日本には瀬戸内と呼ばれる海がある。
瀬戸内は南を四国、北を中国、近畿に挟まれた豊穣な海だ。

瀬戸内の海上――ここで2つの勢力が合戦を繰り広げていた。
宿敵とも言うべき、長年敵対し合ってきた毛利軍と長曾我部軍である。

戦国最強と誉れ高い毛利の水軍と、海を知り尽くした長曾我部軍。
両軍が繰り広げる合戦は、互いに一歩も譲らない激戦となった。

互いの船に敵方の兵士達が乗り、乗り込むが繰り返される。
乗り込んだ兵士達が持つ剣と槍が交差し、戦場に留まった兵士が持つ弓矢が空を飛び交った。

気合いの叫び声と悲鳴が響き、血飛沫が舞う。
穏やかな瀬戸内は、一種の地獄絵図となった。
しかしその地獄絵図の中で、時が止まったような場所があった。

そこは――長曾我部軍の船上であった。
その船上で、合戦を繰り広げる2つの勢力の総大将が対峙していた。

「ここで決着を着けようぞ、西海の鬼。貴様の顔も飽いたわ」

瀬戸内の波で揺れる船上で呆れ気味に吹いたのは、毛利軍大将である毛利元就。
独特な兜――公家が被る烏帽子のような形――を被った元就は、自身の正面に居る男に冷たい表情と眼差しを向けた。

「それは俺もだ。血の温もりを感じないあんたを、これ以上見たくはねえ」

元就と向かい合っている男は、長曾我部軍大将の長曾我部元親。
紫色の眼帯が左目を覆い、身体は――派手な布を巻き付けただけの――半裸である。
だがその身体は一目見て分かる程、激しく鍛えぬかれていた。

2人の大将が立つ船上は、まるで2人の為に用意されたかのように邪魔が無い。
元就が睨み、元親が微笑する。2人の身体からは、激しい闘気と殺気が溢れた。

「大将が消えれば軍は総崩れになる。貴様が我に討たれた時が、この合戦の終結ぞ」
「それはあんたも同じ事だろ。鬼が勝つか、日輪様が勝つか、仏にでも祈るかい?」
「――ッ!! 下衆が……貴様如きが日輪の名を口にするなッ!!」

元就の冷たい表情が、一瞬にして墳怒の表情に変わった。
“日輪の申し子”を自称する元就にとって、日輪は神仏の名に等しい存在である。
憎い敵である元親が馬鹿にするような口調で言ったのが癇に障ったようだった。

元親も自らを“鬼ヶ島の鬼”と自称している。
だが元親にとってそれは、他人に呼ばれても気にする程ではなかった。

「我が一族繁栄のために死ねッ! 長曾我部ッ!!」

墳怒の表情で元就が愛用の武器“輪刀”を振り回し、元親の身体目掛けて斬り付ける。
軽やかな舞を舞うかのような動きに、元親は一瞬気を取られたが、自身の武器で軽く受け止めた。

「あんたもできるじゃねえか。そんな面がよ」
「――ッ! 戯れ言を抜かすなッ!!」
「――そうかい」

元親は輪刀を受け止めた愛用の武器“碇槍”を振り回し、輪刀ごと元就を弾いた。
弾かれた元就はすぐに体勢を立て直し、元親に接近して再び輪刀を振りかざす。
元親も先程のように近づかせまいと、太い鎖で繋がれた碇槍の碇の部分を飛ばした。

「鬼の名に相応しい。荒々しく、単調な攻撃よ」

元就は跳び、自身に向かってきた碇を避ける。元就が居た場所は碇に潰され、穴が開いた。
元親は軽く舌打ちをし、自身に碇を引き戻す。その一瞬の隙を元就は見逃さなかった。

「消えろッ!」

元就の振りかざした輪刀は、元親の首を正確に捕らえていた。
受けきれない、元親は死を覚悟した。輪刀が肉に食い込み、血が飛び散った。

「――ッ!」
「お前ッ!!」

元親の首は落ちなかった。彼の前には、見覚えのある男が庇うように立っている。
その男の首筋は深く斬り裂かれ、血が滝のように溢れていた。

「へへっ……兄貴……ご無事で……」

その男は長曾我部軍の古参の1人だった。口からは大量に泡のような血を吐いている。
自分に付いてきてくれる部下の名前と顔を忘れずに覚えている元親は、すぐに分かった。
倒れようとする部下の男を元親は武器を地面に落とし、しっかりと抱き留める。

「馬鹿野郎……ッ! 何で……」
「兄貴……には……生きてて……ほしい……から……」

勢いよく咳こんだ後、男は眼をゆっくりと閉じた。それから開く事は無かった。
男を抱き抱えた元親の身体が震えた。

「ふん。何時の間に近づいていたのかは知らんが、主君の為に死ぬ――駒に相応しい役目よ。命びろいしたな」
「――黙れ」

元親は死んだ男をゆっくりと船上に寝かせた。
そして、捨てた武器を再び手に持った。

「駒1つに怒るか長曾我部。鬼が聞いて呆れるわ」
「――黙れって言ってんだァッ!!」

元親は威圧するような眼で元就を睨んだ。
だが、元就は動じない。

「俺の部下を、家族を、駒なんて呼ぶんじゃねえッ!!」
「愚かなり長曾我部。兵など所詮捨て駒よ」
「捨て駒なんかじゃねえッ!!」

元親は烈火の如く怒り、吠えた。眼からは涙が溢れていた。
元就はそれにさえも動じず、輪刀を容赦無く振りかざす。

「消えろ。貴様の声など耳触りよ」

元親に死を与えるべく、元就の輪刀が振り下ろされた。
――が、元親にそれは当たらなかった。

「――なッ!!」

元就は驚愕に眼を見開いた。腹部から激痛が走った。
見ると元親の拳が、自分の腹部を深く潰していた。
手から輪刀が落ち、元就は腹部を押さえて悶え苦しむ。

「部下の仇、取らせてもらうぜ」

元就の顔を覗き込み、そう宣告する元親。
元就が憎悪の眼差しで見つめると同時に、元親の蹴りが元就を吹っ飛ばした。

元就の細い身体が宙を舞い、壁を突き抜けて船の倉庫に突っ込んだ。
元親は落ち付いた様子でゆっくりと歩き、元就の後を追った。

「ハァ……ハァ……西海の鬼如きが……」

元就は自分を覆っていた壁の破片や埃を払う。
辺りを見ると、どうやら宝物庫らしい。
金銀財宝が、ボロボロになった木箱から見え隠れしていた。

「終わりだな、毛利元就。その姿勢じゃ武器も振るえないだろ? あんたに勝ち目はねえぜ」

立ちあがろうとした元就の目前に、碇槍が突き出される。
正体は後を追ってきた元親だった。表情は何処か暗く、何所か怒りに満ちていた。
立ち上がるのを止めて跪いた元就は、そんな元親の表情を見て鼻で笑った。

「ふふふ……まさかこんな甘い鬼風情に、我が敗れる事になるとはな……」
「これから死ぬってのに笑うのか? 随分とヤケ気味に見えるぜ」
「鬼如きが我を愚弄するか? 汚らわしい……」
「忘れるな。あんたはその汚らわしい鬼に負けたんだぜ」

敗者の立場を思い出し、元就は血が滲み出るほど唇を噛んだ。
元親は跪いた元就を冷たく見下ろし、碇槍を元就の鼻先に付ける。

「無抵抗の相手を殺す趣味はねえが……あんたは部下の仇だ。死んでもらうぜ」

元親がそう宣言し、鼻先に着き付けた碇槍を離した。
そしてそれを振りかざし、元就の頭に振り下ろそうとした。

だが突然――元就が突っ込んだ衝撃で――ボロボロになった木箱の1つから眩しいぐらいの光が溢れだした。
あまりの出来事に元親は碇槍を振りかざしたまま固まり、元就はその怪しくも美しい光に魅入ってしまった。
その光は木箱を壊し、収められていた財宝を辺りに飛び散らせる。

「――な、何だありゃ……」
「――奇怪な……」

いくら吹いても答えは返ってこない。2人は呆然としていた。
その光は嘲笑うかのように元親と元就の全身を覆っていった。

―――周りが白い。辺り一面がまるで完全に滅びてしまったかのように白かった。
光に包まれたせいか、または別の原因があるのか、何もかも分からなかった。
だがこの原因不明な出来事に、2人は声にならない悲鳴を上げる事しか出来ない。

必死に光から逃れようと手足を動かしてみようとするが、まったく動かない。
まるで光に全身を拘束されたかのように、手足の自由はまるで利かなかった。
――2人の意識は暗い闇の中へと沈んでいった。

光が収まると、元就と元親の姿は影も形も無くなっていた。
そして目立つように宝物庫に残ったのは――1つの、割れた鏡だった。

 

 

 

 

「――――朝……か?」

朝日特有の眩しさに元親はゆっくりと目を開けた。
元親の眼前には流れる雲と、その隙間からは青空が見えた。
空から降り注ぐ日光は程よく暖かく、春の陽気さえ感じさせる。

――どうして目の前に雲と青空が広がっているのか。

「―――俺は……」

自分は今まで何をしていたのか――今のままの体勢で元親は考えてみた。
直接大地の上で寝ている所為なのか、少し背中に妙な感じがしなくもなかった。
それでも今の状況を理解する方が先なので、あまり気に留めないでおく事にした。

「瀬戸内で……合戦を……」

元親はボヤけている記憶を必死に呼び起こした。
瀬戸内の海上で毛利軍と戦った事、元就を追い詰めた事、トドメを刺そうとした所――

「妙な光が……俺と毛利を……」

眼を瞑るほどの光に包まれた。
光に包まれた所までは記憶にあるのだが、それ以上はまったく覚えていない。
覚えていない自分の不甲斐無さに、元親は小さく舌打ちをした。

考えが纏まっていない中、元親は仰向けの状態からゆっくりと立ち上がった。
周囲を見渡してみると、四方を囲むのは荒野といえる大地が広がっている。
風が1度吹けば、砂埃さえ舞いそうな程の荒れ果てた荒野だ。
自分が合戦を繰り広げていた筈の瀬戸内では決してなかった。

更に自分が立っている所から遠くに見える高い山を、元親は見つめた。
瀬戸内からは勿論見えないし、ここが瀬戸内でないのだから分かる筈もない。

「――訳が分からねえ。ここは一体何処なんだ。それに毛利の野郎は何処へ行きやがった……?」

自分の部下と、部下の仇の顔を思い浮かべ、元親は小さく溜め息を吐く。
気がついた時には――もう気付いていた事なのだが――元就の姿は無い。
自分と同じで見知らぬ地に立っているのか、光から逃れたのかは分からなかった。

「仕方ねえ。とりあえず歩きまわってみるか。こんなとこでボーッとしててもしょうがねえ」

自分の近くに投げ出されたように置いてあった愛用の碇槍を掲げ、元親は歩き始めた。
――が、すぐにその歩みは止まる事になる。

3人の――元親から見れば――妙な格好をした男達が元親の周囲を取り囲んだ。
男達は首元に黄色いスカーフを巻き、黄色いバンダナを頭に巻き付けている。
更に彼等の手には曲刀が握られており、下卑た笑い顔を浮かべていた。

「おい兄ちゃん。命が惜しかったら身ぐるみ全部置いていきな」

元親の正面に居る中年が、高圧的に要求を突き付けてきた。
要求と言ってもほぼ命令に近い感じがしたが、元親はそんなことは気にしない。

見知らぬ地に放り出され、訳が分からずに苛々している元親にとって、男達の存在は鬱陶しい事この上ない。
元親の額に――密かに――青筋が浮かんだ。

「面白い事を言うじゃねえか。たかが小悪党如きが、鬼の身ぐるみを剥ごうってか?」
「あぁ? 何を訳の分からないことを言ってやがんだ!」

どうやらこの男達は自分の事を全くと言って良い程に知らないらしい。
田舎者がと、元親は内心呟きつつも、碇槍を思い切り地面に叩きつけた。
叩き付けられた地面が大きく揺れ、取り囲む男達の身体が一瞬震えた。

「よく覚えておきなッ! 鬼ヶ島の鬼ってぇのは、この俺、長曾我部元親様よッ!! 今の俺はムシャクシャしてんだ。テメェ等でこの憂さを晴らさせてもらうぜッ!!」

元親の身体から放たれる巨大な闘気に、男達の顔が一瞬にして青ざめる。
それから暫くの間、この荒野に鈍い音と、阿鼻叫喚の悲鳴が響く事となった。

 

 

 

 

「ケッ! 身の程知らずの田舎者がよぉ」

元親は地面に唾を吐きかけ、自分の目の前で倒れている男達を一瞥した。
倒れている男達の顔は元の面影を残す事無く腫れ、ボコボコになっている。
手に持っていた剣も折れ――主人と同じく――無残な姿を晒していた。
気分が少し晴れ、元親は清々しい笑顔を太陽に向けた。

「お見事です。少し荒っぽい気がしましたが、この者達には当然でしょう」
「――ッ!? 誰だッ!!」

不意に背後から聞こえた女性の声に、元親は思わず武器を構える。
元親の背後には、1人の女性が立っていた。

その女性は一言で言えば、とても綺麗だった。
艶やかな長い黒髪、その髪と同じ色の――例えるなら黒曜石のような――瞳。
元親に向ける女性の眼差しは、敵対する者に見せる物では決してなかった。

彼女の身に着けている服は、元親が一般に知っているような着物ではない。所々素肌が出ている。
特に下の方は女性の足を守るには薄着で、とても不便そうに見えた。

(――格好も気になるが、手に持ってる得物……女にしてはなかなかじゃねえか)

女性の持っている武器は、実に特異な形状をしていた。
元親がすぐに思いついた武器と言えば“長刀”だ。だが、形状がまったく異なっている。
しかも武器の周りの装飾は相当凝っていると取れた。特に刃の近くの龍はとても美しい。

龍を見た元親は、奥州のとある大名を思い浮かべたが、すぐに頭から消した。

「武器をお納め下さい。私は貴方様と戦いに来たのではありません」

元親はジッと女性を睨み据える。
声色からして、彼女の言っている事は真実なのだろう。
元親は女性を見つめつつ、ゆっくりと碇槍を下ろした。

「……あんたは誰だ? 戦いに来たんじゃねえなら、何をしにここへ来た?」

元親の率直な質問に、女性は少し慌てた様子で口を開いた。

「これは失礼しました。申し遅れてしまいましたね。姓は関、名は羽。字は雲長。貴方様をお迎えにあがるため、幽州より参りました」
「……あぁ? 何を言ってんだ。俺を迎えに来たって――」
「我が主、天の御遣いよ。共にこの乱世を鎮めましょう」

元親は関羽と名乗った女性の言葉に、呆然とするしかなかった。

(――俺が……天の御遣いだぁ?)



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