気持ちよく晴れ渡った空。
心地よく吹きわたる風。
耳に染み入る波の音。
ただその場にいるだけでも、十分に気持ちの良い空間。
そこで、その空気を感じながら、酒を煽る人物が一人。
とても長い黒髪は、座っているために地面についてしまっているほど。
華奢な体つきだが、とても爽やかな雰囲気が醸し出されている。
ただ、羽織っている着物には袖は通してあるが、下には何も身につけていない。
袖がないその着物では、程よい色合いの腕が露わになっている。
「何かいいことないかな……」
ポツリと独り言をつぶやく。
すると、背後から近づいてくる気配が一つ。
それに気付いているのかいないのか、彼は酒を呑む手を止めない。
「隙あり──」
「──ないだろうが……」
あいている方の手で、横にあった何かをふるう。
とてつもなく長いそれは、背後から襲いかかった人物の腹へと吸い込まれ、吹き飛ばした。
遠くの方で大の字になった人物に、彼は面倒くさそうに近づいていく。
「おーい……生きてるか、武蔵?」
「痛ててて……」
「これでまた、お前の敗けだな?」
「なっ……!ま、まだ、まけてねぇ!小次郎、もういっかい勝負だ!」
武蔵は勢いよく跳ね起き、両手に持つ木刀を構える。
対して小次郎は、呆れた様子で溜息をつく。
そして、もう嫌だと言わんばかりに諸手を広げた。
「もういいだろ?今日だけで、二十回はつき合ったんだ。そろそろ解放してくれ」
「まだ、いっかいも勝負がついてねぇだろ!」
「……俺の、全勝だってば」
泣きそうな声で呟くも、それ以上の問答が無駄なことを知っている。
已む無く小十郎は、その長い得物を構える。
自分の身長の二倍近くあるその野太刀を、鞘から抜くこともなく……
「おい、小次郎!」
「何だよ、武蔵?」
「なんでお前、鞘を抜かねぇんだ?」
「負けた時の言い訳にできるだろ」
適当な言い訳だが、これで武蔵には十分。
気分を良くした武蔵は、武器を構えるや否や、勢いよく向かってくる。
それを軽く避け、武蔵の首筋に手刀をたたき込む。
短い呻き声をあげ、武蔵はその場に伏した。
その様子を見、小さく溜息を吐く。
持っていた徳利を逆さに向け、中の酒を武蔵にかけて起こす。
「……っ!な、なにすんだ!」
「昼寝してたみたいだから、態々起こしたんだ」
「ひ、昼寝?」
いつもこんな体である。
何度も何度も挑むが、武蔵は小次郎に勝ったためしがない。
しかも、武蔵自身が負けたと思っていないのが、さらに厄介なところ。
適当なところで切り上げたいのだが、なかなか解放してくれない。
「武蔵……俺もう、腹が減って──」
「うるせぇ!勝負がつくまで、帰さねぇぞ!」
「(起こすんじゃなかった……)」
ただし、起こさなくても後が面倒。
後日会ったときに、嫌と言うほど悪態を吐く。
耳心地が悪いだけで気にはならないが、半日以上聞かされるとなると話は別だ。
仕方なく今回は起したわけだが、結局は文句を言われる羽目になる。
「……なぁ、武蔵」
「まだおれさまが、しゃべってるだろ!」
口を挟もうにも、上手くいかない。
どうしたものかと考えていると、ふと耳に入ってきた武蔵の言葉が気になった。
「おれ様だって、まだまだ強くなれるんだ!」
その言葉を聞いて、いい策が浮かんだ。
大きく息を吸い、どよめいた心を落ち着かせる。
「武蔵、良いこと教えてやる」
「あン?何だ?」
「実は俺も、もう少し強くなってみたいんだ。だから、三年位修行の旅に出ようと思ってる」
「しゅぎょう?」
突飛な提案に、武蔵は眼を丸くする。
だが、そんなことお構いなしに、小次郎は話を続ける。
「今の俺だと、武蔵に勝てるか勝てないかの瀬戸際だろ?」
「そんなことねぇ!おれ様の方が、だんぜん強い!」
世辞を言ったつもりだったが、まだ足りなかったようだ。
一瞬戸惑ったが、小次郎は話を続ける。
「……まぁ、とにかくだ。武蔵と対等に戦えるように、強くなってくるから。いいだろ?」
「チェッ!今回だけだぞ?」
渋々と言った様子で、武蔵は承諾する。
片手をあげて、適当に挨拶するも、小次郎は内心狂喜乱舞している。
必死に心の内を抑え、その場を去っていった。
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「さて、と……」
修行に出ると言った手前、どこかに行かなければならない。
例えば、剣の腕が相当立つことで有名な人物の元へ行き、試合を申し込むとか……
「……まずは、ここからそう遠くない、薩摩にでも行くか」
行き先が決まると、行動は早い。
その日の夜のうちには薩摩に着き、とある人物への面通しも叶った。
全く予想していなかった人物とも会うことになったが、結局はその三人で酒を飲みながら話に花を咲かせていた。
「へぇー、わざわざジッチャンの所へ修行に、ね」
「口うるさい悪友への言い訳のつもりだったんだが……まぁ、力を伸ばしたいっていう願望は、確かに俺の本心とも違わないし」
「よかよか。明日の朝にでも、おいと手合わせせんね」
「ハハ、よかったな小次郎!島津のジッチャンは物分かりがよくて!」
「……まったくだ。けど慶次、一週間前からいると言ってたが、帰らなくてもいいのか?」
不意に慶次へと話題が移る。
思わず顔を顰めるが、小次郎も義弘も慶次へと視線を向けている。
話を流すのは難しい。
「ま、まぁ……遅くならないようには、帰るよ」
「利家どんに、あんまし心配かけんね?」
「わ、分かってるよ、ジッチャン……」
その後も、小さくなった慶次をからかいながら、酒の席は盛り上がった。
空が白んでくる少し前に三人は床に着いたが、誰一人眠ることはなかった。
今より数時間後の試合に、心が躍っていたからである。
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「さて、準備はええか、小次郎どん?」
「問題ないよ。あんたも、酒はちゃんと抜けたのか?」
「ガハハハ!若いモンに心配されるには、まだまだ早か!」
巨大な大剣を振りかざし、義弘は高笑いをする。
対照的に小次郎は、どこか緊張したような面持ち。
久しぶりに武蔵以外の相手とやりあえることに、腕が疼いているようにも見えた。
試合の見届け人は、言わずもがな、前田慶次その人。
彼だけは二人と違い、まだ酒が残っている様子。
立っているのが辛いようで、岩の上に腰掛けていた。
舞台は、荒波迫る海岸。
果たし合いの緊張感があたりを包み、聞こえてくるのは波の音だけ。
時折水飛沫が二人にかかるが、全く気になる様子はない。
「行くどぉ!」
突如、義弘が叫ぶ。
軽々と振るわれるその大剣が狙うのは、小次郎の頭。
真っ向から振り下ろされるその速度は、眼で追うことも難しい。
だが、ちらりとその太刀筋を窺うと、小次郎は身を反転させて兇刃を避ける。
当たり所を失った大剣は、砂浜へと叩きつけられる。
威力のすさまじさは、割れた砂浜を見れば一目瞭然だった。
「次はこっちの番!」
義弘の得物に比べ、小次郎の太刀は長さはあるがスリム。
重量は比べ物にならないほど軽い。
鞘に入ったままのその太刀は、横一文字に薙ぎ払われる。
振るった大剣を瞬時に引き寄せ、義弘は小次郎の太刀を受け止める。
しかし、彼の細腕からは想像もできないほどの威力に圧され、波打ち際まで押し飛ばされる。
膝を付くことなく衝撃に耐えたが、威力のすさまじさは自分とほぼ互角。
「おまはんも、なかなかの腕しとるの!」
「島津に褒められるとは……剣客の誉れってやつ?」
お互い、笑みをこぼしている。
一撃振るっただけだが、双方の実力はよく分かった。
本気を出さないと、間違いなく敗ける。
だが、それでいても小次郎は抜刀する気配はない。
言葉には出さないが、義弘は若干不思議に思っていた。
「なぁ、小次郎!」
「なんだ、慶次?」
「ジッチャンには、本気出さねぇと勝てねぇぜ?」
「そんなこと、今ので充分に分かる」
「なら何で、刀を抜かないんだ?」
小次郎は押し黙る。
何も言いわくないわけではない。
“上手く言葉にできない”だけである。
難しい表情になった小次郎に、慶次は首を傾げる。
そんな二人を見て、義弘が口を開いた。
「よかよか、小次郎どん。おいも、無理強いは避けたいけん、どうしてもっちゅうなら、そのままでもよか」
「……そう言ってくれて、本当に助かるよ」
「じゃけん、本気ば出さんと、死ぬど?」
「分かってる、十分に……」
顔つきが変わる。
たった二撃目だが、二人とも次で決めようという心構え。
もともと、義弘の振るう示現流は「二の太刀要らず」。
先程の一撃で決まっていても、何らおかしくはなかった。
「来るからっちゅうには、おまはんも殺す気で来んね!」
「……出来れば、ね」
時が止まったような空間。
波の音すら消え、辺りを静寂が包みこんでいた。
その時を打ち壊したのは、小次郎だった。
「秘剣──」
「させんどぉ!」
義弘は、小次郎の初動よりも早く剣をふるう。
突進しながらの横薙ぎは、まさに紫電一閃。
青白い雷すら見えるような斬撃だった。
しかし──
「燕返し!」
一瞬、小次郎の太刀が揺らめいた。
咄嗟にその太刀を受け止めようとしたが、感触が一切伝わってこない。
不思議に思いつつも、義弘は薙ぎ払った直後の、隙ができた小次郎を狙う。
「チェストォォォ!」
渾身の力が込められ、大剣が振り下ろされる。
だがその途中、時間を止めたかのようにその動きが止まる。
まさに、小次郎の頭に当たるか否かのその刹那のことだった。
見えない何かに、義弘の体が押し返される。
鋭い衝撃は、まるで木刀に打たれたかのよう。
一瞬だけだが困惑した義弘に、さらなる困惑が待ち構えていた。
時間をおいて又衝撃が同じ場所を襲う。
今度は先程とは逆の方向から……
先程よりも間隔が短くなり、又逆の方向から衝撃が襲う。
徐々に間隔が短くなり、いつしか衝撃が重なり始める。
岩壁まで押し戻されても尚、衝撃は続く。
もはや剣で受け止めることは叶わない。
衝撃が完全に襲い終わった時、義弘の後ろの岸壁は砕け散った。
それと同時に、義弘もまた白目をむき、大の字に倒れた。
「……じ、ジッチャン!」
勝敗の結果は歴然。
慌てて慶次は義弘の元へと駆けより、安否を確認する。
「大丈夫だよ。鞘に入ってたんだ、死んじゃいない」
「……ゴホッ!」
噎せ返りながら、義弘は意識を取り戻した。
衝撃が叩きこまれた個所の鎧は砕け、青紫色に腫れていた。
恐らく、骨の数本は折れているようだ。
気持ちのいいほど完全に敗け、清々しい気持ちだった。
義弘は笑みを浮かべながら、目の前に立つ小次郎を見上げる。
「おいの、完敗じゃぁ。おまはんは、本に強か」
「まったくだ。ジッチャンをここまで打ち負かす奴なんて、初めて見たよ」
「俺を褒めちぎっても、何も出ないぞ?」
「……じゃが──」
ふと、義弘が口を濁した。
首を傾げながら、小次郎と慶次が視線を向ける。
「小次郎どん、おまはんの剣には、“迷い”があるようじゃの」
「“迷い”……?」
「よぉ分からんが、おいはそう感じた」
慶次に視線を向けられるも、小次郎は答えない。
険しい表情で二人から視線を逸らし、何事か考えている様子。
「な、なぁ小次郎。お前、これからどうするんだ?」
「ん?」
「何なら、全国の猛者を紹介してやろうと思ってな!」
「へぇー、そこまで顔が広いとは思ってなかった。じゃあ、甲斐の国にでも連れてってくれ」
明確に行きたい場所がある様子。
慶次は快く承諾し、船の準備をすると言って走って行った。
残った小次郎は、義弘を城まで送り届け、別れを告げた。
手土産にと、大きな徳利を五つも受け取り、城門で笑顔で別れた。
「さぁさぁ、甲斐までの道案内!この前田慶次に、お任せあれ!」
「あぁ、船が沈まないことだけ祈ってる。俺はカナヅチだからな」
酒を酌み交わしながら、船は軽快に進む。
旅は今、始まったばかり。
後書き
どうも、ガチャピンαです。
今回、佐々木小次郎編を書きました。
これからどのようになっていくのかは、乞う御期待と言うことで。
初めて後書きを書きましたが、お知らせがあります。
この、「戦国BASARA3」は、彼を以て一時終了します。
公式発表があった以上、どのようなキャラが出てくるか想像できませんので、それを待ってからということになります。
一応、発売(もしくは全キャラ発表)した後、私の希望するキャラが出なかった場合、続きを書いていこうと思います。
それまでは、前々から書いている新作の方を掲載しようかな、と考えています。
何分まだ未熟者ですので、お付き合いいただけると幸いです。