短編『追憶の撃墜王』
(ドラえもん×多重クロス)



――501は大別されて、二つに分類される。まずは結成当初から1944年までの編成の当初の編成、1945年以降に活動した『航空軍編成』の時期。後者は旧・502と504、更には第34統合飛行隊すら取り込んだ編成が許可され、大戦中は無敵を誇った。これは宮藤芳佳の娘(次女)である『凱子』が16歳を迎えた1970年代初頭に親世代から聞き取り、彼女が1997年頃に出版したノンフィクション戦記からの抜粋である。










――私の母、宮藤芳佳は第二次ネウロイ大戦と第一次世界大戦の撃墜王であった。地続きの戦いであるこの大戦は人類の科学力を急激に高めた。太戦前は1000馬力にも満たない航空魔導エンジンは、1944年には2000馬力に達し、ついにはジェット魔導エンジンに取って代わられた。母はその過渡期の時代にウィッチとなった世代である。母は当時に『リバウの貴婦人』と謳われた撃墜王『竹井醇子』にその才を見出され、『扶桑のサムライ』の異名を持っていた『坂本美緒』に基礎を叩きこまれていった。戦いについては自己流も多かった母だが、後の空軍高級将校として腕を振るう『穴拭智子』、『黒江綾香』、『加東圭子』の三人の薫陶を受けた。この三人は現在は中将や少将になり、もう50代というのに外見は私とそれほど変わりなく、しかも先のベトナム戦線にも参陣していたというのだから驚きだ。


彼女の時代でも若返り作戦は極秘事項に属し、当事者以外には知られていなかった。そのため、1970年代初頭時点では『大戦時の尉官』が前線に出る事も珍しくは無く、ウィッチの不文律であった『20で軍を退役』も過去のモノとなりつつあった。この時期、インドシナ騒乱が終戦した扶桑皇国は第4世代ジェットストライカーの主力選定を行っていた。先の騒乱でF-4EJの機動性不足が問題視され、同時に参戦していたリベリオン合衆国空軍が実用化した3つのジェットストライカーに絞られていた。まずはグラマー社の『F-14』。数十年の月日を経て実用化に成功した『可変翼戦闘脚』である。次に『F-15』。これは格闘性能を強化した機体で、当時としては群を抜いた推進力と機動力が武器だ。最後に『F-16』。これは軽量と運動性能が武器だ。事実上、この3つが扶桑の次期主力候補であった。







――私の母はそもそもは診療所を継ぐつもりで、軍人になるつもりはなかった。だが、祖父の死因を調べるうちに、軍に志願したらしい。大戦中は母が炊事や家事を担当したらしい。隊ではリネット・ビショップ元中尉や、菅野直枝大尉(後に大佐)と編隊を組んでいた。大戦が激しさを増した1945年以降は菅野大尉の編隊で固定化され、以後は終戦までその編成だった。母は菅野大尉の護衛役として配され、その役目を果たした。私が生まれたのは大戦が終わって2年後あたり。第二子である私は母が持っていた才能のうち、軍人としての才能を受け継いでいた。それで空軍へ志願したのだ。

――宮藤芳佳の才能は、長女には治癒魔法の才能が、次女に戦闘技能がそれぞれ分かれて受け継がれた。次女の凱子の初陣はベトナム戦争中盤で、太戦時の母親より若い年齢であった。彼女は母親とは異なって、固有魔法は攻撃的である。だが、母親から受け継がれた飛行技術で相応のスコアを挙げた。愛機は当時は旧式化しつつあった『F-8』と『F-4EJ』であった。










――1965年 ベトナム(大戦終結後、ガリア共和国はこの地から追い出され、独立された)
太平洋戦争から20年が経過したこの年、ベトナム戦争は本格化した。地球連邦軍は第一機動艦隊を派遣して、これに対応(地球連邦での日付は2210年)し、連合軍は扶桑とリベリオン合衆国が主体であった。黒江は当時、43才。四十路に入って壮年期真っ盛り……と思いきや、10代から20代の頃と変わらぬ若々しさを保っていた。

「黒江綾香少将閣下にぃ〜敬礼!」

彼女は少将に任官されて5年が経過していた。将官でありながら前線で戦うのを好み、当時は『F-4EJ』を愛機としていた。執務室につき、椅子に腰掛ける。

「ふう。源田の親父が引退する前に機銃装備を撤廃しなかったおかげで、うちらの損害率は低い。リベリオンの奴ら、史実通りにミサイル万能論にハマったから負けるんだな」

この時、先に亡命リベリオン合衆国軍が派遣されていたが、ミサイル万能論に泥酔する彼らはネウロイや本国政権軍に対し、ミサイルを撃った後は無力であり、逃げ惑うケースが続出した。それを他山の石とした扶桑は機銃装備を撤廃しなかったが、吉と出たのだ。

「言ってくれるじゃないの」

「シャーリーか。久しぶりだな、何年ぶりだ?」

「大戦以来だから10年ぶりくらいっスよ」

「そうか、もうそんなか。気がつきゃ孫いても不自然でも無くなってきたぜ。もうわたしゃ五十路だよ」

「外見と中身が一致しないって例っすよ。あたしだって、もう3人の子持ちですぜ」

「そうか。もうそんなか……今じゃ外見が若い頃のままだから、後輩からは不思議そうに見られてるぜ」

「お互い様ッスよ」

「確かにな」

――そう。普通であれば、二人共そろそろ老いが表れている年齢である。だが、若いうちに普通でない方法で鍛えあげていた二人(一度若返ったのも有効だった)は、概ね若い頃の容姿を保っていた。魔力も枯渇することが無くなった(ゲッター線が異常までに濃い未来世界に長くいる事で、極稀にリンカーコアが体内に生成される者が生じる。確率は決して高くはないが、二人は幸運にもその恩恵を受けた)ので、友人の中に退役者が出ても、軍に残り続けているのだ。この時のシャーリーの階級は中佐。飛行隊司令を拝命しており、部下を率いる指揮官となっていた。三人の子持ちでもあり、長女は母の後を追うようにウィッチに覚醒したとの事。

「ベトナム戦争に従軍するなんて思わなかったッスよ。同世代の奴の多くは軍を離れてますから」

「大戦の経験者は今や扶桑でも数えるほどしかいない。みんな一線から退いて要職についてたり、『普通』に退役していったしな。私達みたいなのは特殊だ。若い奴らにいっちょ大戦経験者の腕前を見せてやろうぜ」

――黒江は軍の世代交代による平均練度低下により、一線部隊に隊列を組める者がもはやいなくなっていた。要職についた圭子と智子(共に航空群司令)などの人員を動かすわけにもいかず、第4代空軍総司令となっていた江藤敏子(二度目は退役せず、体質も変化した故にこれまで、初代司令の源田実含めて。海軍飛行隊出身者が続いたが、陸軍飛行戦隊出身では初の空軍司令官になった)大将はその対応に苦慮しており、シャーリーに依頼したのである。

「相変わらずだねぇ。まっ、久しぶりに実戦だから、鈍ってないといいんだけど」

とは言うものの、やはり体が覚えていたようで、この時期の標準ストライカーであるF-4を操ってみせた。ただ、旋回半径が大きいのは不満気であった。ある日、共に隊列を組んで飛行していると……。

「クソ、小回りが効かねー!コレだからF-4は……!」

と、小回りの効く敵機に追従しきれずに取り逃がす事に思わず悔しがるシャーリー。次世代型の第4世代ジェットストライカーであれば、未来世界のISに匹敵する運動性能を手に入れている(逆に言えば、ISの機動性にジェットストライカーが追いつくのに数世代の進化と20年の歳月をかけた事でもある)が、ミサイル万能論(ミサイル万能という考えがリベリオン軍に強かった表れ)の全盛期に設計されたF-4では、格闘戦に対応しきれないのだ。それでも爆撃ウィッチの使う『F-105』などよりは生存率が高く、戦役では一刻も早く機動性の高いジェットストライカーの配備が望まれた。





――かつてより導入コストが遥かに増したジェットストライカーはおいそれと予算がついて量産可能な代物では無くなった。最新鋭の『F-14』、『F-15』、『F-16』の三機種はまだ先行生産機が本国で運用試験中の段階であり、扶桑含めた各国で生産ラインの確保と改変中でもある。とても戦線配備など無理な段階だった。母も戦線ではとても苦労したという……




――ある日のとある前線基地

「黒江さん、逃げられちゃいました……」

「お前の腕でもF-4では無理か……。F-15か16がありゃな……。戦術は工夫しているが、ミノフスキー粒子のおかげで、向こう側のベトナム戦争以後みたいなレーダー網は造れんしな」

「最近の奴らはミサイルを二重に外殻を持つ事で耐えてくるからな。フルアーマーガンダムかつーの」

「最近は刀も持ってない子がいるんですね、驚きました」

「ああ、前の総司令の派閥がミサイル万能論の信者でな。政治家とつるんでカリキュラムを変えちまったんだよ。まぁ、初っ端からこの様だから、江藤隊長がドックファイトも教える方式に戻したんだけどな」

「間に合いますかね?」

「そうなれば御の字だが、教育ってのは直に結果が出ないからな。今あるのでやりくりするしかないな」


――扶桑空軍も実戦経験者と、大戦を経験していない官僚軍人と政治家とでは大きな隔たりが存在している証だった。実戦経験者ほどサブウェポンを重視するが、政治家や官僚軍人は基本装備を信仰する。あまりの損害に軍上層部の首が飛び、大戦を前線で経験した、当時の年長組が急遽要職に抜擢された。それは大成功であり、戦術カリキュラムの改善、戦闘機兵器学校の設立などが、リベリオンと同時期に行われた。1966年のことであった。この年、統合戦闘航空団の投入も視野に入れられたが、平均練度が大戦当時より低いのを軍の一部が不安がった。そのため二の足を踏む状況であった。



「統合戦闘航空団の投入が見送り!?」

「何故だ!現時点最高のウィッチなのだぞ!?」

「現時点と言っても、平和が長く続いたこの時代のウィッチは大戦当時より練度が低い。大戦経験者らを送り込むことこそが最善ではないのか?」

――議論は紛糾した。しかしどの国も大戦経験者は殆どが軍を離れている時代故、結局は統合戦闘航空団の投入が採択され、隊員の再教育の終わる1967年ごろとされたという。だが、それでも実戦経験皆無に等しいというのは不安材料でしかなく、母達が戦線を支え続け、統合戦闘航空団の人員が派遣されてくる頃には戦線はほぼ決した頃で、『戦場を見学に来たのか』と揶揄されるほどだったのは言うまでもない。結果、ベトナム戦争は領土喪失こそ免れたが、事実上の敗北に終わった。1972年頃である。人員損失が膨大だったのだ。この損失が補填され、航空ウィッチの人数と質が軍事的に回復するのはここからさらに20年以上の月日が経った1995年を待つ事になった……。


――1998年初頭

「おばちゃん、作って〜」

「お、なんだ?ミニ四駆か……ちょっと待ってろ」

黒江綾香は軍を中将で退役し、1990年代以後は隠居生活を送っていた。この日は実家の三兄(黒江には兄が三人おり、その内の三兄に孫が生まれていた)の孫の面倒を見ていた。彼女の容姿は飛天御剣流の効果で、未だ20代に見える(服装はいつまでも20代のままにはいかなくなり、70に入った後、せめて外見より+5歳ほどの30代前半に見えるように変えるようにと、長兄に咎められたとの事)若々しさを保っていたが、実年齢の問題もあり、あまり若者に混ざれなくなったのを残念がっていた。この頃には年齢的に、軍同期の仲間内から死亡者が出ることも珍しくなくなった事もあり、どこか寂しげな顔を見せることが多くなった。

「ほらよ」

――大甥にミニ四駆を作ってやり、人払いすると、彼女は久しぶりに携帯で連絡を取る。連絡先は圭子だ。

「ヒガシか?お前のほうはどうだ、最近?」

「同期の一人の葬式からの帰り。周りからは孫だと思われたわよ」

「私達は肉体が若々しいままだからな。あれの心得を得たら不老なんてね。比古さんの若々しさの理由が歳食ってからわかったよ。お前なんて、もう90に手が届くだろ?ひ孫いても違和感無いぜ?」

「理由知らない近所には、それで通してるわ。兄弟の血筋が絶えて、実家の跡継ぎが私しかいなくなっちゃってね……15年前に実家の遺産を相続したのよ。その時はドラえもんに頼んで、歳相応の変身して誤魔化したわよ」

「出かけるときどーしてんだ?」

「普通にひ孫とか言って、誤魔化してるわよ。服装もそれらしいのにして、ね」

「お前なぁ。私なんて、一番上の兄貴に服装を注意されて、今は30前半の服装で通してんっていうのに……」

「ハハ、大変ねえ」

「だろ?その上の兄貴も5年前に他界して、二番目の兄貴は大病してから病院生活だし、三番目は孫の面倒を頼んでくるんだ。息子夫婦が海外旅行好きで、今週はパリなんだと」

「それじゃ私が芳佳と一緒に手伝いに行くわ。芳佳も今は孫ができて、暇らしいし」

「やれやれ。あいつもそんな年か。年食ったなあ、私達」

「もう90年代も終わるもの。まさか若い容姿のままで、この年まで生きるとは思ってもみなかったけど」

「お互いにな」

「穴拭の奴は?」

「智子なら、かき氷の食べ過ぎで腹壊して寝込んでるわよ。武子が看病してるって、電話入ったわ」

「〜〜あいつは限度知らねーのか?」

「なんでも近所の大食い選手権に出たんだって」

「そうか、サンキュー」

黒江達もこの時代には70を超える老婆になっているはずであるが、肉体が若々しいため、20代までの生活リズムを変えていないのが伺える。軍を相応の階級(将官と佐官)で退役したあとは、それぞれ別の生活を送る傍ら、時たま連絡を取り合っているのが分かる。軍からは講話やデモ飛行のバイトが定期的に来るので、軍との繋がりが消えたわけではない。今の軍は1960年代に教えた後輩世代が中枢に入り込んできてる事もあり、その気になれば連絡一つで空軍一個航空軍を動かせるだけの影響力は依然として維持している。

「んじゃ待ってるぜ」

圭子との電話を取り、大甥が来るまで読んでいた本を再び取る。それは自分のことも言及されているノンフィクション戦記。その名も追憶の撃墜王……。



――了



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