「汝、全ての終わりであり、全ての始まりであり、そして全ての中間たるものよ。我が兄弟よ、同胞よ。時の砂を落としきり繰り返されよ。リ・コード」
その瞬間、内なる世界は覚醒した。

第三話 通り名

その日、奇妙なものを見たと生徒たちが自主休校することになった。朝食まではなんら変わりはなかったというのにと、学校の教師陣は一斉ボイコットかと身構えたのだが、とある一人の証言によってそれは偏頭痛へと変わった。
「スプリングフィールドが、笑ってたんですよ」
そこまで聞いた教師は何を当たり前なと、証言した生徒を怪訝な表情で見るだけだった。次の一言を聞くまでは。
「例の空飛ぶ本。笑う赤本ですね。信じられますか? あれと笑いあってたんですよ」
教師はその生徒にまず最寄の眼科を紹介した。それでも尚嘘ではないと主張するので、許可を得て記憶を覗いた。
記憶を覗く魔法は、読心術の上級魔法に当たる。高位になればなるほど距離を離して覗けるが、どれほど高位であっても精神という物は繊細でいて頑丈なもの。表層意識ならばともかくそれ以上の深度になれば、そう記憶を見るなどと言う行為ならば了解を得なければプロテクトが係り覗けない。
そうして了解を得た教師は、記憶を覗いて、アメリカン風に肩をすくめた。疲れているんだよ君は、と。
勉学もいいが遊びなさい。それが最善の行動だ。そういって生徒が去るのを笑顔で見送り、扉が閉まった瞬間に、校長に泣きを入れた。
「彼が! また彼がやっちまったんですよぉぉぉぉぉぅ!」
男泣きに泣く教師の声に、校長は一言。胃薬ためんかのぅ、と弱弱しい声音を発したという。
彼で伝わる辺り、ネギがいかに良い意味でも悪い意味でも問題を起こしているかという事をうかがわせた。
教師が生徒の記憶で見たネギは、向かってきた赤本を両手で持ち、まるで恋人の腰を持ち浮かせて回るように、喜色満面で、アメリカン風な笑い声と、楽しげに笑いあっていたのだから。
これが第三次ネギインパクトの全貌である。

その日の朝、食事の席でネクロノミコンと笑い会っていたのは、何もネギの頭がおかしくなったからではない。ついに完成したのだ。魔法球が。
ネギは既に通常の魔法球は作れるほどの腕前があった。はからずとも錬金術を極めたご老体と懇意にしていたが故の成長速度。あるいは手先が器用だったことも関係していたのかもしれない。だから理論さえ分かれば後は実装するだけだったのだ。そして理論は完成した。それを制御するすべも身につけた。
そして実行したのが、昨晩だっただけの話。結果はいわずとも分かるだろう。
理論の肝と成ったのは、ネクロノミコンにかかれた治癒術に関する部分で述べられていた宇宙、そして物質の巨大なあるいは目に見えないほど小さな理論だった。
今までネギは魔法球の中を一つの世界として捕らえていた。通常の魔法球は時間の流れも、気温も、星座すら違う。だが、そうではなかったのだ。
世界とは偉大で矮小なものなのだということに気付かされた。そして無限に続く関係性があると。だが魔法球はどうだろうか。時間も、気温も、繋がるべきものがない。それを覆い尽くしてくれる全という名の宇宙がない。星座にいたっては幻術で出来た偽物に過ぎない。
道具としての連続性はある。だが一つの世界としての連続性はより小さな宇宙はあれど、大きな宇宙はない。独立し、覆い尽くし覆い尽くされる一つの世界ではないのだ。ただの道具でしかない。それ以上でもそれ以下でもない地球という惑星を形作る宇宙。宇宙という道具であり、世界ではないのだ。
だからこそ、ネギは老化しないされど時が何倍もの速度で進む道具を作る発想を得たのだ。
それまでは一つの世界として扱ったからこそ、内部変化を目指した。だが世界でないと知った今内部変化にこだわる必要性は皆無だ。寧ろ積極的に外部要因を増やすべきである。
ネギがした事は簡単だ。まやかしの世界の壁を取り払った。ただそれだけ。内部で完結してしまっているそれを乱す。具体的にいうと、魔法球の外から持ち込んだのだ、全てを。その全てを魔法球外部、つまりもとの世界に括ったまま。
括られた存在というものは、そのものが何であろうと括られたところの現象に左右される。つまりいくら魔法球内部の時間が早く過ぎても、持ち込まれたものには、括られたものには影響が出ない。出せない。
これは一つの矛盾を利用している。存在する場所はそれ自体よりも世界として低位置に属する魔法球内部。魔法球内部は擬似的な世界であるが故に、一つのものとしての、宇宙としての存在が小さい。人間の塩基にも劣るといえば分かるだろうか。緻密故に小さくなった存在。それが魔法球内部。そこに魔法球として、道具として同格の存在が入ってきたらどうなるだろうか。より低い宇宙に降りた存在は、何もしなければその宇宙に一時的に括られてしまう。宇宙の崩壊を防ぐ為に。だが、既に括られていたとしたら、なすすべはない。認めるしかないのだ。
此処で宇宙の崩壊はどうなるのだと考えるものもいるだろう。それは寧ろ括っているからこそ崩壊しないのだ。存在が確固たる物として、あるのに無い状態に置かれているというのが一番正しい。魔法球内部の宇宙にとって括られていない上位宇宙は、取り込み力を奪わなければ存在の質によって魔法球内部という宇宙が破裂してしまう。大は小を兼ねるが、小は大を兼ねられないからだ。だがどの宇宙だろうが括られていれば、存在の本質は括られた世界にあり、どれだけ送り込まれてこようとその部分だけがまるで大使館のごとく異なる摂理でまかり通っているので、そのものが括られている限りその空間、つまりその存在は魔法球内部という宇宙を壊さないように切り取った、魔法球内部としては何もない空白の空間に成っているのだ。勿論それは魔法球内部という宇宙が見た場合に限る。空白の空間にはしっかりと括られたより高位な宇宙が存在する。それを魔法球内部という宇宙が認識できないからこそ、魔法球内部の宇宙は破裂することはない。
だがこれで最後ではないのだ。このままではあくまでも魔法球内部で年を過剰にとることがなくなっただけであり、仮に存在を括り魔法球に入ったとすると、周りの景色はまるで早送りを見ているがごとく高速で進められることだろう。それでは魔法球の存在意義がない。だがネギにとってそれは予め予期していたことであった。故に対処法も既に編み出している。つまりは同化だ。
術式を改造し、外からやってきたもの全てに魔法球内部の時間を同化させる。一見何も変わっていないように見えるが、そうではない。同化といっても以前のそれではなく、括られた上での同化だ。時間を体感することは出来るし、激しい運動をすれば筋肉が痛む。その回復速度も従来の魔法球となんら変わりはない。ただ宇宙というのはそんなにやわではないということだ。
時間は同化している。それは回復速度もそうだ。だが魂と呼べる宇宙はなんら影響を受けては居ない。それは括られているからだ。では訓練しても意味がないのかというとそうでもない。魂という物は人知の及ばない超常物質で、魔法球外の世界に括られているにもかかわらず肉体に反応し、それに適した形に存在を変える。つまり魔法球内部にこもったまま修行しても、以前と同じように力は付き、なおかつ体感時間ほど老いないのだ。そんな自由自在に形を変えられ質量も増やすことも出来、エネルギーが増すからこそ、魂は悪魔との交渉にとって最高の報酬となったのではないのだろうか。

ネギは天才かと問われれば、おおよその者は否定するだろう。あれはそんな純粋なものではないと。
では、鬼才かと問うたなら、おおよその者はやはり否定するだろう。鬼ほどかわいげがあるものではないと。
では、更に突っ込んでいかれているのかと問われれば、誰もがすぐさま否定するだろう。あれがいかれているのならば文明は軒並み崩壊していると。
では、ネギとは一体なんなのかと問いかければ、誰もが唸った後こう答えた。

「紅きサヴァン。貴様に勝負を申し込む」
ああまただと、ネギは溜息を吐いた。今日の昼食はGOGOIにも劣らない、具がたっぷり入り、厚い皮の中に入った肉汁が舌の上で皮と共に跳ね、これだけでほかの物はいらないと断言できるほどの一品が、山盛りになって食されるときを今か今かと待ち構えているというのにと。
だから自然返事は棘をふんだんに含んだものとなり、至福の時間を邪魔した愚か者へと刃を向けた。
「午後九時。それと負けたほうが一年分の食券を勝者に差し出すこと。ちなみに一日分は今日私が食べた値段で決定する」
「ハッ、調子こいて後で泣いてわびても許さんぞ」
食堂に並び、めったに出ないことで有名な肉まんをこれでもかというほど頼む姿に、その学生は負ける可能性を考えてもいないというのに一瞬だけ戦慄したという。
ぱくりと肉まんを口に含みだらけそうになる頬を押さえるネギは、先ほど七年制のハイスクールの生徒に売られた喧嘩を臆すことなく買った者とは到底思えないほど、九歳児としての愛らしさに満ちていた。
それを見る生徒の目線は三つに分かれる。一つは素直に愛らしいと癒されるもの。これは少数派でめったにいないが、この学校が共学であったならば大抵の女子たちが目を輝かせることは受けあいだ。
もう一つは、いたって普通に普段からこうであればと信じてもいない神を恨む哀愁漂う者達。その中には教師も含まれており、最大勢力である事は間違いなかった。それだけネギが引き起こす問題が発生しているということだが、強制退学に処されていないのは、それらの問題が自己防衛以外では、探究心を発揮した結果招いている事だからだ。それも騒動が静まった後必ずといっていいほど騒動の原因になった実験などを考察から結論に至るまでが理路整然として書き連ねられたレポートが提出される。提出しなかったのはたった一つ。空飛ぶ赤本、通称笑う赤本を何処から持ち出したかということのみだ。教師は赤本について徹底的に調べ上げた。当初はネギが持ち込んだのかと思ったのだが、それは外れで、次の可能性として大図書館の蔵書録を調べ上げたが、それにも載っていない。そうして教師陣は目的不明であるが人形などに魂を与えるように、本にそういった魔法を使ったのではないかと結論を下した。実は大図書館の蔵書なのだが、身の危険が大いにあるデス・失い死秘伝コーナーの棚は、完全に放置され、その力故に封印することも、入り口を封鎖することも、当たり前だが撤去することも出来なかった曰くつきの棚だ。学校が作られて以来、幾度となくそのコーナーの蔵書を確認しようと時にはトレジャーハンターを雇ったりもしたのだが、誰一人全容を明らかにしたものはいなかったという。それでいて何故か年々増え続ける怪奇。それでも半分は把握したのだから学校の執念は凄まじいものがあるとしか言いようがなく、しかし何の問題もなくそれらを読むことさえしたネギはどういった存在なのかがばれたとき疑問に思われるだろう。尤も今更という感もいめないが。
そして最後の一つは、いまいましいとねめつける者たちだ。この者達はグラディエーターのいろはクラブで一度も勝てたことのないものなのだが、その中でも更に二つに分けることが出来る。一方は純粋に自分を倒したのだからそんなゆるい顔をするなというもの。誰でも自分を倒したものが血を見れば倒れるような軟弱者や、他愛もない事でギャーギャー悲鳴を上げたり、実は特殊な性癖が、などというのだとしたらそんな人物に倒された自分はなんなんだと険しい視線を送ることになるのも無理はない。もう一方はただ単に存在そのものが許せないという者たちだ。負かされたが故にやる事なす事一つ一つが許せない、我慢ならないという所謂逆恨みしか出来ない者達。
そうして、ネギにとっては至福のひと時は過ぎ去り、授業も全て終わり、グラディエーターのいろはクラブで使われるコロシアム状のそこに、役者はそろった。
一人はネギ・スプリングフィールド。皮肉気な笑いを浮かべ堂々たる風格で、中央に足を進める。
対峙するのは、昼食時ネギに声をかけ、不興をかったハイスクールの生徒だ。外見で年齢を判断するのはこの世界においてしてはならないことだが、大体十六歳位に見えた。程よく筋肉も付いており、推定年齢と肉体から軍人コースの可能性が出てくる。
そして周りには、
「良く来たな。こいつらもずいぶん首を長くして待ってたんだぜ」
男の声に周囲を囲む学校の最終学年の生徒たちが嗤う。その声を不愉快気に聞いていたネギは、懐から一枚羊皮紙を取り出すと、青年に駆け寄り、サインを求めた。
「何だこれは」
青年は眉を寄せ、ネギを見る。
「ただの契約書だ。昼間言ったことは冗談じゃない。それを約束してもらわないかぎり私はすぐさまこの場を去る」
「出来ると思うのか」
青年は不敵に閉鎖された扉を見るが、ネギはそんなもの関係ないとばかりに羊皮紙を突き出し催促した。
青年は勝つことを疑っていない。故に賞金も一興と考えサインを施した。瞬間淡く光る契約の文字。それは精霊が契約の強制力を働かせるものだと青年も知っていたが、ネギが発した言葉は予想外のものだった。
「悪魔の契約書。契約違反はその魂で償ってもらうからよろしく」
「なっ」
瞬間青年の顔が青ざめる。魔法世界において、サインしてはいけないものが三つある。一つは旧世界も同様の連帯保証人のサイン。もう一つは奴隷承諾のサイン。そして最も厳重に注意されるのが、悪魔の契約書へのサインだ。
悪魔の契約書と、精霊が強制力を働かせる契約書の違いはたった一つ。羊皮紙かそうでないかだ。悪魔の契約書は製造自体なんら難しいことはないが、その反面、脅迫など契約者が真に願っていないことでは契約とみなされない。また内容を理解せずサインした場合もやはり契約とみなされなく、騙しサインさせることが出来ない。一度契約したが最後、契約の破棄は不可能。そして最も重要なのが普通の契約書では契約違反を犯しても精霊の強制力が働くだけで済むが、悪魔の契約書では契約者が契約違反を犯した際、意外と律儀なところがある契約書専門の悪魔に問答無用で魂を食べられ、その対価として契約内容を肩代わりするのだ。
危険ではあるが、自分の意思でサインをするしか契約したとみなされないのだから、自己責任と大抵の政府では容認され、取り締まりもされていない。事実それが悪用されたことはない。悪魔は金銭という概念がなくそれならばと悪魔独特の魔法で金を作り出すのだが、それは所謂偽造でありばれたとたんしょっ引かれる故に、金の取立てを第一とする弱者を食い物にする極悪非道な闇金ですら使うことはない。というよりも使ったら大損は確実だ。
故に比較的手に入れやすく、それでいて些細なことでも安易な気持ちでサインしたが最後ということから絶対にサインをするなと教えられる代物なのだ。
「な、な、なんて事を」
青年は言葉を震わせ恐れおののくがネギは躊躇しない。羊皮紙だったことがおかしいと思わないほうがどうかしているのだ。
自身もサインし終えた契約書を刀のつばに付いた飾りに収納する。念のためと髪と同じ色の鮮やかな紅い騎士甲冑コートを纏い、抜刀の構えを取った。
「ようこそ、すばらしき惨殺空間へ」
場は整い、役者もそろった。破壊という名の音楽を響かせ、戦闘という名のステップを踏む。会場はこれ以上無いコロシアム。此処にブトウ会は開かれた。彼らは踊る。魔法と体術を駆使して、血と汗の滴り落ちるバトルロンドという名のダンスを。

信じられない。それが青年、エルランド・ラルファルスの認識だった。
魔法使いとは大雑把に後衛の砲台型魔法使いと、前衛の魔法剣士型に分けられる。そのどちらも戦局において使いどころが違うが故にどちらがよりすぐれているという見方はされない。だが一対一の決闘にも似た戦闘では、後衛は明らかに不利だ。砲台は遠距離から重い一撃を放つことに意義があるのであり、機関銃のように掃射するのは同じ砲であっても前衛の役割だからだ。
だからこそこの場に前衛の魔法剣士型魔法使いであるエルランドがいるのだ。
この学校を卒業した者は地元のもの以外は修行が課せられない。それは魔法使いが地元の初級魔法学校を卒業した場合のみの条件だからだ。初級魔法学校に通うことは魔法使いになるためには避けては通れない。勿論例外もあるが、例外は例に倣わないからこそ例外なのであり、通常は満六歳で通わせられる。
留学生は、一人前とみなされる修行を課せられないので、より専門的な高等魔法学校に通い卒業し漸く修行が課せられるのだ。大学はその修行が終わったものか、修行をすることを拒否し修行してから入ったほうが楽だといわれるほど難解な入学テストを課せられ、大学に通うにたると判断されることによって、晴れて入学できるものだ。
高等魔法学校になると、初級魔法学校とは比べ物にならないほど学ぶ物が細分化され専門的に、簡単に言うと難しくなる。そして三年生にもなると選択授業という物が発生し、魔法使いとしての方向性を探り始めることとなる。その中で最も人気が高いのが、戦士課だ。
文字通り戦闘を教えるそれは、立派な魔法使いを目指す者達の多くが夢見る悪を倒す正義の姿に重なり、誰もが励む。尤も卒業して軍に就職しても、その程度ならば一部隊指揮官が最高レヴェルであり、大抵は副隊長か隊長格になることすら出来ずに終わる。
エルランドは、そんな戦士課の授業に触れ、多くのものが陥る力を持ったがゆえの傲慢さが各所に見られるようになり、あろう事か初級魔法学校で大山の大将を張っていたのだ。
初級学生では高等学生には敵わない。それは単純な上下関係を表した言葉であり、三年生以上になると事実に変わるものだったのだが、残念ながら事実であっても真理ではなかった。
氷槍弾雨ヤクラーティオー・グランディニス!」
無詠唱ではないが、長い詠唱をなくした少しばかり実戦的な詠唱破棄。告げられた言葉では、攻撃の内容を知るには時間が足りず、分かったときには攻撃は開始され魔法障壁では到底防げない氷槍の弾丸。
「くそッ」
それを紅い影は、まるでホラー映画の幽鬼の如く、現れては消え、別の場所に現れては消え、目視することが不可能なはずの魔法攻撃を確実に避けている。
「たったこれだけか?」
しかも、避けながらゆっくりだが確実に接近しているのだ。始めは軽くなでる程度で済ませてやろうと、エルランドは思っていた。無詠唱の氷結武装解除で戦意を失わせ、軽く殴ればそれで決まると、自身は上位者だから確実だとそう思っていたのだ。
だが、武装解除は、魔法障壁でも、何らかの属性で防ぐのでもなく、ただレジストされただけ。どれだけ魔力を持っていたとしても、耐魔力、抗魔力には生物としての限界があり、それを越えるには正しく難易度の高い手段を持ってレジストのレヴェルを高めるほかはない。それをもってして漸く一切の被害なく完璧にレジストできるのだ。たとえ騎士甲冑という一見ただの服に見える生半可な攻撃では傷一つ付かないものをもってレジストしたかのように見せていたとしても、その光景を見たエルランドは此処で気が付くべきだったのだ。今の段階で敵うことのない存在であると。
その後エルランドは、とにかく攻撃をした。怪我をしたら、死んでしまったらと考える余裕がなかった。誰にでも譲れない物がある。それは死守するべきものであることもある。エルランドにとって初級魔法学校の大山の大将という地位は、生まれた初めて手にした権力だったのだ。力だったのだ。なまじ力で従えているが故に分かってしまった。此処で初級魔法学校の者に負けてしまえば、支配体制は崩れると。
後のないエルランドには分からなかった。何故ネギが防御しないのか。何故攻撃しないのか。何故…魔法を使わないのかを。
「氷、っうぷ」
弾幕が途切れた瞬間、新たに発射しようと発動させかけた魔法は、その僅かな間で距離をつめたネギの蹴りを緩んだ腹に貰い地面に倒れた。
「なに、もう終わり?」
つまらないとネギが溜息を吐く。エルランドは既に戦士ではなかった。前衛の魔法剣士型魔法使いではなく、後衛でもない。ただ魔法を吐き出す、砲よりも価値のない魔法が使えるものならば誰にでも代用可能な、そんなレヴェルの低いものに成り下がっていた。それも仕方がない。高等魔法学校で同じレヴェルか、それ以上の者達と授業以外自主的に競い合うことをせず、圧倒的にレヴェルの低い、勝って当然の初級魔法学校で当然だということを忘れ初級学生に対し強いことに胸を張り大山の大将を張っていただけなのだから。
だからこそ、授業では教師からじきじきに手ほどきを受ける以外は感じられない、強者の空気にあてられてしまい使い物にならなくなったのも無理はないのだ。
腹を押さえてうずくまるエルランドをネギはさめた目線で見るだけで何も行動を起こさない。これに懲りたならと、説教するほど自分は立派な魔法使いを崇めているわけでもなく、それ以外の道を示せるほど出来た人間でもないと思っているからだ。
エルランドの戦い方は前衛としての能力が生かされていなくとも、確かに初級学生では早々太刀打ちできるものではなかった。線や点ではない、面による氷の槍での攻撃。余裕が無かったのだろう。術式の構成が甘く一部に空白が出来ることから迎撃ではなく避けることにしたのだが、そもそも迎撃すら初級学生には難しいだろう。出来て数名だと、これまで戦ったグラディエーターのいろはクラブの面々を思い出す。
エルランドがやったのはただの力押し。ネギがそれにあっさりと対抗できたのは、圧倒的にレヴェルの違う同種のものに遭遇し勝利したからだ。そう、雪の日の悪夢だ。
悪魔は生まれながらにして強靭であり力が強い。異界と呼ばれるそこと、魔法世界や旧世界つまり地球の生物では人型生物の力が圧倒的なまでに異なる。故に異界の知恵ある者は、二つの世界の知恵あるものを見下し、他愛もないものだとあざ笑う。そして恵まれた力を持っているが故に技を磨かないのだ。技を持っているのはごくごく限られた者達のみで、それは二つの世界の戦士が悪魔になった者、伝説級の悪魔や堕天使、魔神くらいだ。更に頭はよくとも、先に述べた悪魔以外は交渉のときにしかそれを発揮しない。
三歳で限りなく限界に近かったとはいえ、単体としては乗り越えることが出来ていたのだ。明日のために鍛錬を欠かさないネギが、三歳の悪夢に比べ圧倒的にレヴェルの低い技も何もない力だけのそれに負けるはずがないのだ。
武術とは、単純な力に対抗する為に弱き者達が編み出したものだ。それは時代が移り変わるにつれ、よりすぐれた技を越える為に生み出されるように変わっていったが、それは進化であり、よほど差がない限り単純な力に圧倒されることはない。
そしてネギが一切魔法を使わなかったのは、それでも勝てると確信した以外に、グラディエーターのいろはクラブで戦いながら学んだ一つのことが原因だ。
魔法使いは科学技術を嫌う傾向にある事は既に知っているだろう。それと同じように剣闘士を本職とするものや、戦場に身を置くもの以外の魔法使いは、よほど圧倒的でない限り魔法を織り交ぜられないただの体術や剣術など非魔法族の生み出した技だけで倒されるのが最も屈辱的であるのだ。ネギは以前クラブでそれをしてしまい凄まじい恨みを受けたことがあったので、それ以来は必ず一度は魔法を使うことにしている。それほど屈辱的なものだということなのだ。
だからこそあえてそれをやった。身の程をわきまえさせる、というのではない。また、まじめに勉学に励めというのでもない。ただ、肉まん一直線だった幸せな思考を妨げられた恨みがあった。そう、私怨だ。
もし、この場に教師が一人でもいたならば、ネギのやったことを勘違いし、更生させる手段だと思いネギに声をかけ、一人裏切られたと、ネギはネギだったと頭を抱える羽目になっただろう。だがネギは教師でもなければ、人生の先輩でもない。縁者でもないし、そもそも何かを語るほど徳の高い人間ではないとネギは自分のことをしっかりと把握している。そして、不良の何が悪いと思っている口だ。不良を擁護しているのではない。魔法使いも人でしかないのだと、不良を抱えたことで学校側がどう出るか、排除するか、容認するか、あるいはまだ子供だと無理やり思い込むか。立派な魔法使いを説き魔法が使い方を誤れば悪になる可能性を教えない故に、どう出るか一度見てみたいと思っているに過ぎない。
つまり、目の前で命に別状が無く、それでいて腹を押さえ嘔吐し、足を震わせていまだ立ち上がれない喧嘩の売り手がどう転ぼうともかまわなかっただけの話だ。ただ恨みは晴らしたが。
だからネギは冷徹に、あるいは慈悲深く告げる。
「食券、払わないと死ぬよ?」
忠告か催促か。それは聞いたものによって異なることだろうが、おおよその者はこう思った。死人に鞭を打つなよ、と。

その翌日、ネギはこれまで様々な問題を起こしてきたが、初めて初級学校校長室ではなく、アリアドネー所属学校理事職第十三支部、通称総合理事室に呼び出された。
アリアドネー所属学校理事職というのは、アリアドネーに存在する学校を管理する理事たちの組合、ではない。それらを統率するアリアドネー最高幹部の一人アリアドネー騎士団総長にして、学校建設に携わっている実質的な全学校の理事長、その秘書団の下位組織。理事長の代わりとして理事達のまとめ役として校長よりも権限を多く持つ理事長代理のことである。そして理事長代理の学校における執務室が正式には支部と呼ばれる総合理事室なのだ。
ネギ自身もついに着ちまったかと、扉のまで渋面を作る。昨晩はリーダー格のエルランドが倒れ、それをチャンスと見た初級学校最終学年の者達がまるでこれまでの恨みを晴らすがごとくエルランドを取り囲み殴る蹴るの暴行を与えたのだ。それを知っていたがネギは告げる事は告げたのでどの道呼び出されるだろうと事の瑣末を書いた報告書を自作の傑作、魔法球の中で快適に過ごしながら理論的に一部の隙もないものを仕上げたのだが、これはもう退学だろうと闇の世界で過ごす覚悟を半ば決めながら艶光する樫の木の扉をノックした。
「お入りなさい」
慈愛と、どこか幼さを感じさせるその優しげな声に訝しみながら銀製なのだろうか、錆び一つない金属特有の冷たい光を反射させるひんやりとしたドアノブを回し、中に入る。
と、そこでネギは持っていた報告書を取り落とした。
「どうかしたかしら? こっちにいらっしゃい」
ネギは疑問に思ったことを遠慮なく口にする性格だが、流石に理事長代理の前でそれを口にする危険性を悟ったのか、ネギ自身にも分かるほど引きつった笑みを浮かべ緩慢な動作で報告書を拾い上げた。
「今回呼んだ理由は分かっているかしら?」
長い黒髪をストレートにした女性は笑いを含んだ笑みを浮かべ、誘うように囁いた。
「いいえ知りませんよ。神ならぬこの身に此処まで大事になったはずの事態の理由を完全無欠に虚偽も、偽装も、詐称もなく、第三者目線でマスメディアが出来ているつもりの一欠けらも当事者以外の意思が、解釈が、混じっていないまこと真実という名の出来事は、一切無いどころか、心に手を、そう両手を当てて、真に心という物質があるとしてですが、そうした場合すらも該当することはありません」
「まさか、ネギ・スプリングフィールドともあろう者がそんなはずは無いでしょう? それとも尋ね方が悪かったのかしら?」
一見自重したかに見えるネギは、しかしやはりネギであったというべきで、口調は丁寧なまま徹底的にかき回し、乱しまくり、知らぬ存ぜぬを通そうとした。
だが、敵もさる者。さすが理事長代理というだけはあるのだろう。一切の混乱も無くすぐさま言葉を返し、暗に乱暴な尋ね方をしてもいいのだと語る。それは、女性の後頭部から脳を護る骨と表情が形作られる部分の境目に沿い、耳の上部を通り、表情の邪魔になってはいけないといわんばかりに額に掛かる直前に上部に曲がり額を越えたところで再び平行に伸び左右対称に成るように最早芸術的ともいえる絶妙な間隔をあけて、形成される角が示す種族、一説には遠い昔魔法世界に根付いた悪魔の一族が先祖であること心理的に証明しているような手口であった。
「このネギ・スプリングフィールド、そんなはずはないと良く誤解されるのですが、まあそれも知ってらっしゃるのでしょうね。確かに私は神ならぬこの身に無駄なものを一切合財省いた真実は、知りません。ですが人は考える葦なのです。つまり順序だて考えることは出来、その結果、こういったものを製作した次第です」
そう長く講釈を述べ、バインダーで綴じられた紙の束をマホガニーと思われる質のよい机に滑らせた。
それを手に取る理事長代理は、読む前に一度これ以上無いと思わせるような至上の微笑を向けた。されどネギはそれがどうしても、何故ここまでてこずらせるのだという無言の抗議という名の、表情の暴力だと、身の危険に思わず背筋が震えた。
「流石はネギ・スプリングフィールドといったところかしら。噂どおり最高よ」
何が最高なのか、どういった噂なのかを追及したかったネギだが、ちらりと向けられたルビーのように赤い瞳に、プロテクションと呼ばれる防御フィールドが自動展開された。
「それに魅了の魔眼も効かない」
魅了の魔眼。言葉通りのそれは、一度でも掛かってしまうと術者本人が解かない限り永遠に効果が持続する異性をあるいは同姓をとりこにする魔法の一種。勿論破れないということは無いのだが、それに必要なエネルギーは最低でも最も身近な英雄とされるナギ・スプリングフィールドが持つ魔力と気よりも少しばかり多い。それは事実上不可能だと宣告されたにも等しく感じるだろうが、生命の神秘としか言いようのないものであるが、所謂火事場の馬鹿力で捻出可能なのだ。尤もその後の生命活動の保証はないが。
だからこそネギは、物騒なものを仕掛けるなと声を大にして言いたかった。だが沈黙を護るしかなかったのだ。それよりも早く、まるで時間を止めその間で作業したかのように、報告書の評価を始めたからだ。ネギの動体視力は訓練を重ねた末、いまだ発展途上ではあるが、音速とそれの八割を合計した速さまでは見切れる。それは昨日の氷の槍を避けた事から見ても分かるだろう。そのネギにして、報告書が何故女性の手にあるのか。そしていつ読んだのかが全く分からなかった。
どう考えても目の前の存在は、上位者であると、ネギは即座に判断を下した。戦場ではないが、それでも一瞬の判断能力というものは物事を分けるのだ。
「普通なら帰ってもよろしいと告げるところでしょうね。実際エルランド・ラルファルスは被害者ではなく、寧ろ加害者に近い。でも、あなたに罪が無いということにはならないわ。何故かお分かり?」
「喧嘩を買い、尚且つ魔法使いとして最も屈辱的な方法で下し、あまつさえ集団暴行にあっているのを見捨てたからでしょうか?」
その質問が来ることは、目の前の存在が一筋縄でいかないことが分かった次の瞬間から予想していた。それくらいの思考能力は持ち合わせている。というよりも、錬金術を学ぶ上で次の段階を常に頭の中で組み立てる必要性があり、ものによっては思考を幾通りにも分けて素早く考察しなければならないので、必要に迫られてできるようになったというのが正しい。尤もそんな技術は高等魔法学校どころか、大学でもかじるくらいで、本格的に使うのはよほど腕のいい本職か、大学院の生徒ではなく、外部から特別に招かれた教授ぐらいだろう。ネギがそれを出来るのは、前世で似たものを使っていたということもあるが、それ以上に友人関係にある、錬金術を極めたご老体との交流の結果だ。マルチタスクという技術も、分割思考という技術も越えてしまっている。
「その通り。と言いたいところなのだけれど。まさか本気でいっているわけじゃないのでしょう、ネギ・スプリングフィールド?」
「これは異な事を申されますね。報告はそれで十分のはず。一を聞き十を知る。それが出来ないお方ではないはずですが?」
まずいと、ネギは焦る。女性が放った言葉で全てを悟ってしまった。先ほどの言葉は報告書に書いたものを前提に自らの非を余すところ無く暴露した。だが、そうではないのだ。何故校長室でなく、此処総合理事室に呼ばれたのか。なぜ魅了の魔眼を使われたのか。始めに何故、素直にエルランドのことを問題にあげなかったのか。
それらの行動の行き着くところ。それは、
「そうね。それが理事長代理としての能力でしょう。聡いあなたならもう分かっているはず。今回呼び出したのは喧嘩のいきさつを咎める為ではないことは」
そう。女性の言うとおりそれは分かっていた。そして、何を知りたいのかということも。
「私が知りたいのはね」
女性の顔に笑みが浮かぶ。それはとても魅力的で、今はまだ覚醒していないにもかかわらず本能的な男としてのさがを揺さぶられ、同時に冷え切った理性がマグマが迸るかのごとく警鐘を鳴らす。
「あの紅いコートのことよ」
此処に会戦の火蓋は切って落とされた。

ただの何処にでもあるコートだという言葉は発しない。何故ならば、普通は信じないからだ。魔法を無効化した衣類など。
仮に集団の中にコートの異常に感づいたものがいたとする。そしてそれを暴露した。あり得ない。何があり得ないのか。コートの異常を見つけたことではない。その発言をまともに受け取る教師が、否魔法を良く知る大人がそれを信じることがあり得ないのだ。
魔法無効化能力。それは稀ではあるが確かにこの世に存在する。だが物質として存在するなどということは発見されていないのだ。人間という生物は基本的に子供で保守的でもある。つまり前例が無いものを受け入れることが難しいのだ。それは発言者が子供であることからより拍車をかける。故に導かれる解は一つしかないのだ。
「私、見ていたのよ。ネギ・スプリングフィールド」
「ならばお分かりですね。私はレジストしただけです」
「嘘ね。分かっていると思うけれど、私の動体視力は今のあなたよりも上よ。氷結武装解除が僅かにコートを凍らせた。此処まではいいわ。レジストしたで済むのだから。でも、その後起こったことは誰も考えても見なかったこと。何か分かるかしら? もしかしたら初めて分からないことかもしれないわね。誰でも自分のことを完全に知っているものは居ないのだから」
瞬間、ネギは幾通りもの起こりうる現象と、その結果問題視されるパターンを予測し、それに対する総合的な、最小公約数的な誤魔化しを行おうと、口を開き、
「0,5秒。どうしたのかしら、少し発言が遅いわよ。これは予想もつかなかったことに対する最善と思われる回答を用意していたのかしら?」
「いえいえ、ただ少しばかり唖然としてしまっただけに過ぎません。年でしょうか、思考速度が鈍るのは。コートに起こった現象を観測できた事実に驚き、質疑応答中だというにもかかわらずその方面へ思考が流れてしまいました」
なんだこれは、とネギは内心目の前の存在が本当に生き物なのかが分からなくなった。思考を一秒以内に行っている自覚はある。だがそれを計る手段は無く、ストップウォッチですら無理だ。だが目の前の存在は明確な時間を提示してきた。それだけならばブラフだと受け止められただろう。だが、まるで考えを読むさとりのように、思考を当ててきた。それも提示した時間を基に。
「見ていらしたのなら話は早い。あのコートは魔力で形作ったものでして、当然魔法障壁と同じ性質を持ちます。故に戦闘では身につけていたのですが、先ほどの言葉から考えますに純粋な魔力ではないようですね」
だからこそネギは何かを言われる前に事実を捏造した。始めから見ていたとは誰も言っていない故に、余計な知識を与える可能性もあったが、後手後手に回るよりは、此処で賭けたほうが良いと判断したのだ。
相手は、頭の回転も速く、何よりネギの思考パターンを研究し尽くしたかのようにトレースしてくる存在だ。魔法の可能性を疑ったが、思考系統、それも術者自身以外が関係する魔法は、了承をとらない限り全て精神の自己防御によって弾かれる。精神は脆くもあり頑丈でもあるのだ。だからこそ女性の言葉は全て女性自ら思考した結果であり、それは女性の頭脳が特出しているものだということになる。
本来ネギは後手だろうと先手だろうと、口上では相手を圧倒できるのだ。良く使うのは後手。いいたいことを言わせて、最低限のことを答え満足させる。これを基本に置き発展させて様々な手を打つ。例えば、短い答えをさも意味深に語り、ミスリードさせ自己完結させる。ミスリードを繰り返し、自分の望む解にさも相手が自力でたどり着いたがごとく導く。それなりに頭の回転が速いものであれば、その速さを逆手に取り、少しだけ喋ることよりも寧ろ饒舌になり、様々な可能性を暗に提示し実体の無い思考の迷宮に叩き込む。高度なものになると、時間こそ掛かるが相手の思考とまで行かずとも、考えを読み、態と最後まで言わず相手に答えさせ、その考えと間逆の考えを口に出させ、それに乗り、切りのいいところで問題とはなんだったかを思い出させ論理を破壊させる。
だがそれは真の天才や鬼才には通用しない。それを今思い知ったのだ。だからこそ起死回生の博打に打って出た。喧嘩以前から目をつけられ初めから見られていたのならばネギの勝ち。そういえばと途中から思い出したかのように興味本位で見ていたのなら限りなく負けに近くなる。何せその場合相手はコートを予め持っていたのだと、あるいは予め着ていたのだと思っているはずであり、現れたとは思わない。この世界でそれが可能なのは契約、あるいは仮契約と呼ばれる魔法使いの従者となったものに与えられる道具をカードから顕現させるときのみだからだ。
そして、それに対する答えは、
「それはあなたも知らなかったということかしら?」
「残念ながら着ている状態でしか出せないもので、観測のしようがないのです。お察しください」
勝った。ネギは心の中で安堵の溜息を吐いた。だが、それで油断することは無い。戦いは終わっていないのだから。
「それでは、何処でその術式を知ったのかしら。講義では勿論、大図書館にもそんな術式が乗った魔道書はないわよ」
案の定、女性は攻撃を再開し、暗に術式を作ったのだろうと、それを話せと催促する。
だが、そんなものは予想済み。故にネギは術式関係において取って置きの爆弾を投下した。
「光を嫌い、闇を好む」
その言葉に女性は妖艶に小首をかしげた。それを無視して言葉を続ける。
「創立以来幾度も調査がなされ、されど一度たりとも完遂したことの無い大図書館。その理由を占める一角のコーナー」
「まさか」
それが何を指しているのかに気が付いたのか、知らず知らず女性は息を呑んだ。
「そう、もうお分かりかと思いますが、光を禁じたあの一角。デス・失われ死秘伝コーナー。あそこで発見しました」
この時初めて総合理事室から言の葉が消え去った。アンティークの振り子時計が僅かに時の音を鳴らす。
「どうやって行ったの、いえ違うわね。そうじゃない。その術式はなんなの」
ネギは心の中で会心の笑みを浮かべた。勝敗が付いたと。それもそのはず、爆弾の効果は絶大だったようで、ことごとく言葉を先読みし、ネギの思考を読み、博打まで打たせた巧みさはすでに無く聞きたいことを直球ど真ん中で言い放つ。顔からは絶やさなかった余裕とも取れる笑みを消し去り、必死な顔つきになっていた。
それが演技ならば、女優など目ではない。だからこそ勝利を確信したのだ。
「あのコーナーの書は、どれも外道の結果に成された成果を書き記したものです。私はその所業を知り、それでも尚使うのなら何も言いません。しかし過去を知らず省みず、結果だけをとる。それが有益だからと。それが正しい行いなのでしょうか」
「探せというのね。その魔道書を」
ネギはさも重々しく見えるように頷く。女性にその行動のおかしさに気付く余裕は無かったからこそできた行動。
「題名は…何かしら」
ネギは時間をたっぷりとり沈んだ声で言い放った。
「覚えていません。数多く読んだというのも理由の一つでしょうが、それ以上に内容が」
女性はそう、と沈んだ声で呟き、大体の本の位置を聞いた。
「知らないことかもしれませんが。あのコーナーの本は自力で移動します。それを目撃しました。恐らくはいつの間にか増えていたという現象に関連しているのでしょうが」
まずもとの位置には無いでしょう。
「そう…。それで本当のところはどうなのかしら、ネギ・スプリングフィールド」
きらりと光る瞳に、ネギはまさかと思いつつ予定通り作業を進める。
「術式はお教えするつもりはありません。理由は既に」
「そう残念だわ」
女性は革張りの椅子に背を預け、疲れたように溜息を吐いた。
「御用はこれで?」
声を出すことも億劫なのか、女性は手で退出を指示するだけ。ネギは嫌なことを聞かれたように見えるよう、演技ではなく気だるそうに扉まで足を進めた。事実疲れていたのだ。あるいは生まれてはじめての強敵だった。正直もう二度と会いたくも無かった。
「私の名は、エルフェストミレシアムフォントジサーレ」
唐突に名をかたりだした女性に、ネギは足を止めた。
「基は意味のある名前だったそうだけど、それも魔界での話し。今は誰も知らないわ。フェレストと呼ぶことを許します。紅きサヴァン、それともこう呼ぶべきかしら」
至上の紅アルティメット・ワン。その言葉にとりあえず頷いたネギは、こうなることを予想してしかるべきだったのかもしれない。

それは何の変哲も無い日常。だがネギにとっては、いや教師陣にとっても非日常の始まりだった。
「フェスト・ミレシアムです。好きなものはレバーの生、というのは嘘で、腐りかけの一番うまみの乗ったレアステーキ。嫌いなものは、脂ぎった中年のおじ様方とおば様方。格闘戦がちょっぴり苦手な十二歳でーす。誕生日は、ひ・み・つ、みたいなッ」
小さなざわめきが教室に広がる。それでも六年生の中途半端な時期にとか、年齢詐称じゃないのとか、そんなものは一切出ず、ただ可愛いとか、ライバルかもとか、ネタきたーという囁きが交わされるだけ。
ネギも、角が頭環のようになった典型的な悪魔族と呼ばれる悪魔とは異なる魔法世界の先住民族が、まるで先祖がえりのようにこうもりの様な羽が生え、尻尾がある事はどうなんだとは考えることさえなくただ一言。
「理事長代理って…暇、なのかな」
無邪気な笑顔を振りまき、一瞬目が合った瞬間口の端を吊り上げたのを確かに確信し、他人のそら似ではなく確実に本人だと、愛称を呼ぶことを許された過去最大級の強敵が何を思って再登場したのか理解不能な上に、脅しでもしたのか教師が強引に席替えを強行し、魔法ではばれるだろうからと奇術を使い隣の席に陣取った少女、フェレストの影響で、結局この日の授業は一切耳に入らなかった。



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