改めて元親は、ここ(外史)に帰って来たのだと言う事を感じていた。
彼は今、自室で仕事机の前に座りながら、微かな物思いに耽っていた。
部屋は自分が1度姿を消した後も、月と詠が懸命に整理整頓してくれていたらしい。
懐かしい思いと共にこの部屋に入った時は、感激のあまり、息を飲んだ程である。
そして、その後に礼を述べた月と詠は照れていた。
大宴会の後、待っていたのは、いつも通りの政策や書類整理の仕事だ。
そしてその中で繰り広げられる――愛紗と朱里の細かい説明に説教。
久し振りに自身の心に、安らぎと言う物が戻ってきたように思えた。
(まっ、テメェの国が住み難かったせいなんだがなぁ……)
元の世界に戻った時は、豊臣軍の侵略で、日の本の国全体が殺伐として状況だった。
ここも全くと言う訳ではないのだが、少なくとも、日の本の国よりか遥かにマシだ。
それにもう、あの国に未練は殆ど無い。いや、もう全くと言って良いのか。
自分と家康、そして家臣を殺した秀吉の支配する地に戻るのは御免だった。
(ここで新しい、鬼としての人生を送るか……悪くはねえ)
元親は徐に机の引き出しから、3通の文を取り出した。
内容は朱里に頼み込んで、それぞれ送ってもらった文の返事だ。
その返事主は言うまでも無く、桜花、華琳、蓮華の3人である。
直筆で書いた、無骨な文章だと自分でも思っていたが、こうして返事を返してくれた。
天の国からの帰還――この手紙を読んだ時、彼女達はそれぞれ何を思ったのだろうか。
喜んだか、泣いたか、唐突に戻ってきた事に驚いたか――自惚れかもしれないが、喜んでくれると嬉しいと思った。
「でもこの返事は無いんじゃねえか……?」
桜花と蓮華、この2人は良い。今日にも逢いたいと言う気持ちが伝わってくる。
実際、彼女達は近い日に幽州へ来る事になっている。その日はかなり楽しみだ。
しかし残る華琳からの返事の内容に対し、元親は苦笑せざるを得なかったのだ。
かなりの字が書き込める文には、中央にただ一言だけ、こう綴られていた。
『首を洗って待っていなさい。私が向かうまでね』
まるで宣戦布告をしているかのような返事である。
無論、冗談だとは思うが――冗談だと思いたい。
「とりあえず手紙の通り、首だけは念入りに洗っておくか……?」
そして彼女が幽州に訪れ、再会した時、本当に首を洗って待ってたと言えば――
その瞬間に殺されるかもしれない。勿論愛用の鎌で、首を一刀両断の元に。
華琳は冗談を時折言うが、華琳自身に冗談は通じない。かなり理不尽である。
「うおおおお……おっかねえ、その時の光景がすぐさま頭に浮かびやがる」
身震いしつつ、元親は取り出した文を引き出しに戻した。
その時が来たらその時だ、大人しく覚悟を決めれば良い。
先程まで震えていたとは思えない程の能天気に思いつつ、元親は背凭れに寄り掛かった。
「ごしゅじんさま〜……」
瞼を閉じようとした時、扉の向こうから、可愛らしい声が聞こえてきた。
その声の正体はすぐに想像がついた。あの舌足らずで幼い声は璃々だ。
彼女は母親の紫苑が忙しく、手持無沙汰の時は、よくここに遊びに来る。
当然元親も仕事がある時が殆どなので、あまり相手はしてあげられないのだが――
璃々の甘えについ流され、仕事をそっちのけで、遊び相手になってしまうのである。
無論その後に彼を待っているのは、更なる仕事の上乗せと、愛紗の説教コースだ。
しかし今日は違った。
やるべき仕事は昨日の内に片づけてしまったので、やる事は何も無い。
今日はじっくり羽を伸ばせる日――簡単に言ってしまえば、1日休み。
璃々から遊び相手をせがまれても、何の問題も無く答えてやれるのだ。
「おう、ちょっと待ってろ。すぐ行くからな」
元親は軽く返事をした後、椅子から立ち上がり、扉を開けてやった。
璃々の背はまだまだ低く、扉の取手には十分に手が届かない。
だからこうして部屋に居る者か、付き添いの者が開けてやるのだ。
「よお、璃々。どうした、暇なのか?」
璃々を部屋に招き入れつつ、元親が訊いた。
「うん。りり、だれもあそんでくれないから、つまんないの」
ぷぅっと頬を膨らませ、現状の不満を現す璃々。
本人は怒っているつもりだろうが、元親からしてみれば、可笑しくて仕方がない。
「そっか。よし、今日は1日休みだから、疲れるまで遊び相手になるぜ?」
「ホント? ごしゅじんさま、りりといっぱいあそんでくれる?」
「ああ、嘘は吐かねえよ。タップリと遊んでやる」
「うわ〜い♪ りり、とってもうれしい。ごしゅじんさまとあそべて」
笑顔で言う璃々が、元親には微笑ましく思えた。
「んで、最初は何して遊ぶんだ?」
「う〜んとね、え〜っとね……」
可愛らしい姿勢が、唸りながら考え込む璃々。
元親が答えを待っていると、璃々は再び笑顔を浮かべた。
そしてその表情のまま、彼女は元親に告げたのである。
「お馬さんごっこ!!」
「…………はっ?」
それを聞いた元親の顔が、間の抜けた表情で声を漏らした。
◆
胸が高鳴り過ぎて痛い――翠はそう思いながら、元親の自室へ向かっていた。
目的は勿論決まっている。馬を駆り、一緒に出掛ける約束を取り付ける為だ。
元親が今日1日休みだと言う事は、自分以外の武将達全員が承知している。
だから誰もが我先にと仕事を片付け、彼の部屋へと向かう事を目指すのも知っている。
言うなれば、これは早い者勝ちの勝負である。その勝負に自分は見事に勝利したのだ。
(でもウカウカしてられないな。ご主人様と約束を取り付けて、初めて勝ちなんだから)
最早眼と鼻の先と言っても良い、真の勝利を前にして、翠の気分は更に高まる。
そして――彼女はとうとう元親の自室と、自分の今居る場所を隔てる扉へ辿り着いた。
翠は右と左を交互に見つめる。近づいてくる人影は無く、どうやら自分だけのようだ。
(よ〜しッ! 勝った、あたしは勝ったぞ!)
意気揚々と、翠は中に居るであろう元親に声を掛けながら、扉を開けた。
「ご主人様、ちょっと用が――」
扉を開け、部屋へ入った翠は、眼の前に広がる光景に思わず固まった。
「んあ……何だ、翠じゃねえか」
「あっ! すいのおねえちゃんだぁ♪」
待て落ち着け、こんな時は慌てず、状況を見るものだ――翠は頭を抱えるように押さえた。
眼の前には元親と、璃々の2人。首を傾げながら、彼等は自分の事をジッと見つめている。
だが元親は四つん這いの状態で、その上には璃々が堂々と跨っている。
これは一体――どんな状況なのだろうか。
「ご、ゴメン……ちょっと出直してくる」
翠は頭を抱えたまま、扉をゆっくりと閉めていった。
そしてその場から去ろうとするが、慌てた様子で元親が飛び出してくる。
「ちょっと待て。何か誤解されてる気がするから、説明させてくれねえか?」
「良いって、ご主人様……あたしは別に今の、何とも思ってないからさ……」
「だから待てって言ってんだろ!? 説明させてくれ、頼むからよ!!」
その後、翠は元親に部屋に連れ戻され、今の光景の説明を受けた。
事情を知り、誤解だと分かった翠の顔は、今にも蒸発しそうなくらい紅くなったのだった。
◆
「はあ……危ねえ、屈折したまま他の奴等に伝わったら、変な誤解されるじゃねえかよ」
「だ、だからゴメンて言ってるだろ? そ、そりゃあ、あたしも悪いと思うけどさ……」
ボヤきつつ、ジト眼で翠を睨み付ける元親。
翠は縮こまりながら、先程の事を反省する。
そして璃々の方はと言うと、次の遊びの準備をしていた。
「丁度良いや。翠、お前も璃々の遊びに付き合ってやれ」
唐突な元親の申し出に、翠は狼狽する。
「え、ええっ!? あ、あたしはご主人様に別の用事で来たんだけど……」
「付き合ってくれたら、お前の用事も聞いてやるよ。だから、な?」
「え、え……う、う〜ん……」
こんなつもりでは無かったのだが、最早元親の頼みを断る事は無理だろう。
だが最終的には自分の用事を聞いてくれると言うので、翠は引き受ける事にした。
子供は好きだし、璃々の相手も別に嫌いではなかったので、都合は悪く無かった。
「よし、じゃあ決まりだな。一緒に相手を頼むぜ?」
「分かってるって。その代わり、あたしの用事も聞いてくれよ?」
2人がそう会話を交わす中、璃々の準備が完了したらしい。
元親を呼び、自分の隣に座らせた。
「すいのおねえちゃんも、いっしょにあそんでくれるんだよね?」
「うん。でも、御手柔らかに頼むよ? 璃々ちゃん」
「それで璃々、お馬さんごっこの次は何をするんだ?」
見ると何処から持ってきたのか、白い布の上に皿が何枚か置いてある。
更に元親が普段使っている湯飲みと、普通の湯飲みも置かれていた。
「つぎのあそびはねえ、おままごと!」
「「…………はっ?」」
元親と翠が同時に固まる。璃々は変わらず、笑顔のままである。
自分達は良い年齢だと言うのに、飯事を一緒にしろと言うのか。
引き攣った笑みを浮かべつつ、元親と翠はお互いの顔を見つめた。
(ご、ご主人様……!?)
(仕方ねえだろ! 腹を括れ!)
(う、うう〜……愛紗達には見られたくないよぉ)
2人が葛藤している間、璃々から飯事の設定(らしき)物が発表されていく。
元親が父で、翠が母、つまり2人は夫婦と言う事である。
ちなみに言うと、璃々が彼等の産んだ子供と言う設定らしい。
(うう〜……たかが飯事とは言え、ご主人様と夫婦って……)
元親は既に覚悟を決めているが、翠は未だに葛藤中のようだ。
そんな彼女の横で、璃々が飯事の始まりを宣言する。
それと同時に元親が慣れない様子で「ただいま」と呟いた。
――どうやら帰宅した風景を再現しているらしかった。
「お、お、おかえりなさい……ご、ご、ごしゅじんさま……?」
「むうう……! おねえちゃん、だめだよぉ。ごしゅじんさまのことは、だんなさまってよばないとぉ!」
「……う、うえええ!? そ、そんなの無理だって!?」
翠は何とか逃れようとするも、璃々の上目遣いの訴えに見事撃沈。
顔を真っ赤にしながら、たどたどしい口調で言った。
「お、お、おかえりなさい……だ、だ、だ、旦那、様……」
「(大丈夫かよ……)ああ、御迎え御苦労さん」
「ご、ご飯にします? そ、そ、それともお風呂になさいます?」
内心で翠を心配しながら、考える素振りを見せる元親。
一応彼なりに、飯事を面白くしようとしているようだ。
だがここでもまた、璃々の不満の声が上がった。
「むう、むうう! だめだよ、おねえちゃん。ごはんとおふろだけじゃだめなんだよぉ」
「え、ええっ!? これ以上何を用意しろって言うのさ?」
翠に訊かれた璃々が、えっへんとでも言いそうに胸を張りながら言った。
「おかあさんがいってたもん! ごはんとおふろのほかに、じぶんをよういしておくんだって!」
「へっ……自分を用意って…………――――ッ!?!?」
璃々の言葉を少し遅れて理解した翠の顔が、再び真っ赤に変わっていく。
元親も璃々の子供らしからぬ言動に、唖然として口を開いたままだった。
それから翠は素早く立ち上がり、真っ赤な顔を両手で隠しながら、部屋を出て行く。
「ああ!? おい、翠!?」
「あたしにはもう無理だぁぁぁ! もう用事なんかいいから、あたしは降りるよぉ!!」
物凄い力で扉が開き、壊れるのではないかとぐらいの勢いで閉じた。
しかし扉が閉じていても、翠の苦悶の声が聞こえてきていたりする。
それを思うと、恥ずかしさが嫌でも分かってしまうのだった。
「??? ごしゅじんさま、どうしてすいおねえちゃんはかえっちゃったの?」
「あ〜……そうだな。とりあえず暫くあいつを放っておいてやりな」
元親は璃々の頭を撫でながら、紫苑の顔を思い浮かべる。
(あいつとは時間を取って、璃々の育て方を話し合わなくちゃいけねえみてえだ……)
溜め息を吐きながら、元親は深々と思った。
彼の休みは、まだ始まったばかり。
しかし今日1日が、波乱である事は、言うまでもない。
後書き
久し振りの更新です。鬼姫†無双、後日談編その3をお届けしました。
今回は璃々と翠との絡みです。調子を戻す為、日常を書きました。
う〜ん……ちゃんと戻っているかなぁ。その辺りは読者の皆様の反応に期待です。
次回の更新は未定ですが、呉の小悪魔姫様に登場してもらう予定です。
では。