「…………」
上品な香気が湯気とともに立ち上る。
かんきつ類を思わせる甘いにおいが鼻腔をくすぐり、普段紅茶など飲みなれない少年でさえ、この一杯がただの一杯ではない事が容易に想像できてしまう。
気がつけば、手は自然とカップの蔓へと伸ばされ、ソレをつかむすんでのところで猜疑心がその手を止める。
飲んでしまっていいのだろうか?いやしかし、飲まないのはむしろ冒涜なのではないだろうか?
カップに注がれた鮮やかな紅色に困惑の表情を浮かべつつ、少年軍人マキビ=ハリ少尉は黙考する。
っていうか、どうしてこんなことになってるんだっけ?と
機動戦艦ナデシコ 「IMITATION HEAVEN」
〜第二話 「騎士とメイドと妖精と」〜
「通常空間に復帰。レーダー、通信回復します」
「艦内各部異常なし。ボソンジャンプ成功です」
「―――ハッキングシークエンスを開始。エステバリス隊は出撃してください」
『了解っ!』
威勢のいい掛け声とともに、三機のエステバリスが宇宙へと飛び出していく。
一機はナデシコC副長でもある、タカスギ=サブロウタ大尉のスーパーエステバリス。他二機は、アララギ揮下から借りてきた臨時パイロットのもの。
今回の標的であるイルカ艦にアキトがいた場合、サブロウタのエステ一機で彼を押し止める事が出来るか不安だったので、ミスマル指令にお願いして拝借したのだ。
ちなみに、この選抜二機の座をめぐって、アララギ艦隊内では壮絶な権利争奪戦が行われていたりするが、それは別な話。
ともかくいろんな意味で貴重なこの二機を加え、三機編成となったサブロウタ率いるエステバリス隊は、ナデシコCから付かず離れずの絶妙な位置でフォーメーションを展開。イルカ艦の出方を伺う。
機動兵器まで出てきたというのに、当のイルカ艦には何の反応もない。
ナデシコCのシステム掌握までの時間を稼ぐことが任務である彼らにとって、抵抗がないのは面倒が無くて都合がいいのだが、それは同時に不気味でもある。
油断無く相手を見据えるエステ隊。
その後ろで、イルカ艦へのアクセスを試みるルリとナデシコC。
あらゆる情報的側面から、イルカ艦のプロテクトを突破して、その機能を掌握しようとするのだが……
「―――だめですね」
「はい?」
「システムが自閉モードで固定されてます。押し込み強盗は受け付けてくれないみたいですね」
「それじゃあ、どうするんですか?」
「直接抑えるしかないでしょう。サブロウタさん、ヨロシクおねがいします」
『おっまかせっ!行くぞ、おまえら!』
『『オス!』』
「ハーリー君、イルカ艦から目を離さないで。オモイカネ、広域索敵モード」
「はいっ」『りょうかい』
(さて、どうでますか……)
ルリはイルカ艦の奇妙な行動の数々に不自然さを感じていた。
幼稚とも取れるバレバレのハッキングをするくせに、いざ見つかれば、現状誰にも理解できない未知の手段で逃げおおせる。
通常艦での捕捉は困難とおもい、ボソンジャンプまで使って自分が来てみれば、今度は撤退するでも応戦するでもなく。ただ制御を奪われないようシステム全体をロックするだけで、その場に留まっている。
仮にもしコレがアキトだとすれば、対応が余りにも中途半端だし、そうでなかったとしても多くの疑問点が浮かぶ。
そもそも、ジャンプアウト完了時にイルカ艦がシステムをロックしていたということは、ハッキングを警戒したということ……それは来るのがナデシコCだと分かっていたからこその対応だ。ナデシコの性能とルリの活躍は世間一般でも知られているが、A級ジャンパーの誘拐事件や遺跡など暗部の多いボソンジャンプに関しては秘匿事項とされている。
そこらの愉快犯や海賊では、ジャンプ反応とナデシコを結びつけること自体不自然。
そもそもそんな連中なら迷わず応戦するだろうし、未知の技術というのもアンバランス極まりない。
では事情を知る企業の艦かと言われれば、それもおかしい。
新造艦の機密実験ならさっさと逃げるだろうし、デモンストレーション目的で投降するなら通信の一本も寄越さないはずがない。
残る可能性としては自分とナデシコをピンポイントで狙った「罠」だが、だとすれば非効率的で回りくどすぎる。
結論として、この艦の目的がイマイチ理解できない。
まさか「我々は宇宙人です。コンタクトを取る機会をうかがっていましたが、準備に手間取りました」なんてことはないだろう。
『艦長』
「なにかありましたか?」
先行したサブロウタのエステバリスから通信が入る。
エステバリスの接近にもイルカ艦は何の反応も示さず、艦首、エンジンブロックを抑えられてなお機銃弾の一発すら飛んでこない。
実際に牽制に当たっているアララギ揮下レンタルパイロット二名は困惑の表情。そしてそれにもまして、サブロウタの顔には『理解不能』という言葉がよく似合う、というかそれ以外の言葉が当てはまらないくらいの戸惑いの表情が浮かんでいた。
『いや、なにかと言われればなにかなんですが……なんて言いますかね……』
「なんですか?報告は簡潔に」
『はぁ』
どうにもはっきりしない。元木連軍人であるサブロウタは、今でこそ軟派を地で行く軽薄男だが、こと軍人としてはかなり優秀な部類だ。それがここまで言葉を濁らせるとは、静かに見えてよほどのものがあったのか、それとも……
『艦長……いえ、「ホシノ=ルリ様」宛てでお茶のお誘いです』
「「「は?」」」
思わずあっけにとられて間の抜けた声を出すルリとその他。
通信ウィンドウの中で相変わらず戸惑いの表情を浮かべるサブロウタの手の中には、見事な楷書で書かれた一通の手紙があった。
******
拝啓
二百十日も無事に過ぎ 虫の音の美しさに秋の深まりを感じる今日この頃
皆様におかれましては ますますご清栄のことと心よりお慶び申し上げます
この度 私たちは皆様との邂逅を喜ぶとともに
当艦「疾時雨(ときしぐれ)」におきまして ささやかなお茶会を催したいと存じます
ご多忙の中 誠に恐縮ではございますが
ぜひご出席くださいますよう つつしんでお願い申し上げます
クルー一同 皆様のお越しを心よりお待ちしております
敬具
二二〇一年 九月吉日
疾時雨艦長 コクヨウ=テスカ
同副長 ロード=ナイト
「…………」
「………………」
『……………………』
「わぁ♪お茶会だって。行こうよルリちゃん!ケーキとかも出るのかな♪?」
「いやっ!それでいいんですか!?」
あまりといえばあまりの言葉に思わずつっこむハーリー。だがつっこまれた本人はそんなこと気にも留めずに、この服のままでいいのかな?おめかしした方がいいかな?などと既に行く気満々で準備に入ろうとしている。
「ユリカさん」
ルリが冷静な声で、その子供のように見えて実はもう25を超えている一部のみ立派に成長した大人を制止する。
「艦長っ!」その冷静さに憧憬の念を送るハーリー。しかし
「軍の礼服ならクローゼットに入ってます。着替えるならそっちにしてくださいね」
「えぇーっ!あれ可愛くないしキツイからいやなんだもん!」
ガンっ!っと中々派手な音を立ててハーリーはコンソールに突っ伏した。目の前に展開されっぱなしのウィンドウからはサブロウタの「やれやれ」といった感じの苦笑っぽい視線が注がれているが、そんなことは気にならない。
彼の後ろでは、軍礼装を却下し、自前のお洒落グッズを使用すると声高に主張したユリカによってルリが強制連行されるところだった。
「艦長!ユリカさんも!本当にそれでいいんですか!?」
「え?だってこっちのほうがきっと可愛いよ?」
「服装の話じゃありませんっ!」
ナデシコでは伝統的に年齢が下がるにつれて常識度が増す。そして常識があるものほど、その常識を殴り倒される非常識空間でもある。
「軍艦」としても、子供の育つ環境としても大問題なのではなかろうか。いや軍艦が子供の育つ環境かはさておくとして。
それはともかく、艦内最年少かつ最常識人であるところの少年の戦いは続く。
「大体、不自然すぎますよ!招待状だなんてっ!罠だったらどうするんですか!?」
「うーん、その可能性も無くはないけど、ちょっとメンドクサすぎるかな?もしルリちゃん個人が狙いなら、わざわざこんなところで準備しないで一人でいるところを狙えばいいわけだし」
「そ、それはそうですけど……」
「それに、どっちみち軍からは捕縛しろーって命令が来てるんだから、調査はしないといけないよね」
「っう……それも確かにそうですけど」押され始めるハーリー。艦内一の良識派とはいえ少年は少年。チャランポランに見えて実はちゃんと考えているれっきとした「大人」のユリカを論破するのは、いささか難度が高かったようだ。
だがそれでも、招待状の宛名が(愛する)ルリである以上、黙って生かせるわけにも行かず。なんとか説得しようと言葉を捜す。
顔をうつむかせて考え込むハーリー、その沈黙を「お姉さんが心配な弟」的空気と感じ取ったのか、ことさら明るくユリカは続ける。
「だ〜いじょうぶっ、もし危なくなったらルリちゃんを抱えて跳んで逃げてくるから。心配しないで待っててね♪」
「―――え?」
顔を上げるハーリー。気がつけば、ルリとユリカは既にブリッジの出口にたって手を振っていた。
「それじゃあ行ってきま〜す♪」
「ハーリー君、留守番よろしく」
バシュッと軽い音を立てて閉まるゲート。取り残された少年は、しばし呆然とすると―――
「ちょっ!?まってくださいよ艦長!僕も行きますよ!」
そう言って、慌てて二人の後を追うのだった。
(一応)正装したルリとユリカ、そしてハーリーは、一時帰艦したサブロウタのエステバリスを護衛に、シャトルでイルカ艦改め「疾時雨」へと向かった。
念のため、A級ジャンパーであるユリカが懐に退避用のCCを忍ばせ、サブロウタが拳銃と短機関銃を携行して一同の護衛に就く。
サブロウタを除く他のエステバリスも万が一に備えて外から「疾時雨」を抑えられる位置で待機している。
微妙な緊張を孕んだまま、誘導ビーコンに従って後部甲板に着陸したシャトルは特に何事も無く格納庫へと収容された。
主動力が落ちている影響か格納庫内は薄暗く、足元を照らす程度の非常灯の光量ではその全体像を把握することができない。
警戒しつつシャトルを降りる。
すると、そのタイミングを見計らったかのように周囲にコミュニケのものと思しきウィンドウが多数表示された。
「―――歓迎されているみたいですね」
「ええ、それもものすごく」
表示されている画面はいずれも「歓迎」「WELLCOME!」「千客万来」「ようこそ疾時雨へ♪」などなど歓迎の意を表すものばかり。次いで、展開された画面は二列に整列し、格納庫の出口へと一行を誘導する。
謝辞で埋め尽くされた道を通るその様はさしずめ、海外ツアーを行う有名バンドが、現地の空港で地元民の熱烈な歓迎を受けるときの様に似ていた。
さきの招待状といい、ばかばかしいほどに手が込んでいる。
招待状で名指しの指定を受けた手前、ルリが先頭になって歩を進める。その後ろにはいつでも対応できるように銃を構えたサブロウタが、若干遅れてハーリーとユリカが続く。
ウィンドウの花道が終わり格納庫の出口へと一行が近づくと、それを感知したセンサーが自動でゲートを開く。
「ん……」
圧搾空気の抜ける間の抜けた音の向こうに続く通路は格納庫とは違い、照明たちによって煌々と照らされていた。光量の差に微かに目を閉じかける、が。閉じかけた目蓋は、通路の中ほど、正面に当たる位置に有り得ないものを見て再び見開かれた。
質素な黒のワンピース、実用性の中にささやかな装飾を施された白いエプロン、己が立場はこれをもって示さんとばかりに頭部を飾るカチューシャ。
どこからどう見ても、そして、なんでこんなところに?と正気を疑いたくなるほど完璧な装いのメイドがそこにいた。
「お待ちしておりました。ルリ様、ユリカ様、マキビ様、高杉様。ご主人様がお待ちです。どうぞこちらに」
あまつさえ一礼とともに歓迎された。というか
「ほえ?なんで私たちの名前まで知ってるんですか?」
彼女はあまりにも自然に、ユリカたちの名を呼んだ。招待されたルリならば分かるが、その他は予想外のゲストのはず、なのに何故彼女は自分たちの名前を把握しているのか。突如目の前に現れた真性メイド空間に意識を飲まれかけたサブロウタとハーリーだったが、ユリカの放った当然の疑問に意識を取り戻し、警戒の目を目の前のメイドに向ける。
熱烈な視線にさらされながらも、メイドはその笑みを崩すことなくユリカの質問に答えた。
「その理由に関しましては、後ほどご主人様から―――今はとりあえず、こちらへどうぞ」
そう言って一同を先導する形で歩き出すメイド。一応の警戒意識は呼び戻されたものの、あまりにも衝撃的なファーストインプレッションに緊張感の過半数をそぎ落とされたルリたちは、おとなしくメイドの後に従う。
通路を二、三度曲がりエレベーターを一回乗り継いで、一同は宇宙戦艦には不似合いの異様に立派な木製の大扉の前に案内された。
メイドがノックと共に「お客様をお連れしました」と告げる。すると両開きの扉はひとりでに開き、メイドはその端によって一礼と共にルリたちを部屋の中に通した。
部屋の中は純イギリス風の調度品でコーディネートされたラウンジになっており、その中央に置かれたテーブルには一人の青年が着いていた。青年はルリたち全員が部屋に入るのを確認すると、笑みを浮かべて席を立ち、一礼とともに歓迎した。
「ようこそ、疾時雨へ。待ってたよ」
そう言ってから、着席を薦める青年。
その外見は、ある意味先にあったメイドさんよりもぶっ飛んでいた。
顔立ちは整っている。やや少年っぽいが切れ長の目元や顎のラインなどは美青年と言っていいレベルのそれだし、一礼したときに見えた全身とそのしぐさを見れば、身体も程よく引き締まっているのだろう。
服装だってメイド服に比べれば幾分まともな「軍服」だ。あえて「」がつくのは、それがこの世界では見たことの無いデザインの「軍服」だったからだ。それでも何故それが「コスプレ」ではなく「軍服」だと分かったのかと言われれば、コスプレにしてはあまりにもそれが精巧すぎて、堂に入っていたからだ。
ここまでなら、まあ「理想的青年軍人」に見えなくも無い。
だがあきらかにおかしい、無視できないほど変なものがその青年にはあった。
「…………やくざ?」
それは「刺青」だった。いや、よく見ればそれは「文様」だと一部の人間なら気がつくだろう。
仁王様や桜吹雪といったソレではなく、どちらかといえば電子回路を想像させる、抽象的だが幾何学的な赤黒い「文様」。それが青年の顔を覆っていた。
文様は首元まで続き、手の甲にも同じ文様が手首まで続いているのを見ると、もしかしたら体中に広がっているのかもしれない。
どう見ても、マトモではない。
「…………」
それでも着席を促された以上は座らなければ居心地が悪い。よくよく考えれば付き合う必要はこれっぽっちも無いのだが、目の前の刺青青年といい案内してくれた(今はなにやら準備をしている)メイドの彼女といい、歓迎してくれているのは本当のようだ。理由はさっぱり分からないが。
ともかく着席する。
目の前の青年はどこかホッとした感じの表情をしている。もしかしたら信用されるか不安だったのかもしれない。まあ、たしかに、どこのだれがこんな最初っから最後まで怪しい招待を受けるのかと問われれば、ソレを否定することはできないだろうが、ことここまで来て「罠」の可能性を疑うほどルリは鬼ではないし、万が一「罠」でも打開する策はある。
なので、今はとりあえず無用の軋轢を生み出さないよう、礼儀もこめて返事をすることにした。
「まずは、お招きありがとうございます。私は連合宇宙軍第四艦隊所属、試験戦艦ナデシコC艦長のホシノ=ルリ中佐です」
「同じく副長、タカスギ=サブロウタ」
「オペレーターのマキビ=ハリです」
サブロウタはいつも通り揚々と、ハーリーはまだ若干の警戒がこもった声で挨拶する。
「そしてっ、今日はおまけの連合宇宙軍総司令付き秘書官、ミスマル改めテンカワ=ユリカ大佐ですっ!ぶい♪」
「「ぶい?」」
「正確には婚姻届の提出前なので、まだミスマルですよ。ユリカさん」
「硬いこといっちゃいやだよルリちゃん〜」
テーブルに「の」の字を書いていじけるユリカ。「事実ですから」といって切り捨てるルリとセットだと、どっちが年上か分からない。
「ぷっ……くくくっ、ホント、いつでも変わらない……う、くふふっ」
そんな二人の様子を見て青年はうけていた。初対面でコレをやったら、まずたいていの人間は呆れるのだが目の前の青年はその範疇には無いらしい。目元にうっすら涙まで浮かべて必死に笑いをこらえようと口を押さえている。まあ、その時点で「私笑ってます」と言っているのと同義なので、その努力にどれほどの意味があるかは疑問なのだが。
「はぁ〜……、すいません。つい懐かしくて―――」
(なつかしい?)
記憶の中に青年の顔は無い、こんな特徴的な外見なら忘れるはずはないから、だとすれば知り合いに似たような人物がいたのか……
「あらためて、ようこそ疾時雨へ。俺はこの艦の副長でパイロットを兼任するロード=ナイト。でこっちが―――」
「艦長を任されております。コクヨウ=テスカです。お見知りおきを」
……………
え?メイドさんのほうが艦長?
「わあ、メイドさんなのに艦長なんだぁ。すごいですねっ」
「ありがとうございます」
いやいやそうじゃないでしょう!と言おうとした所を押さえ込まれるハーリー。押さえ込んでいるサブロウタにも気持ちは分かる。
艦長とは総合管理職。軍や民間を問わず、一艦において艦長といえば全てのクルーの生命を預かり、またその頂点に立つ者。最高の命令権を持つ、言うなれば艦という国の王だ。
対してメイドとは、炊事、選択、掃除に介護などの家事業務を行う女性使用人。つまりはサーヴァント。SかMならMのほう(メイドだけに)。艦を国だとするならば……いや、普通は乗ってないから。
まあとにかく、とても兼任するものではないということだ。
しかし、目の前の当人はそんなこと気にした風でもなく、典雅さすら見える優美なしぐさでルリたちの前に白い陶磁器製のカップを並べていく。
一朝一夕の受け狙いや、コスプレイヤーとは違う。彼女、コクヨウの醸し出す雰囲気は間違いなく洗練された一流のものだった。ますますわけが分からない。
が、どんなに不自然でもわけ分からなくても出されたものは飲むのが礼儀。
釈然としないものはあっても、目の前の紅茶から漂う香りは魅力的なので一口いただいてみる。
かんきつ系のさわやかな香りとほのかな甘さが口の中に広がった。
「わぁ、おいしい!ね、ルリちゃん」
「ええ、とても美味しいです」
「気に入っていただけて、何よりです」
そう言って一礼するコクヨウ。やはり様になっている。
全員が紅茶に口をつけたところでナイトが口を開いた。
「それじゃ、説明しようか。俺たちが何者で、目的は何で、どうしてあなた達をこの艦にまねいたのか」
一転し真剣な表情で語るナイト。
その言葉にテーブルに着く全員の視線が集中する。
「まずは……そうだな。まずは俺たちが何者か、どこから来たか。コレを知っとかないと話が進まないだろうし」
話の展開にあわせてコクヨウがナイトの隣に寄り添う。ここからの話は彼女も当事者として話に加わるのだろう。
「俺たちは―――」
ピピピピピピ
と、話が始まろうとした時、電子音がその声をさえぎる。
音の出所はルリの腕に巻かれたコミュニケだった。簡易表示はナデシコを経由して本部のミスマル総司令から通信が入ったことを告げている。
なんとも、タイミングの悪いことだ。
すみません、とホストであるところのナイトに顔を向けると苦笑交じりにどうぞと促されたので、席を立って一同から若干離れた位置に移動する。
流石に軍の通信をお茶請けにはできない。
「はい」
通信画面を開く。一瞬で強持ての暑苦しい顔がアップで表示される。
『おお!ルリ君、無事だったかね!』
「ええ、今、お茶をご馳走になってました」
『お茶?あ、いやっ!今はそれどころではないのだ!』
「なにかあったんですか?」
コウイチロウは眼に見えてあせっている。仮にも連合宇宙軍のトップ、暑苦しくても判断は冷静なコウイチロウがこうまで声を荒げるのは、何かよほどのことが起こったのかもしれない。
僅かにその表情を曇らせるルリ。漏れ聞こえるコウイチロウの声で事態の異様さを感じたのか、テーブルに残っている面々も何事かと顔を向ける。
『落ち着いて聞いてくれたまえ……アキト君が』
「っ!アキトさんが……アキトさんがどうかしたんですかっ!?」
「アキト!?」
アキトという言葉にユリカが駆け寄る。
突然画面に割り込んできた愛娘に一瞬言葉に詰まるコウイチロウ。しかし、すぐに表情を改めると重々しい口調で二人にソレを伝えた。
『―――ユリカも、落ち着いて聞きなさい……アキト君が見つかった』
「ホント!?」「ホントですか!?」
『落ち着きなさい、二人とも』
本来喜ばしいはずの報告のはずなのにコウイチロウの顔は固い。なにかおかしい……聡明な二人は嫌なものを感じた。
そして、それは現実になる。
『気をしっかり持って聞いてくれ……アキト君は……』
知らず手のひらが強く握りこまれる。もはやただ事ではない空気に、ハーリーとサブロウタも席を立つ。
そして、決して大きくはないのに、それでも誰の耳にも明らかに、現実は告げられた。
『―――アキト君は……火星の後継者に捕縛された』