それからは、盛大な馬鹿騒ぎの反動か、取り立てて何もない平穏な日々が続いていた。
散発的に木星蜥蜴の群と遭遇する事はあるものの、カトンボやヤンマなどの艦船のみの編隊が主で、ナデシコ&シクラメンのタッグの前ではものの数ではなかった。あの戦闘以来、小型チューリップは確認されていない。
その件に関して、ある時ユリカが懸念を口にした事がある。
「……つまり、木星蜥蜴が作戦行動を取るようになったっていう事かい?」
話を聞き終えたジュンが、確認するように反芻すると、ユリカはこくりと頷きを返した。
「うん。そう考えた方が辻褄が合うと思うの。ナナフシが月面に現れてから2週間後に、新型のチューリップが月を迂回するような軌道を飛んでいた……これが偶然だとは思えないでしょ?」
「それは確かに……」
今まで、木星蜥蜴には戦術らしい戦術は無かった。敢えて言うなら、圧倒的な物量作戦だといえるが、それについても単に地球側の艦船――正確に言うなら動力反応――に対して、受動的にリアクションを起こしているに過ぎない。
事実、火星においても、ナデシコを目標に捉えながら、先行した黒百合のエステバリスに第一目標を移すなど、戦術プログラムはお粗末なものだった。
だが、もしユリカの言う通りであれば、これまでの戦力バランスが覆りかねない。今まで地球側が保ってきたのは、木星蜥蜴に戦術がなかった故なのだから。
「……だとすると、あれは囮だったのかな?」
「そう思ってちょっとルリちゃんに調べて貰ったんだけど、私たちが戦闘していたのと同じ頃に、新型チューリップがいくつかの宙域で確認されてたって戦闘記録があったの。合計34機の新型チューリップのうち、13機が地球に落下したんだって」
「そうなのかい!? 大事じゃないか」
「でも、みんな海とかに落ちちゃったんで、被害らしい被害は無かったみたい」
「そうか……だとすると、木星蜥蜴が作戦行動をとっているとして、その目的は何だろう?」
「う〜ん。情報が少なすぎて、よく分かんないんだよね〜。私も確信がある訳じゃないんだけど、取り敢えずジュン君に相談しておこうと思って」
「そっか……」
ジュンは何事もないように受け流したが、その内心は喜びに溢れていた。どんな形にしろ、好きな異性に頼られるのは男冥利に尽きるだろう。
最近、ユリカはこうして戦術・戦略についてジュンと語り合う事が多くなっている。以前もそうした事がなかった訳ではないのだが、ここまで頻度が増したのは、火星を脱出した後からだった。
黒百合のお陰で九死に一生を得たナデシコ。その事に対してユリカも艦長として思うところがあったらしく、以前に比べて職務に力が入っている。懸念材料があるとすれば、ユリカがクルー達には普段通りの態度を見せようと、少々無理をしているという事だろうか。それとて、深刻な問題ではなかったが。
ジュンはしばし黙考した末に、性急に結論を出すのを控えた。
「今の段階だと、何にしろはっきりした事は分からないね。取り敢えず、落下したチューリップが活動していないかどうか、司令部に上申書でも書いて注意を喚起しておいた方がいいかな」
「そうだね〜。私もお父様に言っておこうかな……」
ユリカは公私の別を弁えているので、普段はコウイチロウに連絡を取るような事はしない。一見親馬鹿に見えるコウイチロウも、軍務で無ければ顔を出しはしないのだ。周囲にはあまりにも邂逅時のインパクトがありすぎて誤解されがちだが、この父娘は堅い絆で結ばれている。有事の際は、正式な手続きに乗っ取って連絡を取り合っていた。
だが結局、ユリカがこの事をコウイチロウに告げる機会は訪れなかった。この会話より時を置かずして、連合宇宙軍総司令部よりナデシコとシクラメンに正式な命令文が届いたからだ。
曰く、『ナデシコ・シクラメンの両艦は、速やかに第二艦隊と合流し、第四次月攻略戦に備えるべし』。
それは、月奪回作戦の始まりを告げるものだった。
機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE
第40話
「十六夜」
本来、第四次月攻略戦は第二艦隊のみで行われる手筈になっていた。第二艦隊が月宙域を牽制するような位置に布陣していたのも、作戦に先駆けて前線を構築する為でもあったのだ。
第一次火星会戦当初は、木星蜥蜴の艦隊に為す術も無かった宇宙軍だったが、戦争も一年の長きに渡るにつれ、木星蜥蜴への対処方法も徐々に確立されていった――当然、人的・物的な犠牲の上に積み上げられてものではあったが。戦艦の艤装からはレーザー砲が外され、ディストーション・フィールドに有効な実弾兵器――リニア・キャノンやミサイルが配置されていた。
第二艦隊の編成は戦艦・駆逐艦・巡洋艦合わせて200余り。そこにコスモスを始めとするネルガルの相転移エンジン搭載型の新造艦が合流すれば、作戦実行に十分な戦力が整うはずだった。
だがその計算は、ナナフシの出現によって覆された。
連合宇宙軍総司令部は月宙域の戦力増強のため、地球上のチューリップの殲滅を行っている第五艦隊を派遣する事を決定する。だが、それは言うほど容易い作業ではない。
第五艦隊の所有する艦艇は約150。第二艦隊に較べれば数は少ないものの、それでも三万人以上の人員が所属している。その彼らが、丸ごと宇宙へと飛び立たなければならない。
150艇分の燃料に補給物資、三万人分の水と食料。その膨大な量を僅か2ヶ月余りで用立てしなければならず、仮令それが解決したとしても、問題はそれだけではない。
150艇分の戦力が宇宙に上がるという事は、150艇分の戦力が地球から失われるという事である。現在地球上では活発でないとはいえ、未だ木星蜥蜴の猛威が消えた訳ではない。第五艦隊の抜けた穴は連合陸軍と空軍によって補われる事になっているが、どちらも木星蜥蜴に対して決定的な戦力は持ち合わせておらず、苦しい戦いになるのは目に見えていた。
だがそれでも、月を取り戻すのには大きな意義があった。
まず、戦略的な意義がある。月は巨大な鉱物資源の固まりであり、木星蜥蜴に占拠された月面都市にも、大きな資源採掘所が設けられている。木星蜥蜴との戦争を続けるに当たって、それらの資源の確保は必要不可欠だった。
また、月宙域のチューリップを駆逐できれば、宙域での木星蜥蜴の戦力供給源を一時的にせよ断つ事ができる。木星・火星方面から飛来するチューリップの数は、今のところそれほど多くはないのだ。
そうすれば、地球上の木星蜥蜴に戦力を集中する事が出来る。木星蜥蜴への大規模な反攻作戦の展開――ひいては火星の奪取のためには、地球圏内の平定が大前提である。
「地球圏の命運は、分けてはこの一戦に掛かっている」
作戦開始前の激励演説の最中、月方面攻略艦隊司令官ウィリアム・シャーテンラント大将の言葉は誇張ではない。
全方向回線で開かれたモニターの前で、シャーテンラント大将は続ける。
「遺憾ながら、我々はこれまで木星蜥蜴にしてやられ続けてきた。火星、月宙域、そして地球上において、喪われた命はあまりにも数多い。諸君らの中にも、近しい者を喪った経験のある者がいるだろう。
だが我々は、ここに漸く木星蜥蜴への大規模な反抗作戦を取る事が出来る!
今日この日を迎えられた事を、私は非常に誇らしく思う。何故なら、今日より木星蜥蜴への反撃の狼煙が上がったのだと、後の歴史に明記されるからだ!」
そして、精神的な意義がある。これまで地球側は、第一次火星会戦から負け戦を重ねてきた。防衛ラインを月宙域まで後退させて地球が陥落する事は免れたものの、チューリップの侵攻は防げず、常に木星蜥蜴の脅威に怯える日々……サセボ・シティの市民たちに代表されるように、諦念が皆の心を蝕んでいた。
だが、この作戦が成功すれば、地球側は木星蜥蜴に対して、初めて大規模な勝利を得る事となる。これまで堪え忍んできた地球市民たちは、この勝利に大いに湧く事だろう。戦争終結への、微かな希望の光が地上に降り注ぐのだ。
物的にはともかく、精神的に地球側は追い詰められている。この作戦は、是が非でも成功させなければならなかった。
「もちろん、困難は多い。月宙域には、未だ10を超えるチューリップと、新兵器であるナナフシが控えている。正直に言おう。厳しい戦いだ。
だが、我々は勝たなければならない。いや、勝つ! そのための算段は立てた。あとは実行に移すのみだ。
今まで堪え忍んできたものが結実するかどうかは、諸君らに掛かっている。最後まで勝利を信じ、戦って欲しい。諸君らの健闘を大いに期待する」
シャーテンラント大将が敬礼する。モニターの向こうでは、各艦の艦長を始めとした全クルーがそれに習っているはずだ。
たっぷり10秒、そのままの姿勢を維持して、シャーテンラント大将は敬礼を納めた。席に置いてある提督帽をかぶり、鍔の向きを整えた後、右手を掲げて宣言した。
「これより、第四次月攻略作戦を開始する!」
◆
作戦開始前の司令官の激励演説というものは、宇宙軍に限らず軍隊の伝統である。一仕事終えたシャーテンラント大将は、大きく息をついて提督席に背を預けた。
だがもちろん、気を抜いている暇はない。これからにこそ困難が待ち受けているからだ。早々に、シャーテンラント大将は特務部隊に通信を繋げるよう指示した。
特務部隊は、ナナフシ撃破という重要な使命を帯びている。作戦の成否が彼らの働きに掛かっていると言っても過言ではない。
その部隊の選定は、今までの戦果を第一に考慮して厳密に導き出されたものだったが、一つだけ不安要素があった。二艦で構成されている特殊部隊の内、一艦が軍部内では何かと風聞の悪い戦艦だからだ。
その戦艦の名前はナデシコと言った。
ネルガルという民間企業の運営するという、前代未聞の経歴をもつ戦艦である。今でこそ軍属となり宇宙軍に協力しているものの、ナデシコはかつては宇宙軍の制止を振り切りビック・バリアを強引に突破して、連合軍から目の敵にされていた。
一般の兵士と違い、水面下での事情もある程度聞いているシャーテンラント大将としては、その風聞もあくまで一側面である事は理解していた。総司令部がネルガルと交わした条約を無視して、強引に徴発しようとした結果であり、営利企業としては当然の判断だったのだろう。
勿論、シャーテンラント大将は軍人であるから、決して愉快な出来事ではないが、その件には関わっていなかった為、軍中枢と較べて客観的な視点で眺める事が出来たのだ。
ただ、そうした逸話を聞いていただけに、モニターに映ったナデシコ艦長の姿を、色眼鏡を通して見てしまったのは仕方がないだろう。どんな破天荒な人物なのか、無責任な興味も無かったとは言えまい。
しかしそんな偏見は、ナデシコ艦長と話している内に消え去ってしまった。相手の立ち振る舞いが、これぞ軍人の見本とでもいうような程、颯爽としていたからだ。
これが本当に総司令部に振り袖姿で喧嘩を売った艦長かと疑問に思った反面、やや拍子抜けした部分もあった。が、それは微塵も表には出さず、形式的なやりとりを交わし、最後に激励の言葉を掛ける。
「この作戦の成否は君たちに掛かっている。よろしく頼むぞ」
『了解しました。最善を尽くします。それでは、失礼致します』
ナデシコ艦長の敬礼を残して、ウィンドウは閉じた。
通信を終えたシャーテンラント大将は、顎髭に手を添えて傍らの参謀に視線を向けた。
「ふむ。あれがミスマル中将の一粒種か」
「は」
「色々と噂は聞いていたが……思ったよりもまともそうではないかね?」
「そのようで」
参謀は首肯した。少なくとも、今の通信内容からすれば、軍人としてのモラルを疑われるような態度は見られなかった。
「ふむ。まあ、あの件からもう半年以上経っているからな。艦長として、思うところもあったのかも知れん」
「火星から幾人かの民間人を救出するという事も成し遂げています。軍に反目して飛び出したため、それほど脚光は浴びていませんが」
「確か、フクベ提督も乗っていたのだったな。彼から何かを学んだか……何にせよ、結構な事だ」
ひとり得心したように頷くシャーテンラント大将だったが、付き合いの長い参謀の目には、期待が外れて少しだけ残念がっているように見えた。勿論、指摘したらやや子供っぽい所の残っているこの提督の事、機嫌を損ねてしまうため口を閉ざしていたが。
「だがまあ、今はそんな事よりも能力が問題だな。上手くやってくれよ……」
祈るような口調でシャーテンラント大将は呟いた。そして、自らの弱気を振り払うように大きくかぶりを振った後、参謀に向けて艦隊の前進を命令した。
「主力艦隊、前進を始めました」
ルリが報告する。艦橋正面のメイン・モニターには、300を超える艦船が隊列を成して整然と進む様が映し出されている。
『さて、それでは予てからの手筈通りに、よろしく頼むぞ、ミスマル艦長』
「はい、任せて下さいモートン艦長!」
軽快な返事に笑顔を乗せて、ユリカはモニターのモートン中佐に敬礼した。普段のぽやぽやとした雰囲気は消え去り、軍人らしいきびきびとした言動を見せている。その様子を見ていたミナト達などは、あまりの変わりように首を捻ったが、悪い事ではないので突っ込みは入れなかった。
ウィンドウが閉じると、ユリカは艦長席のコンソールに身を乗り出してブリッジを俯瞰した。
「ミナトさん、主力艦隊が交戦を始めたら、頃合いを見計らって作戦ポイントへ進路を向けます。くれぐれもシクラメンから離れすぎないように。木星蜥蜴の気を引かないよう、安全速度でお願いします」
「了〜解。まっかせて」
「ルリちゃんは引き続き周囲の索敵を。月宙域の木星蜥蜴の艦隊に変化があればすぐに伝えて」
「了解しました」
「メグちゃんは、各パイロットに格納庫で待機するように伝えて。すぐに出撃予定は無いけど、木星蜥蜴の動向によっては出て貰うかも知れません」
「はい。分かりました」
それぞれに指示を伝えるユリカに、横合いからムネタケが口を挟んだ。
「チョット艦長、大丈夫なんでしょうね」
「はい? 何がですか、ムネタケ提督」
「何がって、決まってるじゃないの。この作戦、失敗しましたじゃ済まないのよ」
相変わらず、神経質そうな口調で言う。要はユリカの管理能力を頭から疑っている訳だが、
「はい、勿論です!」
と、ユリカに満面の笑みで言い切られて、ムネタケは返答に窮した。が、此処で黙ったら負けだと思ったか、どもりながらも後を続ける。
「ほ、ホントに分かってるんでしょうね。失敗したら、敗戦の責任はアタシたちに向けられるのよ!」
「大丈夫ですよ。作戦はきっと成功しますから」
「な、何を根拠にそんな事が言えるのよ」
「信じてますから!」
にっこりと、会心の笑みで答えるユリカ。その台詞を聞いたブリッジ・クルーは一瞬だけ作業の手を止めたが、間をおかずに再開する。その顔には、面映ゆげな表情が浮かんでいた。
一方、真正面で何のてらいもなく言い切られたムネタケは、開いた口が塞がらないといった様子で言葉を失った。
「作戦を始める前から失敗した時の事を考えてもしょうがありません。今は、成功させる事だけを考えましょう!」
「ふ、ふん。分かってるわよそんな事くらい」
負け惜しみらしい台詞を吐いて、渋々ながらも引き下がるムネタケだった。
勿論、こう言い切るユリカにも不安がない訳ではない。この作戦案が決定した後も、幾度も自らの裡で作戦内容を検討し直した。
何か不備は無いか。致命的な見落としは無いか。何度も何度も自問自答を繰り返し、得た結論は『これ以上の作戦はない』というものだった。
今回の作戦は、とかく機動兵器のパイロット達への負担が大きい。彼らの任務は常に命の危険がつきまとっている訳だが、今回は特にその危険が大きかった。
(でも、きっと大丈夫)
ユリカはともすれば悲観に傾きがちになる自らの思考を励ました。
大丈夫。彼らならきっとやってくれるはずだ。それに……黒百合も付いている。彼なら――あの、火星の絶望的な戦況をたった一人で覆した彼ならば、きっと誰一人欠ける事無くやり遂げてくれる。
黒百合に頼って、責任を投げている訳ではない。彼を信頼した上で、それぞれが最善を尽くすのだ。それこそが、ユリカが火星で得た――黒百合から言葉ではなく態度で教えられた教訓だった。
「主力艦隊の月宙域到達まであと6時間。カウントをモニターに出します」
普段と変わりないルリの平静な声が、今はむしろ有り難かった。
「あの〜、艦長……」
と、それまで格納庫と交信していたメグミが、困り果てたような表情で艦長席を振り返った。心なしか、その三つ編みもしなっと力なく垂れ下がっている。
「メグちゃん、どうしたの?」
「何だか格納庫で、パイロットの人達が揉めてるみたいなんですけど……」
「ほえ?」
意外な報告を受けて目をぱちくりとさせるユリカ。その瞬間だけは、普段のぽややんとした表情を取り戻したようだった。
◆
「やっぱり納得いかねぇ! なんで俺が護衛部隊なんだよ!?」
いきり立っているのは、パイロット・スーツに身を包んだヤマダである。
格納庫の一角に設けられた控え室の中にて。パイロット達はユリカに言われるまでもなく出撃準備を整えていたのだが、それらが一段落着いて休憩していたところ、ヤマダが唐突に叫びだした。
ヤマダが今回の作戦での配置について文句を言い出すのは、これが始めてではない。それどころか、配置が発表されてからずっとこの事ばかり言っているので、他のパイロットたちも食傷ぎみだ。
その台詞を聞いた途端、リョーコやアカツキなどはウンザリとした表情を浮かべた。イツキは困ったように眉を顰め、ヒカルは「しょうがないなぁ……」といった風に苦笑している。
黒百合だけは何ら反応を返さなかったのだが、ヤマダは無謀にも彼に向かって詰め寄った。
「なぁ黒百合、今からでも編成を変えてくれよ」
「……編成は以前から決まっていた事だ。いまさら変えたら要らぬ混乱を招く」
「でもよぉ」
ヤマダが口を尖らせる。
今回の作戦では、ナナフシを撃破するための遠征部隊と、ナデシコ・シクラメンを護る為の護衛部隊に分かれているのだが、彼は遠征部隊に抜擢されなかったのが大いに不満だった。
確かに、ヤマダの性格からしてディフェンスよりもオフェンスを好むのは自明の理だったのだが、他ならぬ黒百合の判断で、ヤマダはナデシコに残る事となった。同じく護衛部隊に編成されたヒカルが、毎度のごとくヤマダを収めに掛かる。
「まあまあヤマダ君。もう決まった事だからしょうがないでしょ?」
「そうそう。チームに入ったからには最低限のルールは遵守しないとね」
「我が侭言ってんじゃねぇぞ、ヤマダ」
「……我が侭なんかじゃねぇよ」
ふて腐れたような口調のヤマダ。いつもと違うその反応に、他の面々はかるい驚きを浮かべた。
「自分で言うのもなんだが、俺ははっきり言って前衛向きだ。後衛から援護するってのは性に合わねぇ。そういうのは、俺なんかよりイズミの方がよっぽど向いてるだろ?」
「そりゃまあ……」
「それぞれに合った任務をあてがった方が、精度もいいし成功率も高ぇ。なら、役割を取っ替えた方が効率がいいんじゃねぇかって事だよ!」
両手を広げて訴えるヤマダ。暑苦しい言動は相変わらずだが、言っている事は当を得ている。パイロットとしては至極当然の事をいっているのだが、普段が普段だけに違和感が凄まじい。
「……ヤマダ、お前ぇ、なんか悪いモンでも食ったのか?」
「なんでだよ、おい!」
「……でも、確かにそうね」
それまで沈黙を保っていたイズミがぼそりと呟く。我が意を得たりと勢いづくヤマダ。
「だろぉ? だから俺は――」
「でも、それはまた作戦とは別問題。得手不得手だけで判断出来る事ではないわ」
「……むぐ」
「イズミ、オメーどっちの味方なんだよ?」
「私が言いたいのは、理由の説明があって然るべきなんじゃないかって事よ」
その言葉に、その場にいた全員の視線が、黒ずくめの青年の方へと向く。言葉でなく質問を受けた黒百合は、泰然として腕を組んでいた。
「……理由か。理由はある」
「どんなだい?」
揶揄するような口調で問うアカツキ。明らかに事態を面白がっている。それを知ってか知らずか、黒百合の口調は変わらない。
「問題はお前の性格だよ、ヤマダ・ジロウ」
「フルネームで呼ぶなっ」
呻くヤマダ。格闘術の指南を頼んでいる手前、彼は黒百合に頭が上がらない。自分の魂の名前を呼ばれなくても、黒百合にだけは文句を言えないのだが、流石にフルネームで呼ばれるのは嫌だったらしい。
「問題……? んなこと言ったって、コイツの性格問題だらけだぞ?」
「そういう表層的な事ではないさ。少なくとも、今の此奴にナナフシ撃破は任せられない」
「だから、何で!」
「こういう事は人から言われただけでは意味がない。自分で気が付かなければな」
「ヒントも無しかい? 随分厳しいねぇ」
「ヒントなら、今までシミュレーターや組み手の中で幾らでも示してあるはずだぞ。それでも直らないから言っているんだよ」
「今まで……?」
「よく思い出す事だな。ともかく、編成に変更はない」
黒百合はそこで話を打ち切った。やや険悪な空気が控え室の中に漂う。そこに、メグミから話を聞いたユリカのコミュニケが開いた。
『黒百合さん、何かあったんですか?』
「艦長か。いや、問題ない」
『そうですか? 危険な任務ですから、皆さん気をつけて下さいね』
「ああ、勿論だ」
黒百合とユリカが会話を交わしている傍らで、ヤマダはぎりっと歯噛みしつつも、それ以上の言葉は飲み込んだ。今までの黒百合の言動には、ちゃんとした理由があった。それを説明しないのにも訳があるのだろう。そう考えるしかない。
仲間だから信じる――そう言ったのは、他ならぬ自分自身なのだから。
そんなヤマダに、ヒカルが小声で話しかける。
「ヤマダ君、今はともかく全力で任務を果たそう? 黒百合さんの事だから、きっと考えがあるんだよ。ね?」
にぱっと笑いかけてくる彼女に、ヤマダの肩の力が抜けた。
「そっか……そうだよな」
「そうそう。そんな事に気を取られてて、怪我でもしたらつまんないでしょ?」
「ああ、分かったぜ。ごちゃごちゃ考えるのはやめやめ。俺の性に合わねぇ」
「そっちの方がヤマダ君らしいよ」
「あんがとよ、ヒカル。でもな、一つだけ言っとくぜ」
「ん、なーに?」
小首をかしげるヒカルの眼鏡の真ん前に人差し指を突きつけて、ヤマダは小声で――しかし高らかに言い放った。
「俺の名前はダイゴウジ・ガイだっ」
「……ホント、そっちの方がヤマダ君らしいよ」
そう呟くヒカルの表情は、呆れているようでも喜んでいるようでもあった。
地球――テニシアン島。孤島に設けられた屋敷のテラスにて。
クリムゾン家令嬢アクア・クリムゾンは、雲一つ無い星空を天蓋にして、優雅に紅茶を楽しんでいた。
「いい星空ですわね……」
誰にともなく呟く。
この屋敷にはアクアのみが暮らしている……という『設定』になっているが、実際の所は屋敷や庭、プライベート・ビーチの維持・管理やアクアの衣食住の世話の為に、23名の給仕が住み込みで働いている。
しかし、アクアの我が儘で彼女の目の前に出てくるのを禁じられているため、彼女の目を憚って日々の業務に精を出していた。食事なども、彼女が定時に食堂に現れる前にテーブルの上に並べておいて、アクアは出来立てで湯気を上げている料理を一人で食べるのだ。勿論、後片づけなどするはずもない。
今アクアが飲んでいるティー・セットにしても、彼女が「今夜は、星空の下で紅茶が飲みたいわ」と昼食時に独り言を呟いた結果、夜7時にテラスに出たら用意してあったのだ。
給仕が苦心して用意したダージリンの味と香りを存分に楽しんでいると、横合いから(アクアの観点からすれば)無粋な声を掛けられた。
「貴女、いつもこんな無駄な事をしてるの?」
アクアは優雅な微笑を浮かべたまま声の主に視線を向ける。その先には、深紅のスーツに身を包んだ金髪ロングの女性が、あからさまな呆れの表情を浮かべていた。
彼女の名前はシャロン・ウィードリン。アクアの父、リチャード・クリムゾンと妾の間に生まれた娘で、要はアクアの異母姉妹である。
微笑を崩さぬまま、アクアは応えた。
「あら、世の中に無駄な事なんてありませんわよ、お姉様」
シャロンは実父とは仲が悪く、母方の姓を名乗っており、自然嫡子であるアクアとも仲が良くない。と言うよりも、シャロンの方が一方的にアクアを嫌っている。
そのアクアに『お姉様』呼ばわりされて、シャロンは僅かに顔を引きつらせた。勿論アクアはそれを承知で言ったのだが。
シャロンは感情が顔に出易いため、その表情の変化が面白くて、アクアは度々この半分だけ血の繋がっている姉をからかっていた。少なくともアクアに悪気はないのだが、だからといって許せるはずもなく、シャロンがアクアを嫌うのは当然の帰結だった。
声を掛けられたシャロンは、僅かに表情を動かしたものの、すぐに表面上の平静を取り繕ってしまった。顔を合わせる度に同様のやりとりが交わされているので、流石にシャロンも対処方法を覚えたようだ。つまらなく思いながらもアクアは続ける。
「予定よりもお早いお着きでしたのね。言って下されば、お出迎えに上がりましたのに」
「あんたがテラスで紅茶を飲んでいる目の前を、飛行機が通り過ぎたでしょうが!」
だがそんなシャロンの努力も、異母妹の物言いにすぐさま吹き飛んでしまった。声を荒らげる彼女に、アクアはすまして、
「あら、そうでしたの? 私ったらすっかり気付かなくて」
「気付かない訳ないでしょう! 飛行機の窓から、あんたがこっちを向いたのがはっきりと見えたわよ!」
「あら、お姉様ったら目がよろしいんですのね。野生児みたい」
本気で感心して言ったのだが、シャロンの気には召さなかったらしい。彼女は何かを堪えるように、低い唸り声を上げていた。
「まあ、そんな荒みきった目で睨んだら怖いですわ、お姉様ったら」
「……! この……っ!」
おどけるアクアにシャロンは切れかけたが、このままではこの異母妹を調子に乗らせるだけだと思い止まった。なんとか平静を保つように、大きく息を吸い込む。
「……はあ、もういいわ。取り敢えず、バリア装置を設営するわよ」
努めて事務的な物言いをするが、その声はまだ怒りの余韻で震えていた。ともかく、早めに話を切り上げるに限る。
「あのチューリップを取り囲むんですの?」
「そうよ。用心に越した事はないわ」
「まあ、せっかくの天からの贈り物ですのに、もったいないですわね」
「……そういう問題じゃないでしょう」
シャロンは本気で頭痛を感じてこめかみを指で押さえた。
今回、シャロンが嫌っている異母妹の所に来たのには勿論理由がある。
世間では木星蜥蜴と呼ばれている正体不明の無人兵器群……しかしその実態は、木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星小惑星国家間反地球共同連合体――通称木連という歴とした人類国家である。シャロンはその木連とコンタクトをとり、そのテクノロジーをクリムゾンに取り込むための交渉を任されているのだ。
アクアはそういった事情を知った上で、こんな寝ぼけた発言をしているのである。これが普通の人間相手であれば、ただの馬鹿として切り捨てている所だが、このアクアはそういったものとは種類が違う。客観的に見て怜悧な頭脳の持ち主なのだが、重度の性格破綻者なのだ。
半分血が繋がっていると言っても、シャロンにはこの異母妹が何を考えているのかさっぱり分からない。
ともかく相手にしないのが一番だと自分自身を諭して、シャロンは常人より少なめな忍耐力をフル動員した。
「バリア設置の作業は明日の朝から取りかからせて貰うわ。今日は取り敢えず機材を搬入するから。くれぐれも技術員たちの邪魔はしないでちょうだいよ」
「あら、そんな言い方は心外ですわ。私はお姉様の邪魔をしようとした事なんて一度もありませんわよ。ただ、不幸な事故が重なって、結果としては邪魔をしてしまっただけですわ」
「……何でもいいから、機材には近寄らないで。いいわね!」
「分かりましたわ」
にっこりと笑ってアクアは請け負った。その笑顔が当てにならないと知っているシャロンはそれでも不安そうだったが、何にせよこれから行う作業のために、技術員達を待たせているのだ。これ以上時間を取られる訳にはいかない。
なおも何か言いたげなアクアを無視して、シャロンは屋敷へ戻るために踵を返した。と、テラスの入り口に目を向けたところで、ぎょっとして踏み出しかけた足を止めた。
つられてアクアも視線を向ける。そこにいた人影を見て、彼女は歓声を上げた。
「まあ」
テラスドアの片隅に、一人の男が音もなく佇んでいる。
雪のような真白の芳髪。赤道直下の島であるにも拘わらず黒のロング・コートを羽織り、顔の半分を骸骨のような造形の仮面で覆っている。
いったい何時からいたのか、特に隠れていた様子もないのに、先ほどからアクアもシャロンもまったく気付かなかった。
もちろん、こんな凄まじく怪しい格好をした人物はアクアの給仕の中にはいないから、シャロンと一緒にやって来たのだろう。クリムゾン家の嫡子と庶子の二人に視線を向けられながら、半仮面の男は身じろぎひとつしない。
「お姉様、こちらの素敵な殿方はどなたですの? よろしければ紹介して頂けないかしら」
「……こんな怪しい男の何処が素敵なのよ。こいつは私の護衛役。あんたの婚約者の部下よ」
「まあまあ、カインの部下の方ですか。申し遅れました、私、アクア・クリムゾンと申します。どうぞ親しみを込めてアクアとお呼び下さいな」
「……グリームニル」
スカートの裾を上げて会釈するアクアに、半仮面の男はぼそりとそれだけを呟いた。その横合いから、シャロンが口を挟む。
「無駄よ。この男、飛行機の中で話しかけてもほとんど答えないんだから。誰が雇い主だか分かってるのかしら」
「そうなんですの?」
「…………」
問い掛けるアクアにも、グリームニルは無言。
シャロンは話を打ち切るように、ブロンドの髪を振るわせて、
「ともかく、時間もないから作業に掛からせて貰うわよ。何度も言うけど、くれぐれも邪魔はしないで」
「分かっていますわ、お姉様」
微笑を浮かべながらひらひらと手を振るアクアに背を向けて、シャロンは足を踏み出した。
振り向いた折に、水平線の向こうに浮かぶ月の姿が目の端に触れる。今日は8月29日。連合宇宙軍の月攻略作戦が実行される日でもある。勿論それを承知で到着日をこの日に設定した訳だが、改めてその事実をシャロンは思い出した。
(今の内に、せいぜい好き勝手していればいいわ。ネルガルも、宇宙軍も、そして……クリムゾンも)
冷ややかな、それでいて激しい情念を胸の裡に抱いて、シャロンは確固たる足取りでその場を立ち去った。それに無言で付き従う半仮面の男。
満月からほんの少しだけ欠けた十六夜の月は、時ならぬ来訪者に戸惑いを浮かべているようにも見えた。