「時間ね」

 シャロンの呟きに呼応するかのように、チューリップがその胴体から輝きを発した。それと共に天を向いた側の先端が、花開こうとする蕾のように割れていく。

 その光景を、シャロン・ウィードリンは身じろぎもせずに見つめていた。

 テニシアン島に落下した小型チューリップは、今はシャロン達が持ってきたバリア発生装置に囲われている。万が一、チューリップから無人兵器が襲いかかってきた際の為の用心だったが、それがほとんど用を成さないだろう事をシャロンは知っていた。

 そもそもこの任務は、命の危険が多大に付き纏うものだという事に、此処にいる者達の中で幾人が気付いているだろうか。

 もし、これから現れる木星蜥蜴に敵意があれば、こんなバリアなど足止め程度にしかならないだろう。一応火器も備えているものの、無人兵器の発生源であるチューリップを破壊する事が出来る訳ではない。際限なく現れる無人兵器の前に、いつかは屈する定めなのだ。

 何故そこまで気付いていて彼女がこの場にいるのかといえば、それ以外に実績を上げる方法がないからだ。

 シャロンは皮肉げに紅のルージュを差したその唇を歪めた。

 今現在、このテニシアン島にいる者は、自分も含めて万が一の事があっても代替の利く人材なのだ。だからこそ、こうして危険な現場に立ち会っている。

 この場にいる自分以外の誰も、その事に気付いてはいないだろう。そう、異母妹であるアクアも。

 技術交流の手土産として特殊なチューリップが送られると決まった際、その受け渡し場所としてアクアが暮らしていたテニシアン島を指定したのは、社長であり実の父でもあるリチャード・クリムゾンである。

 クリムゾン家の私有地であり、政府や軍の干渉が届き難いというのが理由ではあったが、その為にアクアが死んだとしても、あの男は何も感じないだろう。

 リチャードにとって、娘は己の野心の為の道具に過ぎない。だからこそ、社交界の席で数々の問題を起こしたアクアを、追い立てるようにこの島に押し込めたのだ。己の汚点を、これ以上人の目に触れさせないように。

 それはむしろアクアにとっては望むところだったのだろうが、そんな事はあの男の知った事ではないだろう。

 それによって、本来であれば日の当たる場所に出る事のまかり成らなかった筈のシャロンにもチャンスが巡ってきた。

 だが、リチャード・クリムゾンの庶子という立場は、クリムゾン・グループ内においては必ずしも有利に働く訳ではない。上に這い上がる為には、文句の付けようのない結果を出さねばならないのだ。

 ましてや、シャロンはリチャードに嫌われている。もちろん自分もリチャードを嫌っている。今、彼女が技術主任という立場にいられるのも、祖父であるクリムゾン・グループ会長ロバート・クリムゾンの推挙によるものであり、それも結果を出さなければすぐにでも崩れ去る、危うい砂上の楼閣でしかない。

 その楼閣を、確かなものとしなければならない。

 その為には、多少のリスクが何だと言うのか。長い時間を掛けて漸く漕ぎ着けた機会を、みすみす見逃す訳にはいかなかった。

 

 

 彼女が思考を巡らせている間にも、チューリップの発する光はますますその輝きを増している。一際大きく口が開き、黄色い物体が吐き出されるよう地面に落ちた。

 ざわつく研究員達を手で制し、シャロンはその物体を睨み据える。

 研究員達が騒いだ理由は簡単だ。その物体が、虫型無人兵器だったからだ。

 一般にはコバッタの通称で通っている、全長1メートル強の無人兵器。通常のバッタでは入り込めない場所を、小柄な体を活かして入り込み、内部から制圧するのを目的としている。武装は頭部のマシンガンのみ。木星蜥蜴の無人兵器の中ではさして強力なものではないが、対人戦闘用としては十分な威力を持っている。

 クリムゾン・セキュリティ・コーポレーションのスタッフ達が手にした武器を構えた。中には対装甲車用の携帯バズーカまで持ち出している者もいる。コバッタ1機であれば十分に破壊できるだろう。

 だが、引き金を引こうとしたスッタフを、シャロンの声が押し止めた。

「待ちなさい! まだ撃つんじゃないわよ」

「しかし……」

「決定権は私にあるはずよ。いいから何もしないで」

 そのスタッフは不服そうではあったが、取り敢えずは銃を下げた。

 実戦経験のあるCSCのスタッフ達も緊張している中で、グリームニルだけは平然と腕を組んでいた。銃を構えるそぶりすら見せていない。ただ仮面に隠されていない左眼だけは、鋭い眼差しをコバッタへと向けている。

 そんなグリームニルの様子を意識の端に捉えながらも、シャロンは無人兵器をつぶさに観察した。

 コバッタは出現してから、何の動きも見せようとはしていない。あとから続いて出てくるものもないようだ。シャロンは逡巡を振り払って、ゆっくりとコバッタに歩み寄った。

「チーフ!」

「いいから、黙って見てなさい」

 声を上げた研究員に振り向きもせずに応える。

 一歩一歩、コバッタに近づいていくシャロン。その表情は張り詰めてはいるものの、恐怖に引きつってはいなかった。

 ふと視線を向けると、屋敷のテラスのチェストに座って、アクアがにこにこと柔和な笑みを浮かべている。こちらを嘲笑っている訳でもなく、何の他意もない笑顔だ。ある意味、シャロンの無事を確信しているかのようにも見えるが、どちらにせよシャロンにはこの異母妹の考えはわからない。

 やがて、シャロンはコバッタの前に到達した。時間にすれば10秒ほどしか掛かっていない筈だが、これほど長く感じた10秒は今までの人生の中で無かった。

 シャロンが目の前に立つと、コバッタは初めて動きを見せた。その無機質なカメラ・アイをこちらに向けてくる。

 この無人兵器に敵意があれば、次の瞬間にはシャロンは唯の肉塊に変わっていただろう。だが、そうはならなかった。

 コバッタの背中が開いて、モニターらしきものが露わになる。ヴン…と古風な音を立ててモニターに光が点り、そこに映し出された人物を見て、シャロンは笑みを浮かべた。

 彼女は自分が賭けに勝った事を知った。

 



機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE

 

 

第43話

「出逢いと別れを繰り返し」



 

 第四次月攻略戦は連合宇宙軍の勝利に終わり、月宙域の木星蜥蜴を退ける事が出来た。動力が止まってはいるものの、木星蜥蜴の新兵器であるナナフシをほぼ原型を留めた形で確保する事もでき、作戦はこの上もない成功を収めたと言えるだろう。

 だがそれでも、犠牲は少なからず存在した。主力艦隊の艦艇の内、約1割にあたる27隻の艦船が撃沈され、134隻がなんらかの損傷を負った。死者数は3384名、負傷者まで含めた死傷者数は1万を超える。

 死傷者の中で死者の割合が多いのは、ナナフシのマイクロ・ブラック・ホールの直撃を食らって脱出する暇もなく消滅した艦艇が多かった為だ。

 とはいえ、それでも作戦前の予想からすれば遙かに少ない数字だった。その要因としては、特務部隊が予想以上に早くナナフシを無力化出来たのと、その後の艦隊戦で宇宙軍が木星蜥蜴を圧倒できた為である。

 開戦当初は後方で待機していたコスモスだったが、いざ前線に出た際の破壊力はとてつもなかった。多連装グラビティ・ブラストの前に、蜥蜴艦隊は成す術もなく薙ぎ払われていく。

 さらには、ナナフシを制圧した特務部隊が蜥蜴艦隊の後背から襲いかかり、グラビティ・ブラストで敵母艦を撃沈した事も大きい。

 こうして戦力の供給源を断たれた木星蜥蜴は、前後からの凄烈な砲撃に晒されて数を減らしていった。さらには木星蜥蜴が前後の艦隊に対応する為に戦力を二分するという愚を犯した事もあり、艦隊戦は宇宙軍の完勝に終わった。

 こうして月宙域の制宙権を取り戻した連合軍だったが、それで全てが終わった訳ではない。チューリップを墜とした為すぐにという事はないだろうが、無尽蔵の戦力を持つ木星蜥蜴がこのまま黙っている事はないだろう。いずれ、多大な戦力を引き連れて月を奪いに来るはずだ。

 それまでに、月面都市の機能を復興させ、軍備施設を設け、迎撃体勢を整えておかなければならない。その為に月攻略艦隊はそのまま月宙域に留まり、第二艦隊と第五艦隊に再編成を行い、第二艦隊がこれまで通り防衛線を構築する事が決定された。

 そして、特務部隊として月攻略作戦で活躍したナデシコとシクラメンの2艦は、取り敢えずの措置として第二艦隊に編成されていた。

 

          ◆

 

「南米へ?」

 ナデシコ食堂にて、イツキはキョトンとした表情でクロウを見返した。

 時刻はお昼時、例の如く食事を摂りにやってきたクロウと食堂でばったり鉢合わせたイツキ。せっかくだからと同席したところに、クロウから話を切り出したのだ。次の戦地が決まったのだ、と。

 ぱちくりしているイツキに、クロウは肉じゃがのジャガイモを租借しながら頷いた。

「……ああ。駐留してる第七艦隊に編成される事になるらしいよ」

「そうなの。てっきりシクラメンは第二艦隊に編入されると思ってたわ」

「俺たちもそう思ってたんだけどね」

 そう言ってクロウは肩を竦める。

 現在、ナデシコとシクラメンは月面上の哨戒任務に当たっている。ルナ・シティ宙域では第二・第五艦隊の再編成が未だに行われているが、この2艦は編成作業もそこそこに、『月面上の木星蜥蜴の残存戦力の確認及び排除』の名目で早々に放り出されてしまった。

 月面上、と一口に言っても広大な広さがあり、とても2艦編成のパトロール艦隊でカバーしきれるものではない。

 どうやら月攻略作戦における特務部隊の活躍も、第二艦隊司令の心証を改めるには至らなかったようである。それどころか逆効果であったのかも知れない。

 とは言え、どれほど相手の意図が見え透いていたとしても、正式な命令である以上拒む事はできない。

 そんな訳で、ナデシコとシクラメンはこの地道な上に困難な任務を2週間にわたって続けていた。そこに舞い込んできた話である。隣で話を聞いていたパイロット三人娘やヤマダも身を乗り出して訊いてきた。

「いつ頃からの話なんだ?」

「まだ内定の段階らしいから未定だけど、早ければ1週間後くらいかな」

「ふ〜ん。そうか、残念だな。まだしばらく一緒だと思ってたのによ」

 頭の後で腕を組んで言うリョーコに、ヒカルとイズミはニヒヒと笑みを浮かべた。

「そうだよね〜。リョーコはミヤタ君と離ればなれになるのが寂しいんだよね〜」

「嗚呼、何時の世も、出逢いに別れは付きものよ〜♪」

 何故か大げさな身振りを伴って歌い出した二人に、リョーコは冷めた目を向ける。

「お前ぇら、なーにバカなコト言ってんだよ」

「……あら、冷静ね」

「もっと慌ててくれないと、からかい甲斐が無くてつまんないじゃん、リョーコ」

「知るかっ!」

 いつもの如くじゃれ合いを始めた三人娘はおいといて、ヤマダが疑問を呈する。

「そうすると、ナデシコも別んトコに行く事になるのか?」

「その可能性はあると思うよ。そもそも、ナデシコが第二艦隊と合流したのも、あくまで月攻略作戦の為だったんでしょ?」

「そう言えばそうね」

「んじゃあよ、ドコ行く事になるんだ?」

「可能性が高いのは、激戦区の北欧かな。確かカイトも其処じゃなかったかい?」

「そ、そうね」

 イツキはぎこちなく頷く。未だに、あの時の出来事が尾を引いているようだ。

「あ、でもよ。月に呼び出される前は、太平洋に落っこちたチューリップをぶっ潰す予定だったんだろ? そっちはどうなったんだ?」

 ふと思い出した、という風なヤマダの言葉を受けて、イツキは首を傾げた。

「そう言えば……そのままなのかしら?」

「第五艦隊を丸ごと引き抜いて月方面に当てちゃったからね。地球上の戦力は不足気味だったはずだよ。そんな余裕は無かったんじゃないのかな」

「……それもそうね」

「かといって、連合海軍には木星蜥蜴は手に負えないし……」

 現在、地球連合軍は陸・海・空・宇宙の四軍が編成されているが、木星蜥蜴に対しては宇宙軍以外為す術がないというのが実情である。

 陸軍の装甲車両や機動歩兵、空軍の戦闘機では、虫型無人兵器の機動性に対抗できず、各所で惨敗を喫していた。海軍に至っては、航宙艦艇が全盛となった今では海上戦艦など旧時代の遺物と化しており、ほとんど形式上のみの存在となっている。

 宇宙軍にしたところで、相転移エンジンやディストーション・フィールドなど、ハード・ウェアの面ではまだまだ劣っているのだ。

 しばらく考え込んでいたクロウだが、お手上げだとばかりに両手を掲げた。

「ま、何にしても通達があるまでははっきりとは分からないね。不確定要素が多すぎる。それに結局、判断するのは俺たちじゃなくて軍のお偉いさん方だしね」

「それを言ったら元も子もないじゃないの」

 イツキは苦笑して、フォークに刺したミート・ボールを頬張った。

 

 

 その場でのこの話題はこれで終了したのだが、食事が終わった後、イツキはクロウに二人だけで話したい事があると言われ、場所を自販機の前に移した。

 ナデシコ内で自販機を使用するにはネルガル社員のカードが必要になる為、イツキのカードを使用して缶ジュースを購入する。最初にお金を払おうとして失敗したクロウは決まり悪げにジュースを受け取ったが、すぐに真剣な表情を取り戻して切り出した。

「イツキ。君は軍の意向に反して、ナデシコが火星に行くのに協力したって言っていたけど……」

「ええ、そうだけど」

「地球に戻ってきてから、総司令部から出頭命令はあったかい?」

「それは……」

 実を言えば、それはイツキも気になっていた事だった。

 ナデシコが地球に帰還した際、同行していたカイトに出頭命令があった時点で、自分にも呼び出しが掛かると思っていたのだが、総司令部からは一向に音沙汰がなかった。

 そうしている内にルリの誘拐事件があってイツキは忘れていたのだが、ナデシコが出航する寸前になって一通の命令書が届いた。

 内容は、改めてナデシコのオブザーバーを命ずるものだったが、イツキの反抗行動についてはまったく触れていなかった。

 軍隊とは縦社会であり、上司の命令には部下は絶対服従が基本だ。それは個人の枠を超えた『力』を扱う者にとっての最低限の枠であり規範である。

 仮令軍とネルガルが後に和解していたとしても、なあなあで済ませられるようないい加減なものではないし、済ませて良いものでもない。

 最悪、除隊処分も覚悟していたイツキだったが、下った命令は予想とはまったく違うものだった。

 イツキは素直にかぶりを振った。

「無いわ。書面でもまったく触れていなかった」

「そうか……」

「妙には思っていたけれど……それがどうかしたの?」

「う、ん……」

 クロウの言葉はいつになく歯切れが悪かった。

「クロウ?」

「いや……ちょっと気になる事があってね。まだ自分の中でも上手く考えが纏まってないから説明は出来ないんだけど……」

「そう……」

 クロウは同期グループの六人の中でも特に思慮深い、リーダー的な存在だった。いつも先の先を考え、少しでも不確定な要素がある事は決して口にしようとはしない。

「ただ……どうやらお偉いさん方は、俺たちに何かをさせたいらしいよ」

 それは、自分たちが第一次火星会戦から帰還した時から感じていた事だった。戦意昂揚の為の作られた英雄。自分たちの手の届く範囲外で特別扱いされるのは不愉快だったが、今更言う事でもないような気がする。

 クロウは此方の疑問を察して説明の必要を感じたらしく、言葉を継いだ。

「俺がこんな事を気にしてるのも、どうも妙な情報を聞いたからなんだ」

「情報……って、どんな?」

「まだ未確認だから詳しくは言えないけど……どうやらこの戦争は、単なるエイリアンとの生存を賭けた戦いじゃあないみたいなんだ」

「……どういう事?」

 我知らず、イツキは声を潜める。

「この戦争には裏があるって事だよ。情報源はモートン艦長なんだ。あの人は、特殊な情報網を持っているから……

 俺は、この事についてもっと深く探ってみるつもりだよ。イツキには、ともかく近辺に注意して欲しかったんだ。軍の意図が何処にあるかわからない以上、こっちも対応策を考える必要がある」

「大丈夫なの?」

 戦争の裏を探るという事は、とりもなおさず軍内の闇の部分に関わるという事だ。それは、ともすれば生命の危険すら伴うだろう事は想像に難くない。

「大丈夫、下手は打たないよ。俺も、彼女を作る前に死にたくはないからね」

 あくまで自衛の為だよ、とクロウは笑いを返した。

「本当に……気をつけてね」

「ああ、分かってる。

 また……しばらく会えなくなるけど、今度会う時は、カイトも交えて、六人全員が揃えたら良いね」

「そう……ね。本当に」

 その時には、カイトとの間にある気まずい雰囲気も取り払え、笑顔で再会する事が出来るだろう。イツキは真摯にそう願い、花のような笑みを浮かべた。

 

         ◆

 

「で、ナデシコの次の任務は決まったの?」

「ああ。ナデシコには予定通り、どさ回りをやって貰う事になったよ」

「それでいいの?」

「まあね。ナデシコは予想よりも使えるようになってくれたけど、連合軍には目の敵にされちゃったからね。しばらくは地味にやった方がいい」

「せっかく整った戦力も、持ち腐れになるわよ?」

「そんな事はないさ。地味って言っても、軍の上層部は嫌がらせのつもりで、困難な上にどうでも良いような任務ばかり寄越してくるだろうしね。いろんな状況下のデータが取れるはずだよ」

「取れる、じゃなくて取らせるんでしょう?」

「まあ、そうとも言うかな」

 きし……と革張りの椅子にもたれかかるアカツキ。その表情は上機嫌に浮かれているように見える。

「コスモスは予想通りの大活躍を見せてくれたし、シクラメン級の巡洋艦も宇宙軍の次期主力に内定した。それとセットでエステバリスも売れる。順風満帆だね」

「そうかしら。ボソンジャンプに関しては何も解明してないわよ」

「そっちは気長にやるしかないでしょ」

「貴方が言ってたテンカワ博士の息子の方はどうなのよ」

「テンカワ君かい? 自慢じゃないけど、僕は男とつるむ趣味はないんだ」

「そういう問題じゃないでしょ!」

「でもねぇ。僕って一応ナデシコじゃぁただのいちパイロットだから。あんまり露骨に嗅ぎ廻るのも拙いでしょ」

「じゃあ、どうするって言うのよ」

「僕よりも適任がいるって事さ」

 不敵に笑って、アカツキは目の前にいる秘書を意味ありげに見つめた。その視線の意図に気付いて、エリナは後退った。

「ま、まさか私にやれっていうんじゃないでしょうね!?」

「流石エリナ君、ご明察」

「冗談じゃないわよ!」

「でもねぇ。ボソンジャンプの謎の解明の為じゃないか」

 にやにやと笑いながら、アカツキ。

「ミスターでもいいんだけど、彼が動くと目立っちゃうでしょ? できれば他の人には知られたくないしね。特に黒い人とかには。

 エリナ君なら、風紀上の理由とか言って呼び出しても不自然じゃないんだよ」

「う……」

「大丈夫大丈夫。別に何も色香を使ってたぶらかせとか言ってる訳じゃないし」

「あ、当たり前よ!」

「まあ、チョットくらいはサービスは必要かも知れないけど? それくらいなら、黒百合君だって怒らないよ。彼って結構淡泊そうだし、彼女の浮気にも寛容でしょ」

「そうかしら……って何の話よ!」

「まあ、それは置くとして」

 しれっと受け流すアカツキ。エリナは感情的になった時点で負けている。

「話を逸らすんじゃないわよ!」

「あながち、逸れてもいないんだけどね。その黒い人について、シークレット・サービスから報告が上がってきたんだけど」

「SSから? 貴方、ナデシコに乗る前にそんな事指示してたの?」

「いやいや、これは随分前から調べさせてた事さ」

「そうだったの……それで、何か分かったの?」

 僅かばかりの好奇心を覗かせて尋ねるエリナに、アカツキはお手上げとばかりに両手を上げた。

「いんや。向こう40年からのデータを洗いざらい調べたらしいけど、それらしいものはなかったよ」

「40年前から?」

「ああ。彼の言ってる年齢が正しいとは限らないだろ? いくら若作りだとしても、流石に40を超えているって事はないだろうし。

 それにしても、此処まで痕跡が残っていないのも妙な話だね。もっとも火星での経歴は、木星蜥蜴の侵攻の所為で喪われているデータもあって、完全ではないから……」

「可能性があるとすれば、火星……ね」

「そういう事。

 彼が2年前に唐突に現れたのも火星。遺跡が発見されたのも火星。そして、テンカワ博士の息子も火星に住んでいた……やっぱりあの星には何かあるねぇ」

「それがボソンジャンプ解明の鍵になれば良いけど」

 エリナは嘆息混じりに言った。アトモ社で行われているボソンジャンプの研究も、大した成果を挙げられてはいない。ボソンジャンプに自分の野望を乗せている彼女としては、見通す事のできない先行きに頭を痛めていた。

 アカツキはひょいと肩を竦めてみせる。

「さて、そう都合良く行けばいいけどね……それにしても、くくっ」

 言いかけて、アカツキは軽く吹き出した。

「何よ?」

「いや、彼について調べていたら、今軍や裏社会で流れている彼の噂話が引っかかったんだけどね。それを思い出しちゃって」

「噂って……どんな?」

「彼の経歴が不明って言うのは割合有名らしくてね。その出生についての噂……というか憶測だね。

 今は壊滅した火星のマフィアに赤子の頃から育てられた生粋のヒット・マンだとか、タイム・スリップしてきた未来の超人だとか」

「はあ? 何よそれ」

「だから、根拠のない全くの憶測さ。中でも傑作だったのは、ウチが開発したナノマシンで作られたサイボーグだってヤツかな」

「サイボーグって……そんな訳ないじゃない」

「まあね。でも、そう的外れでもないんだよ。実際に、人類遺伝子研究所でナノマシンを使った身体能力の強化は研究されていたし、その実例も生存してるしね」

「そう……ね」

 エリナはそう言って眼を伏せた。思い浮かぶのは、黒色の髪に琥珀色の瞳をした少女の姿だった。

 黒百合はマシンチャイルドそのものは否定していないが、彼女らを作る事には憎しみを覚えているように見える。

 その理由が実は自分がサイボーグだから……というのは、噂話にしては皮肉が効いている。いくらかの真実味があるだけ、ジョークとしては失敗しているだろう。だが実際にそうだったら納得できてしまうかもしれない。

 にわかに考え込んでしまったエリナを前に、アカツキはあっさりと話題を変えた。

「ところで……エリナ君は、僕に何か用があったんじゃないのかい?」

 ネルガルの会社方針の話をする際は、通常はプロスも同席する事が多い。今回はエリナの方からアカツキの自室を訪ねてきたのだ。何らかの用事があるのだと察するのは当然だ。

 だが、問い掛けられた方のエリナは、ぎくり、とばかりに身を竦めた。

「エリナ君?」

「え……ええ、そうよ。ナデシコが地球に降りる前に、ひとつ行く所があると思って……」

「ふぅん?」

 アカツキは片眉を上げて、先を促す。

 それから続けられたエリナの提案を聞き終えて、アカツキは考え込むように手で顎を撫でてから、一言だけ問い掛けた。

「君は、その方がいいと思うのかい?」

 その言葉にエリナは息を飲んだが、返答に窮した訳ではなかった。その瞳に、決意の色が浮かんでいる。

「ええ。そう思うわ」

 言葉少なめに答える。それを聞いて、アカツキはあっさりと頷いた。

「そう。なら、そうしよっか」

「え……いいの?」

「いいのって、エリナ君から言った事だろう?」

「それはそうだけど……」

 あまりに簡単に承諾されたので、拍子抜けしたらしい。

「僕もコスモスに寄る必要はあるとは思っていたしね。話はそれだけかい?」

「え……ええ」

 エリナはまだ戸惑っていたが、何時までもアカツキの部屋にいる理由もないと思い出して、部屋を辞した。

 アカツキはエリナの出て行ったハッチを見つめて、悪戯っぽく眼を細めた。

「あれでバレていないとでも思っているのかな、エリナ君も。

 それにしても、随分とお母さんしちゃってまぁ……これも黒百合君の影響なのかな。ちょっと妬けるねぇ」

 早速今見た事をプロスペクターに話してやろうと、アカツキはコミュニケを開いた。

 どうやら、まだまだ退屈しないで済みそうだった。

 


 

 シクラメンに第七艦隊への編入の正式な知らせが届いたのは、それから5日後の事だった。

 クロウの予想よりも幾分早いのは、南米の戦況がよほど悪いのか、あるいは水面下で何らかの働きかけがあったのか。どちらにせよ、当事者達に事情は知らされる事はなく、もちろん拒否権もない。

 命令を受けて、シクラメン艦長のモートン中佐はすぐさま地球へ降下するルートの割り出しをオペレーターに指示し、共に轡を並べているナデシコへと通信を繋げた。

『そうですか、南米へ……』

 モニターの向こうで、ユリカが表情を曇らせた。軍職にあれば別れは付きものだとは言え、名残惜しい事に変わりはない。

 ナデシコのブリッジには、主要クルーのほとんどが揃っているようだった。普段は通信に顔を出さない黒百合や、イツキの姿も見える。

「南米の状況も、北欧ほどではないにしろ芳しくはないようだ。この、最新鋭艦の力を存分に発揮しろということだろうな。なかなか楽はさせてくれんようだ。

 ナデシコに新たな命令は来ておらんのかね?」

『はい、まだ』

「そうか……今の戦況を考えれば、少しでも早く地球内の平穏を取り戻したい処だろう。ナデシコにも近いうちに、地球への降下の指令が来るのではないかな」

『そうですね……次も同じ戦地でお会いできたら良いんですけど、恐らくそうはならないと思います』

「ふむ、そうだな」

 モートン中佐は頷いた。

 シクラメンにしろナデシコにしろ、現在の宇宙軍内においてはやや異色の存在であるが、その戦力は無視できない。いっそのこと常にそろえて編成してしまえば楽だろうが、上層部にしてみれば下手に結託されても厄介だ。ここは別々に引き離しておいて、その戦力だけを利用しようと考えるだろう。

『残念です。もう少しお傍について、色々勉強させて頂きたかったんですけど』

「ミスマル艦長のようなうら若い女性にそう言ってもらえるとは光栄だな。うちの女房に聞かせてやりたいもんだ。

 だが、こんなご時世だ。今は、再会を期して別れられるという事が、せめてもの幸運だと思おうじゃないか。再び会う時は、今よりもさらに成長した姿が見られると期待させて貰うよ」

『そう言って頂けて光栄です、モートン艦長』

 朗らかに笑うユリカ。

 どちらからともなく、自然な仕草で敬礼を交わし合った。背後にいる、ブリッジ・クルーやパイロット達もそれに倣う。

『それでは、次の任地でのご活躍をお祈りしています』

「ああ、ありがとう。ナデシコの諸君らも壮健でな」

 ゆっくりと敬礼を解き、掲げていた右腕を降ろす。

 軍人であるモートン中佐にとっては、それがいつもの別れの挨拶だった。

 

 

「ちょっと寂しくなりますね……」

 モニター越しに遠ざかっていくシクラメンの姿を見送りながら、ユリカが珍しく感慨深げな呟きを漏らした。

 それに応えたのは、ブリッジのハッチの横に立っていた黒百合だった。

「モートン艦長の言っていた通り、こんなご時世だ。生きて別れる事が出来るだけ幸せなのかも知れん」

「そうですけど……」

「だが、別れがあればまた出逢いもある。出逢いと別れを繰り返して、人は成長していくものだ。

 モートン艦長の期待を、裏切らんようにしないとな」

「そっか……そうですね! よーし、これから頑張ろっと!」

「あまり張り切りすぎて失敗するなよ」

「え〜、それは酷いです黒百合さん」

 ユリカの情けない声に、別れの余韻を引きずっていたブリッジに笑いが戻った。

 ミナトとメグミが互いの顔を見合わせて笑い合っていると、ブリッジのハッチが開いてムネタケが肩で風を切って入ってきた。続いてエリナの姿も見える。 

「はぁい、皆揃ってるかしら?」

「あ、ムネタケ提督」

 ムネタケを振り仰いでから、ユリカは首を傾げて、

「……いなかったんですか?」

 まったく悪意の籠もっていない口調でそう言った。それを聞いたムネタケは口の端を引きつらせたが、すぐに余裕のある笑みを取り繕った。

「連合軍総司令部の方から、ひっじょ〜に重要な命令を伝えられていたのよ」

「命令ですか?」

「ふふん、そうよ。いいコト、有り難く聞きなさい。これよりナデシコは――」

「これよりナデシコはコスモスで補給を受けた後、地球・太平洋上へと降下します。予てからの予定通り、太平洋に落下したチューリップの撃滅を行う予定よ」

「あ、エリナさん」

 台詞を取られて口をぱくぱくさせているムネタケには構わずに、エリナが言葉を続ける。

「一口にチューリップの撃滅といっても数が多いから、おおよその位置は連合軍からデータで指定される事になるでしょうけどね」

「そのデータは届いてるんですか?」

「まだよ。地球に降下してから改めて命令が下るはずよ。といっても、今の連合軍の戦力はまだ心許ないから、急遽戦地に飛ばされる可能性もあるでしょうけど」

 不甲斐ない連合軍を揶揄するように、わざとらしい溜め息をつくエリナ。

 そこで、所在なげに固まっていたムネタケが再起動した。こほんと咳払いをしてから、

「ま、まあそういう事よ。このアタシのナデシコは地球上で最強のお船なの。皆にはしっかりと働いて貰うから、そのつもりでね」

 だが、誰もムネタケの話など聞いておらず、関心は違う事へと向いていた。

 ミナトが思いついた事を口にする。

「コスモスって、確かアカツキ君が行くはずだった船だっけ?」

「ああ、そういえば前にそんな事言ってましたね。よく覚えてますねミナトさん」

「コスモスは航宙母艦としての機能の他に、ドック艦としての機能も併せ持っているわ。それに……」

 ミナトの質問に答えてから、エリナは意味ありげに黒百合に視線を向けた。それを見ていたイツキが首を傾げる。

「それに、何です?」

「……行けば分かるわよ」

 エリナはそれ以上は語るつもりは無いようだった。

 取り敢えず、その場での説明はそれで終わったのだが、戻るエリナの後を黒百合が追いかけて行った。

 それを見ていたイツキは、何となく心がざわつくのを感じたが、意識的に無視して視線を外へと移した。

 地球や火星から見たものとは違う、瞬く事のない星の姿を眺めながら、イツキは物思いに囚われる。

 モニターが落ちて、シクラメンのクルー達の姿が消える寸前、イツキはモートン中佐の後に控えていたクロウと視線が合った。

 その瞬間に思い出したのは、五日前――つまり、クロウが最後にナデシコを訪れた際の会話だった。

 今にして思い返すと、あの時のクロウの瞳は何らかの決意を帯びていたように思える。

 イツキは別れ際にクロウの言っていた言葉を思い出した。

『今度会う時は、カイトも交えて、六人全員が揃えたら良いね』

 心をよぎる僅かな不安。あるいは、予感と言っても良いかも知れない。

 そんな想いを振り払い、イツキはその言葉が実現するよう切に切に願った。

 

 

 ……そう遠くない未来、イツキはその言葉を悔恨と共に思い出す事となる。

 彼女のその当たり前で平凡な願いは、遂に叶えられる事は無かった。

 

  


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