「……とまぁ、そう言う訳です」
語り部の春蘭の話が終わった――内容は先の戦で起こった出来事についてである。
数日前に部隊を率いて出撃した春蘭、凪、季衣の3人は、黄巾党と戦っていた官軍の援軍に駆け付けたのである。
だが黄巾党は春蘭達の旗を見るや否や、一目散に逃げ出した。黄巾党殲滅の命を受けている春蘭達は当然、連中の後を追った。
先の沼地へと逃げ込んだ連中を追った春蘭達だったが――それは罠だった。
その沼地は、名家と名高い袁家・袁術が支配している領土だったのである。
他国の土地へ下手に入れば、有らぬ誤解を受けて戦争状態に成りかねない。
すぐに引き返そうとした春蘭達だったが――
――そこの部隊ッ! 所属と名を名乗れ!
強烈な覇気と鋭い眼光を持つ孫策、副官の黄蓋が姿を現した。春蘭達の間に緊張が走った。
孫策は今現在、袁術の傘下――客将の立場だ。領土侵入を咎められれば、不味い事になる。
だがここに入ってしまった理由を素直に説明すると、孫策は笑いながらそれを許したのだ。
彼女曰く「自分達の領土なら未だしも、袁術の領土が蹂躙されようが、知った事じゃない」
孫策の放った一言は、袁術の客将とはまるで思えない言葉であった。
その後、春蘭達は孫策の協力得て、逃亡した黄巾党を撃破。
無事に城へ帰還し、華琳に事情を説明――現在に至るのだ。
「……呆れた。それで孫策に借りを作ったまま帰って来たと言うの?」
華琳が深い溜め息と共に頭を抱えた。
「あ、あの……連中の領に逃げ込んだ盗賊を退治したのですから、差し引きで帳尻は……」
「合っていないわよ。他国の領に入る前に、黄巾党を片づけておけば良かった話じゃない」
春蘭を見つめたまま、華琳は「それで差し引く必要もないわ」と一言。
顔を俯かせ、春蘭はかなり落ち込んだ様子を見せた。
「だが厄介な事になった。春蘭の話を聞けば、奴等は姑息な策略を立てた事になるぞ」
小十郎が薄暗い天井を仰ぎながら呟いた。
「……ええ。春蘭や季衣相手だったとは言え、黄巾党はそれだけの作戦を展開出来る指揮官を得た事になる。その将を討てただけでも、今回の戦は幸いだったと言うべきね」
最近鳴りを顰めていた黄巾党であったが、最近になって再び活動を起こし始めた。
糧食庫焼き打ちの効果もあるにはあったが、それも一時の事だけだったようである。
今日の軍議で、連中は焼き打ち以前の勢力を取り戻しているとの報告があったのだ。
「こう言った事は予想済みだけど、これからは苦戦する事になるでしょうね」
そう言った後、華琳は「気を引き締めるように」と春蘭、季衣に告げる。
激励された2人は更なる気合を入れるように、大きな声で返事を返した。
そんな2人を満足そうに見つめた後、華琳は春蘭へ視線を移す。
「ところで春蘭。その孫策と言う人物……どんな人物だった?」
「は、はあ。孫策、ですか?」
「ええ。確か“江東の虎”と名高い孫堅の娘よ。どんな風に感じた?」
華琳にそう尋ねられ、春蘭は――表現するに相応しい――思い付く限りの言葉を並べる。
「孫策……風格と言い、雰囲気と言い、気配と言い、とても客将には思えませんでした」
「…………どれも同じ意味合いだろうが。無理して難しい言葉を使う事はないと思うぞ」
小十郎の鋭いツッコミに、春蘭がたじろぎながら「五月蠅い!」と怒鳴る。
華琳が彼女を宥めながら、武人の夏候惇としてどうか、との事を聞いた。
「……檻に閉じ込められた獣のような眼付きをしておりました。袁術とやらの人柄は知りませんが、あれはただの客将で収まる人間ではないでしょう」
春蘭の真剣な言葉に、華琳は顎に手を添えて頷いた。
「そう……春蘭、その情報に免じて、今回の件についての処分は無しにするわ」
「……ありがとうございます」
「孫策への借りについては、何れ返す機会もあるでしょうしね」
そう言った後、今回の軍議は終了となった。
どうやら春蘭の件で最後だったようである。
「黄巾党はこちらの予想以上の成長を続けているわ。官軍は頼りにならないけど、私達の民を連中の好き勝手にさせる事は許さない。良いわね!」
「分かっています! 全部、守るんですよね!」
季衣の言葉に、華琳が微笑を浮かべる。
「そうよ。それにもうすぐ、私達が今まで積み重ねてきた事が実を結ぶ筈。それが奴等の最後になるでしょう。それまでは今まで以上の情報収集と、連中への対策が必要になる。民達の米1粒、血の1滴も渡さない事! 以上よ!!」
華琳の強い宣言を最後として、軍議は解散となったのであった。
◆
「護衛として何度か華琳の傍に居た事はあるが……未だに奴の考えている事は分からん」
情報収集として駆り出された小十郎は、正面を見つめながら呟いた。
小十郎と同じ隊として出撃した凪は、彼の呟きに答えるように言う。
「しかし華琳様のしてきた判断で、間違っていた事はありませんよ」
「確かにな……(時折政宗様すらも凌駕する行動力を見せるからな)」
凪、真桜、沙和の3人は、これまでの働きを評価され、華琳から真名を許されていた。
真名を預けられるのは、信頼している証。彼女達がとても喜んだのは言うまでもない。
小十郎はそんな喜ぶ彼女達を、隊長として温かく見守ったものだ。
「それより体調は大丈夫なのか? 昨日、南の情報収集から戻ったばかりだろう?」
「ありがとうございます。しかし隊長の御心配には及びません。鍛えていますから」
凪がそう告げると、小十郎は軽く息を吐いた。
「無理だけはするなよ。沙和も真桜も居るし、お前が休んでも支障は全くない」
「本当に大丈夫です。自分はこう言う事しか出来ない、不器用な人間ですから」
刹那、小十郎が凪を軽く小突いた。
驚いた表情で、凪が彼を見つめる。
「卑下する言い方をするな。俺達がこうする事で、戦に有利な状況を作っていくんだ」
「は、はい。隊長、申し訳ありませんでした…………」
真剣に謝る彼女を見て、小十郎は感心したように呟く。
「……お前の爪垢を、真桜と沙和に煎じて飲ませたいもんだ」
「??? 隊長、今何か?」
「いや……何でもない。気にするな」
その会話を最後に、小十郎と凪は無言のまま行軍を続けた。
元々2人はそれほど喋る方では無い為、自然と無言になる。
同行している兵も慣れているのか、気まずさは感じなかった。
「…………凪。気付いたか?」
「はい。隊長も御気付きでしたか」
突如として行軍を止め、小十郎と凪は戦闘態勢を取った。
周囲の林から多数の気配と殺気が感じられたからである。
兵も2人に促され、徐々に態勢を整えていった。そして――。
「ウオオオオオッ!」
「ウワアアアアッ!」
奇声と共に、林から多数の黄巾党が飛び出した。
大刀を持った黄巾党は兵に眼もくれず、それを指揮する小十郎と凪の2人だけに襲い掛かった。
だが特攻精神だけで敵うものではない。戦闘態勢を整えていた2人は、速やかに迎撃に移った。
「ハアアアアアッ!!」
「せいやッ!!」
あっと言う間に凪の氣弾が敵を押し潰し、小十郎の刀が黄巾党を斬り捨てた。
兵達が助けに入る間も無く、襲い掛かってきた黄巾党は地に伏したのである。
凪は氣を徐々に収め、小十郎は周囲を警戒しながら刀を収めた。
「敵の部隊と言う訳ではなさそうですね。待ち伏せでしょうか?」
「いや、だとしたら人数が少なすぎる。恐らく偵察か何かだろう」
凪の氣弾を喰らって気絶している連中の捕縛を命じた後、小十郎が何かを見つけた。
自分が斬り捨てた者達の懐から、何かが覗いていた。小十郎が徐に手を入れ、探る。
懐から出て来たのは――血で薄ら汚れているものの――細く小さい巻物であった。
「隊長! これは……!」
小十郎が頷き、巻物の紐を解いた。
開くと、何やら地図らしき物が描かれている。
その横にも汚い字で、何かが書かれていた。
「集合場所の連絡……って事は、コイツ等は連絡兵か」
「これで敵の主要拠点が1つ、分かりますね」
「ああ。だが連中は、着実に知恵を付けていやがる」
これ以前に捕まえた連絡兵は、どれも口頭での物ばかりであった。
中には連絡事項を間違えて覚えている奴も、忘れている者も居た。
だが今に至っては、かなり高率の良いやり方で連絡を取っている。
小十郎の言う通り、黄巾党は徐々に知恵を付けてきているのであった。
「ここでの情報収集が終わり次第、華琳に報告するぞ。凪」
「了解です。隊長」
◆
「大手柄よ。小十郎、凪」
機嫌の良さそうな表情で、華琳は2人にそう告げた。小十郎と凪は同時に頷いた。
今回見つけた連絡文書が、今回の軍議で最重要課題として取り上げられたからだ。
「先程戻った偵察部隊から報告がありました。連中の物資の輸送経路と照らし合わせて検証もしてみましたが、敵の本隊で間違いないようです」
秋蘭がそう告げ、小十郎が確信したように言った。
「本隊が居るなら、必ず張角もそこに居るな」
「ああ。張三姉妹の3人が揃っているとの報告もあった」
「……間違い無いのね? 秋蘭」
華琳がそう問い掛けると、秋蘭は眉を顰めて言う。
「それが何と言いますか……3人の歌を全員が取り囲んで聞いていて、異様な雰囲気を漂わせていたとか」
訳が分からず、華琳は思わず首を傾げた。
「…………何かの儀式かしら?」
「詳細は不明です。士気高揚の為の儀式だと言うのが、偵察に行った兵の見解です……」
「……まるで一種の洗脳だな。まあ歌の効果は、これから戦う連中にでも聞くしかない」
小十郎が呆れて呟いた事を、華琳もそれに同意するように頷いた。
「ともかく小十郎と凪の御陰で、この件は一気にカタが付きそうだわ。動きの激しい連中だから、これは千載一遇の好機と思いなさい。皆、決戦よ!!」
玉座の間で、春蘭達の気合の声が響いた。
◆
「れんほーちゃーん! おーなーかーすーいーたーっ!」
黄巾党・大天幕――その中で、天和の能天気な声が響いた。
長女の不満の声が耳に届いた人和は、適当に流しておいた。
だが間髪入れず、次女である地和の不満声が聞こえてくる。
「人和。私もう限界よ。ご飯も少ないし、お風呂もロクに入れない……それに何より、ず〜っと天幕の中で息が詰まりそう!」
「言われなくても分かっているわよっ! でも仕方が無いでしょ。曹操って奴に、糧食庫が丸ごと焼かれちゃったんだから!」
「仕方なくないわよ! 別の所に行けば良いじゃん。今までだって、煩くなったら他の所にサッサと移動してたじゃないの!」
地和の無知な発言に、人和が頭を抱えた。
「私達の活動が朝廷に眼を付けられたらしいの。大陸中に黄巾党討伐の命が下っているわ」
「…………は、はぁ? 何それ!? 私達、討伐されるような事は一切してないわよ!?」
全く身に覚えの無い事柄に、地和が眼に見えてパニックになった。
「確かに私達は何もしていないわ。但し、周りの連中がね……」
「ど、どう言う事なのよ!」
「連中が付いてくると、絶対に大きな動きになる。彼等を連れて国境は越えられないのよ」
溜め息と共に人和がそう言った。
「え〜っ? じゃあ今までみたいに、色々な国は回れなくなっちゃうの?」
「天和姉さんはもう黙っててよ! 連中が付いてくるなら、コッソリ置いていけば――」
「出来るならとっくにやってるわ。何度か試したけど、その度に誰かが寄って来るのよ」
だから無駄だと思って諦めた――人和はそう地和に告げた。
「全くもう! 何でこんな事になったの〜っ!」
能天気な様子で言い出した天和を地和が攻める。
どうやら2人は歌を歌っている最中、下の連中に言ってしまったらしい。
天和曰く「大陸の皆に愛されたい」とか――。
地和曰く「(歌で)天下を獲りたい」とか――。
そんな他愛も無い言葉を本気にした周りの者達が、挙って乱を起こしていると言う訳だ。
子供の喧嘩を始めた2人を余所に、人和が本日何度目かの溜め息を吐いた――時だった。
「張角様ッ! 張宝様ッ! 張梁様ッ!」
「――――ま、まずッ!」
天幕の外から、自分達を呼ぶ兵の声が聞こえる。
今の会話を聞かれていないだろうか――そんな不安が頭を過ぎる。
しかし兵の声を聞くに、どうやら聞かれていないらしかった。
「……良いですよ。入りなさい」
平静を装い、人和が兵へ天幕内に入る許可を出す。
すると彼は畏まった様子で天幕内へ入ってきた。
地和が何事か尋ねると、兵は跪きながら告げる。
「はっ。西方を追われた新たな会員が、我々と合流したいと言ってきているのですが……」
「それって、私達の歌を好きって言ってくれてる人達なんですよね〜?」
兵が頷いた。天和の顔が笑顔へ変わる。
「じゃあ良いんじゃないですか〜?」
「そうね。応援してくれる子は大切にしないとね!」
「と言う事です。後はそちらで計らいなさい」
三姉妹の了承を聞いた兵は「食料と装備を支給させます」と残して出て行った。
そして彼が出て行った後、天幕内を3人の深い溜め息が包み込む。
食糧も装備も既に底を尽くと言うのに、また調子に乗って受け入れてしまった。
「何……? 食料も装備も持たずに合流したいって……たかりに来てるだけじゃない」
「もうバカバカバカァァァ!! 何だって姉さん、あんな事を言うかなぁ……!!」
自分だけの責任ではないと、天和が反論する。
「え〜っ! だってちーちゃんだって、応援してくれる子は大切にしようって……」
「だ、だって、あの場でああ振られたら、ああ答えるしかないでしょ!! 全くもう……」
「お姉ちゃんだって、ああ答えるしかなかったんだもん! 私だけのせいじゃないもん!」
再び子供の喧嘩を始めた2人を宥めながら、人和が頭を抱えた。
「彼も彼よ。今の食料状況を考えれば、これ以上の受け入れは絶対に無茶なのに……」
「じゃあ人和が上手く反論してよ……!」
「世の中、建て前って物があるでしょ!」
「あ〜ん! もうお腹空いたよ〜っ!!」
天幕内が混沌としていく中、彼女達の下は、そんな事情は一切知らない。
再び天幕に兵が訪れ、彼女達は彼等の無茶を受け入れてしまうのだった。
◆
「秋蘭。本隊がたった今、到着したようだ」
「そうか。各隊の報告は纏まっているか?」
先に先発隊として出陣した小十郎(片倉隊)と秋蘭、季衣は黄巾党本隊を確認していた。
真桜の報告によれば、連中の総勢は約二十万。しかし彼等の動きは亀よりも鈍いとの事。
そして何より二十万の軍勢の中でマトモに戦えそうなのは、精々三万程だと言う。
「二十万の軍勢が居るにも関わらず、戦えるのが三万? どう言う事だ?」
「またボク達を嵌める為の罠かなぁ? だとしたらどうしよう……」
「いやいや、そんな風には見えへんよ。武器も食料も全然足りてないし……」
更に真桜曰く「先程も何処かの敗残兵らしき者達が合流していた」との事。
凪が顎に手を添え、ポツリと呟く。
「奴等の大兵力は、敗残兵などの非戦力を合わせた上での数と言う事か……」
「せやなぁ。あちこちで内輪揉めも起きとったし、一枚岩ですらないわ。あれじゃあ指揮系統もロクに機能しとらんやろ」
真桜の報告を聞いた小十郎が呆れた様子で言う。
「滑稽だな。合流し過ぎて、連中が動けなくなってるとは……」
「そう言う事だ。本拠地が無いのだから陣内に取り込むしかない。結果は見ての通りだ」
「神出鬼没の大熊も、食べ過ぎて太ってしまえば、ただの哀れな的と言う事ですね……」
秋蘭は凪の言葉に対し、微笑を持って応えた。
「これが華琳の真の狙いか。味な真似をする……」
「そうだ。ここまで組織が肥大化すれば、おのずと動きが鈍くなるし、指揮系統も作らねばならん。そうなればこの程度、そこ等の野盗と何ら変わりはないさ」
彼女の言葉を聞き、意気込む季衣、真桜、沙和の3人。
だが凪が一抹の不安を感じたのか、小十郎に訊いた。
「しかし……当初の予定通りの作戦で大丈夫でしょうか?」
「問題はねえだろう。華琳に伝令を出し、俺達は予定通りの配置で各個撹乱を開始する」
秋蘭が小十郎の言葉に頷いた。
「攻撃の機は各々の判断に任せるが……張三姉妹にだけは手を出すな! 以上、解散!!」
「「「はっ!!」」」
小十郎達が、各々の配置に付く為に散って行く。
黄巾党との最終決戦の火蓋が今、切られようとしていた――。
後書き
第15章をお送りしました。黄巾党との最終決戦前です。
次話で張三姉妹がようやく加入します。長かったよ……。
小十郎の悩みの種が、またまた1つ増えそうです。
ではまた次回の御話で御会いしましょう。