なにをしても、なにを言っても、どうなっても、なにも聞いてくれない白い人たちはもっと嫌い
でも、僕にはどうすることもできない
ここは彼らの国で彼らこそが王さまだから
王さまは偉い、王さまは無敵、王さまは怖い
白は王さまの色だ
裸の僕は王さまには勝てない
じゃあ、なになら王さまに勝てるんだろう
今はいって来た黒い人は、王さまに勝てるんだろうか―――
機動戦艦ナデシコ 「IMITATION HEAVEN」
〜第一話「イルカに乗ったメイドさん(宇宙版)」〜
「調査、ですか?」
疑問が口を衝いて表に出る。自分が置かれた状況と、自分が就いている職業を鑑みれば、それは本来許されないことなのだが、目の前の人物はそれを気にも留めずに私の質問に答えてくれた。
「そう、調査だ。近頃頻発している、謎のハッキング事件は知っているかね?」
「私じゃないですよ」
間髪いれずに否定した。
そもそも私なら、そんな証拠は残さない。今度は口には出なかったが、含むところは目の前の人物、地球連合宇宙軍総司令ミスマル・コウイチロウにも伝わったのだろう。わかっているとも、といった孫を見るおじいちゃんのような微笑と、君はまたやったのかね、といった困った部下を見る上司のような苦笑が顔に浮かんでいる。
ちなみに戸籍の登録上は義理とはいえ紛れもなく「おじいちゃん」であり、職業上はこちらも紛れもなく「上司」であるわけで、いえ、ほんと、ご迷惑をおかけしています。
「わかっているとも。ルリ君のことは部下として、家族として信頼している。それに、君がわざわざこんな情報を得るためにハッキングを繰り返すとは思えんしね」
「―――? いったい、どんな情報を盗まれたんですか?」
ミスマル指令はうなずくと手元の端末を二、三度叩いた。すぐにその結果、「被害状況」を示す様々なウィンドウが周囲に展開されていく。
「国際高速通信社。新統合戸籍管理局。宇宙軍に統合軍……」
「正式な被害届は出てはいないが、ネルガルを含む他の大企業も、同様のハッキング被害にあっているという噂がある」
「……なるほど」
そこまでは理解できる。軍や大企業の情報バンクは、公にできない情報の宝庫だ。ハッキングする価値は大いにある。しかし……
「ゴーグル地図ネット。BS2ch掲示板。オリコンヒット。流行のドラマに、ファッションに……流行語辞典?なんだこりゃ」
「なんだか、どうでもいい情報ばっかりですね」
後ろに並ぶ二人の部下、マキビ・ハリ少尉ことハーリー君と、タカスギ・サブロウタ大尉の言うとおり、ハッキングされているのは、そのほとんどが盗んでも仕方がないようなものばかり。
司令の顔も「そのとおりなのだよ」とでも言いたげな、苦笑を浮かべている。意図がまったく理解できないからだろう。
中にはそれこそ、実際にその盗まれた情報を扱う企業のサイトにいけば見れてしまうような情報すらある。
軍から盗まれた情報も広報部のもの。つまり、対外的に発表された周知の情報で……。
本当に犯人はなにを知りたいんだろう?
「見た限りでは世俗に関する情報を集めている……ように見えますが」
地球侵略を目前に控えた宇宙人じゃあるまいし……可能性としては
「ただの悪戯じゃないんすか?」
「ですよね。ちょっと腕のある人なら集められそうな情報ばっかりだし」
「うむ。最初はそう思ってアクセスログを辿ったんだな……しかし」
「なにかあったんですね?」
そもそもただの悪戯なら、私たちが呼ばれるはずがない。
ミスマル司令は表情を改めると再び端末を操作した。
「そのとおりだ。これを見てくれたまえ」
周囲を囲んでいた『被害状況』が消え、正面に大きな一枚のウィンドウが開かれる。そこには何の変哲もない……というか、見る限り何もない。あるとすれば周囲を漂う瓦礫だけという、ただの宇宙空間が広がっていた。
「これは?」
「犯人がいると思われる宙域に向かっていた戦艦が捉えた映像だ。見てのとおり、何も映ってないように見えるんだが、ここのところをググっと拡大すると」
「あ、なんかいますね」
「艦か?見たことない形だな」
拡大されたウィンドウの中には、宇宙空間に漂う一隻の艦の姿が映し出されていた。その形状はサブロウタさんの言うとおり変な形で(ナデシコも十分変ですが)、まるでお腹に槍を抱えたイルカみたいだった。
そのイルカ艦は特に何の動きも見せることなく、ただぼんやりと宇宙空間にその身を漂わせていたのだが、次の瞬間。
「え?」
何の前触れもなく消えうせた。
「ボソンジャンプ!?」
「いや、急行した戦艦ホトトギスが周囲を捜査したが、周囲には多少のボース粒子の乱れはあるものの、ジャンプと思しき反応は検出されなかった」
「カメラの故障とか」
「これも帰還したホトトギスを徹底的に調査したが、すべての機器は正常に動作していた。このカメラの映像にはズレも修正のあとも見られない。つまり」
「あのイルカ艦は、突如として目の前から姿を消した。何の種も、仕掛けもなく」
「―――そういうことだ」
映像が消え、沈黙が部屋を包む。
今わかった、私たちがここに呼ばれた理由が。似ているんだ。
なにを目的としているのかも分からず繰り返される被害、駆けつけてみれば目の前から忽然と消える犯人と思しき正体不明の艦。
ボソンジャンプではないらしいというのも、正直当てにはできない。前もそうだった。
「ボソンジャンプ可能な全高8メートルのロボットなど、地球も木星もつくれない」
上層部はそう言って、目の前で起こったことを否定した。だけど実際は有り得た。元々、未知のオーバーテクノロジーを使っているのだから、今回だって可能性はあるはず。
司令は、「そういう可能性」を示唆している。
パズルのピースが埋まっていく、どんな絵が完成するかは分からないが、たしかに何かの手がかりにはなるかもしれない。
「司令、私たちを行かせてください」
「艦長?」
「行ってくれるかね」
「有効射程圏内に近づく前に逃げられるのであれば、誰が行っても同じです。捕まえられるのは、ナデシコCしかありません」
「わかった。ならばユリカを連れて行きなさい。話は通してある」
「―――いいんですか?」
少し驚いた。司令なら、もとい娘を溺愛するこの人なら、あんなことがあった直後に娘を戦場に出すなんてするはずがないと思っていた。
思わぬ言葉に不思議そうな表情を浮かべる私を見て、司令は表情を和らげながらやさしい声で言った。
「彼も私の義息子だ。助けたいと思うのは、ルリ君やユリカだけではなく、家族全員の願い。ならばこそ、家族一丸となってはたらかねばな」
「司令……」
「―――ユリカとアキト君を頼む。行きたまえルリ君」
「了解しました。ナデシコCはイルカ艦捕縛のため宇宙に上がります」
敬礼する。
「うむ。吉報を期待している」
腕を下ろすとすぐにきびすを返して部屋を出る。ハーリー君があたふたと、サブロウタ大尉が揚々と後をついてくるのを背中に感じつつ、港へむかう足を速める。
火星の後継者たちの叛乱から一ヶ月あまり、何かが動き出した。そんな気がした。
×××
赤道上空、高度役三五七八六kmの円軌道を静止軌道、そこを飛ぶ衛星を静止衛星と呼ぶ。
静止軌道は別名、対地静止軌道とも呼ばれ、ここに浮かぶ静止衛星は見かけ上、大地(赤道)に対して完全に停止しているように見える。
これは衛星の公転周期と地球の自転周期が同調しているためであり、これを利用することで通信など特定の電波を受信する際、アンテナを固定しておけるというメリットがある。
ゆえに、通信衛星のほとんどはこの静止軌道上にあり、地球圏を行きかう情報のほとんどは、この静止軌道にあるといえる。
本来静止軌道における衛星の有効な静止ポジションは有限で、それゆえにそこに浮かぶ衛星は厳しい管理を受けているのだが……今そこに、どう見ても通信衛星ではないものが堂々と浮かんでいた。
それは、イルカを思わせるマリンブルーの滑らかな流線型のボディに、大きく張り出したコレまたイルカのヒレを思わせる前後計五枚のウィングを備え。その下部、「腹」にあたる部分には槍のような、長大で鋭角な機関が、全身長を真っ向から無視するかの如くデカデカと取り付けられていた。
その様相はさしずめ、槍を抱えたイルカ。あるいは槍に引っ付いたイルカといったところだ。
よく見れば、その全身のいたるところに大型のハッチや砲門、対空火器郡が設置されており、そこまで気づけば素人でも、このイルカは戦闘を目的とした艦「戦艦」なんだということがわかるだろう。
そして同時に、どこの誰がこんな変な形の艦を作ったのかと正気を疑いたくなることだろう。はっきり言って宇宙の海より本当の海向き、「宇宙」戦艦ではなく「潜水」艦が似合いそうなフォルムだ。
もっとも、海に浮かべたとしても相当に趣味的な形だが……
そして
そのイルカの「顔」にしてある意味での心臓部であるブリッジに一人の女性がいた。
それは美しい女性だった。
つややかな黒髪と陶器のように滑らかで白い肌。シートにゆったりと身を任せるその様子からは、着衣の上からでも、そのプロポーションが清楚かつ整ったものであることを窺わせる。
やさしく閉じられたまぶたと柔らかな口元は、隙だらけで、逆に一部の隙もない。
まさに完璧。まさにTHE美人。
ま、もっとも―――
(本艦後方でボース粒子の異常増大を感知)
「―――あら?」
―――着ている服がメイド服である時点で、ドン引きの異空間発生源だったりするが……
(質量推定。戦艦クラス一)
「困りましたね。こんなに急に……」
困惑気味に眉を寄せるメイドさん。
だが困惑すべきはその服装ではなかろうか。
似合っていないわけではないのだ。むしろ、コレ以上ないほどに似合ってはいる。清楚な黒のワンピースも、清潔で真っ白なフリルつきのエプロンも、コレを忘れちゃだめだよね?とばかりにその存在を主張するカチューシャも。どこをとってもパーフェクトなメイドさん。
惜しむらくは、ここは中世のお城でもなければ、電気街の喫茶店でもなく。高高度三万六千キロで周囲の衛星通信をハッキングしまくっている謎の戦艦のブリッジだということだ。
TPOの意味を問いたい。いや、いろんな意味で。
ともかく、急な襲来に退却指示を出そうとするメイドさん。現状の広域ハッキングモードを終了し、潜行モードへと移行しようとするが。
『首尾は?』
突然、メイドさんの手元にウィンドウが現れ、男の声で質問があがる。
メイドさんはこのタイミングで入ってきた通信に何かを感じたのか、作業を凍結してウィンドウのほうに顔を向けると、コレを見ればどんな人間でも属性特化間違いなし!な完璧なスマイルでもって応答した。
「はい、おおよそ完了しました。やはりご主人様の懸念どおりのようです。一部を除きほとんどのデータが、ライブラリに保存されたデータと一致しています」
『―――そっか。じゃあ、そろそろ潮時かな。念のため脱出の準備だけしておいて自閉モードで待機、後はあっちに任せよう』
「かしこまりました」映像越しにしっかりお辞儀するメイドさん。と同時に、シートのアーム部分に当たるコンソールに置かれた両手が複雑な模様の光を放つ。IFS(イメージフィードバックシステム)の根幹を成すナノマシンたちが放つ光だ。
膨大な数のウィンドウが開いては一瞬で閉じていく。それと同時に、艦内各所から光が消える。メインの記憶領域と演算装置を物理遮断。立ち入られては拙いいくつかの機関に厳重なロックを施し、生命維持系を除くすべてのシステムをロックする。
そこまでしてから、メイドさんは今まで自分が座っていた席『艦長席』から立ち上がった。
軽く服のすそを払い、生地のしわすら完璧な位置へと直した後、開きっぱなしのウィンドウへと向き直る。
「しかし、よろしいのですか?」
『うん?』
たずねた方もたずねられた方も顔には変わらず笑顔を浮かべている。
「ご主人様のお考えは分かります。予想通りかつ、ボソンジャンプ。であれば、来るのはあの方たちを置いて他にいない。ですが、私たちの知るあの方たちとも限りません」
『心配することないって。あの人達なら、いつでもどこでも変わんないはずさ。それに―――』
「それに?」
『あってみたいだろ?』
その問いに、メイドさんはほんの一瞬呆気に取られた。しかしすぐに、その表情は華の様な微笑にとってかわる。
それは自分の主に対してのほほえましさからか、今ここに現れようとしている者たちへの待ち遠しさからか、あるいは、その両方だったのかもしれない。
「はい」と、小さく、でも確かにメイドさんがうなずくのを見たウィンドウの中の青年は、年の割りに幼い笑顔を浮かべて、わざとらしく仰々しい振る舞いで言い放った。
『では、準備を。よろしく頼むよ、コクヨウ?』
「御意。我が名に懸けて最高のおもてなしを……ナイト様」
ウィンドウが閉じる。
艦後方にはすでにナデシコがいる。通信の一切を遮断したためハッキングは効かないから、すぐにでも偵察代わりの機動兵器が飛んでくるだろう。時間がない、手早く準備を整えなければ。
思考しながらでも行動は迅速、それでいて優雅に。艦長でありメイドさんのコクヨウは、ブリッジを出てキッチンルームへと歩き出した。
記念すべき最初のひと時を彩る、最高の一杯を頭に思い浮かべながら。