その日その時その場所で。ネギとフェレストは信じられない文章を見た。
「次に期末テストで二ーAを最下位から脱出出来たら、正式な先生にしてあげる…なぁフェレストこれって」
手紙を持つ手が小刻みに揺れるネギに同感だとばかりに頷くフェレストは言い切った。
「関係ないわ」
だって、私達立派な魔法使いになる気なんてないもの。
此処に魔法先生や魔法生徒が居たならばえっ、なんで、と驚く事は必至の言葉を紡いだフェレストにネギもそりゃそうだといわんばかりに頷いた。
第九話 えっ、なんかちがうくない!?
始業の鐘が鳴り、それと同時にからりと軽快な音を立てそこ、二年A組の扉が開いた。
「あ゛ー授業始めるから席に着きなさ〜い」
白衣に飾りの縁なし眼鏡をかけ、青いカッターシャツを着たネギは、いつものように淡々とした声を上げ教卓に着いた。
それにがやがやと騒ぎながら席に着く二ーAの生徒達に、ネギは此奴らやる気ねぇ、と死んだ魚のような目で見つめた。
濁っている。どうしようもなく濁っている。その死んだ魚のような目をし始めたのは着任七日目。
家庭崩壊ならぬ、学級崩壊には至らずとも、二年A組の彼女らが真摯に授業を聞いていない事を悟ったからだ。
それまで教職など身に余る地位と背伸びをしてまで解りやすい授業を行っていたネギだったが、それ以来こと二ーAにかんしていえば手を抜きに抜いていた。
真面目にやらねぇやつに、なんで真面目に授業しなきゃなんねぇんですかぃ。それがしずなとコノエモンに注意された時の言葉だった。
疲れに疲れ切った雰囲気を垂れ流し、死んだ魚のような目で見つめる視線にさらされた二人は、それから逃げるべくそうそうに話しを切り上げた。それをネギは勝手に心の底では同じように考えているからだと解釈していた。
だが、まあ、と今日だけはネギも考えた。正式な辞令として二ーAの学力底上げを要求されているのだから、最終通告くらいは出してあげようと。
「皆さん。これから楽しい理科の授業ですがその前に話しがあります」
「何々ネギセンセー!」
麻帆良一の博打師、椎名桜子が楽しげに声を上げたが、そこに面白げな感情があった事をネギは見逃していない。
仲良き事は良き事かな。そうは言うがこれは行きすぎだろう。そうネギは内心で思いながら話を進めた。
「え゛〜、今朝方学園長から連絡がありまして、今月行われる期末テストでニーAが最下位を脱出さえすれば私とフェレスト先生は正式な教師として雇われます」
え゛っ。そんな声があがったが、ネギは軽く無視して言葉を紡いだ。
「と言うわけで気が早いとはおもいますが、これまでありがとう御座いました?」
「「「何で疑問系!!」」」
「さて、授業でも始めましょうか」
その疑問に一切答えることなく、ネギは淡々と何時も通り教える気のない授業を始めた。
その日その時その場所で。彼近衛は唸っていた。
どうしたものか。近衛の懸念は先程ネギ達に渡した最終課題。そのネギ達の反応。近くで会話を聞いていたしずなによると、ネギ、フェレスト共にニーAを最下位体出させる気がないらしい。
それは実に困る。少なくとも近衛、そして魔法界の上層部には困った事では済まないレヴェルの問題だ。
フェレストはともかく、ネギには立派な魔法使いとまで行かずともそれに近い一般の魔法使い以上のレヴェルになって貰わなければならなかった。
「まずは手始めに。そう思ったのが間違いじゃったのかのう」
むむむ、と近衛は唸った。教育実習生と正規教師、それも魔法関係者では通常の何倍の差が存在する。
魔法関係者にとって、警備員という裏の仕事では、表においての地位は関係ない。だが事教師となると話は別だった。
魔法関係者且つ教師であった場合、それらの魔法関係者は公式的に魔法先生と呼ばれそれぞれの得意属性において世界各国からこの地を修行場として集まった修行中の魔法使いの師として敬われている。
だが、ネギ達は本来教えを請う側の存在だ。当然正式に教師となり魔法先生と呼ばれるようになったとしても、弟子を取る事はない。その代わりネギ達は修行中のみでありながら一人前という些か不可解な立場になり、実戦に投入される。
魔法先生やそれらに教えを請い、麻帆良学園の何処かの学校に入っている所謂魔法生徒たちは、よほどの例外がない限り師と弟子で組み、世界有数の霊地である麻帆良に結界を突破し侵入する魔法使い等神秘のに担い手を迎撃している。その一角にネギを据えようと近衛は画策したのだ。
近衛にとって、否魔法界の重鎮にとってネギは一種の希望だ。笑う赤本や、再びの創世記といった尋常ならざる魔道書を従えていることや、使い手を滅したはずの魔法、死霊術を使う事を考えれば、その希望も更に増した。例えネクロノミコンとリ・ジェネシスの明かされていない性質を知らなくとも。
「こまったのぅ」
どうするべきか。本国においてネギを誰かしらの弟子にする計画もあった。だが二冊の影響もあったとはいえ結局は実戦で経験を積ませるという決定が下った。
そうして考えている時、ドアを叩く音が響き、
「失礼します」
高畑が入室し、その問題は一応の解決を見せた。
その日その時その場所で。報道部を通して発表された学年順位は、ネギとフェレストの予想通り二年A組が最下位となって何時も通り終了した。
「…これで私達の修行は失敗」
「だが、同時にこれで私達は自由だ」
ぽつりとフェレストがこぼし、ネギが拾った。
二人にとってこれは当然の結果であり、何ら精神に影響する事はないいわば決定事項。何も問題はないという事はないが、ネギは元よりフェレストでさえ修行が失敗に終わっても今後の生活に問題はなかった。
「ボトルリゾートの販売ルートは確保した」
後は実行のみだ。そう薄く笑い呟くネギは、元々教師になるという修行に疑問を抱いていた。何らかの陰謀がある、とまでは言わないが、本国の連中が何かを考えているということは理解していた。そうでなくては通常の魔法使いとは思えぬこの修行があるはずがないのだ。
だからネギは卒業から派遣までの僅かな時間を使い、魔法具専門店に話をつけた。大手では決してないが、年の離れた友であり、錬金術の師である老人の店ほど顧客を選ぶ者でもないほどよくマイナーな系列の店を選んだ。それはネギが呟いたボトルリゾートと言う魔法具に関係する。
ネギが扱うボトルリゾートはとにかく製作するまで時間がかかる。通所のボトルリゾートもそうだが、それの一.五倍は時間がかかると言っていいだろう。とてもではないが大量生産は不可能だ。
だが、たった一つ売れるだけでネギの元に大金が舞い込んでくる。元からボトルリゾートは高級品だが、ネギが作るそれは通常よりも利便性がよいのだから、値段が高いのも当然だ。
それが売れるまでは魔法界を放浪し、トレジャーハントか、野獣あいてにモンスターハントでもしようかと考えていた。実力の確認は初級魔法学校の卒業試験で解っていた。
だから別に放逐されても問題はないのだ。
「フェレスト」
「そうね。行きますか」
ネギにしては珍しくスーツで決めた格好で校内を練り歩く。いつになく真面目な表情は、すれ違っただけの女子生徒に好評で、酷い時には自意識消失状態になるほど。勿論そう言った人物には後ろについて歩くフェレストが特別な視線を注ぐ事で解消している。我に返る生徒は皆震えているのはご愛敬と言った所だろう。
「さあ」
着いた先は学園長室。
「戦闘の始まりだ」
ネギは己の意思を表すかのように強く扉を叩いた。
「ネギです」
失礼します。その言葉に私は全身の血が沸騰するのを感じとった。
「待っておったよ二人とも。さて、どんな用かのう」
よくもぬけぬけと。そう思ったのは私だけではないだろう。事実ネギに至ってはいつになく危ない光を目に宿している。
「辞表を提出しに来ました」
お受け取り頂けますよね? さらりと零れた言葉の裏は、切られる前に切る。そんなどことなく物騒な、それでいて私好みの感情が感じられた。
「ほっ? それはどういう事かのぅ」
「私は完璧主義者ではない。ですが、今回の試練は学園長が容易いとお思いになった事だったのでしょう。実際通常なら着くはずの師が居ないという事から、私どもへの異常な対応が感じられます。英雄の息子。仮にその言葉を特別扱いしているのならば実に残念ですが、この修行を降りさせて頂きたいと思いここに来ました」
英雄の息子。確かにその言葉には意味がある。だが私にはそれしか意味がない。どのような手練れであろうとも、例え真実死霊術が使えるのであっても、私にはその一言にしか意味はなく、そうでないのならどれだけこの身の脅威であっても何ら感情を抱かなかっただろう。
「ほっほっほ。それは勘違いというものじゃよネギ君」
「勘違い?」
疑問のような声を出すが、真実に気が付いているのだろう? ネギ、貴様の目がそれを物語っている。
「今回の一件はただたんに適正をはかるため行ったに過ぎない。修行とは何ら関係ないのじゃよ」
「そうですか。ならば何時になれば私達は正式な教師となる事が出来るのですか」
「うむ」
来たか。そう私は感じ取った。じじいの目が此方を向いたからだ。
「紹介しよう。君たちの師匠となれる唯一の魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルじゃ」
私はその声にうっそりと笑った。
「初めましてかな? ネギ先生。いやネギ・スプリングフィールド?」
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。その名前は聞いた事があり、そして受け持ちの生徒に彼女はいた。
悪の大魔法使いにして、邪悪な真祖の吸血鬼、エヴァンジェリン。だが、
「だからなんです。それはそれ。確かに師が出来る事は嬉しいですが、今話しているのは何時教師になれるかと言う事ですが?」
違いましたか? ネギはそう問いかけ近衛を追いつめる。
「うむ。その通りと言えばその通りなのじゃが、物事には順序という者があってのぅ。本来は先に立てるべき君の師匠が見つからなかった故の先の試練だったのじゃよ」
「では、師匠が出来た今から正式に教師として雇う、と?」
「その通りじゃ」
じゃからその辞表は。そう続いた近衛の言葉は。
「では私達はこの地からさらさせて貰います」
ニヤリと笑ったネギに遮られた。
「ど、どいうことかの」
「簡単です」
ネギは薄く嗤い言葉を続けた。
「私達の修行の内容は日本において教師をせよと言うだけ。そこに期間も何も記されていませんでした。私達は正直この試練が一体どういった意味で行われるのかと学園長に期待していたのですが、何の説明もなくただ実習生として過ごす日々が続き、そして今師ができたから教師にするという言葉が出ました」
解りますか?
「本来師の元で修行するための制度。ですが何故それが逆になったのか?」
「い、いやそれはのう」
「答えは」
「まぁまて」
追いつめる加虐性。そんな光を瞳に宿したネギは、一人の少女の声に溜息を吐いた。
「何でしょうか我が師、エヴァンジェリン」
ネギの目に映るのは小学校高学年ほどの少女。真っ直ぐな金色の髪が卵形の輪郭とそれに散りばめられた蒼い目と桜色の唇、整った鼻を飾り、身を包んでいる小学生にしては大人っぽい麻帆良女子中等部の制服が何処かミスマッチではあったが彼女を綺麗に飾っていた。
「マスターと呼べ。尤も私に弟子入りするのならだが」
ふふんと笑うエヴァにネギは思った。いったい何をたくらんでいるのか、と。
学校で語られる立派な魔法使い。その正反対に位置すると言っていい悪の魔法使い。だがそんな価値観はネギに通用しない。そんな者は元から持っていなかったが、暗部の授業を受け改めて思い知ったからだ。この世に正義も悪も無いと。
だからそれはどうでもいい。問題なのは、エヴァが六百年という長きに渡り女子供を殺さないという信念を貫き通した事だ。いやそれは正確ではない。決して自分から誰かを襲わないという事事実が問題だった。
「何が望みですか」
だから自然漏れる声も警戒心丸出しになる。今までこの地にいて、学校に通い続けるのは異常だろう。だがそれをしている事から何かがある事が伺える。
だがエヴァが誰一人弟子を取っていない事もまた知っていた。そうでなければ魔法界におけるエヴァンジェリンの情報は修正されているはずだからだ。幾ら悪だとは行っても六百年という年月で貯めた知識は膨大で、力強い。その弟子が有名にならないはずがないのだ。そして普通の魔法使いならば悪を嫌悪し、それ故に弟子とならない。それが覆った事は必ず裏の情報に載る。
「そんなに警戒するな。なに私は古いタイプの魔法使いでな」
尚更悪い。古いタイプの魔法使いは、現在より更に排他的で、他家あるいは派閥の異なる魔法使いとの交渉は等価交換を原則としていた。
力のある魔法使い。そこに弟子入りする対価か。思わず目を細めるネギに、エヴァは笑って言い放った。
「血をよこせ。それで勘弁してやる」
「血?」
問うてい対価たり得ない。その疑問には近衛が答えた。曰く、エヴァはネギの父、ナギの呪いによってこの地に封印されている、と。
なるほど、とネギは納得した。呪いに対する解呪の方法は術者本人が解くか、力で強引にレジストするか。そして本人あるいは血縁者の魔力で誤認させる方法が上げられる。
血、血液は髪の毛と同様に古くから霊媒として利用されてきた。本来ならば大量の血液で魔法陣を描かなければならないのだが、吸血鬼ならば無駄なくダイレクトに身体に他人の血という魔力を回す事が出来る。
だが果たしてそれで良いのか。ネギは薄く笑うエヴァを見つめ、近衛に目を移し、
「良いでしょう。ですがそれはマスター・エヴァンジェリン。あなたの居城にて」
ネギは承諾した。満足そうに笑う近衛を横目にしながら。
「いらっしゃいませネギ先生、フェレスト先生」
私、絡操茶々丸はガイノイドとして起動してから初めてマスターの笑顔を見ました。
喜色満面。その言葉はきっと今のマスターにこそ相応しいものなのでしょう。そう判断した茶々丸は、自分でも気が付かないほど微かに微笑み、お茶を入れるために台所に引っ込んだ。
「何だとッ、貴様もういっぺん言ってみろ!!」
ちょうどお茶を入れ終わり、茶々丸がエヴァ達に配った時だった。部屋、否家銃に響いたと言っても過言ではないほどの怒号がエヴァから発せられたのは。
「認識していなかったのですか? マスター・エヴァンジェリン。あなたの呪いは私の血を飲んでも、いや飲み干しても解く事は不可能です」
「何故だ! お前の魔力は奴すら越えているのだぞ!」
冷静なネギ先生と激昂するマスター。それを収める技量は茶々丸にはなく、ただただおろおろとするばかりだった。
「それでもです。診断結果は出ています。アイン」
『Yes, Your Majesty』
それは唐突だった。いつの間にか宙に浮かんでいた純白の本。意志を持った本が光、空中に人体図形を写しだした。
「此処に書かれている魔力が現在のマスター・エヴァンジェリンの魔力です。これはおおよそ魔法を習い始めたばかりの魔法使い、あるいは勘のいい常人レベルに過ぎません」
「そんな事は解っている。だからこそ私は呪いを解き」
「では、これをご覧下さい」
ネギ先生はそう言って表を切り替えました。そこに浮かんだのは先程と変わらない人型…。
「鎖か。だがどういう事だ。これは、普通の登校地獄ではないか」
「その通りです。恐らくナギのかけた魔法は魔力こそ巨大ではあっても正常な呪いだったのでしょう。本来なら私が来る以前にマスター・エヴァンジェリンの呪いは解けています。そしてそれを不可能にしているのが」
ぱちん、とネギは指を鳴らし映像を更に追加した。
「これは!」
それは衝撃でした。マスターと呪いを表示した図にもう一つ、呪いの鎖に重なり最終的ににマスターの丹田に繋がった長い一本の糸。
「マスター、これは」
「お前の察しているとおり。これは」
私から魔力を奪っている。
「失礼ですが、マスター・エヴァンジェリンについての情報は初日から集めさせて貰いました。流石に此処の管理態勢は整っており、全てを見る事は出来ませんでしたが、一つ目だった事がありました。マスター・エヴァンジェリン。あなたは何故侵入者を感知出来るのですか」
それは問いかけではなく確認。事実マスターはその言葉に凍り付き、そして低く笑い始めました。
「そうか…そう言う事か」
「マスター・エヴァンジェリン。あなたは学園長に」
縛られています。
それは私にもわかった。彼女は文字通り学園に縛られていたのだ。
ネギの父、サウザンドマスターの名を持つ英雄ナギ・スプリングフィールドの真意はわからない。呪いの鎖はごくごく普通であり、まっとうな物。だが学園、否学園長の思惑は理解出来た。
全身を緩く縛っている鎖は一種の呪術的シンボル、イメージだ。そして吉舎理に沿うように這わされた糸も。意図は呪いに連動し登校地獄という本来なら時と魔力が供給される事で砕ける鎖から、時という概念と、魔力をエネルギーとして吸収し、拡大された図に示されているように学園を覆う結界の一部と化している。
「私が誰よりも早く侵入者に気づけた感覚も、解放されなかった事も全て」
「マスター・エヴァンジェリンが使う時と魔力、そのエネルギーで学園の結界を強化し、更にはあなたを誰よりも強かな古強者として被害を減らす為侵入者に当てるため」
「何故気づいた…」
その声に先程までの張りはない。これが本当に魔法界で恐れられるダークエヴァンジェリンの姿なのかと、私は思った。
「学園長の態度です。魔力こそ弱いものの、誰よりも古き強者あるあなたはそうそう手に入らない貴重な戦力です。個人的にどうであれ、組織の長として無償で動かす事の出来る強力な駒を手放すのは…言っては悪いですが相当な損害になる。それこそ責任問題として会長の椅子を追われる程に。だと言うのに先程の学園長に落胆や覚悟の表情はありませんでした。ただ見守っていただけ」
そう言う事か。それで漸く私は理解した。自分とてネギと行動を、意を共にするまでは醜悪な権力闘争の世界にいたのだ。むしろネギは良く気がつけた方だ。私ならきっと気が付かず彼女を犠牲に学園長を喜ばせていただろう。
だから次の言葉は予想が付いた。私は激怒している十何年も一人の少女を利用しておいて、まだ飽き足らないその行為に。だがネギの怒りはその比ではないだろう。何故なら彼は誰よりも恐れらえる事の痛みを知り、利用される恐怖を知っているのだから。
「マスター・エヴァンジェリン。あなたはまだ私に師と呼ばれるつもりがありますか?」
「…当たり前だ。幾ら騙されたと言っても一度交わした契約を破れるはずがない。それも私から持ちかけた契約を。お前は笑うだろうが、こんな私でも誇りはある」
それでも悔しさはぬぐえない。だからネギは両手を強く、爪が手のひらを傷つけ赤い雫が流れるまで握りしめられたエヴァの拳をそっと包み込んだ。
「ならば私はしなければなりません。私はあなたを偉大な魔法使いだと思っています。立派な魔法使いではない、偉大な。だからこそ、等価交換の原則を持ち出されるのなら、私はあなたに師事を求める対価として相応しい物を差し出す」
「だが、私は血を求め、お前はそれに承諾した。契約は」
「それはあなたの呪いを解く方法という対価です。血はその手段の一つでしかない。もし私がそう認識しているのなら?」
その瞬間、エヴァは目を見開き俯いた顔を上げたが、数秒と持たず溜息へと変わった。
「…ならば契約は成立せずお前はここから去る、か。まあそれも良いだろう。幸い力を吸収されていると言ってもこの身は不死だ。私を利用した罪、奴らに思い知らせる事くらい造作もない」
「それは、あなたの命を犠牲にして、ですね? 年上のあなたに若造が言う事ではないのでしょうが、もっと体を大切にしなさい」
そっと微笑むネギに、されどエヴァは首を横に振る。
「先程言ったとおり、こんな私でも誇りはある。どうせ呪いが解けないのなら」
「では、呪いが解けるのなら自身を大事にするのですね?」
何を言ってる、と眉を寄せるエヴァに、ネギは微笑みながらリ・ジェネシスを呼んだ。
「アイン。プロテクト七七零を」
『Yes, Your Majesty』
瞬間リ・ジェネシスから虹色の光がドーム状に広がり、リビングと外界とを隔離した。
「これは…」
初めて見るのだろうエヴァは唖然とした声を上げ、虹色のドームを触れた。
「感覚がある。だが外の魔力を感じられない。…茶々丸、大学と連絡は取れるか」
「いいえ、電波が遮断されています。目の前の光が原因だと思いますが、魔力反応は感知されていません」
そうか、とぺたぺたとドームを触るエヴァに、ネギは微笑み、後ろからそっと抱きしめた。
ずるい。思わず浮かんだフェレストの思いは、されど今は封印しておくべきだろう。実際フェレストも一瞬睨んだだけで、直ぐに疲れたかのように首を振り目を揉んだ。
「少しじっとしていて下さい。直ぐに済みます」
アイン。そう呼ぶネギにリ・ジェネシスはレーザー光線のような光をエヴァに当て、
「何を」
エヴァが先を言う前に光線がエヴァを飲み込むように楕円状に広がった。
「あっ…くぅッ」
「大丈夫。大丈夫です。私が魔力を注ぎますから」
悲鳴を押し殺すエヴァに、ネギは自らも光にさらされているというにもかかわらず、両腕の中の少女にありったけの魔力を無理矢理注ぎ込んだ。
「マスター!」
茶々丸が飛び出しそうになるのを、戦いの歌で身体強化したフェレストが押さえ込んだ。
「大丈夫よ。ネギに任せて」
それでも茶々丸はフェレストの腕の中で暴れた。たいした忠誠心だと思う。だがそれが邪魔になる事だってあるのだとフェレストはネギの後に付いていけるように、横に並べるように鍛えた成果を発揮し、茶々丸を一歩も動かさない。
「グァッ…くっ」
ゆっくりと光が消えていく。だがエヴァの荒い息づかいは一向に止まらなかった。
「マスター! マスター!! マスター・エヴァ!!」
「ダメ茶々丸! モーターが焼き付いちゃう!」
押さえるフェレストの鼻に、モーターの焦げる異臭が届き、慌てて茶々丸を制止した。
「ですが、マスターが、マスターが!!」
「大丈夫。無理かも知れないけどネギを信じてッ。ネギなら、ネギならきっとうまくやる。あなたのマスターも元気になるわ」
それでも暴れる茶々丸に、フェレストは痛ましげな顔を向けた。
きっとたった一人の家族なのだろう。そう予想する事は容易かった。フェレストも逝ってしまう両親に何度も何度も呼びかけたのだから。
「これを飲んで下さい」
その暴走劇を傍目に、ネギは腕の中の少女にぎこちない動きで透明な珠をさしだし、口に運んだ。
だがエヴァは答えない。ただ荒い息をつき、身体を投げ出したまま。
無理もないとネギは思った。リ・ジェネシスの解呪は信用している。だが神業とは言わないが、巧みだと感じさせるほどエヴァからエネルギーを奪う糸は呪いと連動していた。片方ずつ解く事は出来ない。連動しているのだから連鎖的に解けると考える事おもできたが、決して小さくない組織の長が仕掛けた罠だ。双方が補い合う関係であり、片方が消滅すれば片方の魔力で術か呪いを復活させる事は容易に出来ると考えた方がいい。
だからこそ解くには両方いっぺんに解かなければならないのだ。だがそれは無理矢理で、術の対象が壊れるほどの威力の筈だ。ネギも力があり尚かつ永遠という時を冠した真祖の吸血鬼という最上の神秘が宿っていなければエヴァの呪いを解呪しようとは考えなかっただろう。
エヴァの目は虚ろだ。焦点が合っていない。
声が聞こえているかも疑問だな。視線を鋭くしたネギは仕方がないとエヴァの顎に手をかけると珠を自身奥地に放り込み、
「ネ、ネギィィィ!」
口と口を合わせた。舌で強引に開けた口に、そのまま珠をねじ込む。それでも飲み込まないエヴァに、舌を入れると無理矢理飲み下させた。
そっと話した口から銀の橋が渡り、途中で切れる。飲まれた珠は、
「ネ、ギ…おまえ」
んぅ、と外見に似合わない妖艶な声を上げるエヴァを漸く現実に引き戻させた。
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