憎しみにより全てを失い
憎しみに恋焦がれ
憎しみから開放された男は何を思うか
TRAVELER
第一章
第二話
かちゃかちゃかちゃ
食器の音が鳴り響く食卓。
さっきまで騒いでいた二人の女も、今では大人しく食事をしている。
一人は大人しいとは言えない食べ方だが。
「天地、テレビ付けてくれんかの」
老人が青年にそう言って、テレビが付けられる。
ブラウン管が映し出す画面には、お昼時のワイドショーが放送されていた。
そして異邦人、テンカワ アキトは食事が始まってからただじっと座っているだけであった。
「……」
「アキトさん、どうしたの?」
暗い顔になっていたアキトは、砂沙美が声を掛けられて
はっと顔を元に戻す。
「何でも無いよ。……これは砂沙美ちゃんが全部作ったんだよね?」
「うん、そうだよ」
「凄いなぁ、とってもおいしそうだよ」
「あはっ、もうアキトさんったらお世辞が美味いんだから〜」
アキトの言葉に砂沙美は少し照れながら、アキトの料理が減っていない事に気づかず食事に戻った。
また静かな時が始まり、唯一の音源であるテレビの音だけが部屋に流れる。
『―――1996年5月24日、今日の特集は……』
「?!!」
テレビのキャスターが話す、特集の話の一部分がアキトの耳に届くと、アキトはびくっと反応してテレビを凝視する。
「(1996年、だと?!)まさか俺は…」
「……(ふむ)」
ぽつりと呟くアキトに、ちらっと横目で見る老人。
そこに、今まで疑いの目を向けながら食事をしていた白髪の女が声を上げる。
「てめぇ!! 勝手に転がり込んだ分際で、出された食事が食べられないってのか?!」
「そうですわ! 砂沙美の料理を手を付けずにそのままにしておくつもり?!」
二人の口撃に、皆の視線がアキトに出された食事に集まる。
そこには、一つも手を付けられていない食事が存在した。
「アキト、さん?」
砂沙美は困惑した表情を浮かべ、アキトを見る。
「何とか言えってんだよ!!」
白髪の女の言葉に、アキトは食事を見て
箸を手にし、味噌汁とご飯を口に運ぶ。
「(もしかしたら…)」
皆が見つめる中、アキトは箸を置く。
「そんな、アキトさん…っ」「みゃぁぁ」
涙を浮かべながら自分の方を見る少女に、アキトは苦しい表情を隠して砂沙美に声を掛ける。
「……すまない、砂沙美ちゃん」
「っ! アキトさんの馬鹿!」
がたっ!
席を立ち、走り去ろうとする砂沙美をアキトは止められなかった。
というのも、次の言葉を繰り出す前に砂沙美が席を立ってしまい驚いたからである。
「てめぇっ!」
「わぷっ?!」
「っと砂沙美ちゃん、危ない危ない。 それと魎呼、止めなさい」
砂沙美が部屋から飛び出すと、赤い髪の少女が彼女を受け止め、
激昂した白髪の女、魎呼(りょうこ)を呼び止める。
「な?! 鷲羽、止めんじゃねぇ! アタシは砂沙美の料理を馬鹿にしたコイツを」
「いいから止めなさい」
「うっ……」
鷲羽(わしゅう)と呼ばれた少女は、尋常でない迫力で魎呼を黙らせる。
「なるほどね」
魎呼が黙るのを確認した鷲羽は、胸元ですすり泣く少女と食卓の方を見ると納得したかの様に口を開く。
「……」
その顔は、少し弱々しい物であったのに気づいたのは老人だけであった。
「何が【なるほど】なんだよ。 何が起きたのかお前には」
「分かるわよ。 そちらの殿方が砂沙美ちゃんが作った料理を食べようとしなかった、そうでしょう?」
「それだけじゃねぇよ……。あいつ、一口食べただけで箸を置くんだぜ。なんで止めるんだよ!」
「貴方、食べたの?」
鷲羽は、少し驚いた様子でアキトに聞いた。
「あ、あぁ」
そんなアキトを見、また魎呼の方を見て言う。
「いい?魎呼、彼が何故箸を置いたか? それは、味覚が無いからよ。
彼にとって食べ物を口に入れるのは、香ばしい匂いのするプラスチックを口の中で噛み砕き飲み込むのと同義なのよ?!」
貴方にそれが出来るの?と最後に締めくくった鷲羽に、魎呼は反論できずに黙る。
「……そっか、すまない事をしたわ。
他の機能は回復できたんだけど、味覚の部分の回復にはちょっとばかり時間が掛かるから
後回しにしてたんだけど、裏目にでちゃったわね」
鷲羽は前者の言葉を魎呼に、後者の言葉をアキトに向けて言い、
事情を知らなかった3人は衝撃を受ける。
「わ、鷲羽さん。機能って……回復って……何の事?」
「ま、まさかそんな、嘘だろう?」 「嘘……!?」
「事実だよ。
彼が私の所に運ばれた時の精密検査では、既に五感を失って死に掛けている状態だった。
……砂沙美ちゃんには知らせなかったのは、これ以上気苦労を掛けたくなかったからよ。
実際、衰弱していた体は直ぐに回復して安全な状態に持っていけたからね」
そう言うと、鷲羽はふぅっと息を吐いて言葉を止める。
「少し聞きたい……」
「ん?」
いつの間にか鷲羽に近づいていたアキトは疑問をぶつける。
「俺が気を失っていたのはどれくらいだ? それに俺の治療をしてくれたのは君かい?」
「貴方が気を失っていたのは2日ね。 もちろん、私が治療したわよ。
まぁ……色々あって、まだ完全じゃないんだけどね」
自慢げに胸を張る鷲羽だが、最後の方は萎れてしまう。
そんな彼女の姿を見、アキトはバイザーを外し笑みを浮かべて言う。
「えっと、鷲羽ちゃん、だっけ?」
「「「「(いきなり、ちゃん付け?!)」」」」
アキトのその言葉に砂沙美を除く全員が驚く。
それも無理は無い。
鷲羽がちゃん付けで呼ばれるのを天地以外からマトモに聞いた事が無いからだ。
「ありがとう」
バッと頭を下げるアキトに、いつもなら尊大な姿勢で行く鷲羽は、
心なしか、少し照れた様子で頭を掻きながら答える。
「あ、イイって!実際、完璧に治した訳じゃないしさ。 味覚とか」
「それでも、忘れていた視覚、聴覚、痛覚、嗅覚……。
これらを思い出させてくれたのは、鷲羽ちゃんのおかげだよ」
「……そこまで言ったら照れるじゃないか!」
顔を真っ赤にして言う鷲羽に、アキトはただただ感謝の意を述べるだけだった。
周りの皆は珍しい物を見たかのように黙ってみている。
そしてアキトは、未だ鷲羽に抱きついている砂沙美と目を合わせる様に腰を落とす。
「砂沙美ちゃん」
「……」
「ごめん。本当なら自分から言うべきだったんだ。
俺には味覚が無いって。
薄々とは気づいてたんだよ、本当は。」
「アキトさん」
「砂沙美ちゃんに食事に誘われて、少し嬉しかった。
そう言うのって久しぶりだったから」
「え……?」
アキトが昔を懐かしむ表情で語ると、砂沙美は気づいてしまった。
「(アキトさんは、一人だったんだ)」
――と。
おしくも外れている訳でもない。
火星の後継者に拉致された辺りから、アキトはその様な誘いは一度も受けた事が無かった。
ただ間違っているのは、1ヶ月前まではラピスと二人っきりだったという事。
「あ」
「良し! さぁアキト殿、行こうか」
「どこに?」
砂沙美がまだ何か喋ろうとしているのに気づかず、鷲羽はアキトの腕を取り立たせ
その拍子にアキトの視線は砂沙美から離れてしまう。
「もちろん、治療の続きさ。 今日でアキト殿の味覚を治してあげるよ」
「今日って……いくらなんでも急すぎじゃないかい?
なんだか鷲羽ちゃん、疲れてるようだし」
「なぁに、気にしないで。
砂沙美ちゃんの美味しい料理を食べて、今言えなかった言葉を言えるようにしたいからね」
そうして鷲羽はアキトを連れて自室に入り、彼女の部屋には手術中の掛札が垂れ下がる。
アキトに何かを言いかけた砂沙美は、
「(私、悪い事しちゃった……)」
罪悪感に襲われ、アキトが入っていった鷲羽の部屋を心配そうに見つめた。
「ご馳走様」
そんな微妙な雰囲気の中、老人の声がやけに響いた。
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