闇の中、ゆるゆるとまどろんだ。
覚醒までの僅かな間。その中で何をして、何が起こったのかを思い出す。
ゆくっりと瞼を開き、そっと涙した。何故自分は弱いのだろうかと。何故無力なのだろうかと。
階下から響く声が、それでも自らを呼んでいる様な気がして、フェレストは立ち上がった。

第六話 力

俗物が。ネギは目の前の男性に苦々しい表情を崩さなかった。
サギ・スプリングフィールド。ナギの兄。伯父に当たるその人物は、親がいないネギの書類上の保護者であった。だからこそ下げたくも無い頭を下げ、高等魔法学校への入学許可証にサインを求めたのだが、一向に首を縦に振らない。
「ですから一人前の魔法使いになるには…」
懇々と諭すネギには、このまま続けたとしても成果が得られないことがおぼろげに分かっていた。サギは言う。今の状態でも十分やっていけるではないか、と。
確かにその通りだ。修行という一人前になるための儀式を通しては居ないが、標準的な魔法使いを上回っている。何も知らない者から見れば十分なのだろう。
だが、そうではない。ネギはただの少年だが、その親が普通ではなかった。そう英雄である。その結果が雪の日の悪夢だ。サギもそれを知っているはずだった。知らないはずはない。サギは石化の魔法で石になった一人なのだから。
それでも許可したくないのは、これ以上力をつけるのを遮る為だろう。サギは、否村の者達はネギを恐れている。英雄とは戦時こそ頼もしいものの、平時にはなまじ力があるが故に厄介がられ、そしてその働きを正確に、客観的に知り恐れを抱く。
この村は英雄ナギ・スプリングフィールドを慕ったものが集まり巨大化したが、そんな奇特な者達はごくごく一部に過ぎない。そしてそんな彼らも小さな村の小さな英雄であるはずのネギを、その力を恐れた。
「アイン」
だから待機していた魔道書を起動した。了解の返事とともに、純白の魔道書から魔力があふれ出す。
「叔父上。最後です、サインしていただけますね?」
それはまさしく最後通告。御伽噺の元始の世界のように濃厚な魔力が溢れるその場では、たった一つの意志をきっかけに魔法が発動する。そのための道具を解さなければならないが、目と鼻の先という距離であっても魔法の発動のほうが早い。そしてサギにそれを防ぐ術は無かった。
だが、一つだけ条件付けられた。魔法使いらしくない日本の学生服にも似た、白でラインどられた詰襟のシャツと同色のパンツをはいたネギは立ち去ろうとしたとき背後からかけられたその一言に、今までに無い苦々しさに溢れる表情で足を止め、
「ネギ…」
連れの少女の擦れた、今にも泣き出しそうなそれに、来るときがきたのだと覚悟を決めて階段へ向き直った。

「ネギ…」
階段から映った背中は、まだ少年だと言うにもかかわらず大きく見え、そして何よりどこかに行ってしまいそうな気配を漂わせていた。
光に包まれた後、闇の中を漂っていた。何処までも安らぐその闇の中、一人の少年のことを思い出した。
目を開ければ記憶にあるよりも尚幼い少年がそこにいた。その周囲にいつか見た暗い目を、思いを抱えた大人たちの中に一人。
その空気がもう振り切ったはずの過去を思い出させ、息苦しくなった。だがそれを見た少年はなんと言っただろう?
苦しいか? だがこれが世界の真実だ。そう何の感情も写していない瞳に射抜かれた。それに言い返した。自分の知っている世界は暗いが明るいところもあると。
だがどれだけ言葉を重ねようと少年は首を縦に振らなかった。だから諦めてしまった。それが何よりも悔しい。
助けられた。過去の呪縛に捕らわれていた自分を助けられた。だと言うのに何故少年を救えなかったのだろう。
それが涙となり、双眸からこぼれ落ちる。ぼやけた視界にネギの困ったかの様な苦笑いが映った。
どんな謝罪も、償いも意味を成さない事は解っている。だがそれでも一緒にいたかった。嫌われたくなかった。
「ネギ…」
「おはようフェレスト」
だからその一言に安心して、
「そしてさよならだ。フェレスト」
目の前が闇に閉ざされた。

伯父が言うにはネカネは一人暮らしをしているのだという。出された条件のために教えられた家まで歩く。
舗装されているわけでもない土の道は、されど往来する人々に踏み固められ堅い道路へと変わっていた。
耳にはそこかしこで囁きあう有象無象の言葉が入ってきていたがそれにいちいち構うほど子供ではない。言わせたい奴には言わせておけばいいのだ。それが短期間しか居ないのだというのなら尚更。
十字路を曲がってフェレストのことを思う。泣いていた。そう泣いていたのだ。アイン、リ・ジェネシスの中で何を見、何を聞いたのか。それが予想出来てしまうそのことが少しだけ悲しかった。
見たのだろう。悪魔をどのように殺し、蹂躙したかを。聞いたのだろう。村の中でどのような噂が流れたのかを。そして恐れた。泣いていたのがその証だ。
木のドアをノックし人を呼び出す。
「お久しぶりですネカネさん」
会釈一つ無く向かい合う相手はサギの一人娘ネカネ・スプリングフィールド。長い金色の髪をストレートに伸ばした女性だ。
「ネギ…校長先生から話は聞いているわ。こっちにいらっしゃい」
にこやかに、誰おも魅了するだろう微笑みを浮かべたネカネだったが、微かに怯えの表情を見せたのをネギは見逃していなかった。
「何年ぶりかしらね。こうやって話すのは」
紅茶、それとも珈琲? と聞いてくる声にすぐ暇すると告げテーブルに着いた。
「まだこんなに小さかったのに、もう立派な紳士ね」
盆を片手に手を腰の当たりで示すと何がおかしいのか一人微かな笑い声を漏らす。
「学校、どうだったの?」
ほんわかと和やかな空気を作り出すネカネに、されどネギは鼻で笑った。怯えていた本人が、言う事ではないと。だがサギの条件はネカネを安心させる事だった。
だからウンザリしながら話して聞かせる。どのような授業で、どんなクラブがあったのか。それを体験しどう思ったか。そんな事を延々と続けている内に日が沈み黄昏時が訪れた。
「ところで、今の杖って何使ってるのかしら?」
会話がとぎれたとき、唐突にネカネは切り出した。
「練習用の杖、そんなはずはないわね」
「さて、何を使っていたかな」
その質問にネギははぐらかす事で答えた。
「せっかくだから叔父様の杖を使わないかしら? 仮にも叔父様が使っていたのだからそっとやちょっとの付加なんて何ともないわよ」
強くなりたいのよね? そういって笑うネカネにネギは笑った。何をバカなと。
ナギ・スプリングフィールド。その人物が使用していた杖は形見にも似た形で保管されていた。
あの雪の日の悪夢。その時にわざわざ手渡されたそれは、しかしネギは使用していない。
それはネギの持つ発動媒体に圧倒的に劣ると言う歴然たる事実と、手渡されたといえども育児放棄したダメ人間と同じ物を使う事が耐えられないという感情からだった。
当然断ろうとしたネギだったが、ふとナギの人気を思いだした。魔法界に行くまで解らなかった事だったが、ナギ・スプリングフィールドの人気は絶大な物がある。何せ戦争中というにもかかわらずファンクラブが設立されたほどだったのだから。
心の中でニヤリと笑いネギは言い放った。
「じゃあ貰っていきます」
それに笑顔で頷くネカネは想像すらしていなかった。その杖が闇のオークションにかけられる事になるとは。

サインを貰いその日は遅いという理由でベッドに入った。幸いオスティアで毎年恒例の祭りが開かれる時期と重なっていたため、ゲートの使用率は非常に高い。ほぼ毎日稼働している状況だ。
帰った後の事を考えて眠りに着く。
「陛下」
だからそれは完全な不意打ちだった。玉座に座っている自分に驚き、傍らに控える老紳士を見た。
「アイン、どういう事?」
自分は確かに眠りに落ちたはずだ。その意を込め尋ねた回答はすぐさま返された。
「特別事項のため陛下をお呼び致しました」
休眠の際、精神防御が下がる事は知っておられるはずです。そう言い放つアインにネギは何事かと詰め寄った。
「あの娘、フェレストという亜人種が泣いておりました」
真摯な瞳で見つめてくるアインに、ネギは顔をしかめ見つめ返した。
「知っているよ」
冷たい何処か突き放すかのようなネギの言葉に、老紳士は顔一つ変えず問いかけた。
「お慰めにならないので?」
「彼女が泣く理由。それが私のことだったら。そう思うとね。意味が無いんじゃないか、そう思ってしまうんだ」
ネギはフェレストの涙を、悲しみを見たいわけではない。寧ろ笑って欲しかった。何時も何処でも笑って欲しかった。だが、それが不可能なのだと、できるはずが無いのだと分かっていた。
「誰でも、得体の知れない者に心を許すことなんかないんだよ」
膝の上で手を組み、そっと目を瞑るネギの脳裏にはあわただしかった一年間が映し出された。
「一番、と言っていいのかもしれない。一番親しかったと」
「なれば尚更」
「だからだよ。だからこそ私たちは別れなければならない」
知ってしまったのだから。

老紳士は知ってしまったと、何処か懺悔にも似た表情を浮かべるネギにそっと心の奥が痛んだ。
まだまだ若い少年が、何故。そう思うも答えはいつも一つ。英雄の息子だからだ。
ただの子供ならば良かった。そう老紳士は思う。だが、ネギは圧倒的といえる戦力を保有しているのだ。大の大人が危惧するほどの力を。
だが、マスターは勘違いをなされている。そう老紳士は思った。今、少女と少年の絆は終焉を迎えようとしている。それがよい方向に向いているのならば、仕方が無いことなのだと納得できただろう。だがそうではない。
老紳士は、ネギを取り巻く状況を知っていた。だからこそ、今日此処に誘ったのだ。
「マスター。彼女は、マスターの力を恐れているわけではありません」
「まさか。あの状況を見てしまったのならば、そうならば怯えているはずだ。この町の住民がそうであるように」
老紳士は何故ネギはこれほどまでに、あの日のことを特別視するのだろうかと、頭を抱えた。そしてもっと良く彼女のことを見て欲しかった。彼女、フェレストのためではない。ネギ自身のために。
「なれば、これでもそう言いきれますでしょうか」
だから、老紳士がした事も無理は無いのだろう。
「…ネ、ギ」
玉座の前方。そこに一人の少女が呆然と口を開け唐突に現れた。
「フェレスト! アインどういうつもりだ」
驚きの声にされど老紳士は何もこたえない。まるでこの先をネギに任せているかのように。
老紳士はそれを見て、そっと姿を消した。

ついてない。ネギは切実にそう思った。目の前には未だ何が起こったのか理解していない様子のフェレストが座っており、ネギ自身この場を退散したかったが、そうする方法が思い浮かばないのだ。
「ネギ」
だから、こんなことを言われるとは思っても見なかった。
「ごめんなさい」
「…フェレスト?」
意味が分からない。ネギは思わず首をかしげる。
「私、あなたを救えなかった」
何のことだ、とネギはますます困惑した。フェレストはあの日のことを知っているはずなのだ。だからこそ話しかけてくるなどありえない。そう思っていた。この言葉を聞くまでは。
「町の人が何であんな視線を向けるのかは、分かったわ」
「なら」
「でも、あなたはただ町を、人を救っただけ。嫌われる必要なんて…何も、何も無いのに」
はらりとフェレストの両目からしずくが漏れでる。それを見て、ネギは自分が大きな間違いをしていたことに気が付いた。
「フェレストは、フェレストは怖くないのか」
今更な問いかけだとネギも思った。だが、今此処で問いかけなければ、一生後悔する。何故だかそう思ったのは、きっと間違いではないのだろう。
「怖くなんて無いわ。だって」

その日ネギはアリアドネーの高等魔法学校付属寮の一室に荷物を運び込み終わり、図面を引いていた。
魔法球内部に入れる城の設計をしなければならないのだ。
「ネーギッ!」
何してるの。そう問いかけてきたのは同室のフェレストだった。
「城の設計図だよ。これが終わったら魔法球自体の耐久度を上げないといけないし、やることは山済みだね」
からからと笑うネギに、フェレストはそういうものかと頷き、ジュースでも買ってくると駆けて行った。
風に流れる黒の髪を見つめネギは思う。以前までの関係だったなら、魔法球が完成していない事を告げなかっただろう、と。
「だって無闇に振るうことが無いから、か」
ネギはそっと呟き、思わず笑みがこぼれた。
それはまだ少しだけ寒い春の日のことだった。



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