虎の章/第63’話『獅鬼の誓い』
「……………」
異常なまでの静けさに息が詰まりそうになる。
対峙してる于吉は、その空気すら心地いいとでも感じてるのか余裕の笑み。
後ろ手に拘束されたままの状態で、今の俺が出来る行動が手に取るように分かるんだろうか?
だとしても、その点に関しては脅威を感じない。
頭で理解できたとしても、体が反応できなければ意味がない。
さっき于吉も言ってたように、俺はこの世界で武の力を培った。
相手の佇まいからも大凡の戦闘能力を察することが出来るほどに……
……それほどまでに、“普通の学生”の領域から逸脱した。
だから確信がある。
于吉が先に動いたとしても、俺の方が先に攻撃を当てられるという確信が……
「ふふっ、どうされました?」
「敵を観察するのは基本だ」
「そうですか。ですが、いいんですか?あなたの後ろに、あなたの命を奪う人形がいるというのに……」
「その人形を操るのはどこのどいつだ?お前が何を口走ろうと、お前がどんな動きをしようと、先にお前に膝をつかせることくらいできる」
「ふふふ……随分な自信ですね。流石は呉王の親衛隊長と言ったところでしょうか……?はたまた、天界の獅鬼と呼ばれて浮かれているので?」
「分かんねぇなら、お得意の呪術とやらで俺の思考でも探ってみろ……今の俺の心中をお前が見たら、どうなるかは分かんねぇけどな」
「ふふふ、これはこれは……何とも恐ろしい……」
挑発のつもりなんだろうか……?
さっきまでと同じように、于吉は俺の神経を逆撫でるような口調を続ける。
けど、もう抑える必要はない。
募り募った怒りが、今は全身に満ちている。
無意識に放つ殺気も、徐々に強さを増してるんだろう。
……それでも、于吉は俺の目を見据えたまま……
口元を釣り上げて、まるでこの状況を楽しんでいるかのよう……
「ふふふふふふふ……」
「気味が悪いな。何がそんなに可笑しいんだ?」
「可笑しくも感じますよ。あなたの愚かしさにはね」
「……あン?」
「異なる世界の為に命を捧げようとする……元の世界に戻れるチャンスをみすみす棒に振ってまで……何とも可笑しな話ですよ」
「そうかよ……」
「どうです、私に教えていただけませんか?贄ノ子のあなたが愚行を犯し続ける理由を……」
……………ハァ
「フッ……」
「……どうされました?」
「いや……俺もお前のことが可笑しくなっただけだ」
「ほぉ?」
「この距離で相手の心中も読み取れねぇなんて……呪術に感けて、心理学は疎かにでもしてたのか?」
「これはこれは……その自信はどこから来るのでしょうね。聡明であろうあなたが、この状況下で余裕を醸し出せるなど──」
「──理解できねぇんだろ?」
「……っ」
初めて于吉が押し黙った。
どうやら図星だったってことだろう。
ここに来てようやく、于吉の顔から笑みが消えた。
「お前が俺のことをそう思うように、俺もお前のことは愚かだと感じてる」
「……心外ですね。何を以てそう思うのです?私は世界の大局と言う──」
「──その程度の事で、人の感情に目を向けねぇところがだよ」
「……………」
「元いた世界も、今いるこの世界も……俺にとってはどっちも紛れもない現実であり事実。そのことに真正面から向き合うために、俺は本気で生きようとしてるだけだ」
「それで……あなた自身が消滅する様な宿命が待っていたとしても……?」
「俺がこの世界で生きた事実まで消えるわけじゃねぇんだろ?仮にそれすら消えるとしても……この世界で本気で生きている皆と一緒に居たいから、俺も本気で生きるんだよ」
「本気で生きるために……世界を蔑ろにすると?それがどれほど愚かな──」
「愚かで結構だ。世界にとって正しい生き方より、今一緒にいるみんなと笑い合える生き方を俺は選ぶ」
「……………」
于吉の表情が険しくなった。
俺としては清々しい。
これで漸く対等……いや──
「どうした?格下と思ってた奴に貶されて、気分でも優れねぇのか?」
「……違いますよ」
「なら……時間を浪費したことを悔いてんのか?」
「えぇ……予めあなたの思考を読み解いておくべきだったと後悔していますよ」
「けど、もう遅い」
「何がです……?」
「分からねぇとはつくづく愚かだな于吉。もうとっくに──」
于吉から余裕が消えた今、俺と于吉の距離が縮まってることには気付かれていない。
それはつまり──
「──とっくに、お前は俺の間合いの中にいる」
「っ!」
「この距離なら、余裕をもってお前に攻撃が出来る。お前の方が先に動き出したとしてもな」
「……口も達者なのですね。口先だけで、私の意識を逸らすとは……」
「それで、どうする?両腕が使えなくても、お前に苦痛を与える手段はいくらでもある」
「……………」
仮に于吉が雪蓮を操ろうとしても、俺に別の術をかけようとしても、どうしてもラグが生まれる。
これだけの近距離でのラグは致命的。
俺の体の動かせる部分で、いくらでも妨害は可能だ。
最悪、喉笛を食い千切ることも出来るくらいの距離……
さっきまで悪態ついてた奴から余裕が消えると清々する。
「……一つ聞かせていただきたい」
「何だ?」
「本気で生きると言いましたよね?なぜ、そのように考えるようになったのです?」
「……………」
「この世界に来た当初のあなたは、殺し殺されることを忌み嫌っていた。今もそうかもしれませんが、己の手を血で染めることに躊躇が無くなったように見えます」
「躊躇はある。ただ……戦いの場で、そう言う理性は捨ててるだけだ」
「それが出来る理由を聞かせていただきたい。“普通の学生”だったあなたが、なぜそこまでに至れたのかを……」
「……簡単な話だよ」
小さく深呼吸……
俺が刃を振るうことのできる理由は、誰に聞かれても即答できる。
けど、普通に答えるつもりは無い。
もっともとっと……コイツの余裕を崩してやりたい……
「本気で生きるって……誓ったからだ」
「誓った?誰にです?」
「……俺がこの世界に来てから、その動向を見てたんだろ?なら、そのくらい分かるだろ……?」
意地悪く笑ってやる。
于吉にとってはそれは不快だったらしい。
表情が雄弁に語ってくれている。
「……あぁ、孫文台にですか?墓前でそのような会話をしていましたね」
「違ぇよ。孫堅さんに、誓いを立ててる時間なんか無かった。見てたんなら知ってるだろ?」
「では……孫伯符──もしくは孫仲謀ですか?」
「それも違う」
「ならあとは──」
「先に言っとくけど、月さんにでもねぇよ」
「……では誰にです?自身の生き様を誓えるような相手など、他に思い当たる節は──」
「愚か者は目も節穴だな」
明かに于吉は動揺してる。
だから、気付かれないように腕に力を込める。
全身に満ちている怒りを凝縮して、心の中で決めていた言葉に押し込む。
「誓ったのは……誰でもねぇよ」
「……………?」
「ただ、俺の──」
ミシミシ
「──魂にだ!!!」
バキィィィン
「っ?!」
雄たけびを上げると同時に、渾身の殺気を于吉にぶつける。
今まで感じてたそれとは比べ物にならなかったんだろう。
于吉の額に冷や汗が噴き出し、明らかに俺に対して怯んだ。
同時に、呪術の効力が一気に弱まった。
それを感じるまでもなく、両腕に渾身の力を込めた。
俺を拘束していた何かが砕け散り、解放されるが早いか──
「──死ね」
「ぐっ!」
鞘から一気に抜刀……
狙うは于吉の首筋のみ……
必要以上に語るつもりは無かった。
だから、囁くように一言だけ……
「このっ!」
「……っ」
……太刀筋を読まれた訳じゃない。
ギリギリで、于吉にしてみれば奇跡的に回避で来たってとこだ。
切っ先に肌が触れた程度の感触しか伝わってこなかった。
逃れようとする于吉から目を離すことなく、体の動きも流れるように──
「‘遅化’!」
「っ?!」
于吉が叫ぶと同時に、部屋の床が淡く赤く光った。
見たこともない紋様が床一面に描かれている。
同時に──
「……こ、れは……なん、だ……?」
体の動きが急激に遅くなった。
自分でも考えられないほどに、刀を振るう速度が一気に低下する。
「ハァ、ハァ……本当に、あなたと言う人間は面倒ですね……使うつもりのなかった仕込みを使わざるを得ないとは……!」
「か、らだ、が……」
思考の速度だけはそのままだ。
ただ、スロービデオでも体現してるかのように、俺の体はゆったりとしか動かない。
当然ながら、于吉は俺から距離を取る。
そして、雪蓮に対してやったように印を結んで──
「‘鎖縛’!」
「──っ?!」
ジャララララ
さっき拘束されたそれとは明らかに違う。
薄らと透明な鎖が見えた。
それが俺の体に巻き付いてきて……
「がっ、は……っ!」
俺の動きを遅くする術の効果は短かったらしい。
だから、巻き付いてきた鎖の感触はすぐに伝わってきた。
肉を引き裂くほどに強力に締め上げてきて、あまりの激痛に床に体を打ち付けた。
「……ふぅ……ここまで私の計画を妨げてくれるとは思っても見ませんでしたよ」
「……ぐぅ…がぁっ……!」
「抵抗はしない方が宜しいですよ。それだけあなたを締め上げて行く呪術ですので」
上手く呼吸ができない……
意識だけは飛ばすもんかと抵抗してみるけど……
……それだけ締め付けて来る力が強まる。
「この術を使わざるを得ないとは……計画を綿密に変更しなくてはなりませんね」
「──……っ!」
「無理に言葉を発しようとしなくても構いませんよ」
優位を得られて、再び于吉の表情に余裕が戻る。
「元々は……あなたが発狂し、孫伯符と殺し合ったという状況にする予定でした」
「……!」
「ですが、この鎖を用いた呪術……強力ではありますが、痕跡が残ってしまうのです。やれやれ……どのような改竄が良いでしょうね?」
……不覚だった。
予め雪蓮の部屋にも術を仕込んでるってのは想定外……
堂々と部屋に入って来た時のあの余裕……
万一何かあった場合に、それを覆せる何かを用意してたと考えるべきだった。
……………くそがっ!
「私の計画をここまで破綻させてくれたのです。もう少し、あなたのその苦悶の表情を拝んでいたいものですが──」
「……ぐ、ぅ……」
「その体に残る鎖の痕を不審に思われないように、これからいろいろと手を尽くさなくてはなりません」
そう言って、于吉は腕をゆったりと上げる。
それに合わせて、雪蓮が俺に歩み寄ってくる。
「さようなら“贄ノ子”……私を怯ませて術を破ったのは、あなたが初めてでしたよ」
「こ、のっ……!」
雪蓮は操られるままに、剣を高々と振り上げる。
于吉の思惑通りに事が運ぶことが悔しいんじゃない……
このままだと……雪蓮は……!
「ではせめて、一息に──」
勝利を確信したような声色。
あからさまに俺を見下す目。
その全てが不快だった。
そして何よりも……
「(俺は、また……護れねぇのか?!)」
虎牢関の城壁で、俺の腕の中で眠りについた羅々が頭に過った。
俺は、俺はまた……!
『──‘解呪’』
後書き
書こうとする意欲が湧いてるうちに、頑張って進めていきたいです。
……短いかもですが、ご容赦をw
ではまた次話で
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