フィーとマクバーンの二人は今、ノルンやアルゼイド親子とは別の〈塩の杭〉にいた。
 サザーラント州の南東部。紡績町パルム近郊に現れた〈塩の杭〉の内部に――

「よかったのかよ? 〝お友達〟と一緒じゃなくて」

 塩の杭の防衛機能が生み出したと思われる魔獣を処理しながら、マクバーンはフィーに尋ねる。
 フィーがラウラたちと行かず、自分についてきたことに疑問を持ったからだ。
 塩の杭は全部で四つあり、残り二つの杭にはツァイトとアルグレスが向かっていた。
 ローゼリアのように人の姿を取れる訳ではないので、ツァイトとアルグレスは単独の方が本来の力を発揮できるだろう。
 ノルンは頭数に入れないとして、戦力を分けるのであれば誰かがマクバーンと行動を共にするのは間違った判断ではない。
 とはいえ、それはマクバーンを〝人間〟に数えるのであれば、だ。

 リィンに負けたとはいえ、マクバーンの実力は本物だ。
 真の力を解放すれば、彼の戦闘力は結社最強の使徒と噂されるアリアンロードすら凌駕するだろう。
 魔神にならなくとも人間の姿でも、人類最強クラスの力をその身に秘めているのだ。
 聖獣にだって劣っているつもりはない。
 だからこそ、このグループ分けに納得していない様子が見て取れた。
 しかし、

「リィンと違って、わたしはまだ信用した訳じゃないから」

 どこか探るような視線をフィーに向けられ、やっぱりそういうことかよとマクバーンは頭を掻く。
 薄々とではあるが、マクバーンもフィーの狙いに気付いていたのだろう。
 猟兵なんて仕事をしていれば、昨日敵だった相手と次の日に同じ釜の飯を食うなんてことは珍しくない。
 だからフィーもマクバーンが作戦に加わることに反対しなかったのだ。
 とはいえ、納得することと信用できるかは別の話だ。

「〝私怨〟が入ってねえか?」

 マクバーンは結社の人間で、一ヶ月もの間リィンが帰って来なかった〝元凶〟でもある。
 そのことをフィーが気にしているのではないかと考えたマクバーンは、思わず口にして尋ねる。
 とはいえ、黙っていればいいことを口にしてしまうあたりが彼らしい。
 ヴィータあたりが聞いていれば、デリカシーに欠けると呆れるところだろう。

「だから?」

 襲い掛かってくる魔獣を一撃で倒しながら、フィーは素っ気ない言葉を返す。
 その態度に、さすがにマクバーンも自分が地雷を踏んだことには気付いたのだろう。
 なんでもない……と言いつつ、それ以上の追及を諦めるのであった。


  ◆


「ここが最深部みたいだな」

 そうこうしている間に、二人は杭の最深部と思しき場所に辿り着く。
 普通の人間であれば、これほど短時間でここまで辿り着くのは難しいだろう。
 いや、並の使い手であれば徘徊する魔獣の強さから言って、最深部まで辿り着けるかも怪しいところだ。
 しかし今やフィーの実力は、バルデルやシグムントなど最強クラスの猟兵に迫るほどだ。
 そして、マクバーンの実力は今更語るべくもない。
 仮に高位の幻獣や悪魔が現れたとしても、この二人を止めることは不可能と言って良いだろう。

「ん……この気配って……」
「気付いたか。さすがだな」

 最初は不満そうな顔をしていたマクバーンも、ここにくるまでにフィーの実力を認めていた。
 面倒臭がりで余り他人に興味を示さない男ではあるが、自身が実力を認めた相手には一定の敬意を払う。
 彼がレオンハルトやアリアンロードにだけは特別一目を置いていたのは、唯一自分と〝まともな戦い〟が出来る強者であったからと言うのが理由として大きい。

(まだ少し足りねえが、クラウゼルの名を冠するだけのことはあるか)

 だからこそ、フィーの実力も贔屓目無しに認めていた。
 最初はリィンの〝妹〟としか見てなかったのは確かだ。
 しかし、ここまでの戦い振りから最低でも〝達人クラス〟の実力を持つことは見て取れた。
 アリアンロードには届かないまでも自分を除く執行者となら互角以上に戦えるだろうと、マクバーンはフィーの力を高く評価していた。

「そっちも思っていたより、ずっと強い。リィンには負けたみたいだけど、結社最強を名乗るだけあるね」
「最初の一言が余計だ。事実だがよ……」

 既にネタにされつつあるが、マクバーンもリィンに負けたことは素直に認めていた。
 真の力を解放して、世界を一つ犠牲にするほどの戦いを繰り広げて――
 しかも、アリアンロードに剣の修行を付き合ってもらっておきながら、それでも届かなかったのだ。
 マクバーンにとって、ここまで完膚なきまでに敗北するのは生まれてはじめてのことだった。
 だからこそ、負けた言い訳をするつもりはないのだろう。

「これって……」
「面白い〝趣向〟じゃねえか」

 二人の前に現れたのは〝灰色〟の騎神だった。
 とはいえ、本物であるはずがない。だとすれば、これも〈塩の杭〉の防衛機能が再現したものなのだろう。
 霊脈の記憶を読み取って、自らの守護者とするために再現したのだ。
 しかし、

「舐められたもんだな」
「ん……完全再現には程遠いみたい」

 リィンとヴァリマールの力をよく知るが故に、マクバーンとフィーには偽の騎神の底が見えていた。
 地精の開発した魔煌機兵よりは強力なのかもしれないが、所詮は〝その程度〟だ。
 普通なら生身で敵うような相手ではないのかもしれないが、既に人間の枠を超えている二人にとっては相手が何者であろうと関係のない話だった。
 魔剣を召喚したマクバーンが黒い炎を纏ったのに対して、フィーも全身に風を纏い、愛用の双銃剣を構える。
 そして、この先は――

「サクッと片付けちまうか」
「こんなのに時間をかけてられないしね」

 戦いとも呼べない〝蹂躙劇〟が幕を開けるのだった。


  ◆


 一方その頃――
 幻想機動要塞の一角で、錬成の儀式を進めるエマとヴィータの姿があった。
 巨イナル一の力に耐えられる器の錬成にして、ヴァリマールの〝進化〟を促す儀式だ。
 本来であれば〝七の相克〟を用いて徐々に〝器〟を広げるところを、過程を飛ばして〝結果〟だけを得ようと言うのだ。
 儀式に失敗すれば、イシュメルガの野望を止める手段は潰えるばかりか、ヴァリマールも〝消滅〟するかもしれない。
 絶対に失敗は許されない。それだけリスクのある儀式を二人は行おうとしていた。
 しかし、

「エマ、覚悟はいい?」
「はい。リィンさんなら、きっと――」

 リィンとヴァリマールなら、絶対にこの試練を乗り越えられるとエマは信じていた。
 だからこそ、ヴィータもこの無茶とも言える〝案〟に乗ったのだ。
 この計画を最初に提案したのは、実のところエマではなくローゼリアだった。
 ローゼリアがエマとヴィータに教えた術式は、先代の魔女が聖獣と一つになるために編み出した魔女の秘術であったからだ。
 魔女の長とはいえ、ただの人間が聖獣と一つになろうとしても普通であれば一方的に吸収されるだけだ。
 だからこそ、先代の〝ローゼリア〟は考えたのだ。記憶や人格を継承したまま融合するための秘術を――
 この魔術が成功すれば、ヴァリマールの〝存在の格〟はリィンと同等の〝位階〟にまで引き上げられる。

「ぐ……」

 ヴィータが術式を発動すると、膨大な魔力が全身から吸い上げられていくのをエマは感じ取る。
 存在の格を引き上げる魔術。錬金術において、アルス・マグナに相当する大魔術だ。
 リィンには詳しく話さなかったが、この魔術には膨大な量の魔力が必要となる。
 それこそ、この儀式のために百を超す魔女が犠牲になったとローゼリアが警鐘を鳴らすほどに――

 ローゼリアがこの術をエマに教えるかどうか迷ったのは、まさにそこに理由があった。
 いまのエマはヴィータを超えるほどの魔力を身に付けているが、それでも儀式に必要な魔力を一人で賄うには無理がある。
 ヴィータやローゼリアが手を貸したとしても、到底賄える量ではない魔力が必要となるのだ。
 となれば、足りない分の魔力は他から補うしかない。そう、術者の命――〝生命力〟だ。

「まったく仕方がないわね」
「姉さん! 何を――」
「こんな時くらいは、姉を頼りなさいってことよ」

 エマが意地を張って自分一人で儀式を終わらせようとしていることに、最初からヴィータは気付いていた。
 命を落とすかもしれない危険な儀式なのだ。エマの性格から言って、他の誰かを巻き込もうとはしないだろう。
 しかし、ヴィータも最初からエマに最後まで付き合うつもりでいた。
 妹弟子が命を張る覚悟を見せているというのに、自分だけが安全な場所で見ていることなど出来ないからだ。
 それに――

「あなたを見殺しにしたら、イソラさんに顔向けができたもの」

 ヴィータには一つ誓ったことがあった。
 巡回の旅の途中、命を落としたエマの母親――イソラはヴィータにとって忘れられない憧れの人だったからだ。
 魔女として、人として、ヴィータは彼女のことを深く尊敬していた。
 だからこそ、イソラの死後、その真相を追い求めて魔女の里を去ったのだ。
 勿論、理由はそれだけではないが、エマにイソラの後を追わせたくなかったのだろう。
 自分の手で真相を明らかにし、決着を付ける。それが、ヴィータが里を去るときに決意したことだった。
 故に、この戦いを終わらせることが出来たとしても、エマが命を落としてしまっては彼女にとって意味はないのだ。

「うっ……これは、なかなかきついわね……」
「姉さん!?」
「大丈夫よ。私のことは良いから儀式に集中なさい」

 額から汗を滲ませながらもヴィータは儀式のサポートを続ける。
 エマの魔力量はヴィータを超えている。
 同じように魔力の供給を続ければ、先に命を落とすのは自分の方だとヴィータには分かっていた。
 それでもエマが助かる確率が少しでも上がるのであれば、彼女は手を緩めるつもりはなかった。
 そんなヴィータの覚悟をエマも感じ取ったのだろう。
 いま儀式を中断すればヴィータは助かるかもしれないが、それではすべてが台無しになる。
 それだけは――

「ごめんなさい。姉さん……」
「あなたが謝るようなことじゃないわ。本来これは私が為すべきことなのだから……」

 エマがやり遂げる覚悟を決めたのだと察して、ヴィータは笑みを浮かべる。
 イシュメルガとの決着はリィンに譲ったが、本来は自分の手で終わらせるつもりだったのだ。
 例え命を落とすことになったとしても――
 彼女が盟主の誘いに乗り、結社に入ったのもそのためだった。
 だからこそ、ここで仮に命を落としたとしても後悔などあるはずがなかった。
 いや、

(こんな時にクロウの顔が浮かぶなんてね)

 少しだけ心残りがあるとすれば、クロウのことくらいだ。
 クロウのことを異性として愛しているかと言えば、ヴィータ自身にも分からない。
 どちらかと言えば、手の掛かる弟のように最初の頃は思っていたからだ。

 出会った頃と比べれば、男らしく成長したと思う。
 しかしヴィータにとってクロウは、まだまだ危なっかしい一面のある未熟な弟分だった。
 実際トワに泣きつかれた時も、帝都に残るという選択肢もあったのだ。
 なのに自分に言い訳をして、大切な人たちから距離を置く道を再びクロウは選んだ。
 自分が一緒にいればトワに危険が及ぶと考えたのかもしれないが、そういうところも含めてヴィータはクロウの行く末を案じていた。
 里を飛び出した頃の自分と、よく似ていると感じたからだ。
 いまも無茶をして、自分が死ねば他の誰かが悲しむ。
 そんなことが分からないはずはないのに、不器用な生き方しか出来ないのだ。

(まあ、私もこの点に関しては〝クロウ〟のことを言えないわね……)

 きっとエマは悲しんでくれるだろうということはヴィータも分かっていた。
 ローゼリアも、クロウも泣いてくれるかもしれない。
 そうと分かっていても、こんな生き方しか出来ないのは自分も一緒だと――

(そろそろ〝限界〟のようね……)

 魔力が尽き、命が吸い上げられていくのをヴィータは感じる。
 少しだけ心残りはあるが、それでも――

「リィンさん!」

 心の中で大切な人たちに別れを告げようとした、その時だった。
 どこか焦ったようなエマの声が儀式の場に響いたのは――

「あれは、まさか――」

 空間に亀裂が走り、ヴァリマールの背中へ目掛けて一本の剣が放たれる。
 黒く禍々しい剣がヴァリマールに迫るが、儀式の最中で身動きの取れない二人は見ていることしかできない。
 最悪の結果が二人の頭を過った、その時だった。
 空から一体の騎神が降り立ち、庇うようにヴァリマールの背後に現れたのは――

「銀の騎神……どうして、ここに……」

 エマの口から戸惑いの声が漏れる。
 銀の騎神――アルグレオンの胸には、ヴァリマールに突き刺さるはずだった剣が突き立てられていたからだ。

「どうやら、間に合ったようですね」

 弱々しくも凛とした声が、その場に響く。
 そして最後の力を振り絞るかのように、アルグレオンは空間の亀裂目掛けて手にした槍を突き出すのだが――

「……逃がしましたか」

 寸前のところで空間が閉じ、アルグレオンの胸に突き刺さった剣と共に姿を消すのだった。



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