夜風が肌を撫でる。
その心地よさに、重たい瞼がゆっくりと開かれた。

「……っ、俺は……」

体を起こしながら、現状を把握する。
所々痛む体には、医者が手当てを施したのか、包帯が巻かれている。
月の光に照らされた右手は、刀を強く握りしめていたためか、血が滲んでいた跡がある。

あれから一体どれほど時間が経ったのだろうか。
時間の感覚が狂っている。
気を失って眠っていたためか、それほど時間は経っていないような感覚が、頭の中を支配している。
しかし、ふと眠っていた床の傍に目をやれば、代えの包帯の束が不自然な積み方をしてある。
上からいくつか使った証拠だということは、それだけで十分に分かった。

「……随分と眠っちまったな」

表情が綻びる。
自嘲気味に笑っているようだ。
随分と呑気な人間だと、心の内では自分を蔑んでいる。

不意に、意識の向こう側から声が聞こえてくる。
いつ聞いたのかは分からない。
しかしその声は、とても鮮明に頭の中を駆け巡る。
懐かしいようでいて、心が落ち着くような、そんな声だった。

 

 

『──……………あなたの二つの宝、部下の命と六の刀を取り戻し、かならず戻ってまいります……………──』

 

 

言葉に籠った思いは、自分のそれと大差ない。
安心できるほどに、頼りがいのある言葉でもある。

 

だが、彼は顔を顰めた。

「小十郎……お前の役目は、それじゃねぇだろう?」

 

 

─────────────────────────────────────────────────────────────────────

 

 

ゆっくりと立ち上がり、庭へと降りる。
どことなく涼しげな空気が彼を包み、肺の中を満たす。
頭の中が冴え渡り、徐々に色々と思いだしてきた。

自分がぶつけた言葉。
小十郎が投げかけた言葉。
想うところは同じなのに、噛み合わなかった言葉のやり取り。

小十郎の言葉に、間違いはなかった。
かと言って、自分の言葉にも誤っていた部分はない。
だが、正論と感情論のやり取りでは、たとえ同じ方向性であったとしても、噛み合うわけがない。
冴え渡った頭で考えれば、すぐに分かること。

「Ha……熱くなりすぎてたわけか」

だが、言ったことを無かったことにするつもりは毛頭ない。
感情に任せ、思いの丈を吐きだしたつもりだ。
長い付き合いの小十郎にだからこそ、こんな真似が出来たのかもしれない。
そのせいか、随分と胸の中が軽くなった気がする。

「ひ、筆頭!起きて大丈夫なんすか?」
「問題ねぇ……」

彼に気がついた部下が駆け寄ってきた。
いつものように爽やかな笑みを向けられ、内心ホッとした様子。

「……小十郎を呼んでくれ。少し話したいことがある」
「そ、それが……片倉様は、今──」

如何にも話し辛そうに、兵士は口を開く。
今、小十郎はこの場にはいないということ──
彼と一騎打ちをしてすぐに、松永久秀の元へと単身向かったということ──
そして、それが今から約五日も前のことだということ──

「All right」

不機嫌になり、怒鳴り散らされることを覚悟していた。
だが彼は、極端に落ち着いている。
大きくて冷たい月を仰ぎ、夜風を心地よく感じていた。

風で髪が踊る。
月光にその姿が映える。
夜の静寂を壊さないように、彼は静かに口を開いた。

「小十郎は、何か言ってたか?」
「い、いえ……何も……」
「OK」

満足げに彼は微笑む。
月に照らされた彼のその姿に、思わず部下は息を呑む。
鳥肌が立つのを感じ、口がだらしなく開いていた。

「馬を用意してくれ」
「……え?ひ、筆頭!どこに行く気ですか?」
「心配すんな、俺もかならず帰ってくる」

いつになく優しい彼の言葉。
だが、その裏に込められた熱意や覚悟は、今までに感じた比ではない。
反論することもできず、ただただ従うだけだった。

部下が厩に行ったのを見送ると、彼は部屋に戻って水を口に含む。
胃の中に冷たいものが広がり、それがとても心地よく感じた。

いつもよりゆったりしたペースで身支度を整える。
傷口が開かないよう、しっかりと晒しや包帯を巻き付け、刀を手に取る。
鯉口を切り、その刃に目を向ける。
切れ味は健在だが、所々刃毀れしたその刀に、彼は思いを馳せる。

「初陣以来か、この刀を手にするのは……」

刃毀れしたのは、戦に出る直前のこと。
初陣前夜に、小十郎と決闘した時のことだった。
今思うと、あの時から自分にとって、小十郎という存在が大きいものになった。
信頼しあえる、主従を超えた関係として、今まであることができた。

月の光が刃を照らし、反射した光が彼の目を照らす。
淡いその光に照らされたその目は、とても優しい目をしていた。
それでいて、どこか恐ろしい何かを秘めているようでもあった。

「小十郎……俺は天下をつかむ。お前は、俺の右目として──俺の背中を護れ」

すっと立ち上がり、城門へと向かう。
既に馬は用意されており、心配そうな眼で彼を待つ部下が何人もいた。

それを知ってか知らずか、彼は何も言わずに馬に跨る。
馬の首筋を優しく撫で、部下たちに目を向ける。
何も言われなくても、彼らの気持ちは痛いほど伝わってきている。

「なぁに、小十郎を迎えに行くだけだ。すぐに戻る」

馬が嘶き、駆けだす。
逸る気持ちを抑えようとはせず、彼は馬を急かす。
今、とても体は軽く、時はゆっくり流れていた。

 

 

─────────────────────────────────────────────────────────────────────

 

 

「チィ!」

鉄砲隊に囲まれた。
もはやこれまでなのか?
なら、政宗様への誓いはどうなる?

伝説の忍びも打倒した。
疲れに悲鳴を上げる体に鞭打って、東大寺まで辿り着いた。
松永の配下の中でも猛者と言われる、三好三人衆も跳ね除けた。
だのに、この結末はあんまりではないのか?

俺には到底無理だとでもいうのか?
たった一人では、誓いを果たすことすらできないとでも?
ふざけるな……俺は、俺は……!

 

銃撃が轟く──はずだった。
遮ったのは、突如響いた叫び声。
小十郎を狙っていた鉄砲隊の真後ろから、乱入者が斬りかかる。

血飛沫が舞い、悲鳴が巻き起こる。
急なことの展開に、誰もが思考を停止せざるを得ない。
いや、思考が追い付かないのだ。
漸く気がついたときには、小十郎は一人の人物の背中を見つめていた。

「政宗様!」

ほんの数日前とは、どこか別人のような雰囲気。
だが、伝わってくる胸の内の感情は、以前のように熱く燃え滾っている。
もしかすると、以前を遥かに凌ぐほどの、胸の滾りがあるようにも思える。

「小十郎……」

静かに政宗は口を開く。
戦場にいて、初めて聞く彼の落ち着きはらった声。
名を呼ばれ、小十郎は姿勢を正す。

「俺は、前しか見ない。前にだけ進んでいく。だから──」
「……政宗様」
「この背中は、お前が護れ」
「はっ!」

眼を合わせ、大きく頷く。
疲れが吹き飛び、体が信じられないほど軽い。
さっきまで、刀を握ることすら辛かった左手には、力が漲っている。

政宗が先行する。
小十郎もその後に続く。
誰一人、その背中に傷一つすら付けさせない。
この命に代えても……

不思議と、政宗は嬉しさを感じた。
傷ついた体だと言うのに、とても軽く感じられるからでもある。
だが一番の理由は、小十郎が背中を護っているから。

どちらが欠けてもいけない。
爛々と輝くその左目で、天下への道を睨み付ける。
背中を護るその右目は、道を阻む者を討ち果たす。
双龍は今、天を舞っていた。

 

 

「奥州筆頭・伊達政宗……」
「片倉小十郎……」
「「推して参る!!」」

 

 

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