欧州市場に激震が走った。


 金相場は大暴落、通貨為替、株式市場も乱高下を繰り返し数日を持って落ち着いた。トラキア総督の次の発言を列強がどうとらえるかを欧州中、いや世界中が注視している。そのなかでこの顛末をまったく違う方向から眺めているボク等がいる。





◆◇◆◇◆






 「全くなんということをしてくれたのだ、ジェネラルは! こんな事態を引き起こして彼は愉快犯か何かか!?」


 電話の向こう、秘匿回線だから良いものの盗聴している者がいたらそのまま聾耳(ツンボ)になりかねないほどの怒鳴り声が響く。トーバーを跨いでいる電話線、相手はホーブブルグで会談を行ったあのフランス大使だ。今や彼も外務副大臣。恍けた声音を喉から出し、ボカァ用意していた言葉を紡いだ。


 「いやはや大したものですな! 兵器を作れるなら我等が富の指標とする金すら例外ではない。我等が女王陛下(リヴァイアサン)にとって粘土も鉄も金すら同価値に過ぎないというわけだ。」

 モールバラ(チャーチル)公…………あなたは!」

 「良いですか?」


 彼の慌てた声を制してボカァ先回りする。この世界中を覆しかねない事件、彼女が何をやったか明白だ。トラキアにそう都合よく金が出るわけはない。ならば創り出したのだ。そう、魔法のように片手を軽く振っただけで創り出したに違いない! そして其の行為に含まれた明確なメッセージ、そう我等の【トラキアへの締め付け】というメッセージに強制力を持つ返答をしてきたのだ。

 『資本資源? そんなもので締め付けれると思ったら大間違いだ!』

 そういう事、大したものだ。これほどの識見がジュニアハイスクールの子供が考えられるとは思えない。陰で囁いた者がいるな? 実に喜ばしい。上機嫌の余り彼には例え話で宥めてみる。


 「これは感想に過ぎませんよ? 偉大なる女王陛下の勅書(ジ・マジェスティック・オーダー)ではない。ならば何を恐れる必要があります? トラキア総督等、彼女の秘書官でしかない。その秘書官(ノギ)故国(ジャパン)の公文書も無しにこの事実を明かした。ここから解かる事実は二つ、この事件が欧米列強国家に対してのメッセージであること。そして彼女はヒトが己に抗う意思があるかを我等に確認を求めてきたのです。」


 彼もボクが言わんとする言葉を理解したようだ。慎重に言葉を選んでくる。


 「ゲーム盤が広げられ、駒もチップも揃った。しかし彼女はそれでは不満と盤一杯に駒をチップを積み上げて見せた。」

 「その通り(イグザクトリィ) 彼女は盤面はもっと面白いものでなくてはならない、そう仰っているのです。勿論ゲームですからハンデこそあろうが対等(フェア)にでしょうな。」

 「何が対等だ! 簡単に言ってくれる……」


 悲鳴の裏返しとも取れる悪態が電話線から流れてきた。頭を抱えでもしているかもしれないな? ジェネラルの発言では国債はドルないしポンド建て、国際通貨足る我が【ポンド】はともかくフランス通貨【フラン】が容れられず、躍進著しい植民地人の通貨【ドル】に取って代わられたのだ!
 彼だけでなくフランス政府要人全てが顔面蒼白だろう? 表向きに世界に冠たるは我が国とフランスでなく我が国と合衆国であると言われたようなものだからだ。
 今頃、トラキアのフランス駐在官は総督府に抗議という名の交渉を必死に行っている筈。さらに困り物はあのジャガイモ人の祖国(グロースドイッチェラント)、ただでさえロシアの人民洪水で四苦八苦しているのにこの爆弾、バルカン鉄道を強引に接収してトラキアに侵攻するという愚行を引き起こしかねない。


 「先年にボクが想像した懸念、思い出されましたか? アレに比べれば余程マシです。少なくとも彼女はこちら側のルールに乗ってきたのです。そう、絶対的な未来の軍事力ではなく、この時代の経済、この時代の外交、この時代の政治を“ゲーム盤”として使うつもりでいる。言っては何ですが楽しくなりますよ? 我々が10年かからねば成し得ぬ事を、準備だけとはいえ全てお膳立てしてくれたのですからね。」


 もはや泣き事にしか聞こえないような彼の言葉が返ってきた。愛国者が神から『お前の国は用済みだ。』と宣告されたようなものだからな。その点についてはボクも同情もしたくなる。そう、未来それが大英帝国(コモンウェルス)に降りかかるのも当然の運命、世界は廻る……世界の中心が永遠に世界の中心である事等在り得ない。そう考えながら彼の愚痴を聞き流す事にする。


 「…………卿の懸念、アレの方が我が国にとっては余程マシに思えますな。少なくとも我が国に被害はなかった。しかし今回は状況が異なります。良き時代(ベル・エポック)偉大なる我が祖国(グラン・ナション)が選ばれなかったことにどれだけ国民が失望するか解りますか? ジェネラル・ノギも浅はかとしか言いようがない。欧州力学に配慮して頂きたいものです。」


 隣で耳を欹てていた客人がトントンと肩を叩き手を差し出してくる。ボクは溜息をつくと彼に電話を替わった。


 「やぁ、アーチャーです。昨年のシャンパーニュ(ワイン)大いに楽しませてもらいましたがそのお礼を一つばかり……」


 彼が言った方が話が早いだろう? 若造の気楽な物言いに聞こえながら核心にズバリと切り込んでくる。内容は簡単、【ポンド】と【ドル】は選ばれたのかもしれないがこれから双方は激しい鍔競り合いを繰り返すことになる。玉座の右後ろ、即ち女王陛下(リヴァイアサン)の宰相の座はひとつだけ。経済軍事外交、尽く張り合うことになる。それが強者の宿命だ。
 そこからフランスは逃れられたのだ。張り合う力を他に向け己の国を安泰にする。東洋人がいう『名を捨てて実を取る』事が可能なのだ。どちらにせよトラキアの金産出高は欧州列強が力を合わせなければ呑みこめない。毎年800トン市場に流しただけで52億ポンド(2012換算32兆円)もの債権が発行されることになる。
 世界各国、全世界民衆『金を安く手に入れたい、しかし金の価値は何者より高くなければならない。』この論理と欲望により金相場は欧州列強に一任される。
 そうジェネラルは発言したのだ! つまりその責任の大方は祖国と植民地人共に任され、その他は楽して其れなりの利益を上げ欲望を満たす事が出来る。
 小憎らしいのはジェネラルが自らの祖国(ジャパン)を意図的に外したことだ。祖国への裏切り行為ともとれるが祖国へ列強の注意を向けさせぬつもりなのだろう? 電話を終えてアーチャー卿が電話機を置いた後、ボカァ口を開いた。


 「ジェネラルは『史実』を変えるつもりかもしれませんな。」

 「ほう、卿は誰よりもジェネラル・ノギを解かっているように思えるが? 確か直接有ったことは無いと聞き及びましたが?」


 だから彼が好きだ。こういった手合いと気の置けない話をするのが楽しくて楽しくて堪らない。ボカァ自分の右手を拳銃の形にして見せ、その手の人差し指でこめかみをつついて見せる。


 「陪臣如きが彼女に会って何をしろと? 平伏し自分が自分でなくなるくらいならボカァこうしますよ。そもそもジェネラルと彼女が相手するは国家です。大英帝国という名の五大洋を統べる帝国宰相ですかな?」

 「ならば、私はその陪臣と言う立場でありながら陛下を陥れようとする奸臣ということになりますね。フランス人にこう囁いてやりました。『バルカンへの兵器輸出を英産業界は黙認してもよい』と。」

 「それはそれは……」


 これは痛烈な皮肉だろう。北米の同名戦争と同じく最も嘲笑されながら最も危険な橋を渡りきった豚戦争。オーストリアとセルビアの貿易紛争にフランスが武器輸出と言う手段で介入し、あわや大戦争になりかけた歴史だ。祖国がフランスに圧力をかけ純粋な貿易として双方を納得させざるを得なかった事態。其の時にフランスに掛けた(たが)を外すと言うのだ。そう、トラキアに対する絶好の当て馬、セルビアという目先の敵を作り出す。
 彼女と総督閣下は列強を警戒し、手を打ってきたが足元に火が付いていることを御存じになられるだろうか? 相対する若者は人差し指を立てて注意する。


 「チャーチル卿、私は別に彼の総督閣下や彼の地を窮地に陥れるとは考えてもいませんよ? これは我等下々が五大洋を統べられる陛下の為に用意した献上品です。……そう戦争という名のね。」


 その声でボク等二人は含み笑みを浮かべ、それが笑い声に変わるのにたいして時間はかからなかった。





―――――――――――――――――――――――――――――






 「ハンス君、君にトラキアへ行ってもらいたいのだ。」


 猫撫で声だが声色は冷たい。上官たるドイツ帝国東方防壁軍司令官、エーリヒ・ルーテンドルフ中将からすれば当然なのだろう。刈り揃えた頭とカイゼル髭の下からはっきりと出た言葉は私を失望させるに十分だった。


 「ついでに言うならば君とホフマン君の諍いが原因ではないぞ! 君はあのゲネラールを間近でみた数少ないドイツ軍人だ。これから君がやってもらう任務は唯の軍事顧問ではない。宰相からもその点、何度も念を押されたのだ。こんなタタールの浮浪者共(ロシアじん)と殺し合う任務に比べれば栄転と言っていい。」


 今更のように先週の話題を持ち出すあたり言い訳のように聞こえてしまう。この暗い世相では私自身が腐るのも致し方が無いと考えつつ忠告だけはしようと思い立った。


 「は、了解しました。しかし閣下、くれぐれもお忘れなき様お願いいたします。我々は非情になる他ないのだと。旅順・奉天を上回る悪名を世界に報じられなければ我が国、我が国民に惨禍が及ぶことを御理解頂きたいのです。」


彼が軽く手を振り私への退出の合図とする。それ以上私は言葉を(さしはさ)むこともなく部屋から丁重に追い出された。扉が閉まる。
 門衛の敬礼を後に私、ヨハネス・F・L・フォン・ゼークト中佐は先ほど受け取った辞令を手に、臨時司令部となっているグデーリアン家という郷士(ユンカー)の屋敷を出た。屋敷の細君とハインツ君という青年の見送りを受けて。


 「大佐か……」


 昇進に新任務、本来なら拳を握りしめ歓喜の想いに囚われるだろう。しかし私の心は重かった。彼らでロシア民衆の津波を防ぎきれるだろうか?
 1910年4月1日、欧州で『最悪のエイプリルフール』と報じられた地獄の蓋が開いた。5年にもわたって大凶作が続いたウクライナ・ベロルーシア、ヴィスワの国境線が破れ、オーストリア・ルーマニア・そして我が祖国(ドイッチェラント)に飢えたロシア難民が雪崩れ込んだのだ! その数2000万を超えていた。そして祖国の国境線だけだけでも600万!!
 祖国の人口は6000万、十分の一なら国民全員が耐乏生活に甘んじれば……と最近流行りの社会主義者が言いそうな文句だが事はそう甘くない。600万の民衆が今までと同じ生活水準を求めてくるのだ。経済学者でなくとも解るだろう? そんな数の難民を受け入れれば確実にこちらが破綻する!! その末路は6000万のドイツ民衆が難民として他国に雪崩れ込むことを意味するのだ!!!
 これが始まった時、既に私は覚悟を決めていた。悪魔と言われようとも祖国を守る。ルーテンドルフ将軍の配下で徹底的な難民殲滅を行ない。我が国の脆弱な脇腹にしてロシア帝国の突出点(バルジ)たるポーランド地方を両翼の東プロイセン、シュレージエンから挟み撃ちにして国境を一直線にする。その上で囲い込んだポーランド地方をロシア人の収容施設にしてしまうという構想は軍だけではなく政治家達にも賛同を得た。しかし、そこまでだった。
 最新の一報を報じようと記者達が見た光景、飢え、やせ衰えた体を引きずり歩く夫婦、乳も飲めず泣く気力すら失った幼児、銃なのか杖なのか解らないモノに縋りついて蹲る元兵士…………もはやそれはドイツ人全てが脅威に感じるロシア人ではなかった。


 人間の残骸



 その言葉は祖国の新聞で大見出しを付けて踊った。これを救わねば人では無いと。我が祖国・ドイツ帝国はイギリス・フランス程、人権をいうモノは大きさを占めていない。まずドイツ国民としての忠誠と義務が重視されるのだ。しかし国民感情がそれを阻んだ。祖国が初めて知った国民感情が慈悲とは…………
 本来良きことと思うべきなのだろう? 自国の民でなくとも飢えた者を救う、これ以上の善行があろうか。合理的で、ある種冷たさを持つドイツ人のイメージを払拭することもできる。しかし、


 現実はそう甘くない。



 彼らの陰でどれほどの無政府主義者、社会主義者、無産主義者が入り込んできたか! 彼らに国家も秩序も関係ない。ただ自らの碌でもない理想を現実化するために公的秩序と対立する!! ドイツ帝国を食い破ってでも自らの欲望を満たそうとする輩なのだ。こんな連中と飢えた農民が結ばれた時、起こるのだ……【革命】という馬鹿騒ぎが!!!
 私は容赦しなかった。東方防壁軍参謀として本国参謀本部と渡り合い、占領したポーランド地方オフィシエンチム市郊外に収容所を建設、難民を此処に送り込んで隔離・選別した。共産主義的傾向、無産主義的傾向を持つ人間は女子供であろうとも処刑した。そうしなければ祖国が混乱する。それだけではない! 力無く我々に縋っている難民達が凶賊となるのだ。たった数カ月、数にして1万近い犠牲者を生みだした私に、いけ好かない英仏の記者は愚か、祖国の記者までもが恐怖と嫌悪で渾名を付けた。


 
アウシュビッツの悪魔(エール・オフィシエンチム)


 
死神ゼークト(ゼークト・デァ・トーテンコップフ)



 結局、参謀本部から出向してきたマックス・ホフマン参謀と言い争いの末、私は任を解かれたのだ。着いた駅の改札で軍手帳を出し切符を得る。一度ベルリンに戻り正式な辞令を得なければと考えていると隣から呼ぶ声がした。


 「ゼークト閣下」

 「トート博士! 貴方もですか?」

 「ということは閣下もトラ……いや失礼、外地赴任ですか?」


 フリッツ・トート、まだ20を越えたばかりだがミュンヘン工科大学の俊英だ。この歳で学士持ちなのだから何とも凄まじい。彼のおかげで収容所が早期完成したようなものだ。我がバカ息子に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい……博士は彼の学識の高さと教授のような丁寧な説明をすることから私が付けた渾名だ。


 「軍事顧問という体裁でね。体よく追い払われた、または傭兵として軍から追い出されたのが真実でしょう。」

 「ならそちらの方がマシですね。このトート博士にいたっては古代ギリシャの家庭教師の待遇です。祖国も落ちぶれればきりがありませんな。」


 彼の諧謔を私は察した。【古代ギリシャの家庭教師】傍目には有力議員の子弟を教導する名誉な職柄に思えるが実態は違う。奴隷なのだ。負けた都市(ポリス)の知識人が奴隷として売られ、その職に就く。生活こそ勝者の市民に準じるが、勝者の財産に過ぎず自由も尊厳も与えられないのだ。そして古代ギリシャと言った意味も解る。赴任先が古代ギリシャ世界に対応する場所。そこには今、良くも悪くも目立つ国家が存在する。日本帝国欧州領(トラキア)、そういう事だ。つらい目をする私を見て彼はおどけて言葉を出す。


 「これは言い過ぎました。なんでもかの地の国民は【古代ギリシャの家庭教師】を【御雇い外国人】と称して篤く遇するとか。わが軍の故メッケル少佐がいい例ですよ。かの地の軍を教導しただけでエンペラーから勲章と男爵の位を贈られた程ですからね。」


 三等客車、これでも身に余る贅沢だ。兵士たちは家畜用の貨車か天井もない無蓋貨車なのだから。その椅子に座りながら。私は尋ねてみた。


 「博士、今回の件どう思います? 我等が外地赴任は構わないのですがどうにも急です。嫌われてはいても軍司令官の独断だけで更迭はできないでしょう? ルーテンドルフ中将は好き嫌いの激しいお方だがそこまで愚かではない。参謀本部でもあの件は賛意を得た以上、提言者だけを左遷するのも妙な話です。帝国宰相直々という話も聞きました。」


 彼は少し考えさせて下さいと一拍置き、曇天から落ち始めた雫に目を向けていたが雷が鳴ったのを合図にするかのように話し始めた。


 「閣下? 閣下は先に一度日本に行きましたよね。日露戦争の観戦武官として?? もしかしたらその辺りかもしれません。今トラキアは大騒ぎだそうです。世界中の金鉱を廃坑にしかねない大鉱脈が発見されたとか。」


 いきなり此方の内部事情を晒されたのには驚くが金鉱の話は知らなかった。祖国の国家政策も顧みず目の前の作戦や現状に右往左往している私もバカ息子の事は言えないか。……兎に角、祖国・ドイツ帝国の南進政策は露骨極まりない。人種も肌の色も違いはては宗教すら棚上げにしてベルリン―ビザンチウム―バクダードを結ぶ鉄道を開設しているのだ。3B政策と言えば解りやすいだろう? 世界の海洋覇権を脅かす鉄道による覇権確立、海洋国家のイギリス人(ライミー)共が神経を尖らせるのも頷ける。


 「つまり国家政策であるバルカン鉄道に何らかの変更が起こったのか?」

 「ええ、そのバルカン鉄道なのですが急遽路線が追加されたそうで、征京までの鉄道建設が追加され、しかも最優先らしいのです。ベルリンでは鉄道省の幹部が急遽招集されたとか? それだけではありません。本国では冶金工学者や金属精錬部門の技術者が軍民関わらず掻き集められているそうです。」

 「それはつまり……」

 私の考えを博士に言おうとすると彼は首を振った。それは解っているという意、そこまで私が辿り着いたという確認の表示。


 「我が国も墜ちたものです。列強の座にしがみつく為、我々を売るつもりなのです。(ゲルト)の代価として。」


 余りにも痛い言葉、愛する祖国に売られた。生活苦で母親に売られる子供と何が違うのか。しかし……


 「売るのは我々の魂ではない、技術です。博士、我々はもう一度【お雇い外国人】になりましょう。いかにあのジェネラルが無敵でも足りない物は有る筈です。彼を助け祖国を救う。それが我等の使命です。」


 とうとう土砂降りに変わった外の景色……それを眺め再びの稲光を目にした時、神はこれほどの酷い運命を祖国と我等に押しつける気なのかと考え私は思わず嗚咽を漏らした。


―――――――――――――――――――――――――――――






 列強が動き出した。イギリス連合王国、アメリカ合衆国は【要請】を受けて中長期的な信託銀行を創設、金本位制と連動した兌換(だかん)通貨としてトラキア建設国債の運用を開始した。当面は日本からのトラキア移民の奨励とその援助が目的なのだったが……
 ドイツ帝国の独自提案はそれをひっくり返す代物だった。ロシア難民の御蔭で経済が立ち行かず、投資資金を集められない――マルク札を乱造しても無意味なインフレーションで立ち行かなくなる――これでは列強の地位から転がり落ちかねない。そこで彼らが考えたのはトラキア開発への直接参入だった。
 バルカン鉄道トラキア支線の敷設(ふせつ)、フィリッポス鉱山近郊に重金属精錬工場を建設、征京に最新鋭の中規模製鋼施設を整備……国家機密であるはずの重要技術を紙屑(タダ)同然で投げうち、至宝というべき技術者達を日本人の求めに応じて無制限に供給する。
 列強のゲームに加われないのなら日本人と同じ地平に立てば良い。同じ場所で汗水垂らして働き、トラキア経済とドイツ経済を連動させる。ドイツ帝国の3B政策を補完できる工業地帯を作れるのみならず、即時現物(バーター)取引によって得られる報酬は金鉱山から出る既定産出量外の金塊! その宣言はゲームの【親】たるイギリス連合王国を慌てさせるには十分だった。
 首相声明で『列強のトラキア進出はホーフブルグ講和条約違反』を声高に叫び、トラキアの本国たる大日本帝国に圧力をかけ、阻もうとする。当然、秘密裏に代価として提示されたのは大日本帝国を通した資金援助による、トラキアの英地中海艦隊根拠地化。表向きこそ征京沿岸部の港湾施設建造だが記者すらその規模に唖然とする他がない大きさ。
 これに仰天いたのがアメリカ合衆国、裏は兎も角、メインプレイヤーたる英国までもがルールを無視して事を進め始めたのだ。さらに不味いことにアメリカ合衆国はゴールドラッシュの御蔭で現在最大の金保有国、つまり金が市場に流れれば流れるほど保有金塊の価値は下がってしまう。このままではトラキアの安全と世界の安穏が脅かされると大統領自ら列強各国を非難、トラキアは健全なる開発の元発展すべきと呼びかけた。
 こちらにも裏はある。もはや流通・工業はイギリス・ドイツに抑えられ、割り込める可能性は少ない。なら農業はどうか? ジェネラルは食糧自給率を気にし欧州で雑穀扱いの米の買付に走ったという。トラキア移民の殆どは祖国を追われた貧しい農民、彼らを味方につければ長期的な視点でトラキアの民意をアメリカ寄りにできるだろう? トラキアという僻地を与えただけで日本人は列強の使用人という立場に満足してしまったのだ。トラキア中を水田に変えるほどの水は無いと疑問を呈する研究者に大統領みずからこう云い放ったらしい。


 「水が無い? バルカン半島中から引っ張ってくればよいではないか! トラキアの開発は列強の意思である。バルカン諸国もその崇高な責務に従うべきだろう。」


 もはや裏も表もなかった。英米独だけでなくフランス・イタリア・オーストリア…………各国は狂ったようにトラキアの開発計画を提案する。時の山本権兵衛総理大臣が頭を抱え、こう呻いたという。


 「これはトラキア地方開発計画ではない、トラキア地方改造計画だ。」
 




◆◇◆◇◆







 持てる者たちの遊戯(ゲーム)は始まった。機会という(さい)を振り、交渉というカードをやり取りし、利益というチップを積み上げる。欧米列強(プレイヤー)誰もが心躍る光景。しかし、参加できず、周りから眺めることしかできなかった(くに)の心情は如何ばかりだったのか?


 
歪みが現れる。


嫉妬という薪を燃料に戦火が燻ぶり始める。







 あとがきと言う名の作品ツッコミ対談


 「どもっ! とーこです。ざっと本文みた限り今回、大日本帝国欧州領とも本作の筋ともかなり異なるみたいだけどどうなってるの?」


 今度はいきなり全体の考証を要求するのかい。ようやく戦争の準備が整いつつあるからこそここで一度全体像を読者に把握してもらおうと思ったのが一つ。それとゼークト閣下がいいかげん御暇になってるから彼の助走を含めて書いておかないと誰コレ? になりかねないと言う点かな。


 「戦争の準備? プロット4章ではじまってるじゃん。何をいまさら」


 甘い、戦争はそう簡単に始められない。昔も今も乾坤一擲で必ずリスクのある政治手段だしね。あの戦争大好きな某新大陸国家にしたって第二次世界大戦に参戦するのに想像以上のハードルが存在したのよ。一歩間違えば政権交代どころか大統領弾劾になるしね。……そのハードルをぶち壊した某帝国については何も言わないということで(苦笑)


 「またまた不穏な言動を……じゃツッコミその1、こいつら地獄に堕ちろ〜てな感じだわ! ここまで素敵な嫌がらせでくるとは。」


 ?? 何の事かと思えばチャーチル閣下とアーチャー卿の悪巧みの事か。実際のところはもう一つクッションを置いて読者から『なんか英国の匂いがするよな? ならばこれを仕組んだのはあの2人か?』と勘繰らせるつもりだったけど頓挫した。試し読みしてもらった有難い方から『まどろっこしい!』と却下されたくらいだからな。仕方がなく大元と末端だけ書いて少しでも解りやすくするようにしたのよ。


 「筆力不足よねぇ?(砲口径拡大中)」


 まったまった! ではどうしろと? ここで中間キャラとして新キャラ作るわけにもいかないだろ!! 正直ラドミール・プトニック参謀総長なんてこちとら想像で描くしかないんだぞ。さらにその周囲まで自作したら本気で物語が破綻しかねん。


 「誰?」


 知るわけないか。このころのセルビア陸軍参謀総長だよ。第一次世界大戦でドイツ軍がオーストリア陸軍のテコ入れに入るまでセルビア陸軍を支え続けた人。結構有能だよ。この時68歳のおじいちゃんだけどね。


「(唖然)」


 実際彼はこの物語に出場は決まっていたけどこう言った上―中―下と言った階級で中の部分として書きたくないのよ。上―中、中―下を書くとどうみても主人公扱いになってしまう。それを防ぐために彼はあくまで上司の立場で背景的なキャラとして立ち位置を固定したのさ。その結果全体的に話の筋が押し上げられてこうなったと言う訳。」


 「考えすぎだと思うよ……そんなこと読者が知るわけないし、イダッ!」


 いーや甘い! キャラが増える事がどれほど読者の負担になるのか解って無い!! 描写はメインキャラ主体で状況は描写を組み合わせて。ラノベの書き方にもあったでしょ?」


「だからってゲンコでなくらないでよもー。じゃ仕切り直しでツッコミその2! 今のゲンコそのまま返しちゃる! なによこの狂人モノ書き!! アウシュビッツなんてアウシュビッツなんて……しかもゼークト閣下にトート博士をこう使う訳!? ここまで悪辣だとアンチとしか。」


 ? アンチじゃないぞ。確かに世界史としては極悪非道だが彼らには目立つべき設定を意図的に加えた依怙贔屓じゃないかと疑われるかと思ったよ。そして大元のネタは独三帝の白作戦なの。25年近く繰り上がったけど。そしてそのまま虐殺行為に及んだ元ネタはカチンの森事件ね。


 「ま……まるごと独ソの悪行を書きやがったよこの作者(恐)」


 それほどきつい状況だってこと。実際シュミレートした結果じゃドイツ全土も騒乱状態にならざるを得なかったから何とかドイツ帝国に踏ん張ってもらうためにも強烈な反作用が欲しかった。其の結末がコレというわけさ。


 「で……ヒンデンブルグ+ルーテンドルフ+ホフマンのタンネンベルグトリオにゼークト氏が蹴散らされたわけか。でもトート博士って自前知識ないと発掘できないんじゃないかな? さすがにまだ大学生だし。」


 そこら辺は苦しいけど偶然と言う事で。其の引きで彼もトラキアに合流することになるから。


 「彼?」


 「ひみつ」


 「……あー解った!!!」


 誰だい?(意地悪)


 「ひ・み・つ♪」


 すまん変な答え方した作者が悪かった。ごめんなさい(土下座)


 「誰に弁解しているのやら(笑)じゃツッコミその3、珍しく最後の節だけ三人称視点になったわね。どういうこと??」


 さすがに何度検討しても対応できる一人称キャラがいないという壁にぶち当たった。(大汗)コアユニットが未来から回想すると言う手もあったけどそうなると以後の伏線についても含めなきゃならなかったのでボツ……歴史書の引用にしては長すぎてボツ……七転八倒の末ここだけがナレーション化してしまったという結末だ。


「基本構想そのものが崩壊してない? 作者??」


 全く面目次第も無い……ちょっとまて何故そこで口径拡大って……マテマテマテそれは以降の使用条件であって今使って良いものでは(恐慌)


 「では、読者の皆様の声を代弁する事として逝ってみようかー!(大喜)」


 (轟音と悲鳴が交錯)



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