艦むす奮戦記
第七話
――戦時中ながら観艦式が行われる事になった日本。敢えて敢行する意義は、日本海軍が諸外国にかつての世界三大海軍に立ち戻った事を示すため。それと艦娘のお披露目を兼ねていた。
――横須賀地方隊
「摩耶、どうしたんだよ。ソワソワして」
「うぉっ!?て、天龍!?」
高雄型三番目の摩耶はドキドキしていた。それは観艦式の先導艦と供奉艦の双方に応募したからで、荒い口調とは裏腹に意外と乙女チックである。そこが一見して、同じような特徴持ちに見える天龍が友達な理由なのだ。
「じ、実はアタシ……観艦式の先導艦とかにに立候補してんだよ」
「おっ、マジか?お前もそういうのやってみたかったのか〜!ハハハッ」
「だって、ずっと御召し艦は比叡姐さんだったし……供奉艦は一回こっきりしかやってねーし」
「そいやそうだっけか。上はなんでまた戦時中に観艦式なんて。狙われんぞ?」
「上は私達の存在を公にする事で国民の支持を得ろうとしてるのよ」
「赤城。艤装の改装、終わったのかよ」
「ええ。ほら、飛行甲板を見て。アングルドデッキがついてるでしょ」
「あ、本当だ」
赤城の艤装についている飛行甲板は改装された事を示すように、現在形空母の一つの完成形であるアングルドデッキ装備のそれへパワーアップしていた。矢で式神化された艦載機を打ち出す彼女らには一見して不要な装備なようだが、他空母の艦載機を受け入れ、発艦させるための装備としての役割も期待され、加えられたのだ。
「でもよ、お前ら基本的に矢で打ち出すんだろ?そんなのいらねーんじゃ?」
「他空母の艦載機の中継基地的役割も期待されてね。加賀も同じ改装を受けたわ。ほら虎の子の」
「ああ、例の通常部隊の切り札の」
「あれでもまだ軽空母の領域に入っちまうから驚きだぜ。6万トンって言えば大和の奴とほぼ同じ排水量だろ?」
「ええ。伊勢が見たビックEの後継は10万トン超えだし、自信なくしそう」
「大和よりでかい船体に70機近くの艦載機を載せられるしな。お前の今度の艦載機数は30機台だろ?完全に負けてるぜ」
「ぐぬぬ……これでもあの時は世界最強クラスの空母だったのに……」
赤城は自身が開戦時では世界最強クラスの実力の空母であった事を誇りとしているが、大戦中にエセックス級航空母艦が出現しているために大戦中の時点で陳腐化してしまった感は否めない。なんとか今回の改装で式神化&スペースの工夫などで、稼働中の英国海軍の古参空母「クィーン・エリザベス」級とほぼ同等の能力を得たが、英国はすでに代替の80000トン級正規空母の建造検討に入っているため、20世紀後半以後の水準で言えば、改装後の赤城と加賀の能力はインヴィンシブル級航空母艦よりは良く、シャルル・ド・ゴールより若干劣る程度である。
「今じゃジョンブルの空母やフランス人の空母くらいの実力しかない。ああ〜悔しい!」
――赤城は悔しがるが、それでも日本海軍がフランス軍やイギリス軍を差し置いて、『アメリカに次ぐ規模の空母機動部隊』を保有し、しかもその費用はアメリカ軍より遥かに安価で済ませられている。艦娘達が加わったために、空母機動部隊の運用費が二隻分で済んでいるというのは軍部にとっては僥倖なのだ。
「俺たちなんて巡洋艦って区分自体が絶滅してるんだぞ?それに比べりゃマシだって」
「それもそうだけど!私と加賀は戦史に名を残した名艦なのよ!それがどうしてジョンブルやフランス如きと同じ次元に……」
「お前なぁ……。そんなこと言うと翔鶴たちが来たら文句来るぞ。あいつらが来てもお前らがでかいんだし」
「そ、それは……」
赤城は天龍のこの一言に押し黙る。それは赤城達亡き後の日本海軍の屋台骨を支え、海軍の落日を見届けた翔鶴型が蘇った場合は常勝期しか知らぬ自分たちは煙たがられると踏んでいたからだ。加賀も普段は勝ち気だが、ミッドウェー後の落日の機動部隊を知らぬがための怯えも見せている。
「やっぱりアンタらは怖いんだね。ミッドウェー以前の常勝の驕りがあの負けを招いた挙句に皇国を破滅に導く序曲になった事を翔鶴や瑞鶴に言われるのが」
「ええ。私達一航戦の驕りが皇国の破滅を招くきっかけになったのは確かだし、私達がいなくなった後にあの子達が大変だったのには愕然としたわ」
「そりゃそうだ。あの戦争の最期まで生き残った方が少ねーんだぜ?うちら。開戦時の主力の8割以上はレイテまでの時期に逝っちまってるんだぜ」
摩耶の指摘に赤城はミッドウェー後の海戦では機動部隊は南太平洋海戦を最後に敗者となった事、烈風や紫電改などの次世代機も装備すら叶わなかった事などを引っくるめて頷く。
「もし、あそこで勝てていれば……」
「戦史家どもはあそこで勝てていても、最新技術にどのうち負けるだろうって見てるぞ。まぁそれだけエセックス級の威力が凄かった表れだけどな」
「エセックス……翔鶴達がとうとう沈められなかったアメリカの空母群……」
「総合性能は大鳳をも上回るあの時期最高の空母。でも、ミッドウェイっていう化物がすぐに控えてたしな」
艦娘の内、空母であった者は米軍空母が大戦終結時には艦時代の自分達と次元が違う高みに達してしまった事に悔しさを大いに感じている者が大半であった。赤城と加賀が改装を積極的に行ったのは、復帰後にエセックス級やミッドウェイ級の存在を知り、『栄光の大日本帝国海軍空母の意地』を示さんとしたからである。
「これでも栄光の第一航空戦隊旗艦だったのにぃ〜!」
「でも、お前らは空母のままでいれたんだし、蒼龍達よりマシだろ」
「え、ええ。あの子達は強襲揚陸艦に転籍したから、空母でいられなかったのは残念がってたわ」
「VTOL機ってやつが完成してて本当に良かったなあいつら」
「ええ。あれが無ければヘリコプター搭載艦になるしか無かったし、その予定で組まれてたっていうし……幸運だったわ」
「で、観艦式には出るのかよお前ら」
「私達は間に合ったから出るわ。長門や大和は微妙なところ」
「遅れてんのか?」
「戦艦の砲身の製造技術の育成や戦艦の改造ノウハウが失われてるから、戦車の砲塔の製造工場の転用とか、アメリカの古い資料を持ち込んでもらったりと苦慮しててね。試作のサンプル品が長門に装備されてテストが繰り返されてるの」
「で、今のところの結果は?」
「火力が上がったんだけど、砲身命数が想定より短くなったらしいのよ。それで改良に取り組んでるらしいわ」
「戦車は戦艦みたいにバカスカ撃つ必要ないからな。昔みたいな事が起きるのも珍しくなったしなぁ」
戦艦娘達の主砲の新造は試行錯誤の連続であることがここで赤城によって伝えられた。艦娘の装備の内、巡洋艦以上の艦砲を新造するのはこの時代では難しいのだ。すでに戦艦や巡洋艦が第一線から退いて久しい時勢、大口径砲は戦車の砲塔ノウハウを使うしかないのだ。しかし、戦車と戦闘艦では求められる物は異なる上に、戦車で実用化された砲弾をそのまま艦砲に使えるわけでもないからだ。この時代の最大口径は米軍のズムウォルト級駆逐艦の155ミリ砲。どうやって改装するかという次元から始まった。数ヶ月もの期間でなんとか試作品の完成には漕ぎ着けたが、実用的な性能には達していないのが現状だった。
――とある演習所
「うぉっ!反動を吸収しきれんっ!」
長門は新型装備のテストに関わっていたが、新型装備というのが曲者であった。大和用に試作された三連装砲の反動は大きく、長門が思わず後ずさるほどであった。砲身の冷却機構の機能が果たされているかなどのチェックも入るのだが、一斉射撃は長門では反動を吸収しきれないらしい。
「くそ、私ではこいつを撃つには不足だというのか!?」
「無理するな。それは大和用に試作された武器だ。お前じゃ筋肉痛になるぞ〜!」
「バカモノ!私は連合艦隊の屋台骨を20年間支えていたのだ!この程度どうということは……!?」
「ああ、言わんこっちゃない」
その次の瞬間、長門は凄まじい悲鳴とともにうずくまった。腰がぎっくり腰になってしまったのだ。自分用の装備よりも重量がさらに重い装備で撃っていたのだから、当然といえば当然だ。しかし長門として屈辱そのもの。私が駆けつけた時には、腰を抑えながらうずくまりながら涙目になっている長門の姿があった。
「いったああああああっ!こ、腰が……!」
「長門!生きてるか〜!お、おい、タンカだタンカ!」
「す、すまん提督……私とした事が…!あ、いたたたああああっ!?クソ、陸奥のやつには見せられんなこのザマは…」
「んなことより今は休めって。上には俺が言っとくから」
「す、すまん……」
長門は目が潤んでいた。しかし普通に考えて、ワンランク上の主砲を無理して撃ったのだからぎっくり腰になるのも頷ける。艤装を外し、担架に載せると、私はため息をついた。
(軽量化に、反動吸収機構をもっと改良せんとなぁ。長門でこれだと、今のコイツの重量ではとても金剛や比叡達には扱えん。まぁ船だった頃のあいつらの常識で言えば『主砲の大口径への載せ替えは代償を伴う』とあったから、当然といえば当然か)
――戦艦の一般常識は『自分の主砲に耐えられる装甲を持つ』防御力であった。ただし航行能力重視の巡洋戦艦か、それに近い性質を持った艦はその限りでない。例えば第一次世界大戦時の巡洋戦艦は戦艦に準じる火力と高速を両立させたが、その代償に防御力が低かった。かの第一次世界大戦最大のユトランド沖海戦では、イギリスの巡洋戦艦が轟沈していった。この性格は後に思わぬ形で世界最後の戦艦として君臨したアイオワ級へ受け継がれたが、その頃には戦艦そのものが当初のコンセプトとはかけ離れた運用法がされていたのはご承知の通り。他にも元来の設計時よりワンランク程度上の砲を据えた例はある。米軍のノースカロライナ級がそれに当たる。このように、一般常識に当てはまらない戦艦も存在したのが実情である。
「上はノースカロライナとかの例もあるから、長門にテストさせたんだろうが、腰を痛めちゃ本末転倒だろ。大和は上手く切り抜けてるかな?」
――私は大和を心配した。大和はここのところ上の命令で本業そっちのけでイベントに駆り出されているからだった。大和当人もこれには驚いていた。何せ『A級軍機』だったのが、戦後は一気に国民的人気者となったのだ。驚かないはずがない。
――国内 イベント会場
「うわぁ……凄い賑わい。いいの?私達が出て」
「戦後は戦中の反動でこうしたイベントを自粛するの嫌われるんだよ。2010年代の大地震の時も自粛ムードに異義が唱えられたっーし」
「本当?変わったのね」
「戦後はなんでもアメリカの背中を追いかけたからなぁ。戦前のドイツびいきが残ったの少ないし、戦後はアメリカの言うこと聞いてきたから、戦後は日本はアメリカの腰巾着だって思われてる」
隼鷹と大和はとあるイベントに駆り出されていたが、大和は戦後日本が戦時中でも平時と変わらぬにぎわいを見せているのに驚いている。大和が生を受けたのは1941年12月。すでに戦争へ突入した時。それ故に戦前の空気を知らぬままに坊ノ岬に消えた。隼鷹は軍存続の影響で、当初の客船に戻ることも、(終戦後に日本郵船は軍部に隼鷹の返還と客船への再改造を要求したが、多大な手間がかかる事と、すでに客船に戻したとしても新式には敵わないなどの理由で立ち消えになり、空母のまま軍に残った)解体処分も免れて、ジェット戦闘機が大型化して、能力が陳腐化したと判断された頃までの記録がある故に戦後復興期の記録がある。それ故に戦後はアメリカを模範にしている空気があるのを解説する。
「軍部は負けたから戦後は疎んじられてね。陸軍なんて戦中に作ってた三式や四式戦車とかがマイナーチェンジで1960年代初めまで使われてたし、私や葛城、酒匂や大淀は使い倒された。予算分布が民需重視になったから余裕が出るまで大戦中の少数の残存艦艇と戦後の新造フリゲート艦とかで場を繋いだ……50年代頃は『日露戦争の勝利っていう古ぼけた看板に縋った末に負けたオンボロ軍隊』って陰口すら叩かれてた」
「本当、国民は気まぐれね。戦争中は散々拡大を唱えたくせに、負けたら手のひらを返すように罵倒するなんて……」
「敗戦ってのはそういうもんさ。アメリカだって、ナムでケチ付いてからはいいところほぼなし。戦闘に勝って戦争に負けた的な状態になりつづけて嫌気が差して、1980年代末から日本の軍備拡大を容認し始めたっつーし。民主主義は良くも悪くも国民のご機嫌伺い的なところあるかんな」
隼鷹は戦後唯一無二、生き残った商船改造空母であり、戦後も軍に在籍した。その分、達観したところを垣間見せる。酒を煽りながら歩くその姿は傍から見れば、完全に『飲兵衛』にしか見えない。
「何を飲んでんの?」
「スパークリングワインさ。酒には違いないし、アルコール入った炭酸と思えばいいから楽だ」
「あ、あなたねぇ……ワインって味わって飲むもんじゃない?」
「まっ、普通はそうだけど」
スパークリングワインの瓶を片手に飲む隼鷹。彼女は大日本帝国海軍、日本国防海軍の双方の艦暦における歴代艦長や乗員の影響か、どういうわけか酒豪であった。現在は戦後の記憶があるほぼ唯一無二の艦娘となった故か、戦前戦中の記憶しかない者を導く側に回っていた。
「ま、こうして『来生』が来たんだ。楽しもーぜ。ほら、焼き鳥だ」
「あ、ありがと」
大和は人間同様の姿で輪廻転生したこの事に戸惑っていたが、かつての仲間たちが転生していた事で気が楽になったようだった。隼鷹から焼き鳥を受け取り、それをほおばる。ただ、今でも大和には顔を合わせづらい者がいる。妹の武蔵であり、信濃である。武蔵はレイテで自身の身代わりとなって散り、信濃は儚い生涯を終えた。大和としては当時の護衛艦艇らを罵りたい怨嗟に駆られていた。最も、雪風、磯風、浜風の三隻としては未完成艦を大半が損傷していた自分たちでは守りきれないのは明白なのに、出撃を強行させた軍令部を恨むのが筋だと言いそうだが、空母に転籍した末妹までも失った大和は妹を守れなかった三隻を憎んだこともある。それ故、武蔵や信濃と会うことが怖くさえあるのだ。
「ねぇ、隼鷹。武蔵や信濃は私の事許してくれるのかしら?」
「お前、まだレイテや信濃のことを……」
「姉なのに、二人の妹の最期さえ見とれなかったのよ?それに信濃はまだよちよち歩きも出来ないような赤ん坊みたいな船だったのに……」
「あのときゃもう帝国自体が傾いてたし、あいつらも傷ついてた。あいつらを責めんのは酷さ。言うなら当時の軍令部にしな。あいつらが元凶みたいなもんだしな。武蔵も信濃も許してくれるさ。帝国の落日はサイパン落ちた時点で決まったようなもんだったし。私だってサイパンで飛鷹が死んだからな。お前だけが傷ついてるわけじゃないって事は覚えておきな」
「隼鷹……」
「さあて、しみったれた話はここまで。パーと楽しもうぜ」
隼鷹は大和を引っ張り、屋台へ連れて行く。それは戦後の記憶も持つ者として出来る大和への慰めだったかもしれない。大和は戸惑いつつもこの時代を堪能することにした。それがいつか出会うであろう妹達や、自分とともに坊ノ岬に散った者たちに顔向け出来るように……。(長門が軍病院に担ぎ込まれたことを知らされたのはこのすぐ後であった)
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