静寂が支配する空間。
そこは、フランチェスカ学園の図書室。
冬休みと言うことで、生徒の影はあまり見えない。
その中で、窓際の席を陣取って、大量の本を重ねている男子生徒が一人いた。
名前は萩原仁詭(はぎわら としき)。
頬杖をつきながら、面倒くさそうにページをめくっている。
しかし、どうも読んでいるというわけではなさそうだ。
目は文字を追っているというわけでもなく、時折窓の外に目を向けていたりと、集中力が散漫になっている。
まぁ、それも無理はないかもしれない。
大量に重ねた本は、既に読み終えた本の数々。
ただ、他に行きたい場所もなければ、したいこともない。
目的もなく動き回るのが面倒なので、ここでこうして時間を潰している。
肩ほどまである長い髪をいじくりながら、ページを適当にめくる。
隣の席には、紺色のコートがかけられているが、制服のボタンは全部外し、中のシャツが露わになっている。
傍から見れば、あまり近寄りたくない雰囲気すら醸し出している。
そんな彼に、無遠慮にも話しかけていく人物が、二人いた。
「よっ!来たで、トッシー」
「相変わらず陰気臭い奴だな、図書室に籠ってるなんて」
「……………図書室だ、静かにしろ。及川、北郷」
あまり会いたくない人物だったらしい。
及川祐と北郷一刀。
仁詭を見つけて嬉しそうに近づいてきた二人に対し、仁詭自身はあからさまに憂鬱そうな表情。
大きな溜息を吐き、読んでいた本を横に置く。
「わざわざ何の用だ、こんな時間に……?」
「何の用って……なぁ?」
「やんな!」
目で会話すると、北郷と及川は両手を前へと突き出す。
早く何かを差し出せと言わんばかりの目である。
「何だ、この手は?」
「何って、冬休みの宿題だよ。宿題!」
「あン?」
一気に機嫌が悪くなる。
まぁ、さも当然のようにやって来られれば、致仕方ないところはある。
「冬休み入る前に、言ってただろ?」
「……俺のメリットは?」
「だ・か・ら!何かお礼に買ってやるって、言ってたやろ?」
確かに頼まれはした。
宿題のプリントも、渡されることは渡された。
そして言ってしまえば、やるにはやったのだ。
だが、素直に渡すのは癪に障る。
礼はすると言うが、どこか上から目線なのが、余計に腹が立った。
「……まだ、できてねぇよ」
「「えーーーーーー!?」」
二人の声が重なる。
図書室と言うことを忘れて、思い切り声を上げた。
当然、他の生徒や図書室の管理人からは、白い目で見られることにはなったが……
「今日までに頼むって、俺たち言っただろ?」
「そやで!この学園、長期休暇の度に、めっちゃ課題出すし、全部終わるわけないやん!」
「………………………俺の分は終わってるから、別にいいだろ?」
「「鬼ィ!!」」
「んで、他に何か言うことは?」
「「な、何もありません……」」
フランチェスカの敷地内にある喫茶店。
主に、女子生徒が頻繁に利用するが、こういった機会なので、三人はそこでお茶することにした。
……図書室の管理人に、思い切り咳払いされたことが原因と言うわけではない。
それぞれ注文を終えると、仁詭がとうとう鬱憤を晴らし始めた。
思いの丈をネチネチと、それでいて心を抉るように口にする。
反論しようとしても、眼で圧力をかけて、無理やりにでも黙らせる。
ただ、その殆どが正論なので、反論の余地は全くと言っていいほどなかった。
「─────俺もな、お礼を言われるのは別にいいんだ。それを厚かましくも、お礼を言うのがさも当然だとも思ってない。強いて言えば、お礼を言われたいがために仕事をやってるわけでもないし、別に言ってほしいとも思ってないって言っても間違いじゃねぇ。ただ、それはマナーであり礼儀だ。お前らがその辺を弁えてないとも思ってないし、それほど薄情な奴らだとも思ってない。でもな?お礼を押しつけられることほど鬱陶しいこともねぇし、報酬があるんだから仕事しろって言うのもおかしくねぇか?こっちからやってやるって言うならまだしも、お前ら普通に持ってきただろ?しかも俺の返事待たずに帰りやがった。俺はやるとも何とも言ってないのに、『この日までにやってきてくれよな』って言うだけ言って、さっさと帰ったよな?……なのにだぞ?にも拘わらずだぞ?やってきてやった俺に対して、その態度はなくないか?自分の分の宿題もあるのに、友達が困ってるから部活の時間も削ってやって、しかも今日持ってきてほしいって言うから間に合わせるように必死にやって、それなのにお前ら─────」
……とまぁ、この調子で二時間くらい。
すっかり二人は小さくなっている。
兎にも角にも、宿題を渡してもらい、二人は安堵のため息。
注文したジュースを飲みながら、今回の宿題へと話題は移って行った。
「萩原、これって日本史の宿題だろ?よく、この短期間でできたな」
「あの先公の鬱陶しい条件付きの宿題な。おかげで腱鞘炎だ、どうしてくれる?」
「「え……?いや、その……」」
意地の悪い笑みを浮かべながら、青くなっていく二人を眺める仁詭。
日本史の宿題と言うのは、歴史上の人物を一人挙げて、その人物に付いてレポートをまとめると言ったもの。
だが、仁詭も言ったように、いろいろと面倒な条件がついてある。
ボールペンで書かなければ受け取らないとか……
8000字未満の物は受け付けないとか……
関連する人物についても4000字程度の物を付加して提出しなければならないとか……
採点するほうも涙目になりそうなこの課題。
まぁ、この課題を出した教師が若干サドなので、ある意味生徒たちは諦めている。
そんな中で、この課題を一週間で、しかも三人分こなした仁詭も異常と言うべきかも知れない。
「一応、北郷の方は豊臣秀吉。及川の方は徳川家康に付いて書いてある。付加してあるのは……まぁ、お前らの知らないような、マイナーな武将だから気にするな」
「悪いな、萩原。本当に助かったよ」
ペコペコと何度も頭を下げる二人。
そして二人が鞄にしまうのを見ると、仁詭はゆっくりと立ち上がった。
「さて、と……行くわ」
「なんだ、晩飯くらい奢るぞ?」
「コーチが待ってるからな。行かないと、色々面倒くさい」
「さすが、時期空手部主将……」
「……黙れ、及川」
勘定は二人に任せ、仁詭はその場を後にした。
もう夕日が差す中、学園の教員室を目指して歩いていく。
ちなみに、仁詭は望んで空手部に入ったわけではない。
ある程度の運動をしようと思っていたところ、流されるがままに入っただけである。
まぁ、護身術程度は身に付いたが、どちらかと言うとマネージャー的な役回りだ。
簡単な応急手当の術も、習うには習ってある。
今日呼ばれたのは、大会への参加申請。
コーチは機械が全くダメなので、よく仁詭が代わりに申し込んでいる。
色々面倒だと思いつつも、夕日に照らされる赤い道を、ゆったりとした足取りで進んで行った。
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「(……あの野郎、何時間かかるんだ?)」
日はとっぷりと暮れた。
仁詭にすべて任せればいいものを、横から無闇に触るから、色々とPCの誤動作が起きる。
それをいちいち直さなければいけないので、予想以上に時間がかかってしまった。
もっと言えば、それを自分のせいだと分かっていないコーチにも問題があるのだが……
急ぎ足で寮に向かうも、街灯の光は弱い。
綺麗に清掃された道とは言え、つまらないことで怪我なんてしたくはない。
自然と、歩みは遅くなる。
「ハァ……厄日かな?」
寒空の下、身を震わせる。
雪は降っていないとはいえ、相当寒い。
月や星も出ていないこの真っ暗な──
「ん?何だ、あの光……?」
ふと遠方で、白い光が煌めく。
やけに眩いその光は、ゆっくりとこちらへと近づいてくる。
不気味な魅力のあるその光に魅入り、仁詭は一歩も動かなかった。
やがて、その光は仁詭の手前まで伸びると、ゆっくりと消えた。
それを確認すると、何を思ったか、仁詭はその光の元へと走り出した。
普段なら、興味本位で動くような人間ではない。
だが、その光からは、何とも言えない魅力が満ち溢れていた。
「……この辺りだと、思ったんだけど……?」
辺りを見回しても、光源らしきものは見つからない。
諦めようか、そう思った時だった。
「おい」
不意に後ろから声をかけられる。
振り向いてみれば、フランチェスカの制服を着た少年が一人立っていた。
だが、暗がりとはいえ、どうにも見覚えがない。
ある程度の生徒の顔は見知っているが、こんな生徒、学園にいただろうか?
「貴様、ここで何をしている?」
「……変な光を見てな、興味本位で来ただけだ」
「……失せろ」
「あン?」
ぶっきら棒に突っぱねる少年。
その態度に苛立ち、睨みを利かせる。
……辺りが暗いので、あまり意味がないと言えばないが……
「何でお前の言うこと聞かなきゃいけないんだ?」
「失せろ、邪魔をするなら……」
「どうするつもりだ?」
「殺す!」
言うが早いか、少年は蹴りを繰り出した。
仁詭の顎の下を掠めたその蹴りは、凄まじい威力だったことはすぐに分かった。
だが、仮にも空手部に所属している身。
避けることは然程難しくはない。
「蹴りで人が殺せるって思ってるのか?」
「フン!貴様程度、これで充分だ!」
再び放たれる蹴り。
今度は左右からの連撃。
防御するよりも、避けた方がダメージが少ないのは言うまでもない。
だが、以外にも早いその応酬に、とうとう肘を使って防御してしまう。
「(……重い)」
防御した肘が悲鳴を上げる。
罅が入ったか?
苦痛に表情をゆがめると、少年は勝ち誇ったような笑みで仁詭を見下ろす。
「分かるか?貴様くらい、片足でも充分に殺せるんだ。分かったらとっとと失せろ」
「……人から指図は受けたくない」
「なら、死ね」
冷たく言い放つと、少年は突き刺すように蹴りを放つ。
腹部へと吸い込まれるように入ってきたその蹴りを、無理やり防御するも、威力が凄まじいので後ろへと吹き飛ばされる。
茂みの中に突っ込み、放心したようにその場に横たわる。
防御を貫いて伝わる衝撃で、暫く動けそうにない。
少年が仁詭の頭付近まで歩み寄り、見下ろしてきていた。
「このまま頭を吹き飛ばしてやろうか?」
「ハッ!見下されるのは好きじゃないんだ。そこに立つな」
「この期に及んで、生意気な奴だ。まぁいい、ひと思いに殺してやるよ!」
思い切り足を後ろに下げ、勢いよく蹴りを放つ。
その寸前で飛び起き、手前へと転がりながら移動し、少年と距離を取る。
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「ん?」
ふと、背中に違和感を感じた。
自身の背中が触れた場所を見てみると、何かが落ちている。
すぐ近くにあったので拾ってみると、割れた鏡の破片だった。
しかも、ちょうど半分ほどの大きさもある、大きな破片だった。
「き、貴様!」
「……何だ?」
少年の様子がおかしい。
明らかに、仁詭の持っている鏡の破片を見て動揺している。
「そ、その破片を寄こせ!」
「どうした、お前?こんな破片に何が──」
「良いから早く……ちっ!遅かったか!」
少年が言い終わるか否か、突然その破片が光り始めた。
先程見た、不思議な魅力を持つ白い光だ。
……いや、どことなく違う。
白い光は徐々に暗くなり、真っ黒の闇へと変貌を遂げた。
その闇が仁詭へと纏わりつき、視界を覆い尽くしていく。
「な、何だ……?これ、一体……?」
「貴様が首を突っ込むからだ。まぁいい、それは貴様に与えられる罰だ」
「何言ってる、罰を受けるならお前の方が……」
ふと、体の力が抜け始める。
目を開けていられない。
少年が何か言っているようだが、聞く力すら抜けていく。
一片の光すら感じられなくなった。
意識が遠方へと遠ざかって行くのを感じながら、不思議と少年の一言が耳に残った。
「──ちっ!面倒な奴らだ……──」
耳に残った割に、聞いたという実感は残らなかった。
闇に沈む感覚すら消え、意識も闇に沈む。
そして……………─────
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