我は鎖に縛られている。滅ぶ事を知らぬ肉体と共に、永い年月を過ごしてきた。
この狭苦しい中で、我は一歩も動けぬまま、時が流れて世界は変わっていった。
――いや、支配者として君臨した者は変わっていない。神を気取る愚かな生物め。
高慢な貴様の事だ、己が世界の支配者のままで在り続けると思っているのだろう。
だがそれは間違いだ。何年経とうとも、我は必ずここから抜け出し、貴様を滅す。
その為の手段として“お前”を残しておく。
“ ”よ、我が創造した、分身とも言うべき者よ。
目覚めの時が来たならば、我をここから開放するのだ。
世界が“奴”の支配下のままで終わる前に、必ず――
薄暗い部屋の中――周囲を構築する石の壁が規則正しく並び、室内を形成している。
更にその室内の中央には、壁と同じ石で精巧に構築された祭壇のような物があった。
そして――その祭壇の前に倒れ伏す、1人の男。
「ウッ……うあ……」
苦しそうに呻き声を上げつつ、男は閉じていた瞼をゆっくりと開ける。
最初に感じたのは、顔を付けていた石の地面が冷たいと言う事だった。
それから男は両腕を支えにし、瞼と同じく、ゆっくりと身体を起こす。
身体が重く、気ダルい感じが少し鬱陶しく思えた。
「ここは……」
男は周囲を見渡した。知らない場所である。
どうして自分はこんな所に居るのだろうか。
いや、そもそも肝心な事が分かっていない――
「……俺は……誰だ?」
呆然としたように男が呟く。
自分が何者なのか分からない。
記憶が、自分の記憶が――
「ここは何処だ……? 俺は誰だ……? 何だ……思い出せない……!」
無い。
「俺は……誰なんだ……?」
そう呟いた瞬間、男の頭に鈍器で殴られたかのような激痛が走った。
あまりの衝撃に男はガクリと膝を突き、頭を守るように押さえる。
歯を食い縛り、必死に耐えていると、その痛みは突然引いていった。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
荒い息が口から何回も零れ出る。額からも汗が流れていた。
先程頭を駆け抜けた激しい痛みは一体何だったのだろうか。
だが――男の頭の中には、つい先程までには無かった情報が入っていた。
「オール……俺の名前は……オール。ここは塔……魔道の――」
何時の間にか頭の中に入っていた――ごく僅かながらの――断片的な情報。
オールが無意識にそれ等を呟いていた時、キィと軋むような音が響いた。
「――――ッ! 誰だッ!」
オールは思考を切り替え、視線を音の響いた方に向けた。扉が開いている。
その隙間からは――口から涎を垂らした――鋭い眼付きの狼が覗いていた。
「獣……!」
オールは腰に提げていた剣を抜き、今にも襲い掛かろうとしている狼に備えた。
どうして自分は剣など持っていたのか――他にも疑問に思う事が山ほどにある。
だが今は、その疑問に答えを出している暇は無い。命の危険に晒されているのだから。
バンッ! と扉が壊れるかと思うぐらい乱暴に開かれ、姿を現したのは3匹の白い狼。
残る2匹も扉の隙間から覗いていた1匹と同じように、凶暴そうな眼付きをしていた。
オールは剣を構え、睨んでくる狼達に対し、威嚇するように睨み返す。
(俺は……戦い方を知っている……! 身体が覚えているのか……!)
唸る3匹の内、1匹が痺れを切らしたかのようにオールへ飛び掛かった。
鋭い歯と爪を剥き出しにし、眼の前の得物を引き裂こうとしている。
オールは未だに気ダルさの残る身体を必死に動かし、その攻撃を避けた。
着地した狼が素早く振り返り、再び襲い掛かろうとした瞬間――
「ウオオオオオオッ!!」
オールの剣が雄叫びと共に振り下ろされる。
狼の顔面が縦に割れ、鮮血が吹き出した。
それからビクビクと暫く痙攣した後、息絶えた事に理解の遅れた狼の身体が倒れた。
仲間が殺された事に怒りを覚えたらしく、残った2匹が激しくオールを吠え立てる。
「ここで死ぬ訳にはいかない……死ぬ訳にはいかないんだ」
自分が何者なのか知る為にも――オールは狼達の方に向き直し、剣を構えた。
それと同時に狼達も吠えるのを止め、足を屈めた。飛び掛かろうとしている。
オールが覚悟を決め、駆け出そうとした瞬間――光が狼達に走った。
「――――ッ!」
光が走った狼達の首は綺麗に切断されており、血を流している。
駆け出そうとした足を止め、オールは狼達の背後に視線を移した。
両手に長剣を持ち、紫の衣服を纏った長身の男が立っている。
髪型は針のように先が尖り、天を指している。何とも個性的な髪型だ。
男は刀身に付いた血を振り払った後、両腰に提げた鞘に収めた。
「大丈夫か?」
男の問い掛けに対し、オールは頷く。
「ああ……助かった。礼を言う」
剣を腰に提げつつ、オールは助けてもらった礼を言った。
男は「礼など不要」と言った後、オールにゆっくりと詰め寄る。
「その姿からして冒険者か。こんな所で何をしていた?」
男の眼付きは、先程助けに入った時のような物ではない。
明らかに怪しい者を見つめているような、そんな物だった。
オールは首を横に振りながら、一言呟く。
「分からない……何かをしていたのかもしれないし、していなかったのかもしれない」
「何だそれは……? ふざけているのか?」
「それは違う。どうしてここに居るのか……分からないんだ」
オールは訝しげな表情を浮かべる男に対し、先程までの事を包み隠さず話した。
気が付いたらここに居た事、頭に走った痛み、自分の名前、ここの名前――全てを。
男は顎に手を添え、暫く何か考え込む仕草を見せた後、深く溜め息を吐いた。
「もし君の話が全て本当ならば、何かのショックによる一時的な記憶喪失だろう」
「一時的? では時間が経てば、時期に俺の記憶は戻ってくるのか……?」
「あくまで私の推測に過ぎんがな。ここ、魔道の塔は凶暴なモンスターが多いし、恐怖のあまり記憶を失う……有り得ない事ではない」
そう言った後、男は扉の方へゆっくりと歩き出した。
オールはその場で立ち尽くしたまま、立ち去る男の背中を眼で追う。
視線に気付いたのか、男は彼の方へ振り向き、呆れたように言った。
「その場に立ったまま、再びモンスターの餌になるのを待つのか?」
「いや、出来る事ならここから出たい。だが俺は出口を知らない……」
オールがそう言うと、男は頭を抱えながら言った。
「出口まで送っていってやる。だから安心して私に付いて来い」
「…………すまない」
オールは申し訳なさそうに言った後、男の後ろに付いて行った。
◆
「思ったよりも出口へ着くのに時間が掛かったな。誰のせいとは言わないが……」
「すまない……としか言いようがないな」
男が横眼で睨んでくるのに対し、オールはただ謝るしかなかった。
遭遇したモンスターと戦う際に遅れを取り、男の足を引っ張ったからである。
一応自分の力で何匹か倒しはしたが、男が倒した数には到底及ばなかった。
「まあ剣の実力はあるようだしな。磨けば今日みたいな事にならないだろう」
「…………努力する」
そして魔道の塔から出てきた2人を、空に昇る太陽の光が出迎える。
オールは徐に後ろへ振り返り、先程まで居た魔道の塔を見上げた。
(俺は本当にここで何をしていたのだろう……)
内部はかなり複雑な構造をしており、慣れていなければ確実に迷う物だった。
しかし自分はこの中で倒れていたのだから、1度上った事は間違いないだろう。
更に塔をうろついているモンスターも男が前に言った通り、凶暴な物ばかりだ。
自分を最初に襲ってきた3匹の狼が生易しいと感じられるくらいである。
きっと上る際、あれ等のモンスター達を相手にしたのだろうと思った。
記憶を失ってはいるものの、戦い方は身体が覚えていたのだから。
「さて、無事に塔から出られた訳だが……君はこれからどうするのだ?」
「…………俺は……」
オールは男の眼を見つめながら言った。
「俺は自分が何者なのか知りたい。記憶が自然に戻るのを待つよりは、ずっと良い……」
「そうか、ならばこの先にあるギルドに行くと良い。当座の資金が必要なら、必ず行け」
「そこに行けば、資金が貰えるのか……?」
「そうじゃない。冒険者として登録してもらい、そこの依頼をこなし、報酬を貰うのだ。冒険者として各地を旅し、記憶を戻す手掛かりを探すのも悪くはないぞ。もしかしたら各地で君を知る人が居るかもしれないからな」
男がそう言い終わると、オールに背を向け、立ち去る姿勢を見せた。
オールはそんな彼を咄嗟に呼び止め、こちらへ振り向かせる。
「色々と世話になった。せめて名前を教えてくれないだろうか……?」
「…………私はベルゼーヴァ・ベルライン。帝国宰相だ」
そう言って微笑を浮かべた後、ベルゼーヴァは再び背を向けた。
「機会があれば、また会おう。オール」
オールは立ち去る彼の背中を見送りながら、彼の名を口ずさむ。
何故だか分からないが、赤の他人のような気がしなかったのだ。
「ベルゼーヴァ……彼も俺の記憶と関係があるのだろうか」
◆
魔道の塔から離れて数十分後――オールの眼に広大な街々が映った。
大勢の人々が歩き、会話している。中には奇抜な衣服を着込んでいる者も居た。
あちこちに立っている看板を見ると、ここは“エンシャント”と言う街らしい。
「エンシャントか……手掛かりを探すにしても、損は無いだろう」
暫く街を見て回りながら、オールは何か思い出す事が無いか散策してみた。
しかし結果は空しく、脳裏に思い出す事は何1つとして無かったのである。
「……落ち込んでいても始まらない。ベルゼーヴァの言っていた、ギルドとやらに行ってみるか」
歩く人々にギルドのある場所を訊きながら、ゆっくり向かうオール。
店が集中する繁華街に出ると、目的のギルドへ見つける事が出来た。
人の出入りも疎らだが、出入りする者は剣や槍を携帯し、鎧を着込んだ者達が多い。
恐らく彼等が冒険者と言う物なのだろう。
ギルドに登録すれば自分も晴れて仲間入りだ。
「俺の記憶を探す……第一歩だ」
オールはそう呟いた後、ギルドの扉をゆっくりと開けた。
中にはカウンターに居座る大柄の男性1人と、壁際に立つ女性1人。
オールはそれぞれを一瞥した後、カウンターの男性へ歩み寄った。
「おう兄ちゃん、エンシャント・ギルドへようこそ。何の用だい?」
「……登録をしてほしい。冒険者になる為の」
「おっ! 兄ちゃんも冒険者志望か。若い者は良いねえ」
そう笑いながら店主(らしい)男性は、オールに名前を聞いてきた。
オールが素直に名を答えると、店主は隣に置いてある砂時計のような物を見つめる。
それに少し興味を持ったオールが詳細を聞いてみると、幻術計と言う名の物らしい。
各地のギルドに置いてあるらしく、登録の際には必ず用いるとの事。
これを使用する事で登録申請者の犯罪歴などが全て分かるらしい。
無論、犯罪歴などあろう物なら、登録はすぐさま無効になるとの事。
「幻術計にブレ無し、犯罪登録も無し……これで今日から兄ちゃんも冒険者だ。おめでと」
「ああ……」
「な〜んか淡々としてるなぁ。それで、記念すべき初仕事はどうするんだい?」
店主が大きめの用紙を奥から持ち出し、オールに広げて見せた。
そこには仕事内容、依頼主、報酬、難度、期限などが事細かに書かれている。
オールは暫くそれを見つめた後、用紙を手に持ち、店主に向けて言った。
「少し考えさせてくれないか……?」
「ああ、構わないよ。初仕事だし、ゆっくり選ぶと良い」
店主が気さくに笑いながら言った。
オールは静かに礼を言った後、壁に寄り掛かりながら用紙の内容を見つめる。
彼の隣には、最初にここに入ってきた時に一瞥した、女性1人が立っていた。
(……俺が何かしたのか?)
隣に立つ女性の視線を感じる。用紙を見ながらも、それはマジマジと感じられた。
特に自分は彼女に向けて何か言ったとか、不快な事をした覚えは一切無い。
何故こんなに視線を向けられているのか――オールは内心で首を傾げるしかない。
「この感覚……無限のソウル……?」
女性がポツリと呟く。それはオールの耳にしっかりと届いた。
明らかに今のは自分を見ながら言った言葉である。
オールは視線を用紙から彼女に移し、問い掛けた。
「俺に何か用か……?」
オールの問い掛けに、女性は多少狼狽した様子で答えた。
「あっ……ご、ゴメンなさい。特に用がある訳じゃないの」
「ならば何故、さっきから俺の事をジッと見ていたんだ?」
彼女は少し困ったような表情を一瞬浮かべた後、言い難そうに口を開く。
そんな彼女に反応にオールは首を傾げたものの、静かに答えを待った。
「貴方が私の探している男性に、雰囲気が似ていたから……つい、ね」
「…………そうか」
オールはそう答えると、再び用紙に視線を移した。
疑問は解消されたのだし、これ以上彼女と話す事はない。
早く仕事を決め、この用紙を返さなければならない。
そう思案していると、今度は彼女から話し掛けてきた。
「仕事を決め兼ねているの?」
「……ああ、初めてだからな。どう言った物からすれば良いのか分からん」
そう答えたオールを再び見つめた後、女性は彼に提案するように言った。
「どう? 私とパーティを組んでみない? 私、丁度1人なの」
「お前と……?」
思わぬ彼女からの提案に、オールは眉を顰めた。
何か企んでいるのだろうか――1番初めにそう考えてしまう。
真意を問おうとした時、カウンターの店主が遮るように言った。
「受けてみたらどうだい? 彼女は最近名を上げてきた、なかなかのやり手だ。新人のアンタの力になってくれる筈さ。パーティ組んで協力して冒険なんてのも、良いもんだよ?」
「どう、かしら? 勿論貴方が良ければなんだけど」
オールは暫く無言のまま、彼女をジッと見つめた。
確かに店主の言う通り、新人の自分には願ってもない申し出である。
しかし万が一の場合――自分はベテランの彼女に勝てるのだろうか。
そう思っていると、彼女が苦笑しながら言った。
「貴方が怪しむのも当然の事ね。でも私が先に申し出た事だから……貴方が信じてくれるのなら、それなりに応えてみせるわ」
どうやら自分が考えている事は、既に彼女にはお見通しらしい。
しかしそれを承知の上で、協力を申し出てくれているのも事実。
そう考えたオールは、ゆっくりと首を頷かせた。
「宜しく頼む。深く疑ってすまなかった」
「ううん、疑った事は気にしないで良いわ。当然の反応だもの。でも良かった」
「そうか。そう言ってくれると、こちらも少しは気が楽になる」
「ふふ、じゃあ早速仕事を決めましょう。私達パーティの初仕事をね」
彼女との相談の結果、オールの記念すべき初仕事は『ナジラネの実採取』と決まった。
エンシャントのすぐ近くにある“賢者の森”と言う所から“ナジラネの実”と言う果実を取ってくると言う内容である。
彼女曰く「配達、採取などの仕事は初心者向け。依頼者の護衛、モンスター退治などの仕事は上級者向け」らしい。
「装備は私が一通り揃えてあるから、すぐにでも行けるわ。何かここで済ませておきたい用事とかある?」
「いや、特にない。すぐにでも行けるのなら、俺はそれで構わない」
「そう、なら行く前に自己紹介しておくわ。私はイーシャ、宜しくね」
彼女――イーシャがソッと手を差し伸べる。
オールはそれに応え、優しく握り返した。
「……オールだ。宜しく頼む」
「ええ、宜しく。オール」
自己紹介を終えた2人は目的地へ向け、ギルドを出て行く。
店主は旅立つ2人の背中を、優しい眼で見送るのだった。