「――ツァオ!」

 年相応の笑みを浮かべて、知り合いの元へ走るアシェンの姿があった。
 顔立ちは整っているがメガネをかけた優男と言った印象で、どこか胡散臭さを感じるスーツ姿の男。
 彼の名は、ツァオ・リー。アシェンの生家でもある長老会の筆頭、ルウ家に仕える〈黒月〉の幹部だ。

爷爷(イエイエ)が世話役を寄越すって言ってたから誰のことかと思ったら、あなただったのね。クロスベルへ行ったら入れ違いで煌都に帰ったって聞くし……」
「申し訳ありません。連絡は受けていたのですが、どうしても外せない仕事が入ってしまいまして。案内くらいはして差し上げたかったのですが」
「あ、責めている訳じゃないのよ? ツァオが頼りにされていることは分かってるし……」

 恋する乙女と言った様子で、しおらしい態度を見せるアシェン。
 本人は上手く隠しているつもりなのだろうが、ツァオに好意を抱いていることは誰の目にも明らかだった。

「リーシャさんもお久し振りです。ここまで、お嬢様の護衛をしてくださったのですね。御礼申し上げます」
「これも仕事です。〝団長〟の指示なので、どうかお気になさらず」

 あくまで今の自分は〈暁の旅団〉の関係者だと言うことを強調するリーシャの意図を、ツァオはすぐに理解する。
 東方人街の魔人と恐れられ、百年も前から暗躍してきた伝説の凶手――(イン)
 立場は異なるものの裏社会のバランサーとしての役割を果たしてきた〈黒月〉とは、古くから関係を築いてきた。
 そのため、リーシャも一時は〈黒月〉に雇われ、今代の銀として活動していた時期があったのだ。
 しかし、いまのリーシャは銀としての活動を完全に休止していた。
 暁の旅団の一員となったことが理由として大きいが、流れに身を任せて凶手として生きることに疑問を持ったためだ。

 人の命を奪うことが怖くなった訳でも、改心したと言う訳でもない。
 とっくに自分の手は血に塗れ、汚れてしまっていることはリーシャも分かっていた。
 それでも流されるままに人の命を奪うことと、自らの意志で選択することには大きな差がある。
 団のためであれば、再び暗殺に手を染めることを彼女は躊躇わないだろう。
 しかし、それはあくまでリーシャがそうしたいからするのであって、黒月に協力する気は今のリーシャにはなかった。
 いや、黒月以外の組織が接触してきたとしても、依頼を引き受けることはないだろう。
 マフィアの抗争に手を貸す気にはなれないためだ。

 歴代の銀は、それが裏社会の秩序を保つために必要なことだと考えていたのかもしれない。
 それ自体をリーシャは否定するつもりはない。法で裁けない悪がいることも事実だからだ。
 これまでは〈黒月〉がその役割を果たしていたからこそ、歴代の銀は〈黒月〉に協力してきた。
 しかし、今代の銀――リーシャが選んだのは〈黒月〉ではなく〈暁の旅団〉だったと言うだけの話だ。

「なるほど……それが、あなたの〝選択〟と言う訳ですか」
「はい。申し訳ありませんが、今後はあなた方の依頼を受けることはないかと。どうしてもと言うのであれば、団に話を通してください」
「わかりました。我々も〈暁の旅団(あなた方)〉とは良好な関係を築きたいので」

 リーシャの意志を確認して、ツァオはリーシャの選択を尊重することを約束する。
 暁の旅団との関係を悪くしてまで、銀を〈黒月〉に留めることはデメリットしかないと瞬時に判断したのだろう。
 それに長老会としても、暁の旅団とは良好な関係を築いていくという方針で一致していた。
 クロスベルの裏社会を牛耳るという〈黒月〉の計画は、暁の旅団の庇護を得たルバーチェ商会によって潰えている。
 だからと言って、これまでクロスベルに投資してきた時間やミラを考えると、このまま手を引くには損失が大きすぎる。
 なら少しでも良好な関係を築くことで、クロスベルでの活動を認めさせる方向に計画を変更したと言う訳だ。
 その方が長期的な視点で見れば、黒月にとってもメリットが大きいと考えたのだろう。
 実際、今回の旅には〈黒月〉のそうした思惑と、双方にとって都合の良いビジネスの話が絡んでいた。
 黒月の本拠地でもある煌都ラングポート。そこにルバーチェ商会の支店をだす話が計画されているためだ。

「むう……二人だけで話を進めないでくれる? 私もいるのだけど……」

 どこか不機嫌そうなオーラを滲ませながら、リーシャとツァオの会話に割って入るアシェン。
 あくまでビジネスの話で、二人が想像しているような関係でないことは見れば分かる。
 とはいえ、こうして久し振りに会えたと言うのに自分を差し置いて、二人だけで話をされるのも不満なのだろう。

「失礼しました。なんでも仕事の話と結びつけるのは、どうにも悪い癖でして」
「ツァオが優秀なのは分かっているけど……」

 古くから共和国の裏社会を支配してきた組織とあって構成員の層が厚い〈黒月〉だが、ツァオはそのなかでも特に有望とされるほど優秀な人物だった。
 月華流の達人と言うだけでなく頭の方も切れ、長老会から組織の活動に伴う計画や交渉事を一任されるほどの信頼を得ている。
 世話役としてツァオが龍來に派遣されたことからも、暁の旅団との関係を〈黒月〉が重視していることが察せられる。
 今回の旅の目的の一つに、長老会との会談が予定されているからだ。

「でも、ツァオを寄越したってことは爷爷(イエイエ)爸爸(パパ)は〝彼等〟との関係をそれだけ重視していると言うことね……」

 ツァオの立場を理解しつつも、どこか不満そうな表情を見せるアシェン。
 ツァオの前だから口にはださないが、やはり〝お見合い〟の件が尾を引いているのだろう。
 現在クロスベルの裏社会は完全にルバーチェ商会が牛耳っており、黒月は西側への足掛かりを失っている状態だ。
 辛うじてビジネスでの繋がりは保っているが、長年築いてきた〝足場〟を失った事実は重い。
 幾つかの計画も白紙となり、その損失を補填するためにツァオが奔走していることをアシェンは知っていた。

 元々クロスベルへの進出はツァオが長老会から任されていた仕事だっただけに、責任を取らせる意味合いもあるのだろう。
 組織の行く末を左右する問題だ。そこに個人の意志が優先されることはない。それはアシェンも理解していた。
 クロスベルでの足場を失った長老会が求めているのは〈暁の旅団〉との確かな関係だ。
 そのための婚姻というのも理解できない話ではないからだ。

 とはいえ、アシェンはまだ十五歳だ。
 結婚するには早いし、家のためだと割り切って考えられるほど達観している訳でもない。
 政略結婚もありえると言うことは理解しているが、納得できるかどうかは別の話であった。
 しかし、他の者ではなくツァオを寄越したことで、少なくともルウ家は本気で〈暁の旅団〉との関係を深めようとしていることは察せられる。
 頭では理解していても、アシェンからすると望ましい状況ではないのだろう。

「そのための〝話し合い〟を長老会の方々は希望されています」
「それって……」
「私から言えることはそれだけです」

 黒月が〈暁の旅団〉との関係を深めようとしていることは確かだ。
 しかし、それは〈黒月〉の都合であって、本人たちが同意した訳ではない。
 アシェンの感情もそうだが、リィンも納得している訳ではないのだ。
 それなら――

(婚姻以外の方法で、長老たちを納得させることが出来たら……)

 リィンとのお見合いの話を白紙に戻せるかもしれないと、アシェンは考える。
 ただ、それが難しいことも理解していた。
 黒月の長老たちが求めているのは、暁の旅団との繋がりだからだ。
 政略結婚で得られる以上の確かな繋がりを提示できなければ、長老たちを納得させることは難しいだろう。
 難しくはあるが可能性を見出したことで、アシェンの瞳に希望の光が灯った、その時だった。
 大地を揺るがすほどの轟音が響いたのは――

「な、なに――!?」

 揺れが収まるのを待って音のする方角を探りながら、外の様子を確認するアシェン。
 雷のような轟音が鳴り響く先には、イシュガル山脈がそびえ立っていた。
 それだけではない。

「なによこれ……空が〝燃えて〟……」

 アシェンの瞳には〝紅黎く〟染まった空が映っていた。
 山頂から立ち上る光が夜空を染め上げ、まるで山全体が紅く燃えているようにも見える。
 呆然と外の光景を眺めるアシェンに対してツァオとリーシャは、

「ほう、これは……」
「炎の柱……まさか……」

 何かに気付いた様子を見せるのであった。


  ◆


 共和国の主要三大都市の一つ、煌都ラングポート。
 東方人街とも呼ばれる古い街の一角にある宿屋の二階で――

「イシュガル山脈で噴火ね……」

 ベッドに寝そべりながら、ラジオのニュースに耳を傾ける男の姿があった。
 赤いシャツにグレーのベスト。黒い長ズボンと言ったカジュアルな格好で、歳はリィンとそう変わらないように見える。
 大きな欠伸をしながら身体を起こすと、男は右手の親指で鼻を擦りながら一転して険しい表情を見せる。

「臭いやがるな」

 それは男の口癖であった。
 危険や厄介事が迫っている時に感じる嫌な臭い。勘のようなものではあるが、男のそれはかなりの精度を誇っていた。
 実際、その嗅覚で助かった場面が幾度とあり、裏の〝仕事〟でも多いに役立っていた。
 そう、男は真っ当な職業についている人間ではなく、どちらかというと裏稼業を生業とする〝解決屋(なんでもや)〟だった。
 男の名は、ヴァン・アークライド。この仕事をはじめてまだ一年と日は浅いがそれなりの実績があり、今回も依頼で煌都を訪れていた。
 彼が煌都を訪れるのは、これが二回目だ。
 下積み時代に二ヶ月ほど暮らしていたことがあり、その時の縁もあって〝とある筋〟からの依頼を受けたと言う訳だ。 
 幸い宿の代金は依頼人持ちなので食べることと寝るところには困らないのだが、

「……少し調べてみるか」

 噴火の規模は小さく宿場町への被害はでていないとの報道であったが、自分の勘に従ってヴァンは行動を起こすことを決める。
 依頼人が別件で煌都を離れていることもあって、ここ数日暇をしていたと言うのも理由にあるが、どうしても気に掛かることがあったからだ。
 と言うのもヴァンは今の仕事をはじめる前、龍來で過ごしていた時期があった。
 だからこそ、あの山が何の前触れもなく突然噴火したなどと言う話を信じることが出来ない。
 そこに加えて今回の依頼だ。
 下積み時代に世話になった縁から引き受けたが、どこかきな臭いものを感じていた。

「取り敢えず、ジャックのところにいくか。あいつなら何か知ってるかもしれねえ」

 下積み時代にも世話になった情報屋の友人をヴァンは訪ねることにする。
 他にも気になることはあるが、龍來で何が起きているのかを知ることが先だと考えたのだろう。
 早速、宿をでて行動を開始するヴァン。
 彼とリィンの道が交わるのはもう少し先の話になるのだが、物語の転機となる運命の日は刻一刻と近付いていた。



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