――外の理。それは女神の定めた摂理の外に存在する法則や技術のことを指し示す言葉だ。
 そんなゼムリア大陸と異なる法則が支配する世界。
 世界と世界を繋ぐ境界の海。次元の狭間とも呼ばれる広大な空間に、その建造物は漂っていた。
 まるで夜空に浮かぶ月のように丸く白銀の光を纏ったそれは、嘗てグレイボーン連峰の地下深くに存在した施設。
 黒の工房――その本拠地にして、地精が集めた千年に及ぶ知識と技術が眠る秘密の研究所であった。

 ただ、グレイボーン連峰の地下深くに存在したと先述したが、それは正しくもあり正解ではない。
 帝国南西のイストミア大森林に秘された魔女の隠れ里のように、研究所への入り口がグレイボーン連峰と繋がっていたというのが正しいからだ。
 しかし霊脈との繋がりが断たれたこにより、グレイボーン連峰に存在した入り口は消失。研究所は次元の狭間に取り残され、境界の海を漂う存在となった訳だ。
 そのため、本来であれば二度と研究所内に立ち入ることは不可能なはずだった。
 しかし、リィンが研究所に残してきた〝形見のブレードライフル〟が〈精霊の道〉を繋げる基点となり、地精の築き上げてきた研究所は『狭間の工房(ファヴォニウス)』と名前を変え、ゼムリア大陸と他の世界を繋ぐターミナルにして、異世界の技術を研究する施設へと生まれ変わろうとしていた。
 ベル・クラウゼルと、フランツ・ラインフォルトの手によって――

「これで施設内のシステムはすべて掌握完了ですわね。助かりましたわ」
「私の助けなんてなくとも、キミならどうとでもなっただろうに……」
「それでも手間が省けたことは事実ですわ。時間は有限ですから」

 時間は有限。そう言われれば、フランツも納得するしかなかった。
 具体的にどの程度の時間が世界に残されているのかは分からない。
 しかし、着実に世界は終わりへと向かっているということだけはフランツも理解していた。
 実際のところはアルベリヒにしか分からないことだが、彼は彼なりのやり方で世界を救おうとしていた節があるからだ。
 それが、イシュメルガをエイドスに代わる〝神〟とすることだったのだろう。
 しかしシャーリィの活躍によってイシュメルガは〈緋の騎神(テスタロッサ)〉に吸収され、その可能性は失われてしまった。
 ならば、世界を滅びから救うためには別の方法を考えるしかない。
 そしてフランツが導き出した最も可能性の高い方法と言うのが、リィンたちに協力することだったのだ。
 アルベリヒの遺した知識と記憶が、まさかこんなところで役に立つとは思ってもいなかったことだが――

「アルベリヒの計画は、キミたちを敵に回した時点で失敗していたのだと実感するよ」

 アルベリヒは自分たちが狩る側だと思っていたようだが、逆だったのだとフランツは考える。
 地精の持つ知識と技術。それを研究所ごと奪ってしまうのが、リィンとベルの企みだったのだと気付かされたからだ。

「やはり彼は――いや、よそう。とっくに終わった話だ」

 何かを言いかけた様子だったが、フランツは口に仕掛けた言葉を呑み込む。
 ベルの表情や視線。場に漂う雰囲気から、いまそれを口にすべきではないと悟ったからだ。
 一方でベルも、想像を超えたフランツの能力に感心していた。

(思っていた以上に使えそうですわね)

 女神の摂理が支配する世界で、ただの人間が独力で〝外の理〟と呼ばれる世界の真理に辿り着くのは容易なことではない。
 過去にそれを成し遂げた人物は、導力革命の父と称されるC・エプスタイン博士しかいないからだ。
 アルベリヒの遺した知識と記憶があるとはいえ、そこから推論と考察だけでリィンの力の一端に気付いたのだとすれば、それはフランツの実力と言っていいだろう。

「感傷に浸っている時間はありませんわよ。まだ、やるべきことはたくさんありますから」
「ああ、分かっている。彼女を早く元の身体に戻してあげないとならないしね」

 ベルの言葉にそう返すフランツの視線の先には、白銀の輝きを放つ一本の剣があった。
 想念の剣、またの名を根源たる虚無の剣。ゾア=ギルスティンが遺した概念兵装だ。
 そして、この武器にはイシュメルガの精神が宿った黒い大剣のように、アルティナの魂が封じ込められていた。
 あれから魔術的なアプローチを含めた様々な方法が試みられたが、剣と同化したアルティナが元の姿に戻ることはなかった。
 そこでフランツの協力を仰ぐことになった。彼の持つアルベリヒの知識をあてにしたのだ。
 フランツもそのことは分かっていて、リィンたちに協力することを決めた
 特にアルティナのことに関しては、彼自身も責任を感じていたからだ。

「それで〝器〟はどのくらいで完成しそうですの?」
「あと三週間と言ったところかな? 陛下――いや、セドリックくんのお陰で貴重なデータが取れたから、より完成度の高いものに仕上がると思うよ」
「一国の皇帝を実験台にですか。良い性格をしていますわね」
「クロイス家の錬金術師であるキミがそれを言うのかい? それに彼自身が望んだことでもあるからね」

 自分が責任を感じているように、セドリックもまた罪悪感と無力感に苛まれていることにフランツは気が付いていた。
 彼なりのやり方で、アルベリヒの計画に対抗しようとしたことは分かっている。
 監視されていたとはいえ、誰にも相談しなかったのは皇帝としての威信と意地もあったのだろう。
 それにセドリックは英雄に憧れていた。リィンのようになりたいと思っていたのかもしれない。
 しかし、彼には覚悟はあっても力が足りなかった。英雄に憧れても、リィンのようにはなれなかった。
 その無力感と喪失感は、フランツにも痛いほど理解できた。
 彼もアルベリヒに身体を奪われ、どうにかしたいと思いながらも何一つ為すことが出来なかったからだ。
 そして、死ぬ機会すら与えて貰えず、こうして今も生きながらえている。
 いまセドリックがどのような気持ちでいるのか、理解できるつもりでいた。
 だからこそ、彼の要望に応じたのだ。
 アルティナを元の姿に戻すため、ホムンクルスの実験に自分を使って欲しいという彼の要望に――

「しかし、キミも無茶をする。ホムンクルスの研究はクロイス家が行っていたこととはいえ、魂の錬成――転生の秘術を実験もなしに自分の身体で試すなんて」

 成功したから良いものの失敗していれば、ベルの魂は新たな肉体に定着することなく消滅していたかもしれない。
 転生の秘術は禁呪に指定されるほど危険な魔術として、魔女の里でも厳重に管理されているからだ。
 根源たる虚無の剣にも転用されている技術とはいえ、成功率は極めて低い。
 実験もなしに一発で成功させたのは、奇跡に近いとフランツは考えていた。
 しかし、

「確かに成功率はよくて一割と言った賭けでしたわ。ですが、あの時はノルンさんの協力が得られましたから」
「そうか。因果律の操作……零の至宝の力を使ったのか」

 ベルの話から、零の至宝の力を使ったのだとフランツは察する。
 至宝と一括りに言っても、それぞれの至宝は得意とする力の方向性が違う。
 焔の至宝が闘争と破壊を司るように、大地の至宝は豊穣と生命を司る。
 そして零の至宝は時、空、幻の高位三属性の力を宿した人工的に造られた至宝だ。
 個々の力はオリジナルとなった至宝に及ばないまでも、特異な能力を持っていた。
 それが、因果律の可視化と操作だ。

 結果に直接介入することは出来ないが最悪の結果を回避し、理想的な未来に辿り着くための道筋を〝零の至宝〟は導いてくれる。
 一つだけ例外があるとすれば、至宝の力を超える存在には効果がないと言う点が挙げられる。
 例えば、リィン。彼の未来については黒の史書が予言できなかったように、零の至宝の力でも介入することは出来なかった。
 徐々に近付きつつある世界の破滅についてもそうだ。より大きな力が働いている事象に関しては介入することが出来ない。
 これが零の至宝の抱える欠点とも言えるだろう。
 しかし逆に言えば至宝の力が及ぶ範囲であれば、一%でも可能性があるのならそれを百に近付けることが出来ると言うことだ。
 ベルはその力を使って、ホムンクルスの肉体に自身の魂を定着させたのだろう。

「なら、私の力など借りなくても……」
「勿論、最初に試しましたわ。ですが、結果は――」

 零の至宝では、セドリックの運命に介入することは出来なかった。それはアルティナも同様だ。
 二人の力が至宝の力を上回っていたと言う訳ではない。
 セドリックも、アルティナも、既に他の至宝の影響下にあったためだ。
 ――鋼の至宝。別名〝巨イナル一〟とも呼ばれる力。
 焔と大地の力を宿し、零の至宝にも匹敵する力を持ったもう一つの至宝。
 その力の影響下にあるセドリックとアルティナの運命には、ノルンも介入することが出来なかったと言う訳だ。

「なるほど、そういうことか。では、もしかするとイシュメルガが巨イナル一を手に入れていたとしても……」
「女神に成り代わるなんて大層な真似が、至宝一つの力で出来るはずがありませんわね」

 自身が神となり、新たな世界を創造するのであれば、女神の敷いた摂理を組み替える必要があるのだ。
 しかし、至宝の力は万能に見えて限界があることが今回の件で証明された。
 同等の力を持つ存在に介入することが出来ないのだとすれば、女神にも効果があるとは思えない。
 イシュメルガのやろうとしたことは、結局失敗に終わっていた可能性が高いと言うことだ。
 世界の終焉を早めることは出来たかもしれないが、イシュメルガが神となって世界を再構成することは不可能であったのだろう。
 なら、リィンが見た世界とは――

「ゾア=ギルスティンが元いた世界。そこは世界の再構成に失敗し、滅びた世界か」
「ええ、恐らくは……」

 世界を救おうとして、自らが世界の終わりを早めてしまった。
 それが、あの世界のリィン――オルタが経験した歴史なのだと、フランツとベルは推察する。
 即ち、それはゾア=ギルスティンの力でも世界を破滅から救うことは出来なかったと言うことだ。
 至宝の力では、世界を救えない。
 それが分かっただけでも収穫だが、同時にこの世界の人々にとっては絶望でしかなかった。
 至宝の力をあてに出来ないのであれば、人の知恵と力でこの困難を乗り越えなければならないと言うことでもあるからだ。

「至宝にも無理なことを、人の力で成し遂げられると思うかい?」
「意外と女神が望んだのは、そういうことなのかもしれませんわよ」
「世界の運命を人に委ねた。だから我々の前から姿を消したと?」
「彼なら〝無責任〟だと言うでしょうけどね。導くなら最後まで責任を取れと――」

 リィンなら確かにそう言いそうだと、フランツはベルの話に頷く。
 それに仮にベルの推測が当たっているのだとすれば、女神でも世界を滅びの運命から救うことは難しいのかもしれない。
 そうだとすれば、この世界に待ち受けている運命はとても困難で過酷なものだと想像が付く。
 大陸の東側で起きているという砂漠化現象。
 霊脈の枯渇が原因だとされているが、本当にそれが世界が終わる原因となるのかは分かっていない。
 徐々に砂漠は広がっているとはいえ、数年以内に砂漠が大陸を埋め尽くすと言うほど深刻な状況ではないからだ。
 なら、世界を終わりに導く原因は他にあるのかもしれないとフランツは考える。

「キミたちなら世界を救えると、本気で思ってるのかい?」
「世界を救うつもりがあるかどうかは別として、結果的にそうなる可能性は高いと思っていますわ」
「そうか……なら、もう一度誓わせて欲しい」

 志は違えど、目指す結果が一緒なら協力できる。
 自らが持つ知識と経験のすべてを〈暁の旅団〉に捧げ、協力することをフランツは約束するのだった。


  ◆


 小さな竜のような外見をした四つ足の古代種と、片手剣一本で対峙する少年の姿があった。
 セドリック・ライゼ・アルノール。先の戦争の怪我で亡くなったされているエレボニア帝国の元皇帝だ。

「はああッ!」

 飛び掛かってきた古代種の爪を紙一重で回避し横に回り込むと、セドリックは流れるような動作で剣を振り下ろす。
 すると普通の武器では傷一つ付かないはずの古代種の身体に一閃が奔り、赤い鮮血が宙を舞った。
 首筋から胴を斬り裂かれ、虫の息で横たわる古代種にセドリックは剣を突き立ててトドメを刺す。

「こんなにも動けるなんて……自分の身体じゃないみたいだ」

 ホムンクルスの肉体が人間よりも優れているというのも理由の一つにあるのだろう。
 しかし、それだけではないとセドリックは感じていた。
 偽帝オルトロスの経験と技術が、いまも自身の身体に宿っていると分かるからだ。
 贄に選ばれたセドリックの魂は、オルトロスの魂と完全に同化していた。
 そのため、肉体を移し替えたとしてもオルトロスの経験は失われなかったのだろう。

「これなら……いや、ダメだな」

 ほんの少し、いまの自分ならリィンたちの力になれるのではないかとセドリックは考えるも、すぐに首を横に振る。
 彼の視線の先には、機甲兵ほどもある巨大な肉食獣の古代種を一方的に追い詰める少女の姿があったからだ。
 少女の名はリコッタ。この島――セイレン島で育った現地民だ。
 見た目はアルティナとそう変わらない程度の少女だが、その腕力とスピードは目を瞠るものがあった。

「よし、リコッタの勝ちだ!」

 頭を殴打され、血を流して横たわる古代種の上で勝利のポーズを取るリコッタを見て、セドリックは苦笑する。
 身の丈ほどある巨大な鎚を振り回し、古代種を圧倒する実力はシャーリィを彷彿とさせる。
 洗練されているとは言えないが力強く、いまのセドリックでも敵わないと悟るほどの実力差が二人の間にはあったからだ。

「そっちはどうだ? ちゃんと獲物を仕留められたか?」
「え……あ、はい。それと比べると、たいした大きさではありませんが……」
「そんなことないぞ。はじめての狩りで、ひとりで獲物を仕留められただけでも立派だ。リコッタも昔は罠なしで、こんな大きな獲物を狩ることは出来なかったしな」

 励ましとも取れるが、リコッタが本心から褒めてくれていることはセドリックにも察することが出来た。
 良くも悪くも裏表がない。目の前の少女からは、少しの悪意も感じ取ることが出来なかったからだ。

「頑張って、努力すれば、きっとお前も立派な猟師になれる。だから、頑張れ」
「いや、猟師になるかどうかは、まだ決めていないのですが……」
「よし、今日はこの肉で歓迎の宴をするぞ! 皆にも声を掛けてくる!」
「あ……」

 訂正する暇も止める間もなく、獲物をおいて走り去るリコッタの背中を呆然と見送るセドリック。
 そして、自分一人では到底運びきれるとは思えない量の獲物を前に深々と溜め息を吐く。
 しかし、

「頑張って、努力すれば、か……」

 リコッタの言葉はセドリックの心に確かに届いていた。
 死に物狂いで努力をすれば、いまよりも強くなれる可能性はある。
 そうすれば、いつかきっと――

「父様、母様、そしてオリヴァルト兄様にアルフィン。僕は今度こそ間違えないと誓うよ。そして、必ず――」

 すべてを失い、誘われた新天地でセドリックは家族のことを想いながら、一からやり直す覚悟を決めるのであった。



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