「これが人の皮を被ったケダモノ」

ネルフ司令、碇ゲンドウを指差して説明するリンにアスカとレイは口を挟む気はなかった。

(まあ事実といえば、事実なんだし)
(人の皮を被ったケダモノ……問題ないわ)

おおよそ人間らしい振る舞いをしないゲンドウに対する評価としては妥当な線と判断している。
妻に会いたいという理由で世界を壊そうとしているのだ。人として何かが壊れているというのは否定する気はなかったし、どちらかというと肯定する気持ちのほ うしかなかった。

「フィフスチルドレン渚カヲル、ただいま着任しました」
「……期待している」

それだけ言うと後は何も口にせず黙り込んでいる。

「……行こうか?」
「そうね。マヤにアンタの部屋の場所を決めてもらうしかないわね」
「一番確実な線……ここは空気が悪いから早く出ましょう」
「い、良いのかい……勝手に決めて?」

多少常識というものを知っていたらしいカヲルが三人に尋ねる。

「あれに期待しちゃダメよ。なんせダメ人間……で良いかな。とにかくダメな存在の見本だから」
「否定できないと言うか……事実みたいだし、有能な人材は次々と逃げられているみたいだから人望もなさそう」
「終わった人間にアレコレ言ってもしょうがないって、リツコさんは話していたわ」
「本人の前でよくそこまで言えるんだね?」
「お父さんを道具扱いしようとした者に情けを掛ける気はないのよ」
「……なるほど」

多少司令であるゲンドウのフォローしようかと思っていたカヲルは、リンの一言を聞いて考えを改めたみたいだった。

「さっ! 行くわよ!」
「あ、ああ」

アスカに腕を掴まれて、引っ張って行かれそうになるカヲル。
それを皮切りに四人が部屋から出て行こうとした時、

「……サードダッシュ」
「なによ?」

ゲンドウの呼び止める声に不満タラタラといった表情で返事を返していた。

「…………」
「呼び止めて、だんまりするのは失礼よ。急がないと総務部とかに部屋の申請が出来なくなるわ。
 そうなると渚カヲルは野宿になるじゃない」
「それは勘弁して欲しいな。帰る家がないというのは寂しい気がするね」
「私んちに泊めても良いけど……保護者が居ない家に男女が泊まりこむのは色々問題あるし」
「ジェリコの壁を作るのは面倒なのよね」
「リンに手を出そうとするなら……」

そういうふざけた事をしないだろうと思っているアスカだが、やはり年頃の少女らしい考えからちょっと困った顔でいる。基本的にアスカはお人好しというか、 面倒見が良いので困っている以上一日くらいは仕方ないかとも思っていた。
一方のレイはというと、リンの貞操の危機と判断して……カヲルの殲滅を考えた様子だった。

「彼女には興味があるけど……いきなり無礼を働く気はないよ」

レイの様子に、カヲルはいつのもアルカイックスマイルを見せているが……微妙に頬が引き攣っている。

(……なんなんだ? 凄まじいプレッシャーを感じるんだけど……)

力だけなら差はない筈なのに……気圧される気迫のようなものがレイから出ている。
その圧力にカヲルは腰が引き気味だった。


RETURN to ANGEL
EPISODE:39 ツケを支払う時
著 EFF


人を呼び止めておいて、話を切り出さない人間というものは最低だとリンは思う。

「だから何よ? 時は金なりって言う諺もあるんだから、用件を言わないのなら嫌がらせと判断して出て行くわよ」
「…………」
「話にならないわね……行くわよ」

嫌がらせと判断したリンは踵を返して部屋の出口へと歩き出す。

「……待て」
「待たない……用件を言い出さなかった時点で会話をする気はないの」
「待てと言っている」

ゲンドウの制止する声に耳を傾けずにリンは部屋の出口へと向かっている。

「待てと言っている!!」
「用件は?」
「…………他の三名は席を外せ」
「……最初からそう言えば良いのよ。
 悪いけど、アスカに頼んで良い?」
「いいわよ」

ようやく用件を切り出すための準備を始めたゲンドウに冷ややか視線が集まる。

「しかし……礼儀というものが欠けているとしか思えないね」
「対人恐怖症の臆病者だからね」

カヲルの発言にリンが即座に返事をする。

「痛がりという事かい?」
「そんなとこね。もっとも怖いからという理由で他人を平気で排除する暴挙を行う愚か者でもあるけど」
「それは好意に値しないね……嫌いってことだよ」
「先に行ってくれる……私だけに聞きたい事があるみたいだから」
「しょうがないわね。先に行くわよ。
 部屋の事はマヤと相談して進める。多分、本部内だと思うし、間に合わなかったら……技術部のマヤの部屋ね」

リツコが用意した技術部の宿泊施設の一部屋は完全にマヤ専用になっていた。
一応、総務部には事前に話は通していたので用意していると思うけど……非常時にはそこを使ってもらうしかない。

「マヤさんには適当な所で切り上げさせて、家に来る様に言っておいて。
 夕飯用意して今夜は楽にしてもらって……そろそろマヤさんはやばいと思うから」
「了解したわ」
「渚カヲルのシンクロテストは明日、もしくは明後日から始めるとマヤさん達に通達しておいてね」
「オッケー」

リンはレイ、アスカに言付けを頼んでおく。
マヤも指示を出せると思うけど、如何せん……抱えている仕事量が多過ぎた。
普段のマヤなら、まあ大丈夫だと思うけど、リツコの退職の一件が未だに響いている。
幸いにもリツコが自分がいなくなった時に、マヤをサポートできる人員を用意していたので……スタッフはギリギリ踏み止まっていると判断している状態だっ た。
レイ、アスカはカヲルを連れて部屋を出て行く。


残ったリンは心底嫌そうな顔でゲンドウと対峙している。

「で、なに? 技術部の方はどこぞの痛がりが碌な指示を出さないから、越権行為だけど……仕切っているわよ」
「……問題ない」

嫌味混じりのリンの報告にゲンドウはいつもの言葉を返すが、

「バカ言ってんじゃないわよ。どこの世界に子供が仕切られるような組織があるの。
 ハッキリ言って、リツコお姉ちゃんに逃げられたのが原因なんだから、さっさと委員会に報告して後任を選出しなさいよね」

子供が大の大人に指示を出すのが如何におかしな事なのか……分かっている筈なのに、丸投げしている。
指示を満足に出さない。即ち職務放棄を行っている時点で目の前の男は組織の長としては失格の烙印を押されても文句は言えないのだ。

「今更言っても詮無き事だからこれ以上は言わないけど、それより……何故アダムを取り込んだの?」

冬月がいなくなった後の代理を選んでない以上、ゲンドウの仕事量は増えているだろうが、それが理由にならない事も確かだ。
人との交渉を冬月副司令にまかせっきりにしたのはゲンドウ自身なのだ。

「アダムを取り込んでも、リリスは従わないわよ」

ゲンドウの右手を睨みながら、リンは告げる。
実際にはゲンドウが取り込んだアダムはダミーで形ばかりの存在に過ぎない。おそらくどんなに分析してもオリジナルと同じような構造を示すが、クローンを作 る事も出来ない不良品という結果になる。

「自分を人柱にして、碇ユイに会うつもりなら……無駄な足掻きになるわよ。
 お母さんはあなたの願いを聞く気はないし、碇ユイの存在そのものを嫌っているというか……憎悪しているもの」

リリス=お母さんとゲンドウは取ると思うが、リンの母親であるエリィが碇ユイを憎んでいるのは事実だ。
裏死海文書の解読を不完全なままにして、使徒の復活を阻止せずに……逆手に取った状況を演出した。
どれ程の被害が出るのかは事前に知っていたのに、老人達に危険性を訴えなかったのは不自然すぎた。
はっきり言って、ゲンドウが接触した以上は碇ユイはゼーレの中でもそれなりの発言権を持っていたはずなのだ。
そして人類補完計画の雛形の危険性を理解しながら、その資料を完全に廃棄せずにエヴァの起動実験に及んだ事も許せない。
人の生きた証だと本人は言っていたが……失敗した時の事を楽観的に考え過ぎなのだ。
成功すれば何も問題ないわけではない。自身がパイロットとして戦場に立つという結果になる筈なのに考慮していない。
おそらく自身が動かす事で起動データーを取って、量産するつもりだったのだと思うが……適格者の基準を定めたわけではなさそうだし、生存競争というものを 気楽に考えていた可能性も否定出来ない。

『生きていれば、そこが天国になる。
 はっ! なにそれ? 人の醜さを知らずに育った天然培養のお嬢さんらしいわね』

以前、エリィが碇ユイが言っていた言葉を鼻で笑っていたのをリンは知っているし、隣で聞いていたシンジも同じように冷笑を浮かべていたのを見ていた。
エリィは家族を失い、貧困の末にある飢えるという事態を知っていたし、餓死する人間を見た事もある。
僅かな食料を求めての諍いも何度も見たし、殺し合う光景も見た事があった。偶然にもゼーレ関連の孤児院に引き取られたから救われたが……引き取られなかっ たら野垂れ死にという結果になっていた。
シンジの場合は、妻殺しの息子という理由でイジメを体験したし、保護者であった叔父夫妻はシンジを守ろうとせずに放置していた。ゲンドウは息子が怖く て……コミュニケーションを取ろうともせず、利用するだけの親失格の存在だ。

『それなりに状況を見極める観察眼を持っていた筈なのに……自身が失敗した後の事を考えていないのはどうかと思うわ』

自分がいなくなった後、夫であるゲンドウがシンジの面倒をきちんと見られると安易に考えているのが間違いなのだ。
ゼーレに接触する為に、ユイに近付いたのを知らなかったのか、それともゲンドウが人類補完計画の雛形を出して行動するのを期待していたのかもしれない。
前回の最期にゲンドウの前に現れた姿は……ゲンドウの理想とする姿かもしれない。
既に碇ユイの魂は消滅している以上、本当の事を聞くことは出来ない。

「……サルベージを依頼する。報酬は望むまま出そう」
「碇ユイの死こそが報酬」
「それは認められん」
「じゃあ、サルベージが終わった後、会う事なく……アンタが死ぬことでも良いわ」
「それも認められん」

表情を見せないように手を顔の前で組んだいつものポーズでゲンドウは話している。
リンが告げた内容はどちらもゲンドウには認められない。
妻ユイに会う事だけを考えて、ここまで遣ってきたのだ……それが許される事ではないと覚悟していてもだ。

「子供みたいに我が侭ばかり言うのはおかしいわよ。
 人を踏み躙ってきた以上……自分が踏み躙られる事も覚悟しないとね」
「……私にはこれしかなかったのだ」
「人の道を捨ててまでする事じゃないわね。
 大体、お父さんの事をお願いしますって言われたくせに放棄している時点で嫌われているわよ」
「ユイはそんな女ではない」

自分を嫌う筈がないと言い切るゲンドウ。

「はいはい。ごちそうさま」

小馬鹿にしたような物言いでリンが言う。その表情は呆れた感情しか浮かんでいない。

「どう考えたら、そんな結論になるのか……」
「お前が知る必要はない」
「一応、あれは祖母になるんだけど? まあ嫌いだし……顔も見たくはないけどね」

碇ユイはカヲルはどうか知らないが、他の使徒全員から嫌われている。
シンジと共に築き上げてきた世界を破壊された時点で抹殺対象に指定しているし、アダム、リリスに行った行為も赦されるものではない。
シンジとエリィの手で始末したので、とりあえず溜飲が下がっているが……出来れば自分の手で始末したかったという感情を持っているのも厳然たる事実だっ た。

「……祖父の願いでもか?」
「冗談は存在だけにしてくんない」

肉親の情という形で訴えたが……肉親らしい事を何一つしてないくせに都合のいい時だけ肉親だと言われても反感しか浮かんでこない。

「とりあえずリツコお姉ちゃんに愛想を尽かされて逃げられた以上、あんたの命令を聞く気はないの。
 ちなみにマヤさんをレイプして強引に従わせようとしても無理よ。
 マヤさんって、潔癖症だから自分が汚されたと思って……失意のうちに自殺するんじゃないかしら?」

冷ややかに説明するリンだが、マヤの件はあり得る可能性が高い。

「それに一応の上司だから従っているけど、リツコお姉ちゃんが出て行った原因はあんたにあると思っているみたい。
 そう考えると余計な事をすると本気で逃げ出すかもね」

リツコが居るからこそ、ネルフに居続けてきた可能性が高い。
そのリツコが居なくなった以上は……ネルフに所属する理由の大半は消滅している。
ダミープラグの一件を知っている以上はネルフの汚い部分もそれなりに知っているのだ。
これ以上汚れたくないと判断して……退職する可能性も捨て切れない。

「平行線でしか進まないし……妥協案が出来たら話し合いに応じるわ」
「待て」

ゲンドウに背を向けて、部屋から出て行こうとするリン。
制止の声を掛けても歩みは止まらない。

「待てと言っている!」
「どちらかの死が絶対条件よ」
「それは認めん!!」
「あんたの都合に合わせる理由はない」
「扉はロックした……許可なく出られん」

扉の前に立とうとしたリンにゲンドウが告げる。

「あんた、馬鹿でしょ。実力で排除というのも良いけど、予算の都合もあるし……ディラックの海経由で出て行く」

扉の前に黒い虚数空間の壁を生み出して消えて行くリン。
ゲンドウは手元の回線を開いて……保安部にとんでもない指示を出した。

「私だ。サードダッシュを叛乱罪で拘束せよ。
 如何なる手段を用いても構わん。拘束し、営倉に放り込め」

ゲンドウはもはや末期的な思考に陥っていた。
ユイにもう一度会う……その為には手段を選ぶ必要もないと考え、なりふり構わずに行動する気みたいだ。
ストッパー役の二人は居ないので、何をしても文句を言う人間は此処には居ないと思っていた。



保安部はこの命令にどう対応するべきか……苦悩する。
サードダッシュを拘束しろと言われても、おそらくネルフ職員の半数以上がサードダッシュに味方しかねない。
はっきりと保安部の味方になるのは作戦部長の葛城ミサトとその腹心の日向マコトくらいだろう。
技術部とは完全に敵対関係に陥る可能性が高い。何故なら今の技術部は彼女が仕切っているし、彼女を外して作業に支障が起きたら使徒戦など出来るわけがな い。
何よりも初号機が動かなくなる以上はネルフには迎撃の手段がなくなる。
委員会の許可なく、凍結処分中の零号機、弐号機を動かすというのなら話は別だが。
そして最大の問題点は使徒らしい存在に生身の人間が立ち向かえるかという事だった。
もし使徒ならば、それは保安部の職員に"死ね"と宣言した事を変わらない。ゲンドウの支配力が低下してきている今の状況では流石に自分の命は惜しいと考え る職員の方が多い。
当然、保安部も以前ほどに忠誠心ばかりで固まっている訳ではなく……、

「……特殊監査部の加持一尉を」
「了解しました」

保安部部長の考えを理解した部下はあっさりと方針に従う。
ゲンドウに物怖じしない加持リョウジが便利屋扱いにされているのは自然な事かもしれなかった。


「……司令は何を考えているんだ?」

加持リョウジは保安部長からいきなり呼び出されて、ゲンドウの指令を聞いて……飛び込んできた厄介事に頭を抱えていた。

「俺に……死ねと?」
「サードダッシュと交渉してもらいたい……形だけで良いから、営倉入りして欲しいと」

本音を隠さずに話す保安部長に加持の頬は引き攣っている。

「……良いのか?」
「他に良案があれば聞くぞ」
「…………無いな」
「作戦部長のほうも抑えて欲しい。これ以上、面倒事を起こされると困るんだよ」

保安部長の嘆願とも言える発言に加持は天を仰いでいる。
確かに葛城ならこの機を逃さずにリンを排斥しようとするかもしれない。
しかし、そんな事態に発展すれば……ネルフは技術部を中心に纏まる一派と作戦部を中心にした一派による内部分裂する可能性が濃厚になる。
もっとも結果は葛城ミサトの排斥で終わるだろうとも予想している。

「……委員会の方には報告するのか?」
「するしかないだろう。司令が乱心した可能性があるんだからな」
「ら、乱心か?」
「他にどう言えと? サードダッシュを拘束して、使徒戦は立ち行かないだろう?」
「……そうだな」

残る使徒は一体だが……その事を知っている者は限られている。
サードダッシュが体調不良という理由でも付けて、零号機か、弐号機を一時的に凍結処分を解除して戦えば良いと判断した可能性もある。

「何があったんだ?」
「私の方が聞きたい」
「……老人達には好都合か? 司令を排除できる理由が生まれたからな」
「否定はしない」

この部屋が盗聴されない事を知っていた加持は、それでも声を潜めて尋ねる。
相手の保安部長も同じように声を潜めて会話を続ける。

「老人達の方への報告は任せてもらうぞ?」

加持はポイント稼ぎみたいに報告を一任させろと要求する。
要求された側の保安部長は、仕方ないと思いながら妥協案を提示する。

「……一応報告書を見せてもらえるなら」
「その点は構わないさ」

加持は肩を竦めて、この後に控えるリンとの交渉について考える。

(やれやれ……司令もとんでもない命令を出したもんだ。
 保安部長が機転を利かさなければ……ネルフは崩壊していたぞ)

リンが使徒である事を知っている加持は最悪の事態を回避出来る事に口を挟む気はない。
見かけ人間だが、人間サイズの使徒を相手に普通の人間では勝てるわけがない。
エヴァを使って押さえろと言っても、アスカもレイの両名はおそらくリンの方に付く可能性が高い。
アスカとレイだけなら、保安部のスタッフで押さえ込めると思うがエヴァに乗り込まれたら……どうしようもない。

「……分かった。交渉に行ってくる」
「……感謝する」

保安部長自ら頭を下げられて、加持はサードダッシュ赤木リンとの不毛な交渉に出陣していく。
しかし、加持はアスカ、レイの二人も使徒化し、既に第十七使徒がネルフ本部に来ている事を……知らなかった。



赤木リンの所在を事前に聞いていた加持は迷う事なくその前に行く事が出来た。
技術部のスタッフを交えて、碇ゲンドウ……ネルフ司令からの叛乱による拘束の旨を告げる。
周囲のスタッフはそれを聞いて、司令が乱心したと判断して加持と同じように頭を抱えていた。

「なにをやらかしたんだい?」

加持は一応ゲンドウの乱心の理由が知りたくて、ダメ元で聞いてみた。

「お父さんを無視して、婆さんをサルベージしろって言うもんだから拒否したのよ」

あっさりとリンが事情を暴露すると、技術部スタッフは大人気ないゲンドウに呆れていた。
大体、コアが破損して生存が不明な妻をサルベージするより、無事な息子の方が先じゃないのかと思うスタッフはゲンドウの身勝手な感情に失望めいた冷めた気 持ちだけしかなかった。

「そ、それはまた……司令も……ああ、もう」

加持はもう少し状況を考えて欲しかったと言わんばかりに顔を顰めていた。
サルベージなら使徒戦とゼーレ戦が終わってからでも良いだろうと加持だけではなく、この場に居る全ての者が思っている。
第一に今初号機から碇ユイを外すのは初号機の安定性が損なわれる可能性も捨て切れないのに。

「本当に我が侭な人物だね……好意に値しないな」
「……君は誰だい?」

フィフスチルドレン渚カヲルが今日着任する事を知っていなかった加持は、一般人が機密に触れているのではと考えて尋ねている。

「これは自己紹介が遅れて申し訳ない。
 僕の名は渚カヲル。一応本日より、フィフスチルドレンとして本部に所属する事になったのさ」
「フィフス……エヴァ五号機は?」
「ああ、僕はちょっと特殊でね。初号機以外ならどれでもシンクロ出来るのさ」

あっけらかんと自分の事を話すカヲルに技術部のスタッフは、

(また規格外の少年が来たものだな。司令が資料を取り揃えろとか言うんだろうな)

などと思い……増える仕事を想像して嫌がっていた。

「そ、そりゃ、また優秀な人物が来たもんだな(ま、まさかな)」

加持はカヲルの発言の裏を考えて、おおよその事情を把握して……頭を抱えたくなっていた。

(し、使徒が侵入したって事だが……まあリンちゃんが放置しているから迂闊な発言をするのは不味いかな)

気付かない訳がないし、気付いて放置しているなら勝手に正体を暴露するのも問題があるかもしれない。
正体をバラすにも皆にきちんと分からせるだけの証拠を出さないと信じてもらえない可能性もある。それに何故判ったと聞かれても答えようがない。
まさか、ゼーレが秘匿していた使徒だから等と言うわけにも行かない加持だった。

「何故、初号機はダメなんだい?」
「初号機は彼女以外が触れることを禁じているからさ。
 おそらくシンクロテストをすれば、拒絶されると思うね」

加持の質問にカヲルは全員が首を傾げるような返答をする。

「……彼は僕が気に入らないらしい」

カヲルの視線の先にあるモニターにはケージに待機中の初号機の映像があった。
エントリープラグが挿入していない状態で動くはずがない初号機の目が輝き……まるでカヲルの意見を肯定したように見えた。

「……そ、そうか」
「彼とは何か運命のようなものを感じるね……宿敵ってこういう事なのかな」

カヲルは初号機から視線を外して、リンの方を見ながら楽しそうに話している。

「やはり……あなたも敵なのね」
「君にはシンジ君がいるじゃないか?
 男同士の友情は素晴らしいものだけど……せっかく男として生まれたからには恋の一つもするのも悪くない。
 彼女はシンジ君に似ているし、その魂の輝きは好意に値する……つまり好きって事さ」
「や、やだな……恥ずかしいからストレートに言わないでよ」

満更でもない様子でリンがカヲルに手を振っている。女性スタッフはカヲルの一目惚れとも言える様な発言を聞いて、どこか微笑ましく思っていたが……次のレ イの爆弾発言に硬直していた。

「私は欲張りみたいね……どっちも好きなの」

レイとカヲルの視線が交差し……火花が散った気がするのは見間違いであって欲しいと技術部スタッフ一同と加持、アスカの切実なる願いだった。

「……勘弁してよ。またアタシにとばっちりが来るじゃない」

アスカの低い声での呟きが何故かよく聞こえた。
男性スタッフはアスカの未来を案じて密かに祈り、女性スタッフはおかしな形ではあるが恋?の鞘当てを楽しんでいる雰囲気があった。

「ま、まあその話は後日という事で……営倉行きの件はどうする?」

話が変な方向に進むのを食い止めるべく、加持が話題を強引に戻す。
スタッフもゲンドウの乱心にはどうすれば良いか考えているが、なかなか答えは出そうになかった。

「マヤさんには悪いけど……私の手料理はまた今度で」
「し、司令〜〜! 私が嫌いなんですね! 私、なんか憎まれるような事をしたんですか!?」

リンの手料理のお預けを食らったマヤは切実なる叫びを上げている。
そんなマヤの様子にスタッフは二つの懸念を考えている。
一つはマヤが怒り狂って……マッド化する可能性。
もう一つはマヤがキレて……辞表を提出する可能性。
どちらも勘弁して欲しいと、マヤを見ながら切実に祈るスタッフだった。

「とりあえず技術部には指示が出せるように手配する事が絶対条件」
「ちょっと待ってくれ…………構わないってさ」

手元の内線を使って、保安部長との交渉役を行っていた加持は妥協点が見つかってホッとしていた。
技術部の方もリンの指示がないのは勘弁して欲しかったので一安心していた。

「レイお姉ちゃん、明日来る時は着替えを持ってきてね」
「……わかったわ」

不満がありありと見える顔でレイが返事をする。

「マヤさんは今日は定時で上がって……うちで休むように」
「ありがとう、リンちゃん」

マヤが複雑な気持ちになって返事をしている。
自分よりも歳が下の少女に頼りっ放しというのは、大人としてはどうかと考えているみたいだった。

「渚カヲルのシンクロテストは明後日ね。
 明日は仕事量を調整してスタッフ一同定時を目処に」

リンの指示に技術部スタッフ一同は久しぶりの定時上がりに安堵していた。

「尚、碇ユイのサルベージに関しては聞かなかった事にして……準備をする必要は無し。
 こっちには余裕がないんだから」

知らない事にすれば、その仕事を無理にする必要はないとリンが含みを持った意見を出すと全員が頷き……賛成している。
加持はその様子を見て、赤木リンが技術部のボスなんだとはっきりと理解し、司令の願いが叶う事はないと実感していた。
この後、加持に連れられて、形ばかりの幽閉ではあったがリンは営倉に入った。

サードダッシュチルドレンの幽閉というとんでもない事態にネルフ職員は、遂に司令が壊れたかと判断していた。
一応優秀な人だったが、何を考えているか判らない不審人物だったという意見が密かに囁かれていたが、まさかこのような事態を引き起こすとは想像していな かった。
直接指示を受ける事が出来ずにパソコン回線での会話という非効率的な作業を技術部は強いられた。
おかげで技術部スタッフ一同は作業効率の悪い手段を取らされて、ゲンドウを恨んでいた。
ちなみに葛城ミサト作戦部長とその腹心である日向マコトには緘口令が敷かれている。
この状況下でミサトが知れば、余計な事をして場を掻き乱す恐れがあったからだ。
日頃の言動からミサトとリンの仲は険悪なものだが、実際にはミサトの方が一方的に悪意を見せるのが原因だと職員は知っている。
ミサトが使徒を恨んでいる事は何となく気が付いている職員。だからと言って、年端も行かない少女を目の仇にするのは大人気ないと思っている。
もし、リンが使徒だとしたら……ミサトの方が危ないし、返り討ちに遭うのは明白だ。
銃を相手に向ける以上、自分が殺される覚悟はあると思うが……ミサトにその覚悟があったとしても死ぬと判っている結果しかないのを見たくはないと考える職 員の方が普通なのだ。



加持に連れられて、独房の前に来ると保安部長が申し訳なさそうに告げる。

「サードダッシュ、悪いがこれも職務なんで入ってくれると……助かる」
「あんたも貧乏籤を引いたものね」
「……言ってくれるな」

苦々しい顔付きで自身の境遇を儚んでいる保安部長。
命令とはいえ、サードダッシュを拘束すれば周囲から恨まれる事は確実だった。
聞いていた加持も、最良の案を講じたのに報われんなと思って見つめていた。

「老人達に伝えておいて、『碇ゲンドウには協力しないって』」

リンは加持に向かって告げると独房の中に入っていく。

「特殊監査部がレイお姉ちゃんを確保しようとするなら……そうね、この本部を火の海に変えるわ。
 多分、あの愚か者は私とお姉ちゃんを分断して、余計な事をしようと企んでいるから」

一応釘を刺しておかないと、監査部の人間に被害が出るし……後処理が大変なのだ。
最終的には行方不明扱いで落ち着くと思うが、大量の犠牲者を出し続けるのも後味が悪い。

「……護衛が必要だと?」

加持がレイのガードを用意すれば良いのかと聞いてくる。
レイとゲンドウの関係は既に冷え切っている。そんな状況ならば、ゲンドウの取る手段は強引な拉致から始まる洗脳くらいしかない。
保安部長も加持と同じ結論に達したのか……次に起こりそうな面倒事に頭を抱えていた。

「護衛は要らないわよ。レイお姉ちゃんだって……たかが人間風情に如何こう出来るわけじゃないし。
 私が言いたいのは、無駄と分かっているのに死人を出すのも馬鹿らしいってこと」
「……あそこの連中は司令の私兵だから、容易じゃないんだが」

特殊監査部はゲンドウの命令を忠実に守る連中が殆んどで、加持みたいなのは部署内では浮いている。
保安部長も保安部のスタッフを動かしたら……複雑な事件に発展しそうだから顔を顰めている。

「お姉ちゃん、容赦しないから護衛は付けない方が正解よ。
 変に監視したりしないで……放置しておいてくれると助かる。巻き添えなんてシャレにならないから」

巻き添え――殺る気満々な気配が感じられて……ちょっと怖いという感情に囚われてしまう二人。

「何かあっても……こっちの方で処理するから関与しないように」
「……分かったよ」
「保安部は特殊監査部の行動を……見なかった事にする」

苦渋の決断とも取れる意見のように保安部長がリンに話す。
この瞬間、自分を除いた特殊監査部のスタッフの命運が尽きたんだと加持は判断していた。

「司令の手足を排除して……どうする気なんだい?」
「どうしようか? 別に人を殺すのが趣味じゃないし……何もしなければ、良いだけなんだけどね」

喧嘩を売ってきたのは司令であって、自分じゃないと話して困った顔になっているリン。

「司令が子供みたいに我が侭を言うから……付き合いきれないのよ」
「一概に否定出来んから困るな」

我が侭な子供みたいに自分の意見をゴリ押ししているゲンドウが悪いと言われて苦笑する二人。
確かにネルフの司令として好き勝手やっていたのは事実だし、周囲から反感を買っているのも嘘偽りない事実だ。
今までは力があったし、強引な方法を取っても文句を言わせないように……力で黙らしてきた。
その方法が目の前の少女には通用しないだけであり、普通に交渉という手段を用いれば良いのに……力押しという手段を選択する。

「似非紳士が消えて、リツコお姉ちゃんが離反したんで……化けの皮が剥がれたのよ」

独房のドアが閉まる直前に聞こえてきたリンのセリフに納得してしまう加持達だった。
この日より、赤木リンは独房での生活が始まった。
また碇ゲンドウの指令を受けて、綾波レイの確保に動いた特殊監査部の人間が行方不明として処理される。
おそらく遺体は出て来ないだろうと加持も保安部長も思っていた。
懲りずに何度でも部下を送り込んでくるゲンドウだが、徐々にゲンドウの手駒は消えて……実働部隊を失っていく。
ゲンドウは部下を失い、自身の手で動かざるを得ない状況に追い込まれていく。
しかし、ゲンドウは臆病者で自身で動く事を良しとしていない。
こうしてゼーレ側の人間を除いて、特殊監査部はその機能を維持出来なくなるほど損耗していく。


……特殊監査部の崩壊の始まりであり、碇ゲンドウの孤立が更に深まった。
人が怖いという理由で遠ざけていた男が、自身の失策で完全に孤独になっただけで……誰も憐れむ事はない。
自業自得、因果応報という結果になっただけだと冷めた目で見つめていた。











―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
どうもEFFです。

たった一人の女性の為に世界を揺るがす事件を計画した男の末路が見えてきました。
人を寄せつかない以上……孤立し、孤独になるのは当たり前の話です。
冬月というストッパーが居ないゲンドウは交渉など無理ですし、妥協するという事もしないでしょう。
まあ妥協するような甘い少女ではありませんが。

それでは次回もサービス、サービス♪



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