黒百合の機体は最後に格納庫に収納された。

 機体から降りた黒百合を待っていたのは、決まりの悪い表情をしたパイロット三人娘とウリバタケ等整備班の面々だった。

 おずおずと、リョーコが口を開く。

「く、黒百合……その……わ、悪かったな」

「…………」

「つい……その、カっとなっちまってよ。オレ、こないだからイライラしてたから……」

「…………」

「だ……だからその……だ、黙ってねえで何とか言えよぉ……」

 無言の黒百合に、堪りかねて音を上げるリョーコ。ヒカルやイズミ、ウリバタケ等も、雰囲気に飲まれてただ押し黙っているだけである。

「黒百合さん……」

 様子を見守っていたイツキが、黒百合の傍まで歩み寄ってその名を呼んだ。

 複数の視線に注視され、黒百合は諭すように言葉を紡ぐ。

「気が付いたのならいい。だが忘れるな。自覚なく振るわれる力は、容易に人を傷付ける。それだけは、忘れないでくれ……」

 その言葉の一つ一つにどれだけの想いが込められているか、その場にいる者に図り知れるものではなかった。

 だがそれでも想像は出来る。黒百合は、そんな理不尽な力によって、何か大切なものを奪い取られてしまったのではないか……

 黒百合の言葉はすべての者に染み渡る。自戒の念から、俯いた頭を上げる事が出来ない。

 そんな重苦しい空気は、他ならぬ黒百合自身の言によって破られた。

「ん?」

 ふと感じた違和感から、怪訝な声を上げる。そして、その原因に他の者が気付くのにも、大した時間はかからなかった。

「お、おい、なんか……」

「ナデシコが傾いてない?」

 ヒカルの言葉を合図にしたように、コンテナが壁に向かって滑っていく。ハンガーにロックされているエステバリスはともかく、固定されていない機材 が一方向に転がっていった。

「お……おおおおおおっ!?」

「だあああああああっ!?」

 とうとう立っていられなくなり、整備班達が今や床になった壁に転げ落ちていく。

 たちまち格納庫内は、阿鼻叫喚の様相を呈した。

「きゃあっ!」

「おっと」

 バランスを崩したイツキを、黒百合が片手で抱き留める。もう片方の手は手摺を握りしめ、二人分の重量を支えていた。

「大丈夫か?」

「あ、はい……」

 黒百合の顔が間近に迫り、ぽっと顔を赤らめるイツキ。しかしそれも束の間の事だった。

「だあっ!?」

 がしっ!

「おっ」

「きゃぁ〜っ!」

 だきっ!

「うっ?」

「ふ……」

 ぐわしっ!

「うおっ!?」

 落ちてきたリョーコ、ヒカル、イズミが次々と黒百合にしがみつく。妙齢の女性四人に抱きつかれて、男ならば涙するようなシチュエーションだとウリ バタケ辺りなら言うだろうが、生憎と黒百合にはそんな余裕はなかった。

「は、離すんじゃねぇぞ、黒百合!」

「……流石に四人を片手で支えるのは辛いぞ」

「も、もうちょっとがんばってねぇ〜」

 黒百合の苦行は、ルリが艦内の重力制御を行ってない事に気付き、再び作動させるまで続く事になる。

「ち、畜生、何であいつばっかり……」

 整備班の面々ともつれて何やら複雑に絡み合って目を回しているウリバタケが、それでも恨みがましそうに呻き声を上げていた。

 

          ◆

 

「いてて……重力制御くらいしろよな……」

 ナデシコ食堂の厨房にて、アキトはぼやきながら身を起こした。宙を飛んだコップが当たったおでこを押さえながら周囲を見渡すと、同じく倒れている サユリを見つけた。

「テラサキさん、大丈夫?」

「だ……大丈夫……」

 まだ目を回しているのか、若干焦点の合わない瞳でこちらを見返すサユリ。アキトは彼女の手を取って引き起こした。

「よっと、大丈夫?」

「あ……うん。あ、ありがとう、テンカワさん」

 手から伝わる温もりに、ぱっと頬に朱を散らせるサユリ。しかし肝心のアキトはそんな事には気付かずに、周囲の有様を見て額を押さえた。

「うわ……酷い事になってるなぁ……」

 戦艦内にあるだけあって、ナデシコ食堂内の収納器具は、対衝撃性を重んじている。その甲斐あって食器棚から食器が飛び出して散乱するなどという事 はなかったが、洗い終えて積み重ねてあった皿やコップが倒れ、厨房は酷い有様だった。

 幸い容器は硬化プラスチック製なので割れる事はなかったが、それでも片付けて洗い直す手間を考えると目眩がするアキトだった。

 まったく、調理中でなかったのが不幸中の幸いである。

「ほら、あんた達、大丈夫かい?」

「あれ〜、ホウメイさんが三人いる〜」

「ちょっとミカコ、しっかりしなさいよ」

 ホウメイ達も無事だったようで、皆起きあがって首を振っている。

 何とか落ち着いたサユリが、ふと首を捻った。

「……一体、何があったのかしらね?」

「……きっと、ユリカがまた何かやらかしたんだと思う……」

 げんなりとした表情でアキトが言う。ユリカの名前が出てきて、サユリは眉をひそませた。

「艦長が?……どうして?」

「ユリカの事だから、艦内の重力制御をするのを忘れたんだ、きっと」

「……でも艦長って、軍人学校のエリートさんだったんでしょ? そんな事忘れるかしら……」

「エリートだろうと何だろうと、ユリカはそう言うポカをやるんだ。そういう奴なんだよ……」

「そ、そうなの……?」

 ぴんぽんぱんぽ〜ん♪

『ブリッジよりお知らせしまーす。

 火星宙域での戦闘は終了しました。第一級戦闘配備は解除し、第二級警戒態勢に移行して下さい。

 これよりナデシコは火星大気圏内に入ります。手の空いている人は窓から外を見てみてください。大気中のナノマシンがキラキラ光ってキレイです よー。

 ちなみに先程ナデシコが傾いたのは、艦長が艦内の重力制御を忘れていたせいです。各部署、被害状況をブリッジまで報告して下さーい』

『あー、酷いメグちゃん! ユリカのせいだって事、内緒にしておいてって言ったのにー!』

『え〜、でも〜、嘘は行けないと思います〜』

『ちょ、ちょっと二人とも、まだ放送繋がってるわよ……』

『え? あ、ホントだ』

 ぶつっ。ぴんぽんぱんぽ〜ん♪

 放送が途切れ、二人は顔を見合わせた。

「…………ほら、ね?」

「あ、あははははは。……テンカワさんって、艦長の事はよく解ってるのね」

「ああ、昔よく、あいつのポカに巻き込まれてたから……」

「そういう事を、言ってるんじゃないんだけどな……」

「え? 何?」

「何でもない……」

 がっくりと項垂れるサユリ。

「がんばって、サユリ!」

「あきらめちゃ駄目ですぅ」

「まあ、ほどほどにね」

 ホウメイ・ガールズはおろかホウメイにまで慰められて、ますます沈み込むサユリだった。

 そしてやっぱりそんな事には欠片も気付かずにアキトは、

「火星、か……」

 一人、その瞳に決意の色を滲ませていた。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第18話

「再逢」



 

 戦闘配備が解かれて一段落ついたブリッジにて。

 艦内の重力制御を忘れていた事を方々から追求されたユリカは、涙目になってブリッジの隅でいじけている。

 それを視界から外したプロスが、こほんと咳払いを前置きにして本題を告げた。

「これからナデシコは、オリンポス山にあるネルガルの研究施設に向かって頂きます」

「そこに何があるの? プロスさん」

「我が社の研究施設は一種のシェルターになっていまして……現時点では、生存者のいる確率が一番高いのですよ」

「で、ついでに研究データも持って帰るってか? 抜け目ねぇな」

「はっはっは、ネルガルは営利企業ですから。

 それで、何名か調査員を派遣するのですが――」

「揚陸艇ヒナギクで施設に降りる事になる。メンバーは既に選抜済みだ。

 私とミスター、それに有事の際の戦闘も考慮に入れて、パイロットからカザマ、スバル、マキの三人に同行して貰う」

「私ですか?」

 名指しされたイツキが、キョトンとしてゴートを見返す。

「そうだ」

「戦闘もあり得るのでしたら、私より黒百合さんの方が適任なのでは?」

「黒百合さんには、手薄になるナデシコの守りを行って頂きます。何しろ、黒百合さんが居ると居ないとでは、戦力がまったく変わってきますからな」

「黒百合さんに任せておけば、ナデシコも安心よね〜♪」

 にっこりと笑って頷き会うミナトとメグミ。蹲って床にのの字を書いているユリカを全く意に介していない処が、彼女たちの信頼が誰にあるかを如実に 表している。

「黒百合さんも、よろしいですな?」

 プロスペクターが黒百合に念を押すように問い掛ける。

 実は、黒百合を施設に同行させないのは、先程プロスが言った他にも理由はある。

 何しろ黒百合の正体はまったく知れていない。彼はクリムゾンに恨みがあると言っていたが、それすらも本当なのかどうかも判明していないのだ。

 このスキャパレリ・プロジェクトに置いて、火星で行われていた先端の研究データを持ち帰るのは、2番目に優先順位の高い項目である。黒百合の目的 が不明である以上、火薬庫の近くに火種を持っていく様な真似は、極力避けなければならなかった。

 それらの裏の事情も察した上で、黒百合は頷いた。

「……ああ、不服はない。当然の配慮でもあるしな」

「……察して頂けて幸いです。それでは、早速ヒナギクに……」

 プシュッ。

 締めようとしたプロスの背後でハッチが開いた。そこからおずおずと顔を出したのは、このナデシコで唯一黄色い制服に身を包んだ男性である。

「あの〜、ちょっといいスか?」

「アキトっ♪」

 即座に復活したユリカが声を弾ませる。

「どうしたテンカワ、今は作戦会議中だ。出前を届けるのは後にしろ」

「いや、出前を届けに来た訳じゃないんスけど……ちょっとお願いがあって……」

「後にしろ。もうすぐ終わる」

 仏頂面でアキトを追い返そうとするゴートを、プロスがやんわりと押さえた。

「まあまあゴートさん。もう終わる所でしたし、別によいでしょう。

 テンカワさん、お願いがあるという事でしたが……?」

「あ、はい。あの……俺にエステを一台貸してもらえませんか?」

「は? エステバリスをですか?」

「はい。ユートピア・コロニーを見に行きたいんです」

「そっか、ユートピア・コロニーはアキトとユリカの故郷だもんね! 懐かしいな〜」

 はしゃぐユリカとは対照的に、プロスは顔をしかめる。

「ユートピア・コロニーに? しかしあそこは、第一次火星会戦でチューリップが墜落して、壊滅したはずですが……」

「それでも、見に行きたいんです」

「うーむ。ですが、エステバリスの予備も少ない状態でして、現状でテンカワさんに割ける機体が無いのですよ」

「それにテンカワ、お前はもうパイロット予備の任を解かれている。エステバリスを操縦する権利はない」

「そ、そうっスか……そうですよね……」

 気落ちして項垂れるアキト。だが、思わぬ所から救いの手が差し伸べられた。

「構わん。行って来給え」

「フクベ提督!?」

「誰にでも故郷を見る権利はある。飾りとは言え、私には戦闘指揮権があったはずだ」

「しかし、エステバリスがですな……」

 なおも難色を示すプロス。そこに、イツキが手を挙げた。

「あの……もし宜しければ、私がエステバリスでテンカワさんに同行しましょうか?」

「え、イツキさん?」

 驚いて、アキトはイツキを見返す。

「私も、ユートピア・コロニーに行きたいと思っていたんです。せめて、ケイさんの代わりに……」

「う〜む、しかしですなあ……」

「別に、構わんだろう」

 素っ気ない助勢の声。一同が発言者を振り向き、誰もが驚きの声を上げた。

「「「「「「「ええ!?」」」」」」」

「…………何だその驚き様は」

「も、申し訳ない。少々意外でして……」

 ずれ落ちた眼鏡を直して、プロスが言う。その手は僅かに震えていた。

「……お前等、人を何だと……」

「ま、まあ、黒百合さんがそう仰るなら、許可は致しましょう。ただし……なるべく早く帰還されるようにお願いしますよ」

「は……はい! ありがとうございます!」

 アキトは喜色を顔全体に浮かべ、深々と頭を下げた。

 

          ◆

 

 紫色のエステバリスが火星の空を飛んでいく。時を同じくしてヒナギクもナデシコを離れ、眼下の研究所へと降りていった。ちなみに降下メンバーには イツキに代わってヒカルが選出されていた。

 それをブリッジで見守るクルー達。その中には、黒百合も含まれていた。

「……それにしても、ちょっと意外だったかなぁ」

「……何がだ」

「ん〜、さっきのアキト君の事なんだけど……黒百合さんって、作戦行動中にはあんまり私情を挟まないと思ってたから」

 ミナトが不思議そうに言う。

「別に……私情を挟んだつもりはない。状況を分析して出した結果だ。現時点で、木星蜥蜴が襲ってくる可能性は低い。エステバリス1機程度の戦力ダウ ンなら問題ないと判断したまでだ」

 実を言えば、黒百合にとっては願ってもない展開だったのだ。どんな口実でユートピア・コロニーに足を向けるか、頭を悩ましていた所だったのであ る。

 アキトが行った事で、『前回』同様に、イネスと合流できるはずだった。

「そうなの……でも、イツキちゃんとアキト君が一緒ってのは、良かったの?」

「コックがエステを操縦する訳にもいかんからな。やむを得まい。二人乗りにはエステのコクピットは狭いとは思うが」

「うーんと、そういう事じゃなくてぇ……」

「そうです! 問題ありますよね!?」

 艦長席から身を乗り出して、ユリカが拳を握って力説する。

「若い男女が狭い席にその身を一つに寄せ合うなんて! 風紀上、問題ありです! 艦長として見過ごすわけには行きません!」

「艦長〜? 自分が一緒に行けなかったからって、やっかんじゃ駄目よ〜?」

「うう、やっかんでなんかいないもん……アキトの馬鹿ぁ〜」

「ユリカ……(涙)」

 またもブリッジの隅でいじけだしたユリカの情けない姿に、人知れず涙するジュンである。

 そんな上部ブリッジの二人のやりとりは無視して、メグミがミナトに話を振る。

「そう言えば……艦長も火星生まれなんでしたっけ」

「そうらしいわねぇ……まあ、好きな男のコと思い出の場所に行きたいって気持ちは分かるケド」

「でも、ユートピア・コロニーって、もう壊滅しちゃってるんでしょ?」

「…………だとしても、故郷である事に変わりはない。たとえどんなに姿を変え果てたとしてもな……」

 黒百合の静かな独白が、ブリッジの中に染み渡る。その声に含まれる重みに、一同が沈黙する。ただ一人を除いて。

 しんみりとした空気が漂う中、ユリカが場違いに明るい声を出した。

「そうですよね! ユートピア・コロニーはアキトとユリカの思い出の場所だもん! たとえチューリップで潰れちゃっても、その事に変わりはないです よね!」

「は、はは……そうねぇ……」

 郷愁という感情からはほど遠いユリカの言葉に、ミナトは苦笑いを浮かべるが、それも次のセリフに凍り付いた。

「そう言えば、黒百合さんの故郷って何処なんですか?」

 今度こそ空気が固まった。皆、黒百合の様子を察して、口に出さなかった事柄である。

(ちょっとは場を読みなさいよぉ……)

 冷や汗をかきながら、ミナトは恐る恐る黒百合の様子を窺う。

「俺の故郷、か……」

 ミナトの心配を余所に、黒百合はそれだけ言って押し黙ってしまった。

 ユリカの無神経に対する激発がなかった事にほっとする反面、自分も訊いてみたかった質問の答えを得られなかったもどかしさに、悶々を抱える事にな るミナト。

 押し黙って何もしゃべらない黒百合と、うんうん唸るミナトが発する空気が混ざり合い、何とも奇妙で気まずい雰囲気の漂うブリッジ。

 後頭部に『?』を浮かべてキョトンとするユリカを余所に、その空気に当てられて、プロス達が帰ってくる頃には疲労でへたり込んでしまう苦労人の ジュンだった。

 


 

「やっぱり、何にも無くなっちゃったんだな……」

 墜落したチューリップが突き刺さったままの姿を残すユートピア・コロニー跡に立ち、遠い目をしてアキトが呟く。

 時折吹く風に乱れる髪を手で押さえ、イツキはただ静かにその景色を眺めていた。

 アキトにとっては、生まれ育った故郷。イツキにとっては、初めて黒百合と出会った場所であり、初めての無力感を味わった場所でもある。

「テンカワさんは、ユートピア・コロニーに……?」

「はい。俺は、ここで生まれて、ここで育ったんです。それが、第一次火星会戦の時、落下するチューリップの軌道が逸れて……コロニーは……」

 ぎりり、と痛いほど拳を握りしめるアキト。イツキには彼の感じている感情が分かり過ぎるほどに分かった。

「そう……ですか。……すいません……」

「何で……イツキさんが謝るんですか」

「私も……その当時、火星駐留軍の一員として、火星にいましたから。

 あの時ほど、自分が無力である事を思い知ったことはありません。私たちがもっとしっかりしていれば……」

「そ、そんな、イツキさんは悪くないです。イツキさんが火星の人たちを脱出させるためにがんばったってのは、みんな知ってる事じゃないですか!」

「それでも……私が軍人である事に変わりはないんですよ? ナデシコの人たちは忘れているかも知れませんが……」

「で、でも、イツキさんは、地球を出発する時に、軍を抜けたって……」

「軍隊は、そう簡単に除隊出来るような所じゃないんですよ? 私は、地球に帰還した後、軍法会議に掛けられる事になると思います」

「そんな!」

「軍隊というのはそういうところなんです。でも、後悔はしていませんよ? 私は私の思うままに、望み通りに振る舞う事が出来ましたから」

 にこり、と微笑みかけるイツキ。その澄んだ笑顔に、アキトは頬を赤らめ視線を逸らすと、もごもごと口の中だけで喋った。

「そ、そうなんスか……」

「ええ。黒百合さんにも再会できましたし、こうしてまたユートピア・コロニーにも来る事が出来ました。出来れば、アルカディア・コロニーにも行きた かったんですが」

「……黒百合さん、に?」

「ええ。言いませんでしたか? 会戦当時、私はここで黒百合さんに出会ったんです。そして、アルカディア・コロニーに移り、そこから私はシャトルで 火星を脱出しました。黒百合さんはその時、シャトルの防衛のためにコロニーに残ったんです。

 私がナデシコに乗った理由の半分は、黒百合さんと火星でもう一度逢うためだったんですよ?……まさか、火星に行く前にナデシコで再会できるとは、 思っていませんでしたが……」

 苦笑を漏らすイツキ。だが今にして思えば、予感めいた物はあったのかも知れない。ヨコスカ・ベイで一瞬だけ見かけたあの人影。自分はそれを黒百合 だと確信していたのかも知れない。

「え、あの……今の話だと、黒百合さんは火星に残ったって話ですけど、どうやって地球に?」

「さあ……それは訊いても答えてくれなかったんですけど」

 首を傾げるイツキに、アキトは戸惑うように後を続けた。

「あの……俺も、第一次火星会戦の時に、ユートピア・コロニーにいたんです。チューリップが墜落した後、地下のシェルターに、避難した人たちと一緒 に……」

「え?」

「でも、木星蜥蜴がシェルターの中まで入って来て、俺はトレーラーを使ってバッタを一機潰したんですけど、でも、扉が爆発して、中からたくさんの バッタが出てきて……」

 言っているうちに、アキトの身体が震えだした。当時の恐怖を思い出してしまったのだろう。

 ナデシコに乗ってからは症状が和らいでいるとはいえ、アキトは未だに木星蜥蜴に対してトラウマに近い物を抱いている。体と心に刻み込まれた恐怖 は、容易に拭い切れるものでは無かった。

「もう、誰もいなくなってて、バッタたちは近寄ってくるし、俺は怖くなって大声で叫んで、そしたら目の前が真っ白になって……」

「テンカワさん、もういいです。もういいですから……」

「目の前が真っ白になって、そうしたら、俺、地球にいたんです。ニホンの、サセボに」

「え?」

「何にも覚えていないんです。シャトルとかに乗って火星を脱出したわけでもない。そんな記憶も無いんです。でも、気が付いたらサセボの公園の芝生の 上に寝転がってました」

「火星から地球に? 知らない内に?」

 そんな事は不可能だ。地球から火星までは約6000万キロの距離の壁が横たわっている。事実、最新鋭の技術をつぎ込んでいるナデシコでさえ、3ヶ 月半の月日を掛けてやって来たのだ。

 だがもし。火星から地球までを、一足飛びに結ぶ技術があると言うのなら。それならば、黒百合がヨコスカ・ベイにいた事も説明が付く。

(でも、まさか?)

 そんな事が可能なのだろうか?

 軍部で飛び交う木星蜥蜴の噂。敵母艦であるチューリップ、そこから無尽蔵に出てくる蜥蜴たちに、チューリップは母艦ではなく、一種のワープ・ゲー トの様なものなのではないかという説もある。

(だとすれば……黒百合さんは……)

「……ツキさん、イツキさん?」

 押し黙ってしまった彼女を不審に思ったアキトの声に、イツキは我に返った。

「え、あ……は、はい?」

「どうしたんですか? 急に押し黙ったりして……」

「あ……いえ、ちょっと……」

 曖昧な返事を返すイツキ。今自分が思いついた事を言えるはずがない。もしかしたら、黒百合は木星蜥蜴なのではないか、などと。

 そんなはずはない。木星蜥蜴は無人兵器だ。それに、黒百合は蜥蜴を破壊するのに躊躇はしていない。彼が木星蜥蜴であるはずはない。

 だが……木星蜥蜴について、自分の知らない何かを知っているのではないだろうか。彼がナデシコに乗って火星に向かうのも、それが理由なのだろう か。

 俄に胸に沸き上がる不安を持て余し、イツキは知らぬ内に歩き出していた。

「イツキさん?」

「ちょ、ちょっともう少しコロニーに近付いて見ましょう。何かあるかも知れませんし」

 どもりながらもそう告げる。アキトが付いて来ているのを気配で感じながら、イツキは自分の思考に没頭した。

 自分は一体何をこんなに不安に思っているのだろう。何故、こんなに胸がざわめくのだろう。

 いや……本当は分かっている。もし、黒百合が敵であったら……自分は、黒百合に銃を向ける事は出来ないだろう。そんな場面を考えただけで、耐え難 いほどに胸が締め付けられる。

(私は……黒百合さんが……)

 ぼこっ。

「「えっ?」」

 気の抜けた音と共に、足下が突然喪失した。

「きゃあっ!?」

「おわあぁぁぁぁっ!?」

 己の思考に囚われていたイツキは成す術もなく落下した。

 浮遊感。そして衝撃。

 どし〜ん!

 結構派手目な音が上がった。

「いたたたた……」

 何とか受け身を取ったものの、痛いものはやっぱり痛い。

「テンカワさん、大丈夫ですか?」

「は、はい。何とか……」

「ここは……地下シェルター? 地表部分が脆くなってたんですね」

 見上げると、高さ4メートルほどの辺りにぽっかりと穴が開いている。崩れ落ちた土がクッション替わりになったらしい。大した怪我がなかったのは幸 運と言えた。

 埃を叩いて立ち上がると、イツキは周囲を見渡した。明かりは天井の穴から注ぐ太陽の光のみで、周囲は薄暗く視界は悪い。

 その暗がりの向こうから、あり得ないはずの誰何の声が上がった。

「誰だ!?」

「えっ!?」

 驚いて見返すイツキとアキト。こちらに向けられるライトの光に目を細めながらも相手を窺った。

 声の持ち主は男性だった。ライトを手に持ち、こちらを照らしている。声からしてまだ若い。その背後には、幾人かの人影も見られる。

「生き残り……シェルターに避難していた人たちが残っていたんですか?」

「何者だ? 答えろ!」

「わ、私は連合宇宙軍中尉のイツキ・カザマです。ネルガル所属の機動戦艦ナデシコより、あなた方を救出に上がりました」

「イツキ……!?」

 少年が、動揺したような声を出す。ライトの光が消え、逆光によって隠されていた少年の顔が見えるようになった。少し癖のある短めの黒髪に、やや幼 さの残る顔立ち。それを見て、イツキが戸惑いの声を上げる。

「え……?」

「イツキ……イツキなのか!? 良かった、無事だったんだな!」

「カイト……カイトなの!?」

 駆け寄ってくる少年に、イツキは呆然として彼の名を呼んだ。そして次の瞬間には、イツキは少年の腕に抱かれていた。

 

 

 目の前で突然繰り広げられる再会劇を、アキトは呆然と眺めていた。

「イ……イツキさん、知り合いなんですか……?」

 心なしか、その語尾が震えている。

「え……ええ。訓練学校時代からの知り合いで……カ、カイト、放して……」

「あ、ご、ごめん。嬉しくて、つい……」

 名残惜しそうに腕を解くカイト。

「イツキ……無事で良かった。ずっと心配してたんだ」

「え、ええ……貴方も無事で良かったわ、カイト。会戦時に、ユートピア・コロニーに向かったと聞いていたけれど……今までずっと地下にいたの?」

「それは……」

「それは私が説明しましょう」

 カイトの後ろに控えていた内の一人が、フードを取って前に出る。フードから零れるようにブロンドの髪が広がり、その端正な容貌が露わになった。

「さて、歓迎するべきかせざるべきか……ともあれ名前くらいは名乗っておきましょう。私の名前はイネス・フレサンジュ。取り敢えずようこそ、と言っ ておくわ。ナデシコのナイトさん」

 そう言って、空を見上げる。天井の穴から見える火星の空に、ナデシコが低い鳴動の音を響かせて浮かんでいた。

 

          ◆

 

 ユートピア・コロニー跡に降りたナデシコの前には、ユリカやプロスを始め、主要メンバーや一般クルーのほとんどが揃っていた。例外は舵を握ってい るミナトと、艦全体の管制を行うルリだけである。

 初めて火星の土を踏みしめるクルー達の前に、火星の生存者達が対峙している。

 黒百合もまた、ユリカ達と共にユートピア・コロニーに降り立った。

 黒百合にしてみれば『前回』の経験上、ナデシコをユートピア・コロニーに近づけたくはなかったのだが、明確な理由を挙げられない以上、艦長等の決 定を覆す事は出来なかったのだ。

 だが、着床した場所はシェルターの直上を避けたため、これで『前回』に起きた悲劇は回避できるはずだった。

 念のためミナトにはそれとなく相転移エンジンの火を付けたままにするように言っておいたし、ルリには周囲の策敵を強化するように伝えておいた。ユ リカやプロスには気付かれないように指示したのだが、何故かミナトが嬉しそうにしていたのが印象的だった。

 生存者達の先頭に立ってプロスと話をしてるのは、背中辺りまでブロンドを伸ばした、妙齢の女性である。

 イネス・フレサンジュ。『前回』は、自分と因縁浅からぬ、助けようとして助けられなかった女性。

(……うん?)

 彼女の顔を眺めて、ふと黒百合は違和感に囚われた。自分が知っているものよりも、若干イネスが若いような気がする。確かこの当時、イネスは27歳 ほどだったはずだが……

「アキト!」

 突然上がった声に、思考を打ち破られる。

 まず声の主を見た。どうやら生存者の中の一人らしい。フードを被っているせいで顔は窺えないが、やや小柄な少女だった。声音から察するに、10代 中頃くらいだろうか。

 次に呼ばれた方を見る。驚きの顔で固まっているアキトは、その場にいるナデシコ・クルーの視線を受けて、戸惑ったように自分自身を指さした。

「あ……え? 俺?」

 弾かれるように少女が駆け出した。一直線にアキトに向かっている。

 ぎょっとして身構えるアキト。それをかばうように、ユリカがばっと前に出た。アキトに近付く少女に不穏なものを感じたのだろう。こんな所だけは鋭 い。

 だが少女はユリカとアキトには目もくれず、その脇を素通りした。

「「へ?」」

 二人の間の抜けた声が残る。そんな事には構わず、件の少女は目標に向けて跳んだ。その拍子にフードが外れ、その中に収まっていた薄桃色の髪がこぼ れ落ち、僅かに差し込む日の光を反射して煌めきを放つ。

「アキト!」

 飛びついてきた少女を受け止めた黒百合は、数歩たたらを踏んで踏み止まる。珍しく戸惑うように、少女に手を添えた。

 そんな黒百合を見上げる、涙に潤んだ琥珀色の瞳。その幼さを残す顔立ちに、黒百合は見知った面影を見つけ、我知らず呟いていた。

「ラ……ピス……?」

「アキト! アキト! アキト! アキトォ……」

 もう離れないとばかりにきつく黒百合に抱き付いたまま、ラピス・ラズリは、いつまでもいつまでも涙を流していた。

 



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