第一章[因果の繰り手と紅蓮の少女]
三話【『パラドクス』と『都喰らい』】
悠二が家を出た直後の坂井家にて千草は外出の準備を進めていた。
これには理由がある、今朝の食卓でベルペオルと一緒に買い物に行って、あるものを見立てる約束をしたためだ。
ベルペオルが言うには早くしないと時間に間に合わなくなるらしい。
朝早く開いてる店が在るのかというのが謎だが、そこはベルペオルの自在法でどうにかなると言われた。
「千草、準備できたかい?」
「できたわよ、それじゃあ行きましょうか」
二人は坂井家を出てとある店で足を止め、中に入り、買い物を始めた。
「ふむ……どれがいいかね……」
ベルペオルは真剣な顔で商品を手に取り悩み始めたようだった。
千草はベルペオルの真剣な顔を見て実に楽しそうに笑って商品を渡した。
「これなんか、どうかしら?ベルペオルさんにはすごく似合うと思うけど。」
ベルペオルは、ふむ、と頷き渡された物を手に、鏡が置いてあり、商品があるフロアーとカーテン一枚で区切られた小さな部屋へ入っていった。
しばらくして、カーテンの開く音がした。満足気な笑みを浮かべたベルペオルがその一室から出てきて口を開く。
「店員!そのこの店員!これをもらう。このまま着て行くので値札だけ外してくれないかい?」
店員はその声の女性に見とれて返事が送れてしまった様だが、すぐ我を取り戻し素早く値札を外してレジへと案内した。
ベルペオルは手早く会計を済ませて千草と供に店を後にする。
「千草、ありがとう。今日はすまなかったね、おかげで助かったよ。」
「いえいえ、悠ちゃんをよろしくね」
言葉を交わして二人は別れた。千草は元来た道を、対するベルペオルは千草とは違う別の方へ歩を進めた。
坂井悠二は、いつもより早く学校に到着した。
今朝ベルペオルと母、千草の手によって早めに家を追い出されてしまったからだ。
教室には、まばらだが人がいる。自分は寝坊はしないが、いつもギリギリに家をでるためこの時間帯に教室にいるのはごくまれである。
そのためか教室に入ると中学以来の親友、皆の頼れる『メガネマン』池速人が声をかけてきた。
「坂井、どうしたんだ?今日はいつもに比べるとはやいな」
「いや、今日はちょっとね…朝、色々あって早く家を出なくちゃいけなくなったんだよ」
母と一人の"紅世の王"ベルペオルによって半端強引に追い出されたとは言うわけにはいかないので答えを濁した。
「それより坂井、あの噂聞いたか?」
「噂?」
「ああ、なんでも、教育実習生がくるらしぞ。」
「別に珍しい話じゃないだろ?」
そう、別に珍しい事ではない、ここは学校なんだから先生を目指す、教育実習生が研修に来るのはあたりまえだ。
学校の先生を目指すのに、他にどこに研修に行くんだよと悠二は思っている。
「いやそれがな、何でもうちクラスを担当したいらしいくてさ、昨日アレがあった後だろ教師達も止めたらしいけど、その人は絶対このクラスがいいと譲らなかったらしい。」
アレの原因であるシャナは、自分の席の隣でメロンパンをおいしそうに頬張っていた。
聞いてみれば妙な話である。
教育実習生が担当するクラスを名指しで選ぶなど通常ならありえない。
しかし、よりにもよってこのクラスとはな昨日の教師たちと同じ目にあわなきゃいいけど、そう思いつつ目の前の親友に返事した。
「まぁ、なるようになるんじゃないかな?他の教師達は止めたんだろ?それでもダメだったんだし後は自己責任でどうにかするんじゃないか。それでダメなら教師をあきらめるだろうし」
悠二はこれからくる教育実習生のことなど興味なしとばかりに言って親友の池と別れた。
教室の中ほどまで歩いて自分の席に座って、開始の予鈴を迎えた。
朝のホームルーム、生徒達はこれから始まる授業のため、普段は憂鬱な顔をしているのが殆どではあるが、この日ばかりは違った様で、興味津々といった表情で教室の前の扉が開かれるのを今か、今か、と待っている。
しばらくすると、廊下から二つの足音が聞こえてきた一つの足音は教室の前の扉で止まる。
教室の前方の扉を開けて一人の教師が入ってきた、このクラスの担任だった。
教卓の前まで歩き、皆をみて口を開く。
「いきなりだが、教育実習生を紹介するぞ、入ってきてください。」
扉を開き入ってきた教育実習生は、女性だった。
商業的な笑みを浮かべて入ってきた女性は、スリットの入ったセクシーなロングスカートと、ひたすらウエストを強調したスーツ、その中に彼女の髪と同じ色の、光沢感のあるシャツを着ている。
黒地に白のストライプの入っているロングタイトスーツに身を包んだ彼女は担任の教師の前まで行ってクラスの皆に向かい挨拶した。
「おはよう。皆さん、私は『坂井ベルペオル』。これから皆さんと一緒に過ごす事になったので悠二、共々よろしく頼むよ」
これを見ていた悠二は口を、ぽか〜〜んと開いて呆気にとられていたが、羨望のまなざしだった女子の目と恨めしそうな男子の目が悠二に向かったことによって、正気に戻った。
約一名、ベルペオルを睨むようにして目を離さない少女がいたことは言うまでも無い。
当然ホームルームが終わった後から悠二は、クラスメート達から必要以上の追及を受けるのだが、うまく外国の親戚ということで誤魔化した。
シャナにとっての二日目の授業は、前日と同様、突っかかった教師の壮絶な自爆という結果を迎えていた。ちなみに教育実習生の肩書きで悠二のクラスの後ろからのんびりと眺めていたベルペオルが、自爆した教師に代わって授業を進めていた。
ちなみに、ベルペオルの授業は大人気で、とても分かりやすく生徒達の人気も非常に高かった、このときばかりはシャナも黙って授業を聞いてるだけだった。
ベルペオルに言わせてみれば、『達意の言』を使えない"徒"を相手にするよりは、よっぽど楽、ちょろいもんだよ、とのことらしい。
そんな状態が三時間まで続いて、四時間目を迎える。
四時間目の授業は体育だった。
その授業を担当している体育教師(男性・三十三・独身)は、平井ゆかりという生徒が騒ぎを起こしている、と同僚達から聞いたらしい。
授業を受けて、まだ一ヶ月しか経っていないが、陰険かつ横柄、しかも女子生徒に対する目つきが、いやらしい事で、悪評が定着しているこの体育教師は、生意気な生徒を許容できないタイプでもあった。
自分の授業で、その平井とやらにをへこませてやろう、と無制限のランニングをするように言った。
ところが、この体育教師の予想に反して、平井は涼しい顔で走り続けている。
授業の半ばを超えても同じペースで足を動かしていた。
もちろん悠二も何食わぬ顔で平然と、トラックを走り続ける。
体育教師は、焦れた、そもそも彼女をいじめることが目的なのだから、彼女がへばるまではランニングを止めることが出来ない。
走り続ける悠二の耳"神器カナン"から声が漏れる。ベルペオルは走り続けるのを何もせずに見ていてもつまらないと、どこか別の場所から見ていた様でその姿は見えなかった。
「ねぇ?悠二、後ろで女生徒が倒れた様なんだが……あれは大丈夫なのかい?」
「えっ……!!」
振り向くと、あまり体の丈夫でない、吉田一美という女生徒が一人、トラックの上でうずくまっていた。
苛立ちから、体育教師が怒鳴り声を上げる。
「こらー、吉田ぁ!なにをサボッとるか!!」
「吉田さん!」
「一美!」
息を切らして、胸を押さえる、吉田という女生徒に、クラスメートが駆け寄る。
普段貧血などをよく起こしているので、こういうことになるのは分かりきっていたのに、尚も体育教師は声を張り上げて叫ぶ。
「なにを勝手に集まっとる、貴様ら!」
「先生、一美を休ませて上げてください。」
彼女の背中をさする背の高い彼女の友達らしき生徒が訴えたが、体育教師は聞く耳を持たないようだ。
標的の平井ゆかりは吉田の不調にも動じることもなく、走り続けている姿を見せ付けられて気が立っていた。
「うるさい!そう言ってサボってたら、いつまでたっても体力がつかんだろうが!立て!」
その時、クラスの誰かが、ふと、みんなの気持ちを代弁したかの様に漏らした。
「だいたい、なんでいきなり持久走なんだよ」
無能な人間とはいうのは、自分の痛いところを突かれると逆上する。
体育教師は何を思ったのか、いきなり吉田の手を掴み、無理やり引き起こそうとその手を伸ばす。
「貴様がサボっとるから、みな足を止めてるんだろうが!立て!」
「………っ!!」
迫りくる体育教師の手を見て吉田は声にならない悲鳴を上げたが、その手は悠二に止められ彼女に届くことは無かった。
「先生、待ってください。皆が足を止めてるのは吉田さんの責じゃないですよ、無理な授業内容にした貴方の責任です。」
悠二の言葉に更に苛立った体育教師は悠二の手を振り解き、突き放した。
それを遠くから見ていたロングタイトスーツに身を包んだ"紅世の王"は今の行為で胸に溜まった怒りを爆発させようとしていた。
しかし、次の光景をみてその場の怒りを一時的に静めた。
体育教師が思い切り尻を蹴っ飛ばされ、すっとんだ。
不意の出来事に一瞬、呆然とした生徒たちが我に返ってみた先に、平井ゆかりことシャナが、小さな運動靴の底を見せて立っていた。
息も乱れず、汗もせいぜい一雫の、無駄なく引き締まった体躯。
一つにまとめられた、長く艶やかな黒髪が、蹴りの余韻のようにふわりと舞っていた。
「さっきからずっと走るだけ……これ、一体なんの『授業』なわけ?」
息を継いでいる吉田を見て眉根を寄せるシャナをみて悠二は思った。
(どうせ、可愛そう、とかじゃなくて、非効率的だとか思ってるんだろうな。)
(フレイムヘイズってのは効率主義者が多いからね、私と悠二みたいなのは珍しい方さ、本来は。『復讐者』であるために、若年者や激情家が多く、個人行動を好むものが多い、おチビちゃんはどうやら『復讐者』とは違う感じのようだが、効率主義者って点じゃ他のフレイムヘイズに負けず劣らず、といったところかね )
悠二とベルペオルは彼女の内心を正確に察していた。
案の定、シャナは言った。
「馬鹿な訓練。ただむやみに身体を動かすだけ何て、疲れるだけで何の意味も無いわ」
「き、貴様……!!」
土まみれの顔をぬぐって体育教師は立ち上がる。顔は怒りで真っ赤になっていた。
シャナは、そんな憤怒には毛ほどの感銘も受けてはおらず、問いただすだけだ。
「おまえ、この授業の意味を説明しなさい」
やれやれ、やっぱりこうなるのか……悠二はそう思いつつ吉田に近付き抱きかかえてトラックからある程度、離れて声をかける。
「大丈夫?彼女を保健室にお願いね」
吉田は青ざめた顔を、それでもわずかに頷かせた。
彼女の背中をさすっていた、彼女の友達らしき女生徒も一緒についてきてたので後をお願いした。
「貴様、教師を足蹴にしたな!この不良め!!暴力をふるいおって!停学、いや退学にしてやるぞ!!」
「説明さえできないの?」
「分かってるな!問題だ、これは問題行為なんだぞ!!」
シャナと体育教師は今だに口論しているが、全く話が噛み合ってなかった。
そしてとうとう、す、とシャナの眉が平坦になった。
(悠二、どうするんだい?今のおチビちゃんの顔は戦闘時の顔と同じだよ。)
(えっ…嘘…だろ…?)
悠二は振り返り、一目でまずいと察知して絶妙のタイミングで叫びを上げた。
「蹴りだ!!」
「?」
シャナが動く初っ端に受けた妙な指示、やめろ、と言われていたら、無視して目の前で吼える無能者の顔面に拳を叩き込んでいただろう。しかし、そうではなかったので、彼女は悠二の指示通りに気持ちよく無能者を蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた無能者こと体育教師は綺麗な放物線を描き、悠二のもとまで飛んでくる。それを見て悠二は、にやり、とベルペオルがよく敵対者に対してするような笑みを浮かべ、皆を背にして勢いよく背後に蹴りを繰り出す感じで靴の底を突き出した。飛んできた体育教師を再びトラックの方へと蹴り戻され、そこでもう一回、声を上げる。
「もう!!一発!!」
言われた少女も自然に体が動き足元へ向かってくる体育教師を一蹴りして悠二とシャナの間に落ちた。
クラスメートたちの注目の中、一度頭を掻いてから大きく息を吸い、わざとらしく声を張り上げた。
「先生、トラックの中に突然、出てきたら危ないでしょう!!」
シャナが怪訝な顔をする。
メガネマンこと池が付き合いの長いさすが親友と言うべきか最初にその意図を理解した。同じく大きな声で周りに聞かせるように言う。
「蹴っ飛ばされても仕様がありませんね!」
佐藤が、にかっ、と笑って皆を煽るような手つきで後に続く。
「だよなー!!平井ちゃん足速いから」
それと顔を見合わせた田中が最初に声を張り上げる。
「そりゃ、急にゃあ、止まれねえわな!!」
悠二、池、佐藤、田中のいつもの面子を皮切りにクラスメートたちの歓声にもにた声がトラック上に巻き起こる。
「僕、みてたましたよ、先生が平井さんの前に飛びだす所!!」
「私も!!前にいた坂井君にもぶつかってましたね。」
「あはは、センセ、カワイソ!!」
自分に全く分のない喧騒の中、体育教師が這いつくばった姿勢の影から、呪詛のような声を漏らす。
「…き、きさま、ら……」
騒ぎに隠れるように傍らのシャナに体を傾けて、ひそかに訊く。
「脅しとか、できる?」
同じく騒ぎに紛れて、体育服の内側に隠れるアラストールが、こっそりいった。
「そうだな、金を得るときによくやる方法でどうだ?」
「クフフフッ、アレをやる気かい?」
ベルペオルもどさくさに紛れてか、実に面白そうに自分の耳にある"カナン"から声を漏らしている。
なぜか、ベルペオルが知ってることには疑問を感じたが、"紅世"に関する者達ならみんな知ってるんだろうと思う事にしてこの場は流した。
「そーね、たしかに、威嚇で黙りそうな顔してる。」
そんな物騒なやり取りを経て、最後に口を開いたシャナがゆっくり体育教師のもとまで歩き出す。
「ちょうど、トラック上にいるね」
戦慄の台詞。
「ひぃ、ひぁ……」
体育教師が逃げ出そうと、もがいた鼻先に、ズドン、と足がふみ下ろされた。地に付けた腹をも震わせる、恐怖の一撃。シャナの足跡が三センチほど凹んでいた。
驚愕と恐怖に目を剥く体育教師に、悠二が止めを刺す。
「先生、これからも気をつけないと危ないですよ。無意味な授業はよして下さいね。」
「………分かった?」
シャナの恐怖の笑みとともに、体育教師は全力でうなずいた。
「もう、解散にしてもいいですよね?みんな疲れてます」
にこやかに訊いた悠二に体育教師は全力で頷いて、
「あ、あとは、自習だ!!」
言い捨てると、腰砕けに走って逃げ出した。
そんな中、悠二はシャナのほうを見て、あわてて止める。
「うわああっ……待った待った!!追わなくていいよ…」
「なんでよ、敵は潰せる内に潰し……!?」
シャナの台詞も半分に、いつのまにか悠二とシャナをクラスメートが押し包んでいた。
ともにすごしたのが一ヶ月だけの生徒たちはこの時、初めて同じ気持ちで大騒ぎに騒いでいた。
そんなこんなの騒ぎの後、その残った時間を悠二は春の芝に寝転んですごした。
というわけで、平井ゆかりことシャナは、本人の意図する所によらず、クラスメートたちからの人気を集めることになった。
その人気がどれぐらいかというと、着替える際に他の女子が、彼女の髪に皆で櫛(くし)を通してくれるくらい。
「これで少しは大人しくしてくれればいいんだけどな……」
「どうだろうね、まぁクラスの皆と一緒にいる分は何とかなるんじゃないかい?まぁ無意味な授業内容とかなら容赦なく叩き潰しそうだがね……まぁ、私は悠二に実害が無い限りなにも言う気は無いよ」
悠二は昼休みになっても、いまだに姿を見せない、ベルペオルと"カナン"を通して話をしていた。
ベルペオルの見解通り、シャナもクラスメート達の行為に何を言い立てるでもなく大人しくしていたらしい。
とはいえ、すぐに直ぐに皆と打ち解けられるわけでもなく、とりあえずは『無法者』が『用心棒の先生』にランクアップした様な程度だった。
それでも、体育の授業直後の昼休みになっても、昨日ほど露骨に出て行く者はいなくなっていた。クラスメートの半分は教室に残っている。
そろそろ、昼飯でも食べるかと思って鞄を漁る。しかし、買ってきたコンビニ袋に入ったオニギリの感触が無い。それでも、今朝確かに買ったのだから、入ってるのは間違いないので鞄の中を必死に探る。
「あれ、おかしいな……確かに買ってきたんだけど…」
「なにがよ?」
シャナが聞いてきた。
「お昼ご飯!!今朝買ってきたのに無くなってるんだよな……」
そのとき悠二とシャナ以外の悠二のよく知る声が聞こえた。
「悠二、一緒にお弁当たべようか!!」
声の方を向くと今朝来たばかりの教育実習生(ベルペオル)がこちらに歩いてくる、もちろんその額に瞳はなく右目は眼帯で隠しているので左目だけが見えている。
手には、コンビニの袋を二つぶら下げて、そのうちの一つの袋、薄いビニール袋から透けて見えるオニギリの種類は今朝、悠二が買った物とまったく同じ種類、同じ個数が入っていた。
それを持って、近くにあった椅子みつけて悠二の席にコンビニ袋を二つ置き座る。
「ベル……僕のご飯、鞄の中から取ったろ?」
「いいじゃないか、こうして持ってきてやったろう?それに一度やってみたかったのさ。お弁当忘れた旦那の下に、愛妻弁当もって駆けつける新妻の気持ちってやつをね。」
「だからって、だまって取ったら焦るだろ。一言最初に言ってくれればいいのに」
「次からはなるべく、善処しよう。」
悠二にしか見せない満面の笑みを楽しそうに、嬉しそうに向けるベルペオルに悠二は何も言えなくなった。
まぁ、いいかと思いつつ、ベルペオルと二人してコンビニ袋からオニギリとお茶をだして咀嚼(そしゃく)しては飲み込みお茶を啜(すす)る。
その様子をチラチラと横目で見ていたシャナは不機嫌そうにメロンパンをパクつきながら思っていた。
ベルペオルの悠二に見せる態度がアラストールから聞いていたものとはまったく違う事に。
アラストールが言っていたのは、「性格は狡猾で智略に長けており、およそ知る者が触れたがらない神算鬼謀の持ち主、ヴィルヘルミナですら「この世で最も敵に回したくない」と言わせた程の王だ」と。
しかし、悠二に対する態度だけはこれには、まったく当てはまっていなかった。
その見解の相違が悠二やベルペオルに同じフレイムヘイズとしての不満や、自分の中に無意識のうちに生じた焦りや不安を加速させていたが、しかし全て悠二とベルペオルが全て悪いと無理やり自分に納得させた。
そんな、シャナの気持ちを知ってか知らずかアラストールは悠二、ベルペオルの二人をみて別のことを思っている。
確信しているわけではないが、それはかつての自分とシャナの前の契約者が抱いていた思いと同じではないかと。
しかし、そこまで考えて、我には関係ないとその思考を止めた。
そのあとシャナが、つぶやくように一言いった。
「このメロンパン、いつものと同じところで買ったのに……おいしくないッ!!」
悠二はベルペオルと一緒にオニギリを一つ食べ終わったところで、自分達を横目でチラチラ見る、シャナに聞いてみた。
「ねぇ?シャナ、今日も夕方まで居残りするのか?」
「ううん、夕刻までにはここを出るわ。相手がちょっとでかいから、せめてこっちに有利な場所で戦わないと」
シャナはメロンパンを食べながら答える。
悠二はその言葉に安堵して、視線を戻そうとして一人の少女がこちらを見ているのに気付きそこで視線をとめた。
「……どこ見てるのよ?」
シャナから声がかかる。
自分の隣に椅子を持ってきて座りながら、パリパリとのりを噛み砕きつつ食べていたベルペオルも声をかける。
「どうしたんだい?悠二?」
二人の質問をとりあえず後回しにしてこちらから声をかけようかと思っていたが少女の方から声がかけられた。
「……あ、あの……」
ベルペオルとシャナの顔が向いた先に、控えめな印象の少女が、真っ赤になった顔を伏せて立っていた。
ほんの少し前にトラック上で倒れた女生徒、吉田一美だった。保健室から戻ってきたらしい。顔色もそれほど悪くはなさそうだった。
「吉田さん?」
意外な人物の登場に少し悠二は驚いた。
シャナは、存在の残り滓からその少女の記憶を拾い上げる。平井ゆかりの友人だったらしい。
「その、ゆ、ゆかりちゃん、さっき、体育の時間……あ、ありがとう」
吉田の声は小さすぎ、しかも途切れ途切れなので、聞き取りにくいことこの上ない。なのでシャナは聞き返した。
「なんか用?」
「ば、馬鹿、お礼言ってるんだから、どういたしまして、ぐらい言えよ」
「なにが馬鹿よ」
シャナは、他でもない悠二の助け舟にむっとなった。吉田とは正反対の強い声で言う。
「私は、私の邪魔する奴を片付けただけよ」
「いや、まぁ、そうなんだろうけど言い方ってもんが……」
シャナの容赦なのなさは自分は分かっているつもりだが、それでも物言いがこの吉田という少女に悪くとられるのではないかと心配していた。
吉田は気が弱い、今も、シャナの言葉に小さくなっている。
ベルペオルは悠二に実害がない限り動くことはないので、流れるような優雅な動きでお茶をすすりつつ悠二の隣でにこやかにオニギリをかじっていた。どうやって慰めようか、と思って彼女を見れば、そろえた手の中に、片方のてのひらでも隠せるほどに小さな弁当箱がある。
「あっ、弁当……一緒に食べる?」
「え、は、はい……!」
言われた吉田が、パッと顔をほころばせた。悠二はこの微笑にほっとさせられた。
「シャ・・・ゴホン、平井さん、なにが困るわけでもないし、一緒に食べて話をするくらいいいだろ?」
実は悠二はこのクラスにきて一月になるが、彼女と話をほとんどしたことがない、いつも自分の席で本を読んでいる子、という程度の印象しかいまのところ持っていない。
それでも、女の子と仲良くするというのは悪い気分ではない。
(吉田さんって、よく見れば可愛いしね)
素直な感想を思いつつ心で頷いた悠二だったが、隣にいるベルペオルが頭の中で嫉妬した声を響かせた。
(ユ・ウ・ジ!!お前は私のものだよ、浮気したら私は泣いてしまうよ。そりゃ悠二だって男の子なんだから、少しは邪(よこしま)な目であの子を見てしまう時もあるのだろうけど)
(ベル……あの、いったい何を…)
(全部私に言わせる気なのかい?しょうがないね、つまり、若さゆえの、ほとばしるほどの淫らな劣情は私がちゃんと処理をしてやるよ。)
横を見ればベルペオルはやや頬を赤く染め左目だけで、じぃ〜、と自分を見ていた。
シャナはそんな悠二とベルペオルのやり取りを知らず、ぶっきらぼうな声で返す。
「好きにすれば?」
シャナの言葉で、悠二はベルペオルの魅了のかかりそうな金色の瞳から視線を逸らして、もう少し言葉があるだろとシャナを見てぼやいて、悠二のぼやき並に小さく、吉田が答える。
「あ、ありがとう……」
そこに、
「お〜い……」
と聞きなれた声がかかる。吉田の後ろの方で、声をかけた池を始め、佐藤や田中が、恐る恐る手を上げている。
今までことの成り行きを静観していたらしい。悠二は苦笑して手招きをした。この三人が加わり、にわかに机を寄せた昼食会が始まる。話題はもっぱらベルペオルのことである。
「ベルペオル先生は、今、坂井の家に居るんですか?」
佐藤がベルペオルに聞いた。
「ん?そうだよ。悠二と一緒に住んでる。同棲ってやつかね!!」
悠二を左目だけで見つめていたベルペオルはみんなに向き直り答え、悠二は焦りながらベルペオルに言った。
「ベル、その言い方は色々誤解を招くだろ」
この彼女の事を悠二がベルと呼ぶ言葉が気になった田中が首を捻り考える。
「ベル………ベルねぇ…どっかで聞いたような……」
「昨日の昼休みの廊下でだろ」
池がさらり、と田中の疑問に答える。
そこで昨日のトイレから出てきた悠二と会話した三人は昨日の言葉を思い出して、にやりと笑った。
「なるほど」
「そうかそうか」
「うんうん」
そう言いながら悠二の両肩と背中を三人で同時に二回トントン、と叩いた。
「なんだよ……気持ち悪いな…何か言いたいことがあるなら言えよ。」
「ん?言ってもいいのか?俺たちは別に言っても構わないけど、言ったら坂井、お前が後悔するぞ?」
佐藤はそういいながら池がその後に付け加えた。
「坂井、今の田中の疑問と昨日、俺達が話した会話の内容を考えてみろ」
悠二は昨日の会話の内容を思い出し、口を開いた。
「……!!!……わるい……やっぱり言わないでいい…」
その様子みてベルペオルは内容をしってるだけに小さく笑い、シャナと吉田は頭に疑問符を浮かべる。
そんな、普通の日常のやり取りをしながらみんなで弁当をつついた。
しばらくして悠二が会話から外れると、シャナが袖を引っ張って顔を寄せ文句をつけてくる。
「アラストールと話しにくい」
「いいだろ別に、たまには普通の人と接してみろよ、さっき取り囲まれた時だって、まんざらでもなかっただろ?」
「わけわかんなかっただけよ」
「そういう所、直すためにもやっぱりみんなと接しとく……って、うわっ」
先ほどまで吉田、池、佐藤、田中と話していた、ベルペオルがシャナと顔を引き寄せてヒソヒソ話をしているのに気付きあわてて悠二をシャナから遠ざけるように、自分のものを守るように、抱き寄せるように、引き離す。
その三人の行動をみて初めて吉田が自ら口を開いた。
「…………な、仲、いいんですね」
ベルペオルは吉田の言葉を聞いてかなり、きっと、いや絶対、誤解を受ける発言を平気で淡々と言った。それも満面の笑みで嬉しそうに。
「平井さんはともかく……私と悠二は互いに永遠を誓い合った仲だからね。仲がいいのはあたりまえさ」
「ベ、ベ、ベ、ベル!!」
「どうかしたのかい?悠二、別に間違ってないだろう?」
「いや……間違ってはないけど…言い方って言うか…と、とにかく……みんなが今おもってる様なことじゃないから」
悠二は途中まで言って、シャナ以外の四人の窺(うかが)う様な視線と質問に手を振って必死に否定する悠二だが、池たちは、羨望をこめて口々に言う。
「いや、いいぞ」
「うんうん、いいな」
「いいって、絶対!!」
そしてシャナは再び同じことを口にした。
「このメロンパンやっぱり……おいしくないッ!!」
昨日よりも早く訪れた放課後。
悠二は、ベルペオルの手を引いてシャナと供に脱兎の如き勢いで教室を出て行った。
なぜベルペオルの手を握っているかというと、昼休みにシャナとヒソヒソ話をしたために、単純に拗ねているだけだ、もちろん悠二にしか分からない程度にではあるが、なので拗ねたときにこうして手を重ねてやるとしだいに機嫌が良くなるのでよくそうしている。
その三人の姿を教室から見ていた、佐藤と田中が呆れ顔で見送る。
その二人を寄り道に誘おうと、池が席を立った所で吉田がキョロキョロとあたりを見回していたのが目に入った。
「吉田さん、平井さんなら坂井達と一緒に帰ったよ」
「えっ……ゆかりちゃんと……?」
微妙に食い違った主語に気付いた。池は宙を仰いでから、吉田に提案する。
「あのさ…吉田さん……」
その頃、学校から離れた悠二、ベルペオル、シャナの三人は御崎大橋へと来ていた。ちなみに悠二とベルペオルはまだお互いの手をつないだままだ。
シャナは、ひょい、と鉄橋の手すりに飛び乗って、周囲から向けられる好奇の視線、シャナに向いてるのかベルペオルと悠二に向いてるのかは分からないが、その中、シャナは片方に鞄を持った手を横一杯に広げて、軽業のように平然と歩く。
「おい、そんなとこ乗ったら危ないぞ、もし落ちたらずぶ濡れだ。」
シャナは、いまだに指まで絡めてつないでいる二人の手を横目でチラッと見て不機嫌そうに言った。
「うるさいうるさいうるさい、私が落ちるわけないでしょ!!」
「問題はそれだけじゃないでしょ、女の子なんだから……『スカート』……」
悠二がスカートと言った瞬間、ひらひらと上下に揺れていたスカートが風のいたずらで、ふわりと上にめくられそうになった所で、悠二の視界は暗闇に包まれた。ベルペオルの手をつないでいない空いている方の手によって両目を覆われのだ。数秒後ベルペオルの手はとりはらわれて視界に光りがもどるとベルペオルは口を開いた。
「おチビちゃん……悠二に、ばっちい、物を見せないでおくれ……悪い影響をあたえてしまいかねないからね」
昼休みのヒソヒソ話の件でまだ心に残るものがあるのか、敢えてシャナの体躯に合わせた幼児言葉を使い皮肉をこめて言った。
「ば、ば、ば、ばっちい、ってなによ!!ばっちいって……それに悪い影響ってどういうことよ」
「聞いたまんまの通りさ」
悠二は二人の会話に頭が痛くなって眉間を押さえたくなったが、いくつかのすれ違うトーチを見て真剣な表情になる。
「何か妙だな……」
悠二の言葉に争っていた二人の会話が止まる。その真剣に考え込む悠二の顔にベルペオルは絡めていた手を解き悠二の真剣な顔を覗き込んだ。
「どうしたんだい?悠二」
「ベル少し手伝ってシャナとアラストールも、すれ違うトーチを見ながら僕たちに付いてきてくれる?」
「いい?アラストール」
「うむ」
人通りの激しい御崎大橋、悠二、ベルペオル、シャナの三人をようやく見つけたのか息をきらしながら走る四人の学生服の少年少女が近寄らず離れすぎずの位置で止まり、固まって三人を観察しだす。
「おっ、歩き出した。」
先頭にいるのは、メガネをターゲットスコープのように煌かせている池、その後ろに吉田が不安気な表情の顔を覗かせている。
「で、でも、いいんですか、つけたりして………?」
その遠慮がちな声に、佐藤が笑ってこたえる。こっちはまったく隠れていない。
「気にすることないって、吉田ちゃん。別に邪魔してるわけじゃないんだしさ」
「は、はあ……」
「向こうは楽しい、俺達は無害、つまりオールオッケーってこと」
その佐藤と吉田の後ろにそびえるように立つ田中が好奇心をむき出しにして叫ぶ。
「そうとも!ここは後学のために、なんとしても心温まる交流の一部始終を見届けねばならん!行きましょう、吉田さん」
「は、はい」
握りこぶしと一緒の力説に、吉田は勢いで頷かされる。他の二人も田中をみながら、うんうん、と首を縦に振った。
田中の力説に三人とも目を向けていたのはいいが、肝心の悠二達を見失ってしまった。
佐藤がそれにいち早く気付き声を出す。
「あれ、坂井たちを見失っちまったぞ、まだ遠くに行ってないはずだ探すぞ」
そういって四人は再び走り出した。
そんな世界を見下している一人の純白のスーツに身を包んだ男が口を開く。
「まさか、フレイムヘイズが二人もこの町に現れるとはね……しかもかなりのレアな宝具を持っている……そうなることで私は戦わねばいけなくなった……因果の糸の、なんという複雑さだろう」
「ご主人さまお気を付けください、仮にも、"天壌の劫火"と"逆理の裁者"のフレイムヘイズです。ご用心を」
純白のスーツの男は自分の腕に抱いた人形を撫でながら答えた。
「なに、心配することはないさマリアンヌ、私はフレイムヘイズ相手になら絶対に負けない……そうだろう。」
「はい、しかし"因果の繰り手"にはあれは効きません……完全に内なる王そのものを顕現できるだけの器を持っている様です」
「大丈夫さ、彼は先の戦いで存在の力の大半を、王の顕現に使ってしまった様だからね……それに連中はこっちから手を出しさえしなければ、何も出来ないはずだから、まだ時間はたっぷりあるだろう。計画の邪魔をされないよう、狩の準備をしよう。」
す、と手を差し伸ばす。マリアンヌもフリアグネの抱いてる方の手を抜け、ふわり、と浮いてその手をとる。
そして二人は、舞踏の様な仕草を見せながら、さらに語らう。
「マリアンヌ、君を"燐子"などと言う道具では無い、この世で生きてゆける、一つの存在にしてみせる」
「既に、十分な“意思”は頂きました……まだ、足りないのですか?」
「あぁ、足りない。今の君……“燐子”と言う存在は、とても不安定だ。存在の力を集める事は出来ても、自分に足すことは出来ず、"徒"に力の供給をされなければ三日と持たずに消えてしまう……あまりに、儚すぎる存在だ」
「私は、それがご主人様との、分かち難い絆であると信じています」
「嬉しいよ、マリアンヌ。だけど、私は君のために出来る事、……全てを行う……それこそが、今、私がこの世に存在している、全ての理由なんだ」
再び二人は抱き合う。正面から恋人同士が抱擁するように。
「ようやく、君のために必要なだけの力を得られる目途がついたんだ。今更邪魔など、させはしない……これまでのフレイムヘイズと同じように狩ってしまおう。」
「はい、その通りです。ご主人様」
そしてフリアグネはマリアンヌを片手で抱きかかえると開いている手を大きく振って、マリアンヌと供に白い火の粉となって散った。
夕暮れに少し間を残す白けた昼。
悠二は先ほどと同じ言葉を漏らした。
「やっぱり、何か妙だな……」
ベルペオルもそれに気付いたのか、しばらく考えるように綺麗な顎のラインの先端を右手の人差し指と親指の先に乗せ、同意の言葉を漏らした。
「ふむ、たしかに妙だね」
「妙って何がよ?」
シャナがトーチを見て妙だと言う悠二とベルペオルの二人に聞き返した。
「"天壌の劫火" お前は気付いたかい?」
「いや、我はこの町に来るときにシャナと話したトーチの数が多いこと意外には特に変わった所はないと思ったが」
「なんだ、そんなこと、それなら私も最初から気付いてるわよ」
シャナは笑い飛ばした様に今まで気付いてなかったの?的な視線で言うが、悠二とベルペオルは真剣な顔で考えたまま微動だにしない。
「まだ気付かないかい?"天壌の劫火" 、"炎髪灼眼の討ち手"ならヒントを上げようかね、このトーチの量は昨日や今日で出来た数じゃない、それはトーチ個体の存在の力の量を見れば分かるだろう?それに最初に出会ったときにフレイムヘイズ同士がお互いを感知できると言ったように、"徒"にだってそれは同じさ。元、存在の力の乱獲者側にいた私が言うんだ、これは間違いない事実だよ。ここまではいいね?」
シャナはいつもの挑発的な口調でのおチビちゃんではなく討ち手としての名前を言われて表情がフレイムヘイズとしてのそれに変わる。
「つまり、仮にだよ自分が"徒"ならこれから、強力なフレイムヘイズが立ち寄る可能性が高いだろう街に留まろうと思うかい?悠二と私はこの街に身を潜めて『タルタロス』の効力の下、力を隠しているから気付かないのは当然だろうが、"天壌の劫火" のフレイムヘイズ"炎髪灼眼の討ち手"は力の隠蔽はしてないんだろう?今となっては悠二と私の『零時迷子』に『タルタロス』そしてお前の『贄殿遮那』が目的なのもあるのだろうがね、しかしお前達がこの町に来ていない間は別さ、もうここまで言ったら答えは分かるだろう?」
「つまり、この街からフレイムヘイズを感知しても動かなかった……違う……動けなかった理由があるってこと?」
「ふむ」
ベルペオルは瞳を閉じて軽く頷く。
「でも、何故トーチの増加をここまで放置していたのよ?仮にもフレイムヘイズなんでしょ?」
「放置していたわけじゃないさ。それに、悠二も私も≪"仮面舞踏会"(バル・マスケ)≫から追われる身だからね。"王"との戦闘となると確実にしとめられる保障がない限り無闇に動くと情報が露呈して、更なる"徒"を招きかねないからさ。そうなってしまっては本末転倒だろう?」
「うむ」
アラストールは低い声で返事する。
「話が反れてしまったけど、そういうことさ。他にも、もう一つだけトーチに関する謎があるのだが、これは私と悠二にしか見えていないようだからね。おそらくこの謎が街から離れなかった理由だろうね」
シャナとアラストールは悠二とベルペオルだけにしか見えていないもう一つの謎についてたずねた。
「もう一つの謎………?」
「ベルペオル、それはなんだ」
ここで今まで黙っていた悠二が口を開く。
「全てのトーチの灯火が人ごとに不気味に、まるで心電図の様に鼓動してるんだ。」
「………鼓動?なんのこと」
シャナが怪訝な顔をして振り向いた。
「ほら、灯りが揺れたり膨れたりしてるだろ。あの古そうな奴は遅く、新しそうな奴は速く……って見えないんだったね」
「うん、見えない。アラストール、あなたは?」
「我にも見えん」
「でも、ベルには見えてるんだろ?」
「ふむ、私にははっきりと見えているよ、おそらく『零時迷子』の力だろうね」
アラストールが不意に言う。
「全て、と言ったな坂井悠二」
この、"紅世の王"にはきっちりしっかり答えさせられる貫禄がある。
悠二は求められた問いに、自分の持つ力の責任を持って答えた。
「うん、全部、鼓動してる」
「トーチの多さと関係あるのかな?」
シャナの質問にいつもならすぐ帰ってくるはずの答えが返ってこない。
「……アラストール?」
やはり答えない。
変わりにベルペオルが答えを教えた。
「かなり昔、ここから遥か西の果てに、自分の喰らったトーチにとある面白い仕掛けをして、とんでもない世界の歪みを生み出した"王"がいたのさ。中世最大級の"徒"の集団≪"とむらいの鐘"(トーテン・グロッケ)≫の首領。真名を"棺の織手(ひつぎのおりて)"アシズといったかね。そのアシズがフレイムヘイズを大々的に生み出す契機となった大事件を起こしたのさ」
シャナが、訊く。
「………どんな事件?」
すると今まで黙っていたアラストールとベルペオルの声が重った。
「「……『都喰らい』……」」
その、たった一言の持つ、凄まじいまでの不吉な響きに、悠二はもしそれに母が巻き込まれた事を思い血の気が引いていくのを覚えた。
なおも『都喰らい』の説明は続く。ベルペオルの後をアラストールが引き継いで。
「その"棺の織手"は己の喰らったトーチに"鍵の糸"と言う仕掛けを編み込んでいた。彼奴の指示し一つで、代替物の形態を失って分解し、元の存在の力にもどるという仕掛けだ。」
「それが、なんになったの?」
シャナは当然の疑問を口にしたがその答えはアラストールからではなく意外にも悠二から出た。
「つまりは、トーチって言うのは人ひとりの存在の消失をゆっくりと存在を無くしていくことで破綻させないようにしていたクッション材みたいなもんだろ。それが今回みたいに大量のトーチを配置して一気にその存在を分解消失させると、偽装されて繋がりを保っていたトーチが一気になくなるわけだよね。そうなったら世界が矛盾だらけで無茶苦茶になるって事だろ。後は、その巨大な揺らぎは、トーチの分解に触発されて、雪崩こむように都一つ、丸ごと膨大かつ高純度な存在の力の出来上がりってわけだろ?僕の推測だけどベル当たってる?」
「ふむ、完璧だよ、悠二」
「………それでその大昔のとんでもない秘法が今、この街ですすめられている可能性が高いわけか……」
再びアラストールが言う。
「うむ、一つの場所におけるトーチの異常な多さと、その中の不可思議な仕掛け……状況があの時と酷似している。フリアグネが、あの"棺の織手"の秘法を、そう簡単に使えるとは思えぬが……可能性がわずかでもあるならば、フレイムヘイズとしてはなんとしても潰さねばならん」
可能性といいつつも、ここにいる二人の"紅世の王"はほとんど確信しているようであった。
悠二は話を聞いて疑問に思ったことを聞いてみた。
「ベル、その『都喰らい』を行うための街に対するトーチの割合はどれぐらいなんだ?」
「おそらく、一割といったところだろうね……それに、見た限りじゃトーチの数もまだ一割には程遠いようだよ。まぁ私と悠二で目に付いた"燐子"はあの小さい人形意外は全て始末したからね……不幸中の幸いといったところさ。」
ベルペオルはしばらく考えてから答えた。
「そっか……それじゃあ念には念を入れて一応アレでも使っておくか」
「アレとはなんだ?」
アラストールが聞いてくる。シャナも不思議そうな顔で悠二とベルペオルを見ていた。
ベルペオルはシャナとアラストールに説明した。
「私と悠二だけの自在法『パラドクス』を使うのさ、これは正しそうに見える仮定と正しそうに見える推論から、正しくない結論つまり、矛盾を生み出すのさ、だから私達の今話した仮定と推論を元に『都喰らい』トーチの分解で生じる存在の歪みという正しい結論を、間違った方向に導く矛盾の自在式を鼓動するトーチ自身と、この街全体に打ち込んでいくのさ。もっとも万能そうに見えて相手の事を完全に見抜かないといけないからね。しかし分かってしまえば、後はもうそいつらは何も出来ないのさ。」
悠二とベルペオルは空に向かって両手を伸ばし『パラドクス』の自在式を構築し同時にそれをタルタロスの一節で隠蔽(いんぺい)しながらその効力の範囲を拡大させてついには御崎市全土を覆う大きさにまで成長させた。
「さてと、これで多分大丈夫だとは思うけど、あとは向こうのアクションを待つしかないのかな?」
「そうさね、現段階じゃこんなもんかね、それに『都喰らい』を発動させる前に狩人なら目の前にぶら下がってる餌に喰いつくだろうさ」
こうして自在式の構築を終えた悠二とベルペオルは両腕を下ろすとシャナとアラストール二人で一人のフレイムヘイズに言った。
「そろそろ日が沈むし、母さんも待ってるから僕たちはこれで帰るね」
言うだけ言って返事も聞かずに悠二とベルペオルは歩き出す。
家の前まで来て、日が沈むのをベルペオルと一緒にゆっくりと待つ。
そのとき先ほど分かれたはずのシャナの声が聞こえた。
「なにしてんの?」
ベルペオルは不機嫌そうにシャナに目を合わすまいと顔を別の方向へ向けた。
悠二は、じとっ、とした視線をシャナに向ける。なるほど、確かに彼女はこういうことは考えなさそうである。
「母さんが一緒にいるようなときに、昨日みたいな騒動があったらまずいだろ。せめて日が沈むまでは、いつもここでこうしてベルと二人で隠れているんだよ。」
「ふうん、家族思いなのね」
「普通はそうだろ」
シャナはここに来る途中で買ったのであろう。スーパーの袋からキャンデーの袋を取り出す。その行為にため息を吐きたくなったがそれを今は我慢してシャナ向かって言う。
「とりあえず、帰ってくれよ」
「嫌。監視するっていったでしょ」
「帰れよ、『都喰らい』を阻止するのだってベルと二人で手伝ったろ」
「嫌。そんなのフレイムヘイズなんだから、あたりまえよ」
「いいから、帰ってくれ」
「嫌。お断り」
ぴくぴくと頬を引きつらせて、悠二はそれでも言う。
「帰ってくれ」
「嫌。」
「帰れ」
「嫌。」
「か」
「嫌」
「アホ」
悠二が戦法を変える。
今度はシャナが頬を引きつらせる。
「………なんですって?よく聞こえなかったわ」
「どアホ」
「ど、を付けたわね……?」
「聞こえてたんじゃないか、帰れよ」
「絶・対・嫌ッ!」
「絶対、を付けたな!?」
「付けたがどうしたのよ!」
「ど・ア・ホの証明をしたって事だよ!!」
「あ、また言った!?」
「言ったがどうした!」
その二人の頭上からベルペオルの声が降ってきた。
「悠二、すまないどうやら私達は見つかってしまったようだよ」
「あら、悠ちゃん、そんな所で、なにしてるの?」
二人して上を向くと、おっとり顔の女性……悠二の母親である坂井千草が、窓から顔を覗かせて、こっちを不思議そうに見下ろしている。
「……見つかっちゃったわね、ゆーちゃん?」
ぷぷっ、とシャナが口元を押さえて笑う。
「……」
僅かに目元を引きつらせて悠二は、シャナにではなく、もう一人、冷静な"紅世の王"に訊く。
「………アラストール?」
「なんだ、ゆーちゃん?」
「………」
「悠二、もう夕方は過ぎたようだよ……」
いつしが頭上は闇の黒に変わっていた。
「………なんでこうなってんのよ」
「僕は知らん。」
「私も知らん。」
「我も知らん。」
上からシャナ、悠二、ベルペオル、アラストールである。
シャナは坂井家の食卓についていた。
「お前の母親。なんで、息子と、庭の茂みで怒鳴りあっていた、その相手を、夕食に、招待するわけ?」
一言一言を強調しながらの抗議は、目の前に出された夕飯の美味しそうな匂いに妨害されて、いまいち迫力がなかった。
「まぁ、あきらめるしかないさ……何せ千草は最強だからね……怒ったときの千草は手が付けられない私でも敵に回したくないと思うよ………」
優雅にコーヒーを啜っていた、ベルペオルの指が僅かに震えるのをみて。シャナとアラストールは悠二の母、千草に対する認識を改めることにした。
何せ"逆理の裁者"ベルペオルほどの"王"がほんの僅かに一瞬だが震えていた。
シャナとアラストールは一瞬だけ千草を見たあと、ゴクリ、とつばを飲んだ。もちろんアラストールは肉体がないのだが心境てきには一緒であろう。
そのとき、千草が悠二を呼んだ。
「ちょっと悠ちゃん、これ運んでくれない?」
「あー、はいはい今行くよ」
いわれて悠二は立ち上がり、奥に入るやその叫びは上がった。
「ちょっと……母さん、この上オムライスは作りすぎだろ!」
「いいじゃない、ヒミツの隠し味が入ってて美味しいわよ。それに、悠ちゃんも困るでしょ?」
千草はシャナを一瞥していった。
「は?なんに困るんだよ!」
「またまたー、あっ、でも悠ちゃんにはベルペオルさんがいるものね、ふふ、私も貫太郎さんとのことを思い出すわね」
「もうその話はいいって!」
やがて千草が、大皿を持つ悠二を従えて入ってきた。
皿の上には、やけにドでかいオムライスが一つ載っている。坂井家のローカルルールでは、オムライスは全員で……といっても普段はベルペオルと悠二と千草の三人だが、切り分けて食べるものなのだった。
今日は四人分なのでいつもよりさらに、ドでかい。
「さあ、召し上がれ、遠慮しないで、たくさん食べていってね、デザートも用意してあるから」
そんな千草の笑顔につられてシャナも自然と、顔を緩めていた。悠二は始めて彼女の自然な笑みをみた。
夕食の後シャナは坂井家を後にして千草に別れの挨拶を済ますと、近くのコンビニへ行き今は坂井家の屋根の上に座っている。
「ねぇ、アラストール、貴方の真名に悪いと思うけど・・・・・・・そういえば、私は別に、激情に燃えたりしているわけでもなかったのよね」
「分かっている。お前の契約文言は、色んな意味で傑作だったからな」
「ふふ、ありがと」
「おまえは、他のフレイムヘイズが、自身を燃え滾らせるものを得る、その時間や仮定を全て抜かして契約し、幼くして『討ち手』となった……ただ"徒"を討滅するための存在だからな」
「普通に炎が出せないのは、そのせいかな……もし、"天目一個"から『贄殿遮那』を奪ってなかったら、ずっと撲って蹴って、それだけでしか戦えなかったんだろうし」
その声は僅かに沈んでいた。
「フリアグネに言われた事を気にしていたのか、ならば嫌かもしれんが坂井悠二、あれに習うと良い。正直に言うがアレはお前より遥かに強い、今のお前では手も足も出んだろう。それに奴は常にベルペオル本体を顕現していられる。おそらく今、現存するフレイムヘイズでも最強といわれる部類だろう。それと『零時迷子』の力と相まってもはや、坂井悠二とベルペオルの二人を止めれる者は、そうそうおらんだろうな。幸いにかベルペオルも坂井悠二の身の内にいるうちは世界に実害のあることをしていないようだしな。だから、できるだけ今のうちに強くなれ。」
「うん」
アラストールの本音にシャナも本音で返事をする。
「それとだ、人との関わりもそんなに悪くはなかろう?」
不意に聞かれたその質問に、悠二の顔が頭に浮かんだ。周りを包むクラスの連中の様子が、千草の微笑が浮かんだ。
答えを、いつものように明確に返せない。
「………そうかな」
「今はまだ分からずともよい、時が自然とその答えを出してくれるだろう。」
シャナの意識はここで眠りへと沈んでいった。
少女の小さな手に絡められた"コキュートス"の中からアラストールだけが静かに月を眺めている。
《あとがき》
ふぅ〜〜三話完成(;TДT) チカレタァ〜〜〜〜〜チカレタヨゥ〜〜〜〜
三話の出来はどうだったでしょうか?感想掲示板やWeb拍手でのコメント等たのしみにしています(/ω\)
では次回の四話あとがきでまたお会いできる嬉しいです。
それでは ( ゜ω゜)/~ See you