麗らかな昼下がり。
気持ちよく風がそよぎ、何事をするにも快適な日。


「こんな日は、読書をするに限りますね、仁詭様」
「……それはいいとして、何でここにいるの、桜音?」
「私の部屋の隣は、優唯姉様と椿輝姉様のお部屋でして……」
「……把握」


お茶持参でやってきた桜音を、別に追い出す理由もない。
二人でゆっくりとした時間を過ごすのも悪くない。
傍らに置いてあった本を手に取り、自分も読書に耽ることにする。

桜音がこの部屋に来ることは、最近になって多くなった。
原因としては三つほどあることは、仁詭自身も十分に把握している。

一つ目は、右隣が優唯の部屋だと言うこと。
跡継ぎだと言うことからか、色々な人が部屋に押し掛けてくる(おもに勉強目的だが)。
その度に優唯が騒ぎたてるので、落ち着いて本など読んでいられないらしい。

二つ目は、左隣が椿輝の部屋だと言うこと。
破天荒な優唯よりも、落ち着きのある椿輝を跡継ぎにと推す人も少なくないらしく、こちらにも勉強を教えるために人が大勢押し掛けてくる。
椿輝はあまり騒がないらしいが、意外と物覚えや要領が悪いらしく、叱咤の声が絶えないらしい。

三つ目は、桜音自身も逃げたがっているとのこと。
そろそろ嫁にもらわれてもいい年頃。
本人いわく有難迷惑な話、花嫁修業と言うことでいろいろ勉強しなければならないらしい。

他にも理由はあるらしいが、桜音が言いたくないならと、仁詭もあえて追求はしない。
と言うよりも、別に誰がいようと、自分の邪魔さえしなければ問題はない。


「……………」
「……………」


ページをめくる音しか聞こえなくなった。


「……ずず」


時々お茶を啜る音が混じる。


「くしゅん!」


あとは、くしゃみ位か。


「……ふぁ」


……あくびも交じっていた。





「いやいやいや!あんた達、どんだけ静かなのよ!」


豪快に襖をあけて、優唯が飛び込んできた。
桜音は優唯へと目を移したが、仁詭は特に反応する様子もない。


「優唯姉様、どうされました?」
「え?……そうそう、それよ!ちょっと匿ってね」


そう言うと、優唯は押し入れの中へと入って行った。
ほぼそれと同時に、再び入口が開かれ、一人の女性が入ってきた。


「あれ、桜音様?」
「碧理(みどり)さん、どうされました?」
「……いえ、こちらに優唯様がいらっしゃいませんでした?」
「いいえ、お見かけしていませんよ」


碧理と呼ばれた女性は、短い青味のある白髪を揺らし、部屋の中を一瞥する。
そこでようやく仁詭の存在に気付き、慌てて一礼した。
その際、やけに大きな胸が盛大に揺れたが、仁詭は一切反応しなかった。


「こ、こここ、これは“天の御遣い”殿、し、しししし、失礼をば……!」


一気に赤面し、一目散に部屋を後にした。
だが、仁詭は気づいていない様子で、ずっと本に向き合っている。


「ふぅ〜……」


追手がいなくなったと見るや、優唯は漸く押し入れから出てきた。


「どうされたんですか、優唯姉様?」
「え?あぁ、碧理さんったら、嫌だって言ってるのに、勉強させようとして……今日はちょっと罠を張って逃げてみたら、思いっ切り怒っちゃって……」
「それは……姉様に問題があるのでは?」


苦笑しながら答える桜音だが、当の優唯は反省している様子はない。
これからも勉強なんてしてやるか、という顔さえしている。


「さて、と!碧理さんも撒いたことだし、下町にでも──」
「──優唯」


今までずっと押し黙っていた仁詭が、ゆっくりと口を開いた。
何やら怒気を含んだ口調で……

嫌な空気を感じ取った桜音は、気づかれないように部屋を後にしようとする。
しかし、優唯にしか意識を向けていないと、桜音は仁詭を甘く見ていた。


「どこに行く気、桜音?」
「あ、あの……ですね、仁詭様……」
「いいからそこに座ってみようか?もちろん優唯も」


有無を言わせず、仁詭は二人を正座させる。
顔は笑っているのだが、なぜかとてつもなく怖い。


「さて、言いたいことがあれば聞くけど……無いよな?」
「「はい」」





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それから、約二時間後──


「と、としきぃ……」
「そろそろ……そろそろご勘弁を……」


二人は正座させられ、机に向かっていた。
文字を書く手は震えており、目には涙さえ浮かんでいる。


「はい、次は需要と供給について纏める」
「(あぅぅ……言ってる意味からわからないんだけど、さくねぇ……)」
「(優唯姉様、お気を確かに)」


仁詭はと言うと、一切手を緩めるつもりはないらしい。
自分は読書をしながらも、二人には様々な課題を出している。

課題の内容と言っても、自分が読み終わった本を置き、その中から出しているだけ。
それをいかに二人が上手く纏めるかと言う、高校や大学でのレポート課題のようなものである。
だが、次々と出される課題に、二人は既にグロッキー。
その様子を偶然見た玲那や碧理でさえ、


「「ご、御愁傷様でございます」」


と、声を揃えて退散したくらいである。


「そうだ優唯、一つ聞きたいんだけど……」
「な、何……?」


勉強以外の話題になったにもかかわらず、優唯は返事をするだけで精一杯。
そんな様子を見ても、仁詭は別段気にはしていないようだが……


「さっきから気になってたんだが、あの髪の白い人、誰?」
「え……?あぁ、碧理さん?」
「それって真名だろ?」
「うん……あの人は柴田勝家さん。頭よりも腕で勝負するほうが向いてる人よ」


知っている名前が出てくるとは思っていたが、仁詭は思いっ切り項垂れていた。
あれが後の“鬼柴田”……
あまりにもおっとりした顔つきだったので、全く予想していなかった。


「(もう、嫌だこの世界……)」


知っている歴史上の人物が全員女性。
そろそろ訳が分からなくなってくる。


「桜音、ちょっといい──」
「椿輝!」
「椿輝姉様!」
「ちょ、ちょっ……!姉さん?桜音?」


そこに偶然やってきた椿輝。
優唯と桜音は、まるで地獄に仏のような笑みを浮かべ、思わず二人して抱きついた。
当然、理由も知らない椿が驚くのも無理はない。
しかし、次の言葉で驚いたのは、優唯と桜音の方だった。


「あら、勉強してるの?じゃあ、私も一緒にいい?」
「「え゛……?」」





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日が沈み、月明かりが部屋を照らす頃──


「と、としきぃ……も、もう無理……」
「て、“天の御遣い”って、鬼畜なの、ね……」
「御姉さま方、桜音はもう……」


仁詭の部屋には、死体が三つ転がっているようだった。
さすがに気が晴れたのか、今日の勉強会はこれにて終了。
三人が勉強している間に、仁詭も二十冊近く本を読破していたので、そろそろ疲れがたまっていた。


「じゃあ、全員部屋に帰っていいよ」
「……無理、疲れ過ぎてて立てない……」
「「優唯姉様に同じく……」」
「……まったく、世話のかかる姉妹だ」


そう言って、仁詭は外へと出る。
部屋の外には、玲奈と碧理が立っていた。
夕食時に、あまりに三人に元気がないので、心配していたらしい。


「丁度いいや、優唯達を任せていい?」
「も、ももも、勿論に御座います、“天の御遣い”様!」


おどおどする碧理に対して、玲那は淡白に軽く頷いただけだった。
それからすぐに三人は部屋へと送り届けられ、仁詭の部屋はあっという間に広くなった。


「ふぅ……他人に勉強教えるのもいつ以来だ?」


思わず元いた世界のことを思い出す。
湿っぽいのは性に合わないが、悪友たちに何かを奢ってもらうついでに勉強を教えていたことは、今となってはいい思い出。
どうしても、さびしげな表情が表に出てしまう。


「萩原、少しいいか?」
「ん?」


後ろから声をかけられ振り向くと、そこには玲那が立っていた。


「何?」
「今日は、優唯様たちの勉強を見てくれて、助かった。その礼が言いたくて、な」
「あんなの、教えているうちに入らないけど?」
「それでも、あの御三方はあまり机に向かおうとなさらないのでな、今日はいい経験になった」


玲那の表情は、まるで愛するわが子を見守るよう。
その表情を見て、思わず仁詭は口を噤んだ。
言いかけていた言葉を呑みこみ、別の話題へと移そうとする。
しかし、そんな簡単に話題が出てこない。
どうすればいいかと悩んでいると、玲那は小さく息を吐き、優しげな表情で口を開いた。


「何か思うところがあるのだろうが、あまり気を張りすぎるなよ?」
「……余計な御世話だ」


ぶっきら棒にそう言うと、玲奈はくすりと笑って部屋を出た。

誰もいなくなり、仁詭は窓を開く。
月明かりが仁詭を照らし、真夜中とは思えないほど明るかった。





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「……親、か……」


自分には縁のない存在。
孤児院の前に捨てられ、名前すら付けてくれなかった。
だから、性も名も、どちらとも孤児院の院長がつけてくれたもの。
自分の本当の出生を知る術はない。

親がいないことで、友人を作るのにも苦労させられた。
フランチェスカに入り、少ないながらもできた時は、人知れず喜んだものだ。

だから、この世界に来ても心配してくれるのは、友人くらい。
その程度に考えていた。


「(まさか、親のことを考えさせられるなんて、な……)」


自分に親はいない。
優唯達には隠しておきたい。
……言ったところで、会えるわけでもない。
自然と、仁詭は月を眺め、その淡い光に心奪われていた。

月は冷たくも大きく、仁詭を照らす。
親からの愛を知らない仁詭を、包み込むかのように。



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