ノーザンブリアの首都ハリアスクの街には、続々と怪我人が運び込まれていた。
怪我人の中には、北の猟兵や救援にかけつけたクロスベルの警備隊。それに〈暁の旅団〉の団員の姿も見られるが、主に治療を受けている者の大半は帝国の記章を身に付けた帝国兵たちであった。
先程まで街を攻め落とそうと侵攻してきていた敵国の兵士たちを、懸命に治療するノーザンブリアの人々。
その指揮を執っているのがバルムント大公の遺産を継ぎ、大公女となったヴァレリー・フォン・バルムントであった。
勿論、怪我人とはいえ、侵略者を治療することに不満を持つ者や反対する者がいなかった訳ではない。
しかし空から降り注いだ黒い雷によって、戦争の継続が困難なほどに帝国軍は深刻なダメージを受けた。
救助活動は今も続いているが、ここに運び込まれている怪我人はその一部に過ぎない。
何十万という命が、一瞬にして奪われてしまったからだ。
幸いノーザンブリアの人々は、ノルンの張った結界に守れて街も人も無事だった。
味方の被害がゼロと言う訳ではないが、それは戦争をする以上は覚悟していたことだ。
むしろ、この程度の被害で済んだのは、暁の旅団やクロスベル。そして、エタニアの支援のお陰だと――
ヴァレリーやバレスタイン大佐を始め理解している者は皆、感謝している。
そんなノーザンブリア側と比べ、帝国軍の被害は〝この程度〟で済ませることが出来ないほどに深刻なものとなっていた。
導入された兵士の数は五十万と推定されているが、その大半。少なくとも三十万以上の兵士が犠牲となったからだ。
まだ不確定な情報ではあるが、僧兵庁の部隊も壊滅したという情報もある。
恐らくジュライ方面からノーザンブリアへ向けて進軍していた部隊の大半が壊滅したと考えて良いだろう。
それに――
「やはり壊滅した部隊の大半は、周辺の街や村から集められた兵士たちであった模様です」
バレスタイン大佐の報告を聞き、ヴァレリーの表情が曇る。
そう、死亡した三十万の兵士の内、半数以上はジュライを始めとする占領統治下にある街から徴兵された人々だったのだ。
恐らくミュゼはそのことに気付き、一早く生存者の救助に動いたのだとヴァレリーは考える。
勿論、ただの善意ではない。戦後の交渉を有利に進めるために、一人でも多くの生存者を保護するつもりでいるのだろう。
それでも同じ為政者として、ヴァレリーはミュゼのことを尊敬していた。
計算して動いていることは確かだが、人の命を何とも思わないほど非情な人間でないことは分かっているからだ。
その上で自分が指揮するのではなく、ミュゼから託された理由をヴァレリー自身も理解していた。
「大佐。取り急ぎ、ジュライへ使いをだして頂けますか?」
「――!?」
まだ混乱が収まらぬ中、ヴァレリーが何を為そうとしているのか?
バレスタイン大佐はヴァレリーの考えを察し、目を瞠る。
それがノーザンブリアの未来を左右する重要な決断であることに気付いたからだ。
しかし、
(……今更か。既に我等に退路はなく進むべき道は決まっている)
バレスタイン大佐は口に仕掛けた言葉を呑み込む。
自分たちが主と仰ぐ少女が覚悟を決めたと言うのに、むしろ覚悟が未だに定まっていないのは自分たちの方だと気付かされたからだ。
ノーザンブリアを思うが故のことだが、もはや古い時代は終わりを告げようとしている。
ならば、自分たちも新しい時代に賭けるべきだと覚悟を決め――
「御心のままに、我等が主よ」
バレスタイン大佐は膝を床につきながら頭を下げ、古き公国時代の敬礼を取りながら、若き主君の望みに応えるのであった。
◆
「……酷い光景ね」
と、スカーレットは悲壮に満ちた表情で感想を口にする。
黒い雷の被害を最も受けた場所には、猟兵ですら目を覆いたくなるような光景が広がっていたからだ。
「この様子だと、もうこの辺りには生存者はいなさそうだな」
ヴァルカンの言うように、熱を帯びた大地の上には焼け焦げた無数の死体が転がっていた。
ざっと視界に入るだけでも数百。いや、軽く千は超えていそうな死体の山だ。
状況から言って、生存者は絶望的と言って良いだろう。
しかし、そんなことは最初から予想できていたことだ。
この場所に二人が足を運んだのには、生存者の確認以外にも理由があった。
「あったわ。やっぱり、ここにいたのは僧兵庁の部隊で間違いないわね」
そう言ってスカーレットがヴァルカンに見せたのは、星杯のシンボルが掘られたペンダントだった。
一般に流通しているものではなく、裏に所属を記す刻印が施された特別製のエンブレム。
身分を証明するため、七耀教会に所属する関係者が肌身離さず身に付けているものだ。
焼け焦げた死体の中から見つけたのだろう。
「全滅か。とはいえ――」
ヴァルカンは冷ややかな目を焼け焦げた死体に向ける。
教会の僧兵たちがしたことを考えると、同情する気にはなれなかったからだ。
こんな最期を迎えたのは、彼等の自業自得とも言える。
むしろ、何も知らずに戦場へ駆り出され、命を落とした兵士たちの方が犠牲者と言えるだろう。
「教会はどう動くと思う?」
「幾つか考えられるけど、僧兵庁がこの件に関わっていたこと自体、本当なら表沙汰にはしたくないはずよ」
となれば、証拠の隠滅と事実の隠蔽に動く可能性が高いとスカーレットは見ていた。
僧兵庁が聖戦を宣言し、帝国に軍を動かす大義名分を与えたという事実は残るが、すべて教会の名を騙った黒幕の仕業とすることも不可能ではない。
黒の工房という組織が先の帝国の内戦やクロスベルの事件でも、裏から意図を引いていたという情報はギルドにも伝わっているからだ。
教会ならそれらの情報を上手く利用し、自分たちに都合の良い方向に世論を誘導するくらい難しくないだろう。
だがそのためには、この場に転がっている〝死体〟の存在が邪魔になる。
「既に動き出しているはずよ。表ではなく〝裏〟の本当の僧兵部隊が――」
この場に転がっている僧兵たちは、教会の権力を示すための〝表向き〟の戦力に過ぎない。
星杯騎士団の守護騎士のように、僧兵にも裏を司る本物の精鋭部隊が存在することをスカーレットは知っていた。
その名は――
「隠密僧兵」
星杯騎士団と双璧を為す教会の裏の顔の一つ。
潜入任務や情報収集だけでなく〝暗殺〟や〝破壊工作〟と言った表沙汰に出来ない〝裏の仕事〟を担う典礼省直属の部隊。
一般的にその存在は知られておらず、教会内でも知っている関係者は少ない。
だが、スカーレットは短い間とはいえ、一時は従騎士見習いとして騎士団に所属していたことがある。
ヴァルカンたちと比べれば、教会内の事情にも詳しかった。
「だから先に証拠品を回収しとこうってことか。だが、それって大丈夫なのか?」
スカーレットの話を聞いている限りでは、どんな手段も問わない連中だと言うのは察せられる。
となれば、暁の旅団が戦場から証拠の品を持ち去った知れば、団の関係者を狙ってくるかもしれない。
そうなれば、教会と本格的に事を構えることになるだろう。
そんなヴァルカンの懸念は、スカーレットも当然理解していた。
しかし、
「とっくに目を付けられてるのだから今更よ」
今回は僧兵の一部が先走っただけだが、暁の旅団の存在をよく思わない勢力が教会内にいることに変わりは無い。
なかでもリィンに対して厳しい対応を求める声が多いことは、騎士団の副長であるトマスが動いていることからも察しが付く。
自身の従騎士であるロジーヌをリィンの監視役に選んだのも、そうした不満を抑えるためだろう。
この先、教会との対立は避けられない。なら遅かれ早かれ、イスカリオとも衝突することは確実だ。
だからこそ、教会に対する手札は少しでも多く確保しておいた方がいい、とスカーレットは判断したのだろう。
「まあ、そりゃそうだが……」
「……何よ? 言いたいことがあるなら、はっきりと言いなさいよ」
「いや、反対する訳じゃねえんだが、やり口が〝ギデオン〟に似てきたなと思って」
懐かしい名を耳にして、スカーレットはヴァルカンが何を言いたいのかを察して溜め息を漏らす。
ギデオンというのは、二人の嘗ての仲間の名だ。
フルネームは、ミヒャエル・ギデオン。帝国解放戦線の幹部の一人で、参謀を務めていた人物だった。
周囲には誤解されがちだが、仲間想いで正義感に溢れた人物であることを二人は知っていた。
だからこそ、当時帝国政府が推し進めていた強硬路線に反対し、勤めていた大学を追放されて反政府組織に身を置くこととなったのだろう。
そんな彼も敵に対しては容赦がなく、ミラで雇った猟兵崩れを目的のために捨て駒にすると言った非情な一面も持ち合わせていた。
「……いまならアイツの気持ちが少し分かる気がするわ」
ギデオンが命を賭してまで伝えようとしたことが、いまならスカーレットは分かる気がした。
実際、いまのスカーレットなら目的のために〝赤の他人〟が何人死のうが、それで仲間の犠牲を減らせるなら躊躇なく行動にでるだろう。
勿論、無関係な一般人を巻き込むつもりはないが、もしもの時は必要な犠牲と割り切る覚悟はある。
「ああ、悪ぃ。そんなつもりじゃなかったんだが……」
「別に気にしてないわよ。それより、手伝って頂戴」
バツが悪そうに頭を掻きながら謝罪を口にするヴァルカンに、気にしていないと伝えるスカーレット。
ギデオンに似てきたと言うのであれば、それだけ大切なものが自分にも出来たということだと考えたからだ。
結局あの頃の自分はヴァルカンやギデオンからすれば、覚悟も中途半端な小娘にしか見えなかったのだろうと今なら思う。
「ヴァルカン。いままで、ありがとね」
「ん……いま、なんて……」
「なんでもないわよ。ほら、さっさと回収して帰るわよ!」
赤く染まった頬を隠すようにヴァルカンに背を向けながら、スカーレットは僧兵の遺体から星杯の刻印が彫られた遺品を回収していく。
何がなんだか分からないと言った表情で、同じようにヴァルカンが作業を進めていた、その時だった。
二人が周囲の異変に気付いたのは――
「ヴァルカン!」
「ああ、やべえぞ。これは……」
異変に気付くと作業の手を止めて、背中合わせに二人は武器を構える。
警戒する二人の目に飛び込んできたのは、全身から瘴気を漂わせながら起き上がる僧兵たちの死体だった。
絶命していたはずの死体が起き上がるという異常な光景を前に、スカーレットの頭に浮かんだのは――
「不死者……いえ、まさか〝屍鬼〟!?」
教会の文献にも記されている〝グール〟と呼ばれる存在だった。
勿論、実際に遭遇したことがある訳ではなく、あくまで知識として識っているというだけだ。
しかし死体が動くなんて現象は他に説明が付かないことから、スカーレットはヴァルカンに撤退を促す。
「逃げるわよ。全速力で、街まで撤退するわ。急いで!」
「おい、一体どういう――げっ!?」
スカーレットに説明を求めようとしたヴァルカンの目に想像もしなかった光景が飛び込んで来る。
一体や二体ではない。何百、何千という骸が起き上がり、声にならない唸り声を発し始めたからだ。
苦手なものが見れば絶叫しそうな光景に、ヴァルカンの頬も引き攣る。
「分かったでしょ!? 殺しても死なない化け物を、何千も相手にしてられないわ。いえ……」
その程度の数で済まないかもしれないとスカーレットは考える。
この戦場には凡そ三十万の兵士の遺体が横たわっているのだ。
そのすべてがグールと化し、動き出せば――
「もう、これはノーザンブリアだけの問題では済まないわ。最悪、幾つもの国が滅びる」
無数のグールに蹂躙される街の光景が頭に浮かび、大陸の危機が迫っていることをスカーレットは告げるのだった。
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