政務に一区切りを付け、ブラブラと一休みに通路を歩く元親。
時折口から欠伸が漏れる姿は少々の気だるさを感じさせる。
何処か木陰で休もうかと、元親が適当な場所を見回していると――
「ん……? ありゃあ……」
元親が視線を向けた先には朱里と月、珍しい2人組の姿があった。
ほぼ同じ体格、身長をした2人は前へ歩きつつ、何か話している。
「え〜っと……これがこうなって……」
「ほえ〜〜〜こうすれば良いのかぁ……」
「次の項に詳しい説明が載っているみたいだよ」
どうやら何かの書物を2人で読んでいるらしい。
かなり集中して読んでいるらしく、後ろに居る元親の気配に気付いていない。
それどころかすぐ前にある障害物にも彼女達は全く気付いていないようで――
「はうっ!」
「へうっ!」
徐々に迫っていた柱にぶつかり、2人は似たような悲鳴を上げる。
痛む額を押さえながらも、朱里と月は再び読みながら歩き始めた。
どうやら先程の事では全く懲りないらしい。
(おいおい……何をそんな真剣に読んでやがるんだ?)
その後も2人は何度も柱にぶつかったり、石に躓いて転んだりした。
しかしそれでも書物を読むのを止めないのはある意味で凄いと言える。
元親も2人を見兼ね、途中で声を掛けようかと思ったりしたのだが――
(何か面白えな。さっきからずっと同じ事を繰り返してて)
現状が面白いからあえて止めない――元親の悪い癖が出てしまったのだ。
都合が良い事に2人は書物に夢中で自分の気配には全く気付いていない。
面白い姿を観察するにはピッタリの環境と言えた。
(でも流石にこれ以上は不味いな。ちょいと勿体ねえが、そろそろ注意しとくか)
暫くしてから楽しむのを止め、元親はサッと2人の歩く少し先に回り込んだ。
当然朱里と月は書物に夢中で気付かず、そのまま前方に立っている元親に向けて歩いて行く。
その事に少し寂しく感じつつ、元親は浅く溜め息を吐いた。
「おい、お前等――」
そしてすぐさま元親が注意をしようと、2人に声を掛けようとした時――
「はうっ!」
「へうっ!」
朱里と月が元親の身体にぶつかり、悲鳴を上げながら尻餅を付いた。
その拍子に朱里が持っていた書物が彼女の手から離れ、元親のすぐ傍に落ちる。
「わ、悪ぃ悪ぃ。声をもう少し早く掛けりゃ良かったな」
痛むお尻を擦り、涙眼を浮かべる2人に手を差し伸べる元親。
まさか衝突されるとは夢にも思っていなかったので少々焦った。
「はわわっ! ご、ご主人様!!」
「へ、へうっ! 何時からそこに……!!」
そして朱里と月はようやく主の姿に気が付いたらしい。
顔を真っ赤に染め、2人は慌てた様子を見せている。
「いや、だいぶ前からお前等の姿を見つけてたんだがよぉ……」
「そ、そうだったんですか。声を掛けてくれれば良かったのに……」
「最初はそうしようと思ったんだが……その、面白かったからな」
元親が頬を掻きつつ、苦笑しながら言う。
そんな彼の態度に朱里と月は首をゆっくりと傾げた。
「まあ何だ、注意力散漫になるほど歩き読みをすんなってとこだな」
元親がそう言いつつ、自分の傍に落ちていた書物を手に取り、ジッと見つめる。
それは表紙も裏表紙も黒く、題名も記されていない怪しげな書物だ。
「一体何が記されてんだぁ? 怪しげな気配がプンプンするぞ」
元親が開こうと表紙に手を掛けようとした時、2人が元親に飛び付いた。
彼女達の顔は先程よりも真っ赤であり、かなり狼狽している。
「は、はわわっ!? ご主人様、それ返して下さい!?」
「ご主人様が読んでも面白くないですよぉ!?」
朱里と月が取り返そうと、必死に元親が持つ書物に手を伸ばす。
「おっと! 何を慌ててんだぁ?」
しかし悲しいかな、元親と2人の身長の差はかなり激しかった。
必死に跳び上がっても元親が宙に上げた書物には到底届かない。
「意地悪しないで返して下さい! 本当に面白くないですからぁ!」
「おいおい何だ? そんなに俺に見られちゃ困る代物なのかよ」
元親の問い掛けに2人は「うっ……」と、答えに詰まる様子を見せた。
2人の反応に意地の悪い笑みを浮かべた元親は更に言葉を続ける。
「答えが無いって事は別に見られて困る代物じゃないんだよな?」
そう言って再び表紙に手を掛けようとする元親。
そのまま見ている筈も無く、朱里と月が元親の腰に組み付く。
「だ、駄目です! 読んじゃ駄目ですよぉ!」
「何だよ。さっき答えなかったじゃねえか」
元親の言葉に「意地悪です!」と、怒りながら言う朱里。
本人は怒っているつもりかもしれないが、元親からすれば迫力は皆無だ。
「こ、困る物です! ご主人様が読んじゃ困る物ですからぁ!」
「お、おいおい…………」
朱里に負けず、ポカポカと元親の腰を叩きながら止める月。
当然ながら本気で叩いている訳でない為、痛みなどは無い。
そんな2人の様子を見た元親は宙に上げた書物をゆっくりと朱里に差し出した。
「へっ……」
「見られちゃ困る代物なら、次から部屋で読めよ。堂々と読んでたら秘密にもならねえぜ?」
そう言った後、元親は残っている片手で朱里と月の頭をポンポンと優しく叩いた。
2人は頬を赤く染めながらも「ありがとうございます」と、礼を言って頭を下げた。
そして朱里がおずおずと元親から差し出された書物に手を伸ばそうとした時――
「「「あ…………」」」
突然この場に一陣の風が吹いた。
そのせいで固く閉じられていた書物の表紙がゆっくりと持ち上がっていく。
それからページがペラペラと捲れ、風が止むと同時に捲れるのも止まった。
3人の視線が自然と捲れていった書物に移る。
そこに記されていた内容を分かりやすく言ってしまえば――
『身長と体形を劇的に変える術』
『胸を人並み以上に育てる術』
『身体能力を飛躍させる術』
と言った物が詳細に記されていた。
難しい字が延々と並んでいる内容は全て上記のやり方で埋められているのだろう。
身長と体格が人並み以下の2人にとって夢中になるのも仕方がないかもしれない。
「「「……………………」」」
3人の間に気不味い空気が流れる。
元親が苦笑しつつ、2人を見やった。
「はわっ……はわわ……!!」
「へうっ……へうう……!!」
口をパクパクと開けたまま顔を真っ赤に染める朱里と月。
その暫く後、2人は涙眼を浮かべながら元親をキッと睨んだ。
(うおっ……! な、泣いた! 泣かした!)
迫力が皆無な睨み付けには動揺しなかったが、泣かした事に動揺する元親。
朱里と月に掛けてやる言葉が見つからず、元親の空いている手が宙を泳ぐ。
「ご、ご、ご主人様の馬鹿ぁぁぁぁぁ!!!」
「も、も、もう知らないですぅぅぅぅぅ!!!」
刹那、朱里と月がそう吠えてこの場を走り去った。
1人この場に残された元親は呆然と立ち尽くしたままだ。
「…………今のは全部俺が悪いのかよ」
そう呟いた後、深々と溜め息を吐く元親。
これをどうしようかと、2人が置いて行った書物を適当に捲っていく。
そして最後のページまで読み進むと、そこに覚えのある名前があった。
「…………お前が貸したのか」
元親の眼に映るページの隅には小さく“華柁”と書かれている。
思わぬ人物の登場に再び元親は人知れず深い溜め息を吐いた。
その後、2人の代わりに書物を返しに来た元親の姿を見て華柁が気絶するのは――また別の話。