「優唯、ここの文章読んだ?」
「……………」


返事はない。
ただ、ページを捲ってはいる。


「……ここの文章の意味、書き出して見て」
「……………」


返事はない。
それでも、言われたとおりに手は動かしている。


「……優唯」


ここ最近、優唯はずっとこの調子。
呼びかけても話しかけても、どこか上の空。
理由が分かっている分、仁詭も強くは言えない。


「……今日は、この文献読み終わったら、それで終ろう」
「……………」


返事もなく、ただ黙々とページを捲る。
頭に入っているのかどうかは定かではない。
普段の倍以上の速さで読み終わると、優唯は力なく本を机に置く。

それから、何をするわけでもない。
ただぼんやりと、外の景色を眺めているだけ。
外出に誘っても、着いては来るのだが、心此処に在らず。
溜息を吐いたり、重苦しい表情で、周りの空気を暗くしないだけマシではある。

優唯の父親──信秀が亡くなって、既に十日ほどたった。
仁詭の耳に入ってくるのは、やはり後継ぎを誰にするかという話題。
今のところ、優唯よりも椿輝の方が、有力ではある。
それは、普段からの言動を見ても、葬儀の時の有様を見ても、頷かざるを得ないというもの。
慌ただしい主君よりは、落ち着き払った主君の方が、皆望ましいとでも考えているのだろうか……?


「萩原」
「ん……?」


部屋の外から呼ばれ、立ちあがる。
そこにいたのは、一人の女性。


「えっと……奏絵(かなえ)さん、でしたっけ?」
「ああ、ちょっと話が……」


桃色の髪の、すらりと背の高い女性。
揉上げが妙に長いが、それも彼女の魅力の一つ。
奏絵こと、森可成。
彼女はどこか、気まずそうな面持ちで、そこに立っていた。


「──で、話って言うのは?」
「……少し、まずい噂を聞いたんだが……」
「噂?どんな?」
「…………………………」


奏絵は辺りを見回す。
周囲には誰もおらず、気配すら感じられない。
それを悟った上で、声を殺して口を開く。


「(優唯様を、後継ぎに推さない連中に、どうも不穏な動きがあるらしい……)」
「(不穏な動き?……俗に言う──)」
「(ああ、その類だ。一応、オレの方でも警戒はしておくが……)」
「(……分かった、俺も気にはかけておく)」


頼んだぞ、そう言うと奏絵は速足で去って行った。
ほぼそれと同時に、反対側から別な人物がやってきた。
他でもない、碧理その人だった。


「御遣い様。今、宜しゅうございますか?」
「……問題はないけど、何?」
「はい、お耳を少々──」


耳を傾けると、碧理は辺りを気にしながら呟いた。


「(今夜、今後のことにつきましてお話したいことがございます。月が天頂に来ましたら、椿様のお部屋まで)」


それだけ告げると、碧理は去って行った。
その後ろ姿を見ながら、仁詭は小さく溜息を吐く。


「……………悪いことが起きる時は、纏めて起きるもの……さて、次は何が待っているのやら……」





──────────────────────────────────────────────────────────────────────────





それから、三日ほどたったある日。
織田家を震撼させる事態が巻き起こった。


「い、今川より書状が届いております!」


内容は至極簡単な物。


『そちらに預けてある松平竹千代の身柄を、こちらに引き渡せ』


端的にではなく、本当にその一文のみ送ってきた。
信秀が健在であったころからも、何度か送られてきたことはある。
が、優唯曰く「今川は頭がパーン」らしいので、信秀が軽くあしらっていた。
しかし、信秀死去の報を受け、強気に打って出たらしい。


「「「「「「……………」」」」」」


重臣の御の会議が開かれる。
だが、声を発するものは一人としていない。
後継ぎの決まっていないこの現状、指示を仰ぐにふさわしい人物もいない。

沈黙の元、時間のみが過ぎ去って行く。
その沈黙を破ったのは、一人の青年だった。


「……なんだ、まだ通夜の途中だったのか?」


皮肉たっぷりの言葉と、苛立ちを滲ませた表情で、仁詭は部屋へと入ってきた。
重臣たち全員から視線が注がれるが、特に気にする様子もない。


「信秀さんの葬儀は終わったっていうのに、まだ通夜が終わって無かったとは思わなかった」
「「「「「「なっ……!」」」」」」


言葉が出てこない。
怒りのような物は溢れているのだが、誰しも何と言えば良いのか分からない。


「──冗談はさておき……」


重い口調で、仁詭が口を開く。
何故かは定かではないが、その場にいる全員は、その言葉を待ち焦がれているような気分になっていた。


「この、今川からの書状の件についてだけど、大人しく従えばいいんじゃないの?」


一転して、物凄く軽々しい口調。
呆気にとられ、ポカンと口をあける重臣たち。


「ちょ、ちょっと待て!」


思わず声を出したのは玲那。
それに続くように、碧理や奏絵たちも次々に声を荒げる。


「み、御遣い様!それはいくらなんでも早計過ぎるかと……!」
「そ、そうだぞ?オレが言うのもなんだが、もうちょっと考えてから……」
「……………希望には悪いんだが……」


口調が、雰囲気が変わる。
どこか悲哀のこもった、そんな雰囲気……


「今、こちらは問題をいくつも抱えられるほどの余裕はない。少しでも、早く片付けられる手段があるなら、それを用いるのが今は得策」
「だ、だからと言って……!」
「それに──」


穏やかな口調にも拘わらず、仁詭の言葉は重い。
言葉を遮られ、誰しもが何も言えなくなってしまう。


「碧理さんは早計とか言ったけど、俺からすれば遅すぎる……希望は既にこのことを知っているし、受け止めてもいる。織田にとって今、希望のこの判断は尊重すべきものじゃないのか?」
「「「「「「…………………………」」」」」」
「もう一度だけ言う。今川の要請に、こちらは従うべきだ」





──────────────────────────────────────────────────────────────────────────





方針が決まってから、事が進むのは早かった。
希望は、元々の家臣を三人と共に、今川へと引き取られていった。
優唯がこのことを知ったのは、希望が引き取られて三日ほど経った頃だった。


「そん、な……」
「あくまで俺は、本人の意思を尊重したつもりだ」
「……なら、何で私に一言も言わなかったの?」
「……………」


涙が滲んでいる。
それもそうだろう、心許せる親友が一人、いなくなったのだから。


「仁詭!答えて!」
「……………」


胸座をつかみ、優唯は声を荒げる。
何も言おうとしない仁詭に、ただ怒りだけぶつける。


「なんで、なんで!?」
「今のお前に何を言っても無駄だとは思うけど……」


漸く開いた仁詭の口からは、呟くほどの声しか出なかった。
それでも、その声はどこか、畏怖を感じるようなものだった。


「いい加減にしろ、優唯」
「……っ!」
「父親を失って辛いのも分かる。友人がいなくなって辛いのも分かる。けど、その辛さを他人にぶつけてどうする?」
「……仁詭には分からないわよ、肉親とそれとほぼ等しい人間が、急にいなくなってしまった私の気持ちなんて!」
「ああ、分からない」


酷く冷淡に、仁詭は答えた。


「そもそも、俺に親なんていないからな」
「……え?」
「言わなかったか?俺は、親に捨てられたって」


絶句する。
確かに、一度聞いた気もしなくはない。
……いや、聞いたことはないが、父親と触れ合う自分の姿を見る仁詭の目はどこか──


「兄弟もいないから、肉親を失う痛みは分からない。同じように、それほどに思える友人も思い浮かばない。けど、失ったら、それでいいのか?」
「……どういう、意味?」
「泣いて喚いて、死んだ人間が戻ってくるのか、って聞いてる」


そんな訳はない。
それは、優唯自身よくよく分かっている。


「でも、どうしたらいいの……?」
「さぁな……?決めるのは優唯だ、俺は何も言わない」
「……残酷」
「褒め言葉として受け取っとく」


笑った。
傍から見れば、その表現はおかしいともとれる。
だが、仁詭は確かに、優唯が久しぶりに笑ったように見えていた。





「(……さて、そろそろ俺も動く、か)」



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