黒百合たちがブリッジに戻ると、クルー達は揃って振り返った。
「黒百合さん!」
「状況は?」
平静に尋ねる黒百合に、ルリが返答する。
「左舷40kmにチューリップを確認、その前方にトンボ級駆逐艦20、ヤンマ級戦艦10。加えて……敵艦隊群に大型戦艦を確認しました」
「新型か」
「戦闘データにはありません。敵機動兵器はまだ出て来ていないようです」
「どうしましょうか、黒百合さん」
ユリカが小首を傾げて問い掛けてくる。
「どうするも何も……ナデシコの指揮権は艦長にある。俺が口を出す事でもないだろう」
「えー、そうですけど、ユリカは黒百合さんの意見も聞きたいなーと思って」
「それは分かるが……」
「ほら、今まで黒百合さんの言う事で、間違った事は無かったですから」
あっけらかんと笑うユリカに、黒百合は小さな違和感を覚えた。
(? 何だ……?)
「……ともかく、シェルターの間近で戦闘する訳にもいかんだろう。この場所を移った方がいい」
「はい、そうですね! ミナトさん、現状の距離を維持しつつ、後退して下さい」
「りょうかーい♪……って、ちょっと待って艦長。エンジンの火を落としちゃってたから、始動するまでちょっと時間が掛かるわ」
「何……? 相転移エンジンを停止させていたのか!?」
「あ。黒百合さん、ご免なさーい。結構長い時間此処にいるコトになるらしいし、艦長に相談したらいいって言うから……」
ミナトの返答に、黒百合はユリカを振り向いた。
「そうなのか!?」
「あ、はい。そうですけど」
何故黒百合が慌てているのか分からないユリカはキョトンとしている。
「馬鹿な、何故エンジンを止める!?」
「え、着床したらしばらく必要無いと思って……」
「火星は木星蜥蜴の制圧下にあるんだぞ? 万一の場合、迅速に動かなければならない事態も考えられるだろう! 敵の腹のただ中で、エンジンを停止さ せてどうする!?」
「えー、でも、相転移エンジンの反応が敵さんを呼び寄せちゃう事もありますし……それに黒百合さん、そんなこと一言も言ってなかったじゃないです かぁ」
「な……!」
ユリカの反応に黒百合は絶句した。と同時に、先程の違和感の正体を悟った。
艦長であるユリカの言動。戦闘下における判断を、黒百合に依存している部分があるのだ。
火星までの航路の間、至らぬ部分を補うつもりでユリカの言動に口を出していたが、それが悪かったのかも知れない。「この人の言うことを聞いていれ ばいいんだ」という依存心を、船を預かる立場であるユリカの裡に生み出してしまっていたのだ。
人物に対する依存心は、容易に適切な判断能力を奪う。艦長に最も必要な能力を、だ。
黒百合は狼狽えて周囲を見渡した。
艦橋にいるクルーの全員が、自分を見ている。ミナトが。メグミが。ルリが。ジュンが。ゴートが。プロスが。イツキが。リョーコが。ヒカルが。イズ ミが。ヤマダが。そして、ユリカが。
イネスとラピス、フクベ以外のその場にいる皆が、程度の差こそあれ『黒百合ならば何とかしてくれる』、そんな縋るような視線を向けているのだ。
(馬鹿な……!)
これは違う。こんなはずはない。
あのナデシコのクルー達は、こんな依存心に身を傾けるような弱い者たちではなかったはずだ。どんな状況でも諦めずに、『私らしく』という道を突き 進んだ者たちだったはずだ。
(俺が原因か……?)
横から要らぬ口を挟んだ自分が原因なのだろうか。時を遡り、歴史を変革させようとした報いが、こんな形で現れたのだろうか。
ナデシコ・クルーの『甘え』という形で。
黒百合が愕然としている間にも事態は推移する。
「艦長、どうします?」
ルリがユリカを振り仰ぐ。ユリカは言葉を発しない黒百合を訝しんでいるようだったが、
「うーん……いいです! これまで通りやっちゃいましょう! 射程範囲内に入り次第、主砲発射して下さい!」
「はーい、了解〜」
「敵艦隊、有効射程内に入りました」
「よ〜っし……てーっ!」
漆黒の閃光が艦隊を貫く。次の瞬間、幾つもの爆発の火が火星の空を彩った。
「やったーっ!」
歓声が上がり――しかしそれはすぐに悲鳴へと変わった。モニターに映るのは、先程とさして変わらぬ木星蜥蜴の艦隊の姿。
「ええ!?」
「そんな……今まではこれでやっつけちゃってたのに」
「相手もディストーション・フィールドを持っているのよ? 同じ戦艦クラスのフィールドともなれば、一撃必殺とは行かないわ。それとも、今までは駆 逐艦クラスを倒していい気になってたのかしら?」
イネスの嘲りを含んだ言葉がブリッジに響く。
「後方のチューリップ、なおも健在です。敵艦隊、損傷率30%」
「敵のフィールドも無敵ではない。艦長、連続発射だ」
「無理よ。大気圏内では相転移エンジンの反応が鈍いのよ。核パルス・エンジンだけでは連射するにはエネルギーが足りない」
「チューリップより、戦艦クラス50、大型戦艦クラス20出現。なおも増殖中です」
「そんな……なんであんなにいっぱい入ってるのよ……」
「チューリップは単なる母艦じゃないわ。アレは空間と空間を繋ぐ一種のワーム・ホールになっているのよ。そこから、敵は送り込まれてくる。それこそ 別の宇宙から、無限にね……」
「敵艦隊、こちらの射程外で左右に展開しています。どうやら包囲陣形をとろうとしているようです」
「こちらを逃がさないつもりね。当然の戦術だわ」
「ディ、ディストーション・フィールドを……」
「いま、ディストーション・フィールドなんか張ってご覧なさい。下にあるユートピア・コロニーをシェルターごとフィールドで押し潰す事になるわ。あ なた達、火星の住人を助けに来たんじゃなかったのかしら?」
「そんな……」
「敵艦隊、機動兵器を射出しました。数、測定不能……」
ルリの報告が、絶望的な状況をクルー達に示している。
「チェック・メイト……終わりよ」
ブリッジは重苦しい雰囲気に包まれる。イネスの冷たい声だけが響き渡っていた。
機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE
第20話
「貴方の振るう剣となり、貴方を護る楯となる」
モニターに映る、雲霞の如きバッタの群。パイロット達の顔には、もはや諦めの色が浮かんでいた。
「こりゃあ、オレ達が出てってもどうしようもねぇな……」
「な、何言ってやがる。この俺の迸る熱い魂さえあれば……」
「どうにかなると思うか?」
「そ、それは……」
「ムリムリ、私たちが出てってもミンチにされちゃうだけだよ〜」
「人生諦めが肝心だよ。イカの干物、そりゃあたりめ……くっくっく……」
諦観故に、取り乱す事のないパイロット達。職業上、死を隣り合わせにあるものとして自覚しているからこそ、『己の死』という結果を受け入れてし まっている。そしてそれは、イツキも同様だった。
(ここで終わりですか……)
自ら望んだ火星への旅路もここで終焉を迎えるようだ。結局、火星の人たちを助ける事は出来なかったが……不思議と、それほど悔恨の念は浮かんでこ ない。
「イツキ……」
声を掛けてきたカイトに微笑みを返す。
そう……それほど悪い旅でもなかった、と思う。カイトとの再会という望外の出来事もあった。それに何より、当初の目的であった黒百合との再会も果 たせた。
20年に満たない短い人生ではあったが……パイロットという職業を選んだ以上、いつかはこんな日が訪れる事は覚悟していた。いや、むしろ、黒百合 と同じ場所で果てるのならば、それほど悪い最期でもない……
そんな事を想いながら、イツキは黒百合をちら、と窺う。そして――そこに浮かんでいる怒りの表情に言葉を失った。
「え……」
ダガァン!
けたたましい音がブリッジに漂う重苦しい空気を吹き飛ばす。その場にいる全員が振り向いたその先には、ハッチに拳を叩き付けたままの格好をした黒 百合がいた。
「く、黒百合さん?」
ユリカが戸惑った声を出す。
普段は表情を動かす事のない黒百合が、激情のままに怒りを露わにしている。その顔にはナノマシンの輝線が浮かび上がり、その表情をさらに凄惨なも のへと変えていた。
「黒百合さん……それは……」
ひぃぃぃぃぃぃぃん……という甲高い空気の鳴動する音。黒百合の体内のナノマシンが活発化して、発光現象を起こしている。一同は、初めて目にする 黒百合の激発に、ただ息を呑むばかりだった。
「ふざけるなよ……」
イツキの呼びかけにも答えず、黒百合は苛立たしげな声で呻く。拳を下ろすと、やや歪んだハッチを力ずくでこじ開けた。
「く! 黒百合さん! 何処へ――」
「エステで出る」
「エ、エステでって……無理です! バッタだけならともかく、いくら黒百合さんでも、あれだけの数の戦艦を相手に――」
「関係ない」
黒百合の声音は何処までも底冷えしていた。言い募るイツキにも、何の感慨も抱いていないかのように。
「な、ならせめて私も一緒に出撃します!」
「そ、そうだぜ。てめぇにばっかいいカッコさせてたまるかよ!」
「……付いて来るな。邪魔だ」
「…………え」
「足手纏いだと言っているんだ」
拒絶の言葉に、今度こそイツキは絶句した。これほどまでに感情の篭もらぬ黒百合の声は初めてだった。
「お、おい、そりゃぁあんまり……」
「何もしないうちから諦めるような輩と、肩を並べて戦う気にはなれん。せいぜいそこで震えていろ」
「――なっ!」
あまりの物言いに、かっとなるリョーコ。しかし、罵声を浴びせかける前に、黒百合の姿はハッチの向こう側へと消えた。
「な、何だあんにゃろう……」
ごにょごにょと、らしくもなく口の中で毒づくリョーコ。
戸惑いの表情を浮かべるクルー達。何故あの寡黙な黒百合が、あれほどまでに苛立ちを露わにしていたのか、理由が掴めない。しかしそれでいて、何故 か後ろめたい気分に囚われる。
俄に気まずい空気の流れるブリッジ。そこに、流麗な笑い声が響いた。
「ふふっ、あはははははっ、何だ、そういうコト」
それは――
「イネスさん?」
「何が……可笑しいんです」
不審も露わにイツキが問い掛ける。その視線に剣呑なものが含まれるのも、やむを得ないだろう。
「あはははは……はぁ。あなた達があんまりにも分かってないみたいだったから、つい、ね。悪気はなかったんだけど。気を悪くしたらご免なさい」
「わかっていないって……何がです?」
「彼よ。黒百合さんが怒った理由」
「貴女には分かっているって言うんですか?」
イツキの視線が鋭さを増す。しかしイネスは怯みもせずに、あっさりと頷いた。
「そうよ。こういうのは、本人には意外と分からないものなのかしら? 第三者の目から見ると、一目瞭然なんだけど」
「何の……事ですか」
「……ホントに分からないみたいねぇ」
イネスはわざとらしく溜め息を吐くと、モニターに視線を向けた。そこには、今まさにカタパルトから発射された黒百合のエステが映し出されている。
「! 黒百合さん!」
イツキは声を上げると、翻ってハッチへと駆けだした。しかしそれを遮る白衣の影。
「どいて下さい!」
「あら、せっかく説明して上げようとしたんだけれど」
「お話は後で聞きます!」
「知りたくない? 黒百合さんがどうして怒ったのか。どうして、わざとあなた達を突き放すような事を言って、一人で出撃するなんて無茶な真似をした のか」
出来の悪い生徒に言い聞かせるような口調で、イネスが人の悪い笑みを向ける。感情の高ぶっていたイツキも、無視できない言葉を告げられて、俄に我 に返る。
「わざと……? 私たちを、突き放した……?」
「そうよ。人間、誰だって理由もなくあんな事を言ったりはしないわ。好きこのんで人に嫌われたいという変わり者は、なかなか居ないものよ。まあ…… 彼は格好からして、なかなかの変わり者だとは思うけど。
ともかく、彼がともすれば自分の心証を悪くするような事を言ったのにも、理由があるのよ」
「理由……?」
「そう。なぜ、彼はあれほどまでに怒りを露わにしたのか。その理由。
それはね、あなた達の態度に問題があったのよ」
「態度?」
いつの間にか、皆がイネスの言葉を聞いている。彼女自身が自負するように、確かに彼女は『説明上手』だった。
「あなた達は、彼に頼り切っている。自覚無自覚はともかく、彼を当てにしすぎているんでしょうね。
信頼していると言えば聞こえがいいかも知れない。でも、それはともすれば依存とも受け取られるわ。いいえ、この場合、寄生と言った方がいいかし ら?」
「な――俺達が、黒百合がいなけりゃ何もできないって言いたいのか!?」
「少なくとも、そう受け取られてもおかしくない、という事よ。だから、彼はあなた達を突き放して一人で出撃した。あなた達の目を醒ますために。ずい ぶんと荒治療だけど効果はあるわ。もう少し、上手いやり方が有ったんじゃないかとは思うけれど、ね」
「そんな……黒百合さんがそんな事を……」
「……まあ、足手纏い云々は本音かも知れないし、彼なりに勝算があっての事なのかも知れないけれど」
そう締めくくって、イネスはモニターを見上げる。そこでは、漆黒のエステが今まさにバッタの群に突撃する所だった。
幾つもの爆発の花が咲き乱れる。黒百合の突撃フレームは、お得意のフィールド・アタックでバッタの群を突き抜け、先頭に位置していた大型戦艦に一 撃を加えた。機関部に対艦ミサイルの直撃を受けて、爆発四散する大型戦艦。
火星の重力に引かれて、破片が下方に配置されていた戦艦群に降り注ぐ。火の雨を浴びた戦艦はフィールドに負荷を受け、慣性の法則に従って高度を落 とす。
最大の火力を先制の一撃で失った黒百合のエステは、左手に持ったラピッド・ライフルだけで、バッタの群と交戦していた。
その閃光を見つめていたユリカが、はっと気付いてその目を見開いた。
「ミナトさん、ナデシコの浮上を急いで下さい!」
「えっ?」
呆然としていたミナトが、急に声を掛けられて腰を浮かせた。
「黒百合さんは、ナデシコがコロニー上から退避する時間を稼いでくれているんです!」
「――! わかったわ!」
「ルリちゃん! 黒百合さんを援護します! 誘導ミサイルの発射を――」
『余計な事をするな!』
ユリカの言を遮って、黒百合のコミュニケが開いた。
「く、黒百合さん!?」
『援護なぞ必要ない! 邪魔だ! お前等はしっぽを巻いて逃げる事だけに専念していろ!』
「い、いくら何でも一機じゃ無茶です!」
「いえ、彼の言う通り、ナデシコの援護は不要よ」
「イネスさん!?」
「いま、木星蜥蜴の目標はナデシコからエステバリスへ移っているわ。恐らく、黒百合さんの攻撃を受けて、ターゲットの優先順位を変更したんでしょう ね。相手は無人兵器――そのソフト・ウェアは、人間に比べて柔軟性に劣っているわ。
でももし、今ナデシコがミサイルで艦隊に攻撃を加えれば、向こうはナデシコもターゲットに加える……そうなれば、フィールドを張れないナデシコに は防ぎようがない。あなた達が死ぬのは勝手だけど、下のユートピア・コロニーの人たちまで巻き込むのはご免被りたいわ」
「そ、そんな――」
『勘違いするなよ。俺はお前等を助ける為に戦っているわけじゃない。俺は――俺のために戦っている!
だから――気にせずさっさと逃げろ。邪魔だ』
それだけ言って、黒百合はコミュニケを閉ざした。
「どうして――!」
ウィンドウの消えた空間に、イツキの悲壮な叫びが木霊する。
「それって、火星の時と同じじゃないですか! どうして、そんな事を言うんです! どうして一人で残ろうとするんですか! どうして――どうして、 貴方は……」
「イツキ……」
膝を落としたイツキの肩に、カイトがそっと手を添える。
「今は……あの人の言っている事が正しい。僕たちが出ていっても、正直足手纏いにしかならない」
「分かってるわ。分かってるけど……」
だからと言って、納得できる訳ではない。
「…………ミナトさん、ナデシコの移動を急いで下さい」
ユリカが俯いたまま告げる。今は、それ以外に出来る事はなかった。それが理解できているからこそ、歯噛みする思いが強い。
ミナトが操舵を行っている間、ルリはただシートに座ってモニターに映る光景を眺めていた。
この場合、何もする事がなかったという事もあるが、それよりも黒百合の意外な行動に驚いていた。
黒百合が、感情のままに無謀な行動に出たのが理解できない。木星蜥蜴に囲まれた時、ルリはもう諦めていた。もとより望んで火星に来たわけでもな い。まして、生きていたい理由が殊更ある訳でもないのだ。
人は、いつか死ぬ。ただ、それが他人より早まっただけのこと……
なのに、黒百合はそれに抗った。どう考えても逃げ道のない状況で、あんな悪足掻きに身を任せる人物には見えなかったのに。
クルーの全員に言えるのは、黒百合の本質を見誤っていた事だ。普段の寡黙な態度は、裡に秘めた激情を覆い隠すためのペルソナだ。
だが、どちらか一方が本当の黒百合という訳ではない。そのどちらも黒百合なのだ。いずれか片方だけが黒百合の本質だと思っていたのが、そもそもの 間違いである。
「どいて」
「…………え?」
唐突に背後から声を掛けられて、ルリは後ろを振り向いた。
そこに佇んでいたのは、薄桃色の髪をした少女――ラピスだ。誰もが黒百合に気を取られていて気付かなかったが、いつの間にか下まで降りて来ていた のだ。自分と同じ琥珀色の瞳に見返されて、ルリは僅かにたじろいだ。
「……どいて」
ラピスはもう一度繰り返すと、ルリの肩を押した。さして強い力で押された訳でもないのだが、抗う事が頭に浮かばず、ルリは席を譲ってしまう。
戸惑うルリを余所に、ラピスはオペレーター・シートに腰掛けると、コンソールに両の掌を添えた。その手の甲に輝線が走り、タトゥーが浮かび上が る。
ラピスは隣に誰もいないかのように、淡々と正面に開いたオモイカネのウィンドウに話しかけた。
「ワタシはラピス。ラピス・ラズリ。アナタは?」
『私はオモイカネといいます。初めまして、ラピス』
「ウン、ヨロシク。オモイカネ、ワタシに力を貸して。ワタシはアキトを護りたい。
ワタシはアキトの目、アキトの耳、アキトの手、アキトの足。ワタシはアキトの振るう剣になり、アキトを護る楯になる。だから、力を貸して」
その静かな声はブリッジの隅にまで染み渡った。
言葉を失い、半ば呆然とラピスを見つめるクルー達。ブリッジは犯しがたい静寂に包まれている。
訥々と語るラピスの言葉に動かされたように、オモイカネのウィンドウが答えた。
『分かりました。宜しく、ラピス』
――次の瞬間、ラピスの全身が白い燐光に包まれた。
◆
《アキト……》
「ラピス?」
聞こえるはずのないラピスの声を聞いて、黒百合ははっとおもてを上げた。
聴覚を通じて聞こえてきた声ではない。直接、脳裏に響いている声。1年前は、常に傍にいた、声。
《アキト……》
《ラピス、なのか? どうしてリンクが……?》
《オモイカネに協力して貰ったの。アキトをサポートするのはワタシの役目》
オモイカネを通じ、I.F.S.を中継する事で、ラピスが黒百合をサポートしているのだ。右手のコネクタを通じて、戦況のデータと共にラピスの感 情が流れ込んでくる。
どれほど、黒百合に逢いたかったのか。どんな思いで、黒百合の迎えを待っていたのか……
言葉ではとても伝わりきれない『感情』が、ダイレクトに黒百合へと流れ込んでくる。
《ラピス……寂しい想いをさせたな……》
《ウウン……イイ。これからは、アキトと一緒にいられるから》
《そう、だな……》
欠けていた半身が埋まる。ラピスの心は、ささくれ立っていた黒百合の感情をも沈めた。
自分が笑みを浮かべているのが分かる。全身を駆け抜ける高揚感。まるで、この世界で出来ない事はない、そう思えてさえしまいそうだ。
黒百合は、コネクタを握る右手に力を込めた。
「よし――行くぞ、ラピス!」
シートに座るラピスの周囲を幾つものウィンドウが取り囲み、高速で回転している。ナデシコ本体の管制を除いて、オモイカネのキャパシティをすべて 戦況解析につぎ込んでいるのだ。
そして、その莫大なデータを処理し、黒百合のエステバリスへとリアルタイムに流しているラピス。そのI.F.S.能力は、以前と比べて何ら遜色の ない――どころか、明らかに11歳の頃を上回っていた。
その全身に、黒百合のようにナノマシンの輝線が浮かび上がり、淡い白色の光を放っている。その薄桃色の髪は光を宿し、風もないのにたなびいてゆら ゆらと揺れていた。
「すごい……」
モニターに映る黒百合のエステバリスは、その動きが目に見えて変わっていた。これまでですらほとんど無駄のない機動をしていたというのに、今はも うまるで未来を予測して動いているようにしか見えない。
とうてい回避不能なほどの数のミサイルの雨をかいくぐり、バッタの間隙を縫って戦艦へと取り付き、手に持ったライフルとランサーだけで撃沈する。
針の穴を通すような緻密さで、黒百合の機体は木星蜥蜴の大群の中を突き進む。目指すは――後方に位置するチューリップ。
蜥蜴の艦隊をいくら相手にしたところでキリはない。発生する元から断たなければ、状況を打破する事は出来ないのだ。
絶対的な物量の前に、流石に回避しきれず、被弾する黒百合のエステ。だがその反動すら利用して機動を変え、追撃を躱してゆく。
そしてとうとう、艦隊の中を抜けてチューリップへと到達する。チューリップは今まさに、大型戦艦を吐き出そうとしているところだった。
黒百合は最期のバッテリー・パックでフィールド・ランサーを突き立てる。チューリップのフィールドを突き破り、未だ半分がチューリップに含まれて いる大型戦艦へと肉薄した。
フィールド・ランサーを投擲。大型戦艦の装甲へと突き刺さる槍目掛けて、温存していた全火力を解放する。ロケット・ランチャー、そしてレール・カ ノンが炸裂し、余すことなくその破壊力を発揮した。
計43発の砲火をその身に受け、チューリップの腹の中で轟沈する大型戦艦。その爆発はチューリップをも巻き込んだ。紅蓮の炎に包まれ、チューリッ プは火星地表へと落ちてゆく。
そして――閃光。その衝撃は大地を揺るがし、近辺に密集していた蜥蜴艦隊をも吹き飛ばした。
「チューリップを……エステバリスで……!」
「すげえ……」
呆然として、クルー達はその光景に見入っている。だが、閃光が晴れた後も、木星蜥蜴の艦隊は健在だった。
「! まだです! ルリちゃん!……じゃなかった、え〜っとラピスちゃん?」
「グラビティ・ブラスト、チャージ120%……いつでも撃てる」
「艦長、ユートピア・コロニーからの退避は完了したわ!」
「グラビティ・ブラスト……発射ぁっ!」
高度を上げる事で稼働率を上げた相転移エンジンが唸りを上げる。
木星蜥蜴は、黒百合のエステに気を取られ、ナデシコに無防備な腹を向けている。そこに放たれる黒色の槍は、十分な威力を持って損傷した蜥蜴艦隊を 貫いた。重力子の奔流に飲み込まれ、艦体を崩壊させていく木星蜥蜴の群。その9割ほどが、火星の空の塵と消えた。
「ラピスちゃん、黒百合さんは!?」
「まさか、チューリップの墜落に巻き込まれて……」
顔を青ざめさせて、ミナトが呟く。しかしラピスは取り乱す事もなく、静かに瞼を閉ざした。まるで、目に見えぬ何かを感じ取っているかのように。
「大丈夫……アキトがワタシを置いていくワケない」
《そうだよね、アキト……》
「……ああ、そうだな、ラピス……」
チューリップの墜落の衝撃に吹き飛ばされ、黒百合のエステは火星地表に転がっていた。損傷が激しく、その両手足は千切れ飛んで、機体は原形をとど めてはいなかった。
もはや動く事すら叶わぬ突撃戦フレームのコクピットの中で、黒百合はラピスにしか聞こえない呟きを漏らす。
そして瞳を閉ざし、疲労による睡魔に一時その身を預けたのだった。