艦むす奮戦記
第九話
――超大和型戦艦。それは生まれいては来なかったはずの戦艦である。残骸の調査でモンタナ級が生まれ、大和型戦艦を打ち砕く事をさる皇族軍人が恐れ、独自に計画を復活させたとドックに残されていた書類から判明した。
「榛名、見ろ。完成予想模型だ」
「大和と武蔵と基本構造は同じですね」
「表立ってやると井上中将とかがうるさいから、誰にも知らせなかった。だから基本設計を大和型から流用したんだろう。現状最新型だし」
「ただ三連装砲を何基にするか揉めたみたいですね。何個かあるですけど、主砲の数がバラバラです」
「仕様策定そのものが非公式なものだし、統制を取るのに苦労したんだろう。最終的に5基で落ち着いたらしいが……戦艦まほ◯ばでも作るつもりだったのか?まったく…」
そう。大日本帝国時代の国力では到底無理にも思えるほどの超弩級戦艦。既存ドックでの整備も補給も無理な仕様は1943年以後の劣勢に陥っていく日本軍のなりふり構わなくなった姿勢が見て取れた。かつての大御所漫画家が書いていたある漫画に登場する超弩級戦艦を思わせるスペックを持たせようと画策したらしき形跡に、私は呆れる。
――それは大和型戦艦をベースに、最終的に二回りほど大きくした大きさの艦砲を積み、相応のサイズへ改良した船であった。大和型戦艦が常識的範囲での小型軽量を目指して設計されたのに対し、そうした制限を無くし、一発逆転のためだけに巨大化したそれは一回きりの決戦兵器とも言えた。榛名は帝国の逆転勝利を信じて疑っていなかった当時の軍人へ複雑な気持ちを抱いた。
「複雑です。大鳳達が散っていく裏でこんな戦艦が造られていたなんて」
「当事者たちは良かれと思ってやっていたんだろうが、結果的に敗北の一助になってしまった。だから終戦と同時に抹消したんだろう。大艦巨砲主義の徒花とはこいつの事を言うんだろう」
私はマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦にも間に合わず、坊ノ岬沖海戦にすら参加せずじまいに終わり、闇に葬られたこの艦を詰った。完成して投入されていれば間違いなく世界最大最強の座は得ただろうが、発展する航空機の前に戦えたかは疑問符が付く。日本軍の対空火器が米軍のボフォースに比べて旧態依然としていたのは有名な話で、連合艦隊旗艦でさえ五式四十粍高射機関砲(ボフォースのコピー品)を装備することは叶わぬ夢であった。これは当時の日本の工業技術では精巧なボフォースをコピーするのに手間取ったからだ。しかしそれでも総合的び当時最高の戦艦となるはずだったのは疑いの余地は無い。装甲配分がは大和型より厳重になり、バイタルパートも集中防御が全体防御に変えられていた。
「GHQも政府も知らなかったから完全な形で残っていたのはいいが、これであの宮様はますます評価落とすぞ」
「大艦巨砲主義が続いたほうがある意味は良かったかもしれませんね。核兵器などというモノが生み出されるよりは……」
「ある意味では正解かもしれん。戦争の敷居が低かったからな。戦争は起きないほうがいいが、起きたら起きたで対策考えていくべきだ。人間、このまま行くと100億は確実だ。医学が良くなって100歳まで生きるなんてザラになった今の時代の風潮に不満がある老人もいる。俺のばーちゃんが昔に言っていたが、『人間は60、70で死んだほうが子供や孫に迷惑をかけないで済む』と常々言っていた。ひいばーちゃんが90くらいまで生きたが、晩年にボケていたのを嫌っていたからだが、戦争には人減らしの側面があった。それが悪とされた後は長寿がもてはやされた。大事な記憶を忘却し、子や孫から疎んじられ、人間としての尊厳を失っていくのと、どっちがいいんだがな…」
私は長寿というモノに疑問があった。祖母が曾祖母の介護に疲れ、疎んじていたのを子供時代に聞いていたからだ。核兵器が現れた事で人々は戦争を忌み嫌うようになり、平和な世で長生きをするのが良しとされた。だが、万人全てが健康な老後を送れるとは限らない。曾祖母がそうだった。曾祖母は70代までは病気を乗り越えながら元気だったそうだが、80を超えたあたりに脳梗塞を患った後はそれまでが嘘のように、心身が急速に衰え始め、10年後に死亡した。晩年に私にボソッと言った『こんなになるまで長生きはしたくなかった』という言葉は認知症が進行し始め、子達に疎んじられ始めた老人の心の叫びに思えた。それ以降、長生きを喜ぶ風潮に疑問を持ったのである。
「提督のご家庭は色々あったんですね」
「俺達は決して裕福じゃない家庭で育ったからな。海外旅行も数年おきに行ければ御の字なくらいの暮らしだったし、ひーばーちゃんが晩年にボケたせいで、カーチャンのストレスが溜まって当たられた事も一度や二度じゃない。そんな人生だったから、それを変えたいところもあって軍に入ったんだ」
そう。私が軍に志願した理由は自分の環境的事情も含まれている。榛名に話したのは、私が完全無欠の男ではないことを知ってもらいたいからであった。あまり私事を言うのもなんなので、話題を切り替える。
「そういえば戦艦達の艤装の近代化はどうなった?」
「確か機銃をファランクスに変えて、ミサイルと戦闘システムデータ・リンクを確立させてる途中です。大和と長門は優先的に武装が新造されていたので、直に投入できます」
「そうか。奴さんにはいい抑止力になる。うちらがかつてのインペリアルネイビーの栄光を取り戻した事を示せるからな」
「帝国海軍最盛期の1942年初頭頃は無敵でしたからね。そこからの急転直下は悪夢でしたけど」
「この戦に勝てば国際秩序は1930年代に時間が巻き戻る。中国の常任理事国解任が議決されたし、日本がその穴埋めになった。中国が戦争おっ始めたのを見かねた他の常任理事国が国連憲章を改正に踏み切ったからな」
――この戦争で米以外の常任理事国は総じて局外者としてのスタンスを保っている。それは21世紀を迎えて久しい現在、他国の争いにむやみに介入すれば国内外から激しい政権批判に晒される可能性が大きいからで、唯一、アメリカに親しい英国が物資面で日本を援助する程度に留まっている。常任理事国解任は史上初であったが、形骸化していると陰口が叩かれて久しい国際連合も重い腰を上げたという事だ。日本が常任理事国になることは敵国条項などを根拠にこれまで中国などの反対で頓挫してきた。だが、前大戦から100年を数え、人間の世代交代が進んだ事と、戦争で被害を受けたとされる東南アジア諸国が日本を支持した、いつまでも常任理事国が第二次大戦の戦勝国だけでは『国連は形骸化した』との悪評を打ち消せないと常任理事国そのものが判断したなどの理由で、改定に伴う、中国の解任と日本とドイツの常任理事国への任命がなされた。これは日本の政治的地位が戦前の五大国時代のものへ戻った事を内外へ示す絶好の機会でもあった。旧南方の国々が小国故の経済不振に悩まされ、国そのものが立ち行かなくなったという現実的理由で、かつての宗主国の一つであった日本へ帰属したがっているとの報も日本政府には舞い込んでいた。アメリカもこれには懸念を示さなかった。自らがかつてほどの力を振るえなくなってきている事を自覚しており、軍事的にも復興が進んだ日本に太平洋の防衛を肩代わりさせる事で、アメリカを戦争調停の負担からある程度開放させるという論調が普及したからだ。
「よく国連が認めましたね?」
「国連は組織そのものの腐敗が酷く、賄賂だとかの裏工作が横行していて、敗戦国がいくら貢献しようとも常任理事国入りは無理という、ほとんどATM扱いだった。その状況が21世紀の今まで続いている事が国連が100年を数えた今、問題になってんの。それで常任理事国が重い腰を上げたわけだ」
「なんでも自分たちに都合のいいルールを変えるのは嫌がるですね」
「うちらだって、GHQの命令がなければ軍隊は当初の指令通りに消滅していた。その時に複数の政府官僚がマック元帥に直談判するほど揉めたそうだ。官僚は自分達の思うがままに戦後の国を作りたかったからな」
「話に聞きました。吉田外務大臣に大命降下が最後に下ったそうですね?」
「そうだ。あの人が戦前体制を葬送した総理大臣になる。軍隊存続は嫌がったそうだが、東西冷戦が既に始まっていたのと、国内で共産主義礼賛が吹き荒れたのとお隣の国出身の人達の暴虐非道に嫌気が指して、容認したのさ。ただし、要請で陸軍士官学校卒以外の、幼年学校にいた連中は再編を名目に殆ど追放されたけど」
「ゴタゴタがあったのですね?」
「海軍だけでも、海保との対立や予算の取り合いがあるしな。それで戦艦の保有は諦めた経緯がある。今じゃそれは叶ったがな」
――軍隊が一転して存続した原因は東西冷戦が1945年9月中には表面化したのが主因である。その時に日本政府による武装解除をさせぬため、米軍が旧帝國陸海軍を一端指揮下に置いた上で、残存軍備と人材をある程度保全させたのが国防軍の正確な起源である。その際に残存艦艇の大型艦は旧式艦も多かった故に資材行きか、賠償艦行きとなったモノも多いが、隼鷹や葛城、酒匂などの一部の艦は戦後も軍に属した。(隼鷹は日本郵船とのゴタゴタがあったものの、結局、細部まで軍艦化してしまったがために、客船復帰は不可能と言うことで、空母のまま軍籍に留まった。酒匂は、次姉の能代の名を持つ能代型という形で、戦後の軍の艦隊・戦隊旗艦として、従妹の改阿賀野型が四隻ほど建造がなされ、朝鮮戦争で活躍した。その過程で人員整理もかなり行われた。葛城は『橘花載せるつもりだったからいけるいける』という希望的観測で初期ジェット機を積んだ時期がある。このように、防軍初期のゴタゴタは語りぐさだ。そして、今、有力だった船たちは続々と転生してきた。これにより日本海軍は往年を凌ぐ科学力で相応の装備を与え、中国軍との衝突に備えようとしていた。
「近いうちに観艦式がある。お前らのお披露目はその時だ。上は存分に見せつけることで戦力誇示を狙っている。何せ艦娘がいるのはうちらだけだしな」
「でも他国にも現れる可能性がありますよ?例えばビスマルクとか」
「来ても今のドイツがナチスの国威発揚のシンボルだったビスマルクを受け入れるか?鉤十字にすら今でもアレルギー体質あるんだぞあいつら。もし現れたらうちらで受け入れるしかあるまい」
「ナチス・ドイツは戦後は極悪軍団の認識ですからね。今のドイツには邪魔者でしかないでしょう。でも、ビスマルクは祖国を愛してるでしょうし……」
「ドイツはうちら以上に戦前にアレルギー体質だからなあ。ティルピッツ共々亡命を余儀なくされるやもしれん」
私はかつての同盟国の象徴であった最大最後の戦艦が転生したとしても、祖国に行き場がないだろうと考えた。ナチス体制をタブー視する今のドイツはビスマルクを受け入れないのは容易に想像できるし、それどころか秘密裏に処理しかねない。私は憂いた。それが枢軸国のボスであった国ゆえの宿命かもしれないからだった。
――空軍飛行隊は武蔵達の上空支援に駆けつけた。前進翼を持つその姿に、武蔵は大戦からの時の経過を感じる。
「本当にジェット機を見ると、時の経過を感じるよ」
「本当にそうやなぁ……でも敵が支那ってのが一番驚きやで」
「支那は日本が弱体化した後に台頭した。ソ連邦が倒れても市場経済化する事によって命脈を保ったからな。ルーズベルトの一番の失策だよあれは」
――そう。中国を太平洋戦争時に支援したのはいいが、その後の内戦で共産化し、アメリカの体制に挑戦してくるまでに成長してしまった。アメリカは『こうすればよかったんや!』的な結果を招く事が多々ある。兵器開発にしても、21世紀前半での失敗が有名だ。結局、F-22は少数生産に終わり、F-35は詰め込みすぎで開発が遅延したのに愛想を尽かした国も多く、日本が配備した分を除けば、予定の半分にも行かない数しか生産がなされなかった。テロ組織の掃討にA-10が重宝されたため、退役が撤廃され、再生産までなされた結果、未だ現役だ。F-35は器用貧乏の烙印を押され、日米共に次世代機が予想より早く具現化したことで2030年代初めに退役した。これはアクティブステルスの実用化でパッシブステルスが陳腐化し、更にF22よりも高次元の機動性能が発揮可能になった次世代機が早期に現れたためである。過剰にステルス性能を追い求める必要が薄れた事が、第5世代機の運命を暗転させたのだが、このようにアメリカの失策は政治的にも、兵器開発的にも多いという事だ。
「しかしだ。万が一水上戦闘になったらどうするんだ?」
「制空権を取ってもらったら適宜、殲滅する。戦艦の重装甲を今の奴らに見せてくれる。ミサイルがなんぼのもんだ」
――ベトナム戦争などでも言われているが、徹甲弾に対しての防御を前提の重装甲を纏う戦艦はたとえ対艦ミサイルでも倒し得ないというものがある。満身創痍の長門でさえ原爆を耐えぬいたという事を武蔵は知っていた。それ故に、元々、それをも超越する超重装甲を持つバイタルパートを誇った大和型戦艦である自らに自信を持っていた。長門もそれに同意する。護衛艦の艦砲や警備艇の銃撃を食らったところで、戦艦である自らには屁でもないからだ。潜水艦の行動は戦後に鍛えられた対潜部隊のカモである。武蔵の自信はそこにあった。
『お嬢ちゃん達。上空援護は俺達に任せな』
『間違ってもレイテは御免だぞ?』
『ハハハ、分かってる』
空軍からの通信に皮肉めいた言葉で答える武蔵。上空援護の無い戦艦などタダの的であるのはレイテ沖海戦の自らでよく分かってるからだ。豪華客船の客らは日本海軍の護衛に疑心暗鬼になるものも多数だが、船長から『日本海軍の秘密兵器を持つ少女』という事でひとまず収まっている。瑞鳳が豪華客船船内で説明役を行いつつ、空軍は艦娘の援護。役割分担はなされている。中国海軍の艦載機らしき反応が捉えられたのはまもなくだった。
『お嬢ちゃん達、中国軍の戦闘機らしき反応があった。これから戦闘に入る』
『了解。空軍か?』
『いや、海軍の空母からの艦載機だろう。中国本土の基地から日本まで飛べる機体は無いはずだからな。空中給油機を使う手もあるが、面倒くさいからな』
これが中国軍と日本軍の初衝突であった。武蔵たちの初陣はひょんなことから開始されたのであった。
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