燦々と照りつける灼熱の太陽の下、ナデシコから飛び立った色とりどりの7機のエステバリスが青い空を舞い、焼け付いた砂浜へと着地した。
赤の空戦フレームが手に持っていたコンテナを降ろすと、コクピットが開き、そこから待ちきれないとばかりに飛び出したのは、若々しいその肢体を水着に包んだスバル・リョーコである。
エステの搭乗ワイヤーから飛び降りたリョーコはコンテナを開き、その中に入っていたパラソル諸々のビーチ用品一式を掴み上げた。
「パラソル部隊、突撃〜!」
「「「お〜!」」」
高らかに宣言するリョーコに続くのは、パイロット四人娘の残り。アマノ・ヒカル、マキ・イズミ、イツキ・カザマ。それぞれがやはり水着を着用済みだ。
リョーコは濃紺のスポーツ・ビキニ、ヒカルは向日葵柄のワンピース、イズミは背中と腹のカットが大胆な白のハイレグ、イツキは紫の健康的なセパレーツ。
そして更に、彼女たちと同じく砂浜に降り立ったパイロット男性陣。
「そーれっ、女子に負けるな〜っ!」
「おーっ!」
「……」
それぞれのテンションに差異があるのはこの際アカツキは気にしなかった。
アカツキはビキニパンツ、ヤマダはトランクス。黒百合だけは水着を着ておらず、いつもの黒ずくめの格好だ。
続けて沖合に着水したナデシコから発進したゴム・ボートが、クルー達を乗せて次々と浜辺へと上陸していく。
とりわけテンションが高いのが、色気無しの生活を強いられている整備班と、青空の下で開放感を満喫する気満々の生活班のクルーたちである。
「「「「「うおおぉぉぉぉぉっ!」」」」」
「「「「「「きゃあぁぁぁぁぁぁ♪」」」」」」
彼ら、あるいは彼女らは本能の命じるままに浜辺へと駆け出したが、その背後から掛かった声に足を止められた。
「ちょっと待ちなさい、貴方達!」
降り立ったクルーの中で唯一人の制服姿(黒百合の格好は制服ではないので当然カウントから除外)、エリナ・キンジョウ・ウォンである。
「貴方達、分かっているんでしょうね! 貴方達は、ネルガル重工に雇われているのよ!
だから……遊んでいる間は時給から引いておくからね♪」
『はあぁ〜?』×クルー全員
「はい、これは私が作っておいた海の栞。よっく目を通しておいてね」
クルー達の抗議の声も聞き流して、エリナは脇に抱えたプリントを配り出した。その姿が何処となく嬉しそうに見えるのは、気の所為ではないだろう。
「いーい? まず、海の深い所には入らないように。特に今回は子供も一緒なんだから気をつけて。
岩場ではサンダル着用、サンオイルは自然分解式の物を使用する事。ゴミは浜辺に捨てちゃ駄目よ。ちゃんと持ち帰って、最後に掃除もする事。来た時よりも美しく、が基本なんだから。
それから、くれぐれも島の所有者に迷惑を掛けないように! 貴方達、いくらたまのバカンスだからって、はしゃぎ過ぎて迷惑を……って、あら?」
気が付けば、クルー達は既に散開してしまっていて、誰も彼女の話を聞いてはいない。
「もう! ちゃんとプリント読みなさいよね!」
ふくれっ面を作りつつも、エリナはいそいそと制服を脱ぎ捨ててその豊満な水着姿を太陽の下に晒した。
「まったく、しょうがないんだから……」
口では不満を言っているが、その表情が言葉を裏切っている。エリナは微笑を浮かべながら浜辺で屯っている面々の中へと走りだそうとして――先程から黒百合が傍らで此方を見つめている事に気付いた。
「黒百合!? あ、貴方、何時から其処にいたのよ!?」
「……最初からいたぞ」
狼狽えるエリナに、ぼそっと黒百合が答える。今まで気付かなかったのは、黒百合がエリナのど死角に立っていたという事もあるが、彼女もまたこの南海でのバカンスに浮かれていた所為もあるだろう。
下に水着を着ているとはいえ、服を脱いでいる姿を黒百合に見られたという事実に、エリナは頬を紅潮させた。妙に照れくさく感じ、突っ慳貪な態度を取ってしまう。
「いるならいるって言いなさいよね!」
「理不尽な事を言うなよ」
「ま、まあいいわ。さっさとビーチに行きましょ」
「……栞の続きは読まなくていいのか?」
「煩いわねっ! 細かい男は嫌われるわよっ!」
エリナの照れ隠しの喚き声が、テニシアン島の浜辺に響き渡った。
機動戦艦ナデシコ
ANOTHERアナザ・クロニクルCHRONICLE
第46話
「たまには海で」
事の発端は17時間ほど前に遡る。
北極海での親善大使救出の任務を終えたナデシコに下った新たな命令は、落下した新型チューリップの調査だった。
ムネタケからの話によれば、このチューリップ自体は今から3ヶ月近く前に落下してきた物であるという事だった。だが大部分が海に墜ちてその後も目立った被害も確認されておらず、また第四次月攻略作戦が発動した頃でもあった為、調査の方は後回しになっていたらしい。
今回、月攻略作戦も無事終了し、ルナ・シティ周辺の制宙権を確保して地球上の戦力にいくらかの余裕が出来たのだそうだ。
その割には、ナデシコにはどうでもいいような任務が回されて来ているような気がする。
「丁度同じ時期に合計13機の新型チューリップの落下が確認されているわ。アタシたちが担当するのはその内のひとつ、テニシアン島に落下したモノよ」
「テニシアン島?」
「テニシアン島……マリアナ諸島に位置する孤島ですね」
「へぇ〜」
ルリがメイン・モニターに映したマップを見て、ユリカが感嘆したような声を上げる。
「赤道のすぐ近くなのね」
「お仕事じゃなかったら、海水浴でもしたいですねぇ」
何気なく言ったメグミの一言にユリカが眼を光らせた。
「メグちゃん、それです!」
「え? どれですか?」
「せっかく南の島に行けるんですから、皆でバカンスしちゃいましょー♪」
「「「はあぁ?」」」
メグミ、ミナト、ルリの三人の声が重なる。メグミにしても、本気で言った訳ではないのだろう。
だが、当のユリカは既にノリノリで、何処からか取り出した通販雑誌で水着のチェックを始めていた。当然、ムネタケが口を挟む。
「チョット艦長、何おバカな事言ってんの。コレはあくまで任務なんですからね。遊びで行く訳じゃないのよ!」
「はい、勿論です。ですけど、特に期限を区切られている訳じゃありませんし、作戦の合間には息抜きも必要です。皆さんももう2ヶ月近くナデシコ内に閉じ籠もり切りですから、ここで1日くらい休憩しても問題ないと思います」
周囲の予想に反して、ユリカはつらつらと意見を述べた。少なくとも、何の考えも無しに言った訳ではないらしい。正論であるだけに、こう言われてしまうとムネタケも反論し辛い。
「だ、だからって……」
「ふぅむ。確かに艦長の仰る事にも一理ありますな」
プロスペクターが宇宙ソロバン片手に頷くと、ブリッジ・クルーからも次々と賛同の声が上がった。
「そりゃ、たまにはバカンスもしたいわよねぇ」
「確かにずっとナデシコの外には出てませんし……」
「時には休息も必要だ」
「まあ、どうしてもと言うのなら、ネルガルとしても許可しないではないわよ」
そう言うクルー達の脳裏には、輝く太陽の下の浜辺で波と戯れるている自分の姿が描かれているのは間違いないだろう。まあ、中には例外もいるだろうが。
ともかく、ムネタケ以外は概ね賛成のようだ。止めとばかりに、ユリカが高らかに手を上げて、
「それでは、艦長権限で決定します! テニシアン島のビーチでバカンス! メグちゃん、艦内放送で皆に伝えてあげて!」
「了解しました〜!」
喜々としてマイクをとるメグミだった。
「い、いいんですか、プロスさん?」
女性陣の勢いに飲まれて反論できなかったジュンがプロスに耳打ちするが、
「まあ、たまには宜しいんじゃないでしょうか」
あっさりとそう返されて言葉を失ってしまった。
ムネタケはもう諦めたのか、ぶちぶちと一人で悪態を付いている。誰も聞いていないが。
ブリッジにいるクルーの中で事情を分かっていないのが、ラピスとセレスの妖精姉妹だ。彼女たちはそれぞれ黒百合のマントの両端を引っ張り、
「ねぇ、アキト……」
「ネェ、パパ……」
「「ミンナ、ナニを喜んでるの?」」
黒百合を中心として、そっくり左右対称の仕草で訊いてくる。髪の色と年齢を除けばほぼ同じ容姿の二人に揃って見上げられて、黒百合は苦笑を浮かべた。
「ああ、それは海水浴と言って……簡単に言えば海で遊ぶ事だな。皆、たまには羽を伸ばしたいのさ」
「カイスイヨク……それって楽しい?」
「ああ、きっとな。セレスティンもラピスも、海に入った事はなかったな」
「「ウン」」
「なら、いい機会だから、皆と一緒に行っておくと良い」
両脇の少女達の頭にぽんと手を乗せてから、黒百合は視線を艦長へと向けた。ユリカはなにやら妄想しているのか、しまりのない笑みを浮かべている。時折「えへ、えへへ……アキトたらぁ……」と一人言を呟いては、「イヤンイヤン」と頬に手を当ててかぶりを振っていた。
声が掛け辛い事この上ない。仕方なく、黒百合は目標を変更して副長のジュンへと声を掛けた。
「少し気になったんだが」
「は、はい? 何ですか黒百合さん」
「調査という事だったが、テニシアン島の所有者には当然許可を得ているんだろうな?」
『前回』の時は自分もそんな事は気にしていなかったが、あの島に居住している人物がいる事を黒百合は知っている。唯の確認のつもりだったのだが、ジュンは驚いたような顔を作った。
「え? テニシアン島って無人島じゃないんですか?」
「だとしても、誰かしらが所有権をもっている場合もあるだろう。確認してないのか?」
「えっと……」
ジュンは困ったように頬を掻いて、救いを求めるようにオペレーター席に目をやった。視線を受けて、ルリはコンソールに手を置き、テニシアン島のデータを表示させる。
「……ここ最近の話ですが、テニシアン島は個人の所有物になってるみたいですね。所有者名はアクア・クリムゾン。クリムゾン・グループの人みたいです」
「クリムゾン・グループ?」
小首を傾げるユリカの傍らに、唐突にコミュニケが開いた。
『説明しましょう。
クリムゾン・グループ。豪州最大のコンツェルンで、バリア関連技術で名を馳せた、世界有数の兵器メーカーよ。確か、第一次防衛ラインのビック・バリアもクリムゾン製だったはずだわ。
そのオーナー夫妻の一人娘がアクア・クリムゾン。しばらく前に社交界デビューをして話題になったけど、その実かなりの問題児らしいわ。なんでも、パーティー出席者全員の料理に痺れ薬を混ぜたり、自分だけの漫画を描かせるために、漫画家の誘拐したりとか。ま、唯一の汚点ね。
以上、説明終わり』
出てきた時と同じ唐突さでコミュニケは閉じた。
「イネスさん、もしかしてずっと説明するタイミングを窺ってたのかしら……?」
ミナトが当然の疑問を口にするが、それに答えられる者はこの場にはいなかった。
「……ともかく、そのアクア・クリムゾンとやらに許可を貰ってはいないんだな?」
「えっと……どうなんですか? ムネタケ提督」
「ア、アタシは聞いてないわよ。ただ調査しろって言われただけだもの。
でも、これは連合軍の正式な命令だから、仮に拒否したとしても強制権があるわよ」
「だとしても、無用のトラブルを招く必要はないな。事前に一報入れて然るべきだろう」
「それもそうですね」
「しかしそうすると、海水浴の案は却下だな」
「ええ!? な、なんでですか黒百合さん?」
「何故もなにも……個人の所有という事は、要はプライベート・ビーチだろう。調査はともかく、勝手に泳いだりしたらこっちが不法侵入になるぞ」
が〜ん!
そんな音がユリカの背後で鳴り響くのが、黒百合には確かに聞こえたような気がした。
あからさまにショックを受けたユリカはともかく、ミナトやメグミも残念そうな表情を浮かべている。
「まあともかく、一度そのアクアさんという方に連絡を入れてみましょう。頼めばもしかしたらビーチを使わせて貰えるかもしれません」
「そ、そうですよね。メグちゃん、さっそく連絡を!」
プロスのフォローですぐさま復活したユリカがメグミに指示している。その眼の光はあからさまに欲望にギラついていた。何を考えていたのやら。
黒百合が目線をエリナに向けると、彼女は気まずげにそっぽを向いて見せた。
ネルガル会長秘書である彼女が、クリムゾン・グループの内情を知らない訳がない。と言う事は――
(エリナの奴……確信犯か)
通信の結果、アクアからプライベート・ビーチの使用を快く承諾されて、ユリカは大層喜んだそうな。
ユリカの言っていた通り、ヨコスカ・ベイを出てからナデシコのクルー達は一度も地球の土を踏んではいない。いくらナデシコが福利厚生が整っているとはいえ、目の前にある本物には敵うはずもない。お気楽なクルー達にもそろそろストレスが蓄積してくる頃ではあった。
そんな処に降って湧いた南国バカンスに、クルー達は喝采の声を上げた。それは勿論、ナデシコ・クルーのお祭り好きという習性が発露したという事もある。
何にしろ、クルー達は思い思いにこのバカンスを堪能していた。
黒百合を除いたパイロット達は、三対三に別れてハイ・レベルなビーチ・バレーを繰り広げている。
「そーれ、行くぞ!」
「なんのっ。イズミ、お願いっ!」
「ふっ、任せて……リョーコ」
「おうっ、喰らえおらぁぁぁぁぁ!」
バシィッ!
「ぐへぁっ!」
「ああっ、ヤマダさん!」
リョーコの渾身のアタックを顔面で受け止めて、ヤマダが砂浜に沈んだ。
慌てて駆け寄るイツキ達を眺めながら、ビーチ・パラソルの下でミナトが微笑みを漏らす。
「あらあら、あのコ達も元気ねぇ〜」
「ふふ、そうですねぇ」
ケイも朗らかに同意して、フラスコに入ったアイス・コーヒーを啜った。端末に向き合っているルリは特に反応を返さない。
二人の横では、ホウメイがマットの上で肌を焼いている。その更に隣で、プロスペクターとゴートが将棋盤に向かい合っていた。
ミナトがその光景を見て呆れたような声で、
「プロスさんもミスターも、わざわざこんな処で将棋指さなくてもいいんじゃない?」
「いえいえ。これもまた風情があって好いものなのですよ、ミナトさん」
「うむ」
むっつりとゴートが頷く。
ミナトはそういうものだろうかと首を傾げたが、それ以上は口を挟まなかった。
正確には、口を挟む暇が無くなったのである。黄色いビキニに身を包んだイネスに連れられて、ラピスとセレスが姿を現したからだ。
肩ひもの胸の付け根にブローチをあしらった、フリル付のワンピース。ラピスはピンク、セレスは水色と、それぞれの髪の色に合わせた色違いの物を選んでいる為、まるっきり仲の良い姉妹が並んでいるように見えた。
「あら♪ ラピラピもセレセレも可愛い♪」
嬉しそうにミナトにそう言われて、セレスは頬を赤らめさせてラピスの背に隠れた。顔だけをひょっこりと出して、か細い声で。
「……アリガト」
対するラピスの方はミナトの言葉には反応を見せずに、しきりにきょろきょろと周囲に眼を遣っている。
「ラピスさん、どうかしましたか?」
「ああ、ちょっと黒百合さんの姿が見えなくて」
ケイの質問に答えたのはイネスだった。
「あら、黒百合さんはお見えにならないんですか? そういえば、パイロットの皆さんと一緒には居られないようでしたけれど」
「そうなのよ……エステで先に到着してるはずなんだけど。ラピスったら一番水着姿を見せたい相手が居なくて、へそ曲げちゃって……」
「あら、まあ」
ケイがころころと声を立てて笑う。ラピスは自分の事が話題に上っているのに漸く気付いて、キョトンとした表情でこちらを見返した。
「……ナニ?」
「うふふ、何でもないわよラピラピ」
ラピスの無垢な反応に、ミナトは顔を綻ばせた。
この薄桃色の髪の少女が黒百合に向けている感情については、恐らく本人よりも周囲の方が正確に把握しているだろう。自身の感情はさておいて、その様子が微笑ましい事に間違いはない。
横で将棋を指していたプロスペクターが口を挟んできた。
「黒百合さんでしたら、今は出掛けていますよ」
「え、そうなんですか?」
「ええ。今、艦長と副長がこの島の所有者であるアクア嬢のお宅へご挨拶に伺っているんですが、黒百合さんにはそのご同行をお願いしました」
「あら、そうなの」
言われて見渡してみれば、この砂浜にはユリカとジュンの姿が無かった。居たとすれば必ずアキトを追いかけ回して、大騒ぎになっていた事だろう。
だが、ふとした疑問をミナトは抱く。
「あれ、でもそうなら、なんでプロスさんは一緒に行かなかったの?」
「はっは、それは少々込み入った事情がありまして……」
プロスは朗らかに笑って誤魔化した。
事情というのは実は単純な話で、クリムゾンの令嬢であるアクアの元にネルガル関係者である自分やゴートが一緒に行けば、無用な騒動が起きかねない為であった。
いくら変わり者だとはいっても、仮にも一大コンツェルンの要人である以上、護衛の1ダースや2ダースは付いているだろう。その中にはプロスやゴートの顔を知っている者もいるかも知れない。
その点、黒百合の面は割れてはいない。何しろプロス達ですら知らないのだから。
その分格好が怪しい訳だが、他に任せられる者が居なかったのだから仕方ない。まさかネルガル・グループ会長であるアカツキを行かせる訳にはいかないし、ヤマダに任せた日にはどんな粗相をしでかすか分からない。
それに、黒百合に同行を頼んだのは、それ以外にも狙いがある。だがそんな事はおくびにも出さずに、プロスは言った。
「まあ、黒百合さんにお任せしておけば安心ですからな」
「ふぅん。ま、そうかもね。
あ、そうだ、ラピラピにセレセレ。貴方達肌白いんだから、ちゃんと日焼け止め塗っておきなさいね。はい、コレ上げるから。ルリルリもね」
「私もですか?」
急に話を振られて、ルリは戸惑っているようだった。
「そーよ。ルリルリだってこんなに真っ白い肌してるんだから。日焼けなんかしちゃったら大変よ」
「そうね。ホシノ・ルリに限らず、ラピスもセレスもインドア生活だから。急に紫外線に晒されたら、火傷するかも知れないわね」
「……ソウなの?」
「そうでなくても、せっかくの綺麗な肌なんですもの。日焼けなんかでお肌を傷つけたらもったいないですものね」
「……ウン、わかった」
「じゃあ、ルリルリも。はい」
「はあ……どうも」
「自分でやるとなかなか上手く出来ないから、人にやって貰うといいわよ」
「ワタシ、パパにぬってもらいたい……」
セレスの素直すぎる意見に、ラピス以外の女性陣は苦笑を浮かべた。
「御免ね〜セレセレ。いま、黒百合さんはお留守だから、他の人にお願いしましょうね」
そう言うミナトは自分こそが塗りたそうにしていたが、一番に名乗りを上げたのは違う人物だった。
「ワタシが塗ってあげる」
「ラピス?」
軽い驚きの表情を浮かべて、手を挙げた少女を見返すイネス。
ラピスは俯き加減に目を伏せて、小さく――しかしはっきりと通る声で呟いた。
「……お姉さんだから」
その答えを聞いた一同はぱちくりと瞬きをしてから、ふっと表情を和らげた。
「そうね。それがいいわね。セレスもそれでいい?」
「ウン。オネガイ、ラピス姉ェ」
セレスは可愛らしくこくりと頷いた。
「ルリは?」
どうするの? と小首を傾げるラピスに、ルリは動揺を露わにした。
「え、わ、私ですか?」
「ソウ」
「え、でも……あの、えっと。私は、その、いいです。ミナトさんにして貰いますから……」
「……ソウ」
ラピスは平静に応えたが、若干の沈黙が彼女の未練を表していた。
◆
一方、その黒百合はユリカ、ジュンと共に機上の人となっていた。
機動兵器ではなく、ナデシコ搭載のヘリコプターである。黒百合はI.F.S.は持っているものの、一般車両や航空機の免許は持っていない。操縦は士官学校で免許を獲得しているジュンが担当していた。
最初、黒百合はブラックサレナで向かうつもりだったのだが、相手に無用の緊張を与えてしまうとの事でユリカが断った。木星蜥蜴の襲撃を考えれば丸腰で行くのは危険ではあるが、アクアからの通信で新型チューリップはバリアに囲まれて一時活動を停止している事は確認してある。
テニシアン島は直径10q程度の小島で、その気になれば徒歩で外周を廻る事も出来るが、流石にそれでは時間が掛かりすぎる。何より遊ぶ時間が無くなってしまう事にユリカが難色を示したのだった。
「うぅ〜、早く海で泳ぎたーい」
「はは、ユリカは随分と楽しみにしてたもんね」
「だってだって、海に行くのなんて久しぶりなんだもん」
「まあ、それは僕もそうだけどね。
でも、アクアさんへの挨拶も疎かにする訳にはいかないんだから。上に立つ者としては我慢しないと」
「それは分かってるけど〜」
助手席に座るユリカがバカンスを楽しみにしてウズウズとしているのを、運転席のジュンが宥めている。後背のシートに座って二人のやりとりを聞き流しながら、黒百合は前回の作戦の事を考えていた。
――北極海での親善大使の救出は成功に終わった。但し、木星蜥蜴の襲撃を退けて、の話である。
ナデシコは迂回ルートを選択し、木星蜥蜴の勢力を避けて親善大使の元へと向かっていた。しかし、その道程も半ばに差し掛かった頃、無人兵器の一群が唐突に現れたのだった。
『前回』と違って、ユリカの暴走による結果ではなく、単なる遭遇戦である。が、集まった無人兵器の数は殊の外多く、結局力押しによる強行突破で、機動兵器が単機で親善大使のいる施設へと向かう事となった。
その役割にブラックサレナが選ばれたのは機体の特性を考えれば当然の事で、その状況はまるっきり『前回』の記憶と同様だった。
黒百合は疑念を抱く。
『前回』とは違う選択をしたはずなのに、結果としては何も変わらなかった。それは、歴史は変化しないという事なのだろうか。
勿論違う可能性もある。『前回』でも、仮令ユリカの暴走が無くても、ナデシコの進む先には無人兵器が控えていて、『今回』と同じ結果だったのかも知れない。
だが、一度抱いた疑惑はそう簡単に払拭されてはくれなかった。
考えても仕方のない事だというのは分かっている。それに、選択肢がないという事も。結局の処、自分は前に進むしかないのだから。仮令どのような結末が待ち受けているとしても、だ。
心の中で黒百合は溜め息をつく。
こんな事を考える事自体、後ろ向きな思いに囚われている証拠だ。
(何を弱気になっているのやら……)
黒百合は実際にかぶりを振って、考え方のアプローチを変えた。
結果は変わらなかった。だが、そこに至るまでのプロセスは明らかに変化しており、『前回』とまったく同じであるはずがない。
ナデシコも、機動兵器も、クルー達までもが『前回』とは変わっている。それは、黒百合がナデシコに乗ったからこその変化でもある。特に、クルー達の成長には黒百合が大きく影響していると言っていい。
木星蜥蜴と遭遇するのも、決して低い可能性ではなかった。ナデシコも索敵行動を取っていたとは言え、北極海上ではブリザードが吹き荒れ、レーダーの有効性は低かった。
それは木星蜥蜴も同様であり、今回の遭遇戦は全くの偶然である。そのはずだ。
『前回』のように、ユリカが錯乱してグラビティ・ブラストを撃ち放った訳ではないのだから――
と――唐突に一つの考えが黒百合の脳裏に閃いた。
『前回』は、ユリカがグラビティ・ブラストが発射したため木星蜥蜴をおびき寄せる結果となった。
では、今回は?
可能性としては決してゼロとは言えない。もしも誰かが、ユリカの代わりに木星蜥蜴を何らかの方法でおびき寄せたとしたら……
「まさかな」
「はい? 何ですか黒百合さん」
ジュンがシートの背もたれ越しに声を掛けてくる。いつの間にか声に出ていたらしい。
「いや、何でもない」
「そうですか。もうすぐ到着しますよ」
「ああ」
頷きを返して、黒百合はヘリの窓から外に目を向けた。アクアの居住する館が眼下に近づいている。館の脇に設置されたヘリ・ポートで、女性らしき人影が手を振っているのが見えた。
「あ、アクアさんだ。やっほ〜」
ユリカが手を振りながら声を掛けている。勿論、ヘリは気密が確保されているので声が外には届きにくい上に、プロペラ音で掻き消されて碌に伝わってはいないはずだが。
(……まさかな)
そんなユリカを横目で見遣りながら、黒百合はもう一度心中で呟いた。
着陸したヘリコプターから降り立つ黒百合たちを迎えたのは、ユリカの言った通りアクア・クリムゾンだった。
通信を交わした時と同じ、真っ白なワンピースに身を包んだ、金髪碧眼の美少女。プロペラで巻き起こる風にスカートの裾をたなびかせながら、柔和な笑みを浮かべる。
「ようこそいらっしゃい、ナデシコの皆さん」
「お邪魔します、アクアさん。快くビーチの使用許可を戴いて、ありがとうございました」
「いえいえ、ミスマル艦長、お気になさらずに。こんな南の島で一人でいても持て余していただけですし。久しぶりに賑やかになって嬉しい限りですわ」
「初めまして、ミス・クリムゾン。ナデシコ副長のアオイ・ジュンです。そう言って頂けると助かります」
「初めまして、アクア・クリムゾンですわ。私の事はどうぞアクアと呼んで下さいな」
「では、お言葉に甘えて……アクアさん。早速ですが、調査対象のチューリップの件なのですが……」
ジュンが事務的な話を切り出そうとするが、口元に突き出されたアクアの人差し指に遮られた。
「うふふ、アオイ副長。私の婚約者もそうなのですけれど――仕事熱心なのは素晴らしい事ですが、時と場合によっては野暮になりますわよ。
先程から、ミスマル艦長はビーチに戻りたくってそわそわしてらっしゃるみたいですわ」
「え?」
ジュンがユリカを振り向くと、ナデシコ艦長はバツが悪そうに舌を出して頭を掻いていた。
「ユリカぁ〜」
「えへへ、だって〜」
「幸い、落下したチューリップは我がクリムゾン家のバリアで押さえ込んでいます。直ぐに活動を始める事は無いでしょうし、こちらで一息つかれたら如何かしら」
執り成すようにそう言うアクアに、ユリカは勢い込んで賛同した。
「そうそう、たまには息抜きしないとね」
「ユリカ……まったくもう、しょうがないなぁ」
基本的にユリカに甘いジュンが反対できるはずもなく、渋々ながら承諾した。
「うふふ、決まりですわね。……ところで」
アクアはにこりと微笑んでから、その視線を横へと動かした。
「あちらにいる素敵な格好をされた方は何方ですの? 宜しければ紹介して頂けますかしら」
その視線の先には黒百合が立っていた。ユリカとアクアに先を譲る形で、もうプロペラの停止したヘリの脇で腕を組んでいる。
「あ、あの人は黒百合さんです。」
「まあ、素敵なお名前ですわね」
「黒百合さ〜ん! そんな所に立ってないで、一緒にお話ししましょう」
「ああ……」
黒百合は気のない返事を返して、組んでいた腕を解いた。
黒百合がヘリから離れなかったのには理由がある。自分たちがヘリから降り立ってから、複数の視線を感じたからだ。
これはこの島に入ってからずっと感じていた事だったが、アクアの館に踏み入れてからはさらにその数が増していた。
恐らくは護衛の類だろうが、その割にはアクアは一人きりで住んでいるという風な事を言っているのが気に掛かった。(それは純粋にアクアの悪癖の問題なのだが、そんな事が黒百合に分かるはずもない)
だが、それはまだいい。テニシアン島に来る前から判っていた事だからだ。
黒百合が警戒したのはアクア自身だった。
『前回』において、黒百合はアクアと面識がある。その時は何も感じなかったが、今こうしてこの金髪の少女に向かい合うと、背筋の辺りがちりちりと焼け付くような感触を覚えていた。
黒百合の本能が告げているのだ。この少女は危険だ、と。
それは彼女の性格が破綻しているとか、そういった次元の問題ではない。
『以前』の世界でアカツキやプロスの裏の顔、北辰の存在を知り、修羅場をくぐり抜けて来た黒百合だからこそ、その違和感に気付けた。まだ経験の足りないユリカやジュンは何も感じてはいないだろう。
少なくともこのアクア・クリムゾンという少女は、世間一般で言われているような唯の世間知らずのお嬢様ではない。
アクアのサファイアの瞳を向けられて、黒百合は誰にも気付かれないように左の拳に力を込めた。
◆
「さぁ〜いらはい! 海水浴場の三大風物詩といえば、粉っぽいカレーにマズいラーメン、そして溶けたかき氷!
俺はその伝統を今に伝える、俺は一子相伝最後の浜茶屋師なのだ〜!!」
客が一人しかいない浜茶屋で、ねじり鉢巻きに腹巻きというレトロな格好をしたウリバタケが高らかに声を上げている。
唯一の客であるマキビ・ハリ少年が、その異様な迫力に押されてキョトオドしながらも注文した。
「えと、じゃあラーメンください」
「へい毎度!
せいやぁぁぁ〜! だ〜るまさんが転んだ、だ〜るまさんが転んだ、だ〜るまさんが転んだ!
へいお待ちィ!」
ドン! ズルズル〜。
「うっ、マズい……」
「あったぼ〜よ!」
ウリバタケは胸を張り、ハーリーは涙を流して悲嘆に暮れた。
「うう、なんでこんなの売ってるんですかウリバタケさん……」
「コレが昔っからの伝統ってヤツよぉ! 漢の浪漫ってモンを分かってねぇなぁハーリーは」
「うう、アオイさん、早く帰ってきてください〜」
「……貴方達、何やってるの?」
そんな二人の様子に、呆れた声を出したのはエリナだ。水着の上に羽織ったネルガル支給のパーカーが実に彼女らしい。
「おう、いらっしぇい! あんたも何か注文するかい?」
「やめた方がいいですよエリナさむぎゅ」
「はっはっは、ナニ言ってんだハーリー」
余計な事を言いかけたハーリーの口をウリバタケの手が塞いだ。
「……アオイ副長にハーリー君のお守りを任されてるんでしょ? あんまり苛めちゃ駄目よ」
「な〜に、これくらいどうって事ねぇよ。な、ハーリー」
「もがもが。ぶ、ぶぁい」
「……まあいいけど」
エリナは疑わしげな様子だったが、取り敢えず置いといて焼きそばを注文した。
ウリバタケが鉄板で調理を始めた為に解放されたハーリーが、涙目で捕まれていた頬をさすっている。
「ううぅ〜」
「大丈夫?」
「あ、はい。ありがとうございますエリナさん」
ぺこり、と6歳児にしてはやけに堂に入ったお辞儀をするハーリー。
「嫌な事は嫌ってちゃんと言わなきゃ駄目よ?」
「はい。でも、大丈夫です。ウリバタケさんも、僕が本当に嫌がってたらすぐにやめてくれますから」
「……そう。ところで、セレスとは一緒に遊ばないの?」
「え……と。セレスは、イネスさんに連れられて行きましたし。それに、僕はアオイさんを待ってますから」
「そうなの?」
その割には、セレスの名前を出した時に少年が怯えた表情を浮かべたように見えたのは気のせいだろうか?
そんな会話を交わしている内に、ウリバタケの調理が完了した。
「へい、焼きそばお待ち! 500テランだよ!」
「……貴方ね、お金取る気? この浜茶屋も焼きそばの材料も、元はと言えばネルガルの支給品でしょ」
「まあ、そうなんだけどな。コイツぁノリだよノリ! わっかんねぇかなぁ」
「分かりたくもないわね。じゃ、コレ貰ってくから」
「へい毎度〜!」
ウリバタケの掛け声を背に浜茶屋を出たエリナは、ぐるっと浜辺に視線を巡らせた。
目当ての人物は程なく見つかった。今回の海水浴に際して用意された、支給品の海パンとパーカーを身につけ、木陰に一人腰を下ろしている。
視線は海の彼方に投げ出されたままで、歩み寄ってくるエリナには気付いていない。何か疲れる事でもあったのか、その横顔には力が無く、目線も定かではない。
そのだらしない様子にエリナは苦笑を漏らしそうになったが、両手で焼きそばの舟を持ち直して気を引き締めた。
黒百合が居ない今が最大のチャンスなのだ。ネルガルの利益の為にも、引いては自分自身の野望達成の為にも、良い結果を導き出さなければならない。
意を決して――そしてその緊張が表に出て不自然にならないよう最大限に気を使いながら、エリナはその少年に声を掛けた。
「ちょっといい? テンカワ君――」