「崩れ落ちろ!」
外野から声援が上がり、炎の渦が目前まで迫る。
「氷爆」
刀を手に、圧倒的下位の爆破魔法を発動させ、炎を消し去った。その隙にと、後衛型魔法使いが自動追尾方の魔法の射手を放ったが、それは完全無欠に無視した。
この世界には瞬動術という移動方があるが、それの短所は一直線にしか動けないことだ。だが、
「バカな、消えただと!」
前衛魔法使いがうろたえ、瞬間後衛魔法使いは自身が放った自動追尾方の魔法の射手と衝突し地面に横たわった。
「どうやったというのだ」
運ばれていく後衛魔法使いを横目に、上級生は戦慄した。瞬動術は彼にも使えた。けして完成しているとはいえないものの、使えることは使えるのだ。だからこそ分からない。何故こうなったのかが。空間跳躍でないことだけが理解できる。彼とコンビを組んだ魔法使いの魔法の射手は、破壊力に欠ける代わりに様々な機能を追加できる万能性があった。そのうちの一つ自動追尾方のそれも、術者本人が見失ってもどのような速度を出そうとも消滅するまで永遠に追尾する。空間跳躍は高速移動ではないので、その機能が働かない。だから最後まで自壊することなく追尾していたことから、空間跳躍は否定できた。
「簡単だ」
後ろから掛かった声に、ぞくりと背筋が震えた。それまでは確かに正面にいたはずなのにと。
「世界は三次元で出来ている。だがそれは空を飛ぶときに限った話だ。地を這う生物は等しく二次元をもとに移動しているに過ぎない」
チェックだ。すっと刀の切っ先が首筋に当てられる。それに参ったと一言つげ杖を手放すと審判が勝者と敗者を明確に分けた。
やったことは簡単なことだった。線というのは点と点を結んだものに過ぎない。それを結ぶ最短ルートはおおよその場合直線である。瞬動術は直線上にしか動けない。では速度を落とさずに終着点から違う終着点まで移動できたのならどうだろうか。ネギはそれをしただけの話だ。一切減速せず目視できない速さで。
魔法は低級のみ使用し後は体術のみで終わった戦いは、正直ネギにとって物足りないものであった。

第二話 勝手にクリスマスプレゼント

五年生も半ばのころ、ネギは既に諦めていた。授業内容の困難さにではない。グラディエーターのいろはクラブでのコンビについてだ。
この世界の剣闘士は、二人一組で戦うことが多い。というよりもそれが当たり前だ。その形は様々だがおおよそ前衛と後衛のコンビか、前衛のみのコンビに分けられる。後衛同士ということも、ひとりで戦うものもまずいないといってよい。
だが、ネギの場合そのコンビが欲しくてもいないのだ。ネギは後衛、前衛どちらかと聞かれれば前衛と答えるが、その実どちらでも可能だ。グラディエーターのいろはクラブにはそれなりに強いものが集まっており、普通ならば過不足なくコンビ相手が見つかる。
四年生から通い始め、様々な人物とコンビを組んだネギは、戦い方を思い出すにつれ相手を置いてけぼりにしてしまうことになってしまった。そのつど謝罪を繰り返し、より強いものとのコンビを望んだのだが、此処に着てその相手がいなくなった。ネギの実力に誰もついていけなくなったのだ。
その理由の一つはあくまでもクラブは娯楽であり、生きる糧を得る為でもなく学校を卒業してから困らない程度に強くなれればいいという物であり、ネギのように何処で誰が襲ってくるか分からないが故にがむしゃらに強さを求めることはない。故にこの結果は当然といえば当然だった。
そうして、誰ともコンビを組まなくなってから始めのうちは上級生特有の豊富な魔法知識とけっして力押しでない知恵を使ったやり方で押され負けることが多かったが、体と記憶とのすりあいが近づくにつれ負ける事はなくなり、今では勝てないが負けることもない所謂引き分けが少数と、大体の場合圧勝する成績をキープしている。それは教師陣にもこれはと、注目されることになっているのだが本人は知らない。
だが、人間完璧な者などいないということは明白な事実である。本格的に攻撃と防御、治癒術、体術、錬金術に分けた授業も五年生に成ると共に更に細分化されたそれを収めながら、耳にする噂。そのどれもが負け犬の遠吠えだったが、癇に障ることは間違いなかった。曰く、ネギは魔法こそが友達の可哀相な奴なのだと。
大きなお世話だといいたかった。確かに友人は少ない。普通の友人は。ネギの友人の多くは既に学校を卒業した大学のものだったりあるいは教論だったり、マギ研のチーフや、錬金術を極めた生きる辞書的ご老体だったりと、一介の学生では手が届くはずがない者ばかりなのだ。
同級生はネギにとって話していても面白みに欠ける。何せいう言葉ときたら立派な魔法使いの話が大多数を占めているのだ。勿論剣闘士の話は出るのだが、最近の剣闘士はルックスを看板にしているような物で、視聴者である同級生も自然そういった方向の話ししかしない。
その点、普通なら手の届かない年の離れた友人の話は大変参考になり、それだけでなく聞いていて面白いのだ。
大学生はあの頃はと昔を懐かしみ、その当時のバカ話を話し、今現在との差異を笑いの種にする。
教論とは大抵のものが思うような勉学の話はなく、その代わり最近の生徒はという愚痴や、学生時代の失敗談、甘酸っぱい初恋の話に、授業ではけっして話さない教師の実態という裏話を、知っていたり知らなかったりと様々なリアクションで返し、最近どういう目で見られているかという学生ならではの情報網からの助言など多岐にわたり家に招かれながら話す。途中教論の奥さんが出てきたり子供が出てきたりと話題は無限大だ。
マギ研のチーフとは、研究の話がその大部分を占め、正直友人というには堅苦しい気もしないではないが、話していて楽しいので別にかまわない。というのもチーフはなんとかと天才は紙一重というのを体現したような人物なので、類は友を呼ぶというようにその周りがいつも騒がしく、様々なトラブルに見舞われる。だがそれはけっして嫌なものではなく最後には笑いあえるものとなることが多い。そういった関係でチーフと、チーフは認めたがらないがチーフの友人とは年の離れた友人関係を築いており、そこから発展して今まで考えたこともなかった世界が見えたりする。
ご老体との邂逅は非常にまれな物で、将来金を稼ぐには錬金術でもやってみるかと本格的に考えていた時期に偶々ぼろぼろで今にも倒れそうな店に入った瞬間からだった。店の中は西洋ドールだらけで、しかし不思議とそんな状態で感じる、生きていないのに生きているという不気味さは感じられず、生きているのが当たり前だとどれほど良く出来ていても人形に過ぎないというのにと首をかしげたものだ。その店は錬金術を習うものが血眼になって探す店で、人形、否人形とホルムンクルスが融合した最新型のドールが一人でも入店を拒否した場合見つけることが出来ない仕組みになっていたのだ。そんなこととは露知らず、錬金術関連のものが豊富にあったので、合法賭博である馬券ならぬ剣闘士権で当てに当てまくっているが故にそれなりのものを、それなりに高い値段で少数購入することが続いた。そしてふと寡黙な店主の老人がドールの整備をしていたところを見て、見学してもよろしいかと尋ねたのが本格的な交流の始まりだった。それ以来、錬金術では常に助言を貰い、錬金術の全盛期と呼ばれた黄金期の話を手作りの菓子を差し入れしながら教えてもらい。今の錬金術の傾向を話したり、時には何事か迷っていることを見抜かれ、さりげなく助言されたり、老人の複雑な家庭事情に憤慨したりと、孫と祖父のような友人関係にある。
それらから分かるとおり、ネギに普通を求めることがどれほどおろかなものかが分かるという物だ。ただそんな影口もあっていることがある。ネギは異常だという事は。

それはクリスマス休暇での一日。イエス・キリストと魔法使いとの関連性は噂されているものの、確固たる確証はなく、裏でつながりがある法王にも否定されているが、その当時はまだ魔法世界の発見はなく、魔法使いの中にも信者が多く存在した。それは魔法世界に移住することになっても変わらず、魔法世界でも三大宗教のうち二つ、キリスト教と、イスラム教は盛んである。その二つの宗教の対立は、移住した瞬間に露と消えた。いがみ合いよりも尚巨大な敵が現れたからだ。そう、自然の猛威である。
結局国を開いたときには、対立していた先祖は既になく、また先住民の間で信仰されている宗教もあったが故に敵意がわくことはなかった。その代わりに、相互理解が早められたのは嬉しい誤算だっただろう。
現在は魔法世界にも移動手段が確保され、大雑把な住区の区別はあるものの、おおよその場合宗教は入り混じり、結果おおよそ主流と思われる宗教の祝いは何処でも行われている。
アリアドネーは魔法世界屈指の技術大国だ。それゆえに様々な国から留学生が集まっている。そしてある程度まとまった休暇が取れれば帰郷するものが大半だ。
ただ、アリアドネーは学術に重きを置いた国なので、残り勉学に励みたい者には非常に寛大だ。学食は勿論のこと、授業以外は通常学校で行われていることは全て執り行われる。
ネギは、帰郷するものが大半の学校において居残り組みだった。それは毎年のことで、最近は従姉のネカネや、祖父のアルフォンスが帰って来いと魔法使いが使う立体映像付きの手紙を何度も送られ催促されている。
にもかかわらずネギは帰る気が全くない。家族のぬくもりは大事なものなのだろう。しかしネギはしっかりと覚えていた。アリアドネーに留学してから三年間全く音沙汰なしであったことを。ネギはこう見えて意外に根に持つタイプなのだ。
それにと、ネギは考える。肝心な魔法球の工程が最終段階に入ったのだからと。
ボトルリゾート、または別荘の名で知られる魔法球は、完全無欠に錬金術の範囲に入っている。一般的な魔法球は専門のものが作ることが多い。それは、現実空間と魔法球内での時間の流れが異なることが原因だといわれている。
たいていの場合、魔法球での時間は現実空間の何倍もの時間がたつとされている。それは同時に成長あるいは老化の促進に繋がるのだが、多くの者はそれを考慮しない。ただ便利だという理由だけで試用している。
普通、所有者はその時間の差を楽しむのだが、ネギは違った。魔法球内の時間が現実の何倍にも膨れ上がることを黙認し、されど体に時間が掛からないように設定しようと考えたのだ。
その上で考えなくてはならなかったのは時間とは何かということだ。アインシュタインによると、同じ時間でも美女との楽しい会話はあっという間に過ぎ去り、手を熱し我慢する時間は途方もなく長いと考察されている。
このことから粒子的なもの以外での時間は、一定ではないと仮定した。実際その考察をご老体に話すと、それこそが魔法球の肝だと目を見開いて驚かれたことは記憶に新しい。
魔法には同化の魔法という物がある。それは人であったり空間であったりと様々なものに概念的に同化する魔法だ。魔法球は、その時間の肝となる心理的な時間の早さを司る心理的な時間を同化魔法で腐食しない物質に同化させ固定させたものを基点に、ガラス状のボトル全体に魔力を運ぶ葉脈のごとく魔力ラインが張り巡らされている。それがボトルに予めひかれた同化の魔法陣によって時間を操作しているのだ。
ネギにとって成長することは喜ぶべきことだと理解していても、年をとるということに対しどうしようもない抵抗があった。成長と老化は違うようで同じようなものだと判断していたからだ。人間の一生は短い。それを自ら少なくする必要は無いと頑迷に拒絶したのだ。
だからこそ浮かんだ構想。それは老いなければいいのではないかということ。元から魔法球にこもり武器のメンテナンスパーツや修理パーツを作ることは勿論、他にもいろいろしようと考えていた。ネギは自分の性格を割と良く知っている。一つのことに熱中したらなかなか抜け出せないと。だから浮かんだのだ。そんな突拍子もない構想が。
キーは同化の魔法にあるとネギはまず疑った。魔法球の時間は心理的時間を固定したものだ。ならば術式を変えて上手く肉体に時間が掛からないようにしえないかと。
結論から言うとそれは不可能だった。幾重にも考察した結果、いくら心理的時間を固定しているだけだとしても、時間は時間であり原子で構成された物体は、いずれ劣化する運命にあると。それは世界の真理だ。
ではと考えを変えたのが、エネルギー保存の法則であった。だがこれにも欠点があった。ネギが望むのは寿命から見た老化しない成長や、一切老いない時間の確保だった。だが、それは不可能だった。エネルギー保存の法則は体にも適用される。ネギはエネルギーの循環を止めそれを持って老化しない事を考えたのだが、生物は良くも悪くも生きている以上エネルギーが循環している。それが止まるのは死を越えた白骨と化したときのみだ。いやそのときですら風化というエネルギーが加わっているかもしれない。
そうして万策尽きたネギは、この休みを利用して気分転換としゃれ込むことにした。全く煮詰まらない考えのヒントを探すことをいったん脇に置き、久しぶりに新たな魔法の習得でもしようと学校が誇る大図書館の禁書コーナーを通り越して、今までなんとなく行く気が起きなかった、デス・失われ死秘伝コーナーといった明らかに読んだ瞬間監視が付きます的な、あるいは自殺志願者専門コーナー的なそこに入った。
その一角は、電球一つついておらず、魔法で光を生み出すしかなかったのだが、ネギはすぐさまそれを後悔した。
「此処は一体なんなんだ」
光の魔法は得意で、それゆえに迷うことなく灯したそのとき、何処からともなく唸り声が聞こえた。それは苦痛を我慢するそれに酷似しており、今にも死にそうな重病患者の呻きそのものだった。
一体誰が、と光を向け覗き込んだその瞬間、本が棚から落ち背表紙が脈打つとムンクの叫びなど目ではないリアルにリアルなまるで生きたまま虫に体を食われている最中の様な男の顔が、立体的に浮かび上がったのだ。
「あれは一瞬でも九字を切るのを戸惑ったら捕らわれてたな」
そう、それを確認した瞬間ネギは早九字を切った。そして飛び出してきた男の顔はまるで牢屋に閉じ込められたがごとく九字の鉄格子に張り付き唸りに唸っていた。それは今思い出しても寒気が走る死の呼び声だった。
「だがこれは正解だ。目には目を闇には闇をだ」
闇、それは光と相対する存在である。光が全てを見通すのに対し、闇は全てを隠し通す。電球がともっていない理由は書物が光を嫌うからだ。だが闇は結局のところ照らすものではない。ではどうしたのか。簡単だ、炎を生み出したのだ。
原則大図書館では火を灯すことが禁じられている。それは本が可燃物質であるという理由からだ。
それは闇の炎も同じではないのか? そう感じるものが多いだろう。だが闇という物は光と正反対であるということから、熱源がない。それが破壊の念を込めたのなら別ではあるが原則的に燃えないのだ。
ではそこに炎を無理やり混合させたらどうなるか? 反発はしない。それはこの世界の魔法が精霊魔法に酷似していることから理解できるだろう。精霊にとって闇や光は関係ないのだ。それは黒人や白人、黄色人という違いと同じようなもの。個人間での嫌悪はあるだろうが属性云々での嫌悪はない。
結果、闇と火の属性は融合しえるのだ。炎は燃えるものだが、闇は燃えない多い尽くすだけだ。そして炎は照らしこそすれ、火種が切れない限り覆い隠すことはなく、闇は明かりをほの暗いものに変化させるだけ。結果燃えない炎が作り出されたというわけだ。
そうして漸く本からの怨念を受けずに手にとることができた。そして驚愕する。その内容のほとんどは魔女狩りが行われた時期と一致し、魔女狩りを行うに足る外道の数々が記されてあったからだ。
それを得意な速読で読み進め、様々な外道の果てに得られた魔法の記録を武器にコピーする。そして一息ついたときに魔法世界においての常識でも考えられない光景を目撃した。
「HA!HA!HA!HA!HA!」
野太い男の声でアメリカン風に笑うそれは、人ではない。そもそもデス・失われ死秘伝コーナーなど不吉な文字がオンパレードの列に、それもクリスマス真っ最中にもかかわらず来る人間なんぞいるほうがおかしい。そう考えてネギは落ち込んだ。その異常者は自分だと。
頭を振って鬱な気分を吹き飛ばす。そして改めてそれを凝視した。
「HA!HA!HA!HA!HA!」
何処となく殴り飛ばしたい気分にさせる能天気でいて人をおちょくるような笑い声。それを発しているのは、
「空飛ぶ本…」
唖然と呟く声が反響する。
「HA!HA!HA!HA!HA!」
それは誰が言ったのか定かではない俗世で言う子供の特権、サンタクロースの贈り物だったのかもしれない。

クリスマス休暇が終わり、学び舎に舞い戻った学徒が見たのは、高笑いする不気味としか言いようのない血の様に赤い背表紙の、空を飛ぶ本だった。
「HA!HA!HA!HA!HA!」
野太い笑い声が放たれるたびに、恨みがましい視線を送る生徒たち。惨状の源は誰が言うまでもなく皆分かっていた。
入学以来一度たりとも帰郷せず、どのような休みであろうと必ず学校から動かない存在はただ一人。だが決め付けるのは些か早計だろうと良心的な生徒は考えた。他にもクリスマス休暇で帰郷しなかった者がいるはずだと。
それが分かれば現場直行だといわんばかりに、生徒はこの食事の時間帯ならば必ず集まる食堂へと向かった。この学校は人格の形成にも力を入れている。そして時間をまもることは良い人格形成に役立つと、就寝時間以外は、授業は勿論、食事から風呂の時間まで決まっている。それをまもることができなければ、授業ではその授業を受けることを許されず、食事は容赦なく抜かれ、風呂は裸だろうと廊下に出される。就寝時間が決まっていないのは自主勉強、自主鍛錬の時間を個人にあったスピードと量を考えたのと、息抜きは必要だという理由だった。
そして朝は必ず取るべしと決められ、朝食の時間に間に合わなかったものには、ドリアやフナ寿司などの匂いを液体にしてみましたといわんばかりの、栄養満点飲んだが最後、記憶することは可能であり、当てられない限り授業になんら支障のないリビングデット状態になること請け合いのマーブル色のジュースがビールジョッキ一杯無理やり飲まされるからだ。ある者はいった。あれはフォアグラを作る為餌を口に入れられるガチョウに似ていたと。
だから、それを見たことのあるものならば絶対に食堂にいるのだ。何故ならそれは休暇の間でも適応されるのだから。
良心的な生徒は確かに見た。数十人の生徒が残っていることを。だが、それと同時に理解してしまった。そのいずれの生徒も特別優れていたり、問題を起こしたり、通常とは枠が違っていたりする者ではないと。つまり、
「ああ、あの本? 私のだけど何か」
直訴しよう。あっけらかんと語られた言葉に、良心を粉々に砕かれた生徒は異常事態を教師、否理事長に直訴する運動を開始することを決意した。

そんなまるで死期を悟ったかのような生徒たちに苦笑し、ネギは心を躍らせていた。
ネクロノミコン。それが陰気な空気の原因になっている魔道書の名前。架空の魔道書といわれたそれは、小説を読んだ魔法使いの間であまりに的確すぎるあり方に、本物の存在を疑い、一種の社会現象にもなったほどの代物だ。それは後に作者が悪の魔法使いだったという事実が発覚すると共に再燃した。
善なる立派な魔法使いを目指す魔法使いたちにとってネクロノミコンという闇の本は処分すべきもの以外の何物でもない。
だが、ネギにとってそんなことはどうでもいいのだ。悪や正義などというものは過去幾度となく議論された議題で結局明確な解はなく、その場その場の立場の問題に過ぎないというのは周知の事実。正義と悪が明確なのは子供限定だと解釈されている。子供は自分が絶対的な存在だと無意識に思っている。更には歴史から分かるとおり過去の者達は地球が太陽の周辺を回っているのではなく、地球こそ万物の中心だと声高々にとなえ、それに異をとなえた者は、情け容赦なく淘汰された。地球上の大陸はもともと一つの大陸だととなえた者は、自らが支配している土地が動くことを大衆という最大の勢力を味方につけて否定した。
魔法使いも同じだ。立派な魔法使いを至上のものとしているというのに、それに相反する悪の魔法使いの存在を予め教えることはない。
年を重ね外見だけ大人になっても子供は子供でしかないという実例である。
ネギはそんな今更なものにすがりつくことなく、悪が発明したものをも利用しせしめると逆に意欲がわいた。
科学技術の多くは軍事技術からの派生品である。それは電子レンジ然り、原子力発電然り、コンピューター然り。技術に善悪はない。扱う人の心が血の雨を作り出し、同じようにはじけるような笑いを作り出すのだ。
それはネクロノミコンにもいえる。ネクロノミコン。陰陽術での反魂の術と、中国におけるキョンシー製作技術にも似ている。その共通項は死者蘇生術だ。それも完全ではないそれ。
当たり前といえば当たり前だが、死を覆す事など神ならぬ身に出来るはずがない。ただネクロノミコンは小説と完全に一致しているわけではないらしく、悪魔召喚から悪魔を従えるソロモンの如き所業の手順と契約といった本来グリモアに記されているはずのもの。アンデット作成術とその操作方法。死霊を取り付かせる術に、その払い方。外道から習得した様々な人型の生き物の効率的な壊し方と、意外にも怪我を負ったときの効果的な治癒術。
そして今もって重要なこと。魔法球の改造についての方法のヒントが記されていた。それは意外にも治癒術の項目に。
ネクロノミコンの不思議なところはどれだけページをめくろうが永遠に終わりがくることがないということだ。だからこそ長々と記入されていたのだろう治癒術の冒頭には宇宙とは何かが言及されていた。
宇宙とは全であり一である。一であるからには、特別なものではなく、その他大勢のうちの一つに過ぎない。それは惑星が形作る星系にも似ている。だとすれば今現在人類が体験しているような宇宙が同じ条件で存在し、全ては一を越した全になり同時に一となる。その終わりなき繰り返しが宇宙というものを形作っている。
それが冒頭だ。繰り返し繰り返しロシア人形のようなものが無限に続くと考えればいいのだとネギは解釈した。では肝心の治癒はどうなのか。それも簡潔にまとめられていた。そしてそれこそが肝心な部分だった。
生物に限らず世界全ての者は皆等しく平等である。それは宇宙とて形は変わらない。物質は生物、無生物に限らず皆その身に宇宙を内包している。それは宇宙と同じように全としての物質、一としての単体でなっている。それらは多く集まり地球という星を形作ることになる。故にものを直すのは実に簡単だ。全という名の物質が壊れたのならば、その一つ下の宇宙から繋ぎなおせば事足りる。それが不可能だった場合は更に小さな宇宙へと介入し、規模を小さくし続ける。それに限界はない。既に発見された原子という物質でたとえるならば、壊れた部分の原子と原子を正しく望む形へ銀河をつなげたらいいのだ。それでも無理ならば更に小さな宇宙に干渉すればいい。それはないのではなくただ知らないだけなのだ。そうしてそれが終わればより大きな宇宙に干渉していき、望む形になったのなら止める。では一としての単体が壊れたらどうするか。それは考える必要はない。一が一であるならば、より巨大な全に包まれている。故に一を壊すにはより上位の全を壊さなければならず、全は一であるが故に、終わりはなく結論として壊すことが出来ない。
ネギはこれを読んだ瞬間思わず叫んだ。宇宙と人を一緒にするなと。だが、完全否定は出来なかった。少しでも生物科学を知っていれば物質は最終的に原子からできていることを知っているだろう。体はセルごとに分けられていることを知っているだろう。外科手術で腹を切り裂いても、糸で縫合するもののあとは自然治癒にまかしている。それは細胞が再結合するからだ。手術ではあとが残る。それは自然治癒が追いつかなかったからだ。だがネクロノミコンに記されていたのは望む形に再生するということだけだ。それは自然治癒という当たり前の法則を言っているように見えるがそれは違う。自然治癒で治るのは生物限定だ。非生物の場合再生は出来ない。それが記されているとおりの方法があっているとしても。だが、此処で忘れてはいけないのは、ネクロノミコンは魔法使い、否魔力や気の存在に一切触れていない。これは二通り考えられる。
一つは魔力や気を使っても無理だという意味だが、それでは記す意味がない。
そうすると必然的にもう一つの考えに絞られる。つまり、魔力や気を記す必要性がなかったということ。
自然治癒能力も突き詰めれば気や魔力の力が働いている。更にネクロノミコンの所有者は魔法使いだったのだ。そんな常識を書く必要性もなかったと取ることができる。
そこまで分かれば、一番被害のない非生物で実験を開始した。石を持ち上げ、より硬いレンガに叩きつける。綺麗に層で割れた黒い石は、普通ならば元に戻ることはないだろう。圧力をかけられ固まっていただけなのだから。
だが、それを知っていても尚再生を実行する。武器を起動し刀に変える。それを杖としてふと呪文はどうするのだろうと考えた。
普段から使っている呪文。しかし同じ精霊魔法でも一言も発さずに発動できる魔法もある。そのことからネギはイマジネーションの問題だと考えた。同時に自己暗示だとも。であれば魔力量でも気の強さでもなく、強い意志が全てを決める。
このときほどネギは自己が確立している事を恨んだことはない。確立していないか脆いもの、つまり精神的に子供であれば自己中心的に、まるで世界は自分を中心に回っていると無意識の中で考えているが故に、異常ともいえる強固な意志が発せられる。だがネギは大人だ。少なくとも自己が確立し自分は特別でもなんでもなく、ただ世界の一つに過ぎないのだと感じられるほどには大人だった。
だからこそ呪文が必要になる。太古から続くシャーマンが自己暗示に自己暗示を重ね己という境界線を踏み越えたからこその絶対的意志を発生させた、混ざり物のない純粋なそれは神秘を呼び起こしたように。
だから作ろうと此処にネギは決めた。矮小で、脆弱な自分という名の意識を壊し、貫くべき意志を強化する呪文あんじを。
「汝、全ての終わりであり、全ての始まりであり、そして全ての中間たるものよ。我が兄弟よ、同胞よ。時の砂を落としきり繰り返されよ。リ・コード」
初めての詠唱に世界が鳴いた。杖たる刀には暗示の効果か尋常ならざる魔力が流れこみ決壊寸前。だがそれは一瞬のことで意識する間もなく眩い光が割れた石を包み込んだ。
一体どれだけの時間が流れたのだろうか。ネギはこれと同じ体験を幾度となく得てきた。それは初めて補助輪なしの自転車に乗った一瞬の成功であり、初めて異性に想いを告げ返される言葉を待つ時であり、そして初めて魔法を、術を発動させた瞬間だった。
だから、だからこそ、
「失敗か」
初めてで上手くいくはずがないのだと、知っており、案の定石は原型を留めないほど巨大化していた。
「繋ぎ合わせることまでは成功」
ちらりと手の中に収まった小石の成れの果て、綺麗にくっつきそれでも足りないと恐らくは大気中の何がしかを吸収したのだろう拳大まで大きくなった石を見る。
「適当の意味は、丁度良い。だがこれが意外と難しい」
魔法球完成の前の、第一歩。宇宙の操作を覚えなければならないと確信したネギだった。



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