放課後、あかりがISとはまた別に剣の鍛錬を終え、寮の部屋に帰ろうとしていた時だった。

「ばかぁっ!!」
「ん?」

自室の中から聞こえる少女の声、それに続いて乱暴に開け放たれたドアから一人の少女が飛び出してくる。
あかりは突然のことに反応が遅れ、そもそも少女のほうは前を見ておらず、顔は下を向いていた。
その結果、二人は正面衝突する事となる。

「うわ!?」
「きゃっ!?」

もっとも、あかりは回避は諦め身構えていたということもあるが、ぶつかってきた少女の質量が明らかに小さかったため多少揺らいだ程度で済んだ。
しかし、少女のほうは衝撃が強かったせいか、地面にへたり込んでしまっている。
とりあえずあかりは少女に声をかけ、手を差し伸べる。
しかし少女は、一瞬その手を見たと思った所で自力で立ち上がり、あかりの差し伸べてきた手を無視して走り去ってしまった。

「……なんなんだ?」

何はともあれあかりは自身の部屋に入る。
すると、部屋の中には呆然と部屋の入り口を見ている一夏が居た。

「一夏?」
「…………」

あかりの問いかけにも、ぶつぶつと何事かを呟くだけで答える気配が無い。
一夏の呆然とした表情は、尋常ではないことがここで起こったことを如実にあらわしていた。

「一夏、一夏!」
「っ!? あ、あかり兄……?」
「何があったんだい?」

あかりは、一夏の目をまっすぐに見ながら、一夏にそう問いかけた。


※ ※ ※


その日の授業が終わり、放課後のISの訓練が終わったしばらくの後、その少女は一夏とあかりの部屋にやってきた。

「いーちか!」
「あ? 鈴? 何でここに居るんだ?」
「いや、ちょっとね〜。ところで、アンタのルームメイトは?」

一夏への挨拶もそこそこに、鈴音は部屋の中をきょろきょろと無遠慮に眺める。
どうやら鈴音はあかりに用があるらしい。
しかし、あいにくとあかりはアリーナでの訓練が終わった後、そのまま竹刀袋を担いでどこかへ行ってしまっており、この部屋にはおらず、一夏にいつごろ帰ってくると言う伝言さえもしていなかったのだ。
故に、一夏はこの場にあかりは居ないという旨を説明するしかなかった。

「あかり兄か? なんか鈴が乱入して分かれた後、すぐどっか行っちゃったんだよなぁ。いつ帰ってくるかもわかんないし」
「へ? あんたのルームメイトってあの人なの?」

一夏の言葉に、鈴は目の前の少年があこがれていると公言してはばからない男性の姿を思い浮かべた。
彼女はてっきりあのファースト幼馴染と同室なのではと当たりをつけていたのだが、よくよく考えれば同性で、しかもどちらも知り合いだというのならその二人を一緒の部屋にするのは極々当たり前のことだろう。

ついでに、彼女は今日の放課後、アリーナでの訓練終了後の一夏に飲み物を渡すために突撃した際にちらりと見えたあかりの肉体を思い出す。

(制服の上からだと身長はともかく体は一夏より細いってイメージだけど、実際のところ無駄なく引き締まってたってだけだったのよね。ああいう肉のつき方ってうらやましいわ。私ももうチョイ筋肉つけば地力上がると思うんだけど……女の私があんまり筋肉で太くなってもねぇ?)

ISを扱うには肉体も大事だ。
しかし、考えなしに鍛えて体をごつく、太くしたくないというのが乙女心である。
気になる相手、好きな相手がいるならなおさらの事だ。
その観点で見ればあかりの筋肉のつき方は理想的といえるだろう。
もっとも、彼は乙女でもなんでもない、普通に男性なのだが。

と、そこまで考えて思考が脱線しているということに気がついた鈴音は頭を振り、余計な思考を脳内から追い出す。
そして、わざわざ突撃してきた本来の目的を達成するために口を開いた。

「まぁどうでもいいか……ねぇ一夏、今日から私この部屋で暮らしていい?」
「はぁ?」

いきなりの発言に、さすがの一夏もあきれ果てる。
そんな簡単に部屋変えが許されるわけが無い。
仮に許されてたとしたら、既に彼はどこぞの女子と相部屋になってしまっている。

「あのなぁ、寮の部屋ってそう簡単に変えれるわけ無いだろ? 第一、俺じゃなくてあかり兄ほうに聞けよな、そういうのは」
「う、そりゃそうだけど、その当人が居ないじゃないのよ……それにこれぐらいしなきゃ出遅れるじゃない、あのファーストさんに」
「? 後ろの方が聞こえないんだが」
「っ! 聞くな!!」

何やら深刻な表情でぶつくさと呟き始めたので心配になって声をかけたのだが、どうやら怒りの琴線に触れてしまったらしい。
そのことに理不尽さを覚えながらも、一夏はこれ以上鈴音を刺激しないように口を閉ざす。
そんな様子を見た鈴音は、あーだのうーだのうめいた後口を開いた。

「そ、そもそも、そんなに嫌がるなんて、私と一緒がそんなにいや?」
「いや、今の会話の流れでどうしてそういう結論に至った? 論理の飛躍とか目じゃないってそれ」

ここで言っておくが、一夏は鈴音と一緒の部屋が嫌だとは一言も言っていない。
かといって一緒の部屋がいいとも言っていないのだが、この際はおいておいて、ともかく彼は規則などにのっとってやんわりと彼女を止めようとしているだけなのだが、とめられている本人はどうにも返答に納得がいかないらしい。

ここであかりが居たのなら、鈴音の心情を察してそれとなくフォローを入れるのだろう。
しかし、あいにくとここに居るのは一夏と鈴音のみ。
そしてあかりが帰ってくる気配、まるで無し。
自称空気が読める男、織斑一夏はこの状況をあかりのようにスマートに解決できる方法を持ち合わせていなかった。
しばらくの間、二人の間に言葉は無かった。
そして、その静かな状況を打破したのは鈴音の方だった。

「……ところで一夏、あの……」
「ん?」

鈴音の歯切れの悪い言葉に、一夏は首をひねる。
彼の知っている鈴音はこのようにもごもごと話すような少女ではなかったからだ。
いや、正確に言うと、知り合った当初はかなりもごもごしていたが、何回か遊んだり何なりをしているうちに打ち解けてきて、あけすけに物をいえる仲になっていったのだ。

しかし、今の彼女はまるで出会った当初のようだと一夏は思う。
こんな状態の彼女は最初以外見たことが……
ふと、一夏の脳裏にある光景が浮かび上がってきた。

(いや、こんな鈴を俺は『見たことがある』ぞ)

それは果たしていつだったか?
表情に出さないように一夏は己の脳内を漁りだす。
しかし、それを待たずして鈴音は言葉を続けていた。

「私とあんたの約束、覚えてる? ほら、私が転校して行っちゃう直前にさ」
「……ああ! そういやそんなこともあったっけなぁ」

鈴音の言葉で一夏は先ほど思い出そうとしていた光景を思い出す。
そうだ、あのときの鈴音も今のようにやけにもごもごしていた。
そしてそのとき、自分は彼女と何かを約束していたような気がする。
ただ、その約束の内容が思い出せない。
約束したという事実は思い出したし、これが偽りの記憶やら妄想ではないことは鈴音の反応からも明らかだ。
内容だけが、何故か彼の頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまっていた。

「ほんと!? ほんとに覚えてる!?」
「いや、でも待ってくれ。約束したってのは覚えてるんだが、何を約束したかが、な? その……」

一夏の言葉を聞き、最初は怒髪天を突くかと思われたが、鈴音はその怒りをなんとか納めた。

「ふぅ……ま、あんたらしいわね。でも約束したって事を覚えてたのは評価してあげる。さ、次は内容よ」
「う、うぅむ……」

さすがの一夏でも今鈴音の機嫌を損ねればどうなるかは目に見えている。
脳内の奥底にしまわれている記憶を掘り返し、掘り進み……そして、自分なりにこれだ! と思える答えにたどり着く。

「えっと、確か……私の料理がもっと上手になったら……」
「うんうん」

ここまではどうやら彼女が望んだ答えらしく、鈴音はうんうんと嬉しそうにうなずいている。
そして、一夏が残りの後半を言った瞬間……

「……酢豚を奢ってくれる、だったか?」
「……え?」

鈴音の表情が崩れた。
彼女の様子の変化に気がつかない一夏は、ようやく思い出せたという達成感からか、妙に表情がすっきりといたものとなっている。

「いや、お前の酢豚旨いからな、結構嬉しかったりするんだ」

言った本人はそんなつもりじゃないのだろうが、その言葉が彼女の心に追い討ちをかけた。

「……か」
「ん? どうした、鈴……」
「ばかぁっ!!」

鈴音の右手のひらが、一夏の左頬を打ち据える。
痛みに顔を顰めさせながら、一夏が何かを言おうと鈴音に顔を向けた。
その時、彼の視界に映ったのは、怒りよりもむしろ悲しみを前面に出している鈴音の顔を、彼女の頬を流れる涙だった。


※ ※ ※


「俺、鈴が泣いてるのなんて見たこと無くて、だからどうすればいいのか分かんなくなって……」
「……っ! すぐに彼女を追いかけろ!!」

あかりの怒号に、一夏は体をすくませる。
しかし、あかりはそんな一夏の様子を無視し、言葉を続ける。

「君が傷つけたんだろう!? 何故ここで呆然と立っている!? さっさと追いかけろ!!」
「お、おう……」

あかりの勢いにおされたのか、一夏はとぼとぼと部屋の外へと向かっていく。

「もっと早く!!」

その様子を見かねたあかりの怒号が再び一夏を打ち据える。
一夏は部屋の外へと駆け出していった。

そこまで見送って、あかりは深いため息をつく。
さすがのあかりも、今回ばかりは一夏を擁護する気にはなれなかった。
一夏の話を聞くに、おそらくその『約束』の部分がこのような事態の原因だろう。

「そういえば、さっきぶつかったときも泣いてたな……」

先ほどぶつかった鈴音の様子を思い出す。
涙が流れていた訳ではないが、明らかに目は涙をためていた。
しかしこればかりは当人達の問題だ。
部外者であるあかりが出てきたところで話がこじれるだけでしかない。
今のあかりに出来ることは、ただこの件が解決することを願うのみ。

「歯がゆいけど仕方ない……か」

結局、一夏が帰ってきたのはそれからだいぶたった後。
しかし、それほどまでに時間をかけて駆け回っても、一夏は鈴音を見つけることが出来なかったらしい。


※ ※ ※


翌日になっても、一夏はどこか呆然とした様子を隠そうとしなかった。
そのことを箒が心配し声をかけたのだが、帰ってくるのはどこか気が抜けた返事のみ。
はっきり言って重症である。
それほどまでに、鈴音の涙は一夏にとって衝撃的だったのだろう。
普段涙を見せない人物がふと涙を見せた際、そのことに動揺することは誰にでもあるものだ。
もっとも、それを意図的に行い自らの武器とするような女性も世の中には存在するが……少なくとも鈴音はそうではないだろう。
このように考えていたら失礼なのだが、鈴音と言う少女はそういう打算や駆け引きと言った物が苦手なタイプだとあかりは思っている。
いつでも何処でも真っ向勝負。
世渡り方法としては少々適さないが、あかりの個人的には好感が持てる生き方であった。


ちなみに千冬がそのような呆けた状態の一夏を見過ごすはずが無く、一夏は今日だけで既に10回近くも出席簿の餌食となっている。
最早心ここにあらずといった一夏にはそれでも効果は薄かったようだが。
クラスメイトの心は一つになる。

「織斑先生の出席簿に動じないなんて、重症すぎる」と。



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