彼に会ったのは私が第26ドン・コサック連隊に配属され2年が過ぎた頃だった。我が祖国の貧富の差は激しい。皇帝陛下や大貴族のように欧州諸国の王侯を凌ぐ富を持つ者もいればその日の暮らしすらままならぬ農奴や労働者もいる。
 勿論私は後者の方だ、コサック居住地の小さな農園で畑を耕すだけが自分の運命と諦めていた。運命が変わった一度目は騎兵募集に応じた事。見込みなど無いと村の皆からも馬鹿にされたものだが何かやらねばならない、その衝動が私を動かした。結果は運命だったと主の足元に接吻したい心持ちだったと覚えている。
それからは猛訓練の日々、それすらも苦痛に覚えぬ程必死で馬を操り続け、何時しか連隊一の名騎手になっていた。
 そんな私の上官として配属されてきたのが彼、グスタフ・エミール・マンネルハイム騎兵中佐。なんでも近衛出の士官で今回他の騎兵連隊で連隊付士官になるはずが手違いで我が中隊長の代役を務めることになったらしい。
 あぁ……いつもの貴族将校かとがっかりしたものだ。貴族出の将校など3つぐらいのパターンにしか思い当たらない。選良を誇示し兵士を人間として扱わない奴、勇気と蛮勇を取り違える自称勇者、馬を偏愛し趣味で軍に入った馬狂、だがこの上官は違った。


「俺は食うために軍に入った。」


 その言葉を聞いた時、親近感を覚えた。なんでも実家が貧乏で苦労したそうだ。定職に就こうにも要領が良すぎて職場で忌避され、近衛騎兵となってからも妻と意見が合わず別居だという。余り有る程の才能を持ちながら、それを上手く生かすことができず不幸一直線といったところか。天才という奴にも不幸は平等なのだなと妙な納得をしてしまったものだ。
馬を操るのは下手だったが頭のキレ方は尋常ではない。こいつの……失礼、中佐が一軍を率いればどれほど面白い戦ができるだろう。
 あ……私の名前を言い忘れていた。私はセミョーン・ブジョンヌイ先任下士官、何処にでもいる士官を補佐する兵士の代表といったところだ。我々はミシュチェンコ騎兵軍団の1部隊として日本とかいう軍隊の左翼を衝き、叩き潰す。
 丹念に剥いて油紙に包んでおいた向日葵(ひまわり)の種をボリボリやりながら私は襲撃命令を待っている。




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榛の瞳のリコンストラクト   第1章第13話   





 “黒溝台会戦”かつて日本帝国陸軍最大の危機とも言われた戦いと云う。この会戦の発端は極東軍総司令官クロパトキン大将と新任軍司令官のグリッペンブルグ大将の(いさか)いから始まったというなんとも締まらない理由だったらしい。
 連戦連敗の極東軍に狼狽したロシア政府は後退戦術を取り続けるクロパトキン大将より積極的な攻勢を主張するグリッペンブルグ大将を送り込んだのだ。あわよくば総司令官交代も視野に入れて……しかしクロパトキン大将もさるもの、宮廷工作を通じて自らの地位の保全を図る。結局、グリッペンブルグ大将は自らの指揮兵力3個軍団10万人だけで日本軍に殴りかかることになったのだ。
 史実では秋山支隊と臨時立見軍僅か4万人によって阻止され、余りの馬鹿馬鹿しい結末に後世クロパトキン大将が愚将として断ぜられる結果にもなった。だが……


 「どうすればいいんじゃ。」


 降格までして満州軍を統括する立場になったのになんという体たらくだ。私の脳味噌もとうとう溶け崩れたか! ロシア軍全面攻撃の前に右往左往する参謀逹と同様に私・児玉源太郎も呻き声を上げるしかない。満州軍総司令部は初期の大混乱からは立ち直ったもののロシア軍冬期攻勢に押しまくられ瓦解の危機に直面している。乃木さんを見習い前線近くで指揮を執っているとはいえここまで砲どころか機関銃の発射音が聞こえて来るのだ。軍統帥の危機と言ってよい。
 ロシア軍は冬期攻勢に出るわけはない! 一見冬に慣れたロシア兵から見れば笑い飛ばしたくなるような意見だが此処満洲においてはそれなりに説得力を持つ。なぜなら兵士だけでは戦争はできないのだ。冬ともなれば寒さを凌ぐために暖を用意し、飯を増やし、病の蔓延を防がなければならない。言うなれば補給がモノを言うのだ。彼らは遠く欧州、ロシアの大地から延々シベリア鉄道を乗り継いでここまで来る。計算上ではこのシベリア鉄道では極東の兵士6個軍(軍団)20万人を養うのが精一杯のはずだ。それが既に30万以上を補給の厳しくなる冬に動かすなど正気の沙汰ではない。
 しかし嬢ちゃんが言った『史実』という前例がある。これを基に我々満州軍司令部は彼らが“冬期攻勢”に出る可能性を探ったのだ。結果は不可能、おそらく“史実のクロパトキン大将”は己の軍まで含めた総力戦を企図していたのだろう。だが物資の不足が極東軍全体の足を引っ張ったのだ! 彼からすれば当座の補給物資をグリッペンブルグ大将の軍に集中させ彼の側面攻撃で日本軍が瓦解もしくは後退でもしてくれれば見気物、失敗したとしても責任を追及し自らの配下に留める事ができると考えたのではないか?
 政治判断まで含めた満州軍総司令部と大本営の結果が床に散らばった紙束だ。そう、彼らも異常にまで強化された皇軍を知っているだろう。あれだけ乃木さんが旅順で暴れたのだ。それを世界中の記者が口を大にして発信している。ならば慎重なクロパトキン大将なら此方の出方を探る威力偵察程度の攻勢、ないしは思い切って奉天を放棄しさらに北に陣を敷く、どちらかで済ますだろう。
 破れかぶれの特攻など論外、そもそもロシア人はそんな葉隠れのような論理は持たないし、万が一彼らの勝利で終わってもロシア軍兵士の半分は凍死と餓死で倒れかねない。だからこそ彼らの冬期攻勢はないと結論を出したのだが……


 奴らは来た!


 我が軍右翼、黒木大将率いる第1軍はマシな方だ。ほぼ同数の兵力相手に奮戦している。装甲車となけなしの騎兵を組ませ、後方を襲撃しては出てくる敵を山沿いの陣地に誘い出し返り討ちにしている。
 中央の奥大将率いる第2軍と野津大将率いる臨時野津軍は苦戦中だ。なにしろこちらの倍量、15万もの兵を向こうに回して必死の防戦を展開している。乃木大将と御孫嬢の武器がなければとっくに全軍崩壊している。いや、現状その全軍崩壊の一歩手前だ。
 逆に我が軍左翼、秋山支隊の防衛線は不気味な沈黙を保っている。僅か8千しかいないここに一個軍も叩きつけられればたちまち左翼が崩れ我々は包囲の挙句全滅するだろう。では何故攻めてこない?
 たまりかねた参謀の一人が先ほどと同じ上申をする。


 「児玉閣下、せめて第1師団の一個連隊だけでも……」

 「ならん!」

 「しかし、このままでは中央が保ちません!」


 あぁ、解っている。解っているから動かせんのだ! 奴等の狙いがソレだと言うことぐらい!! 最後の予備兵力、そう満州軍直属として最後まで残された第1師団、これが動くのを奴等は待っているのだ。動かないからこそロシア軍は動かぬ。
 第1師団がどこに動こうと奴らは秋山支隊と相対する3個軍10万もの兵力を我が軍左翼に差し向ける。そして止めは敵将ミシュチェンコの大騎兵部隊、これに後方を厄されれば紀元前のカンネーの再現だ。ここに騎兵部隊を止められる予備兵力たる第1師団がある限り彼らは地を奪ることをせず波状攻撃に徹している。
 ここまでだ、撤退しかないだろう。断腸の思いで呟き椅子に崩れるように座り込む。天井を見上げる。我等が甘かった! 彼らが死兵と化すなど有り得無いと侮っていたのだ。


「後2日……後2日! 欲しかったなぁ。」


 御国の最精鋭、第3軍がすぐそこまできているのに満州軍全てが崩れ去ろうとしている。野戦電話機が鳴る。前線が限界に達したか……


 「児玉どん、オィじゃ。」

 「大山さん……潮時のようです。」

 「何をゆとうのだ? いっどしか言わんからゆうと(よく)聞け。」


 電話機からして後方の第3軍補給廠からのようだが? その疑問の回答を見出すまでもなく満州軍総司令官である彼は電話機の向こうで怒鳴った。」


 「彼らは来た! 地獄の門を開け!!」


 馬鹿な! 50キロメートル先からどうやって?





―――――――――――――――――――――――――――――






 時間は少し捲き戻る。


 第2軍展開地の後方には野戦補給廠が存在している。鉄条網で囲まれ土塁を壁、鉄骨を柱、分厚い天幕を天井とした物資倉庫複数。その全てに『第3軍補給廠』『IGI管轄』と書かれた札が付いており、内部には堆く武器弾薬が積み上げられている。全て合わせれば御国一個軍をまるまる編制できるだけの量だ。第3軍からの作戦上申書を無理矢理司令部で即時決定し、各軍に指示を飛ばす。本来満州軍総司令官の仕事ではないのだが、向こうには例の参謀がいる筈だ。裏の話ぐらいは聞けるだろうと期待し伝令役をやることにした。
 その倉庫群の前、物資の搬入搬出を行う門前で2つの集団が言い争う様子が見える。鉄条網の中の集団が第3軍の人間、門外の集団が訪問者だろう。やっとるな……跨っている馬に鞭をあて急がせる。



◆◇◆◇◆



 「だから、何度でも申し上げます! ここは第3軍補給廠であって第2軍補給廠ではない。師団参謀の一存で補給物資を融通するわけにはいきません。少なくとも満州軍総司令部の命令書をお持ちいただきたい!!」


 門の前に立ちはだかり兵士を従え木で鼻をくくった態度を崩さない私の声にとうとう相手が激昂する。


 「貴様、いま前線で何か起きているのか知っておるのかッ! もはや防衛線は限界を超えておる。硫黄島製の武器がなければいつ崩れてもおかしくはないのだ。とっとと門扉を開けんかッ!!」


 私は多少憐れみを籠った目を向ける。これだから近視眼的な士官は困ると言葉を続けた。


 「大佐殿、貴官はIGI(イオージマインダストリアル)の文字が目に入っていないようですな。これは未だ大日本帝国軍の所有物ですらない。あくまで後援者の財産です。大佐殿はまさか他者の財産を強奪しようと考えているのではないでしょうな?」


 「なにを言う! 兵士が今、何人も傷つき死んでいるのだ。そんなもの後でもよかろう!!」


 馬鹿が……この程度で言質を取られるとは程度の低さが知れるわ! 小馬鹿にして顎をしゃくり上げる。合図を受けた兵士が一斉に立膝を付き、銃口をその大佐と連れて来た輜重兵に向ける。補給廠警備に当たる全ての兵士、その全ての小銃が44型機関歩兵銃だ。彼らにとっていきなり100挺近い機関銃に取り囲まれたに近い。彼らもこの小銃の威力は知っている。泡を食い狼狽しながらひと塊りになる訪問者たち。さらに驚かされるのは銃を構える兵士たちの肩章。近衛師団所属だ、味方に近衛が銃を向ける時というのは、


 「き、貴様。友軍に銃を向けるなど……」


 ここまでやるとは思わなかったのか? そのまま止めの言葉を吐こうとする私の肩をポンと叩いた者がいた。彼は前に出て訪問者の前に立ちはだかる。


 「近衛後備旅団の梅沢だ。貴官等は『陛下の近衛』の前でこれ以上醜態を見せるのか? 略奪した武器を使って勝ったとしても陛下は喜ばれぬ。むしろ陛下自らもったいなくも這いつくばり後援者に許しを乞わねばならぬ立場に追いやられるのだ。大佐、貴殿はそれを望むのか?」


 その大佐の顔が見るみるうちに土気色に変わっていく。予備役兵とはいえ近衛は近衛だ。彼らに刃向かえば自動的に逆賊の烙印を押される。いやすでに押されてもおかしくない。自分が脅しつけた言葉はそのまま陛下への不敬として取り上げられても文句が言えないのだ。
 じり……と近衛が狙いをつける。その時、





◆◇◆◇◆








 「ドゥドゥッ!……いやよかった間一髪じゃったか。」


 指揮官同士の間に割って入り芝居っ気のある台詞を吐いて馬を下りる。さすがにオィが誰なのかは皆解っている。慌てて全員が直立不動で敬礼する。


 「刑部少佐、梅沢君、第3軍は何所にいうのかね?久しぃぶい(久しぶり)に馬を走らせたら迷ってしもた。」

 「は……?、失礼しました。第3軍は左翼の方へ行っております。大山閣下は反対方向に来られたようですな。」


 まずは殺気を散せる。このままでは面子の張り合いから皇軍相討ちかねん。オィも人の事が言えた義理ではないが若い連中の意識を反らせるには老人の的外れな言葉が一番じゃ。


 「ほぅほぅ。こいつに後ろ前に跨ったから間違えてしもたか? 丁度良かからここで渡していきもす。」


 ポンと書面を少佐の額に当てる。正式な命令書、名こそ書かれていない後援者だが紛れもなく嬢ちゃんの物資解放命令書だ。刑部少佐が確認し判を打つと近衛後備旅団長の梅沢少将が門扉を開けるよう配下の兵に命じる。輜重兵達がどこかホッとしたように倉庫に入って行くのを眺めながら本題を聞いてみた。



 「正直、第3軍からあんな上申書が届くとは思わなかった。中身も統帥云々で片づけられる代物でなかったしな。総司令部でも陛下の軍を私物化するつもりか! と怒り狂う者すら出た位だ。あの上申書、乃木の裁可を得ていないのだろう?」


 「はい閣下。全ては私と鮫島閣下の独断と言うことで。」


 そんな事だろうと思った。誰が命令を下しているなどとは言えない。桂さんのような総理ならともかく表向きは一民間人である【彼女】が軍を動かすは歴とした統帥権干犯なのだ。だからこそ刑部は日本人としての悪癖を利用しようとする。だからこそ声を潜める。


 「嘘じゃな、最低伊地知と師団長、幕僚の半分が(ぐる)になっておる筈、となればこれを作ったのは橙子嬢ちゃんか?」


 「…………。」


 顎鬚を扱きながら考える。刑部が黙っているところからみて図星だろう。ここまで支援者として後ろに鎮座していた嬢ちゃんが影から皇軍全てに張り巡らされた糸を手繰り始めた。彼女の父親が戦死したのは痛ましいことだが、あれほど出来た娘のことだ。公私の区別ぐらいできるだろう。その証拠にその上申書の作戦案はまさに『恐るべき』というものだった。
 今の皇軍全ての火力と機動力、そして通信によって全軍を縦横に駆使して行うロシア極東軍殲滅作戦。列強ですら望み得ない世代を超え戦史に不朽の名を刻める作戦案。ただし、それは自ら修羅とならねば突き進めぬ道でもある。


 「この大山巌の名において『作戦案』は正式に受理され発動した。それで良いな?」

 「感謝致します。」


 彼の礼を聞き物資を運びだす輜重兵を眺めながら思う。おそらく乃木抜きで第3軍司令部は越権行為に走ったのだろう。作戦会議を開いてもこれほど魅力的かつ危険な案をあの堅物が裁可する訳がない。頭の良い嬢ちゃんのことだ。第3軍の幕僚達を焚きつけるだけに留まらずこれ見よがしに補給廠と言う餌をばら撒き各軍司令部はおろか総司令部まで動かしたのだ。その証拠が今渡した物資解放命令書、態々各軍の後方に自らの補給廠を作り上げ恩を売りつける。
 面子で断りたい将兵もいるだろうが現実はそれを許してくれない。“史実”より早くしかもロシア全軍を挙げた冬期攻勢、皇軍が持ち堪えられるわけがない。溺れる者は藁をもつかむの諺通り、満州軍司令部も各軍司令部も第3軍の作戦案を呑まざるを得なかった。しかも我等にとっての代価は多いものではない。むしろ第3軍が主に苦労する作戦なのだ。満州全軍、殆どの将官佐官を味方につけてしまえば乃木も嫌とはいえまい。……これが成功すれば皆で乃木に頭を下げに行くことにしよう。
 それでも不安は消えない。なにしろ作戦案は理論にしか過ぎないのだ。実地でどうなるのかは誰にも分らぬ。生兵法はなんとやらの言葉すらあるのだ。試しに刑部に聞いてみる。



 「第3軍はミシュチェンコと当たることになる。さらにはその後ろに3個軍10万もの兵……3個師団と2個旅団それに兵科旅団1つで足りるのか?」

 「むしろ増援を回して頂けただけ有難いと思っております。第11機動尖兵師団、後備第1機動尖兵師団、御国の虎の子の機動師団を使えるのですから。3ヶ月の努力が実りました。」


 そう、本来第3軍は10月には満州軍に合流出来る予定だったのだ。それが12月初めまで遅れた。何故か? 主力となる2個師団に加え増援の“後備第1師団”を合わせ軍内で大編成を行ったのだ。そして出来た部隊はもはや御国の師団の原型を留めていなかった。あの嬢ちゃんが映画という映像媒体で見せたありえる未来、独逸第三帝国(ナチスサードライヒ)の言葉を借りるなら…………


 
【SS装甲軍団】



 我等の時から外れた時代で全欧州を驚倒させ全世界に悪名を轟かせ、100年以上もの伝説を遺した驚異、その萌芽と呼べるものが完成していたのだ。思い出したように刑部が言葉を発した。


 「しかし閣下もお人が悪い。最後の最後まで各師団に所属する尖兵連隊を温存しているとは。各軍司令部の幕僚が不満たらたらでしたよ。」

 「言うな、第3軍の動き次第で殿として使わねばならなかったかもしれんのだ。本当に乃木には苦労させられる。」


 良くも悪くもな、と声を絞って言う。いつも鼻をくくった表情を崩さない刑部が思わず吹き出しそうになり無理矢理生真面目な顔をする。その表情が楽しくてオィは少し笑った。
 孫が出来てから唖奴も変わったと思う。自暴自棄な程の生真面目さが和らぎ余裕が生まれた。その余裕に経験という粘りが加わり切れ味鋭いが一太刀で刃毀れする白刃のような男から、鈍くとも容易に砕けぬ剛刀のような男へと変わりつつある。良い傾向だと思う。この戦の後、参謀総長の座に座るのは唖奴かもしれんな。


 「しかし、いささか橙子嬢は問題です。勝手気侭(きまま)に動き回るので一度躾けるのが良いかと? 小官としては学習院あたりが適当と考えておりますが?」

 「それはいい! あと数年もすれば迪宮殿下も御入学される。さぞかし窮屈な生活を嫌がるであろうな。駄々を捏ねる姿が目に浮かぶようだ。」


 今度は2人して笑い戦場の方向を眺める。いつかそんな平穏な日々が来ることを願って。




―――――――――――――――――――――――――――――






 観戦武官というものは何も一カ国の軍隊から戦争を眺めるものではない。戦争当事国双方に伝手があれば双方の軍隊で観戦することができる。今の私の様に突然観戦する側を変えることも可能だ。何しろ我が祖国、ドイツ帝国は日本帝国に近代戦のなんたるかを教えた教師であると共にドイツ将校はロシア貴族、ロシア将校との関係も深い。ゲネラル・オオヤマが快く送り出してくれた程だ。
 勿論、私がロシア側で日本軍の事を話すことは許されない。観戦武官とは外交官でもあるのだ。相手の秘密を軽率に話す者が信用に値するか!?そして観戦武官から対戦国の情報を聞き出すのも法度(ダブー)とされている。こういった外交特権に守られているのが観戦武官というものだ。
 だからこそ私、ハンス・フォン・ゼークト中佐の任は重い。しかしそれ以上に見せつけられた現実は苛烈だった。


 「何をしている! 私は連隊全員を集合させろと言ったはずだ。連隊長代理大尉! 貴様はふざけているのか!! それとも職務怠慢か!?」


 怒りの声を上げるロシア帝国軍師団長にその連隊長代理大尉が答える。おそらくその連隊は大損害を受けて後方に下げられたのだ、その詰問をいうことだろう。だがその大尉から発せられた言葉は謝罪ではなく怨嗟だった。


「これが我が連隊の全てです。」



 前に整列したのは200名に満たない。軍組織上【連隊】には最低2000名、多ければ4000名もの兵士がいる。それが2段階も下部組織である中隊並にしか人を集められない。それが意味することは……


 
「お前逹のせいで戦友を殺された! 何が栄光の突撃だ!!」



 
「我々は製材所の丸太ではない!」



生き残った兵士たちが口々に怒りの言葉をぶつけて来る。私は自らの立場を彼らに明かし彼らに質問した。何が起こったのかと? 結果、確かに彼らの証言から戦況が推測できた。だがそれは『今までの戦争』とはかけ離れた代物だった。
 満州軍に所属する各師団の防衛線が最終防衛線を除いて全て放棄された。勢いに乗り陣地を占領するロシア軍、ただ彼らも猪突猛進はしない。攻勢で疲れ戦闘継続の難しくなった前線部隊を占領した陣地に留めさせ、健在な第2波、第3波の兵団を突進させる。ロシア軍が今も昔も突進によって敵を連続的に突破できるカラクリがここにある。大量の兵力を各梯団に分け敵に立ち直りの機会を与えぬまま押し潰す。――全縦浸同時突破戦法――解りやすく言うならば蒸気ローラー戦法と言った方が良い。
 対する日本軍は今まで温存に徹してきた各師団の尖兵連隊が最終防衛戦に配属されている。機関銃陣地や迫撃砲陣地が構築され地面が凍結する前に掘られた幾重もの塹壕で結ばれている。何故奉天の前、沙河より先に日本軍が進まなかったのか。
 勿論、兵士や補給が続かなかった事もある。硫黄島製の武器を野放図に使えるのは第3軍のみ。他の軍は足りない武器や兵器を必死でやり繰りせねばならないのだ。だからこそ他の軍は第3軍に拠出要請を毎日のように出すと共に陣地構築に力を入れたのだ。その陣地帯……後にゲネラル・ノギから聞いた“戦争のカタチ”から言うならば、

“第一次世界大戦における死の迷宮(ざんごうじんち)


 突撃するロシア軍兵士……いやロシア軍前線全てに敵陣地線から絹を裂くような音と共に圧倒的なまでの銃弾がばら撒かれる。現在、機関銃という物は決戦兵器の類である。数が多いわけではなくロシア極東軍とて保有数は100挺に満たない。しかし日本軍歩兵連隊の前に突撃したロシア歩兵連隊はそれ以上の弾幕を浴びせられたのだ。しかも近づけば近づくほどその火力は上がっていく。日本兵は40名の小隊や10名足らずの分隊どころか兵士一人一人が機関銃を持っているように弾丸をばら撒くのだ!!
 結末……否、その惨劇の結果が前にいる兵士逹――損耗率9割――愚将が指揮してもこんな現実は起こり得ない。

 「観戦武官殿。失礼を承知、いや軍機違反を承知で御質問したい! 日本軍のアレは何なのか!? 私達を引き裂いた機関銃……否、蒸気鋸は何なのか!!」

 血を吐くような言葉に茫然とした。確かに日本軍が新たに採用した【マシーネンゲヴェール42】は銃の発射音というより英国製の蒸気駆動型の回転鋸が丸太を切断するような異音、というより絶叫音を発する。もしあの機関銃がそれほどの存在なのだとしたら。

 
士気崩壊(モラルブレイク)


 突撃が失敗したのはなにも人的損耗という物理現象だけではない。手足が千切れ飛び、まともな肉体として自らが残らないのではないか? と悟った兵士たちが士気阻喪してしまったのだ。決してロシア兵士は怯惰でも臆病でもない、古来より白兵突撃を重視し銃剣を勇壮の象徴として扱うのだ。逆に日本軍は体格の大きいロシア兵に白兵戦を挑むのは無謀を考え、あくまで射撃戦に徹しようとしたきらいがある。その兵士たちがここまで打ちのめされるには一体どれほどの損害を重ねなければならないのだ!? 
 数日後、ロシア司令部で聞いた結果に私は恐怖する。日本軍陣地に襲いかかったロシア軍第2波から第5波まで総数5個師団6万人もの兵で残ったのは8000名足らず、たった1日で極東軍の2割もの兵士が消滅していた。
 そして、後にロシア軍兵士はこの殺戮を引き起こした機関銃を恐怖と共に語り継ぐことになる。そう…………




 
【乃木の蒸気鋸】と。








あとがきと言う名の作品ツッコミ対談




 「どもっ!とーこです。旅順終わったらいきなり黒溝台ですかい!休んでる暇ないというかハイスピード展開ね〜。」


 ま、旅順終了から黒溝台まで4月近く時間があるしね。無駄な描写ばかり書きかねないから戦闘中心でラストスパートに持っていくつもり。それに機械化師団だと概算で旅順、黒溝台間なんて2週間以内で到着できるし本文の通り第3軍の展開速度は速いよ。


 「そこで質問なんだけど。あたしがじーちゃまに無断で補給廠造ってるのバレてない? 簡単にあたしの思惑なんてじーちゃま解ると思うけど??」


 無断?いや無断じゃなくてちゃんと第3軍の命令で各地に補給廠作ってるよ?前話で「兵器関連は第3軍に丸投げ」してるでしょ。橙子はそれを流用してるだけ。“橙子”が今橙子の主導権を握って感情プログラムを押さえつけているけどちゃんと索敵ユニットを介して「妥当な作戦案」作っているから。そしてコアユニット本体はそれを独自の思惑でシュミレート中。


 「なんかすっごくマトモなことやっているだけの様な??」


 (ニヤ)全然違うね。10歳児の“橙子”の感覚で「子供が戦争を動かしている」んだよ。一見まともに見えるけど全世界の政治家にとって悪夢のような事態といって構わない。このまともこそが厄介なのさ。誰も彼も文句が言えない。そして彼女の真意に気付いた時にはすでに手遅れになっている。


 「ネタバレにも思えるけどじーちゃま独白で同じこと言ってるからね…これ以上ダダ漏れするとツッコミ入れるわよ?(砲口向ける)」


 初めにあの方にツッコミ入れるかと思ったけどね?流石にWW2屈指の名将にツッコミ入れる勇気はないか(笑)


 「意味ちがー!……で思い出したけどソレソレ!! よくもまぁ作者もマンネルハイム元帥出す気が起きたわね。WW2において唯一講和を勝ち取った国家の軍事指導者! 信奉者から作品ごと叩かれかねないし、しかも何? 愚将で名高いブジョンヌイ元帥と組ませるわけ?」


 マンネルハイム“元帥”は戦闘面、戦術面ではそう有能でもないよ。恐ろしいのは
戦略眼と戦争に対する着眼点、そして相手の2歩前を察知し自分の2歩前を感じ取れる感性かな? ある意味、某魔術師と才能が似てる。ブジョンヌイ“元帥”も無能と言うわけじゃない。赤軍騎兵の父だし馬に関してはかなり出来る。彼の不幸だったのは馬が既に主力兵器として使われない時代に来ていたこと。新しい戦争に自分を順応できなかったことだと思う。元々一兵士が元帥まで上り詰めたんだよ?士官教育が受けられるほど柔軟な考えや視野を持っていたとは思えないし一芸が効かない時代ではどうしたって老害扱いされてしまう。だからこそこの二人を組ませた。史実でも顔見知りだったらしいしね。


 「で…(設定パラパラ)じーちゃまの最大の敵として立ち塞がるわけだ。」


 「立ち塞がれるか微妙だけどね。なにしろ立場に金髪元帥と某魔術師位の違いがある。少なくとも敵側から見たじーちゃまを描くためにこれからも出てもらうつもり。」


 「あたしじゃないの?」


 彼はアルペジオ側には入れないね。あくまで仮想戦記側の人間と割り切っている。史実側キャラでもこの点で大きくキャラが分かれているのがこの作品の特徴かな?中には兼任キャラもいるけど数は少ないはず……今のところ56くらいかなぁ。


 「うへぇ……これまた厄介な人物を据えるわね。作者、背中気をつけて歩きなさいよ? 最後は乃木の蒸気鋸! ついに序章にでた異名が出たわね。いよいよ話が繋がるか〜。」


 うんにゃ。基本繋がるのは第3章だしね。それもどうも後半ぽくなってきた。乃木の蒸気鋸ネタは解るでしょ? MG42の異名:ヒトラーズ・バズ・ソー(ヒトラーの電気鋸)の転用。実際日露戦争はWW1の雛型だから兵器のブレイクスルーさえあれば直ぐに実況がWW1に早変わりできるからね。地獄の塹壕戦が10年以上前倒しされたわけ。


 「でも5個師団が壊滅以上っていくら何でもやりすぎじゃないの? いくらなんでもそこまで行く前に被害の大きさで自然停止しそうだけど??」


 じゃ聞くが、何故WW1の塹壕戦(特にヴェルダンやソンム)で両軍共あれほど馬鹿げた被害になったか解る?前線と司令部には距離がある。だから前線の様子は司令部の届かないんだ。野戦電話どころか伝書鳩や伝令兵すら使っても実情が解らなかったんだよ。一度作戦を始めると終わるまで止められない。これがこの頃の戦争なのさ。だからこそじーちゃまは今回前線3キロという敵砲兵射程圏内に司令部おいてでも直接指揮を執ったし、史実のじーちゃまも似た理由で同じ場所に司令部を置いたと思う。「総司令官が直接戦場を見れなければ臨機応変な戦いが出来ない」某砂漠の狐閣下の考えが良く解るよね。そしてそれを覆したアメリカ陸軍通信部隊の恐ろしさも。


 「その辺り書こうとして詰まらな過ぎる!で断念した無精ネタ書きが何言うんだか。」


 ……さて次回いよいよクライマックス、歪んだ作戦案がもたらす結末とは!?


 「とって付けたように次号予告で誤魔化すなあぁぁっっ!!」(轟音と悲鳴が交錯)



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