時を遡り、過去の世界へと飛びこむ。
そこにはいつきの村と同様、戦火に晒された村があった。
そしてそこに、小次郎の姿はあった。
今とは違い、しっかりと刀は抜いて戦っている。
襲いかかってくる敵を斬り、刀と自身を血に染めている。
どこか冷酷な表情だが、手が震えている様子はどこにも見られない。
「もういないのか?閻魔に会いに行きたい奴は……?」
明らかに相手を挑発している。
それが相手の狂気を膨れ上がらせることなど、十分に理解してはいる。
だがそれをも上回るほど、自分の刀が強いことも理解している。
「死ねぇ!」
「……遅い」
斬りかかった相手の腕をつかむ。
慈悲を一切感じさせない目を向け、胴を真二つに分かつ。
切れ味が良すぎて、相手は絶命したことに、ほんの僅か後に気がつくこととなった。
死屍累々──
小次郎の周りには、文字通り死体の山が重なっている。
だが、罪悪感は一切感じてはいない。
殺されて当然と思えるような、そんな連中を斬り殺したのだから……
小次郎はこの時、偶然立ち寄った村の用心棒を請け負っていた。
ただ単に、訪れて一休みしていたときに、村が襲撃にあっただけではある。
だが、湧き上がる怒りを抑えることができず、自ら用心棒を買って出た。
戦果は上々だ。
どこかの軍らしい揃いの鎧に身を包んでいる相手を、次々と斬り殺していく。
一対多数は初めてだったが、小次郎にとって苦になる相手でもない。
手を休めず足を休めず、小次郎は次々に死体の山を築いていった。
「あの兄ちゃんに、続けぇ!」
小次郎の奮戦に、村人も熱り立つ。
鍬や鋤を手に持ち、自分たちもと敵に向かっていく。
相手はそれなりに訓練された兵士だ。
だが、一対多数ともなれば、話は変わってくる。
徐々に劣勢になり始め、士気も下がってくる。
「秘剣・鶻翔け」
十数人に囲まれた小次郎。
だが、何の問題もなかった。
刀と鞘をそれぞれ逆手に持ち替え、勢いよく大地を蹴る。
途端、小次郎の姿が消える。
ものすごい速度であたりを駆け巡り、敵の背後から一気に切りつける。
残像が残るほどのその速度に、敵は翻弄されるばかり。
小次郎が元いた場所から半径5mほどの範囲は、一瞬で血の海と化した。
「……………」
鞘を腰にさし、刀に付いた血糊をぬぐう。
これだけ味方が斬り殺されたにもかかわらず、なおも襲いかかってくる敵軍。
徐々に苛立ちが募り、小次郎の刀が横暴になる。
次の瞬間、響いたのは骨が砕ける音。
後ろから斬りかかった相手を、裏拳で思い切り吹き飛ばした。
とてつもなく長い自身の刀を振るうことは、結構な重労働。
ある程度は間合いの短い攻撃で、事は済ませたい。
もちろん、大太刀以外にも小太刀などを持ち合わせている時もあるが、今回は手持ちが大太刀以外にない。
後は、徒手空拳に頼らざるを得ないのが、今の現状だった。
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「ハァ、ハァ……」
疲労が募る。
刀を持つことすら辛くなってきたらしく、手に布で巻き付けてある。
小次郎の周りだけでなく、村の地面は真っ赤に染まっている。
守り切れず、怪我を負っている村人の姿もある。
だが、小次郎が手を貸したおかげで、死者は一人もいない。
漸く、敵の攻勢が収まった。
自分に恐れをなして逃げ出したのだろう……
小次郎はそう思った。
……と言うよりは、そう思い込んでいた。
不敵な笑い声が響くまでは──
「フハハハ……!」
顔を上げると、一人の人物がこちらに近づいている。
白と黒を基調にした、独特の衣装に身を包むその人物。
ただの将兵と言うわけではなさそうだ。
「……誰だ?」
「名を名乗る時は、まず自分から名乗ってはいかがかね?」
「……佐々木小次郎。自慢じゃないけど、強いよ?」
「よく分かるとも……卿の強さには恐れ入った」
言葉は謙っているのに、謙遜しているようには聞こえない。
訝しげな表情でその人物を睨むと、その人物は再び口を開いた。
「松永久秀と言う。お初にお目にかかるね」
「……その兵、あんたの?」
「いかにも。だが悲しいかな、卿のおかげで大分減ってしまった」
「御愁傷様」
悲しみとか憎しみとか、そういった感情は伝わってこない。
恐らく、松永にとってはどうでもいいことなのだろう。
「──で、何の用?」
「簡単な話だ。卿には即刻、ここから御退場いただきたい」
「断る、と言えば?」
「力尽くで……と言うのはどうかね?」
松永は右手をすっと上げる。
すると背後から、三人の人物が姿を現した。
「三好の三人衆……“松永軍の死神部隊”と、呼ばれている」
一番前の人物がそう名乗る。
両脇の二人は巨大な槍を構え、小次郎をじっと見据えている。
「へぇー、“死神部隊”か……名前負けしてるよ、あんた達」
「口だけは達者だな」
「それで我らに勝てるのか?」
「死んで後悔することになるぞ」
「……それは、俺じゃないね……」
一呼吸置き、小次郎は突進する。
即座に反応した一番前の男が、刀を勢い良く突き出す。
それを受け止めると、両側から槍が襲いかかってきた。
だが、その程度の連携攻撃には怯まない。
突進力を利用し、上へと飛び上がる。
それに呼応するように突き出される槍が交差する場所を見定め、鞘を支点に一時空中で停止する。
再び跳躍し、最初の位置へと立ち直る。
今のやり取りだけで、小次郎は色々と学びとった。
「(ただの連携攻撃じゃない……攻撃が掠ったのは初めてだ。一人一人、着実に倒していくのが、良策かな)」
腕に、赤い筋が走る。
薄らと血が滲み、それを舐める。
「なかなかやるようだ」
「だが、それもここまで」
「所詮、我らの敵ではない」
三人衆は、再び武器を構える。
だが、小次郎からは殺気が徐々に薄れていくように感じる。
「さっきから、三人交互に話しやがって……」
一瞬、完全に殺気は消え失せた。
そして、視界から小次郎の姿が消える。
気がついたときには、小次郎は三人衆の背後に立ち、刀を下段に構えていた。
「秘剣・鷲発ち!」
刀が一気に振りあげられる。
咄嗟に武器で防いだが、衝撃が強すぎて体が宙へと浮く。
武器に罅が入ったようだが、それに気付くよりも思考を支配したのは……
「……落ちろ」
視界に入った小次郎だった。
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地面へと叩きつけた三人衆をよそに、小次郎は松永へと刀を向ける。
武器が完全に壊れ、小次郎の攻撃を受け止める術を失った三人衆。
無情にも胴を斬り裂かれ、三人まとめて絶命させられた。
そんな様子を見ても、松永の態度は変わらない。
相変わらず傲岸不遜と言った様子で、薄ら笑いを浮かべている。
「いやはや、卿には驚かされるな」
「この程度で?」
「卿はどうやら、殺戮を好むようだな……いや、関心関心」
ゆったりとした拍手を送る松永。
その態度に、無性に腹が立った。
「挑発はもういい……!来るのか、来ないのか!」
「まぁ、落ち着きたまえ。今から卿に、良いものを見せようと思っているのだ」
「良いもの?」
そう言うと松永は、後ろの兵に何か合図を送る。
しばらくしてその兵士は、とある“モノ”を運んできた。
「……っ!お、お前……」
「驚いたかね?」
松永に手渡された“それ”。
この村の村長の、愛娘だった。
「……人質、ってわけか……」
「人聞きの悪いこと言わないでくれたまえ。これは、“交渉”と言うものだ」
「“交渉”、だと?」
こみ上げる怒りを必死に抑え、松永の言葉に耳を傾ける。
だが、少女からは一切眼を逸らさない。
松永の持つ刀が、いつ襲いかかるとも分からない。
「……で、どんな“交渉”をする気だ?」
「簡単なことだ。卿がここより手を引いてくれれば、私はすぐにこの少女を解放しよう」
「……断ったら……」
「さて、試してみるかね?」
少女の首筋に、刀が押しあてられる。
血が刀を伝い、大地にポタポタと滴り落ちる。
「……………分かった」
「卿は優しい人間だな」
刀を鞘へと収める。
少女は解放され、こちらへと走ってくる。
その少女に、意識を傾けすぎていた。
それが命取りだった。
「業火よ!」
少女の背後から、炎が襲いかかってきた。
咄嗟に少女を抱え、その炎から守る。
……だが、代償は高かった。
「(……目が、見えない……?)」
炎の閃光で、視力が奪われた。
一時的なものだろうが、どうにも厄介だ。
「お、おにいちゃん!」
「ん!」
少女の気配が、急に遠のいた。
見えなくなった眼で、その気配を必死に追う。
「……松永、お前……!」
「フハハハ……!私が善良な人間だとでも思ったのかね?」
言葉と雰囲気だけで分かる。
少女は今再び、松永の捕らわれたのだと。
歯を噛み締め、自分の不甲斐なさを恨む。
「卿は強いのだろう?なら、目が見えなくとも、私を斬ることくらい造作もないであろう?」
「当たり……前だァ!」
松永の気配は、しっかりと認識できる。
その気配めがけて、小次郎は刃を振り向いた。
そして、捉えた。
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「フハ、ハハハ……!」
松永の、高笑い。
何故だ?
確かに切り裂いた感触はあった筈なのに……
「いや、さすがの私でも、躱すので精一杯だとは……!」
「躱され、た?」
嫌な予感が頭を過る。
冷や汗が背中を伝い、ゾッと鳥肌が立つ。
運命とは無情なもの……
視力が回復し始め、目の前の光景が徐々に鮮明になる。
そこにあったものは──
「……っ!う、嘘……だろ?」
「何、悔いることはない。卿はよく戦った。だが、それがほんの僅か、及ばなかっただけだ」
自分にかかった血を、小次郎はまじまじと見つめる。
顔に付いた血を手で拭い、震える手でそれを見る。
「俺、は……俺、が……?」
「そうだ。卿が、殺したのだよ」
「俺が、この手で……」
「卿は残忍な男だ。きっと彼女も、卿を憎んでいることだろう……」
残酷な言葉を並べ、そっと小次郎の耳へと呟く。
放心状態であっても、小次郎はその言葉に苦しめられた。
心が無残にも抉られるようで、息ができなくなるようで……
「では失礼……また、いずれ」
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小次郎が話している間、いつきはずっと黙っていた。
ただその言葉の一つ一つを、しっかりと噛み締めるように、耳を傾けていた。
「──思えば、そのころからだな。俺が刀を、抜けなくなったのは……」
「小次郎の兄ちゃん……」
「その後のことは、実はよく覚えてないんだ。記憶にポッカリ穴が開いたみたいに、気が付いたら数日経っていたような感覚だ」
漸く話が終わった。
休みなしに話し続け、さすがに小次郎も疲れたらしい。
持ってきていた水筒の口を開け、水を口に含む。
大きく息を吐き、隣のいつきへと目を移す。
きっと自分に絶望したことだろう。
そう思っていた小次郎は、次のいつきの言動に驚かされることになる。
「兄ちゃん……」
「なんだ?」
「苦しかっただな?」
そっと、いつきは小次郎に寄りかかる。
薄らと涙を流し、頬を光らせている。
「いつき、何で泣いてるんだ?」
「だって……兄ちゃんは、可哀想だべ。ずっと、ずっと苦しかっただ」
「……………」
「苦しむ必要なんて、どこにもねぇだ。悪いのは、松永ってやつだ」
疲れ果て、弱々しい口調だが、いつきの言葉からは怒りを感じる。
激しい怒りだ。
それがひしひしと伝わり、小次郎は困惑する。
「何で……?」
「え?」
「何でいつき、お前がそんなに怒ってくれるんだ?俺は、人一人守れないような、そんな──」
「小次郎の兄ちゃんのこと、誰も恨んでなんかいねぇべ!」
座り直し、いつきは小次郎と目を合わせる。
真っ直ぐなその瞳は、小次郎をしっかりと見つめている。
強い言葉で訴えるいつきに対し、小次郎はまだ暗い表情。
自分が犯してしまったその罪が、未だに自信を苛めている。
その苦しさが、休むことなく心を抉り続けている。
その小次郎の苦しみを、いつきはしっかりと受け止めていた。
「兄ちゃんを、なして恨むだか?」
「……俺は、大切にされていた少女を殺したんだ。恨まれて当然だろ?」
「違うべ。どんなことになったとしても、兄ちゃんがみんなを護ろうとしてたことに、変わりはねぇべ」
真っ直ぐ見つめられ続け、心に言葉が響いている。
知らず知らず、小次郎の目からも涙が零れていた。
「……許して、くれるのかな?あの子……」
「許すも何も、きっと感謝してるべ」
「そう、か……いつき」
涙を拭うこともなく、小次郎は立ちあがった。
空を見上げ、しばらく何かを思っていた様子。
「──……行くか?」
「んだ!」
手を繋ぎ、二人は道を踏みしめる。
全てを取り戻すため。
そして、全てに決着をつけるため。
二人が目指すのは、東大寺──
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