天幕の机の上、そこにソイツはいた。


「ニャァ」

「スミレ?お前、成都に残してきたはずだろ?」

「ニャァォ」


机の上からひらりと飛び降りて、俺の前にチョンと座る。
……ん?
いつもみたいに頭の上には乗らないのか?
まぁ、乗って欲しいわけじゃないが……


「……何しに来た?お前は、戦とは無縁の場所で待ってろって、俺は確かに──」

「ニャァァォ」

「お、おい……っ?」


急に、スミレが俺のズボンの裾を咥えてきた。
まるでついて来いとでも言いたげに引っ張ってくる。


「お前なぁ……ハァ、お前頭良いだろ?今から戦が始まって──」

「ニャ!」

「……どうしてもついて来い、ってか?」

「ニャ」


……幸いまだ時間はあるだろう。
たぶんこいつの事だから、大した用事はないはずだ。
以前は、こいつの存在に助けられたこともあったけど、それ以降は大した用事で呼びに来ない。
だからまぁ、少しくらいなら付き合ってもいいか。


「……分かったよ、どこ行けばいいんだ?」

「ニャッ」


俺がついてくると分かったのか、裾から口を放して、先導する形で歩きはじめる。
……妙な奴に気に入られたもんだ……


「おや?直詭殿、どこかお出かけか?」

「あ、星。大したことじゃない、すぐ戻る」

「ならいいが……一応得物は持って行かれては?」

「んー……そうだな、念のため持って行くわ」


ちょっとスミレを待たせて、刀を取りに戻る。


「早めに戻られることをお勧めする。いつ戦が始まる分からない」

「……だな。大丈夫だ、すぐ戻る」


それだけ言って、星と別れる。
んで、またスミレの後を追うように歩きはじめる。
……っておい、陣幕の外に出るのか?











かなり歩かされた。
元いた陣幕も少し小さく見えるほど。
こんな大事な時になんだってこんな場所まで……?


「ニャァ」

「ん?ここでいいのか?」

「ニャ」


“待て”ってことなのか?
スミレはそれ以上歩こうともしないし、俺も仕方なく立ち尽くす。


「……………」


辺りを見回しても何もない。
夕日もかなり沈んで、星が空には瞬き始めている。
こんな暗がりに連れてきた理由が皆目見当がつかない。


「……んー……おいスミレ、何があるんだ?」


問いかけても無反応。
こんなことも滅多にない。
今日に限ってスミレの様子がおかしい。


「お待たせしたわねん♪」


不意に、後ろから気味の悪い声が響いた。


「……この声、どっかで……?」

「取り敢えずこちらを向いてくれんかの?お主に話をしに来たのだ」


勢いよく振り向けば、かなり濃い奴が二人いた。
勿論、そいつらの事を忘れたことは無い。
……厳密に言えば、忘れようとしても存在が濃すぎて忘れられなかっただけだが……


「お前ら……貂蝉と卑弥呼、だったよな?」

「こんばんは♪」

「覚えていてくれて感激じゃな」


てか、どっから湧いて出た?
身を隠せるような場所はなかったはずだぞ?


「……スミレ、ひょっとしてこいつらと合わせるために俺を呼びつけたのか?」

「そうよ。あなたと大事なお話をするために呼んでもらったの」

「正確には、“儂らは話の補佐として来た”が正しい」

「補佐?お前ら以外に誰か俺と話する奴がいるとでも?」


もう一度辺りを見回してみる。
筋肉質の化け物──もとい、貂蝉と卑弥呼以外に誰もいない。
後はせいぜいスミレぐらいで……


「ホレ、ちゃんと己で話さんか」


卑弥呼がスミレにそう告げる。
え?いや、こいつは猫だぞ?
確かにその辺の猫よりは頭が良いけど、人語を解せるほどの能力はないだろ?


「いつまでその恰好でいるつもりなのかしら?」

「貂蝉まで……一体さっきから何を──」

「──しょうのないの」


その声は、確実にスミレから聞こえた。
そう理解する前に、世界が急激に姿を変えた。


「……………へ?」


急に、スミレの身体が光に包まれた。
白くて柔らかい光だ。
その光の中で、猫の影が映し出される。
やがてその影は徐々に形を変えて、同時に光も弱くなっていって……
光が消えた時、そこにいたのは──


「…………………………」

「ふぅ……この姿に戻るのはいつ以来かの?」


一人の少女だった。
褐色の肌に、V字のほぼ紐に近い水着だけを身にまとった、黒のショートカットの女の子……


「な、何……?お前……何だ?」

「ん?これこれ、相応に長い時間共にしてきて“何だ”とは釣れないのぉ。スミレじゃよ、ワシはスミレじゃ」

「スミレ……?え、いや、だって……スミレは猫で……え……?」

「まぁ、唐突に猫が人に変化すればそんな反応かの」


思考が追いつかない。
スミレを包んだ光の中に現れたのはこの少女だ。
だが、それでスミレとこの少女が同じだと理解できるはずがない……


「スミレと言うのは仮の名・仮の姿じゃ。ワシの名は太公望……貂蝉や卑弥呼と同じ存在じゃよ」

「同じと言っても、太公望は変化の術を会得してる秀才っ子なのよん」

「残酷な宿命の元にいるお主の元で、その生き様を監視する役目を与えられておったのじゃ」


……さっきからこいつらは何を言ってるんだ?
太公望?変化の術?監視?
理解し得ないワードが怒涛のように押し寄せてきて、俺の頭はパンク寸前だった。


「貂蝉、卑弥呼、後はワシから全て話す」

「いいの?」

「時折注釈を入れてくれればそれで良い」

「うむ、承知した」


俺を放置して、三人は話を進める。


「直詭、まずは二つ──礼と謝罪を言わせてもらう」

「……礼?……謝罪?」

「礼と言うのは、ワシを可愛がってくれたことじゃ。猫の姿というのもあったが、大事にしてくれたこと、まずは礼を言う」

「……………で、謝罪って?」

「うむ。正体を隠しておったことじゃ。もっと早く打ち明けるべきであったと、今更ながら反省しておる」


思考はまだ追いつかない。
ただ、何点かだけ理解することで諦めることにした。
こいつはスミレで太公望……
人の姿と猫の姿を併せ持つ異形の類……
今は取り敢えずそれだけ理解しておく。


「……スミレ──いや、太公望。聞きたいことがあるんだけど……」

「それには及ばん」


俺の言葉を制して、そのまま太公望が話を続ける。


「ここに呼びつけた理由……直詭の聞きたいのはそれじゃろ?」

「あ、あぁ」

「今からワシもそれを話す。じゃから、暫し黙って聞いていてくれんか?」

「……分かった」


不意に、太公望の表情が暗くなった。
その理由を聞きたくもあったけど、黙っていろと言われたからには口を開くわけにもいかない……


「直詭には以前、卑弥呼が言ったと思うんじゃが……覚えておるか?直詭には二つの残酷な宿命が待っていると言うこと」

「……覚えてる。それがどうした?」

「一つ目の宿命は、すでに終えておる。虎牢関での戦の時、直詭には選択肢が与えられたはずじゃ」

「それって……誰と一緒に出陣するかってやつか?」

「そうじゃ。その選択肢次第では、直詭は蜀ではなく、呉にも魏にも行く可能性があった」


……たったあれだけのことで?
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
たったあれだけで、俺は共に戦っていく相手が変わってたって言うのか?


「まぁ、今はそれは良い。問題は二つ目の宿命の方じゃ」

「……………」

「回りくどいことは言わぬ。じゃから、確と聞け」


音と言う音が消え去った感覚に襲われた。
その感覚の中で、太公望の口がゆっくりと動いていく。
動いた先の声を認識できたのは、少し間を置いてからだった。


「──直詭、お主はこれより、消え逝く宿命にある──」

























後書き

次回以降から後書きやめようかと思います。
ここからは完全にオリジナルですし、無駄に茶々入れても面白くないですしね。
最終回の2話前くらいになったらまた書きます。

では次話で



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