喧嘩するほど仲が良い――と2人を見掛けた人は度々言う。
だがこの2人には、それは当てはまらないと言う者も居る。
「「…………」」
街中を互いに不機嫌な面持ちで歩く片倉小十郎と荀文若(真名は桂花)。
この2人は曹魏の中でも、仲の悪さにかなり定評があったりする。
顔を合わせれば即座に口喧嘩。互いに嫌味と罵倒の言葉を浴びせまくる。
見慣れた者は『また始まった』と呟き、成り行きを見守る立場に立つ。
下手に止めようものなら、凄みのある睨みでこちらが泣かされるのだ。
(城を出てから一言も喋らんなぁ。あの2人)
(隊長と桂花様の不仲は凄まじいからな……)
(何で喧嘩ばかりするんだろぉ。沙和、とっても不思議なの)
そんな彼等の後を追跡しているのは、片倉警備隊の3人娘である。
彼女達は華琳の命により、2人を見守るように言われているのだ。
そもそも仲の悪い小十郎と桂花が何故、並んで街を歩いているのか――。
その理由は華琳と3人娘が結託して立てた、とある計画による物だった。
――隊長と桂花様の仲を少しでも改善してあげたいの。
数日前、2人の喧嘩を呆れる程に見させられていた沙和が唐突に呟いた。
実際小十郎と桂花の喧嘩は、少なからず兵に動揺を与えてしまっている。
だが動揺と言っても、士気に影響する程の物ではない事が幸いだった。
――無理やと思うで。隊長と桂花様の仲の悪さは筋金入りや。
――確かに。正にあれは犬猿の仲と言うべきだろうな……。
――でもでもぉ、沙和はこれ以上見てられないの! 喧嘩は良くないの!
散々話し合った結果、華琳に相談してみようと言う事になった3人娘。
言ってみると、華琳自身も2人の事は何とかしようと思っていたらしい。
凪達は少なからず喜んだが、華琳の本音は全く持って違っていたりする。
――(このままでも面白いけど、実際手を出して経過を見るのも面白そうね)
彼女の本音は、実にSの女王様気質らしかった。
弄れる者は徹底的に弄り倒し――心から楽しむのが華琳である。
“華琳命”の桂花は狂乱しそうだが、小十郎は嫌がりそうだ。
こうして“隊長と桂花様の急接近大作戦(命名・沙和)”が立てられた。
内容は2人だけで任務に就かせ、嫌でも今より親密な関係にする事。
単純明快だが、下手にこちらが手を出すよりも効果的に思えたのだ。
(まあ、いざと言う時はウチ等が何とかするんやけど……)
(そうならないよう、天に祈るしかないな……)
(あっ! 隊長と桂花様、何か話し始めたの!)
物影に身を顰めながら、3人は聞き耳を立てる。
最初は小さかったが、徐々に声が聞こえてきた。
――ったく、華琳も面倒な事をしてくれたもんだ。どうしてテメェと……
――私だって同じよ。あんたみたいな野蛮人とどうして2人だけで……!!
――俺が嫌なら、1人でも行けるよう護身術の1つでも身に付けるんだな。
――私はあんたと違って、頭で勝負するのよ。力だけが全てじゃないわ。
ようやく口を開いたと思ったら――3人は溜め息を吐いた。
聞き耳を立ててみれば、聞こえてきたのは口喧嘩のみ。
こんな事では先が思いやられると、呆れながら思った。
◆
街から少し離れた森の中に入った後、小十郎は桂花に任務の内容を訪ねた。
彼女は渋々と言った様子ながらも、華琳から命じられた事を話していった。
何でも最近、この辺りの森から怪しい人影が目撃されているとの報告があるらしい。
今回の任務は、その詳しい調査。出来れば目撃されている怪しい人影の確保である。
「他国の斥候か何かか……だが捕まえられる可能性は低いだろ?」
「まあ、人影確保は期待していないわ。痕跡の調査が主な目的ね」
「痕跡も殆ど無いと思うがな。残していたら余程の馬鹿だな……」
言うまでも無いと思うが、これは華琳達が考えた真っ赤な嘘だ。
当然2人はそんな事は知らない為、真剣に取り組む様子である。
「おい、さっさと行くぞ。逸れても知らないからな」
「なら逸れないよう、ゆっくり歩けば良いでしょ!」
言い争いながらも、2人は森の中へ入って行く。
森は鬱蒼と茂っており、逸れてしまえば見つける事は困難だろう。
下手をすれば、元々来た道さえも分からなくなりそうだった。
「ちょっと……! ドンドン前へ行かないでよ!!」
「……お前の足が鈍いのと、体力が無いだけだ」
「ムカッ! そこまで言われる筋合いは無いわよ!」
隠れていた3人は顔を見合わせ、頷く。
「2人を見失わないよう、気を付けなくては……」
「ウチは来た道へ帰れるよう、一応目印も付けておくわ」
「凪ちゃん、真桜ちゃん、早く行かないと〜っ!」
2人が移動するに合わせ、3人は一定の距離を保ちながら後を追った。
無論所々生えている枝の音で存在を気付かれないよう気を付けながら。
――おい、どうだ? そっちは。
――別に何も異常は無いわよ。
2人はそう言葉を交わしつつ、森の奥へ奥へと進んで行く。
同中、小十郎は時折木の枝を折りながら先へ進んで行った。
桂花は彼の行動が理解出来なかった。後を追う3人も、である。
だが沙和が不意にハッとした表情を見せた後、笑顔を浮かべた。
「どうしたん? ニヤニヤした顔浮かべて」
「何かあったのか? 沙和」
訝しげな表情を浮かべる友人2人に対し、沙和は笑顔のまま答えた。
「2人とも気付かないの? 隊長の、さり気ない桂花様への心遣い」
「「…………へっ?」」
沙和の思いも寄らない言葉を聞き、呆然とした表情を浮かべる2人。
鈍い2人に対し、不満そうに頬を膨らませた沙和は指を差して言った。
彼女が指を差す方向をゆっくりと追う凪と真桜――その先は木々だった。
「隊長はね、桂花様が歩きやすいよう、邪魔な枝を折ってくれてるの」
「「…………あっ!」」
沙和の指摘した通り、小十郎は桂花の移動に邪魔になりそうな枝を折っていた。
尖っている物、桂花の身長ギリギリの高さにある物――全てを折っていたのだ。
思えば自分達が辿っていた道は、妙に枝が少なかった記憶がある。
「先頭を歩いているのは、その為だったんだぁ。隊長優しいの〜」
沙和の呟いた言葉に続き、凪と真桜も苦笑しながら言った。
「喧嘩はされているが、隊長も桂花様の事は気遣っているんだな……」
「ホンマ素直じゃないっちゅうか、難しいっちゅうか……難儀な人やで」
「痕跡も何も見つからねえな……」
「疲れた……もうあんたがドンドン進んでいくせいよ!」
森の探索を開始してから、早数時間が経過していた。
当然だが、怪しい人影の痕跡など何も無かった。
桂花は木の根に座り込み、痛む足を押さえている。
「ダラシねえな。これぐらいでヘバるのか」
「言ったでしょ! 私は頭で勝負するのよ! あんたと一緒にしないで!」
ブツブツ文句を言いながら、桂花はゆっくりと立ち上がった。
「もう足が痛い〜っ! ホントに最悪よ。全部あんたのせいだからね!」
「テメェ自身の体力の無さを、人のせいにするな。やかましい奴だ……」
不機嫌な面持ちで、小十郎は来た道へ引き返して行く。
同中、折っていった枝のお陰で道筋は頭に入っていた。
桂花も不満そうな表情で彼の後を追う、が――。
「――――キャアッ!」
少しの悲鳴が上がったかと思うと、後ろで転ぶ音が聞こえた。
小十郎が振り向くと、地面とキスしている桂花の姿があった。
「…………とことんドン臭い奴だな」
小十郎は呆れながら、転んだ彼女の元へ引き返した。
桂花は顔に付いた土を懸命に払いつつ、文句を呟く。
「もう嫌ッ! 嫌ッ! ホント最悪、最悪、最悪よ〜っ!!」
「それはもういい加減聞き飽きた。ほら、立てるか?」
小十郎の差し出した手を払い、桂花はゆっくりと立ち上がる。
「情けなんか要らないわよ! 男の手助けなんて……」
服にも付いてしまった土を払い落し、小十郎を睨み付けた。
だがそんな睨みを彼は受け止める事無く、来た道へ戻った。
「それだけ元気がありゃあ上等だ……」
そう呟きながらも、後を追う桂花を横眼で見やる小十郎。
「当たり前よ! あんたの手助けなんて、死んでも受け……痛ッ!」
「――――どうした?」
突如として訪れた桂花の異変に、小十郎が再び駆け寄った。
見るとしゃがんで足を押さえ、痛がっている。どうやら転んだ時に挫いたらしい。
無理に歩こうとすると痛みが走り、辛そうな様子だった。
「歩けなきゃ森は出れねえぞ? 分かってるか?」
「わ、分かっているわよ! そのくらい……」
無理に立とうとするが、痛みが邪魔して満足に立てなかった。
「…………1人じゃ無理そうだな? その調子じゃ」
「な、な、何とかしなさいよ! 私をこのまま置いていくつもり!」
「ん? 男の俺の助けは死んでも受けねえんじゃなかったのか?」
意地の悪い笑みを浮かべる小十郎に対し、桂花は涙眼で悔しがった。
あんな言葉を言わなければ、今頃こんな屈辱を受けずに済んだのに――。
激しい後悔が彼女を襲うが、今となってはもう遅かった。
「し、仕方ないわ。う、う、受けてあげるわよ。あんたの手助け……」
「随分と上から目線の物言いだな。それが人に助けを求める態度か?」
桂花が口惜しげに唸った。
「た、助けてよ! 城まで連れ帰って!」
「…………最初から素直にそう言え」
呆れた様子の小十郎は彼女に背を向け、しゃがんだ。
「な、何よそれは!」
「おぶって行くんだよ。それも分からねえのか?」
「い、嫌よ! 絶対に嫌! 何であんたに……!」
「じゃあ抱えて行くか? 俺はどちらでも良いが」
「く、くぅ〜……!!」
桂花は今まで生きてきた中で、一番悩んだ時かもしれないと思った。
そして(苦渋の)決断の末――彼女はおぶってもらう事を選んだのだった。
「うわぁ〜……なんやあの可愛い生物は」
真桜がニヤけた顔で呟く。
可愛い生物とは言わずもがな、桂花の事だ。
「何と言うか、どちらも意地っ張りだ……」
呆れ顔で凪が言った。
「でもでもぉ、少し仲良くなった感じなの」
確かに沙和の言う通り、2人の仲は少しだけ良くなった気がする。
こうして2人だけでなければ、こんな貴重な場面は見られないだろう。
小十郎と桂花の姿は、まるで意地っ張りの兄妹のように思えた。
「せやなぁ。後は隊長が桂花様の事を真名で呼んでくれれば……」
「流石にそこまでは……期待し過ぎじゃないか?」
「凪ちゃんは期待し無さ過ぎ〜っ! ここまで来ればもう大丈夫だと思うの!」
沙和の眼が期待に輝いている。凪と真桜が思わず苦笑した。
そして見届ける為、3人は最後の追跡を開始するのだった。
◆
「ううぅ〜……屈辱よ。この荀文若、生涯一の汚点だわ」
小十郎におぶられながら、桂花は恨み事を呟いた。
「少しは静かに出来ねえのか? やかましくてしょうがねえ」
「何よぉ! それよりあんた、もう少し優しく歩きなさいよ」
「……街中に放り出されたくなきゃ、いい加減口を閉じろ」
そう威圧され、桂花は渋々黙るしかなかった。
城が見えてきた――城内まで後もう少しだ。
それまでは耐えてみせると、桂花は誓うのだった。
「覚えていなさいよ。この仕返しは何時か必ず……」
「よっぽどここに放り出されたいらしいな……!」
言い争いながらも、2人は何とか城の中へ辿り着いた。
そこで広場に差し掛かった時、桂花は出会ってしまった。
今はとても会いたくないと思った――敬愛する主に。
「あら2人とも。随分と仲が良くなったのね」
会った途端、このような一言を掛けられてしまった。
「か、か、華琳様ッ! これは違うんです! 元はと言えばコイツが……ッ!?」
桂花が背中で必死に言い訳している間、小十郎は淡々と華琳に今回の件を報告する。
華琳は報告を適当に流しながら、背中で可愛らしく慌てている桂花を見つめていた。
(後で凪達にも詳しい報告を聞かないとね……)
後ろで木の影に潜む彼女達に視線を移し、凪達の報告に期待を寄せた。
「あ、あんた! もういい加減降ろしなさいよ! 華琳様の前でこんな……!」
「俺も降ろそうと思っていた所だ。テメェのやかましい声はウンザリだからな」
小十郎はしゃがむと、桂花は慌てて背中から降りた。
足の痛みは殆ど治まったらしく、ちゃんと立っている。
「じゃあ俺は休ませてもらう。コイツのせいで少し疲れたからな……」
そう憎らしげに呟く小十郎に視線を移し、華琳が言った。
「ええ。御苦労様。ゆっくり休みなさい」
「華琳様ッ! あんな輩に労いの言葉は必要ありません!」
桂花も負けじと、小十郎に向けて憎らしげに言った。
無視して立ち去ろうとする小十郎だが、何かを思い出したように立ち止まった。
「…………ちゃんと足は医者に診てもらえ。桂花」
「「「「「――――ッ!!」」」」」
小十郎の言った言葉によって、この場の空気が一瞬固まった。
今、確かに彼は桂花の事を真名で――。
当人以外、この場に居る者の誰もが思った。
「…………ふん」
そして小十郎は自分の部屋に戻って行った。
「な、な、な、何なのよぉぉぉぉぉ!?!?」
事態が把握出来ない桂花は、城内に響き渡るぐらいの声を出して叫んだ。
彼女にとって悔しい事だったか、嬉しい事だったか、悲惨な事だったか――それは当人にしか分からないのだ。
後書き
第18章を書き上げました。小十郎と桂花、少し仲が改善される。
しかし2人には、まだまだ喧嘩していってもらいます(笑)。
この2人の掛け合いはなかなか好評で、個人的に嬉しいです。
ではまた次話でお会いしましょう。