エンシャント・酒場――ナジラネの実採取の依頼をこなし、報酬を貰ったオールとイーシャは、ここで軽く昼食を食べていた。
その中でオールは、昨夜にオルファウスから頼まれた仕事の内容を、イーシャへと話した。内容を知った彼女は、思わず――
「わ、私達が聖杯の奪還をッ!?」
そう叫び、席を立っていた。酒場に居る人々の視線が彼女に集まっていく。
恥ずかしさに頬を赤らめつつ、イーシャは周囲に謝りながら座り直した。
「オール、それって本当なの?」
「嘘を言ってどうするんだ」
「でも、どうして私達に頼むのかしら?」
「さあな……そこまでは分からん」
彼女に素気なく答えつつ、オールは昨夜のオルファウスとの会話を思い出していた。
彼が自分に頼みたい事があると言い、浮かべていた表情は、極めて真剣な物だった。
【アーギルシャイア……彼女は気まぐれで残酷です。自らの快楽の為に殺戮を楽しみ、街を焼く事など、何とも思っていません。求めている闇の神器を奪う為なら尚更です。そう言う訳で、新たな犠牲を出してしまう前に、聖杯を取り返して来てほしいのです】
【…………内容は分かった。だが取り返した後はどうすれば良い?】
【聖杯はここに持って来てくれれば、私が預かります。最も、貴方が聖杯を守り切る自信があるのでしたら、貴方自身が預かっていてくれても構いません。その辺りの判断は、その時の状況にお任せします】
【…………分かった。だがオルファウスさん、どうしてそんな事を俺達に頼むんだ?】
【そうですねえ……まあ貴方が無限のソウルの持ち主だから、とでも言っておきましょう】
結局彼は腹の底の真意を隠したまま、答えてはくれなかった。
無限のソウルとやらが、それ程重要な意味を持つのだろうか。
オールの頭の中に、それ等の疑問が尽きる事は無かった。
「頼まれたのは良いけど……私達、ゴブリン達の居場所は分からないわよ?」
「……昨日オルファウスさんが行方を調べてくれた。奴等は俺達と会った後、賢者の森を抜けて大陸の各地を転々としているらしい。それに奴等の魔力は小さいらしいから、アーギルシャイアでも探し出す事は困難。奪還に多少の時間は掛かっても大丈夫と言っていた」
「そう……じゃあ旅の中で、彼等を探すしかないのね」
「……そう言う事だ。かなり長い道のりになりそうだがな」
イーシャが溜め息を吐くと同時に、オールは手元の紅茶を飲んだ。
程良い香りが鼻孔に漂い、億劫な気分を少しでも晴らしてくれる。
刹那、イーシャの深々とした溜め息が聞こえてきた。
「闇の神器は危険だと分かっているけど、まさかまた関わる事になるなんてなぁ……」
「以前にも関わった事があるのか? 闇の神器に……」
オールの言葉にイーシャが苦笑する。
思わずオールの眼が細まった。
「昔の話よ。その時からもう関わり合いになるのは避けたかったんだけどね……」
彼女の表情に、少しだけ暗い影が過ぎる。オールは首を傾げた。
以前に彼女が言っていた、探している男性と関係あるのだろうか。
イーシャもまた、自分と同じように何かを背負っているのか――
(……だが俺が、安易に訊く物ではないな)
そう言い聞かせ、オールは再び紅茶に口を付ける。
一通り飲み終わった後、オールは彼女に言った。
「大丈夫なのか? また、深く関わる事になるかもしれないと言うのに……」
「ふふ、大丈夫よ。世界が危ないかもしれないのに、そんな事は言っていられないわ」
外見とは裏腹に、彼女の心根はかなり強いらしかった。
オールは彼女の表情を見て、何処か安心している自分に内心戸惑っていた。
表情に出さないようにしているが、オールは今の自分が理解出来なかった。
(よく分からん。俺は何を考えている……)
「どうかした? オール」
「…………何でもない。気にするな」
オールが何故か呆れた様子でいるのに、イーシャは首を傾げた。
その後、昼食を済ませた2人は、今後の行動について話し合う。
「私はこの後、エンシャントの街を適当に回るわ。オールはどうするの?」
「……俺はもう暫くここに居る。その後はギルドで仕事の確認をしておく」
「分かったわ。じゃあ私は回ってる間に、今日泊まる宿を取っておくわね」
「宜しく頼む……」
笑顔で頷いた後、イーシャは酒場を出て行く。
彼女が出て行ったのを確認すると、オールはオルファウスから貰った袋を開けた。
そこから適当に1冊の本を取り出し、ゆっくりとページを開き、内容に眼を通す。
「この大陸の……バイアシオンの歴史についての本か」
次のページを開き、オールは真剣な様子で黙読していく。
オルファウスの言った通り、内容は分かりやすい構成だ。
〜バイアシオン大陸・神々の戦争〜
・聖母神ティラ
最高神である天空神ノトゥーンと、太陽神アスラータの間に生まれた双子の長女。
精霊神を産み出し、バイアシオン大陸に存在する全ての自然を作り上げてきた。
だが精霊を殺し、自然を破壊する人間の行いに怒り、人間を滅ぼそうとする。
しかし双子の長男、大地神バイアスの手により、深い闇の中へと封印される。
・破壊神ウルグ
ノトゥーンとアスラータの3番目の子。大地神バイアスと共にティラと戦った闘神。
人間の少女システィーナと恋に落ちるも、彼女を人間に殺されたせいで闇に落ちた。
その後システィーナ復活を条件に、ティラへ忠誠を誓い、闇の軍勢を率いて反抗。
しかし立ちはだかった戦神ソリアスに敗れ、ティラと共に深い眠りに就いた。
・聖竜
神々の戦争を生き残った、7匹の竜の事を指す。
竜王、翔王、海王の三聖竜は、神の代理として人々に崇められている。
残る4体は邪竜として封印されており、封印の場所は分かっていない。
〜以下、戦いの歴史の流れ〜
・聖母神ティラ、人間達が自然を破壊し、世界を作り替えていく事に激怒。人間を滅ぼそうと、行動を開始する。
・冥界を治めていたヴァシュタールとアスティア、ノトゥーンに背く。その後はティラに付き、冥王の座を追われ、魔人へ変貌。
・バイアス、聖竜と巨人達を創造し、ノトゥーンとウルグを助ける。ウルグは英雄神として神々の側に立ち、ティラの軍勢に勝利。
・だがその後、心無い人間達の手により、互いに愛し合っていたシスティーナが殺される。
・ウルグはノトゥーンにシスティーナの復活を祈るが、拒まれた為、システィーナ復活を条件としてティラと盟約を結ぶ。
・ウルグ、ティラと共に人間を滅ぼす為の戦いを始める。その最中、闇の円卓騎士がウルグに助力。復活を遂げたシスティーナはソウルを受け取らず、ウルグを見守る存在となる。
・ノトゥーンはウルグを倒す為、異世界からソリアスを召還。ソリアスは異世界の従者や6種の武器を用いて闇の円卓の騎士を次々と倒し、ウルグと死闘を繰り広げた。
・ソリアスの自らの肉体を犠牲にした一撃により、ウルグは深く傷付き、眠りに就く。ソリアスは自らの役目を果たし、異世界へと去る。
「ふう……」
オールは瞼を押さえながら、本を閉じた。
なかなか興味深い事が書かれている。
ウルグ、闇の円卓騎士――彼等は神話時代の頃から存在していたらしい。
「……そろそろ出るか」
本を袋にしまい、それを肩に掛け、オールは席を立った。
後ろから店主の元気の良い声が聞こえてくる。
また来る事になるだろうと思いつつ、オールは酒場を出た。
◆
ギルドへ仕事の確認へ行く前に、オールはまたエンシャントの街を見て回る事にした。
初めて来た時に大体は回ったが、また今日も回れば、新しい発見があるかもしれない。
(まあ、淡い期待を抱くだけ無駄かもしれないがな……)
そう思いながらも、自身の記憶を戻す手掛かりを探すオール。
ある一角に差し掛かった時、何人かの人々が半壊した建物の前に集まっていた。
横眼でそれを見ながら、オールは騒いでいる人々の声に耳を傾ける。
「全く酷いな。歴史ある魔道アカデミーの校舎が、こんな事になるなんて……」
「一体誰の仕業なんだ! こんな無礼な行い、即刻退学物だぞ!」
「ユーリスに決まってるでしょ! 魔道アカデミーの劣等生! 絶対そうよ!」
男性の言葉に、その場に居る全員が確信したような声を上げた。
「ユーリスか……確かにあいつ、魔法の練習と称して、いつも何か爆発させてたもんなぁ」
「でもあいつ、何処に居るんだ? 姿を全然見掛けないぞ?」
「逃げたに決まってるじゃない! こんな事しでかして、居る方がおかしいわ!」
そんな物騒な会話が聞きつつも、オールは特に何も感じなかった。
ただそんな奴も世の中に居るのだろうと、少し思っただけだった。
「もう少し先に行ってみるか……」
オールはその場から早く離れるように、サッサと歩き出した。
魔道アカデミーの校舎から先を行くと、廃墟と化している街並へ出た。
人が住んでいる気配が微塵も無い事から、どうやらスラム街らしい。
流石にここまで足を踏み入れた事はなく、オールの興味が注がれる。
周囲を見回しながら進んで行くと、突然眼の前に広がった光景に、オールの足が止まった。
「ちっ、全く手間を取らせやがって!」
「誘拐の現場を見られちまった以上、生かしておく訳にはいかねえよな?」
「当たり前だろ。森の方に連れ込んで、始末しちまおうぜ」
2人の柄の悪そうな男が、手にナイフを握りつつ、物騒な会話をしている。
更に彼等の足下には、気絶していると思われる、小さな少女が倒れていた。
(放っておく訳にもいかない、な……)
オールは肩に掛けていた袋を投げ出し、腰に提げる剣の柄に手を掛ける。
そんな彼の存在に気付いたらしく、男達が驚いた様子でオールを見た。
彼等の表情には、明らかに現場を見られた事による動揺が広がっている。
「な、な、何だテメェは!?」
「一部始終を見させてもらった。その子を置いて、早く何処かへ行け」
「ふざけんな! 見られちまった以上、テメェも生かしちゃおけねえ」
2人の内、1人の男がナイフを突き出しながらオールへ突進する。
しかしそのあまりにも単調な攻撃に、オールは剣で軽くいなした。
「グゲッ……!?」
男が変な呻き声を上げたかと思うと、あっと言う間に地面に伏していた。
オールが刀身を寝かせ、男の腹部を思い切り叩いたのである。
この衝撃に男はひとたまりも無く、泡を吹いて気絶してしまった。
「お前はどうする? その子を置いて逃げるなら、手出しはしない」
「う、う、うわぁぁぁぁぁ!?」
情けない悲鳴を上げながら、男は逃げて行った。足が異様に速かった。
「仲間は放置か……哀れだ」
気絶している男を一瞥した後、オールは倒れている少女を確認する。
どうやら怪我はしていないようで、純粋に気絶しているだけのようだ。
オールが身体を軽く揺すってみると、彼女の瞼がピクピクと動いた。
「おい、大丈夫か?」
数回声を掛けた後、彼女の瞼がゆっくりと開いていく。どうやら気が付いたらしい。
瞼が開き切り、彼女の瞳がオールを暫く見つめた後――彼女が急に身体を起こした。
「あ……あ……! ルルアンタ、ちゃんと見たんだから! 皆さ〜ん! この人は――」
彼女が何か間違った事実を言いふらそうとしている事を感じ、オールは慌てて彼女の口を手で塞いだ。
「むが、むが、むがが……」
「落ち着け。ちゃんと見ろ、俺はお前を攫った奴等とは違う……」
オールが手を離すと、彼女はマジマジとオールを見つめた。
すると間違いに気付いたのか、彼女はオールに頭を下げた。
「ご、ゴメンなさい。ルルアンタ、勘違いしちゃったみたい……」
「分かってくれれば良い……」
「お兄ちゃんが悪い人達から助けてくれたんだね。私、ルルアンタって言うの。どうもありがとう」
「オールだ。駆け出しだが、冒険者をしている……」
彼女――ルルアンタが再び頭を下げ、名前を名乗ると共に礼を言った。
オールもそれに答え、名を名乗った後、彼女に背を向ける。
「次からは気を付ける事だ。分かったのなら、早く自分の家に帰れ……」
オールがそう言い、投げた袋を肩に掛け、その場を後にしようとした時だった。
ルルアンタが駆け出し、オールの隣に並んだのである。オールが顔を顰めた。
「何のつもりだ……?」
「えへへ、あのね……ルルアンタ、帰るお家が無いの」
予想だにしない彼女に言葉に、オールの眼が見開く。
「どう言う事だ……?」
「うん……ルルアンタ、お父さんとお母さん居ないの。ずっと早くに死んじゃった。お世話してくれたフリントさんも、旅の途中で盗賊に襲われて……死んじゃったの。それでルルアンタも捕まってたところを、さっきオールに助けてもらったんだ」
オールは黙ったまま、ルルアンタの話を聞いていた。
こんな時、どう言った言葉を掛けて良いのか分からない。
話し終え、俯くルルアンタに向け、オールは一言呟いた。
「辛いな……」
オールの言葉に、ルルアンタがゆっくりと頷く。
「うん、とっても辛かったよ。でもルルアンタ、元気なんだよ?」
「……無理をしなくても良い」
「ううん、無理なんかしてないよ。あのね、フリントさんが言ってくれたんだ。ルルアンタは元気だね、ルルアンタが元気だと私も嬉しくなって元気が出るよって……だからルルアンタ、天国のフリントさんが喜んでくれるようにいつも元気でいるの。フリントさんだけじゃなくて、周りの人達が元気になってくれれば、とっても嬉しいの!」
「そうか……」
オールはそう呟くと同時に――照れているのか――俯くルルアンタを見つめた。
そんな彼の視線に気付いたらしく、ルルアンタはオールを上目遣いで見つめる。
「ねえ、オールは冒険者なんだよね?」
「? ああ、そうだが?」
「……ルルアンタも、一緒に行っちゃ駄目?」
唐突なルルアンタからのお願いに、オールは反応が一瞬遅れてしまった。
思わずもう1度訊き返すが――当然の如く――同じ言葉が返ってきた。
「……何故一緒に行きたいんだ?」
「えへへ……オールが頼りになりそうなお兄ちゃんだから、かな?」
そんな理由か――オールは一瞬断ろうと考えた。
だがルルアンタは、彼女は自分と何処か似ている。
親が居ないと言う事か、1人と言う境遇か――
その事を考えてしまうと、断る気にはなれなかった。
オールは再び彼女を見つめた後、言った。
「分かった……一緒に連れて行ってやる」
「ホント……? ホントに連れて行ってくれるの?」
オールがゆっくりと頷いた。
ルルアンタの表情が、みるみる笑顔になっていく。
「やったぁ! これでルルアンタ、オールと一緒だね♪」
「ギルドの仕事を確認した後、もう1人の仲間を紹介してやる」
「後1人居るんだぁ……楽しみ♪ どんな人だろう……?」
「……お前が俺を兄と言うのなら、もう1人は姉になると思うが?」
「お姉ちゃん? うわーい♪ ルルアンタ、ホントにとっても嬉しい♪」
こうして、小さき冒険者――ルルアンタがオールとイーシャの仲間に加わったのだった。
その後、イーシャにルルアンタを紹介したオールが、彼女に驚かれたのは言うまでもない。