〟が飛び込んできたのは――
頭に角、背中に羽を生やした悪魔のような姿をした異形。
他にも腕が四本生えた怪物や、頭が二つある獣。
多種多様な魔物と思しき怪物が戦列をなして、ザックスたちのいる方へ向かってきていた。
先程まで、あんな怪物はいなかったはずだとザックスは考えるが……
「おい、まさか」
団員たちの反応を見て、ザックスは確信する。
目の前の異形こそ、先程まで戦っていたニーズヘッグの猟兵たちなのだと――
よく観察すれば、異形の身に付けている服や装備には、人の姿であった頃の名残が見られる。
ザックスの脳裏に、去年の夏の出来事が過る。
「グノーシス!」
世界で同時多発的に起きた大暴動。その引き金となった薬――グノーシス。
少量であれば軽い幻覚を見る程度の副作用で済むが、服用を誤れば理性を失い、怪物と化す。
教団が誘拐した子供たちを実験に使うことで、開発に成功した悪魔の薬。
数多の戦場を渡り歩き、地獄のような光景を幾度となく目にしてきたザックスにしても胸くその悪くなる話だった。
「やっぱり使ってやがったか……」
もしかしたらという予感は、最初からザックスにもあったのだろう。
グノーシスは危険な薬だが、リスクに見合うだけの効果も期待できる。戦意高揚のために薬物が用いられるのは戦争でもよくあることだが、なかでもグノーシスは服用者の潜在能力を限界まで引き出すことで身体能力を飛躍的に向上させる効果が確認されており、ブーストドラッグとして非常に高い効果を持っていた。
しかし用量を誤れば彼等のように理性を失い、人の姿を失う。
こうなったら普通のやり方では止められない。それは過去の事件からも明らかだった。
「これより殲滅戦に移行する」
そう判断したザックスの決断は早かった。
先程まで統率の乱れていた団員たちも、ザックスの言葉ですぐに冷静さを取り戻す。
この辺りは、さすがに一流の猟兵と言ったところだろう。
異形と化したニーズヘッグの猟兵たちに狙いを定め、赤い星座の猟兵たちは一斉にライフルを構える。
そして――
「化けてでるなよ」
ザックスの合図と共に、無数の銃弾が放たれるのだった。
◆
「間一髪だったね」
「――じゃないわよ。もう少しで、私たちにも当たるところだったわよ!?」
「ザックスとは休戦したけど、味方と言う訳じゃないし」
仕方ないんじゃない?
と、当然のように答えるシャーリィにアリサは頭を抱える。
とはいえ、理不尽なようだが言ってることは正しいというのも理解していた。
赤い星座とは今のところ敵対する理由はないとはいえ、味方と言う訳でもないからだ。
「ん? 休戦?」
「これ以上は本気の殺し合いになりそうだったからね。ザックスの方も時間稼ぎが目的だったみたいだし」
「……それで休戦を提案したら、相手も受け入れたと?」
「うん。そういうことだから、あとの交渉はアリサに任せるね」
「あ、ちょっと待――」
止める間もなく走り去るシャーリィの背を呆然と眺めながら、アリサは深々と溜め息を溢す。
分かっていたこととはいえ、シャーリィの手綱を握るのは自分には無理だと悟ったからだ。
となれば――
「ラクシャ、お願いできる?」
「……仕方がありませんね」
適任者に任せるしかないと考え、アリサはラクシャにシャーリィのことを委ねる。
正直ラクシャでも抑えられるとは思っていないが、自分よりは適任だと考えてのことだ。
それにザックスたちの目的は〝時間稼ぎ〟だと、シャーリィは言っていたのだ。
だとすれば、彼等の目的にも察しが付く。
「姫様たちも、どうかお気を付けて」
「……感謝します」
早く先に進みたいのはアリサも同じはずだ。
なのに自分に譲ってくれた理由を察して、アルフィンは感謝の言葉を口にする。
これが時間稼ぎだとするなら、既に手遅れとなっている可能性は高い。
それでも――
(セドリック……どうか無事でいて)
シャーリィの後を追って走り出すアルフィンとラクシャを、エリゼとノエルの部隊も追い掛ける。
銃弾の飛び交う中、最悪の予感を覚えながら最奥の間へと向かうのだった。
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