帰省先から帰ってきたパイロット三人娘が見舞いにやってきた。
「いようテンカワ! 元気か?」
「リョーコ、元気な訳ないじゃん。入院してるんだから」
「正親町天皇の代の年号……それは元亀」
ちなみに元亀は1570年4月23日から1573年7月28日までである。
アキトの怪我の理由は、事情を知っている一部のクルーを除いて、ヨコスカのショッピング・モールで事故に遭ったのだと説明されていた。企業間の血生臭い闘争を社員たちに知られたくなかったネルガル側と、ルリを取り巻く環境を慮ったアキトたちの意向が合致した結果である。
「休暇中に事故って怪我したんだって? バッカだなあ。ま、気ぃ落とすなよ」
「あはは、せっかくのお出かけだったんでしょ? 残念だったねぇ」
「脱毛剤をかければいいわ……毛が(怪我)無くなるから」
リョーコは怪我人のアキトをばしばしと叩き、叱咤だか激励だか判らない事をまくし立てる。ヒカルはやたらと軽い調子で笑い声を上げ、イズミは相変わらず意味不明の寒いギャグを呟いた。
三人揃って姦しく、言いたい事だけ言ってベットの脇に置いてあったお見舞いのフルーツの詰め合わせをアキトの目の前で平らげて、彼女たちは去っていった。
「よぉうアキト! 怪我したんだって? 退屈しないようにいいモン持ってきてやったぜ! 何かって? もちろんこれさぁ、『熱血ロボ・ゲキガンガー3』! どうやって見るかって? 心配いらねぇ、博士からベータを借りてきたんだ。早速上映会と洒落込もうや。待ってな、今すぐに……おお? なんだてめぇは。さてはキョアック星人の手先だな……って、おい、待て、いて、いててててて! やめろぉ、キョアック星人、ぶっとばすぞぉ〜……」
ヤマダはゲキガンガーのディスクを持ってきて病室で上映会を開こうとし、検診に来た看護師に引きずられて追い出された。
「早く治しなよ。厨房は人手不足なんだからね」
と励ましたのはホウメイである。彼女はホウメイ・ガールズ+1と一緒に見舞いに来た。
サユリは真摯にアキトの手を取り、
「早く良くなって下さいね。じゃないと、私……」
そこまで言って、じっと自分を凝視しているホウメイ・ガールズ達の視線に気付き、慌てて手を振り解いた。
「テンカワさん、早く帰ってきて下さいねー」
「そうそう、じゃないとサユリさんが寂しがるし」
「ちょ、ちょっとウツホちゃん!」
「えー、サユリさんは早めに言った方がいいですよぅ。ここで健気なところを見せて、艦長達からアドバンテージを取らないと」
「そんな事は考えなくていいの!」
「あんた達、病室で騒ぐんじゃないよ」
ホウメイにたしなめられるまで、彼女たちはなにやら騒いでいたが、アキトにはさっぱり意味不明だった。
困ったのはウリバタケで、何処から調達してきたのか裸の女性が載った18禁の本を持ってきて、ベットの下にしまい込もうとするのだ。
「いや〜、テンカワも若いんだから大変だろう。特にここは病院! 病院と言えばナース! 男としてあの白衣とナース・キャップに萌えないはずがない! 分かる、分かるぞぉ〜」
「はあ……」
「と、言うわけでコレでその若く青臭い情熱を沈めてくれや。なーに礼はいらねぇ。ただ、此処のナースのカワイ娘ちゃんのアドレスを聞き出してくれれば、それだけで……」
「別にいらないっス」
アキトは丁重にお断りした。
ゴートは一度だけ、一人で見舞いに来た事がある。むっつり顔のまま入室したゴートは、何も言わずに懐から捕りだしたものをベット脇のテーブルに置いた。
「……何スか、コレ」
「桃缶だ」
お見舞いの品と言えば桃缶、という事らしい。
「それって、怪我じゃなくて風邪とかの場合じゃ……」
「そうか」
「そうか、って……いやまあ、有り難く頂きますけど」
「……そうか」
相変わらず無口なゴートだったが、心なしか視線が泳いでいるように見えた。もしかして照れているのだろうか。意外に思うのと同時に、何だか居心地が悪くなった。
ケイのお見舞いは至ってまともだった。まともすぎて拍子抜けしてしまうのは、アキトも随分とナデシコの奇人変人に馴染んできた証拠だ。
「若いんだから、早く良くなりますよ。だから、今は無理をしないで治療に専念しましょうね」
医者らしい事を言いながら、持ってきたリンゴを剥いてくれた。美味しかった。
今までに来た連中の事を思いだして、なんだか泣きたくなったのはアキトだけの秘密だ。
ユリカは相変わらず毎日のようにアキトの病室に見舞いに来ていた。
大概ジュンと一緒なのだが、後ろに控えている副長の疲労の度合いが日に日に深くなって見えるのは、決して気のせいではないだろう。
「……ユリカ、お前なぁ。ジュンにばっか頼ってないで、ちゃんと仕事しろよ」
「えー、そんな事無いもん。それに、ジュン君が任せてって言ってくれるんだもん。ね、ジュン君」
「は、はは。そうだね、ユリカ」
「……ジュン、お前も大変だな……」
「もう慣れたよ……」
るる〜っと涙するジュンにアキトは同情した。恋敵に同情されるジュンは哀れを通り越して滑稽ですらある。
「しっかしお前、ジュンがいなくなったら何にも出来なくなるんじゃないか?」
「アキトってば酷い! ユリカ、これでも士官学校の主席さんだったんだから!
それに、ジュン君はユリカの大切なお友達だもん。ずーっと一緒だよね!」
「は、ははは。そうだね、ユリカ」
それは絶対に友達以上の関係にはならないくせに、仕事だけは押しつけるという事だろうか。
それでも確かに、ユリカの傍を離れるジュンの姿を想像する事はアキトには出来なかった。
ルリは、頻繁にではないがアキトの病室に顔を出していた。その時は護衛のために黒百合も一緒で、オプションとしてラピスも付いてくる。そして最近では、オプションにミナトとイツキも追加されたようだった。
病室に一行が入ってくると、黒百合は簡単な言葉をアキトに掛け、後はルリを置いて病室を出てしまう。ラピス、ミナト、イツキもそれぞれ声を掛けたあと彼に付いていってしまうため、いつもルリとは二人だけで対面する事になる。
「……その後の経過はどうですか?」
「あ、うん。今のところ順調だって、イネスさんが言ってたよ」
「そうですか」
「ただ、怪我人の病室を見舞うには面会客が煩すぎるってぼやいてたっけ。それにしても、何でイネスさんがこの病院の先生の代わりに俺を診察してるのかなあ」
「……そうですね」
ルリと交わされる会話は、決して言葉数が多い訳ではなく、相変わらず対応も素っ気ないように見えるが……少なくとも以前感じた気まずさは取り払われていた。
心地よい静かさとでも言おうか。そこにあるだけで心が落ち着くような……まさしく、人を癒す瑠璃の石のように。
じっと自分を凝視しているアキトに、ルリは瞬きして、
「どうかしましたか、テンカワさん」
「あ、ううん。何でもない。そうだルリちゃん、リンゴでも食べる? 剥いて上げるよ」
「普通、そういった事はお見舞いに来た側がするもので、お見舞いされている人がする事はないと思いますけど」
「はは、そう言われれば」
言われて改めて気付くその事実! どちらかというとアキト自身が剥いた回数の方が多いような気がするのは気のせいだろうか。
「私が剥きます」
「え、ルリちゃん、包丁扱えるの?」
アキトは心底驚いた。あまりにあからさまだったため、ルリはややむっとして、
「……それくらい私にも出来ます。貸して下さい」
「あ、うん……」
若干の不安を覚えながらも、果物ナイフを少女に手渡した。
――そして、ルリの手つきのあまりの拙さに、慌ててナイフを取り上げる事になるのだった。
◆
アキトの病室に喧噪の絶える日は無く。
そして事件より2週間後、アキトはヨコスカ総合病院を退院し、ナデシコへと戻って行った。
機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE
第32話
「幕間は長くない」
「やあ、テンカワ」
病院を出たアキトを出迎えたのは、エレ・カーに乗ったジュンだった。
「ジュン?」
意外と言えば意外な人物に、アキトは目を丸くした。さらに意外な事は、ジュンの横にユリカがいないのだ。
「珍しいな、ジュン一人だけなんて」
「……ユリカと一緒じゃないと変かい?」
「いや、変って訳じゃないけど。と言うかむしろ煩くなくて助かる」
「そこまで言う事ないと思うけど……」
「でもなあ、もう二十歳過ぎててあの性格はないと思うけどなぁ。まるっきり子供だし」
「それがユリカのいい所なんじゃないか。子供みたいに純真なんだ」
物は言い様である。いつも最終的な被害者になっているアキトにはとうてい承伏出来るものではなかった。
「ま、ユリカの魅力の事はさておいて、取り敢えず乗りなよ。送ってくから」
「ああ、サンキュ、ジュン」
素直に従うアキト。
車が走り出してからしばらく経った後、ふと思いついた事をそのまま口の端に上らせた。
「それにしても、ユリカを一人っきりにして大丈夫なのか? 仕事とか、思いっきりサボってるんじゃ……」
「あのね、テンカワは何かユリカに対して誤解してるみたいだけど……彼女はあれで優秀なんだよ?」
「うーん、そうかなぁ」
そんな事を言われてもアキトは首を捻るばかりだ。
実際の所、ユリカがデスク・ワークを放り出したりするのは、基本的にアキトが絡んだ場合のみである。それ以外の所ではきちんと艦長としての責務は果たしているのだ。火星での一件以来、艦長としての自覚も出てきた。でなければ、あんなスチャラカ艦長にクルーたちが命を預けようとは思うまい。
ただ、アキトはそのスチャラカな姿しか目にしていないため、いつもサボっているような印象しか持っていなかった。
「まあ、確かに今日はテンカワを迎えに行くって聞かなかったけど……お目付役が付いてるから大丈夫だよ」
「お目付役って?」
「プロスさんとエリナさん」
「ああ、なるほど」
アキトは納得した。プロスとエリナに背後から睨まれながら、泣く泣く書類にサインをしているユリカの姿が容易に想像できた。そしてその予想は正しかったりする。
「今日ばっかりは艦長の決裁が必要な書類が多いからね。流石に抜け出す訳にはいかないよ」
「今日、何かあったっけ?」
「ああ、テンカワは知らなかったんだっけ? 今日は、新しいクルーがやってくる日なんだ」
「ふうん……」
エレ・カーの窓の向こうに、ナデシコの収容されているドックが見えてきた。
◆
ナデシコ・クルー総勢218名が、格納庫の中に揃っている。
ナデシコの改修はほぼ終わり、後は細かい部分の調整を残すのみとなっていた。この頃になるとネルガル本社から派遣されてきた技術スタッフたちはチーフ他数名を残して引き上げており、残りの部分は実際に現場を任されている整備班たちの手によって行われている。
流石にこれだけの数を収納すると、格納庫も狭く感じられる。丁度、イツキ機のゼロGフレームの前に特設された即席ステージ(コンテナ)の上には、まだ誰の姿もない。クルーたちは暇を持て余しながらも、思い思いの相手を見つけて語り合っていた。
その中にはアキトの姿もあった。ジュンの運転でナデシコに戻ってすぐに格納庫に連れて来られた訳だが、早速主だったクルーたちに退院祝いの言葉を掛けられていた。
「良かったですねぇテンカワさん、大事なくて」
「はは、まあね」
ミカコにそう言われて苦笑いを浮かべるアキトだったが、実は大事あったのだ。下手をすれば命を落としていた所なのだが、クルーたちには入院2週間、全治1ヶ月半の事故としか伝えられていない。
「私たちが帰省先から帰ってきたら、真っ青になったサユリさんがいたんだもん。びっくりしちゃった」
「そ、それは言わないでよ、エリ」
「アキトの所にお見舞いに行ってからだよね、サユリさんが元気になったのって。無事な姿を見たから安心したんでしょぉう?」
「そっか……心配掛けちゃったみたいだね。御免」
「い、いえ。別にアキトさんが謝る事じゃ……」
二人お見合いして立ち尽くしていると、プロスたちがユリカと一緒に姿を見せた。彼らに連れ立って、エリナともう一人、見覚えのない顔が付いてきている。彼が新しいクルーなのだろうか。自然と、視線が集中する。
プロスがぱんぱん、と手を打ってから切り出した。
「皆さん、大変お待たせしました。お忙しいところ、時間を割いていただいて申し訳ありません。
既に話を聞き及んでいる方もいらっしゃるかとは思いますが、この度新しくナデシコのクルーに加わる方の紹介を致したいと思います」
そこまで言って、プロスはこほん、と咳払いを前置きにした。
「えー。それではまず、もう皆さん顔はご存じとは思いますが、エリナ・キンジョウ・ウォンさん」
「いまさら紹介は必要ないでしょうけど……これからは私も、副操舵士としてナデシコに搭乗します。この私が乗ったからには、皆さんにはネルガルの模範的社員として会社のために粉骨砕身、働いて貰いますので、宜しく」
えええ〜、という不満の声は、エリナのひと睨みでたちまち霧散した。
「こほん。えー、次に……」
「パイロットの、アカツキ・ナガレ。コスモスから来た男さ」
きらーん☆
プロスの紹介を遮って白い歯を光らせたのは、赤い制服に身を包んだロン毛の男だった。台詞回しや態度からもキザったらしい雰囲気を醸し出していて、男性クルーからは『けっ』とばかりに冷たい視線を注がれた。
「あのー、コスモスって?」
手を挙げてそう質問したのは、毎度の如くミナトである。
「ナデシコ級2番艦・コスモス。現在宇宙ステーション・サザンカで建造中の、地球の新しい力さ」
前髪を掻き上げ、アカツキが言う。
「建造中って……まだ出来てないってコト? なら、どうして其処から来たなんて言うワケ?」
「ふっ、本来なら僕はコスモスの方に搭乗する予定だったからさ。でも、予想外に早くナデシコが戻ってきたんで、こちらに乗る事になったのさ」
「つまり、まだ居所が定まってなくてタライ回しにされたって事ね」
「はっはっは、そういう言い方は無しだよ」
無意味に爽やかに笑うアカツキだったが、その頬を汗が一筋流れるのをミナトは見逃さなかった。
「まあちなみに、コスモスはあと2ヶ月ほどで竣工する予定だよ。君たちナデシコの運用データのおかげで、随分と作業がはかどってるらしい」
「ふーん。よくそんな事知ってるわねぇ」
「まあねぇ、これでも僕は――」
「ちょっとアカツキ君。それくらいにしておいて貰える?」
得意げに胸を反らせたアカツキの言葉を、半眼のエリナの冷たい声が遮った。アカツキは肩を竦めて、
「おっと、怖〜いお姉さんが睨んでるから、こんな所にしておこうかな。もっと詳しい僕のプロフィールが聞きたい人は、個人的に訊きに来てくれればいいよ。特に女性なら大歓迎さ」
「お馬鹿なこと言ってるんじゃないの。誰が怖いお姉さんよ」
そりゃあんただよ、とほとんどの男性クルーは思ったが、賢明にも口には出さなかった。
「まあ話が出たついでに言っておくけど、ナデシコの次の任務はコスモスが竣工した後――つまり予定では2ヶ月後に、連合軍との合同で行われる第四次月攻略戦に参加する予定です。それまでは、試験航行も兼ねて地球圏内のパトロールを行うので、そのつもりで」
「あのーエリナさん、その事は艦長から言って戴く予定だったのですが……」
「あら、そうだっけ? まあいいじゃない。ついでだし」
「はあ、いえまあ……」
不承不承頷くプロスの後ろでは、出番を取られたユリカが蹲って床にのの字を描き、ジュンに慰められていた。
気を取り直して、プロスは咳払いした。
「えー、こほん。それからもうひと方。お亡くなりになったフクベ元提督に代わって、この艦の戦術面でのサポートをしていただく……」
「はあい、アタシよ。皆さん、お久しぶりねぇ」
と、タイミング良く出てきた人物は、気楽にヒラヒラと手を振って見せた。
「あーっ、あんたは!?」
その人物が顔を見せた途端に上がる声。それに続いてしばしの沈黙の後に出てきた言葉は、
「……誰だっけ?」
「あんな人いたっけか?」
「あー、何かそこはかとなく見覚えがあるような……」
「なんて名前だっけ?」
「良くいるのよねぇ、それなりに特徴的な外見しているくせにキャラが地味で印象の薄い人って」
「あ、アンタたち……」
ムネタケ・サダアキは、こめかみをひくつかせながらも何とかブチ切れるのだけは堪えて、余裕のある態度を取り繕って見せた。
「ふ、ふん。まあいいわ。アタシは心が広いから、今までのアンタたちの無礼は水に流して上げる。でもね、これからは上官であるアタシの命令は絶対よ。そこのところ、よ〜く覚えておいて頂戴」
「お言葉ですが、ムネタケ副提督」
と、復活してきたユリカが詰め寄ってきた。
「提督よ、て・い・と・く」
「……ムネタケ提督。確かにネルガルと軍は共同戦線を張っています。ですが、理不尽な命令には拒否権が認められているはずです」
「一応はね」
それは、ナデシコが軍属になったとはいえ、あくまで民間企業からの出向であるという事に起因している。命令に対する服従を重んじる軍隊としては特例な処置だが、逆に正当な命令であれば理由なく拒む事は出来ない。
「ナデシコ・クルーの総意に反する命令に対しては、このミスマル・ユリカ、艦長として断固拒否しますので、ご了承下さい」
きりり、と眉目を引き締め、そう言い切るユリカ。締めるべき所は締めるのが彼女だ。たとえ普段どのようにのほほんとしているように見えるとしても。
「戦うだけの駒にはならないって事ね。いいでしょ、覚えといてあげるわ」
「……有り難うございます」
取り敢えず必要な言葉は聞き出せたため、ユリカはそれで引き下がった。それを見ていた某コックが、「ユリカが、ユリカがまともな事を言ってる……っ」と大層驚いていたという。
「ともかく、ナデシコが第四次月攻略戦に参加するのはネルガルも了承済みよ。それに、月宙域の制宙権を木星蜥蜴から取り戻すのは、地球圏の安全を確保するのと同時に、占拠されていた月面都市の設備や資源の奪回も目的に含まれているワケ。
地球の平和を守るナデシコの目的は、果たさないと駄目よねぇ〜」
もっともらしい事を言いながら嫌らしい笑みを浮かべるムネタケだったが、それも次の声が聞こえると途端に引きつらせた。
「お前が言うと、これほど説得力のない言葉は無いな」
「あ、アンタは……」
上擦った声を上げて、ムネタケは黒百合を振り返った。その腰が引けているのも、以前クーデターを起こして取り押さえられた身としてはやむなしといった所だろう。
「久しぶりだなムネタケ。また会えるとは思わなかったが。思ったよりも元気そうで何よりだ」
「ふ、ふん。アンタ、アタシがいなくなった後で副提督になってたらしいわね。言っとくけど、アタシは今回は正式な辞令に基づいて提督として派遣されたんですからね。言ってみれば、アタシはアンタの上司なのよ! そこの所、よーっくわきまえて頂戴!」
「……そんなつまらない肩書きに拘っていると、本当に大切なものを見失うぞ」
「な、何ですって……?」
「……」
予想外の言葉を掛けられて戸惑っているムネタケ。『前回』のムネタケの最期を知っているだけに、黒百合の心中には複雑な感情が入り乱れていたのだが、それを察する事が出来る者はこの場にいなかった。
「ほら、そのくらいにしときなさい、黒百合」
「……ふん」
エリナに言われて、黒百合は鼻を鳴らした。それらの様子を眺めていたアカツキが、
「ふうん、君が黒百合君かい。話はエリナ君からいろいろ聞いているけど……」
「どうせ碌な事じゃあるまい」
「まあねぇ……でも、格好は確かに怪しいね」
「……ほっとけ」
「ちょっとアカツキ君、余計なこと言わないで頂戴」
「はいはい」
ひょいと肩を竦めるアカツキに、憤って顔を紅潮させるエリナ、我関せずの黒百合。それらのやりとりを見て、目聡く反応した者がいた。
「はーい、ちょっと質問」
ミナトが例によって挙手する。アカツキが嬉しそうに受け応えた。
「はいはい、美人の質問は大歓迎だよ」
「あ、悪いけど貴方じゃないの」
「あ、そう……」
軽くあしらわれて、がっくりと肩を落とすアカツキには構わず、
「前から思ってたんだけど〜。エリナさんと黒百合さんって、どういう関係なの?」
「……は?」
投げかけられた質問に、エリナはぱちくり、と目を瞬かせた。
「ああ、それは僕も興味あるねぇ」
「ど、どういう関係って……」
「単にネルガルの同僚だが。上司と部下だった事もある」
何故か狼狽えるエリナに代わって、黒百合が至極あっさりと答えた。
「ホントに?」
「え?……ええ、そうよ」
黒百合の言っている事に間違いはないし、実際どのような関係かと問われればそう答えるしかないのだが……それでも何故か、何の抑揚もなく受け答える黒百合が恨めしく感じるエリナだった。
「ふう〜ん。そう」
「そうだが。どうかしたのか? ミナトさん」
「ううん、べっつにぃ」
「……?」
「おっほん。ともかく、ムネタケ大佐が新しいナデシコ提督として就任しますので」
「あ、そう言えばその話だっけ」
「アカツキ君! 貴方が忘れてどうするのよ!」
「いやぁ、なかなか興味深い話題だったし」
「あのねぇ――」
「ほらほらエリナ君。まだ紹介しなきゃならないコたちがいるだろ?」
「まだ他に誰かいるのか?」
アカツキの言葉を聞き付けて黒百合が声を上げた。『前回』はこの時点で加わったクルーはこれだけだったはずだが……
「あ――そ、そうよ。一番大切な事を忘れるところだったわ。ほら、あなた達、入ってきていいわよ!」
エリナが、ムネタケが入ってきた方とは反対側の入り口に向かって呼びかける。それに応えて現れたのは――
一人は、空色の髪を腰まで伸ばしている少女。
一人は、ぼさぼさ頭の黒髪の少年。
二人に共通しているのは、5〜6歳くらいの子供である事と、ナデシコのオペレーターの制服を身につけている事、そしてその瞳に琥珀色の輝きを湛えている事だった。
その神秘的な容姿に、クルーたちは揃って感嘆の吐息を漏らした。
「セレスティン……?」
珍しく、呆然と呟いたのは黒百合だった。自らの声で我に返ったのか、はっとしてエリナを睨みやる。
「エリナ、どういう事だ。何故この子たちがナデシコに乗る必要がある?」
「それはこれから説明するわ。まず、自己紹介からね。二人とも、こっちへ」
「あ、はい」
返事をしたのは、黒髪の少年だけだった。彼は素直にエリナの元へと向かう。しかし残りの少女の方は異なる方向に進んでいた。
てくてくてく、という軽い足音が、目標の前で止まる。そして――
「会イタカッタ……」
ぎゅっ。
黒百合の腰に手を回して抱き付いた。その感触を確かめるように、お腹の辺りに頬を擦りつける。
「セレス……?」
「会イタカッタ、パパ……」
その瞬間、艦内の時間が凍り付いた。
アキトが病院にかつぎ込まれたその翌日、連合軍総司令部からの正式な辞令が届き、カイトはナデシコを離れなければならなくなった。
『イツキ。あの時言った事は……僕は、本気だから。それだけは、忘れないで欲しいんだ』
『……カイト』
『……それじゃあ、僕は行くよ。元気でね、イツキ』
『ええ、カイトも』
カイトとの別れは、意外とあっさりしていた。これが今生の別れではないと、互いに知っていたからかも知れない。
軍用車で走り去っていくカイトは、一度だけこちらを振り返って手を振った。未練がましい姿を見せなかったのが、かえって印象に残った。
その代わりという訳ではないだろうが、アサミとの別れは随分とばたばたしたものとなった。もともとスケジュールの押している人気タレントである。ましてや、事故騒ぎに巻き込まれたとなればマスコミも黙っていない。プロダクション・ラ・グルンのマネージャーは、事件の翌朝に大慌てで病院にやってきてアサミを引っ張っていった。
それでも、流石に肉親との別れを惜しむ時間を無くすような真似はしなかった。イツキはこれから再びナデシコに乗って航海し、アサミもまた多忙な子役生活に戻る。
『それじゃ姉さん、私はもう行かなきゃならないけど……』
『ええ。アサミも元気でね。身体には気を付けて。女優だか歌手だか知らないけど、無茶なことしちゃ駄目よ?』
『分かってるわよ、姉さん。自分は肝心なとこ抜けてるくせに、人の心配ばっかりするんだから。私はどっちかって言うと姉さんの方が心配だわ』
『生意気言わないの。私は大丈夫よ。これまでだって無事に済んで来たんだし』
『そういう事を心配してる訳じゃ無いんだけどね……』
アサミは年齢に不釣り合いな、年季の入った溜め息をついた。
『姉さん、ちゃんと黒百合さんにアタックしなきゃ駄目よ? 想っているだけで良い、いつか気が付いてくれれば……なんて、今時三流ドラマのシナリオにだってありえないんだから』
『……なっ』
絶句した姉に対して、アサミは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
『姉さんはただでさえ恋愛関係に疎いんだから。妹としては心配だわ』
『〜〜〜っ、アサミっ!』
『ふふふっ、それじゃ姉さん、頑張ってねっ!』
声を上げるイツキを残して、アサミは跳ねるような足取りで去っていった――
――などというここ最近の出来事が走馬燈となって、あまりのショックに固まっているイツキの脳裏に映し出されていた。
フリーズしているのは他のクルーも同様で、当の黒百合でさえ再起動を果たせずに、少女の抱き付かれるままとなっている。
ただ一人平静なエリナが、落ち着き払った声で少女たちを紹介していた。
「二人はこれからオペレーター見習いとしてナデシコに搭乗します。もちろん6歳児に労働を強制する訳じゃないけど、なにぶん特殊な事情があるので、その辺りは察してね。
黒百合に抱き付いてる子がセレス・タイン。こっちの男の子がマキビ・ハリよ。宜しくね」
「え、えーと、ハーリーって呼んで下さい。宜しくお願いします」
状況が飲み込めていないハーリーが挨拶をするが、そんなものは誰一人として見ちゃあいなかった。
そして最後にエリナが爆弾を投下した。
「それと、セレスは黒百合の(助けた)子供だから。他にもあと二人いるし」
――間。
そして爆発。
「「「「「「な、なにぃぃぃぃぃいっ!?」」」」」」
男性クルーの驚愕の叫びと。
「「「「「「えぇええええええええっ!!」」」」」」
女性クルーの黄色い歓声が。
格納庫の中に木霊し、ナデシコ史上未曾有の混乱が撒き起こる。
その喧噪の嵐の最中で、エリナはくつくつと声を押し殺して笑っていた。それを見たアカツキが、やれやれと言わんばかりに肩を竦める。
今日も今日とて、騒動の種だけは尽きないナデシコであった。