ナデシコ及びシクラメンの安全の為にパイロット達を見捨てるか、パイロットを助ける為に全クルーの命を危険に晒すか。
今突きつけられている命題はそういう事だった。しかも、決断までに残された時間は刻一刻と過ぎ去っていく。悠長に悩んでいる暇はない。
それは、シクラメン艦長のモートン中佐も承知していたのだろう。通信に出るなり、挨拶も省略して用件を切り出した。
『ミスマル艦長、ナナフシの動きこちらでも確認した。至急、対処しなければならん』
「はい」
『そちらから通信を繋いで来たという事は、何か腹案があるのだと推測するが?』
「……はい。ともかく今は、相転移エンジンが起動し次第、即座に後退すべきです」
「なっ!? 艦ちょ……」
「ちょ、ヤマダ君、今は駄目だよ!」
ユリカの言葉を聞いてヤマダが声を上げ掛けたが、ヒカルが慌ててその口を押さえた。
そちらの方は取り敢えず、モニターに映らない位置で手を振っておいて、ユリカは続ける。
「ナナフシの砲撃は第二艦隊のバリア艦をも貫きました。ナデシコのディストーション・フィールドでも、マイクロ・ブラック・ホールの直撃に耐えられるとは思えません」
『そうだな。だが、ただ後退するだけでは芸がない。違うかね?』
まるで生徒に質問する教師のような口調で、モートン中佐。難解な課題だが、この生徒なら解いてくれる……という期待と確信に満ちた声に、ユリカは満面の笑みで応えた。
「はい、もちろんです。ナデシコには機動兵器の長距離航行用の追加ブースターが積んであります。全速力で向かえば、10分程でナナフシに到着できるはずです』
『機動兵器用のブースターがあるのか……なるほど、それなら間に合うかも知れんな。だが生憎と、シクラメンには搭載していない。ナデシコの機動兵器だけで当たって貰う事になるが、大丈夫かね? それに、ナナフシからの迎撃もあるだろう』
「木星蜥蜴の無人兵器は、遠征部隊を第一標的にしています。ナナフシの正面を避ければ、さしたる抵抗は無いと推測します。
エステバリスには対艦用のミサイル・ランチャーを携帯させて、ナナフシ周辺の小型チューリップを撃破して貰います」
『小型チューリップを? ナナフシは無視するのかね?』
「はい。どちらにせよ、急場で用意した火力ではナナフシは落とせません。周辺のチューリップさえ黙らせておけば、あとは黒百合さん達が何とかしてくれます」
まるでそれが決定事項であるかのように、ユリカは言い切った。それ以外の結果は考えてもいないようだった。
『クロユリ君か……あの、黒い機動兵器のパイロットだったな。カンザキ中尉たちからも話は聞いているが……
分かった。どうも他に手段は無いようだ。そちらにばかり負担を掛けるようで心苦しいが、せめて守備体制はこちらで万全に整えさせて貰おう。無人兵器がこちらに向かって来ないとも限らんからな』
「はい、宜しくお願いします」
ぺこり、と頭を下げると、シクラメンからの通信は途切れた。ユリカは間を置かずに、格納庫へコミュニケを繋ぐ。
「ウリバタケさん、話は聞いてましたか?」
『おーう艦長! しっかり聞いてたぜ!
追加ブースターと対艦ミサイルはもう取り付け始めてる。安心しな、あと15分で完璧に仕上げてみせるぜ!』
「はい。信じてますから」
にっこりと笑い掛けるユリカに、ウリバタケは鳩が豆鉄砲を食らったような表情をつくって、それから慌ててそっぽを向いた。
『お、おう。任せとけって』
「それじゃウリバタケさん、宜しくお願いします。
ヤマダさん、ヒカルちゃんは至急格納庫へ! 発進準備が整い次第、遠征部隊の救援に向かって貰います!」
後半の台詞は、下部ブリッジで事態を見守っていたパイロット二人に向けられてものだ。
ヤマダは俄然とやる気を漲らせた。
「よっしゃ、そう来なくっちゃあ! 任せとけ艦長! 黒百合たちは、俺の命に代えても助けて見せるぜ!」
「それじゃ駄目です!」
「へっ?」
声を荒らげたユリカを、ヤマダは呆然と見返した。
ユリカは真剣な表情で続ける。
「命に代えても、なんて言っちゃ駄目です。私は、みんなが生きて帰れて、その上で作戦を成功させる方法を考えてるんです。黒百合さん達の代わりにヤマダさんが死んじゃったら、何の意味もないんです。
知ってます? クルーが死んじゃった場合、ネルガルがお葬式を代行する事になっていて、その葬儀は艦長の私が執り行う事になるんですよ?
私、ヤマダさんのお葬式なんてしたくありませんから! フクベ提督のだけでもう十分です!」
「…………」
呆然と、ヤマダはユリカを見上げていた。背後から、ヒカルのおどける声が聞こえてくる。
「それに、ヤマダ君の葬式なんて、ゲキガンガーに決まってるもんねー。そんな葬式、誰もやってくれないって」
「それもそうよねぇ〜」
「準備だって大変ですし」
「そんな葬式は煩そうですしね」
「ワタシも、ヤダ」
追従するブリッジ・クルー達。
ヤマダはしばし言葉を失っていたが、やがて精悍な笑みをそのおもてに浮かべた。
「へっ! 誰に言ってやがる! このダイゴウジ・ガイ様が死ぬ訳ねぇだろ!
任せときな! みーんな助けて、俺様も戻ってきてやるさ!」
威勢の良いその声が、僅かに震えている事には誰も触れなかった。
「よーし、行くぜヒカル!」
「うん!」
ヒカルもまた笑みを浮かべて、ヤマダの声に応えた。
◆
ウリバタケは、ブリッジからのコミュニケがあった跡を、惚けたように見つめていた。
「班長? どうしたんスか?」
「……あん? 何でもねーよ」
怪訝そうに声を掛けてきた部下に応えて、彼は顔を背けた。
(信じてますから……か)
ユリカは確かにそう言った。疑いの余地など全く挟んでいない、透き通った笑顔で。
こんな切迫した事態であれば、整備を急かすのは当然であるのに、ユリカはそんな事は言わなかった。それは、ウリバタケを――引いては整備班のクルーを完全に信用しているという証だった。言葉ではなく態度で、ユリカはそれを示していたのだ。
その期待に応えられなくて、何が整備班長か。
ウリバタケはにやりと不敵な笑みを浮かべて、鼻の下を人差し指で擦った。
「……へっ、やってやろうじゃねぇの。
おらおら手前ぇら! パイロットの命が掛かってるんだ、時間が無いからって手ぇ抜くんじゃねぇぞ! こんな時こそ完璧に仕上げるんだ! 整備班魂を見せてやれ!」
「「「「うぃーっス!!」」」」
機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE
第42話
「月に吠える」
木星蜥蜴の攻勢は留まる処を知らなかった。倒しても倒しても、後から後から湧いて出る虫型無人兵器の群れに、堪りかねたカズマサが悪態をつく。
『畜生、キリがねェぞ!』
『チューリップは無かったんじゃなかったの!?』
『どっから湧いて来やがる!』
無人兵器は個々の戦闘力はさほどではないが、ともかく数が多い。雲霞の如く、と言っては大げさだが、11機の機動兵器相手としては異常なほどの戦力だ。
圧倒的な物量作戦。それが、戦略に乏しい木星蜥蜴が地球側を圧倒してきた理由だった。
『このままじゃジリ貧ね』
イズミが冷静な意見を述べる。先ほどからエステバリス隊は100mと進めていなかった。その事実にクロウは歯噛みする。
「もう、一か八かで強行突破するしかないか……」
大型バッテリーを備え付けているとはいえ、エステバリスの活動時間は短い。あと20分もすればエネルギーが底を尽くだろう。
だとすれば、もうこんな場所で無人兵器に関わっている暇はない。ナナフシ撃破の為の部隊を先に行かせる為に、残りが此処に立ち塞がって援護するのだ。
だが問題は、木星蜥蜴がチューリップをナナフシ周辺に配置していた場合、機動兵器がナナフシまで到達できる保証が無い事だ。よし辿り着けたとしても、無人兵器のただ中を突っ切る為には、少なからず砲弾を浪費してしまう。本来であれば、砲戦フレームの弾を温存する為に、ゼロG戦フレームが援護する手筈だったのだから。
『木星蜥蜴の増援を確認! 数は約1500!』
イツキが無情な事実を告げる。どうやら迷っている時間は無さそうだった。クロウは即座に決意し、先ほどから前衛で奮起している二人に呼びかけた。
「カズマサ、ジェシカ! 強硬突破して砲戦フレームを先行させる。援護してくれ!」
『応、確かにそれしかねェわな。任せとけ!』
『オッケィ!』
『お、おい! オレ達だけ先に行けってのかよ! 残ったヤツらはどうすんだよ!?』
「残りはこの場に踏み留まって貰うよ。どちらにせよ、こんな所で時間と弾を無駄にする訳にはいかないんだ」
『だ、だけどよ……』
『リョーコ、確かにカンザキ君の言う通りよ。もう時間がないわ』
イズミに重ねて言われて、リョーコも渋々ながら納得せざるを得なかった。ナナフシ撃破の為にはそうするしかないという事は、彼女にも分かっていたのだから。
『ちっ……わぁったよ! 絶対にナナフシをぶっ潰してやるからな!』
『頼んだぜェ、リョーコ!』
『ああ! おめぇも落とされんじゃねぇぞ、カズマサ!』
『当たり前だろーが』
笑い合う二人を、ジェシカは半眼で見やった。
『……ふーん。カズマサって、リョーコの前だとヤケに素直だよねー』
『あ? な、何言ってやがんだよ、ジェシカ』
『…………別にぃ〜』
『お、おーい?』
『ふ、二人とも。ほら、今はそんな場合じゃないでしょ?』
イツキのフォローも苦しい。こんな時、シンヤがいれば上手く場を収めてくれるのだが……
そう考えて、クロウはふっと苦笑を漏らした。命がけの場面だというのに、いつも通りのやりとりを交わしている二人が可笑しく思えたのだ。
気を取り直して、クロウは黒百合に呼びかけた。
「黒百合さんも、此方と一緒にナナフシ撃破に向かって下さい」
『ああ……だが、待て。ナデシコから通信が入ってる』
「え? でも……」
先ほどから交戦状態に入った為、母艦との通信は途絶えたままだった。その疑問を口にする前に、黒百合が回答してくれた。
『ブラックサレナは、通常のエステよりも通信系が強くなっているからな』
それは、ラピスのサポートを受ける為に、ナデシコに納品されてからウリバタケの手によって付加されたものだった。
勿論、通信を交わしている間も黒百合はバッタ達と渡り合っている。
『どうやら、ナナフシが此方へ向かっているらしい。母艦の存在に気付いたようだ』
「ナナフシが!?」
『ナナフシって動けたのかい?』
アカツキが意外そうな声を出す。
『どうもそうらしいな。それに、ナナフシの周辺に小型チューリップが潜んでいたようだ。この無人兵器の数はその為だな』
『伏兵かよ。木星蜥蜴のクセに、えらくせこい手を使ってくれるじゃねェか』
「それじゃあ……」
『このまま先行しても、無人兵器に阻まれてナナフシに辿り着けない可能性もあるな』
『くそっ! 打つ手なしかよ!』
「せめて、チューリップをどうにか出来れば……」
『その為に、ナデシコから増援を寄越すそうだ。増援がチューリップを破壊したら、砲戦フレームを突入させてナナフシを撃破する作戦らしい』
「増援って……どうやって来るつもりなんですか!?」
呆気にとられたクロウの問い掛けに、黒百合は珍しく苦笑をひらめかせて、
『……どうやら、バカが飛んで来るらしいぞ』
「『『『『『『はぁ?』』』』』』」
◆
「誰がバカだ!」
と、エステバリスのコクピットの中で叫んだは、誰もが認めるバカ――もとい、ヤマダ・ジロウ。
『あん? 何言ってんだいきなり』
「あ、いや、誰かにバカと言われたような気が」
『……どう考えたってお前ぇはバカだろ、ヤマダ』
「ち、違うぞ博士! それに、俺の名前は――」
『あーはいはい、分かった分かった! それより、今言った話は分かったな!?」
「お、おう」
どもりがちなヤマダの返事に、ウリバタケは不安を覚えた。
『ホントに大丈夫なんだろうな……』
「大丈夫だって!」
『いいか、対艦ミサイルに予備はねぇんだ、外すんじゃねぇぞ!』
「ああ、分かってる。俺に任せとけ!」
『……ったく』
あきれ顔でウリバタケはコミュニケを閉じた。それと入れ違いに、今度はヒカルのウィンドウが開く。
『ヤマダ君、ホントに大丈夫〜?』
「ヒカルまで何言ってんだよ! 大丈夫だっての!」
『あはは、冗談だよ』
おどけるヒカル。ヤマダも、彼女が作戦前の緊張をほぐす為に通信を繋いできた事は分かっていた。
たわいもない会話を交わしている間にも、着々と発進準備は進んでいく。
ヒカルは、ヤマダが彼女の冗談に笑いながらも、彼らしからぬ陰りを帯びた表情を浮かべている事に気付いていた。
少し逡巡した後、ヒカルは尋ねた。
『……ねえヤマダ君。どうかしたの?』
「ん? 何がだ?」
『何か、悩み事抱えてるみたいな表情してたから』
言われて、ヤマダは気まずそうな表情を作った。これも、普段の彼らしくない。
「あー、いや、悩み事っつぅか……」
『何かあったの? よかったら相談に乗るけど。考え事しながら出撃したら危ないし』
「んーとな、そんな大した事じゃねぇんだけど……ちょっと、さっき艦長が言ってた事で、な」
『あー、艦長の?』
そう聞いて、ヒカルも思い当たる節があった。出撃に際してのブリッジでの一幕は、今までのユリカに対する認識を覆すものだった。
『たしかに、艦長があそこまでしっかり考えてたなんて、意外だったモンねぇ』
しみじみと言う。しかし、ヤマダはヒカルの言葉には頷かなかった。
「いや、別に意外だった訳じゃねぇさ。ただ……俺って、黒百合の言う事を全然分かって無かってなかったんだって思ってな」
『黒百合さん? あ、もしかしてあの時言ってた?』
「ああ。艦長の言葉を聞いたら、その理由が分かったような気がしてな。
組み手ん時とかシミュレーターで対戦してる時とかよ、黒百合は何度も言ってたんだよな。突っ込むな、死に急ぐな、第一に生き残る事を考えろ、外見を気にしすぎるな……」
『…………』
「俺もその場では分かった気でいたんだよな。でも、結局何にも分かっちゃいなかった。
艦長がよ、黒百合の代わりに俺が死んじゃあ何の意味がないって言った時、ようやく分かったんだ」
仲間の為に命を張れる、という事は確かに尊い。ヤマダはそれこそが仲間の証だと思っていた。だが、自分が命を落とした後に、残された者の哀しみを考えていただろうか?
答えは否だ。仲間も、自分も、皆生き残るのが一番良いに決まっている。
その事に気付かずに、自分は目先の格好良さに目を奪われていた。これでは、黒百合が遠征部隊から自分を外すのも当然だ。自分が死ねば、エステバリス1機分の戦力が失われ、その分作戦の成功率も下がり、引いては部隊全体の生存率にも関わるのだから。
「黒百合はその事に気付かせる為に、あんな事を言ってたんだな……」
『ヤマダ君……』
「へっ、出来の悪い生徒だよな、確かに。
だけどよ、これからは外見なんて気にしねぇで、形振り構わず強くなってやる。そんで、黒百合に俺の事を認めさせて、俺を魂の名前で呼ばせみせるぜ! そう! ダイゴウジ・ガイ、と!」
意気込んで言った途端、ヒカルが拍子抜けしたような表情を浮かべたが、熱弁を振るっているヤマダは気付かなかった。
『……結局ソコに戻るんだ……』
「その為に、絶対に黒百合たちを助ける! そして、俺たちも生き残るんだ! やってやろうぜ、ヒカル!」
『あー、うん。そうだね。頑張って』
白けた口調でヒカルが言う。と、彼女の横にウリバタケのウィンドウが開いた。
『ヤマダ、取り付けは終わったぞ! カタパルトで発進準備してくれぃ!』
「おう、分かったぜ博士! んじゃヒカル、また後でな」
『あー、はいはい。……感心して損した』
コミュニケを閉じる間際のヒカルの呟きは、ヤマダには聞き取れなかった。
重力カタパルトに足を踏み入れるマリン・ブルーのエステバリス。その右肩には、パーソナル・マークであるゲキガンガーの胸像が輝きを放っている。
『ヤマダ機、発進準備整いました』
『進路、問題ナシ』
コクピットの中でいくつものウィンドウが開き、報告を読み上げていく。そして全ての準備が整ったところで、ユリカが顔を出した。
『ヤマダさん』
「艦長、もう心配は無用だぜ。さっき艦長が言った事は、絶対に守ってみせる!」
『はい、気をつけて!』
「よぅっし。ダイゴウジ・ガイ、出るぜ!」
カタパルトの信号が青に変わり、途端に機体に加速度がかかる。重力場の偏向によってカタパルトの向こうへ『落下』するエステバリスは、見る間に速度を上げていった。
それに伴い、ヤマダの視界が狭まっていく。そして、解放。
ナデシコから飛び出したエステバリスは即座に増設ブースターを点火。地球上と違って空気の抵抗を受ける事もなく、エステバリスは発進10秒たらずで音速を突破した。当然身体に掛かる荷重も大きく、トレーニングで鍛えた肉体も悲鳴を上げている。
だがその甲斐あって、レーダーに映るナナフシの光点はみるみるその距離を縮めていった。途中、モニターに映る月の地表で、戦闘の光らしきものが閃くのを目にしたが、ヤマダは進路を変更したい欲求をぐっと堪える。
大丈夫。彼らなら持ち堪えてくれる。それよりも、今は無人兵器の供給源を断つのが先決だ。ひいては、それが彼らを助ける事に繋がるのだから。
背後を振り返ってみれば、イエローのエステバリスが続いているのが分かる。こちらと同じように追加ブースターを噴かせ、対艦ミサイル・ランチャーを大事そうに抱えていた。
このミサイル・ランチャーは、火力はあるものの砲身が5メートルと大型で、その上2発の対艦ミサイルしか搭載できない為、遠征部隊の装備には不向きと判断された代物だった。
ブラックサレナのティアーズ・ライフルと同時期に支給された新型武装の一つだが、さっそく役に立つ場面が巡ってきた訳だ。
やがて、モニターに映る視界の中にもナナフシの姿が近づいてきた。直線距離にして約30q。このままの速度で行けば30秒足らずで辿り着くが、あくまで目標はナナフシ周辺に浮かぶ小型チューリップである。
ヤマダは右手のコンソールに力を込め、スロットルを思いっきり踏み込んだ。エステバリスはヤマダの意志を受け、脚部のブースターを全力で逆噴射する。
見る間に速度が低下し、狭まっていた視界も僅かに広がりを取り戻す。それでも、無人兵器が対処出来る速度ではなかった。
足をわさわさと不気味に動かし、その図体故にゆっくりと移動するナナフシ。その脇に浮かんでいる小型チューリップに狙いを定める。顎を開けて無人兵器を吐き出しているそれは、超音速で近づいてくるエステバリスに反応できなかった。
「パージ!」
ヤマダは逆噴射をしながらも、肩に付いている重槽を切り離す。
パージされた重槽は、慣性の法則に従い、狙い違わず小型チューリップに突き刺さった。
小型チューリップもディストーション・フィールドを備えているとはいえ、その強度はやはり通常のチューリップに劣る。重槽はフィールドを突き破って爆発し、小型チューリップの装甲を砕いた。
まるで悲鳴を上げるかのように、チューリップの胴体が震えた。その口から吐き出される無人兵器の脇を通り抜け、無防備な腹に肉薄したマリン・ブルーのエステバリスは、肩に担いだ長大なミサイル・ランチャーを狙い付ける。
「くらいやがれ! ゲキガン・シュゥゥゥゥゥトっ!」
吠えるヤマダの声と共に、対艦ミサイルが火を噴いた。
◆
チューリップ撃破の報は、すぐさま黒百合にラピスを通じてもたらされた。そのデータを各機体に送信する事で、すべてのエステバリスが情報を共有する事ができる。
報告を聞いたクロウは、すぐさま命を下した。
「よし、ナナフシ撃破に向かうんだ! ジェシカ、道を開いてくれ!」
『オッケィ、任せて!――スパイラル・アターック!』
オレンジのアルメリアが、右腕のスパイラル・シェイバーを掲げて突貫する。
スパイラル・シェイバーは内部にディストーション・フィールド発生ブレードを内蔵し、機体を包むフィールドとは別にピンポイントにフィールドを発生させる。それが螺旋を描くエッジと共に高速回転する事によって、削岩機のような破壊力を生み出すのだ。
それまで、黒百合やヤマダらがフィールドを拳に収束させたり、高速度アタックなどで攻撃に用いてはいたものの、あくまでディストーション・フィールドは防御としての用が主だった。それを攻撃兵器として確立させたのは、ジェシカ機のスパイラル・シェイバーが初めてだった。
全力稼働したスパイラル・シェイバーの破壊力と、4機のアルメリア中最速を誇るスピードを活かしたディストーション・フィールドによる高速度攻撃『スパイラル・アタック』は、既存の兵器の中で有数の突貫力を誇っていた。並み居るバッタ達を薙ぎ散らし、文字通りナナフシへの道を開く。
『クロウ!』
「よし、突貫!」
無人兵器の群れの中に開いた空白に、すかさずクロウたちが滑り込む。残りのゼロG戦フレームが射撃で援護し、クロウ、リョーコ、アカツキの三人は戦場を突破した。
追いすがろうとした数機のバッタを、ブラックサレナのサイズが薙ぎ払う。
『殿は俺が取る』
「黒百合さん、お願いします。皆、後は頼んだよ!」
『応、任せとけって』
右手のダスラー・クローを振って、カズマサが応える。その姿も、無人兵器に遮られてすぐに見えなくなった。
全力のローラー・ダッシュで月の地表を駆ける、4機の機動兵器。30機ほどの無人兵器が追って来たものの、全てブラックサレナのフォールディング・サイズの餌食となった。
しかし、未だ危機は凌げていなかった。さしたる時間もなく、新たな機影が前方に確認される。
『前方にバッタだぜ! 数はおよそ500!』
『拙いねぇ。そんなのに拘わっている暇はないんだけど』
悲嘆に暮れたようにアカツキは言うが、その口調には相変わらず悲壮感が欠けていた。
ローラー・ダッシュは反重力スラスターを使用するのに較べれば燃費は良いものの、どうしても速度については劣る。それに、アルメリアやブラックサレナはともかく、砲戦フレームは飛行には向いていない。この場でばらける訳にはいかない為、遅い機体に足並みを合わせるしかなかった。
機動兵器のバッテリーの残量も少ない。此処で時間を取られる訳にはいかなかった。
「仕方ない、強硬突破します! ただし、出来るだけ弾は温存して!」
『マジかよ!?』
『無茶言うねぇ。ま、そうするしかないんだけどさ』
『いや、此処は俺が足止めする。お前達はナナフシへ向かえ』
『おい、黒百合!?』
リョーコが非難の声を上げる。
『そりゃ、いくら何でも無茶ってもんじゃないのかい?』
『此処で戦闘して、後から追いつけるのは内部動力を積んでいるブラックサレナだけだ。四の五の言うなよ。事態は一刻を争う』
黒百合の言っている事は正しい。だが、彼の為人を知る者からすれば、だからこそ不安に思うのだ。以前の火星での彼の行動を知っているクロウからすれば、なおさらに。
だが、他に方法が無いのも確かだ。クロウは余計な時間を掛けなかった。
「わかりました。黒百合さん、お願いします」
『おい、クロウ!?』
「今は、論議を交わしている時間は無いよ」
『そういう事だ。心配するな、後から駆けつけるさ』
『黒百合……』
「ええ、お任せしますよ。でも、また火星の時みたいな事になったら、イツキじゃないけど恨みますからね」
『肝に銘じておく。さあ、行け!』
言うが早いか、漆黒の機体が宙を舞い、無人兵器の群れに突撃を掛ける。先ほどと同じく、フィールド・アタックで開いた突破口を、クロウたちは駆け抜けた。
後背では戦闘の閃光が絶え間なく瞬いているが、クロウたちは振り返らなかった。ひたすら前だけを見据えて突き進む。
やがて、眼前にナナフシが迫ってきた。足を動かしゆっくりと進むその様は、昆虫と言うよりもヤドカリなどといった水棲の節足動物を連想させる。
クロウたちはナナフシの腹の見える位置で足を止めた。ある程度の速度で動いているとはいえ、その巨体からすれば止まっているに等しい。
「砲撃準備!」
『おう!』
『任せといてよ』
砲戦フレームはアンカーで機体を固定し、120oカノンを構える。クロウのアルメリアもまた右腕のガトリング・カノンをナナフシに狙いを合わせ、ミサイル・ポッドの発射口を開いた。
「――フル・ファイア!」
クロウの号令に合わせて、2機の砲戦フレームと1機のアルメリア・アサルト・フレームが全火力を解放する。砲身も焼き付けよとばかりにカノン砲からは絶え間なくマズル・フラッシュが迸り、放たれたミサイルがナナフシの巨体を揺らす。
コクピットのモニターの右脇に表示されている、残弾数を示すゲージが見る間に減っていく。だが、ナナフシに目に見えた変化は見えない。
『落ちやがれってんだ!』
『しぶといねっ!』
「この……このっ!」
さらに火線を強める。しかし、今までと同じくナナフシ本体には届かずに、その手前のディストーション・フィールドで虚しく跳ね返された。
「予想よりも、ディストーション・フィールドが強い……!」
作戦上の仮定として、ナナフシのフィールドの強度はナデシコと同程度を予想していた。今までの木星蜥蜴の兵器の中では、大型戦艦であるオニヤンマ級でも、ナデシコ以上のフィールドは確認できていなかったからだ。
だが、どうやらその認識を改めなければならないようだ。マイクロ・ブラック・ホールを生成するほどの相転移エンジンの出力を全てディストーション・フィールドに注ぎ込んでいるとすれば、この強度も納得がいく。
『弾がもうねぇぞ!』
『拙いね、どうも』
リョーコやアカツキも事態を悟って、焦りの声を出す。残弾はもう1割を切った。
「く……!」
呻き声を上げるクロウ。仮令アルメリア自体を突っ込ませたとしても、ナナフシのフィールドを破る事は出来ないだろう。せめて、ジェシカのスパイラル・シェイバーがあれば……
しかし、ジェシカのアルメリアは遙か後方で無人兵器を相手にしているはずだった。
「駄目か……!?」
クロウの心に絶望がよぎった。その時。
『待たせたな』
声と共に、漆黒の死神が舞い降りた。
『黒百合さん!』『黒百合!』『黒百合君!』
三人の声が、ブラックサレナのコクピットの中に響いた。
黒百合がこれほど短時間でナナフシに向かえたのは理由がある。小型チューリップを撃破したヤマダ機とヒカル機が、援護の為に駆けつけたのだ。
最大火力を失った二人は、ナナフシに対しても有効力を持っていなかった。だが、バッタらに対しては手にしたラピッド・ライフルで十分だと知っていた。彼らはやがて訪れる黒百合たちを援護する為に残っていたのだ。
『ここは俺たちに任せて、アカツキ達を追ってくれ!』
『黒百合さん、後はよろしくっ!』
二人の声に送られて、黒百合はクロウたちの後を追った。
内部動力を搭載しているブラックサレナは、反重力スラスターを全開にして月の空を駆ける。時間にして1分遅れで、黒百合はナナフシに到着する事ができたのだ。
『黒百合さん、ナナフシのフィールドは予想以上に強力です! ブラックサレナの火力でも……』
「分かっている」
無造作に答えて通信をカットし、黒百合はコンソールを握る手に力を込めた。
意識を集中させる。
「フィールド、全開……!」
エステバリスなどの機動兵器は通常、機体の中心部にディストーション・フィールド発生装置が据え付けられ、機体全体を覆う球状のフィールドを張るように設計されている。
これは、大気圏内で運用する際に空力を軽減させる為と、装甲を削って機体を軽量化させて機動力を増す為に考えられている訳だが、これがI.F.S.方式の操作方法と掛け合わさる事で、設計者も意図していなかった効果が生まれた。
通常、球状のまま動かす事が出来ないはずのディストーション・フィールドを、パイロットのイメージによってある程度任意に操る事が出来るようになったのだ。
それは、最初は無意識の内に行っている事だった。ヤマダがナデシコ発進時にディルフィニウムを殴りつけた際、拳にフィールドを纏っていたが、それは意識して行っていた訳ではなかった。後にその映像を見たウリバタケが気付いたのである。
黒百合は勿論、『以前』の経験からその事を知っている。フィールドを操る技術にかけては、地球上のどのパイロットよりも長けていると言えた。
ブラックサレナの両肩に備え付けられたディストーション・フィールド発生ブレードから得られた強力なフィールドを、機体の前方のみに収束させる。当然背後が手薄になる訳だが、高速で巡航するブラックサレナの背後を付ける機体など存在しなかった。
半球状に展開されるディストーション・フィールド。不可視であるはずのそれは、あまりの空間の歪曲率のために光が乱反射し、白い光幕として目にする事が出来る。
「行くぞ!」
その、局部的に戦艦以上のフィールドを張ったまま、ブラックサレナは弾丸の如くナナフシに突撃した。高出力のフィールドが高速で擦れ合い、空間に放電現象が起きる。
「おおおぉぉぉぉぉぉおっ!」
さらにスラスターを全開にする黒百合。
長時間フィールド同士が干渉し合った結果、相殺現象を引き起こした。その小さな空白に、ティアーズ・ライフルの砲身を捻り込む。
「終わりだ!」
そして間髪入れずに引き金を引いた。
初速1800m/sで発射される特殊徹鋼弾が、ディストーション・フィールドに護られていないナナフシの装甲を貫いた。弾丸は反対側へ突き抜ける事はせず、ナナフシ内部で炸裂して損傷を与える。
50発の弾倉を15秒足らずで撃ち尽くし、黒百合はティアーズ・ライフルの引き金を放した。ウィング・ディバイダーの向きを変え、そのまま上空へと離脱する。
ナナフシを包んでいたフィールドが幾度か明滅したあと、唐突に消失する。胴体に絶えず灯っていた起動の光が消え去り、ナナフシはその動きを止めた。
『結局、黒百合君がいいトコを持ってっちゃったねぇ〜』
内部バッテリーの残量が起動ラインギリギリに迫っている為、生命維持と通信以外の起動を止めた砲戦フレームのコクピットの中で、アカツキはぼやきとも付かない軽口を叩いた。
黒百合がナナフシを撃破した後、残った機動兵器の群れを駆逐する為、ナデシコとシクラメンが前進を開始した。既に相転移エンジンは起動していたため、さしたる時間も掛からずにイツキやジェシカ達をエネルギー・ウェーブ供給エリア内に収めたようだ。
母艦からのエネルギー供給さえ受けられれば、チューリップのない無人兵器など物の数ではない。役目を果たした黒百合達は、のんびりと救援を待っていた。
リョーコが意地の悪い笑みを浮かべてアカツキに言う。
『ひがむんじゃねぇよ、アカツキ』
『やっぱり役者が違うのかな』
『……結構キツイ事言うね、カンザキ君も』
たわいもない会話を無言で聞いていた黒百合は、センサーに映る反応に気付いて、アカツキ達に声を掛けた。
「迎えが来たぞ」
その言葉を発して程なく、アカツキ達のエステのレーダーにも、ナデシコを示す輝点が映った。砲戦フレームのエネルギーも回復する。
『お、来た来た』
『これにて一件落着、かな』
『宙域の主力艦隊の方も、温存していたコスモスを投入したらしいよ。そろそろ片が付くかな』
『それは結構な事だね……おや?』
と、ナデシコを見ていたアカツキが何かに気付いて声を上げた。つられて他のメンバーも視線を向ける。
ナデシコの周囲には、先ほど分かれたイツキ等のゼロG戦フレームの姿もある。その先頭で、マリン・ブルーのエステバリスが手を振っていた。
『ヤマダか』
『そういや彼、黒百合君の言っていた事分かったのかい?』
「さて、どうかな……」
軽く受け流す黒百合。さらに追求しようとしたアカツキの声を、コクピットに開いた幾つものコミュニケが遮った。
『皆、無事か!?』
『みんな、大丈夫〜?』
『黒百合さん、大丈夫ですか?』
『成功してよかったねー』
『いや、俺は信じてたぜ!』
『皆さん、ご苦労様でした!』
『皆さんご無事で何よりですな。お葬式の必要もありませんし』
『やっぱり黒百合さんは頼りになるわね♪』
『うむ、流石だ』
『黒百合さん、カッコいいです』
『ふ、ふん。たまたまに決まってるわよ』
『お疲れ様さまです』
幾つものウィンドウが開いて声が乱れ飛び、誰が誰やらもわからない。これもまた、ナデシコらしいと言うべきだろうか。
《アキト、お疲れサマ》
《パパ、早く帰ってキテね……》
リンクを通じて聞こえてきた声に、黒百合は小さく笑みを零す。
地球の地平から覗く太陽の光が、月の大地を照らしていた。
こうして、第四次月攻略戦は地球側の勝利で幕を下ろした。
これにより、木星蜥蜴との戦争は新たな局面を迎える事となる。