幽州にとって貴重とも言える少数しか無い医院――その中の1つで、とある女医が気合いを入れていた。
女医の名は華柁、幽州の太守である長曾我部元親専属の医師になった、ある意味名誉の女性である。
(きょ、今日も頑張らなくちゃ……)
大袈裟すぎるくらいの深呼吸を2回程行い、これからする検診に向けて精神を集中させる。
実は彼女、医師としての腕前はかなりの物なのだが、極度の緊張癖を持っているのである。
このせいで初めて元親の検診をした際に気絶してしまうと言う、荒業をやってしまったのだ。
それからと言うもの、自身を指導してくれる師匠と共に精神修行を重ね、何とか気絶しない程度にまで成長したのである。
この修行のお陰か、今までの検診で気絶する事は無くなったが、手が意思とは関係無く震えたりするのは治ってはいない。
まだまだ自分は未熟と言う事か、華柁は嫌でもそう思わされてしまった。
(ううん、太守様は期待して下さっているんだから……頑張って応えなくちゃ駄目だ!)
暗い気持ちに沈み掛けた自身に喝を入れるかのように、頬を3回程強く叩く。
衝撃のせいか、暗い気持ちが一気に吹き飛んだような気が何となくした。
「(よしっ! 行こう!)それでは師匠、太守様の検診に行って参ります!」
「…………うむ」
奥の部屋で薬の調合をしている師匠に一声掛けた後、華柁は意気揚々と医院を出て行く。
師匠は適当な返事しか返さなかったが、心の中では密かに彼女を応援していたりする。
「頑張るんじゃぞ……ヒヨッコ娘」
皮肉のように聞こえながらも、何処か愛娘への愛のような物を感じさせる師匠の言葉。
その言葉は華柁に届く事は無く、部屋の中に消えていった――
◆
「…………もう大丈夫です。後はゆっくり身体を動かして、慣れさせてあげて下さいね」
「本当か! 良かったぜ、やっと半寝たきり生活から解放される……!!」
定期検診を終え、道具を布袋に入れつつ、元親に容体を伝える華柁。
元親の傷口はほぼ完全に完治し、もう安心しても良い状態だった。
華柁から身体の経過を聞いた元親の表情は笑顔に満ち溢れている。
「ふふ、太守様は御身体を動かすのがとても好きなのですね」
「そりゃそうだぜ。俺には寝たきり生活なんて合わねえんだよ」
診察のために脱いでいた上着を羽織りつつ、元親は笑顔を浮かべながら言った。
そんな彼がとても無邪気な子供のようで、華柁は微笑ましく思ってしまう。
「でも急激な運動は厳禁ですよ。少しずつ、ゆっくりですからね?」
まるで子供に言い聞かせるように言う華柁。
元親は苦笑しつつ、頷く。
「分かってる。医者の言う事には素直に従うさ」
元親の言葉に満足したかのように、笑顔で華柁は頷いた。
「それにしてもお前、随分と変わったな。最初の頃とは大違いだぜ?」
「あうう……! その事はもう言わないで下さい……」
最初のことを穿り出され、華柁は瞬時に顔を赤らめる。
確かに最初の頃とは随分変わったと、自分でも思ってはいた。
「いや〜〜〜あん時は見事な倒れっぷりだったなぁ」
「あうう……」
「オマケに気絶した時は白眼を剥いてたからな。見掛けた璃々が少し泣きそうに――」
「も、もう止めて下さ〜〜〜い! 太守様は意地悪です!!」
長い白髪を揺らしつつ、華柁の瞳が涙に濡れる。
反応が面白いからと言って流石にからかい過ぎたかと、元親は内心反省した。
「あ〜〜〜そう言えばよ、お前がいつも持ってる布袋って大切な物なのか?」
「あ……え……きゅ、急に何ですか?」
元親の急な話題転換に付いていけなかったのか、華柁が戸惑ったような仕草を見せる。
そんなことは気にせず、元親は更に言葉を続けた。
「いや、来る時も帰る時も大事そうに持ってるからな。少し気になってたんだよ」
「…………そうですね。とても大切な物です、これは」
華柁は一呼吸間を置いた後、元親からの問い掛けに答えた。
それから布袋を持つ手に力を込め、ゆっくりと語り始める。
「これは師匠に貰った物なんです。弟子入りをして間も無い頃、師匠が道具を入れるのに使えって……」
「へえ…………あの爺さんがか」
定期検診の医師が華柁に変わる前にここを訪れていた老医師。
頑固で患者に厳しいながらも、患者の事はとても大切に気遣っていた彼。
自分や愛紗達が怪我を負った時には随分説教された事も、元親は思い出していた。
「師匠が私のためにくれた贈り物です。ですから、とても大切な物なんです」
「良いなぁ、そう言う話。野郎共に聞かせてやりたいぜ」
「そんな、取り留めの無い話ですから……」
「そんな事ねえって。謙遜し過ぎるのも悪い癖だぜ?」
クックッと意地の悪い笑みを浮かべる元親に対し、華柁は困ったような笑みを浮かべた。
部屋に穏やかな空気が流れる中、部屋の扉が勢いよく開けられた事によって、そんな空気はすっ飛んだ。
「とても楽しそうですね……ご主人様」
不機嫌な表情を浮かべつつ、元親を見つめる朱里。
小さい身体ながらも、そこから放たれる覇気はかなりの物だ。
その覇気に当てられたせいか、華柁は思わず顔を引き攣らせてしまった。
しかし元親はそんな事には全く気付かず、自身の容体を伝えた。
「おお、朱里。傷は塞がったから、もう身体を動かして大丈夫だとよ」
「ええっ!? 本当ですか! おめでとうござい――じゃなくて!!」
そう大声を上げ、朱里は元親に急いで詰め寄った。
そして手に持っていた複数の書類を元親に手渡す。
「げっ!? 朱里、病み上がりの俺に早速仕事をさせる気かよ!?」
「女医さんとお話をしている暇があるのでしたら出来る筈です!」
「んな無茶苦茶な!? 少しばかり世間話をしてただけだぞ?」
「その割にはとても楽しそうだったじゃないですか! ちゃんと扉の前で聞いていたんですからね!!」
「誰かと話をしてる時って自然と楽しくなる物……ってお前、扉の前でわざわざ聞いてたのかよ」
元親の何気ないツッコミに対し、朱里の顔に動揺が広がる。
「――――はうっ!? そ、そんな事はどうでも良いんです! 早く仕事をしちゃって下さい! 愛紗さんも絶対にそう言う筈です!!」
動揺を必死に隠し、元親に仕事をするように言い渡す朱里。
それは避けようと、元親は必死に抵抗を続けた。
「いくら愛紗でもきっと言わねえよ。頼むから勘弁してくれ……!」
「絶対に駄目です! 絶対に駄目です!!」
元親が必死に弁解を図るも、嫉妬に燃える朱里にはとても通じなかった。
そんな様子を見兼ねたのか、華柁がオズオズと朱里に近寄る。
「あ、あの……諸葛亮様? 病み上がりの太守様にキツイ御仕事はまだ……」
朱里がキッと華柁を睨みつける。
「医師の華柁さんは黙っていて下さい! これは私とご主人様の問題なんです!!」
「あうう……! も、申し訳ありません……!?」
「くうう……! それに華柁さん!!」
朱里が次に華柁に詰め寄り、上目遣いで睨みつける。
身長差がある為にこんな状態になってしまうのだが、今の朱里に微笑ましさは感じない。
華柁自身、朱里から向けられている上目遣いは恐怖以外の何者でも無いのだ。
「貴方は私と性格が何処か似ているのに、身体の部位が違い過ぎです!」
この瞬間、部屋の空気が固まる。
「背も高いし……顔立ちだって良いし……細身だし……胸は大きいし……不公平です!!」
「いや、あの……そんな事を言われても……あうう……!!」
何時の間にか蚊帳の外状態である元親。
自身の傍で行われている下らない言い争い(?)に溜め息を吐く。
「ハァ……もう勝手にやってろ」
何時になれば終わるのか分からない言い争い(?)に視線を逸らし、書類に眼を通す元親。
寝たきりの方が何かと少しは楽だったが、今の方がやはり良いと密かに感じていた。
その後、朱里の暴走は後に部屋を訪れた愛紗、桜花、鈴々によって収められた。
朱里の言葉攻めから解放された華柁は、心身共に疲労でフラフラだったと言う――