目の前に広がるその光景。
おおよそ二千人ほどの人間が、武装して並んでいる。
普段見慣れていないその光景に、流石に仁詭も絶句していた。
「どうしたの、仁詭?」
「ん?ただ単に怖いだけだけど?」
訪ねた優唯は、返ってきた答えに驚いた。
「え……?怖い、の?」
「こんなところで嘘吐いて仕方ないだろ……普通に怖いんだよ」
「へー……仁詭にも怖いものってあったんだ」
「これでも普通の人間なんでな」
よく見てみれば、仁詭の手が僅かながら震えている。
目の前にいる兵士たちは、人を殺す武器を手にしている。
そして、横にいる優唯たちも然り。
「こんな、戦なんて初体験だから……怖くても仕方ないだろ?」
「……仁詭の世界には、戦とかなかったの?」
「いや?あった」
あるにはあった。
だが、自分の身の回りにはと問われれば、皆無といっても間違いではない。
人を殺す術はいくらでもあるだろう。
新聞などに目をやれば、少なからず人が死ぬという内容の文面は見つかるだろう。
それでも、これほどの人間が殺しあう様など、今までの人生で見たことはない。
歴史の教科書などで、そういう戦があったのは知っている。
ただ、あくまで文面上で知っているだけ。
実際に見るとなると、怖くて仕方がなかった。
「……天の御遣い様が、そんなことを仰られますと……」
「えっと、誰だっけ?」
「あ、申し遅れました。前田利家、真名を柚葵(ゆずき)と申します」
赤の衣に身を包んだ、長い槍を携える武将。
普段見慣れない紫の髪を揺らしたその女性は、どこかオドオドとしている。
「ゴメン、まだ全員の名前覚えてなくって……」
「いえ、名乗り遅れたこちらが悪いのです、御遣い様」
「……その“御遣い様”っていうの止めてくれる?なんか心地悪い」
「も、申し訳ありません!……し、しかし、どの様にお呼びすれば……?」
「何でもいいよ」
軽く会話を済ませると、優唯へと向き直る。
いつものような露出の高い服装とは違う。
紅の模様の入った黒の衣を身に纏い、こちらに微笑みかけている。
「みんな準備はできてるわよ、仁詭」
「……じゃあ、戦前の号令でも何でもやったらどうだ?」
「うーん……そういうのやったことないから、仁詭にやってもらおうと思ってたのに……」
「大将差し置いて、軍師が号令かけてどうする」
軽く頭を小突く。
その手もまだ震えていることに気がついた優唯は、微笑みかけるのをやめた。
「怖かったら、見なくてもいいよ?」
「それが許されるなら、最初からこの場にいないさ。ある種、俺はこの戦が起きた原因なんだ。逃げるのは、卑怯とかそういう次元を超えてる」
小さく溜息を吐く。
そのほぼ直後に、他の武将たちも集まってきた。
「優唯様、万事調いました」
「お疲れ様。玲那さん、奏絵さん」
玲那は、初めて会ったときと同じく、青と白で統一された鎧を身に纏っている。
ただ、携えているのは日本刀でなく薙刀。
本人と同じくらいの長さのその得物に、仁詭は身震いした。
奏絵も、同じように青と白の鎧を身に纏っている。
とは言え、玲那と違って肩当と胸当てのみの、いたって簡素なもの。
普段から着ている衣服が、容易に見える代物。
そして、十文字槍を携え、凛と立っていた。
「さて……」
そろそろ、相手側も痺れを切らす頃合い。
準備が整った以上、戦が始まるのはもう間もなく──
「じゃあ優唯、どうぞ?」
「……やっぱり、私がやらなきゃダメ?」
「四の五の言わずにさっさとやる!」
尻を叩く。
「ひゃんっ!」と短い悲鳴を上げて、優唯は一瞬飛び上がった。
「わかったわよ……もう……」
数歩進み出る。
兵たちの視線が優唯へと注がれ、沈黙がその場を支配した。
「聞け、兵士たち!敵は私の妹とはいえ、織田の名を汚す逆賊!それに加担する兵の中には、見知った者もいるかもしれない。だが、逆臣逆賊は打たねばならない!情を捨てろ、己を捨てろ!今はただ、眼前の敵を打つことのみを考え、その刃を血に染めろ!これが、私の天下への第一歩ならば、血に染まる道を歩むことを厭わない!皆も、私とともに進むのであれば、その道を厭うな!──全軍、抜刀!」
刃が抜かれ、天を仰ぐ。
一呼吸置きながら、優唯はその全てを見渡した。
「これより、織田信行討伐の戦を始める!全軍、進めぇ!」
鬨の声が響き渡り、大地が揺れた。
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一方その頃、椿輝の陣営。
その陣営は、どこか混乱が渦巻いていた。
「……椿輝様、如何いたします?」
「如何するも何も、始まった以上は仕方ないわ」
仁詭が、“天の御遣い”が自分たちを裏切った。
その思いが、今この陣営の中で大きく渦巻いている。
「御遣い様が優唯様側に付かれるとなると、こちらとしては大きく不利です」
「そうね……」
自分たちの知らない知識を、豊富に持ち合わせている存在。
そういう噂は、兵士たちの中でも広まっている。
ばつの悪いことに、噂には尾鰭というものがつきやすい。
実際、“天の御遣い”は得体のしれない妖術を使うなどという、事実無根の噂も流れていたりする。
「……妖術かどうかは知らないけど、私たちが今まで見たことのない物を持っていたのは確かだし、根付いた噂を拭い取るのは難しいわ」
「ええ……私も一度拝見しましたが、あの“らいたー”とかいう代物は、自在に炎を操れるとか……」
「そんな能力はないわ。私も実際に見たけれど、あれは小さな火をおこすのが限界。……でも、碧理まで信じてちゃ、あからさまに分が悪いわね」
思案にふける二人。
そこに、二人の人物が近付いてきた。
「碧理様、少々よろしいですか?」
「え?ああ、秀貞に通具……どうかしたの?」
「いえ……萩原仁詭など、恐るるに足らないかと思われます」
自信たっぷりに、妹の通具はそう言った。
その言葉に、不満げに返したのは椿輝。
「どういうこと?」
「はい。私ども、何度か町中で見かけたことがございますが、あれはいたって普通の人間。私どもの部隊に任せていただければ、ここに首をお持ち致します」
自信に充ち溢れた進言。
碧理に目配せし、小さく頷いた。
「いいわ。でも、生捕りにしてここに連れてきて」
「生捕り、ですか?」
「ええ……生かしておけば、優唯が焦って出てくるでしょうし、そのほうがこっちにとっても有利よ。殺してしまっては、逆に何しでかしてくるか分かったもんじゃないし」
「承知仕りました。通具、行くわよ」
「はい、姉さん」
命を受け、二人は意気揚揚にその場を後にした。
その後ろ姿を見つめ、椿輝は小さく溜息を吐いた。
「どうしました、椿輝様?」
「……これも、仁詭の策だったら──なんて考えちゃって……」
「考えすぎでしょう。たとえ御遣い様であったとしても、神ではないのですから」
ただ、どこか胸騒ぎがする。
肌を撫でる風でさえ、とても不気味に感じる。
「碧理、一応あの二人の部隊に、別の人間も付けて」
「御意にございます」
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「「進めぇ!」」
林姉妹の掛け声の下、兵たちは攻め寄せる。
だが、どうにも優唯側の兵たちは進む気配がない。
「姉さん、どういうことだと思う?」
「倍以上の相手に恐れをなしたとも思えないし……念に念を入れて進むわよ」
馬の速度をやや落とし、進撃する。
先頭を走る二人だが、なにも来ないのが余計に不気味だった。
……と、その時
「わっ!」
「え、どうした──きゃっ!」
突如、馬が足を止めた。
あまりに急だったため、二人は馬の首に顔面を強打する結果となった。
「何よ、急に……」
「……あ、姉さん!見て、これ」
通具が指さしたそこには、縄が縦横無尽に張り巡らされていた。
その縄にはいくつも針が付いており、その針に触れて馬が急停止したのだ。
「……やってくれるわね」
「感心してる場合じゃないって!急いで後退して!」
「え……?」
妹の言葉に耳を傾けた、ほんの一瞬後──
雨が降ってきたかと思うほどの矢が、相手陣営から降り注いできた。
立ち往生している林姉妹の部隊は、格好の的。
悲鳴を上げ、無残にも兵士たちは倒れていく。
「姉さん、迂回するわよ!」
「ええ!あ、通具、ちょっと」
矢を躱しつつ後退しながら、秀貞はそっと耳打ちする。
聞くや否や、通具は頷き、姉とは別方向に馬を走らせる。
秀貞も反対方向に馬を走らせ、縄が張ってある場所を迂回する。
「私の部隊、着いて来て!」
「こっちもよ、急いで!」
二手に分かれ、矢を回避しつつ迂回する。
最悪、どちらかが討たれても、という考えではある。
そしてその林姉妹の行動を見て、ほくそ笑む人物が数人……
「さすが萩原だな。こうも見事にいくとは……オレも気合を入れないと、な」
「“オレ”、じゃなくて、“オレたち”ですよ?」
「分かってる。行くぞ、柚葵」
「はい!」
その反対側でも、同じような会話が繰り広げられていた。
「あらら……仁詭の言った通り」
「…………………………」
「あれ、どうしたの玲那さん?何か不満?」
「ええ、不満ですとも。どうして総大将の優唯様がここに?」
「だって、総大将が動かないと、兵士たちだってついてこないでしょ?」
「それは、そうですが──……むぅ……」
不満げな表情の玲那。
対照的に、にんまりとしている優唯。
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「あ、ほら!来た来た」
その優唯が指をさした方向から、一陣の砂煙が差し迫ってくる。
先頭は、赤い髪をなびかせる武将。
「え?総大将が、こんなところに?」
「いらっしゃ〜い♪」
友達でも迎えるかのように、優唯は手を振る。
唖然とする通具だったが、すぐに我に返る。
「総大将・織田信長……総大将を討ち取れば、この戦は勝ったようなもの!その首、貰い受けます!」
「……だってさ、玲那さん?」
「ではまず、私が相手を──」
「待って待って!せっかく無策に突っ込んできてくれたんだし、ここは私が相手するわよ」
玲那は言葉を疑った。
「お、お待ちください!もしも万一のことがあれば──」
「万一?あり得ると、思うの?」
優唯はにっこりと、玲那に微笑みかける。
その笑みに、玲那は背筋に冷たいものを感じた。
「い、いえ……」
「じゃあ、そういうわけだから。かかってきなさいよ?」
「……舐めないで、ください!」
馬から飛び降り、通具は勢いよく斬りかかった。
その刃を、優唯は片手で持った刀で受け止める。
「ねぇ、ひとつ聞いていい?」
「何ですか!こんな時に──」
「あなた……地獄って信じる?」
「信じるわけ……ないでしょう!」
鍔迫り合いになっているその刃を、力任せに振り払う。
少し距離をとり、再び構える。
「そう……私は信じるわ」
「そうですか、では……どうぞ旅立ってください!」
先ほどよりも深い斬り込み。
だが、優唯は風のように躱す。
華麗な足捌きで背後へと回り込み、そっと相手の肩へと手を置く。
「地獄ってね?どんな人間でも、死んだら必ず行く先だと思うの。だってそうでしょ?どんなに綺麗事並べても、私たちは何かの死の上に生きてるんだもの……」
まるで自分に言うように、静かに呟く。
そして……一閃。
鈍い音が、地に響いた。
「……ぇ」
何が起こったか、通具はわからない。
前を向いているはずなのに、なぜか自分自身の体を見詰めている。
やがて、視界は赤く染まり、その意識は消えていった。
「ふぅ……」
「……いつもながら、御見事な腕前です、優唯様」
「ありがと」
地に落ちた首を持ち上げる。
その重さは、生命を絶ったという、罪の重さ。
それをしっかりと自分の腕に感じさせ、忘れないようにと噛み締める。
「玲那さん、この人の名前は?」
「林通具……椿輝様の、近衛かと」
「分かったわ」
大きく深呼吸。
首を高らかに掲げ、その声を戦場に轟かせた。
「敵武将・林通具、この織田信長が召し捕った!」
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