虎の章/第30’話『世界が止まる時』
「……解せない」
混乱が起きた敵の部隊は、そのまま撤退していく。
律を先頭に、こちらの部隊がそれを追撃する。
ただ、いくらなんでも撤退しすぎだ。
「あんな後方まで撤退したら、先鋒の意味がなくなるんじゃ……」
確か、連合の発起人は袁紹と袁術……
その内の袁紹が先鋒に立ってるってことは、袁術の方が本陣か後曲に居座ってるんだろう。
後曲の部隊にまで火の粉を持って行くような真似して何になる?
「御遣い様〜、そろそろ矢が届きませんよー?」
「あぁ……少し敵の動きを見たい、一旦射撃は中止だ」
「はいー」
さっきの混乱は孫策の部隊が乱入してきたせいだ。
そもそも、その乱入自体おかしい。
天性の戦上手と言われてる孫策、その軍師には周瑜もいると思う。
その二人がいて、あんな進軍があり得るか?
考えろ……
あの混乱には何の意図がある……?
あの撤退の意味は何だ……?
「……羅々」
「何ですー?」
「孫策に関して、詠から何か聞いてないか?」
「何かって言いますとー?」
「孫策が今置かれてる状況とか……ちょっとしたことでもいいんだけど……」
「そーですねぇー……」
何の意味もない混乱なんて、それこそ戦の天才がやるはずがない。
単純に考えれば、2つ予想が立てられる。
1つはこちらを門から引きずり出す為。
1つは何らかの罠に引き摺りこむ為。
ただ、後者は考えにくい。
そう言う策があるなら、先鋒を担った部隊もそれなりの動きをするはず。
でも、見ている限りだと、孫策の部隊に合わせて撤退している。
何度か戦を経験すれば、あの動きは前もって知らされていたものじゃないって想像はつく。
「(でも、前者だったとしても、もっと効果的なものがあったっておかしくない……それこそ、先鋒の部隊に任せればいいだけの話)」
じゃあ、俺たちの部隊を後曲まで引っ張っていくことが目的?
何のために?
自軍を不利にすれば、周りから非難囂々だろう。
なのに、混乱に陥れた。
この意図が読めない。
「詠様から聞いた話だとー、孫策は今ー、袁術の客将扱いになってるはずですよー」
「客将?」
「先代の孫堅が急逝してー、止むを得ずって形らしいですけどー」
袁術の客将、か……
その立場に孫策が甘んじていないと仮定すると……
……いずれは独立したいと考えるのが普通だよな?
「……ひょっとして、いずれ独立するために、袁術軍にも被害を出させたかった?」
「いやいやー、流石にそんな強引な真似しますかねー?だってあの孫策ですよー?」
「でも、強引にでも敵を引っ張って行かない限り、袁術は無傷でこの戦を終えることになるだろ?」
「ですかねー?私には分かりませんけどー……」
確かに強引な策だ。
三国志の中でもトップクラスに位置する軍師の周瑜がいて、こんな策を実行に移すかは甚だ疑問。
でも、そう考えれば、あの進軍にも一応は納得できる。
ここから次の動きを予想すれば──
「羅々、兵の皆に矢の準備を」
「へ?」
「袁術の軍に一当てさせたら、孫策軍だけじゃなくて、曹操軍も反転してくる。あそこまで下がれば、後曲の部隊の加勢も見込めるだろうし、こちらが圧されるのは目に見えて明らかだ」
「その時の為の準備ですかー?」
「そうだ。それと、部隊の半分を洛陽に向かわせてくれ」
「何でですかー?」
「……門からでなければこちらが有利だ。けど、もう手遅れ……このまま呑み込まれる可能性が非常に高い。月さんと詠の護衛に兵を割きたい」
「……っ!了解ですー!」
●
それからそんなに時間が経つまでもなく、敵の反撃が始まった。
数は圧倒的に向うが優位。
籠城戦ならともかく、野戦になってしまえばこちらが呑み込まれる。
霞たちの腕を信じていない訳じゃない。
でも、紛れもなく死に戦になる。
「伝令!張遼様の部隊が曹操軍と交戦を始めました!」
「伝令!華雄様の部隊が孫策軍と交戦を始めました!」
「伝令!袁紹軍は一時後曲へと回る模様!」
次々と兵たちから現状を報告される。
その全てを捌けるほど俺は有能じゃない。
ただ、音々音はきっと恋と一緒にいるだろうし、ここからの指示は俺が出さなきゃならない。
「……よし」
苦しいのはここにいる全員同じだ。
少しでも辛い思いはしてほしくない。
ただ、そんな泣き言は通用しない。
「音々音に通達を」
「はっ!」
「門が突破されるのも時間の問題になる。少しでも死人を減らすために、恋の部隊も投入させてくれ」
「御意!」
俺のこの発言も甘いって評価されるんだろうな。
ま、俺が貶められる分には構わない。
「律と霞には、生き延びることこそ重要だと伝令を」
「はっ!」
「御遣い様ー、私たちはー?」
「門を突破されないように射撃を続けるしかない。限界を感じた時点で、洛陽に戻るも良し、逃走するも良し、だ」
「逃走も許可するんですかー?」
「当たり前だ。こんな負け戦に、恥じて死ぬとか言ってもらいたくないしな」
門を出た時点でこちらの負けが確定したようなもんだ。
いくら詠から指南書を貰ってるとは言え、そこには音々音の私情だって加味される。
となれば、もうこちらに残された選択肢は殆どない。
だから、俺としては生き延びてほしいとしか言えない。
「じゃあ御遣い様ー、向う半分の指示はお願いしますねー」
「……ってことは、律の方に注視しておけってか?」
「はいー。私は霞様の方の助勢しますんでー」
「分かった」
半分に割いた部隊をさらに半分に割く。
律は今、孫策と対峙してる。
……そういや聞いた話、律と孫堅とは因縁があるんだっけ?
詳しくは聞いてないけど、その娘の孫策と対峙して冷静さを欠いてないといいけど……
「……いや、アレはヤバいな」
孫策の部隊だけなら、律の部隊とほぼ同数。
ただ、向うには有能な軍師がいる。
それに、孫策自身も戦の天才。
律の性格から考えても、いいようにあしらわれるのが目に見える。
「……誰かいるか?」
「ここに!」
「律に伝令を……どんな罵詈雑言を浴びせられても、引き際だけは見誤るなって」
「御意!」
……この伝令にどれだけの意味があるやら……
律の事だ、右から左に聞き流されてお終いかもしれない。
……なら、俺のするべきは──
「律の部隊の援護を行う。孫策軍の両翼を狙って射撃」
「「「はっ!」」」
「律が突撃を敢行したら、それに合わせて放つ。引き絞れ」
弓を引く音を聞きながら、律の動きに目を凝らす。
何かの言い合いをしているようにも見えるけど、流石に距離が合って会話の内容や表情までは分からない。
「律……」
律はみんなが言うほど猪でもない。
ただ純粋に、誇り高いだけだ。
誰よりも誇り高いから、その誇りを貶されれば純粋に怒る。
ただそれだけなんだ。
そりゃ、俺だって目の前で律が貶されれば不愉快だ。
でも今はそんなことを言っている場合じゃない。
死んでしまえば誇りも何もない。
そこで全てが終わってしまうだけだ。
「構えろ!」
言い合いが終わったのか、はたまた我慢しきれなかったのか……
律が動く姿勢に映ったのがすぐ分かった。
「放て!」
矢が弧を描き敵軍に襲い掛かる。
その矢が敵の両翼に直撃した段階で、一瞬律がこっちを向いた。
表情は分からない。
怒っているのか、それともホッとしているのか……
出来ることなら、俺の意図を汲んでほしいとだけしか今は考えない。
「……これ以上の加勢は無粋、って言うんだろうな」
「御遣い様、袁紹軍が──」
「だろうな。門の中に一兵たりとも入れるな!門に向かってくる敵に向けて斉射、開始!」
律の事は、あとは本人に任せる。
そう言う信頼の形もあると思う。
ま、これ以上加勢したって、どうせ後で文句言われるだけ……
なら、ここからはこちらに集中させてもらうさ。
「やったぁ〜!!!」
突如、気の抜けた声が上がる。
誰の声かはすぐに分かった。
「羅々、何事だ?」
「御遣い様ー、見てくださいよー!敵将の目を射抜きましたよー!」
羅々の指先に視線を移す。
そこには霞と敵将が一人対峙していた。
……一騎打ちでもしてたんだろうか?
で、羅々の言う通り、その敵将は目を抑えて蹲っている。
ここからあそこまでそれなりに距離がある。
にも拘らず、目を射抜いたってのは凄いと言わざるを得ない。
「これで霞様も有利に戦えますよねー」
「……だな」
「いやぁ〜、ようやく皆さんのお役に立て──」
ドスッ
ん?
何の音だ?
霞の方に目をやってたから、どこから音がしたか分からない。
そもそも、何の音かが分かってない。
「なぁ羅々、今何か音しなかったか?」
視線はそのままに、羅々に問いかける。
「……………」
「羅々?」
いつもならすぐに返事をしてくれる。
なのにそれが無かった。
「おい、どうし──」
妙に気になって、羅々の方へと視線を移す。
そして、目に映った光景に絶句することになった。
……いや、理解そのものができなかった。
「……羅々?」
後書き
別ルートを書くって言うのって意外と難しいです(汗
取り敢えず、ある程度の形にはしたいですね。
で、次話でオリキャラ出てきますけど……
……あんなキャラでいいのか今更不安に……(オイ
では次話で
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